花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

速報!レンゲショウマ咲く「御岳山」と「オフ会」

2011年08月29日 | 花シリーズ

奥多摩「御岳山のレンゲショウマ」が見頃と聞き、
早速28日の日曜日に山仲間のYさんと行って来ました。


キンポーゲ科のレンゲショウマは、日本にだけ分布するお花だそうです。


楚々とした風情がとても涼しげですね。

麓の滝本駅からケーブルに乗って御岳山頂駅に到着です。

朝の7時前に横浜の我が家を出て、大船から湘南ラインで新宿に行き
8:19発のホリデー快速「奥多摩三号」に乗りました

この電車は秋川3号と連結していて、拝島で切り離されますので、
乗る車輌をシッカリと確認する必要がありますね。

9時半過ぎに「御嶽駅」到着、すぐにバス停に急ぎましたが長蛇の列
でも、臨時便が次々に出て15分待ちで乗れました。

ケーブルカーもフル回転で超満員・・・
家を出てから3時間半の10時半に着きました。
我が家から奥多摩までは本当に遠いです


レンゲショウマの群生地はケーブルカーの「山頂駅」のすぐ近くにあります。

この日はご覧のように大勢の人が見に来ていました。
日本人はいつからこんなに桜以外のお花も好きになったのでしょうか?


御岳のレンゲショウマは関東一
約三万平方メートルに約五万株が自生する全国でも珍しい群生地だそうです。

1番花が終って、2番3番花が見頃丸い蕾もまだ沢山見られます。

約三センチ位の小さな花が下向きに咲きます。
例年は7月末から咲き出し、8月末くらいまで楽しめるようですが、
今年は少々遅れているらしい・・・


霧が流れて幻想的な風景が見られました。
露を含んだ「レンゲショウマ」がいっそう神秘的に見えますね

ここまで来たからには「御岳山」の頂上を目指そう・・・

御岳山頂上「武蔵御嶽神社」へ
20分位歩くとお土産屋さんが並びます。その正面が「武蔵御嶽神社」です。

随身門をくぐり更に250段の階段を登ると「武蔵御嶽神社」の本殿です


古くから山伏が修行をしたといわれる標高929mの御岳山頂に建つ
霊験あらたかな神社が霧の中に佇んでいました。


古い石碑の周りにも、まるで巫女の様なレンゲショウマが咲いていました。

「御岳山頂上」という立て看板が見当たりません。
「もしかしたら奥の院が頂上なのかも・・・?」
私たちは取り合えず「大岳山・奥の院」と書かれた方向に歩いていきました。

殆んどの人がロックガーデンへと進んでいくので私たちもそちらのコースをとることにしました。
後で知ったことですが、奥の院は御岳山ではなく1077mの三角山の頂上に鎮座しています。

「ロックガーデン」へ
タマアジサイがあちこちに見られ「ヤマジノホトトギス」も咲いていました



大きな「天狗岩」を左に見て、川の流れる音を聞きながら歩いて行くと
やがてヒンヤリとした水辺に出ます。

養沢川の渓谷美の中を行くと落差10mの「綾広の滝」が現れます

前日は雨だったそうで、水量は豊富、迫力のある滝が楽しめました


御嶽神社の神事の時のみそぎにも使われる「綾広の滝」の他に
このロックガーデンには50mの落差の「七代の滝」がありますが、今回は飛ばしてしまいました

山頂駅から「レンゲショウマ」を1時間かけて見て撮影し
その後3時間近く歩いたロックガーデン周遊ハイキングの詳しい模様をデジブックに纏めました。

レンゲショウマの他にも、晩夏のお花が咲いていましたので、
お時間とご興味のある方はご覧下さい

デジブック 『晩夏の花咲く御岳山』


              

8月26日「オフ会」
ブログ仲間のラッシーママさんにお誘いを受け、オフ会に参加しました。
私にとっては初めての経験です。

場所はラッシーママさんの伊東の別荘・・・
参加者は銀河さん、ビオラさん、そしてまだお付き合いの無い大阪のlilyさんと
お聞きしていました。


東海道線の熱海駅で銀河さんと合流し、11時半に伊東駅でラッシーママさんと落ち合いました。

そしてそのまま活き魚料理のお店の「五味屋さん」へ・・・
この画像は今年の1月に主人と行った時に写したもの
あの時、箱根の十国峠からラッシーママさんにメールして教えてもらったお店です。
ラッシーパパさんも御一緒にで乾杯し、4人で美味しいお刺身料理を戴きながら、
お話しが弾みます。

お二人には初めてお会いしましたが(銀河さんとはまだ一ヵ月のお付き合いです)
日頃の行動や家のことを知り尽くしている間柄で初めてとは思えません。
何だか不思議な気持ちです。


大阪のlilyさんはご主人様のお加減が悪くて急遽お出でになれないとの事、
ビオラさんは翌朝からの参加です。

私は翌日の土曜日が都合が悪く、この日の夜に帰る予定・・・
お二人にお会いできずにとても残念でした。

昼食後は、伊東駅から車で7~8分(歩いて20分)、山の中腹にある緑豊かな別荘に
お伺いして、ひたすら飲んで食べてお喋りです。


ママさんお手製の夕食をご馳走になり、9時半過ぎにおいとましました。
この日伊東は夕方まで晴れていましたが、各地で豪雨となり
あちこちで被害が出たようです
東海道線も熱海から南は不通でヒヤヒヤしましたが、何とか無事に帰りつきました。

お話しに夢中で、写真はこのお料理のみ・・・
オフ会の詳しい内容はラッシーママさんがすでにUPしていますのでご覧下さい。

人の輪が広がって、たくさんの刺激を戴きました。
ご尽力いただいたラッシーママさんとパパさん、本当に有難うございました

そして何度かメールを取り交わしお世話になった銀河さん、知り合ってまだ一ヶ月なのに
ラッシーママさん共々旧知の間柄のように思えてきました。
これからもよろしくお願い致します。

 
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「めがね橋」と「碓氷湖」

2011年08月25日 | 旅日記
「軽井沢」からの帰り道は、国道18号線を走り「碓氷峠」を越え横川に出て
上信越自動車道の「松井田・妙義IC」から高速道路に入ります。

急な下りやヘァーピンカーブが続きますが、車も少なく快適なドライブが楽しめます。
山岳運転が大好きな主人も上機嫌・・・

やがて「めがね橋駐車場」という案内板が見えてきました。
「見学していこう

碓氷第三橋梁 通称「めがね橋」

車が30台くらい入る駐車場から歩道を5分くらい下っていくと、
突然レンガ造りの橋梁が見えてきます。

明治25年4月に建設が始まり12月に完成。
芸術と技術が融合した美しいレンガのアーチ橋で、川底からの高さが31mあり、
我が国最大のものだそうです。


旧信越本線の、横川~軽井沢間は急峻な「碓氷峠」を越えなくてはなりません。
そこで採用されたのがドイツのハルツ山鉄道の「アブト式」


信越本線の新線が出来る昭和38年まで、この橋梁「通称めがね橋」は使われていました。

春夏秋冬、この自然豊かな中を「蒸気機関車」が走っていた姿を想像すると
鉄キチでなくても胸が高まりますね

橋梁は、第2橋梁から第6橋梁までの5基が残っており、すべてが煉瓦造りで、
1997年に国重要文化財に指定されています。


このめがね橋をくぐり、左手の林の中の階段を登って行くと線路のあった軌道まで上がれます。


ヘアピンカーブの続く「国道18号線」が上から見渡せました。
「上信越自動車道」が出来る前、軽井沢に車で行く場合はこの道を通りましたものね。

右側の登り方面が「軽井沢」、大きな駐車場はこの上にあります。
左側を下っていくと「横川」です。
左手に4~5台の車が止められる「臨時駐車場」が見えています。

「見学が終ったら電話しろ。橋のところで拾ってやるから」と、
主人は車の中で待機しています。

暑い中、歩くのが嫌なのと、早く帰りたい気持ちが大きいのでしょう。


軽井沢方面に通じるトンネルはふさがれていました。


横川方面に通じるトンネルは歩けます。

横川駅まで歩いて50分のハイキングコースになっていました。
途中「碓氷湖」や「「鉄道文化むら」などを見ながらの約3kmの道のりのようです。

「峠の湯」という温泉もあるようで、紅葉の季節などが良いでしょうね
詳しい情報はこちらをご覧下さい。


トンネルの中から振り返って「めがね橋」の上の道を見た風景です。

今TVで流れているJR東日本の「大人の休日クラブ」のCMで、
ここを吉永小百合さんが歩いています。
同じカットで撮ってみました。


このアングルは流石に高度感があり、圧倒されましたが・・・
こんなに幅が狭い中を蒸気機関車が走っていたなんて信じられない思いです。

私が軽井沢に通い出したのは、お勤めを始めたS41年からです。
上野駅から信越本線に乗りましたが、新しい方の線路のようですね。

その「信越本線」も1997年に完成した「長野新幹線」の開通で廃線になりました。
軽井沢の行き帰りはいつも「横川駅」で名物の「峠の釜飯」を買ったものです。
アノ頃の汽車はまだ窓が開いて、弁当売りの方々とのコミュニケーションがありました。
懐かしい思い出です。

「碓氷湖」

「めがね橋」の下で車に乗り、そのまま下っていくと
すぐに「碓氷湖」という案内板がでていました。

「寄って行こう」と今度は主人が呟き、車を駐車場に入れました。
目の前にダム湖が広がっていました。


国有林に囲まれた湖畔には約1.2kmの散策道があり、約20分で一周できるそうですが、
「でも山ヒルとマムシと熊に要注意だよ」と釣り人に言われました

駐車場のある湖畔からでも、カメラ教室の宿題の「水の有る風景」
写真が撮れそうです


ファミリーが石投げをして楽しんでいました。
単純な風景よりも、人間が入った方がドラマ性が感じられ、先生の評価が高いようですが・・・
ブログの写真としては出来るだけ人物は排除してきた経験があり、私はとても不得意です


結果的に先生にマルがもらえたのはこちらの写真ですが、
イマイチパンチが足りないですね


ここは昆虫採集や魚釣りを楽しむ人々には持って来いの場所です。

トンボもたくさんいました。草むらに入らなければヒルもヘビも大丈夫



♪秋の夕日に照る山モミジ~、濃いも薄いも数ある中に・・・♪
我々日本人なら誰でも知っているこの歌は、この辺りの紅葉を歌ったものだそうです。


湖畔には20~30台くらい入る駐車場と、トイレ、東屋が設置されています。

その内に雨が落ちてきました。山のお天気は変わりやすい・・・
すぐに車に引き返し、横川に出て「おぎのや」さんでいつものように
夕食用の「峠の釜飯」を買って、「松井田妙義IC」から上信越自動車道に入りました。

雨はほんの通り雨で、群馬~東京はカンカン照りの暑い日よりでした

途中のサービスエリアで遅い昼食「水沢うどんと豚の冷しゃぶセット」を食べ
ここからは私が運転して、練馬ICから環状8号線~第三京浜とひた走り、
夕方6時過ぎに我が家に帰り着きました。

家でホッとしてと一緒に食べる釜飯ツマミは畑に沢山生っていたキューリ

事故も無く無事に帰れて何よりです。
「今回は色々な所に行き、なかなか楽しかったなぁ~」と主人が上機嫌で呟きました。

お陰様でイライラするような大渋滞には巻き込まれませんでしたものね

長々と連載した「我が家の二泊三日の夏休」にお付き合いいただき有難うございました



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軽井沢・サイクリング

2011年08月22日 | 旅日記
8月18日にこの夏最高の暑さを記録したようですが、
その翌日は秋雨前線が南下して雷雨となり気温は急降下
一気に9月下旬の涼しさになりました。
そしてこの三日間は梅雨寒のようなお天気が続いています。

肌かけ布団だけでは寒くて、真夜中に慌ててケットを取り出しました
乱高下の激しい今年の夏のお天気ですね。

8月6日・「軽井沢」

さて、私たち夫婦の夏のドライブ旅行最終日は、カラマツ林の中のサイクリングから始まりました。

オーナーズホテルの有る場所は国道18号線から旧軽の別荘地を少し入った所にあります。


写真教室の宿題に「水のある風景」が出されましたので、水辺の写真を撮ることにします。

先ずはホテルの近くにある「雲場池」を目指しました

「雲場池」

軽井沢のオアシスと言われている「雲場池」
たくさんのカモたちが羽を休めていました。

家族連れで楽しめる所ですペットのワンちゃんも、カモたちに興味津々

私たちは自転車を降りて散策しました。
撮影が目的なので三脚を持参しましたが、ちょっと邪魔になり使うのはやめました。

池を囲む散策路は写真を撮りながらノンビリ歩いても、一周20分・・・
大きな鯉がたくさん泳いでいました。


この池の横には「雲場亭」というお洒落なイタリアンレストランがあります。

息子夫婦が川越に住んでいたころは軽井沢が近かったので、毎年一緒に避暑に来て
ハー君たちとここでお食事を楽しんだりしましたが・・・

(こちらでUPしています。この時の私の軽井沢病院行きの話が、まるでお笑いです

4年前、息子一家が横浜に越して来てからは、もっぱら「箱根」にとって代わりましたね。

残念ながら「雲場池」では、満足のいく写真が撮れませんでした

若い頃仕事仲間と行った「塩沢湖」を思い出し、この後湖のある南軽井沢まで
必至で自転車をこいで行きました

やっとたどり着いた塩沢湖は、静かな湖と言うには程遠い「軽井沢タリアセン」
という家族で楽しめる一大レジャー施設に様変わりしていました。

「白鳥の足こぎボートが浮んでいるぜ。ここは孫たちと来るところだよ」
「一人800円払って、撮影対象がなかったら馬鹿馬鹿しいね」
と、私たちは中に入らず回れ右しました。

帰り道はペダルも重く、息がはぁ~はぁ~、汗がダラダラ


途中、「森の中のカフェでお茶して行く?」と主人に言っても「いらない」と・・・
結局、自転車を借りた宿泊ホテルのデッキでアイスコーヒーを飲みました。

軽井沢に二泊しても、女性に人気のエリアはどこにも行っていません
2日間ともオムスビ持って、お昼は高原で食べました。

これはこれで美味しいのですが・・・
最後の一日くらいは優雅な軽井沢の休日を楽しみたいものです。

毎回利用する宿の夕食はいつも洒落た日本料理
(こちらは2日目の夜のお食事コースです
先付は「抹茶豆腐」と旨出汁前菜はバラエティーに富んでいます。

お造りと鮑のバター焼き冷やし鉢と黒毛和牛の豆乳シャブシャブ

揚げ物と長野産コシヒカリ、香の物デザートは杏仁豆腐と柚子シャーベット

お料理もお酒もとても美味しいのですが、このようなお食事を二晩続けると
やたらにイタリアンが恋しくなりました。

「軽井沢のオープンデッキのあるイタリアンの店で、パスタを食べて行こう」
と提案しましたが、主人の答えは「渋滞する前に帰りたい!」・・・

「もう先々そう長くない人生、渋滞に巻き込まれて時間を無駄にしたくない」
と言うのが夫の口癖です。

私はせっかくはるばるお金と体力使ってやってきたのに、
楽しみを残して帰るのも勿体無いと思うのですが・・・

典型的な次男坊の主人はすぐに感情が顔に表れ、長男のように我慢が出来ません。
運転手を怒らせると事故の元なので、私は何時も従いますが・・・

帰り道をナビにインプットすると、何時も使う上信越自動車道の「碓氷軽井沢IC」ではなく
碓氷峠越をして、、「松井田妙義IC」から入るルートを指示しました。

午前11時、軽井沢の道路はもう上りも下りも混み出したのでしょうか


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「高峰温泉」と「上田城跡公園」

2011年08月18日 | 旅日記
高峰温泉

ご存知、高山植物の女王「コマクサ」です。
高峰山に咲いていたわけではありません。

私たちは高峰山から下山後、雲上の温泉として知られている「高峰温泉」に向いました。
この「コマクサ」は温泉宿の玄関横に咲いていたものです。

入浴料1人500円を払って、一階のヒノキの湯船が気持ち良いランプの温に入りました
とても良いお湯です。
詳しい事はこちらのhttp://www.takamine.co.jp/bb/index.htmlをご覧下さい。


私が入ったとき、中高年の3人姉妹が先客でいて狭い湯船は満杯でした。
60~70代の姉妹は仲良く賑やかに温泉に浸かっていました。
私もおのずと会話に加わります。

「東京から来て一週間、毎日雨ばかりで今日やっと太陽が顔を出したのでここまで来てみたの」
何やら軽井沢の中心街は晴れた日もあったらしいのですが、
宿のある標高の高い所はずっとお天気が悪かったとか

「昨日、東京にいる娘からお米を送ってくれと電話がかかってきたのよ」
「東京のスーパーでは去年産のお米が昨日一日でなくなったという話よ。知っている?」

「昨日の早朝に横浜の家を出たので知りませんが・・」
そういえば一昨日のTVで今年の新米は放射能検査をするとか言ってましたね

「去年産のお米があっと言う間に売り切れたみたい。それで軽井沢のお米屋さんから送ったのよ」
「へぇ~!3月11日以降、お米を求めてアタフタしたけど、またその二の舞

検査して安全だといわれても、お上が信じられないから
国民は自己防衛をせざるを得ないのでしょう


この「高峰温泉」からも「高峰山」への登山コースがあります。
大勢の人が降りてきました。
その少し上の方で、蝶の「アサギマダラ」を発見
ヒラヒラと忙しく舞っていて、中々上手く写せませんね

「真田氏本城跡」

ガスっていて「浅間山」が見えないため、往復3時間かかる「黒斑山登山」を諦めて
簡単ハイキングの「高峰山」にしたので、時間は充分にありました。

温泉入浴後は前日の計画通り「上田城」に行く事にします。
「上田城」とナビにインプットしても受け付けないので
ガイドブックに書かれていた「真田氏本城跡」と入れました。

ナビで案内されたのは、上田市の小高い丘の上にある鄙びた所


ここは真田昌幸が上田城を築城するまで、真田氏の本城だった所
別名「松尾新城」と言うらしい・・・


眼下に上田盆地を一望におさめる大規模な「山城」だったらしいが
今では、赤と黒の「六文銭紋」の旗と野仏が佇むだけの静かな遺跡でした。

「上田城跡公園」

更に車で15分、天正11(1583)年、安土桃山時代に真田昌幸が築城した「上田城」は、
上田市の中心街にありました。
現在その本丸・二の丸部分に当たる一帯が、城跡公園として整備されています。


上田城跡本丸東虎口〔こぐち〕の石垣上に立つ2棟の櫓〔やぐら〕と復原された櫓門

その正面奥には城主であった真田氏、仙石氏、松平氏を祀った真田神社があります。


こちらは櫓門北側の石垣に組み込まれた「真田石」
3mの上田城で一番大きな石です。

昌幸が命名し、嫡男・信之が松代転封の際に家宝として持っていこうとしましたが
ビクともしなかったと言う伝説の「石」です。

やぐらは現在「資料館」になっていて真田氏の歴史が紹介されています。

家紋の「六文銭紋」が至る所で見られます。本当の意味は仏教に関係するらしい・・・


徳川の大軍を二度も撃退した名門真田家三代(真田幸隆、真田昌幸、真田幸村)の歴史が
紹介されている「資料館」の窓から「真田神社」が見えました。


我が家の夫は「真田十勇士」のフアンです。
「猿飛び佐助は私も知っているわ。子供の頃の東映映画で忍者物が流行ったのを覚えている」
そんな話をしていると、係員さんが
「あれは立川文庫のフィクションです。本当は6人程度です」と、教えてくださいました。

真田家の年表もジックリと見ます
こちらはシャチホコ

他に工芸品らしきものは見当たりません。
ここは戦国時代の砦のようなお城だったのでしょう。


資料館を見学してから、「真田神社」をお参りします。


神社の裏の西櫓の手前にある真田井戸


真田井戸の由来です。
忍者伝説が伝わるのも判るような気がします。


今では「兵どもが夢の跡」のような、緑豊かな公園になっています。

結局、真田昌幸・幸村親子関が原の戦いで西軍につき徳川家康軍を苦しめますが、
西軍は敗北、幸村の息子大助も秀頼と共に自害します。

真田幸村の戦死と共に真田家の血筋も途絶えたとさえ思われますが
しかし、戦国随一の智将・真田昌幸の嫡男・真田信之によってその血は受け継がれました。
江戸時代以降、真田一族は徳川幕府の一藩として生き残ったのです。

「そこが真田昌幸のすごい所なんだ、家の断絶がないように手を打っている」
「自分と三男幸村は豊臣方に付いたけど、長男を徳川に近い本多勝家の娘婿にした」
主人はまるで自分の手柄のように得意になって私に説明してくれました。
(字が違えど名前が同じなのですよ)


徳川秀忠は、真田氏の抵抗にあって「関が原の戦い」に遅れたといわれていますが
これは父家康の作戦だった
智将と言う点では徳川家康も負けて無いと言うのが主人の見解です。

いずれにしてもアノ時代のお話は、特に殿方には心躍るロマンなのでしょう。
大河ドラマ「江」ではこれから描かれる天下分け目の決戦ですね。
楽しみです。


「上田城」からの帰り道、国道18号線は軽井沢近くで渋滞していました。
私たちは並行して走る「浅間サンライン」を通ってホテルに戻ります。

午前中に登った車坂峠の方向はもの凄い雲で覆われいて
「浅間山」はずっと雲の中のようでした。


途中、道の駅「雷電くるみの里」に寄りました。
今までも何度かお土産などを買いましたが、今回は息子宅用のお土産は「お米」にしました。
高峰温泉で聞かされた話しが気になっていたのです。

信州産のコシヒカリ、けんちゃんの田んぼで採れたお米です。
息子宅用に精米5kg、我が家用に精米5kgと玄米10kg

横浜に戻ってきたら、スーパーの棚にはちゃんとお米は並んでいて、
特売の山積みまでありました

杞憂に終ったお米騒動でしたが・・・
毎日食べるものだし、お土産としては悪くないと思います。

お米にした理由を息子に話したら呆れられましたが、「備えあれば憂い無し」ですものね。



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夏の花咲く「高峰高原」と「高峰(高峯)山」

2011年08月14日 | 山シリーズ
8月5日(金)
この日の軽井沢は明け方雨の音がしていましたが、朝食を終える頃には晴れだしました。


「今日は黒斑山に登ろう」と地図を眺めながら主人がつぶやきました。
黒斑山は浅間山が目の前にドカンと見える山・・・

私は6~7年前に、山仲間のYさんと登った事がありますが、
その時は霧で残念ながら浅間山は見えませんでした。
「霧が無くて、スッキリと浅間山が見えるなら登りたい」と返事をしました。


いつものようにホテル近くのコンビニでオムスビとお茶を買って、
チェリーパークラインを登りおよそ1時間・・・
黒斑山の登山口の有る「高峰高原」の車坂峠を目指します。

下界は晴れていますが、山の上の方にはガスが・・・
案の定、車坂峠の登山口の上は雲で何も見えません


取り合えずビジターセンター前の駐車場に車を入れました。
駐車場の周りは黄色のニッコウキスゲのお花畑が広がっています


初夏の風情が感じられる、ビタミンカラーの「ニッコウキスゲ」です。

木道を歩きます。オンタデの花が?こちらはマメ科のシャジクソウ

赤いシモツケが鮮やかですキスゲの中にノハナショウブが咲いていた。


標高2000メートル近い高峰高原は、浅間山の西につづく車坂峠を中心とした
なだらかな高原です。
晴れていれば眼下に千曲川、遠くは富士山、八ヶ岳、北アルプス を一望できるはず・・・


霧が峰の「八島湿原」にもたくさん咲いていた「ヤナギラン」
このお花を見ると盛夏を感じます。

英語で言うと「フャイヤー・ウィドー」(火の未亡人って)・・・


ニッコウキスゲの群落の中には「ツリガネニンジン」なども見えています。

秋の気配の「吾亦紅可愛いベル状の「ツリガネニンジン」



蝶がノアザミの蜜を吸っています。

前日の「高ポッチ高原&鉢伏山」と同じように、
高峰高原も蝶やトンボの舞う楽園でした。

霧で「浅間山」が見えない「黒斑山」登山は諦めて、私たちは往復1時間半の
「高峰山ハイキング」をすることにしました。

往復3時間かかる「黒斑山」登山道の立派な入り口とは反対側の
「高峰高原ホテル」の裏手に、高峰山(高峯山)に通じる登山道がありました。

登山道の入り口には「ヤマオダマキ」「チダケサシ」が咲いていました。

流石田中澄江さんの「花の百名山」に選ばれた山
数え切れない種類の花々に出会えました。


特に目についたのが、蝶や蜂さんたちにも好かれる「マツムシソウ」

涼やかな色合の「マツムシソウ」頂上に咲いていた「イワシャジン」も印象的

ベルの形のお花が可愛い・・・楚々と揺れるクガイソウ

爽やかなブルーのお花が並びましたが・・・


登山道の両側に咲き乱れる、ビタミンカラーのハクサンオミナエシからは
元気をもらいました。

オレンジ色の「クルマユリ」が何ともチャーミングですね

三姉妹のような「クルマユリ」ちょっと物思いにふける「クルマユリ」?

他にもミネウスユキソウやシュロソウ、イブキジャコウソウやニッコウキスゲ・・・
たくさんの花々が霧が流れる登山道に咲いていました。

その幻想的な風景共々デジブックに纏めましたので、お時間のある方はご覧下さい。

デジブック 『夏の花咲く「高峰山」』


旧盆の時期ですね。
多くの皆さまはご親族一同お集まりになり、お墓参りや帰郷などでお忙しいことでしょう。

我が家は主人の実家が東京の世田谷・・・
お盆は7月で、すでにお線香をたむけて済ませております。
私の方は横浜ですが、まだ実家の両親が存命中なので仏壇はありません。

近くに住む息子一家と箱根にちょこっと避暑に行ってきます。
コメントのお返事は携帯からさせて戴きますが、
ご訪問が少々遅れますのでお許しくださいませ

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北国街道「海野宿」

2011年08月11日 | 旅日記
信州の爽やかな高原の空気を胸いっぱい吸って帰ってきたら猛暑の日々・・・
頭がクラクラしています。
嗚呼、あのまま軽井沢に滞在していたかった。

午前中は賑やかな蝉時雨でしたが、暑い日中はぴたっとやんでいます。
蝉すらもこの酷暑にお昼寝中なのでしょうか?

2週間ほど続いた戻り梅雨のような不安定なお天気の後に、再び暑さが襲ってきて
身体の調子も乱れがちです。
朝からクーラーを入れる日々・・・

電力事情も気になりますが、まずは熱中症予防が大事と、
室内温度を28度に設定し、扇風機も回してふぅ~ふぅ~言っています

先日の豪雨で多くの水力発電所が破壊された東北電力の電力事情が危ういらしいですね。
火力発電所の運転が充実してきた東京電力が、一部を電力供給をしているとか・・・

暑さの中、被災地の皆さまの苦労を考えると、協力し合わねばと思い、
私は通販で買ったひんやりタオルを首に巻いたりしていますが。。。


8月4日、「高ポッチ高原・鉢伏山」ハイキングを楽しんでから、
長野自動車道を通り、宿の有る軽井沢に向いました。

途中、軽井沢の隣町「東御市」の「海野宿」(うんのじゅく)に寄りました。

山には雲がかかっていますが、下界は快晴
30度を越える暑さの中を歩いて、北国街道の宿場町を見学しました。


まず「海野宿」のことをこちらでお勉強

寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設された海野宿。

道の中央を流れる用水格子戸のはまった美しい家並み

江戸時代の旅籠屋造り賑わいを見せた往時が偲ばれます

北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道(信州追分から越後の直江津まで)で、
佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、
江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くあったそうです。


「海野格子」と呼ばれている格子は江戸時代のもので、2階の出格子に見られます。
長短2本づつ交互に組み込まれ、海野宿特有の美しい模様を織りなしています。

堅牢な造りの蔵旅籠屋の格子戸が美しい・・・

宿場時代の建物としては、出桁造りの旅籠屋(一般の人が泊まる旅館)や、
防火壁の役割を果たしている立派な卯建の立っている家もあります。


「気抜き」は明治時代の蚕室造りの象徴です


「本うだつ」は江戸時代のもの、「袖うだつ」は明治時代のもの・・・


どちらも富裕な家でなければできるものではありませんでした。
このようなところから「うだつがあがらぬ」という言葉も生れています。


左奥が「本うだつ」、右側が「袖うだつ」

江戸時代の寛政年間(1790年頃)に建てられた建物がそのまま
「海野宿資料館」になっていました。
200円を払って入ります。


入るとすぐに目についた「お雛様」

毎日見ているNHKの朝のドラマ、信州を舞台にした「おひさま」で観たばかり
紙でできた「押し絵雛」というらしい・・・

海野宿特有の建物内に宿場の風土・歴史・資料が展示されてます。

養蚕農家の特徴も備えている資料館海野宿は交通の要所であったらしい


資料館母屋の裏庭には、「市の神様」や養蚕用の小屋なども並んでいました。

江戸時代の「海野宿」は商業も栄え、月に5回も市が開かれたようですね。


大きな構えの店横には、馬用の「塩なめの石桶」が置いてありました。


こちらは本陣跡・・・


賑やかだった往時が偲ばれます。

明治時代になると宿場の機能は失われ、本陣・脇本陣は衰微し、建物も大部分を失いましたが、
その他の家は広い部屋を利用して養蚕・蚕種業を始め、
そのため旅籠屋の建物はそのまま残される結果となりました。

海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、
昭和61年には「日本の道百選」に、
62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けています。
(以上、東御市観光協会のホームページを参考にさせて戴きました)

中山道の馬篭や妻籠の宿に負けないくらいの立派な街並みが保存されているのに
観光客の少ないことに驚かされました。

私もブログ仲間のekoさんがUPなさった画像を見るまで知りませんでした。
お土産屋さんがにぎやかに並ぶ派手さはありませんが、観光地としてお薦めです。


海野宿の一番東側、専用駐車場(300円)のすぐそばに「白鳥神社」が建っています。
白鳥神社は上田城主の真田氏からもあつく崇敬されました。


この神社は真田氏のルーツの海野一族の氏神とされ、この辺りが海野氏の本拠地でした。

御神木のケヤキの巨木が見事ですね。

山岡荘八の小説「徳川家康」を何度も読み返している主人は
「真田幸村」
の事にはとても詳しい・・・
「翌日時間があったら、是非上田城跡公園にも行こう

今年のNHKの大河ドラマ「お江」は、今まではあまり観ていませんでしたが
最近江姫が三番目の夫、徳川秀忠に嫁いでから俄然面白くなりました。

関が原の戦いでは真田家も関わってきますね。楽しみ!楽しみ!


ここは叉、木曽義仲挙兵の地でもあるようです。
来年のNHKの大河ドラマは「平の清盛」だそうで、こちらも関わってきますね。
楽しみにしていますよ。


神社の前は「千曲川」が流れていました。


川の畔には「白鳥桜」と名づけられた桜の並木が続いていました。
ここは春の桜の季節に訪ねるのが良いかも知れませんね


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ナデシコ咲く『高ポッチ高原・鉢伏山』

2011年08月07日 | 山シリーズ

相変らず蒸し暑くて不安定なお天気が続いていますね。
こちら横浜はさほど雨は降りませんが、連日「遠雷」が聞こえてきました

高原の爽やかな空気が吸いたくて、急遽出かけた信州路・・・
そこは蝶やトンボが飛び交い、高山植物が咲き乱れる天空の楽園でした
今回ナント言っても感激したのは、高ポッチ高原&鉢伏山の「ナデシコ」です。

今話題の「ヤマトナデシコ」は「カワラナデシコ」の事ですが
標高の高い高原に咲くこのナデシコは「タカネナデシコ」でしょうか?

※ブログ仲間の山小屋さんのご指摘で、
このナデシコは「エゾカワラナデシコ」と判断しました。


調べたところ、カワラナデシコ との違いは
「花が一つの茎に2つづつ付き、花びらの先が細かく深く切れこむ」
「蝦夷の名前が付くが、本州中部から北海道まで分布する」
「仲間には高山に育つ タカネナデシコ がある」
との結果から、
この高ポッチ高原&鉢伏山のナデシコは「エゾカワラナデシコ」と致します。


いつも利用している軽井沢の会員制のオーナーズ・ホテルがとれたので
8月4日からに二泊三日でドライブ旅行に行ってきました。

途中、アルプスが展望できて高山植物の綺麗な、我々がまだ行った事のない高原に寄ろうと・・・
遠回りになるけど中央高速道を使い、塩尻インターで降りて「高ポッチ高原」に向いました。

ナビの指示どおり、細いくねくねした林道を登って行くと、
毎年8月の第一日曜日に「草競馬」が行われ、その準備中の第一駐車場が現れます。

その先の「自然保護センター」のある第二駐車場に車を停めました。

自然保護センター入り口に置かれたキノコ草に混じって咲いていた「ヨツバヒヨドリ」

「自然保護センター」の前はお花畑になっていて、ボランティアさんが説明してくれましたが・・・
人出が足りないのか?、あまり整備はされていませんが、この自然のままが良いのかも・・・

ノハナショウブが残っていました。ガガイモ科のイケマとの表示が・・・



そして何より感激したのは、今話題の「ナデシコ」です。
あちこちの山々を歩いていますが、こんなにたくさん咲いているところを見たのは
初めてのような気がします。

これも初めて見た「ルリトラノオ」こちらはおなじみ「イブキトラノオ」

以前はこの周辺に「ニッコウキスゲ」がたくさん見られたそうですが
近年、鹿の被害で殆んど姿を消したとか・・・
「櫛形山」のアヤメと同じ運命のようです

ガスがかかっていた「鉢伏山」が姿を現したので、登る事にしました。


車でカラマツ林の狭い林道を登って行くと突然視野が開けて、
なだらかな「鉢伏山」が見えてきました。

美ヶ原や霧ヶ峰と似たような草原の山々の風景が広がります。


「鉢伏山山荘」の駐車場に車を置き、駐車料金500円払って登りだしました。
30分足らずで登れる超簡単登山です。


登山道脇にはそこかしこに、
自然のままで咲いている「ナデシコ」のたおやかな姿が見られます

日本女性の代名詞にもなっている「ナデシコ」
花言葉は意外にも「勇敢」とか「大胆」というのもあるそうですが、
先日の「ナデシコジャパン」の活躍を見ればピッタリですね。

八重咲きは西洋ナデシコで「カーネーション」の事だそうです。

可憐なハクサンフウロがあちこちに咲き若々しい「ウツボクサ」の姿も見られました。


愛くるしい姿の「クルマユリ」
他にも「ヤマハハコ」や「ノアザミ」「オトギリソウ」、
そして「ハクサンフウロ」がたくさん咲いていました。



高山植物のお花を愛でながら、ユックリと登っていきました。

途中すれ違ったのは二組のグループのみ・・・
静かな山歩きが楽しめました


隣にそびえる「美ヶ原」の姿が大きくて存在感がありました。

「北アルプスの展望の山」としても名高い高ポッチ&鉢伏山ですが、
この日は残念ながら雲が多くて見えません


人っ子一人いない頂上に到着です。雲の下に「諏訪湖」が見えていました。

ここのベンチで、持ってきた「おむすび」と朝一番で採ってきたばかりのキューリを食べました。

標高2000m近いお山の頂上で、心地よい風の吹く中、静寂を楽しんでいましたが・・・
17~18人の団体様が登ってきたので、我々は席を譲って下山しました。

高原のお花と散策の模様を、「デジブック」に纏めました。
ダブる画像もありますが、お時間のある方は雄大な風景と可憐な高山植物の数々を
大きな画面でご覧下さいませ。

デジブック 『高ポッチ高原・鉢伏山』


最初は、関越道の沼田から「丸沼高原」に入り、
ゴンドラに乗って、頂上まで往復4時間歩く「日光白根山」登山を考えていましたが
群馬県の天気予報が/マークだったので、/マークの長野県にしました。

下界は晴れていても、山はガス・・・
雨に降られる事なく、ラクしてこれだけの高山植物に出会えたのですからヨシとしましょう。


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不安定なお天気

2011年08月03日 | 私の呟き

「立山登山」を断念して未練タラタラでしたが、後ろを振り返ってばかりでは前に進めません。
「リメイク教室」で必至にミシンを踏み、ブラウスを1枚仕上げたら気分が落ち着きました
次ぎへのステップを考えましょう・・・

主人の仕事のスケジュールと、ホテルの空き状況とで急遽軽井沢行きを決めました。
天気予報も今週後半から「夏空」が戻ると報じていたし・・・


最近毎日のように歩いている、里山の反対側にある畑と温室が広がる一帯には
園芸種のお花が野生化した姿が見られます。
これは何のお花でしょうか

ところでいつまでもハッキリしないお天気が続きますね。
朝の散歩時は、まるで高原にいるような涼しい風が感じられます。

北の「オホーツク海高気圧」の影響だとか・・・
それだけ「太平洋高気圧」の勢力が弱いらしい

涼しいのは良いのですが、作物の出来が心配になります。
今年は震災で東北のお米がどうなるか分らない上に、先日の米どころの豪雨
その上冷夏で不作になったら、お米価格の高騰は間違いないかと・・・

震災後に起きた「米不足」のパニックはもう真っ平です


昨日の朝は、月見草のお花もパッチリと開いていましたが・・・

今日は午後から「遠雷」が鳴り響き、夕方からは雨
最新の天気図を見ると、はるか南には2つの台風と、1つの熱帯低気圧が渦巻いて
賑やかな様子です

昨日までの予報に反して、不安定なお天気はこのまま続くようですね

早い梅雨明けに慌てて孵化した蝉の抜け殻?こちらは命を全うした8日目の蝉


この所の日照不足で、我が家のホテイアオイもミニサイズです。
畑の野菜もキュウリが盛り返し、ゴーヤの生育が悪くなりました。
3日連続で地震が続き、それも今までの北の震源地とは違ってきて
その上台風や豪雨に襲われる夏になるのでしょうか


不安は募るばかりですが、取りあえず我が身の気分転換を計ることにします。
私は、高山植物が咲いている軽井沢周辺の山を登りたいのですが
最近仕事とゴルフが交互に続いている夫は、涼しいところで休みたいと・・・

さてさてどんな休暇になるでしょうか?

我が家の「月下美人」に4個目のお花のつぼみを見つけました。
こんなにボロボロの葉の上にと、その健気さに驚き
先の見えない今年の夏ですが、少し希望が持てるような気になりました。



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