花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

真夏のパースから帰国

2006年02月27日 | パース滞在記
ただいまぁ~!
26日、夜11時10分(現地時間で10時10分)主人に見送られ、1人でパース空港を発ち、今朝9時前に成田に到着、お昼過ぎに無事我が家に帰ってきました。

パースの家から空港まで、車で15分なのに対して、成田から横浜は遠い事
「成田エキスプレス」を使っても、我が家まで3時間かかるのです。
途中で昼食用のお寿司を買って、我が家で濃い緑茶と一緒に食べました。
やっと落ち着いたところです
パースは連日30度以上のピカピカお天気
街中にプルメリアやブーゲンビリアの花が咲き乱れ、南国のトロピカルなムードが溢れていました。

トップの写真は昨日のお昼の我が借家です。最高気温は33度、最低気温は16度。
空気が乾いているので、木陰に入ると涼しい風が吹き抜けますが、日差しは強烈です。
午後に3時間くらいクーラーを入れましたが、朝夕は薄い上着が必要なくらいでした。

朝の成田空港の滑走路は雨で濡れていましたが、横浜は薄曇り・・・
昨日までの8日間は幻だったのでしょうか?別世界のような感じがします。
こちらはパースの家の前から写した昨日の住宅地の風景。
この空の青さと、透明な乾いた空気に魅せられました
しばらく私の脳裏から離れそうにありません




それから、重い思いをしてパースまで持っていったパソコンですが、もうバカみたいな話で恥ずかしい
パスワードを忘れて開けなかったのです
ライブでの「パース報告」を楽しみにしていた方がいらっしたとしたら、申し訳ございませんでした

niftyでナビしてもらって「海外接続アシスタント」をダウンロードした時に「メールアドレス」と「ログインパスワード」をインプットしました。
「あとは現地の電話機の種類をチェックして、電話番号を入れればOKです」と説明してくれたお姉さんの言葉を鵜呑みにした私がバカでした(人のせいにしてる~)

現地で又パスワードを入れないと開けないなんて、知らなかったよ~~(保存と言う所にチェックを入れてればOKだったんですが)
メモって行かなかったので完全にお手上げでした
何しろniftyで登録された、覚えられない長さのパスワードなんですよ・・・

国際電話でniftyにして「何とかならないか?」と聞いたのですが、どうにもなりませんでした。良い勉強になりました。
なかなか担当者に繋がらずいつも待たされるniftyダイヤル、この時のTEL代の請求が恐怖ですが・・・
パソコンはDVD専用となり、大家さんが持ってきてくれた日本語版の映画を観て過ごしましたよ。

パソコンから離れて、毎日11時に寝て朝7時過ぎに起きる規則正しい生活も又良いものでした。
主人とも24時間ほとんど一緒で・・・
年に何回かは、このような時間を過ごすのも必要なのかもしれませんね(負け惜しみ?)

主人は後10日ほど現地に滞在します。
私は明日から仕事ですが、久しぶりの独身生活「パソコン三昧」と行きますか
自分の記録保存のためにも「パース滞在記」を又UPして行きたいと思っています。

飛行機の中ではあまり寝ていないので、これからお昼寝としますね。
取り合えず、無事帰国したことをこの場を借りてご報告しま~す。




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映画「白バラの祈り、ゾフィー・ショルの最期の日々」

2006年02月16日 | 映画、観劇
明後日、パースに向けて出発しますが、先週いつものご近所仲間と、伊勢佐木町の「横浜シネマリン」で観たドイツ映画「白バラの祈り、ゾフィー・ショル最期の日々」の感想をUPしておかないと、忘れ物をしたようで落ち着きません。
「ホテル・ルワンダ」同様、重い内容の映画でした。

1943年のドイツ、ミュンヘン。
打倒ヒットラーを呼びかける組織「白バラ」のメンバー、ゾフィーと兄ハンスは、大学構内でビラをまいている所を見つかり、ゲシュタポに連行されて、尋問官の取調べを受けます。

カメラは淡々と追っていきますが、前半はこの21歳の女子大生ゾフィーとゲシュタポの尋問官モーアとの心理戦が展開される取調べ室のシーンが凄まじいです
悪名高いゲシュタポですが、ここは人間対人間のぶつかり合いとして描かれています。
仲間の情報を教えれば見逃すと言うモーアの取引も拒否して、ゾフィーは「国家反逆罪」の罪で、わずか6日後にギロチンの露と消えるのです
実話だけにド~~ンと心に響きました。

実際にあったレジスタンスグループ「白バラ」については、20年前に発表された「白バラは死なず」という映画でも知られていますが、今回の作品は、東西ドイツ統一後、新たに発見されたゲシュタポ尋問記録を元に、ゾフィーを中心に据えて最期の6日間を描いた映画です。

ゾフィーを演じるドイツ女優「ユリア・イエンチ」の、意志の強そうな凛とした表情は、ピッタリのはまり役でした。

あのヒットラーの時代に、命をかけて「ロシア戦線やユダヤ人大虐殺」抗議のビラをまいた若い人々がいたこと自体、少し救われる気がしますが、捕まってからわずが6日後にギロチンですよ
名ばかりの裁判が行われますが、その裁判官は保身をはかる元共産主義者、もう救いようがありません。

尋問官のモーアが裁判の後、ゾフィーに会いにきます。
彼も人の親、ゾフィーの事が気になったのでしょう。
監獄の窓から空を見上げ、神に祈るゾフィーの姿、そんな彼女を見守る同獄の女性とのふれあいなどが良いですね~~
後半は狭いシネマリン館内もすすり泣きの声がアチコチから聞こえてきました。

前回の「ホテル・ルワンダ」を観終わった時は、平和ボケ日本を恥じましたが、今回は言論の自由がある現代日本に住んでいる事を嬉しく思いました。

日本だって、ヒットラーのナチスドイツとは三国同盟で友好関係にあった仲です。
いろいろな犠牲者がいたに違いありません。
丁度「横浜事件」の結論も出たことですし・・・

「民主主義と言論の自由」は、これからも私たちで守っていかなければならないものだと、つくづく実感させられました。

             ☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆

喉が痛くて今日病院に行ってきました。
疲れがたまると、喉に赤信号が出るのです。
暖かい(と言うより暑い!)パースでノンビリしてきます。

明日は宅配便で荷物を出し、午後から国立劇場の人形浄瑠璃「曽根崎心中」を鑑賞してきます。
そして明後日いよいよパースに出発です

「パースでgooブログは繋がるか?」gooスタッフさんからのお返事がありませんが、取り合えずパソコンは持って行きます。
それでは「行ってきま~す」






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聖・バレンタインディー

2006年02月14日 | 日常の日記
今日2月14日は「バレンタインディー」です。
日本では「チョコレートの日」と言っても過言ではないですね。
そんなに若くない私は、さして興味もなく忘れていましたが、主人に言われて、父用に「横浜インターコンチネンタルホテル」のチョコレートを買って会いに行きました。

両親の事は、去年前半に色々あって、このブログにも涙ながらの私の呟きをUPしたものです。
私の友人たちはその間の経過を知っているかと思いますが、今老人施設に入っています。
母は全然歩けません
父は認知症が認められます

我が家から東名高速道路を使って車で一時間半、電車で行くと2時間以上かかる、多摩地区にある知り合いの施設にお世話になっています。
パースに行く前に、主人と両親に会ってきました。今月に入って2度目の訪問です。

今日は18度を越える暖かい日和でした。
私は母の車椅子を押し、主人は父の腕を取り、施設の周りを散歩しました。
もうすっかり「春の気配」ですね

月に3回くらいは訪ねていますが、暮れに父は「ノロウイルス」にやられて発熱し、お正月は面会謝絶でした
父が良くなったと思ったら、今度は母の入っている階にインフルエンザが蔓延し、外部との接触が禁止されました。
幸いは母は元気だったようですが・・

会うたびに一回り小さくなっていく父を見ると涙が出ますが、私が持っていった、ひ孫の「ハー君」の写真を嬉しそうに眺めて喜んでいました。
そして、チョコレートを美味しいと言って食べてくれました。
2人とも元気で良かった

往復3時間以上かけて両親に会い、そのまま仕事に出たら、さすがに疲れましたが、肩の荷が下りたような感じです。
出発準備は中々進みませんが、これで安心してパースに行ける感じです

これを読んでくれている皆様は、誰のためにチョコレートを買ったのかしら?
そして殿方は、誰からチョコレートを貰ったのかしら?

まったく忘れていたとしても、気にしない!気にしない!
我が家の夫も成果ゼロですから


2月15日更新・・・<gooブログスタッフさんにお聞きしたいこと>
さて、私も今週の土曜日からオーストラリアのパースに行くことになりました。
今回はパソコン持参の予定です。
パースの家はダイヤル回線なので、先日niftyにして、「海外接続アシスタント」のソフトをダウンロードしました。
これでメールの送受信はOKです(ただし値段は一分115円

「インターネット上のniftyのブログも繋がりますよ」とのお返事でしたが、他のブログが繋がるかどうかは分からないそうです。
gooのブログは果たしてパースで繋がるのでしょうか
繋ぐためには何かダウンロードが必要なのでしょうか?
お教えていただければ助かります。



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タイのお土産

2006年02月11日 | 日常の日記
タイのチェンマイに、19日間行っていたご近所仲間のO夫妻が、予定を少し早めて帰ってきました。
この写真はお土産に頂いた玉子の形の調味料入れです。
鶏の絵が微笑ましいですね。
「そこら中に鶏が放し飼いにされていたし、鳥インフルエンザが一番心配だった」とはご主人のお話。

ジャイカで現地に派遣されている、ご主人の友人を訪ねての旅だったらしいのですが、朝食とベットメーキング付きのホテルに泊まって、チェンマイだけのステイを楽しんだようです。
ホテル代は日本円で、2人で一泊4000円ちょっとだったとか。やす~~い
奥さんのK子さんの「タイ好き」は年季が入っていて、今回で3度目か4度目の訪問になるはずです。

タイは今が一番良い季節、28度前後の爽やかな気候だそうです。
8年前、私がご近所仲間のW夫妻と行ったのは3月下旬・・・もう夏休みに入っていて暑かった~

同じく頂いたお土産のお菓子と、象の型押し模様のしおりです。
仲間のMさんが「とても美味しかった」と言っていました。楽しみ!楽しみ!
チェンマイは日本で言えば「奈良」のような所で、ノンビリ、ユッタリできたそうな・・・日本からも長期スティに訪れている人々がたくさん居るそうです。
第2の人生を「木工職人」としてスタートしたご主人が気に入った工房がたくさんあったようで「是非又行きたい」との事でした。

「老後は海外で過ごしたい」と最初に話題にしたのはO夫妻です。もう15~6年前になりますか?
若い頃2年間のアメリカ勤務があったので、英語も話せるご夫妻だし・・・
フルタイムで働いていたK子さんが、12月に定年退職したのでいよいよ実行開始?
チェンマイもその下調べの意味を兼ねていたそうですが、K子さんのお父様の具合が悪くなり、急遽帰国を早めたそうです。
そうそうこの問題がネックなのよね~~~「親のこと」
わが身を振り返って、思わず一緒に頷いてしまいました。

あら~私のパース行きも、一週間後に迫っているんだわ。
夏の衣類を取り出し、今日は持って行く靴やサンダルを洗いました。
泥が付いていたら検疫で引っかかりますものね

薬類や化粧品を点検し、足りないものは買わないと・・・
パースの家にもいろいろ揃えてありますが、何かと必要な物が出てきます。
季節が真反対というのがちょっと大変です。

お隣のRさんや、弟子のJさん、大家さんへのお土産も買わないといけないし、おっと、両親の所にも顔を出していかないとなりません。
来週は仕事もあるし大忙しです。
そしてナント、出かける前日にご近所仲間4人で「文楽」を観に行くのです。
K子さんのタイ行きと私のパース行きがすれ違いのようになり、結果こうなっちゃったんですがもう体力勝負ですね。
遊びを躊躇するnaoママではありません。

9月に行った時は台風騒ぎの中の出発だったので、今回は雪が積もらないことを祈るのみです。


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春近し♪

2006年02月09日 | 日常の日記
昨日は春のような暖かい陽気でしたが、今日は北風の冷たい一日でした。
春は名のみの風の寒さや~と思わず歌ってしまいます。
でも日が長くなり、太陽の光は確実に「春近し」を感じさせてくれますね






我が家の庭の「マンサク」と「白梅」がほころび始めました
植物たちは、確実に春を感じ取っているのでしょうね。
春よこ~い、早く来~い




遅まきながら、今年用の赤い手帳を買いました。
事務的な日記はこちらに記入です。
この家に住み始めてから、ずっとずっと日記を書いていました

1996年からは「10年日記」を付けていました。
去年で10年目、完成するはずでしたが、ブログを始めてからは空白が目立ち、6月の父の入院騒ぎからは一行も書いていません

箱入りの立派な日記帳です。
最後は尻切れトンボに終わりましたが、私の50代の出来事が詰まっています。
10年前の今日、2月9日の所には「主人に、明日の土曜日に梅を見に行こうと誘われるが風邪気味で体がだるい。午後からは気分転換に美容院でカットする」と書かれています。
もう梅の便りが聞かれていたのですね~



それに髪のカット、今年も一昨日行きました。
人間の心の動きや行動は、日記を見ると、案外毎年同じ事の繰り返しと言うのが分かってきます。

60代の10年日記はやめました。このブログでアップアップです。
「naoママの日記」ですものね。
メモリースティックで保存するか?印刷して後々読むのを楽しみにするか?

さてさて、我が家の庭の梅が満開になるのは、いつ頃になるのでしょう・・・

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やっと咲きました

2006年02月07日 | 日常の日記
ごく平凡なピンク色の「シンピジュウム」ですが、もう10年も健気に咲いています。
日当たりの良い和室の廊下に置いていたのですが、今年は遅れて、2月に入ってやっと咲き出しました。
この淡いピンクを観ていたら、私も春用に変身しなくては・・・と、美容院でバッサリと髪を切り、5年ぶりにパーマをかけて来ました。
ずいぶん軽くなりました

こちらのカトレアも、毎年お正月には咲いていましたが、今年はやはり遅れて、ナント!私の誕生日に合わせるように咲き出しました。
5年目のカトレアですが、年々色が褪せてきましたね~
肥料が足りないのかな~~






実は私、1月の誕生日で運転免許証の更新だったのです。
優良ドライバーだから5年ぶり、免許証の写真も新しく切り替わりました。
アチャーあごの線がタルんでる、目も窪んでいるわ
私も肥料が足りないのかな~~
5年の月日は残酷ね

パース行きが近づいて来たので、パスポートを取り出しました。
こちらの切り替えは10年目の来年です。
写真を見ると、まだまだ元気に山々を駆け巡っていた頃の、ツヤツヤした私が写っています。
ヒエ~~次のパスポートが恐ろしい
このミニ蘭は、10年以上も花を咲かせてくれています
決して派手ではありませんが、次から次へと咲き出して、一冬お花が楽しめます
見習わなくてはね
「平凡で地味」が長持ちの秘訣なのかしら・・・


今年のお正月は、自宅で咲いたお花がなかったので、このオレンジイエローの「シンピジュウム」を買いました。
一ヶ月以上も、寒くて日当たりの悪い北側の玄関に置いていますが、まだまだ蕾が開きだしています。
さすがに若いお花ですね
風水では、北の玄関にはオレンジ色の物を飾ると良いと、何かの本で読みました。
今の所、私も主人もひどい風邪にやられることもなく、元気にしていますが、功を奏しているのかな








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映画「ホテル・ルワンダ」

2006年02月06日 | 映画、観劇
ご近所仲間のMさんに誘われて、映画「ホテル・ルワンダ」を観てきました。
今話題の三谷幸喜監督の「ザ・有頂天ホテル」ではありません。

アウトドァ派の私、映画はあまり詳しくありませんが、今までも映画通のMさんお勧め映画にハズレはありませんでした。
仕事の週で、何かと忙しかったのですが、紹介された映画案内のサイトを見て、これは是非見たいと思い、雨の中電車で「川崎チネチッタ」まで行ってきました。
観に行って良かった何かと考えさせられる映画でした

映画の舞台はアフリカのルワンダ。
今から約10年前の1994年、多数派フツ族のツチ族に対する大虐殺で、3ヶ月間に80万人が殺された戦慄の中、実在の人物がモデルの社会派の映画です。
でもお勉強の教科書のように堅苦しいものではなく、ごく普通のホテルマンが、愛する家族のため、隣人のためにあらゆる知恵を発揮して、残虐から逃れる勇気ある行動が、結果として1200人以上の人々の命を救ったことになるのです。
シンドラーや、杉原地畝に匹敵する働きをしたことになるのです。

題材や出る俳優が地味なのか?、2005年のオスカー三部門にノミネートされたのに、日本での公開は中々実現しませんでした。
それが映画ファン(特に若い人々)の署名運動が実り、やっと今年になって公開されました。
こんなに良い映画なのに、神奈川地区では川崎チネチッタでしか観られません
でも館内は満席でしたよ。

わずか10年前の凄惨な出来事ですが、私たち日本人(私はと置き換えます)は、アフリカの問題など「遠い世界の事」として、興味すらも持っていなかったような気がします。
ルワンダがどこに位置するかも定かではありません。
国民の10人に1人が殺された民族大虐殺は、ナチスのホロコーストに匹敵するものなのに、石油産出国でもない貧しい国は、世界の大国にも相手にされずに見捨てられたのです。
見捨てた側には、我が日本も入っているんですよね。



首都キガリの外資系の四つ星ホテル「ミル・コリン」の副支配人ポール(ドン・チードル)は、穏健派のフツ族ですが、妻は命を狙われるツチ族です。
ジャーナリストがこの悲惨な現状を世界中に紹介してくれたら、必ず大国や国連の武装部隊が収集に動いてくれると期待を持ちます。
しかし、やってきたのは外国人だけを本国に輸送する部隊だったのです

ホテルには国連の平和維持軍が警備をしていますが、彼らは自ら手出しはできません。自衛だけなんですあらあらどこかの国の自衛隊と同じだわ。
この悩める大佐役ニック・ノルティが良いですね

ポールはホテルにやってくる、政府軍、過激派民兵組織、国連を相手に、袖の下やら、威嚇、高級酒三昧など、あらゆる知恵を使って、集まってきた難民を守りますが、絶体絶命のときに、ベルギーのホテルの本部にTELして、フランス政府を動かしてもらって助かります。
この上司役がジャン・レノ。
脇役もそれぞれ良い味を出しています。

大体このツチ族とフツ族というのも、同じ文化、同じ言語で見分けがつきません。
植民地支配をしていたベルギーが、背の高さとか鼻の高さで決めたとの説明が、最初のシーンで出てきます。
詳しいことは「ジェノサイトの丘・ルワンダ虐殺の隠された真実」という本を読むと分かるとか・・・
Mさんが購入したらまわしてもらう事になっています。

アフリカものの映画は、昨年観た「行け、生きろ、生まれ変われ」で、ユダヤとは?を考えさせられましたが、今回はウ~~~ン難しい
平和ボケ日本と自分の無知さ加減を痛感させられました。

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新春、初ハイキング「伊豆・達磨山~金冠山」③

2006年02月04日 | 山シリーズ
「修善寺温泉」
「修善寺温泉」でバスを降りました。
目指す日帰り湯「湯の郷村」は温泉街の一番奥にあるようです。

「修善寺」に立ち寄って、手と口を清めました。
ご本堂は修理のために囲いがしてあって、隣のお堂でお参りしました。
車で伊豆に行くたびに、このお寺の前を通りますが、境内に入ってお参りしたのは初めてです。
弘法大師が開いたと言われる修善寺は、1200年の歴史の中にありました。

源頼家の悲運の最後を描いた戯曲「修善寺物語」でも有名ですが、修善寺は源一族が、骨肉の争いを演じた舞台となったところです
頼朝の長男頼家は鎌倉幕府の2代将軍となりました。
武芸には秀でていましたが、家臣を収める器ではなかったようで、北条氏によって捕らえられ、この修善寺に幽閉されてしまいます。
そしてある日、温泉に入っている時に暗殺されたのです。


修善寺温泉は桂川をはさんで両側に、文豪たちが好んだ由緒ある旅館が立ち並んでいます。
立ち寄り湯もできますが、私たちは汚れた登山靴姿なので、気楽な日帰り専門湯に入ることにしました。
共同浴場で有名な「ハコ湯」もありますが、こちらでは食事はできません。
弘法大師が発見したと言う、修善寺温泉発祥の湯「独鈷の湯」は桂川の中洲にありますが、現在は足湯専門だそうです。

「湯の郷村」で汗を流し、お食事処でささやかな「新年会」をしました。
湯上りのが美味しいこと
アジのお刺身、てんぷら、枝豆、冷奴----久しぶりに3人でのハイキングを楽しんで、会話も弾みます。
「山に行けるのも後10年がいいところ。頑張ってせっせと登りましょう。そうしないと筋肉がどんどん衰えるわ」
そして3人で10年前を振り返りました。
「北アルプスの裏銀座コースを、駆け足しながら縦走していたね」
「あの頃は、登れない山はないと思っていた」
「月日が経つのは早いこと!歳をとるって事は一つ一つを諦めていく事なのね」

40歳で知り合った仕事仲間たち、もう20年のお付き合いです。
一緒に仕事をしていた15年間、私たちは暇があると山に行っていました。
ところが最近はすっかりトホホなんですよ。
今年は心機一転、簡単な山からトレーニングして「山」をたくさん楽しみましょう

*「湯の郷村」・・・tel(0558)72-5526
  私たちは2時間の入浴&食事という事で700円でした。
  1日券は950円
  内風呂1つ&露天風呂1つ
  アルカリ性単純温泉です。
  持ち込み可の、休憩所があります。
  お弁当、お酒、おつまみ等持参で行くと良いですよ!

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新春・初ハイキング「伊豆・達磨山~金冠山」②

2006年02月02日 | 山シリーズ
伊豆の山道を歩いていると、アセビの多さにびっくりします。
何年か前の4月の中旬、主人と歩いた天城の万次郎岳には、白いアセビのトンネルロードが続いていました。
馬が酔う木と書いて「アセビ」
ツツジ科のお花ですが、本当に馬が酔うらしい
我が家にもありますが、早春に日陰でひっそりと鈴蘭のような房状の花を咲かせます。
今回も、達磨山から戸田峠に向かう登山道にたくさん見られました。
大きく膨らんだ蕾が春の訪れを感じさせてくれました。

              ☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆

「戸田峠に下って、金冠山へ」
「達磨山」の頂上で、オニギリを食べ温かいお茶を飲んで一休みした後、戸田峠に向かって下ります。
小達磨山を越えると、長い長い階段が---
北側斜面なので、雪がたくさん残っていました
気温が高くて凍結はしていません。アイゼンは付けなくても大丈夫でしたが、それでも滑って足を踏み外せば大変です。
杖を頼りに慎重に下りました。



戸田峠の駐車場に出たら、今度は金冠山を目指します。
振り返ると、歩いてきた達磨山からのトレイルが見えていました。
「達磨山」は別名「万太郎岳」とも言われていると、どなたかのサイトに書かれていました。
天城の「万次郎、万三郎」のお兄さんですね。
さすがに堂々とした山容です。





30分急登を頑張ると、パラボラアンテナが見えてきて「金冠山」頂上(816m)です。
北側に内浦湾、そしてその向こうに「富士山」がド~~ンと見えるはず
真っ白な「南アルプスも見えるはず」
湾の向こうのコブコブの連なる山は6年前に、当時勤めていた銀行のパート仲間6人で登った「沼津アルプス」
その右手、東西に連なる山々は一昨年、この3人で行った「城山~葛城山~発端丈山」です。この時は富士山が綺麗に見えました



左が介護保険のヘルパー派遣会社の副社長をしているKさん、右がお琴の先生のYさん。2人とも銀行時代の仲間です
私たちは、山では「さくら3人娘」と呼ばれてきました。本当よ~
後ろに見えるのが登ってきた「金冠山」
我々以外誰もいなかった頂上を後にして、レストハウスまで下ります。




「レストハウスで美味しいものを食べようね」ソリで下りたくなるような雪の中を、スキップするように行きました。
「もしかしたら、富士山も見えてくるかも」
30分で眺めが良いと評判のレストハウスに到着。スタートから丁度4時間半歩きました。
おっと2時23分発の「修善寺」行きのバスが来る時間だわ。
これを逃すと次のバスは2時間後です


「修善寺で温泉&お食事にしよう」
バスに乗ったとたん、綺麗な富士山が目に入りました



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