花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

「復興」できると信じています

2011年03月29日 | 私の呟き
(ヒマラヤユキノシタ・3月28日撮影)
東京にも「サクラの開花宣言」が出されて、いよいよ春本番となりました。

暖かくなれば暖房も要らなくなり、電気の消費量も押さえられて今日は計画停電が中止です。

春の花々も咲き出して・・・
近くの舞岡自然公園を散策するつもりでしたが、この所の「花粉の多さ」にギブアップ
鼻炎はさほど酷くはありませんが、目が痒くてたまりません。

帽子にマスクにサングラス姿で出かけようと思いましたが、海外のメディアが
「日本人は放射能汚染の防御に、皆このような姿で歩いている」
と発信したそうでです
その誤解に返す言葉もありませんね

(ヒメリュウキンカ・3月29日撮影)
元気がでるビタミンカラーの可愛い山野草も咲き出して、心癒されています。

「福島原発」はいっそう深刻さが増し、予断を許しません。
普通の生活を送るよう心がけていますが、この事故のことが刺さったトゲのように気になります。

でも、素人が意味も分らない放射能数値に一喜一憂しても疲れるだけですから、
TVを見るのは最低限にし、普段はラジオを聴いて過ごしています。

(ハナダイコン・3月28日撮影)
庭にはこぼれダネから咲き出したお花もたくさん見られるようになりました。

今回の福島原発事故の現場には、東電の方々始め日本中の原発技術者集団が結集していると聞きましたが
それにしても電気作業員3人の被曝事故は考えさせられました。

現場では、昼夜を問わず、命をかけた原子炉との闘いが繰り広げられていることと思います。
作業員の皆さまのご無事を心から願っていますが・・・

東電は下請けの現場作業員に危機管理と情報伝達を徹底しなかったのですか
「長靴をはいた人と短靴の人がいて」の問題ではないと思います

(こぼれダネから咲いた桜草・3月29日撮影)
そして原発の「水の分析データーミス

この汚染水にどんな放射能がどれだけ含まれているか?で
炉心で今起きている事が推測できるそうです。

今後の現場の対応や、事態の行く末を見極めるうえでの重要なデーターが
9時間以上間違ったまま発表されていた

そんな大事なデーターですらもチェックできなかったのでしょうか
東電の社員の皆さまは必至でお仕事頑張っている事と思いますが・・・
この組織体制がゆゆしき問題のように思えます。

(ヒメオドリコソウ・3月28日撮影)
国会では
「菅総理が震災後すぐにヘリコプターで視察に飛んだから、原発の排気が遅れ重大な初動操作の遅れとなった」
と野党は騒いでいるようですが、
今は足の引っ張りあいをしている場合ではなく、今何をすべきかを与野党協力して考えて欲しい。

平凡な一国民から叱咤激励を込めて送ります。
日本政府、頑張れ、東電頑張れと・・・

(オオイヌノフグリ・3月28日撮影)
主人が「豆苗」を買ってきて、それを家の中で水耕栽培しています。
次々に芽生えるので、順番に何度も刈り取ってサラダに使っています

60代の我夫婦、今更僅かな放射能が混じっている野菜や水を摂っても、健康に影響が出るとは思えません。
でも、放射能の数値の発表時
「今のところ直接健康に被害は及ぼしませんが、念のため注意をして下さい」と言う言葉に、
小さなお子様を持つお母さんは惑わされますよね。

「豆苗」は半分遊びでやっていますが、イザとなったら孫の所に持って行こうかしら・・・


「原発が最悪のシナリオに進んだらどうしよう」と不安は増大するばかりですが、
私は日本人の底力を信じ、復興を信じています

下の画像は昭和20年8月の、焼け野原になった東京下町を撮った航空写真です。
親たち世代はここから見事に日本を復興させたのです。


原爆が落とされた広島&長崎は、放射能汚染で「100年間、草木も生えない」と言われていました。
でも二つの街も見事に生まれ変わりました

そんな親たち世代を見習へば、今回被害に遭われた地域も必ずや復興なると信じています。

最近、世界のメディアの動きを紹介してくれている「zooeyさん」のブログを知りました。
中国にGNP2位の座を追われたこともニュースにさえならない目立たない国・日本
今世界中の人々から、良い意味でも悪い意味でも大注目を浴びているようです。

TVで紹介される悲惨な画像を見て気が落ち込んでいる時に、時々拝見し、
日本のマスコミが報じない、ちょっと好い話・シビアな話・ホッとする話など
この度の大災害を世界的な視点から違った見方で考える事ができました。

(3月26日撮影)
海外のメディアによると、最初は、震災で被災しても
奪略や暴動もなく、大人しく並んで順番待つ日本人に称賛が集まりました。

原発の緊急問題が起きると、今度は日本製品や日本人へのバッシングが始まったそうです。
(特にドイツがひどいらしい・・・)

でも、地震でメタメタになった高速道路を、わずか6日で通行可能にした日本人のヤル気に驚き、
感嘆されているそうです。その画像はこちらをご覧下さい。

「信じられない!イギリスなら10年かかる!」とか「オーストラリアなら2020年まで無理!」とか
世界中から称賛のコメントが寄せられているのです。

主人はオーストラリアに5年通い、現地のオージーに「日本庭園」の指南をしましたが、
確かにかの国には「突貫工事」とか「納期厳守」の思考がまるでありませんでした

どこかの国のオリンピック道路も間に合わなかったと聞きましたね。
ここは一つ「日本人の底力」を世界に示したい所です。

(3月26日撮影)
我が家から「ダイヤモンド富士」の夕日が見えるはずと、ずっと注目していましたが・・・
気がついたら既に夕日は富士山のてっぺんを通り越し北側の稜線に沈んでいました。

3月17日のマイブログに、前日撮った「雲のかかった夕焼けの富士山」をUPしましたが、
あの時快晴だったら「ダイヤモンド富士」が見られたかも知れませんね。

我が家は富士山の真東に位置しているので、次回の秋分の日頃に期待したいと思います

被災地にはまだまだ充分に援助物資やガソリンが届かず、苦労している所もたくさんあると聞きました。
それでも津波に遭った「梅の木」に花が咲き、被災者の皆さまの励みになっているとか・・・

暖かい春が東北地方にも早く訪れますように願っています。



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普通の生活に戻ろう・・・

2011年03月23日 | 日常の日記

我が家の庭の「ニリンソウ」が一輪咲き出しました
この春の訪れを告げる清楚なお花に心癒されています。

広い範囲で大地が揺れて、大津波がやってきてから2週間になります。

TVで流れる悲惨な映像に涙し
寒い避難所で協力し合って過ごしている被災者の方々の姿に感動し・・
そして日々計画停電に日常生活は振り回され、物不足に唖然とし
深刻な事態に陥っている「福島原発」の成り行きも不安で・・・
何だかとても疲れています。

臨床心理士のお話では
不安は体内でアドレナリンを放出し、軽い興奮状態を引き起こし
不必要に感情があふれ出したり、イライラしやすくなったりで
知らない内に身体的な疲労が蓄積されます。
そして「何かをしなければ」という焦りから、やたら行動してしまう場合もあるとか。

確かに余震も続き、日に何度か「緊急地震速報」が出たりして、常に頭がクラクラしているような状態です。
血圧も少々上昇気味


こういう時こそ「気分転換」をするべきですが、「震災で多くの人々が苦しんでいるのに」
と自分をいさめる気持ちもあり

ハイキングや食事会の計画があっても「大きな余震でライフラインの停止に巻き込まれるのも怖いよね」と
なかなか気分的にもそちらに向きません。


先週初めの3日間休館した仕事先の公的施設も普段通りに開館し、
今週、私は新人さんを教育しながら最後の仕事に就いています。
忙しい中、新人さんに説明しながら館内を駈けずり回っていますが
何故か?体調がいいのです。

TVの悲惨な画像を見続けていてウツ状態になっている方々は
是非一度TVから離れて体を動かすか、好きな事に没頭する事をお薦めします。

最近知ったことですが、この駅に近い団地や住宅街の中にある仕事先の公的施設
計画停電の指定地域から外されているのです。

近くに住んでいる仕事仲間は停電の無い人とある人がいて・・・

東京23区が最初から無しなのは「ライフラインに影響するから」と言う意味で分ります。
信号が消えたら、とても全域の交差点にお巡りさんを配置するのは無理ですものね。

横浜の官公庁が並ぶ中心街も計画停電から外れるのも分ります。
でも、同じ町内で差が出るなんて
私、その事を知ったとき一瞬血圧が上がったかも・・・

「こんな事に不満を持つ私はナント心の狭い人間だろう。被災者のことを考えれば我慢!」
と思いながらも、
親しい仕事仲間に冗談半分で「どうせ我が家は田舎よ。過疎地よ」とひがんだら
「私たちも協力するつもりではいたのよ。それなのに何故か停電地域から外れているのよ」と・・・
皆さん好い人たちですわ。

主人には「俺達の住む地域は純粋な住宅地なんだと思え。こういう経験もイザと言う時必ず役立つ」
と言われました。

夜の停電で暗さや寒さに耐えかねている方がいらっしゃいましたら、
近くの電気も点いて暖房も入っている「公的施設」を探してみてください。

横浜市の場合、市内80箇所以上ある「地区センター」や「コミュニティーハウス」には、
図書室やキッズルーム、体育室もありますよ。
朝九時から夜の九時まで開館しています。

古い「防災グッズ」が・・・1990年代の日付のカンズメや水が出てきましたよ~

昨日は雨の降る中、朝の9時半から12時半まで停電でした。
動いていた方が寒くないので、暮れの大掃除時も手をつけなかった台所の棚の天袋を整理しました。
ここには古い「防災グッズ」をしまい込んでいた事は頭にありましたが・・・

この乾パンは賞味期限が書かれていなくて、中味も全然痛んではいません。
何年くらい持つのしょうか?
主人は砕いて「鳥さん用」に庭木のエサ台に盛りました。

これらは全部処分して新しく取り揃える事にします。
自治会は「防災用に三日分の食料を自宅で用意しておく事」と言いますが、
どうも今回の大震災を見ると、最低一週間分は必要のようですね。


ランの花が一輪、咲き出しました。
友人から株分けしてもらった鉢のランでしょうか?、初めて見る色のお花です。

今一番の不安は「東電・福島原発」です。
我々もその恩恵を受けているのですが、TVの前にどっかり陣取って、
東電やお上の対応に怒りまくっている夫の口調を聞いているだけで、
私の血圧が上がりそうです

彼もアドレナリンが噴出してヒステリー状態なのでしょう。


ハクモクレンも満開になりました。
サクラの開花も聞かれます

私はそろそろ普通の生活に戻ろうと思います。

物の買占めや、放射能の風評被害も、集団ヒステリー現象かもしれませんね。
かといって日本人全部が喪に服したように沈んでいては、経済も落ち込む一方です。

TVのコマーシャルも自粛ムードで、広告機構の同じものばかりが流れていて・・・
民放もさぞかし赤字となることでしょう。
こんな時期に派手な事は慎むべきと、イベントも次々に中止となってしまいました。

浅草も閑古鳥が鳴いているとTVで訴えていました。
観光業界の方々のタメ息も聞こえてきそうです。

日本の経済が更に落ち込めば、税収も落ち込み、被災地の復興にも影響を及ぼしかねません。


被災地もまだまだ大変ながらも、ガソリンがようやく行き渡りそうな気配ですね。
復興の槌音が聞こえてくるのももうすぐと期待しています。

大きな不安は「福島原発」ですが、専門の技術者だった主人の仕事仲間からメールが届き
少し納得しました。
「原子炉の建設及びメンテナンスをしてきた○芝・○立・鹿○建設などの技術者も現地に大勢駆けつけ
昼夜なく対策実行に苦闘しています」
「彼らが現場をもっとも熟知している人々なのです」
「命がけの作業をする方々には本当に頭が下がる思いです」と・・

私もお上には不信感を抱いていますが、日本の消防レスキュー隊と民間の技術集団
信じていますよ。

凄まじい大震災の爪あとに心を痛め、日々の生活にアタフタしている間に
はやって来たようです。
まずは近くの自然公園の散策から始めようと思います。




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計画停電

2011年03月17日 | 日常の日記
「福島原発」の緊急事態による「計画停電」も最初は混乱し、準備をしていたのに肩透かしをくったりで
「やるならちゃんと時間通りにやってほしいわ」などとほざいたりしていましたが・・・
昨日16日からいよいよ本格化してきて「よっしゃ~と気合を入れています。
(16日は孫のハー君の卒園式でしたが、最後のお別れをしている時に突然電気が消えました)

被災地で、家族や友人を亡くした方々が、首都圏の「帰宅難民」や「計画停電」のニュースを見たら
「あんたら煩く騒ぎすぎ」と非難されそうですが・・・
未曾有の大災害に「義援金」を送るくらいしかできないもどかしさの中
せめて「計画停電」くらいは快く協力しようと思っているわけです。

グループ1の我が家は、今日は午前9時半からと午後5時からの2回、計6時間が実施されました。
前回に記しましたが、11日の地震当日の夜、いつまで続くか分らない中の「停電」を経験しましたから
時間限定の「計画停電」は軽い軽いそんな気持ちでしたが・・・

でも流石に一日2回、計6時間の停電となると、電気の点いている間に諸々の所用をこなし
更にIHコンロの我が家は食事の準備も終えておかなくてはなりません。
今日は母の入院している病院に行く予定が飛びました

何しろ戸塚区の「原宿交差点」から病院のある藤沢までは渋滞で有名な国道一号線のルート
ここで信号が点かなかったら大渋滞が考えられます。
考えただけも恐ろしくてビビリます


昼間の停電中は、日頃なかなか手が廻らない押入れ整理や、静かに読書に親しんだりで、
これもまた好いのではないのかと思ったりしています

今までの文明の利器「電気」にドップリと浸かった生活・・・
天からの警告で、それらを改めて見直す機会を与えられたのかもしれません。

真夜中にこうこうと灯かりが輝いている「不夜城」のような都会の街は、やはり異常だと思います。


ガソリン不足の折から主人の遠出の仕事は全部先延ばしとなりました。
もっぱら家庭菜園の畑作業です。

停電の今夜は、畑で採れた野菜に冷蔵庫の賞味期限の切れる肉類を入れた「鍋」です。
そして電気が切れれば「寝る」
お腹一杯食べられて、暖かい布団があるだけでも恵まれています。

しばらくは「晴耕雨読」というか、「明動暗眠」ですね。

(3月16日・撮影)
今までは自分の部屋でそれぞれ別々のことをしている時間が多かった我等夫婦ですが
暖房の節減と大型TVでの地震情報をリビングで一緒に見る時間が増えました。

以前も紹介しましたが、収集癖のある我が家の夫、
電池は通常から引き出しの中にタップリとストックしています。

「俺が電池をまとめて買ってくるとお前いつも文句言っていたけど、こういう時は助かるだろう。」
「ホカロンだって冬の初めに箱ごと買って正解だった。日頃から買い揃えておくのが大事」
「ハイ!殿のおっしゃるとおり!、30年もかけて備蓄している電池が初めて緊急時に役に立ちましたわ」
(今まで液ダレして、使い物にならなくなった電池も多いけど・・・)

そう・・・
震災の日に緊急食料を購入した私(その日はまだタップリと品物はありました)、
三日間をそれでしのいで日曜日の夕方に買い物に行ったら、
スーパーの棚に物が無い
まるで石油ショック時の「トイレットペーパー騒動」とソックリ
(実際トイレットペーパーも品切れです)

私はたくさんあった小麦粉を一袋買いましたよ。
これでお好み焼きやスイトンを作ればいいわ。
60代の我等夫婦、ストックしてあるものを食べてしのげればそれでいい・・・

ところがお嫁ちゃんから「家にお米がもう無い」と聞かされて慌てました
孫のために私も「お米」を求めてスーパーとお米屋さんのハシゴをしましたよ。
でも無い

ふと我が家近くの「八百屋」さんがお米を扱っていたことを思い出し、覗いてみるとあった
我が家用と息子宅用の2袋買いました。
地元の商店は日頃から大事にしないといけませんね。

ニュースでも話題になっいる「買いだめ行為」も、不安感の連鎖反応でしょうが
「物はちゃんとあります」と政府が言えば言うほど「ホントかいな?」と、お上への不信が大きいのでは?

昨日の16日、停電が終った後にスーパーに行ったら、計画停電初日の大混雑が信じられない静けさで
物もそれなりに揃っていました。
まずは慌てずに落着きましょう。

(3月16日・撮影)
緊急事態に陥っている「福島原発」も今後どうなるか分らない状態で、不安だらけの日本ですが
避難所の被災された方々が協力し合って頑張っている様子は、
「マナーの良い日本人」として海外メディアからも称賛されているようです。
物の取り合いがなく整然と並ぶ姿に驚異の目が向けられているそうです。

被害地にコソ泥はいても、奪略騒ぎや物価の大高騰がないこと
計画停電の地域に強盗団が出没しないこと事態がアメリカでは信じられないとか・・・

義援金サギが出没しているニュースは残念ですが、
日本人として誇りを持ってこの災難を乗り切らなければなりません。

まだまだ黒い雲に覆われたような心境に陥っていますが
雲の間からは青空も垣間見えます。
あの敗戦の焼け野原から立ち上がった親たち世代を見習って、復興に希望を持ちましょう。

それには強力なリーダーが必要ですが、今の日本にいるのでしょうか?
エエッ~枝野さん
彼は震災以来80時間寝ていないそうです。

頑張れニッポン
頑張れ枝野官房長官



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あの時、あなたはどこにいましたか?

2011年03月12日 | 日常の日記
東北・太平洋沖地震の被害に遭われた皆さまには心からお見舞いを申しあげます。

時間がたつにしたがって明らかになる、津波被害の凄まじさは目を被うばかりで
壊滅的なまでに町を破壊尽くした「ツナミ」の恐ろしさに声も出ません。

マグニチュード8.89.0、日本の観測史上最大の巨大地震に巻き込まれ、なす術も無い人間の無力さ・・・
「心からお見舞いを申しあげます」という言葉すら空しく感じてしまいます。

そして今度は「福島原発」の緊急事態宣言
我が家の夫は常々「地震国日本に原発は危険過ぎると言い続けていました。
恐れていた事が現実となり愕然としています。

「あの時、あなたはどこにいましたか?」
横浜も震度5強を観測したようです。
あの時私は、父のいる特養ホームに行っていました。

父とお喋りをして「そろそろお三時ね」と、スタッフさんの配るオシボリを受け取った時にガタガタと来ました。
ひやぁぁぁ~
電気が直ぐに消えて、薄暗い中、父の肩を抱いてオロオロするだけでした。

鉄筋コンクリート三階建ての建物ですからつぶれる事は無いだろうと思いましたが
今まで経験したことが無いような激しくて長い揺れに、
裏の鎌倉に通じる山が崩れたらどうしようと、それだけが心配で胸がドキドキしていました。

福島県南相馬市の「老人ホーム」が倒壊し、80人もの死者が出たニュースには
他人事とは思えない痛みを感じています


父の施設から車を運転して帰ってきましたが、停電の為信号が消えた鎌倉街道が怖かった

たまたま家にいた主人は、激しい揺れの中、台所の食器棚の扉を必至で押さえていたそうです。

その夜は八時過ぎまで我が家や息子宅のある地域は停電が続きました。
もっぱら活躍したのが山用のヘッドランプとトランジスター・ラジオです。

暖房器具も一切使えず、家の中でもダウンジャケットを着ていました。

着の身着のままで逃げた被災地の方々の寒さは
如何ばかりかと、胸が痛みました。



防災グッズを取り出して、ホカロンで我慢です。
右の箱は「簡易トイレ」ですが、幸い我が家は「断水」はしませんでした。
お隣の区に住んでいる知り合いは「電気・ガス・水道」すべてが止まったそうですが・・・

この日、私は夕方からのシフトで仕事が入っていました。

電話が全く通じません
信号が点かない中、おそるおそる車で10分の仕事場に行ってみました。

ナント!我住宅地の隣街は電気も信号も点いていて、普段通りの風景でした。
電気が点くか、点かないかで街の風景が全然違う・・・
そして職場で見たTVの画面に言葉を失いました

「地区センター」は余震のため、急遽6時で閉館(通常は9時まで)
駅前のデパートやショッピングセンターも、エレベーターが動かず早々に閉店。
私は開いていたスーパーで緊急食料を購入し、息子宅にも届けました。


夕食は電気が通じない冷蔵庫の中味整理のために、カセットコンロで野菜やお肉を温めました。
これで暖もとれて一石二鳥・・・
ヘッドランプとロウソクの明かりの中で食事をしました。
温かいものが食べられただけでも、私たちは恵まれていましたね。

主人が最初に駆けつけた時お嫁ちゃんと孫達は車の中で暖をとり、TVを見ていたとか。
地震時、3人とも家にいたそうで、怪我もなく元気で良かった良かった

息子は新横浜駅近くの営業所から、会社の車に乗り合いで夜中の2時過ぎに帰宅したとか・・・
ニュースによると「横浜駅」は6万人の帰宅困難者が一晩を明かしたそうです


実は我が家、先月に老後対策の一つとして台所のコンロをIHに替えたばかりなのです。
電気が点かないと全く使えません


鍋類も古い物は殆んど捨てて、夫婦2人用に小さなセットを買ったばかりです。

もし水道が止まって給水車のお世話になることになったら、水を入れる容器が無い事に気がつきました

去年の秋に参加した自治会の防災訓練で、自治会長から
「避難所は怪我人が優先です」
「大震災に見舞われ時は、保存食などで三日間は自宅で生き延びてください。」
「三日目になれば公からの炊き出しや給水車が準備できます」

と言われたことを思い出しました。

もう一度「防災グッズ」の総点検が必要と痛感した次第です。

今回の地震の被災地の一日も早い復興を願っていますが
想像を絶する被害の大きさに、その言葉すら空しく響いて打ちのめされる思いです。

こんな中でのブログのUPも迷いましたが、昔から交流のある新潟や山口、札幌時代の友人達に、
両親も含めて我が家は皆元気でおりますとの伝言かわりに記しました。

新潟・北信地方も震度6の地震が起きました。
日本はこれからどうなってしまうのでしょうか・・・?

3月13日夜・追記
今TVで発表されましたが、明日14日から早速「計画停電」が実施されるようです。
東京23区を除いた東京電力のエリアは一日3時間、4月末まで毎日停電となるのです。

被災地の皆さまを思えばこれ位は我慢するしかないですね。
私たちも積極的に節電に励まなくてはなりません。
停電時、信号が点かないのが少し心配ですが・・・




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皆で祝った「誕生会」

2011年03月09日 | 

我が家の孫娘がこの3月で三歳になりました。

春風の吹いた先日の日曜日、両方のじぃ~じとばぁ~ばも息子宅に集まって
皆で菜々ちゃんのお誕生日と、合わせて桃のお節句のお祝いをしました

ばぁ~ばが「センターまつり」で使った風船をたくさんもらってきたので
オトータンとオカ~タンが綺麗に飾ってくれました。

個人情報保護法などのコンプライアンスがかしましく叫ばれている昨今、
我が家も「孫ネタ」は慎重であらねばと心していますが、このシリーズは毎年UPしておりますので
孫娘の成長記録と思って記すことに致します。



オカ~タンが風邪をひいてダウン気味なので、ベィエリアにあるアメリカンスーパー「コストコ」で
パーティー食を取り揃えたそうです。
お寿司もあるけど、こうして並べると見事!アメリカンスタイルの「誕生会」となりました。

まずは「シャンパン」で乾杯しましたが
主役の菜々ちゃんはあの詮を抜く時の「パ~ン!」という音が怖くて、部屋の外に逃げました。


バースデーケーキはアニメ漫画「スィート・プリキュア♪」の主人公のお顔が描かれています

ケーキ屋さんに見本を持って行くと、プラス400円で好きなアニメの絵が頼めるらしい・・・
ちなみにお兄ちゃんの時は「仮面ライダーケーキ」でした。

去年と同じように、今回も3本のロウソクのふぅ~ふぅ~はにぃにぃに手伝ってもらいました。

ワタチの名前が書いてあるチョコだけ先にゲット!オトウタン、早く切ってよ・・・

菜々ちゃんは生クリームが大好き、待ちきれません。


誕生プレゼントは、スカ(横須賀)じぃ~じとばぁ~ばからは、うさちゃんのドールハウスグッズ。
そしてハマ(横浜)じぃ~じとばぁ~ばからはスィートプリキュアグッズです。

この冬は、にぃにぃの入学や卒園行事がたくさんあり、
菜々ちゃんは近くに住むハマばぁ~ば(私)と、たくさん遊んでお留守番をしましたね。
そのたびに「スィート・プリキュア」のDVDを一緒に見て、ハマばぁ~ばもすっかり覚えましたよ。

いやぁぁ~、ワタクシ「女の子の世界」は知らなかっただけにオドロキでいっぱいですわ


「プリキュア」のアニメを見るとき、菜々ちゃんはこのお姫様ドレスを着て見ていました。

今年、幼稚園に入るので入園式用の式服を買いに行った時に見つけて、どうしても欲しいと・・・
しばらくは日々お姫様になりきっていたようです。

ところが、今日は主役だから「着てちょうだい」と頼むと「イヤ」との返事
最近少し反抗期でしょうか?


昨年末の「クリスマスプレゼント」の希望もこのお姫様グッズ
女の子を育てた事が無い私にとって、この華やかさは眩しいものでした

にぃにぃはもっぱらオトータンと同じ自動車遊びでしたが・・・
逆に女の子しか育てた事が無いスカばぁ~ばは
「何が面白くて同じような自動車ばかりを並べているのか理解できなかった」と・・・

2人の孫を見る度に感じますが、男の子と女の子は生まれながらに違うのですね。


にぃにぃはこの春小学校に入学です。私も幼稚園入園よ・・・

5月生まれで、クラスで一番背が高いお兄ちゃんのランドセル姿は、全然違和感がありませんね。
来週は卒園式、4月に入ったら入学式と入園式が続きます。


お祝い金とお祝い会でバ~バのヘソクリも吹き飛びますが、
まずは2人とも、ここまで元気に成長したことの喜びの気持ちが大きいですね。

3月生まれの菜々ちゃんの幼稚園入園は、最初は何かとハンディがあるかとは思いますが、
お兄ちゃんに鍛えられているから大丈夫と、ハマばぁ~ばは楽観していますよ。


こちらが菜々ちゃんの初節句の時に、横須賀のじぃ~じとばぁ~ばから贈られたお雛様です。

「どうか孫娘の健康と健やかな成長を見守ってください」と、今年もお願いをしました。

     

実は冬生まれの私たち夫婦も、揃って誕生日を迎えてそれぞれ一つづつ歳をとりました。
息子夫婦から私たち二人に贈られた「誕生日プレゼント」がこれ


デジタル・フォトフレームです。
チップを入れて、気軽に画像を楽しんでいますよ。ありがとう

この歳になると「誕生日」もガックリくるだけで、さして嬉しくはありませんが・・・
今回は節目の年となり、年金のことで社会保険事務所に手続きに行きました。

私は20歳で学校を卒業してから数年間OLをしていましたから、今で言えば2号
その後結婚して専業主婦になり、27歳で国民年金に任意加入・・・
月々真面目に払っていましたよ。

40歳の時に、サラリーマンの主婦は全員が夫の年金と一緒に組み込まれて3号になりました。

そして53歳で夫の脱サラにより1号の被保険者に・・・
そのつど区役所で切り替え手続きをし、更に2時間待ちの社会保険事務所に出向いて
確認作業もしました。
これだけ足を運んでも、結婚してからの未納期間が数年ありますから、全額支給ではありません

夫が仕事を独立したての頃はそれなりに大変でしたが、夫婦して1号の被保険者ということで、
毎月二人分3万円ちょっとの年金振込みを60歳までちゃんと続けましたよ。

今国会で問題になっていますね。

脱サラした夫を持つ主婦で、知らずに1号への切り替え手続きをしておらず、
国民年金を払っていない人が日本全国に100万人いる
って

その人たちを救済するために「2年分をさかのぼって払えば全額支給される」と、
厚労省の課長通達で実施されているとか・・・

これでは真面目に払ってきた人にとっては「不公平でないか」」
国会でカンカンガクガク(まさに今もやっています)・・・

確かに政府なり社会保険庁の情報伝達が不十分だったという事は否めませんが、
主婦も普通に生活していれば目からも耳からも情報は得られました。

色々な事情があって払えない人には、免除の救済手続きも出来るのです。
そういう人たちは、受け取り額はその分少なくなりますが、未納期間とはなりません。
(だいたい25年間支払わなくては年金の受給資格がないというのも変な制度ですが)

それなのに「知らなかった」で救われ、2年分払えば全額給付とは
「日本は正直者が損をする不公平社会」のようです

私は度量の狭い人間なので、3号から1号へキチンと切り替えたものとしては今回の処置は納得できません。
私は僅か7年間でしたが、たとえば30歳の時に夫が脱サラして、以後30年間真面目に年金を払った人は
更に頭が煮えくり返っているのでは

30年分を実際に計算すると約360万円となるそうです。
知らずに手続きしなかった人が2年分の36万円を支払えば同額がもらえるのが、
今回問題になっているシステムです。

無年金は防がねばなりませんので救済策は必要ですが、受給額に差がないというのは絶対におかしいです。
ちゃんと足を運んで「免除」の手続きをした人の方が、もし受給額が少ないとしたら由々しき事です。

この問題は役人が煩雑な仕事を避けてきたのが原因としか思えませんね。

収入制限の無い「子供手当て」に関しても一言言いたいですが、長くなるのでやめておきます。
財源が無いといいながら選挙目当ての「ばら撒き」は、いい加減にしてもらいたいです。

誕生日を迎えてもう一つ「免許証」の切り替えで警察署に通いました。
今まではゴールドカードでしたが、昨年「一時停止違反」をしてしまいゴールドはパァ~
でも罪が軽かったので、5年間有効の一般免許証となりました。

あ~ぁ、夫婦してゴールド免許でなくなったので、
今年の自動車保険は割引が利かず高くなりそうですわ




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エジプト紀行18・ルクソール「王家の谷」

2011年03月05日 | エジプト紀行
3月4日・冬に逆戻り・・・

「雛祭り寒波」がやって来たそうで、今週は冬に逆戻りしたような日々が続きました。
4日にようやく青空が広がりましたが、三月とは思えない寒さ

この日は我が家の2Fから富士山がクッキリと見えていたので、
朝の家事の後、歩いて5分の裏の高台に登ってみました。

ここからは富士山が若干中学校の校舎に邪魔されますが、右手に丹沢が良く見えるのです。


左端の「大山」の右奥に、雪に輝く丹沢主脈のトレイルが連なっていました。
三脚を立てて、300mmのレンズを取り付けました

ここで写し終えてから、我住宅地の南端にある富士山の絶景ポイントの公園に移動しましたが
10時を過ぎて雲が沸きだしてしまい、残念ながら写した画像は没となりました。

公園でゲートボールをしてたオジさんに
「今朝の富士山は素晴らしかったよ。もう1時間早く来なくては・・・」
と言われてしまいました。

3月5日・何となく春の気配が・・・

そして今日、掃除は後回しにして朝8時半過ぎに我が家を飛び出し
車で「南公園」に行って見ましたが・・・
富士山が何となくボンヤリと霞んでいます


雪がスッキリと白くないのです。
風は相変らず冷たいものの、空の色も春めいています。
この微妙な違いが分りますかしら?

黄砂現象? スギ花粉?
クシャミが連続して出て、目がピリピリと痒い・・・
(この歳で目の周りがかぶれると、ダメージが大きいのですがね~

私、最近まで「花粉症」はありませんでしたが、
3年前の3月、パースから帰ってきた時、生まれて初めてアレルギー性鼻炎に罹りました


ご近所のお宅の「ミモザ」が花盛り

このお花はオーストラリアの国花「ワトル(アカシア)」にソックリです。
それもそのはず、同属のお花のようですね。

パースの春はこのお花とともにやって来ます

9月になると、野原にはワイルドフラワーが咲き乱れ、道路は黄色いアカシアのトンネルができます。

私もワイルドフラワーに憧れて、春の9月に一度パースに行った事がありますが・・・
再び行くとしたら、是非春のお花が咲き乱れる季節に訪れたいですね。

パースでもし花粉症が出るとすれば、この「ワトル(アカシア)が原因」と聞きました。

それぞれの国に、それぞれの「春を感じる風景」がありますが・・・
「砂の国」エジプトの春はどんな状況なのでしょうか?


       

前置きが長くなり申し訳ございません
これからが本題のエジプト紀行です。


私達一行は「ハトシェプスト女王葬祭殿」を見学してから、
この岩山の反対側にある「王家の谷」に向いました。


近辺には盗掘村として有名な村があります。

現在はアラバスターを加工して土産物を売る生活をしている人が多いのですが、
紀元前の昔から、住民の殆どが王墓からの盗品を売って生計を立てていたそうです。

盗掘も一つの職業で、家業として代々受け継がれたそうな
私たちは「王家の谷」に行く前に、この村のお土産屋さんに寄りました。


この村の家々の外壁には多くのが描かれています。

モモちゃんの説明では、旅行で行った先の風景や乗った乗り物などの絵が多いそうですが
奥さんや子供たちの絵もあり、その人数が一目瞭然・・・
この家は、3人の奥さんに5人の子供


アスワンの村は第一夫人と第二婦人は一階と二階に分かれていましたが
ここでは皆一緒に暮らしていて、奥さん同士は平等に扱われるのだそうです。

助け合いの精神が第一のイスラームの世界ですが
やはりこの家族関係は理解できない部分が多いですわ

アラバスターの石の説明を受けます。店内の商品はそれなりにお高いです!

アラバスターは柔らかな石で、光を透過する独特の質感を持っています。
磨くと非常に美しいため、古くから採掘され、様々な装飾品や美術品が作られ、人々に愛されてきました。

「王家の谷」
この地区はすべてカメラ撮影は禁止でした 
カメラは必ずバスの中に置いて行くよう指示されました。守らなければ罰金2万円だそうです
以下の画像はガイドブックよりお借りしました。


紀元前1500年頃にトトメス1世が、このピラミッド型山裾の谷に初めて岩窟墓を建設。
現在62基の王募が確認されていますが、盗掘を免れたのはツタンカーメン墓だけのようです。


私たちは「ツタンカーメン王」「トトメス3世」「ラムセス6世」の三つのお墓を見学したと記憶しています。


下降通路から前室、そして棺のある玄室という構造が一般的で
壁面には再生復活を果たすための宗教文書と絵が施されています。

3500年以上も前の絵とは思えない・・・鮮やか色彩に驚かされます

それに引き換え、ツタンカーメンの墓の内部はかなり貧弱で狭くて装飾もわずかです。

少年王ツタンカーメンはたいした業績もなく、後世のファラオにより彼の記録は徐々に消されていきました。
王家の谷のどこに埋葬されたかという記録も残りませんでした。

埋葬記録のないツタンカーメンの墓の上に別のファラオが墓を作りました。
ラムセス6世です。

死後の復活を信じていたラムセス6世の大きな墓は荒らされ、副葬品は永遠に失われましたが、
その下にひっそりと眠る少年王の墓は3000年以上も人前にさらされることはありませんでした。

黄金のマスクや装飾品の数々はカイロの「エジプト考古学博物館」に納められていますが
そのミイラは現在も自分の墓で眠り続けています。

玄室には石の棺があり、その中には人型棺、その中にツタンカーメンのミイラが眠っており
この様子は薄暗い中、ガラス越しに見ることが出来ました。

尚、ツタンカーメン王の埋蔵品の中には王妃が愛情の印しとしてたむけたであろう
野の花の花束があったそうです。

テーベ(ルクソール)には季節を感じる可憐なお花が、昔から咲いていたのですね。


「王家の谷」の見学を終わり、バスでナイル川の船着き場に向う途中に「早稲田ハウス」がありました。
エジプト政府から貸与されているそうですが、立派な建物ですね~

吉村作治先生が在宅の時には屋根の上に旗が揚がっているそうです。
この日は不在のようでした。

ナイル川

西岸観光のあとはモーターボートでルクソール東岸に渡ります。


お昼を過ぎて、ますます直射日光も強烈になってきましたが、ナイルを渡る風は爽やかでした。

東岸の船着き場横のレストランで昼食タイムです。

前日の夜と殆んど同じ「ケバブ料理」・・・デザートのアイスクリームも甘すぎるぅ-

欧米の団体ツァーはビュッフェ料理を食べていましたが、我々はいつもの炒めご飯にお肉・・・
流石に毎度同じようなお料理に食傷気味です。


食事の後は一度ホテルに戻ります。

ナイル川の向う側に、見てきた王家の谷のある山々がボンヤリと見えていました。

王家の谷の近くに「王妃の谷」もあって、
ラムセス二世の寵愛を受けたネフェルタリの墓もあるらしい・・・

壁面を飾る絵画が素晴らしいと聞いています。
今回、これを見なかったことが唯一悔やまれました。

エジプトの3~4月は砂嵐が多いそうです。
この地の春は「砂」と共にやってくるようですね




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お祭り♪

2011年03月01日 | 日常の日記

ようやく「シンピジューム」が満開となり、リビングの窓辺は春色に包まれていますが
弥生3月のスタートは冷たい雨となりました。


三月三日は雛祭りですね。

こちらの古ぼけた「お雛様」は私が生まれたときに、母方の祖父母が買ってくれたものです。
私は戦後まもない、物が無い時代の生まれですから、
初節句の時は、このお内裏様と三人官女とお道具の三段だけだったようです。

その後両親が五人囃子など一段づつ買い揃えてくれて、小学校に入るまでに6段全部が揃いました


今回、15年ぶりくらいに押入れの奥から出して飾りました。

「断捨離」を決行するにあたり、最後のつもりで飾った次第ですが・・・
ただゴミに出すのも忍びなく、さりとて今は「分別収集」がうるさくて神社も引き取ってくれません。

施設に寄付するにはヨレヨレすぎて気が引けます。
一体どうしたら良いのでしょうか

どこか「人形供養」をしてくれるところがあったら、教えて下さ~い

地域の「お祭り」

穏かな好天に恵まれた週末に地元の「地区センター祭り」が開催されました

何だかんだで、私が7年間も関わっている公的施設の職場です。


早速町内会のボランティアさんたちによる「お餅付き」が始まりました。


その横では、館長の案で今年から始めた「子供電車」が大人気

ロビーには「模擬店」がたくさん出て、人で溢れていました。


そして2Fの会議室は「レストラン」に早変わりです。

ポスター作りや飾りつけ、テーブルセッティングはすべて私たちスタッフがやりました。
仲間たちもそれぞれに優秀な才能を発揮してくれて、素晴らしい限りです

一杯50円のコーヒーを売るのは我仲間たちです。カレー・餃子・とん汁を作る「男の料理教室」の皆さん
お茶室では茶道グループのお点前が・・・どの方々も溌剌としています。

一方「体育館」では、この地区センターでサークル活動している皆様の
作品展が開催されています。


フォトクラブもあるようですね。
私もこの春、カメラの勉強をしてみようかと迷っています。
今度ユックリ代表者にお話しを聞きましょう。

母が危うい状態となった昨年末、
一月でこの公共施設の仕事を辞める旨館長に申し出たら
「三月いっぱいで何人かの交代があるから、naoさんもそれまで在籍していて欲しい」
「都合が悪い時はいつでも休んでかまわないから・・・」と請われました。

そう言われると人に迷惑かけたくないから、つい頑張ってしまっている私
流石にヘロヘロです。

もう10年以上続いている油絵サークルの絵画こちらも古い「木彫りの会」の作品です。
パッチワークの他にもハワイアンキルトが・・・「押し花教室」は体験も出来ました。

そして「体育館」の残り半分は舞台会場です。
今回はプロの方々が二組出場しました。


まず1日目の土曜日は、地元で生まれ育った方の「ソプラノコンサート」
さすがプロ、凄い声量、素晴らしい歌声でした


花束もたくさん贈られて、ちゃんとした音楽会場と何ら変わらない風景です。

舞台の音響も司会進行もすべて我々スタッフがやりました。
私は去年同様この「舞台係り」

マイクの準備に幕の上げ下げ、出演者に照明をあてて、カメラ撮影も担当、
テレビ局のADさん並に走り回りましたよ。


2日目の舞台のスタートはシニアの「ハンドベル&合唱」
母と同じ80代の方もいるそうですが、皆さん本当にお元気

幾つになっても家にこもらず、仲間と楽しむことが元気の秘訣のように思います。


地元のTV局の取材も入っていました。
アラ、我々スタッフと同じ色のジャンパーですわ

艶やかなフラダンスが目を楽しませてくれます踊る奥様に合わせてご主人がマラカスを・・・
シットリと踊る新日本舞踊♪こちらは「安来節保存会」の皆様



最後はヤングママと子供達の賑やかなフラダンスでフィナーレ
圧倒される思いでした。

この歳になったら、裏方ではなく「作品」を発表し「舞台の上」に立つ人でなくては・・・
と今年も感じ入りましたよ。


そして午後からの舞台は、この街で育った「落語家」さんの寄席
もう10年以上も続いています。


彼も出世したのでしょうか?
今回は弟弟子を連れてきて、最後は二人で「皿踊り」を見せてくれました。

そろそろ「真打」

地元の子たちが順調に世の中に船出して行く姿を見るのは嬉しいことですが
くれぐれも慢心せずに、練習に励んでください。

こうして2日間の地域の文化祭のようなお祭りは終りました。

連日8時間勤務、それもぶっ続けの立ち仕事に腰が痛くなり
昨日はミゾレ混じりの雨の中、鎌倉の日帰り温泉に行き、マッサージも受けましたよ。

左側の腰から股関節、膝まで痛い
毎日10時間歩いた、二泊三日の北アルプス縦走の時と同じ痛さが出ました
やはり無理がきかない歳になりましたね。



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