花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

エジプトの首都「カイロ」

2011年01月30日 | エジプト紀行
やってくれましたね 「ザックジャパン」

カタールのドーハで開催されたサッカー「アジア杯」は、
延長戦に入ってからの日本・李選手の見事なボレーシュートが決まり優勝しました

私はオーストラリアの凄まじい猛攻に観ていられなくなって、途中で自室に引き上げ本を読んでいましたが、
主人の歓声で再びTV観戦・・・
表彰式の後、金色の紙ふぶき舞うスタジアムの上空をドカンドカンと打ちあがる花火まで見ましたよ。
結局昨夜寝たのは3時半

ドーハと言えば93年10月28日、W杯アジア最終予選でイラクに引き分け、
初の「ワールドカップ世界大会」の出場が断たれた「ドーハの悲劇」を思い出します。

カタールと言う国が一体どこにあるかご存知ですか


中東の「サウジアラビア」の東側にチョコンと突き出た(アの字の上)おへそのような半島が「カタール」
人口は約165万人、国土の広さは「秋田県」と同じくらいなのだそうです。

所で話は変わりますが「エジプト」の首都カイロが大変なことになっているようですね。

地中海に面した「チュニジア」に政変が起こり、その影響で「エジプト」も反政府デモや騒乱が拡大中・・・

30年にも及ぶムバラク大統領の強権支配にエジプト国民の怒りが爆発したのでしょう。


こちらの画像は「カイロ」市内の高台にあるアズハル公園から望んだ「カイロ」の街。
砂漠渡りの砂で、街はボンヤリと霞んでいます。

丁度1年前の1月29日・30日・31日とツァー旅行で「カイロ」にいました。

私の「エジプト紀行」は未だに南部のアスワンから古都「ルクソール」の手前でストップしたままです。

順序が逆になりますが、ルクソールから空路「カイロ」に戻った時の
カイロ市内の様子を先にUP致します。


ナイル川河畔の交通の要衝として中世に建設され、
現在にいたるまでイスラム世界における学術、文化、経済の中心都市でありつづけたエジプトの首都カイロ。
近郊を含む都市圏人口は1100万人で世界第17位、アフリカでは第1位だそうです(ウィキペディアより)


丁度私たちがカイロに着いたこの日はイスラームの休日である「金曜日」
街中から湧き上がるような「コーラン」を唱える声に圧倒されました。

紀元639年、イスラーム軍のエジプト侵攻によりエジプトのファラオが治める古代時代が終わり
イスラーム国家としての新しい時代が始まりました。

現在では国民の9割がムスリム(イスラム教徒)で、
カイロの街は美しいイスラーム建築が建ち並ぶアラブ文化圏の中心の一つです。


近年地方からの出稼ぎ労働者が増え続け、カイロ中心街の人口密度は高くなる一方で、
古い建物とビルが目立ち、治安も良くなく街並みも綺麗とは言いがたいものがあります。


この公園の展望台から「カイロ」の街を撮影していると、日本で言えば中高生くらいの少女が2人
「私たちと写真を撮りませんか?」みたいな感じで話しかけてきました。

好奇心旺盛な我々4人のおば様たちは自分のカメラで、彼女達との写真を撮り合いましたが・・・
最後に彼女達から出た言葉は「1ダラー」

以前にも記しましたが、エジプトには義務教育はありません。
アスワンやルクソールでは、父親の仕事を手伝ういたいけな子供達をたくさん見ました。

「パクシーシ」というチップを要求するような行為も、イスラムの精神からすると
金持ちが貧しい人たちに施しをするのは当たり前の事なだそうです。

でもでも・・・
私たちは可憐な少女達にいきなりお金を要求されたことがショックで
(彼女達の名誉のために画像を加工します)
孫をたしなめるようにボールペンを渡し「これでお勉強してね」みたいに諭しましたわ。

この前年に行った「インドネシア」の女学生達が、英語の勉強のために熱心に話しかけてきたのと大違いで・・・

エジプトの人々は、観光客相手に大人も子供も
実に大らかでしたたかに生活している感じが致しますわ

「ハン・ハリーリ市場」

カイロ観光の人気のスポット「ハン・ハリーリ」
ハンとは隊商宿のことで、かってこの一帯にたくさんあったそうです。

ここはツァーバスが停車する「エル・フセイン広場」
カフェやレストランが並びます。


この右手の横丁がメイン通りの「エル・バデスタン通り」
東京で言えば「秋葉原」&「アメ横」でしょうか?


メイン通りとは思えない狭い横丁を、最初はツァーの皆で一緒に歩きます。

珍しいものがいっぱい並びます700年前に建った「バデスタン門」

私たちはエジプト現代ポップス音楽のCDを購入奥へ奥へと進むと道は細くなり迷路のように
アンティークショップには掘り出し物が?摩訶不思議な品々が並びます



更に奥へと進むと、もう観光客の姿も殆んど見えません。
いかにもイスラムの世界に相応しい風景が広がっていました。

ただし、この市場は以前爆弾テロ事件があり、フランス人の観光客が亡くなりました。
あちこちに警官の姿も見られて・・・
私たちもこの辺で引き返しました。


イスラム地区の「ハン・ハリーリ」を後にして、カイロの街の中をバスで走ります。
高層マンションがたくさん並んでいました。

これで日本円にしたら4000~5000万円はするそうです。
ガイドのモモちゃんの話しでは、カイロでの一ヵ月の生活費は最低20万円はかかるとか・・・

それって一所帯での話し?
モモちゃんには三人の奥さんがいるということですが、果たして本当かしら?

南部のアスワンでは可能だった一夫多妻も、マンション暮らしの上に物価高のカイロでは難しそうでした。


婦人服を扱っているお店のド派手な品々にビックリ

「夫以外の異性に肌を見せてはいけない」というオキテを守る敬虔なムスリムの女性でも
ブルカの中は御洒落に装っているようですね。
エジプトのそんなこんなの落差には常に驚かされました

28日現在、日本の各旅行社のエジプトツァーは中止ではなく「カイロ」を外して催行と新聞に記されていました。

「カイロ」のすぐそばにあるエジプト観光の目玉、ギザのピラミッドは見られるのでしょうか・・・
今出かけている方々の安否も気になりますね。

エジプトの騒乱がこれからどのように発展していくか、注意深く見守っていこうと思っています。

       

この一週間、母の病院転院のことで、ケースワーカーさんとの話し合いが続き
更に紹介された転院先の候補病院を何軒か訪ねて面談・・・

仕事もあったので、疲れ果ててヘトヘトになった一週間でした。

来週は受け入れ先のベッドの空きと、母親の体調次第で転院です。
相変らずバタバタしそう・・・

更新がままならず、お訪ねいただいた皆様にご迷惑をおかけしてスミマセン
落着くまで、もう少しの辛抱だと思っています。




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私の老い仕度・「断捨離」宣言!

2011年01月23日 | 私の呟き

お正月明けから、庭の「紅梅」が咲きだしました
白い「冬至梅」は一ヶ月前から咲いていますから、これで紅白揃いましたね。

昨年の丁度今頃「エジプト旅行」に出発しましたが、
その時はようやく「冬至梅」が咲き出したばかりで、紅梅はまだ固い蕾みでした。

ですから今年は去年より一ヶ月早く梅が咲いたことになります

ブログをさかのぼってみると、一昨年の2009年は1月末に「紅梅が咲き出しました」と紹介していますが
2008年は2月に入ってもまだ咲いていませんでした。

今年は「寒」に入ってから寒い日が続いていますが、
こうして見ると梅の開花は、11月12月のお天気に影響されるようですね。


こちらは12月から咲いている「冬至梅」、もう満開が過ぎて散り出しています。


新しい年が明けて、早3週間が過ぎました。
今更改めて「今年の目標などと叫ぶ気にはなりませんが・・・

「断捨離」という本を読みました。
昨年末にはNHKの「クローズアップ・現代」でも紹介されていましたね。

「ダンシャリ」
「断」=入ってくるいらないものは断つ
「捨」=家にはびこるガラクタは捨てる
その結果
「離」=物への執着から離れ、ゆとりある”自在の空間”にいる私

単なる整理・収納術の本とは違っていました。

毎年年頭に「今年の目標は身辺整理」とぶち上げ、
このブログでも綴ってきましたが
なかなか思うように行かず、特に「思い出の品々」が捨てられません・・・
古いアルバム類もね。


暮れに台所の戸棚を整理していたら、ランチョンマットやナプキンの下からこんなものが出てきました。
息子が幼稚園に入園した時に私が作った「お弁当入れ」とマットです。

この時は絵本を入れるバッグやお砂遊び用のスモッグも作りましたが、何故か?
35年たった今でもお弁当入れだけが残っていました。


押入れの奥の大きなダンボールには、主人と私のスキーウェアーが一式入っています。
この本によると、ガラクタを溜め込んでしまう人には
「現実逃避型」「過去執着型」「未来不安型」の3タイプあるそうです。

古い思い出の品を取っておく私は、さしずめ「過去執着型」なのでしょうか・・・?
この型の人は、かっての幸せな時代へのこだわりが隠されている場合が多いそうです。


1981年から1985年まで、主人の転勤で札幌生活を体験しました。
あの4年間は夏は車で北海道中を廻り、冬は家族でスキー三昧の日々・・・

30代の我々は元気盛りで、まだ小学生だった息子も常に一緒、
我が家の一番輝いていた時代だったと思います。

「叉いつか、皆でスキーに行く日があるかもしれない」と思って取っておきましたが、
もうそれはないでしょう・・・

たとえあったとしても、こんな時代遅れのウエァーは着ませんものね。
思い切って捨てましょう。

んんん?、この帽子や手袋は冬のハイキングに使えるかも・・・?

そんな思いがよぎって、今まで私の身辺整理が中々進まなかったのです。

30代では似合っていたこの帽子、60代の今、私に似合うとは思えませんものね

「断捨離とは最低限必要なものを、旬のもの、好きなものだけにして生活する事」
と理解しましたわ。


ところが我家の主人は「超モッタイナガり屋」で、友人の引越しを手伝った時は必ず何かをもらってきます。

一昨年はダイニング用の椅子2脚
高さが我が家のテーブルに合わないので、和室に置いてあります

7年前は古いテレビで、10年前は革張りのソファー2脚・・・
元々我が家にちゃんと「応接セット」があるというのに
お陰でリビングに椅子がひしめいて、息子に「二人暮らしだろう~
呆れ果てられています

こちらは主人が買った昆布40袋の残り海苔も10帖単位で購入・・・

主人が去年の春「良いものが安かったから」と知人から購入してきたのですが
ダンボール一箱に40袋の早煮昆布が入っていました

暫くは置く所がないので和室の廊下にダンボールごと置いてありました

あちこちの知り合いに配って、毎日のように使って、ようやく台所の床下収納にしまうことが出来ましたが
まだこんなに残っています

戦中生まれの主人は、タイプで言うと完全に「未来不安型」ですね。
物のない時代に育っていますから、それも5人兄弟の大所帯でしたから
イザという時用に大量に買うという性分が身についています。

主人より3歳年上の義姉は更に徹底していて、昔、トレットペーパー騒ぎがあった時
ダンボール入りのトイレットペーパーを何十箱もかき集めて購入し、
それが15年以上残っていたという、凄まじい話を聞きました

収集癖のある主人は泊まった宿のタオルは必ず持って帰ります。
「薄くて仕事中の汗拭きに丁度良い。汚れたら雑巾にしてすぐに捨てられる」と・・・

それも捨てるどころか、毎回洗って使い続けていますので貯まる一方、
我が家の洗面台の棚の半分を、白い旅館のタオルが占領しています。

今回行った二泊三日のドライブ旅行で、更に2人分4枚が増えました。

嗚呼我が家に「断捨離」は到底無理かしら

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陽光の「伊豆・箱根」ドライブ旅行(その2)

2011年01月20日 | ドライブ

1月9日、伊豆北川温泉のホテルの部屋で目覚めた時、
太陽はすでに「大島」の右手から昇ってしまっていました。

夜中に一度目を覚まし、温泉に入って再び寝入り、合計10時間近く寝たようです。
(普段の生活がストレスだらけなのでしょう)

「今朝は風が強いので雲がなく、直接水平線からの綺麗な日の出でしたよ」
という支配人さんのお話でした。ム・ム・ム、残念

「今日も快晴のようだから、達磨山の富士山を見に行こう」


「達磨山・レストハウス」のデッキから望んだ「駿河湾越しの富士山」です。


右手の白い雲がかかっているところが「箱根」
箱根で連泊している息子たちは、ガスで富士山は見えないかも・・・?

その下のゴジラの背中のようにゴツゴツと連なった山は「沼津アルプス」です。

標高400mm足らずの低山ですが、アップダウンが続き歩きがいのある山でした。
弧を描く駿河湾の眺めが印象的だったのを覚えています。

<>

マウスオンで、富士山のアップ画像もご覧下さい

私たちはレストハウスでコーヒーを飲みながら、この素晴らしい富士山を眺めていました。
前日「十国峠」から見た富士山よりも「宝永火口」が右に移動して
さらに細身の華奢で優雅な富士山でした

それから西伊豆スカイラインを少し走り、達磨山に登ることにしました。

「達磨山頂上」へ

「達磨山頂上→500m」と書かれた標識の前に車を止めて、階段状の登山道を登りました。

5年前の1月に、山仲間3人で「船原峠~達磨山~金冠山」と歩いたことがあります。
最後は「金冠山」から達磨山レストハウスまで下り、バスで修善寺に出ましたが
その時、このルートは「西伊豆スカイライン」の各駐車場から簡単に登れることを知りました。


頂上まではひたすら霜で白くなっている階段を登ります。

海からの西風が強くて、飛ばされそうでした。


歩いている人は皆キチンとした登山姿です。

私はウォーキングシューズを履き、ナップザックを背負ったダウンコート姿・・・
主人にいたっては、コーディロイの替え上着にカンガルーハット
帽子は飛ばされないように抱えていました。

5年前は雪の登山道を恐る恐る下った道ですが、この日は絶景の富士山を背に冷たい強風の中を登ります。


およそ15分で「達磨山頂上」(981.8m)です。

パラボラアンテナの建っている正面の「金冠山」の方が海が間近で
富士山の風景は良いかもしれません。


眼下に西伊豆の「戸田港」が見えていました。

富士山の左手に連なる「南アルプス」を望遠レンズで撮りたかったのですが、
強風の中レンズ交換をする余裕もありません。


一面に生えている背の高いアマギタケも風避けにならないし・・・
コンデジの10倍ズームで「「南アルプス」を写しましたが、風でブレブレとなりました

写真だけ撮ってすぐに下山し、冷えた体を温泉で暖めることにしました。

行った先は天城湯ヶ島温泉「湯の国会館」

市営の日帰り温泉で暖まり・・・お昼はここで「ワサビコロッケランチ」です

温泉施設としてはそう広くはありませんが、源泉がふたつあるようで
川のせせらぎを聞きながら入る外の露天風呂と薬草風呂にノンビリ浸かり
リラックスできました

休憩所とレストランもそれなりに充実しているので、ここでランチも戴きました。
詳しい情報はこちらをご覧下さい。

そしてその後訪ねたのが、今回の「伊豆泊まり」の目的地韮山のゴルフ場です。

韮山カントリークラブへご挨拶にゴルフ場から見えた夕景の富士山

「山はパス!」宣言をした我が夫、脱サラ以来休会していたゴルフクラブを再開することにしたらしい・・・

この数年、サラリーマン時代に熱中していたゴルフを再び始め、
会社時代のOB会、自治会のゴルフ大会、仕事仲間とのゴルフコンペを楽しんでいます

最近息子も興味を示し出し、休日は父子で練習場に通ったりして、
主人は俄然張りきりだしました。

支配人さんに年会費を払い、再開のご挨拶をしたこの時
「シニアのご夫妻がウィークデーにゴルフを楽しむ姿が圧倒的に多いですよ」
「奥様も是非なさってください」と熱心に勧められました。

50の手習いならいざ知らず、この歳になってはもう無理と・・・
でも、主人だけが楽しむなんて悔しいなぁ~

前日走った「伊豆スカイライン」に再び出て、
息子一家やお嫁ちゃんの実家の皆様と合流するために、箱根「宮城野温泉」を目指しました。


この日の夜は、孫たちも一緒に賑やかな「新年会」を楽しみました

前前回ご紹介したように、翌日は「雪の箱根」となりましたが・・・

母の急変で呼び出される事なく、無事に二泊三日のドライブ旅行を終える事が出来ました。

連休明けには「療養型病院への転院の話」を病院のケースワーカーさんと詰めましたが
その翌日の午後、仕事中に
「母の反応が全くなくなった」と主治医から連絡が入り、アタフタしました

幸い大事には至りませんでしたが、これからも何度かこういうことはありうるのでしょうね


  
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陽光の「伊豆・箱根」ドライブ旅行(その1)

2011年01月15日 | ドライブ
「東名高速道路」


三連休初日の1月8日、、我が家を朝9時過ぎに出発し、東名高速道路を一路南に向いました。
途中「丹沢の山々」「富士山」がクッキリと見えていました。

「これだけ綺麗に見えていれば、これから伊豆スカイラインに入っても見晴らしが良いに違いない・・・」
と言うことで三島インターから「十国峠」を目ざしました。

本当はもっと早く出発したかったのですが、この日は「お正月飾り」を取り外す日
お得意様に配った主人自作の門松を回収しなければなりませんでした。

綺麗な富士山は待っててくれるでしょうか・・・?

「十国峠」

箱根と伊豆を結ぶ「十国峠」の大きな駐車場に車を止め、ケーブルカーに乗りました。
この場所の詳しい情報はこちらでどうぞ

標高765m、熱海市と函南町にまたがる十国峠「日金山」の山頂から望んだ富士山です。

右側の「箱根方面」には何やらスモッグのような黒い霧
左側に見えている白い「南アルプス」も霞んで見えています。

時計を見ると丁度12時でした。
山の見晴らしは、午前10時までが勝負ですね。


200mmのレンズでズームを効かせて撮って見ました。

中央やや左に「宝永火口」がパックリと口を開けていて、
東に位置する我が家から見る富士山とは姿かたちが少し異なります。

ここから見る富士山は左右の稜線がスッキリとしていて美しい・・・
十国峠は南東方向から見る富士の名所だそうです。


ケーブルカーの頂上駅からは360度の大展望が楽しめます。

反対側に目をやると、眼下の相模湾の向うに「房総半島」が薄っすらと望めました。
重なるように「三浦半島」も見えています。

すぐ下の緑の半島は「真鶴半島」、手前の港町は湯河原でしょうか・・・?


西側は箱根方面です。
見えている山は「駒ケ岳~神山」ですね。
去年春に「イワカガミ」を見ながら歩いたコースです。

十国峠とは「伊豆・駿河・遠江・甲斐・信濃・武蔵・上総・下総・安房・相模」
が眺められたところから、この名が生まれたそうです。

果たして今でも10箇所全部が見えるのでしょうか


青空を見上げれば「パラグライダー」がたくさん飛んでいました。

この日は真冬とは思えない穏やかな日和で、観光する人々も、空を飛んでいる人たちも
みな陽光を浴びて気持ち良さそうに見えました


「玄岳駐車場」

十国峠からはほんの少ししか見えなかった白い「南アルプス」をジックリ見たくて
伊豆スカイラインの「玄岳駐車場」で車を止めました。

「愛鷹連山」の左手奥に白い峰峰が連なっています


望遠レンズで撮りました。
「南アルプス」の塩見・荒川三山辺りの山々でしょうか?

7年前に主人と縦走した「千枚岳~荒川三山~赤石岳」の雄大な景色を思い浮かべました。
あの頃は、まだ私たち夫婦もアルプスを縦走する元気もガッツもあったのですが・・・

この日の主人は
「俺は前日ゴルフで散々歩いたから、山はパス」と宣言・・・
僅か15分で登れる「玄岳頂上」までの歩きも拒否しましたわ

この玄岳は昔山仲間と函南の「丹那断層」を見てから登り出し、熱海側に下った覚えがあります。
あの時は残念ながら富士山の頭が隠れていました。

この様な快晴の時こそ登るべきなのに

ところでお昼ご飯はどうしましょう・・・?
車の中から、伊豆に別荘を持っているブログ仲間のラッシーママさんにメールをして相談しました。

薦められたのが伊東にある活き魚料理のお店「五味屋」さんです。

この「お刺身定食」(1050円)は超お徳こちらは主人が頼んだ「お任せ丼」(2100円)

安くて新鮮なお料理に感激しましたが、人気のお店だけあって、待ち時間が1時間半以上
でも食べられただけでも幸運でしたね


考えてみれば三連休の初日ですもの、混雑は仕方ありません。
次回は是非ウィークデーに訪ねてみたいです。

ラッシーママさん、お加減が悪い中、何度もメールをありがとうございました


丁度好い時間となったので、この日の宿・会員制のホテルのある北川温泉に直行しました。

海に面したお部屋の窓から夕闇の「大島」が目の前に見えていました。

私たちは軽く温泉に浸かってから、腹ごなしに「カラオケ」を2時間楽しみました。

7時からの夕食も美味しくいただけて、9時前にはバタンキュー
旅に出ると俄然体調の良くなる私です。


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雪の箱根路

2011年01月10日 | ドライブ

三連休最後の「成人の日」は、日本列島に大寒波がやってきたようですね。
我が家は連休初日の8日から「伊豆・箱根」とドライブ旅行を楽しみ、富士山を堪能してきました

トップの画像の富士山は1月10日、箱根乙女峠から御殿場に下る車の中から写した富士山です。

毎年お正月明けに、息子一家とお嫁ちゃんの実家の皆様と「新年会」」を兼ねた温泉旅行を楽しんでいます。

最初は各家に交互で集まっていたのですが、皆が心置きなくお酒を飲みながら歓談するには
上げ膳据え膳の温泉でやるのが一番と、もう7年も続いている行事です。

今年は息子の会社の箱根の保養所に集まりました。


総勢9人で、温泉と新年会を楽しんだ翌日の今朝、隣室の息子が「雪だぜ、雪」と言いながら声をかけてきました。
窓の外は予想もしていなかった銀世界が広がっていました


朝の温泉に浸かってから、レストラン棟でビュッフェの朝食を戴きました
窓からはツララの向うに、私たちが泊まった角部屋が良く見えていました

最近の保養所はホテルに負けない豪華さですね。


眩しほど日当たりの良いロビーの全面ガラスから、東に大文字の大の字がのぞく「明星が岳」
正面に双子山が見えていました。


そして右手には「大涌谷」の噴煙が・・・


去年の5月に、あの大涌谷から「イワカガミ」の群生を見ながら「神山」頂上に登り
「駒ケ岳」まで縦走しましたね。

雪の箱根も美しくて素敵ですが・・・

車にもシッカリと雪が積もりましたさてさて無事に帰れるかな~?

札幌生活4年の経験がある横浜じ~じはちゃんと車にチェーンを積んでいますが・・・
トータンと横須賀じ~じの車はチェーンはなし

こうなればチェックアウトギリギリまでいて、道路の雪が融けるのを待つしかありません


ハー君は子犬のようにはしゃぎまわって、Y子姉ちゃん(お嫁ちゃんの妹)相手に雪合戦です

にぃにぃに雪をぶつけられた菜々ちゃんは、あまりの冷たさにベソをかきお部屋に逃げ込みました。

もっぱら写真撮影に忙しかった私は、足をとられて思い切りステーン

辛うじて体を左手で受け止め右手でカメラを押さえましたが、見事な尻もちをつきました
北海道生まれだからと言う過信があったようです。 


もう一度温泉に入って温まっていくという雪まみれハー君たちと別れて、我等夫婦は一足早く家路に付きました。

ナビは距離的に近い1号線から西湘バイパスを示しましたが、強羅・宮ノ下とノロノロ運転が続き、
気短な主人はUターンして反対側の仙石原から乙女峠に向いました。


ここもスリップする車の続出で渋滞していましたが、道路パトロール隊が播いた融雪剤の効果が出てきたのか?
乙女峠の先からはスイスイ

途中、ご覧のような、日本画や着物の柄に見られるような紫雲たなびく富士山が見られました。

我が家は東名経由で2時間ちょっとで帰りつきましたが、息子一家は夕方の帰宅となったそうです。
連休最終日のスタートの1時間差は、3時間以上の差になったようでしたね。

やはりいくら晴天続きでも油断は禁物
「箱根の雪」は侮れませんね。

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横須賀「三笠公園」

2011年01月06日 | ドライブ

今日は「小寒」、明日は「七草粥」、明後日で松の内は終わります。
流石に寒さが身にこたえる季節となりました。

ピカピカのお天気に恵まれた昨日の5日、主人が
「仕事仲間との新年会を追浜の活き魚料理の店でやるので、幹事として下見に行きたい」
「ランチをご馳走するから付き合わないか?」と言うことで、
我が家から車で30分の東京湾近くの追浜まで行きました。

ところがその店は、残念ながら5日までお正月休みでやっていませんでした

代わりに行ったのが、その先の横須賀「三笠公園」です。
「ここで名物の軍艦カレーを食べよう!」と決まりました。

公園内には戦艦「三笠」がコンクリートで固められ、ご覧のような姿で展示されていました。


「三笠」と言えば東郷元帥ですよね。
立派な銅像が建っていました。

明治35年(1902年)にイギリスで建造された戦艦であり、
日露戦争においては東郷平八郎司令長官が乗艦する連合艦隊の旗艦として大活躍しました。


戦艦「三笠」の詳しい事はこちらをご覧下さい

NHKドラマ「坂の上の雲」の中でも、イギリスでのシーンで、秋山真之と広瀬武夫が
日本が購入したこの船を見て感激する場面がありましたね。

私はあのドラマの興奮を未だにひきずり、主題歌のサントラ盤のCDを買いましたが・・・

年末にUPした広瀬少佐役の藤本隆宏さんが歌う「Stand Alone」の中に、
サラブライトマンの日本語版、TVのエンディング版、広瀬中佐の歌などなどが入っている事を知りました。

サラの日本語版は、素晴らしい鈴の音のような声に魅せられますが、拙い日本語が少々微妙・・・
私は藤本さんの味のある「Stand Alone 」の方が好みです

Stand alone ~坂の上の雲~

このTVのエンディング版は流石に聞き惚れますね
「三笠」を見学しているとき、私の頭の中をこの曲が流れていましたよ。


この「三笠」は大人500円(シニア400円)で、中を見学する事ができます。
早速入ってみました。


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艦内心臓部分の様子



non_nonさんのソースをお借りして、東郷元帥以下首脳陣が集まり戦いを指揮した
三笠の心臓部分の画像を纏めました。
左側の小さな画像にマウスオンしてご覧下さい
ここでドラマロケも行われたようですね。

一番下の画像に写っている色鮮やかな旗はZ旗です。
ロシアのバルチック艦隊との激突の時に「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」
とZ旗を掲げて全軍の士気を鼓舞したと言われています。

<
東郷司令長官が立っていた高い甲板からは、穏かな東京湾の景色が見えました。
白い大きな客船はこれからどこに行くのでしょうか?
マウスオン・クリックで3枚の画像をご覧下さい

見えている緑の島は「猿島」です。
この三笠公園から「猿島」に渡る遊覧船が出ているようでした。

ヨットも見られる平和な日本の海辺の風景が広がっていました

船の側面は補助砲が並びます旅順港で使われた魚雷
これでバルチック艦隊を打ちのめしたのですねこちらは15センチ砲

この後ビデオ室で20分間の「日本海海戦」の物語を観ました。
東郷元帥の丁字戦法、「トウゴウ・ターン」と呼ばれる戦法を使って、日本は大勝利

20分の画像でも面白かったのですから、1年後のTVドラマが益々楽しみになってきました
司馬遼太郎の原作も読んでおかなくては・・・

係員の方が「20分では語りきれなかったお話」をしてくれました。
日本がバルチック艦隊を相手に、沈没させた空母の数や戦死者の数は
10対1での圧倒的な勝利だったそうです。

ところがそれでテングとなり風紀が乱れて、戦いを終えて佐世保港に帰還した時、
弾薬庫が爆発して「三笠」は沈没、300名以上の死者が出たそうです。
バルチック艦隊との戦いではその半分以下しか戦死しなかったのに・・・

日本の軍隊はテングになったまま、太平洋戦争まで行ってしまったのでしょうね。

戦後、「三笠」は甲板上のものは取り外され遊技場などになりましたが
アメリカの協力で展示船として復活しました。
船首は皇居を向いていて、その先がロシアなのだとか・・・
当時のソ連はこの「三笠」展示に大反対したそうですが、何とか残ったようです。
 

中甲板部は展示室となっていました。
東郷平八郎の衣服などが展示されていましたが、ずいぶん小柄な方だったようですね。
端整な顔は、東郷役の渡哲也さんといい勝負ですが・・・

TVドラマでお馴染みの秋山兄弟や広瀬武夫の写真も並んでいます。

ニコライ二世が、TVの俳優さんとソックリ!
藤本隆宏さんが演じた広瀬武夫も、実物の写真と良く似ていて驚きましたわ

昼食はモチロン名物「軍艦カレー」窓辺の席から「三笠」の軍艦旗が良く見えます

三笠公園名物の「軍艦カレー」はあちこちのお店にあるようでしたが、私たちは公園に一番近い
第3駐車場前の、洒落たお店で戴きました。

コーヒーが付いて1200円、美味しかったですよ。


駐車場からもう一度海軍旗がはためくのを待って、写真を撮りました。
この旗を見ると先の大戦を思い出し「怒りを覚える方」もいらっしゃるかもしれませんね。

こうして2時間ほど「三笠公園」で遊び、家路に付きました。

帰りに母の入院してる病院に寄ったら、主治医とケースワーカーさんがやってきて、
面談室に案内され「母の現状とこれから」の説明を受けました。
詳しい事は連休明けに決まりそうです

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2011年元旦・初詣と新年会

2011年01月04日 | 日常の日記

お正月三ヶ日もあっと言う間に過ぎました。

主婦にとってのこの一週間は、お肌や髪のお手入れもママならないくらいの忙しさ・・・
ホッと一息ついています。

年末年始の山陰地方は大雪の影響で、車1000台が雪の中に閉じ込められる大渋滞が起きたようですね
お見舞い申しあげます。

こちら横浜は穏かな好天に恵まれ、毎朝綺麗な富士山が姿を見せてくれた2011年のお正月でした。
この画像は2日10時半頃、我住宅地内にある「南公園」から写した富士山です

掃部山公園(かもんやまこうえん)

我が家の元旦は、野毛にある横浜市の鎮守様「伊勢山皇太神宮」に初詣に出かけるのが慣わしです。

去年に比べると人出が多かったようですが、画像は毎年このブログにupしていますので、今年は省きます。
去年の初詣の様子はこちらです。

お参りしてから、駐車場のある「音楽堂」裏の「掃部山公園」を歩いてみました。
「能楽堂」があり、その向うに「みなとみらい21」の超高層ビル群が眺められるロケーションです


横浜開港に貢献した江戸時代末期の大老、井伊掃部頭直弼ゆかりの公園で
広場には、1954年(昭和29)に再建された井伊掃部頭直弼像
近代的な高層ビルを眺めるように立っています

彼を偲び彦根藩士有志が1884年(明治17)に、明治初期の鉄道技師用官舎の跡地買いとり
掃部山(かもんやま)と名づけました。

小ぢんまりした静かな公園ですが、市内有数の桜の花見の名所として知られています。


「日本庭園」と書かれていたので行ってみました。

「滝と池と灯篭があるだけで日本庭園か?」と主人は嘆きましたが
この横浜のど真ん中にある「静寂な空間」が貴重なんだと思います。
桜の季節はとても美しいと聞いていますもの・・・


静かな園内は人の姿もほとんどなくて、写真に撮ると郊外の里山の風情ですが
振り返ってみるとこの景色


みなとみらい地区はカウントダウンの人々や、ラウンドマークタワーからの初日の出を仰ぐ人々で
大晦日から元旦にかけては大賑わいだった事でしょう。

毎年、初詣がてらその中に身を置きたいと思いますが、主人の年賀状作りで時間が取れず、
果たせないでいます。
主人の木版画の年賀状作成は三ヶ日が終った今でも続いていますよ


実家で父を囲んでの「新年会」
午後からは私の実家で「新年会」でした。
両親が施設のお世話になってから今年で7年目となります。

最初の三年間は施設から両親を連れてきて、我が家で「新年会」を催しました。
でもそれでは、両親は自分の家に戻る機会がなくなるのです

それで一昨年から実家でやることを弟に強要しましたよ。
姉の権限発揮です

去年はC型インフルエンザの猛威で外出がママならず、施設内の応接間を借りての新年会でしたから
父にとっては2年振りの自宅でした。


20年前に両親は弟一家と玄関以外は全部別の二世帯住宅を建てました

「殆んど使っていない一階の両親のスペースは寒いので風邪が心配、レストランでやろう」と渋る弟に
和食レストランの予約が取れなかったこともありますが・・・
「私がお節料理とお酒とおつまみと全部用意するから、何なら石油ストーブも持っていくから実家でやろう
と説き伏せました。

やはり娘として、両親の帰る場所はキチンと残しておきたかったのです。

義妹のFさんもやる気になってくれて、無事に「新年会」が開けました。

大じいちゃんを囲んでの新年会送ってもらったカニも加わっての豪華版です

入院中の母のこともあり、中々お正月モードになれずにいて・・・
デパートのお節料理を予約したりしましたが、シェフを目指して修行中の姪のMちゃんの協力もあり、
急ごしらえでもこれだけ豪華なお節料理が並びました。

「カニさんのお目目が恐い~」と言って最初は食べなかったハー君と菜々ちゃんも
じ~じとオトウタンが一生懸命蟹の中身を取ってくれて・・・
その味を覚えて気に入ったのか・・・

最後はもっぱら蟹三昧でした。


弟の所にはミニチュワ・ダックスフンドのチョコちゃんと、ネコのミーちゃんがいます。
我が家の孫もその二匹に会うのが楽しみで・・・

大おじちゃん(弟)にせがんで、2階から連れてきてもらいました。

最初はさわるのも恐る恐るだったけど・・・ほら!すぐにチョコちゃんと仲良くなったよ

父もそんなひ孫達を見て「可愛いね~・可愛いね~」とニコニコ顔

最後は全員揃っての(悲しいかな、母はこの席にはいませんが)記念撮影を済ませてから、
弟と2人で父を施設に送り届けました。

睡眠不足もあり疲れ果てた元旦の一日でしたが、無事に新年会がとり行われて嬉しい限りでした。

翌日の2日は、入院中の母の87歳の誕生日です。
プレゼントのパジャマを持って日中は病院へ行き、夜は息子一家と我が家で内輪の「新年会」でした。

今度は私が作った煮物やナマス・豚の角煮や揚げ物などのお節料理と、食べ放題の牛シャブです。

翌三日は気が抜けて、TVの「箱根駅伝」を見ながらウツラウツラ・・・
お風呂上りに体重計ったら2KGも植えていた~

今年の目標、先ずはダイエットと決まりました

コメント (30)
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2011年・本年も宜しくお願い致します。

2011年01月01日 | 日常の日記

新しい年が明けました。
近くのお寺の除夜の鐘がまだ聞こえてきます。
ベランダに出て空を見上げると、南側の正面にオリオン星座が輝いていました。
静かな静かな新しい年の幕開けです。

主人手作りの木版画の年賀状が、年明けと共にようやく完成しました。
七福神シリーズ、今年は第6弾「布袋尊」です。

旧年中は多くの皆様からのコメントを戴きありがとうございました。
予期せぬ事が続き、めげそうになった時にはずいぶん励まされました。

母も辛うじて落着いていますので、何とか無事にお正月を迎えることが出来、ホッとしています
波乱含みの新年ですが、ブログ仲間の皆様方の温かいご助言を戴きながら前進して行こうと思っています。

本年もどうぞ宜しくお願い致します。
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