花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

北鎌倉でブログ仲間と「新年会」

2014年02月28日 | 鎌倉散策
いろいろあった2月も今日で終わりです。
今週は暖かい日和が続いて雪融けも進み、「梅」がいっせいに咲きだしました。


今年のブログ仲間との「新年会」は、ちょっと遅くなりましたが
2月26日(水)梅の香り豊かな北鎌倉で催しました。

この2月、私は2度の食事会が大雪のために流れましたが
果たして2月最後の「新年会」は三度目の正直となるでしょうか

北鎌倉「円覚寺」
流石にブログ仲間の皆さまの、日頃の行いが良いと見えて
当日はサイコーのお天気に恵まれました


遠路はるばるやって来たラッシーママさんだんだんさん銀河さん
まずは北鎌倉駅前の円覚寺散策です。

梅がもう7~8分の咲き具合になっていました


私にとっての円覚寺は、何かにつけて心癒しに来るところ・・・

前回の雪の日もやってきましたが、あの時は雪に埋もれていた方丈の庭も
今回は池の水もぬるみ、木々や建物を映していました。
まだ片隅には雪が残っていますね。


カワセミやサギが見られる「妙香池」も、早春の陽に照らされていました。


円覚寺と言えば、歴史の教科書にも載っている「舎利殿」が有名です。
この「舎利殿」は、鎌倉で唯一の国宝建造物。

三代将軍源実朝が宋の能仁寺より請来した
釈迦の歯(仏舎利)を納めていることから「舎利殿」というそうです。

室町時代中期(15世紀)頃の建築物と推定され
日本最古の唐様(禅宗様)建築物です。

今回はこの「舎利殿」を見て戻りましたが
その奥には開祖北条時宗の廟「仏日庵」があります(拝観料は別途)

(下見に来た24日、写す)

鎌倉五山第二位の円覚寺は、鎌倉幕府八代執権・北条時宗が
弘安五年(1282)に創建した臨済宗・円覚寺派総本山です。


文永・弘安の役で蒙古の大軍を撃破した時宗は、両軍戦死者の菩提を弔い
己の精神的支柱となった禅宗を広めたいと願い、
その師祖元を開祖に円覚寺を建立しました。


円覚寺には他にも国宝があります。

円覚寺仏殿の東側の急な階段を上っていくと
洪鐘(おおがね)のかかる鐘楼があります。

高さ259.4cm、口径142cmもある鎌倉一大きなものです。


今回は膝を痛めている仲間もいて登りませんでしたが
隣には弁天堂があり、その横の茶店では景色を見ながら
お茶や甘味をいただくことができます。

24日には新年会のあとに行く予定の「東慶寺」が良く見えていました。

北鎌倉茶寮「幻董庵」で新年会
北鎌倉駅に戻り、勘違いで遅れた夢路さんも合流し
歩いて10分の住宅地の中にある隠れ家的な和風懐石のお店で
遅まきながらの新年会です。

(だんだんさんのカメラで撮った画像を使わせていただきました)

いつもたくさんの刺激をいただいているブログ仲間達です。

女性好みの器に盛られたお料理がゆっくりと運ばれてきます。

最初にビールで乾杯しましたが呑み助2人(誰と誰?)は別途ワインも


撮り忘れたメニューもありますが・・・
このお店は『ミシュランガイド東京・横浜・湘南2014』で、
3年連続で一つ星を獲得したそうです。

今回の〆はあさりご飯と赤だし
デザートはアズキでした。


ブログ仲間って、日常生活ではそんなにかかわっていないのに
お互いの考え方や境遇は分かり過ぎるくらいに知っている・・・
この関係は、何故かとても不思議です

梅の名所「東慶寺」
食事のあとは縁きり寺で有名な「東慶寺」に行きました。


前回1月16日にカメラ仲間のSさんと来た時は
ロウバイと10月桜が咲いていましたがこちらです。

今回は梅が咲き出していました。


紅梅、白梅、枝垂れ梅が約120本咲く北鎌倉随一の梅の名所
参道の両脇が紅白の梅で埋め尽くされ、満開時には梅のトンネルとなるらしい


北条時宗夫人だった覚山尼が時宗の没した翌年1285年に出家し開創。

女性から離婚を請求できなかった時代に、ここで修行することで
離縁できる権利を得る縁切寺法をつくったそうです。


明治時代まで離縁を求める女性たちが訪れ
「縁切り寺」または「駆け込み寺」とも呼ばれていました。


今でも尼寺の風情を残す美しい禅寺です。

花の寺としても有名で、5月に本堂の裏の崖一面に咲く「イワガラミ」や
後醍醐天皇の皇女の墓の周辺の崖に咲く「イワタバコ」が圧巻です。

この日も梅の他にマンサクやボケの花、
そしてミツマタも咲き出していました。


このお寺はOL時代に勤めていた会社と縁があり
私は娘時代から良く通いました。


尼寺にふさわしい奥様たち・・・
鎌倉には着物姿が特に似合いますね。


いつもステキに着物を着こなしている銀河さんに、
最後に寄った甘味処のお庭に立ってもらいました。

そして我々だけの貸しきり状態の店内で、クリームあんみつや
ぜんざいを食べながら、今の私の揺れる心情を皆さまに吐露しました。

4ヶ月にわたる父の終末医療での心労が溜まって、
最後は今の医療システムへの愚痴になりました。

新年会には相応しくないお話しでご迷惑でしたでしょうが、
聞いていただきありがとうございます

お陰様で良い気分転換となりました。

明日からは弥生3月「春」ですね
私も心機一転前を向いて、元気に活動したいと思います。





コメント (28)
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人生の終末・・・

2014年02月23日 | 私の呟き
日に日に太陽の光が眩しく感じられるようになりましたが
まだまだ雪が残り、風が冷たくて寒さが堪えます。


そんな中、出窓に置いた「君子蘭」の葉の間から
オレンジ色の花が顔を覗かせました


末期の肺ガンで急死した義兄の葬儀の日は
最初の予報では雪マークが付いていて、一体どうなることかと心配しましたが

20日のお通夜は底冷えのする寒い日でしたが、
移動のある翌日の告別式は穏やかなお天気に恵まれホッとしました


世田谷の環八沿いにあるメモリアルホールに到着すると
喪主の甥が「叔父さん、楽しくやりましょう」と声を掛けてきました。

主人は5人兄弟で、我が家以外は皆子供が3人ずつ居ますし
その子らが結婚して伴侶や孫を連れてきて・・・

更に主人たちの従兄妹達も大勢やってきましたから
身内だけでも50人近くの葬儀となり、
「少子化の現代では珍しい」と、葬儀社の方に言われました。


雪に埋もれ、40cmもの分厚い白い帽子をかぶっていたベランダの
鉢植えのパンジーも見事に復活していました。

入院後僅か三週間で亡くなった義兄は、まだ頬がふっくらとしていて
亡くなる3日前まで池波正太郎の本を読んでいたと聞きました。

最後まで読み終わっていなかったその本を兄嫁が棺に入れた時に
涙が止まらなくなりました

享年78歳・・・
まだまだやりたい事が多々あっただろうにと思うと無念ですが
苦しそうにしていたのは最後の二日間だけと聞いて
少し気持ちが楽になりました。


私の実家から持ってきた白い椿の花も咲き出しました。
茶花の侘び助でしょうか・・・?

常々「77歳で喜寿のお祝いをしてもらった翌日にポックリと死にたい」
と申している主人が「兄貴は俺の理想とする人生の終わり方をした」
「俺も70歳を過ぎたからもうガン検診はパス」と呟いていました。


すべてが一段落した昨日はしみじみと昔のアルバムを開いて見ました。

上の写真は昭和55年のお正月に写したもの・・・
息子が小学校の2年生でしたから今から34年前の写真です。

毎年お正月は、主人達兄弟が育った世田谷の実家に全員集合でした。
両親に子供5人とその連れ合い、そして孫が13人の合計25人

義兄は一番たくさん「お年玉」をくれる伯父さんだったから
甥や姪たちも大好きだったように思います。


毎年夏には房総の富浦の民宿一軒借り切って
全員で二泊三日の海水浴にも行きました。

我が家は一人息子なので、特に義兄の家の三姉弟とは良く遊び
面倒を見てもらいました。


今でこそ両親も亡くなり、それぞれ子供たちも大人になり結婚したりで
主人の兄弟が会うのは冠婚葬祭時だけとなりましたが

そんな思い出がたくさんありますから、息子一家をはじめ
お通夜には殆どの甥や姪達が家族を伴い駆けつけました。

精進落しの席はさながらハー君や奈菜ちゃんのハトコ達との
顔見世の場にもなりました。


姑が自分の4姉妹とは晩年も仲良く交流していましたし
両親亡き後兄夫婦が、親戚付き合いもやっていたので
主人の従兄妹達も大勢集合しました。

普段中々会えない方々との交流の場を、義兄が作ってくれたように思えます。
たくさん泣いてたくさん笑ったような葬儀となりました




兄の葬儀の日に、父の事でとても重い決断をしなければならなくなりました。

明日の命も危ないと言われていた父が入院した病院は
「ここは治療して治す所です」と医師が言っただけあって
父は日に日に精気を取り戻しました。

お通夜の前日病院に行くと父は私の呼びかけに微笑んで
「オウ・・・」と応えたのです。

「重い脱水症はだいぶ改善されました」
「ただ中々下がらないナトリウム値を下げるには胃に水分を流すのが一番」
と医師から切り出されました。


向かいのお宅の椿はそろそろ終わりでしょうか・・・

「積極的治療を望まないなら当病院ですることはもうありません」
「施設に迎えに来ていただくか、転院を考えてください」とのこと
結論を翌日までに出すように言われてガ~~ン

親の命を左右する決断を子供が下さなくてはならない現実は惨すぎます

人は自分の最後をどのように望むのか?
エンディングノートに記す必要がありますね。

翌日は義兄の葬儀で私は病院に出向けないので
最後の決断は弟に託し、会社を早退し医師と面談してもらうことにしました。


「父上は意識もあるから」と医師に説得され、彼も私も大いに迷いましたが
肉親の情として「積極的治療」をお願いすることになりました。


病院側が転院先も紹介してくれるというので、弟は安心したようですが
私は父の苦しみがますます増すのではないか?と不安です。

義兄のように70代で突然癌に襲われ、命を落としてしまう人もいれば
90代でも、自然のままで命を全うするのが難しい時代でもあります

この一週間、あまりにも重い命の終末について
たくさん考えさせられ、感情が変になりそうでした。

夫婦共々肩こり腰痛に悩まされ、昨日は大船にある日帰り温泉に行き
ゆっくり入浴してから、40分のマサージを受けましたよ。

今日の日曜日はどっと疲れが出て、TVのオリンピック総集編を
ぼぉ~と眺めて過しました




コメント (24)
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「宝戒寺」の福寿草と、雪で流れた誕生祝い

2014年02月19日 | 私の呟き
鎌倉「宝戒寺」・2月17日(月)
雪の中に咲く「福寿草」が突然見たくなり、鎌倉まで行ってきました。


白い雪の中からちょこんと顔を見せた「福寿草」
とても可愛いですね


14日からの記録的な大雪の影響は19日になっても続き
孤立集落の世帯数は2876世帯に上がっているそうです。
一時は山梨県全体が孤立したようで、前代未聞のニュースに驚きました


私たち夫婦は共に冬生まれです。

息子が忙しくてなかなか時間がとれず、すっかり遅れましたが、
息子夫婦が15日(土)にラウンドマークタワー内のレストランで、
私と主人の誕生日祝いを開いてご馳走してくれるとのことで
とても楽しみにしていましたが・・・

この日電車は動いていましたが、駅までのバスも動かずタクシーを拾うのも
至難の業、夜の雪道を20分歩くのも、我々は慣れていますが
孫達を歩かせるのが忍びなく、泣く泣く諦めキャンセルしましたよ


父の入院でほとんど遊びは入れていませんが
8日の大雪では山仲間との「鎌倉でのハイキング&新年会」を諦め
そしてまたまた今回も大雪で中止です

やはり私は「天中殺」でしょうか

そんなこんなの鬱積もたまり、父の病院に行く方々鎌倉まで足を延ばした次第です。


雪に埋められていた「福寿草」ですが、特に傷みもなく
元気に咲いていてホッとしました。

背の高いスイセンは倒れ、80種類もあるという椿の花は
少々寒さにやられていましたが・・・


萩寺で有名な「宝戒寺」ですが、今では梅が盛りでした。


こちらはシベが緑にみえる「青軸」でしょうか?
私が唯一名前を覚えた梅の花です。


「ロウバイ」は黄色の鮮やかさがなくなりそろそろ終わりです。
雪の鎌倉「宝戒寺」は雪解けの雨だれの音が聞こえるほどの静けさでした。

2月18日現在、まだ残る我が家周辺の雪

丘陵地帯にある我が住宅地は2日間バスが走りませんでした

幹線道路はともかく、住宅地の中の雪はその後も中々溶けずに
車の運転も怖いものがあり、私がいつものようにハンドルを握ったのは
昨日の18日からでした


我が家のお隣のご夫妻はそろって「リューマチ」を患い、雪かきもままならず
もう一方のお隣は角地で、玄関は違う方向にあり
主人が頑張って3軒分の雪かきをやりますが・・・

この2週間は流石に腰や肩が痛いと悲鳴をあげ
日帰り温泉やマッサージ通いが続きます


記録的な大雪により、関東地方を主産地とする野菜の価格が高騰していますね。
農家は過去にないほどのダメージを受けているらしい

昨日スーパーで見た大根は1本258円もしました
我が家の畑には捨てるほどあるのに、ご覧の通りの雪で
大根はどこ、というありさまです

地元の居酒屋で、こじんまりと主人の「誕生祝い」
雪で流れた誕生祝、何もしないのも心残りなので
新しくできた地元の居酒屋さんで夫婦二人で飲みました

最初にビールで乾杯し主人の好物を次々に頼みます

お鍋も主人好みのモツ鍋です。私は熱燗にタコワサで十分


もうずいぶん前ですが、私の誕生日の夜には孫のハー君を預っていたので、
同じこの店で一緒に食事をしました。


メーンはハー君の好きなスキ焼きです。全部食べていいよ

ジジババはアジのたたきとビール
お新香とお酒があれば満足です


この日、サッカーの試合に午前と午後の2回出場したハー君は
流石にヨレヨレ状態で「肉・肉・肉」と所望します。

大好きな焼き鳥と唐揚げも半分以上平らげました。


私の誕生飲み会の時は主人がお勘定を払い、
先日の主人の誕生飲み会時には私が支払いましたが・・・、

前回もらったこの店のポイントカードを探していると、
5秒が待てない夫が、ぐちゅぐちゅ言い出した。
カードは10秒後に見つかったけど、気持ち良く酔えたのに興ざめだわ

主婦がポイントの点数を集めるのは堅実で健気だけど、大の男が
「ポイントカードがすぐに出ないだけで、ガタガタ言うなんてサイテー」と
反論し、帰路のバスの席もあちっとこっちでしたが・・・

帰宅してすぐに主人の実家の甥から電話がありました。
「今日親父が亡くなりました」
ええ~~、お義兄さん、どこか悪かったの~~

食欲がなくなり病院に行ったら、末期の肺がんで
入院後3週間で亡くなったらしい

主人の長兄は主人と同じ2月生まれで、78歳になったばかりのはず
ショックでした






コメント (14)
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春は名のみの・・・

2014年02月14日 | 私の呟き
8日の大雪の名ごりがある中、またまた南岸低気圧の影響で
14日の早朝から雪が降り出しました


丁度10日前の立春の日のうっすらと積もった雪をUPして以来、
連続三回の雪景色の紹介は初めてです。

それだけ今年の冬は異常気象ということでしょうか・・・

午後3時の積雪は20cm、前回の大雪に迫る勢いで降っています。
追記・横浜は最終的には28cm!(我が家の手すりは40cm)
先週より10cmも多く積もりました。



春は名のみの風の寒さや 谷のうぐいす歌は思えど
 時にあらずと声もたてず 時にあらずと声もたてず
(略)
  今日も昨日も雪の空 今日も昨日も雪の空


思わずこの早春賦の歌を口ずさんでしまいますね。


せめて窓辺に飾ったスミレの花で、春を感じることにします

今日は午後の写真クラブの集まりは中止との連絡が入り
午前中のエクササイズも交通手段の問題と、気力体力に自信がなくてパス


札幌に住んでいた頃はこのくらいの雪など冬は毎日の事
雪に弱い首都圏の騒動をTVで見て笑っていましたが・・・

いざ自分が横浜で経験してみると、車のタイヤも靴も
そしてライフラインも雪対策にお金など掛けていませんし
人々も雪には慣れていないので、混乱は当然と納得です。

そして今日はホワイトバレンタインデーになりました。

ゴディバのチョコを主人に渡して二人でお三時にいただきました


昨日は父用に買ったチョコムースとプリンを持参し、施設に行ってきました。


実は父が前日から高熱を出し解熱剤投与で抑えていたので、
週に1度訪れる施設の委託医に、父のガン治療の事も合わせて
色々相談もありました。

結局大騒動の一日となったのです

ここからは先日行った鎌倉「円覚寺」の雪景色と一緒に
その顛末を記します。

「花と緑を追いかけて」というこのブログの内容には合わない記事ですが
私が父と母とのこの4年間で体験した老人医療問題の現実を
記録しておきたいという思いもあって加えます。

ご興味のない方はスルーしてくださいね。

2月9日・雪の鎌倉円覚寺(その2)
この日は母の祥月命日でしたが、前回も記したように
弟と施設に呼ばれていたのと、雪のために車が出せず
母のお墓参りには行けませんでした。

代わりに行ったのが母のお墓があるお寺のご本山「円覚寺」


国宝の「舎利殿」の雪景色を撮ったのは初めてです。


9日のケァマネさんと看護婦さんのお話は厳しいものでした。

退院後父はミキサー食をほとんど食べず
一日に必要なカロリーも水分も半分以下
甘いものは辛うじて口をあけるが、このままでは脱水症状を起こして
いずれ又入院となるのは明白

イロウにするか、このまま最後まで様子を見るか考えて欲しいと言われました。


私も弟も母の管だけで生きた療養型病院での2年間を、
父にさせる気はないので、「イロウはパス」

「慣れたこの施設で最後まで普通の生活をさせてください」
「私たちもせっせと父の好きな甘いものを届けます」と答えた次第です。

施設側も「80代ならともかく、94歳の方にイロウは勧めません」との事でした。


そして昨日の委託医の話は更に深刻なものでした。
「ガン治療はもう意味がありません」
「お父様はこのままでは明日にも危ない状態です」

「この施設では最期の看取りはできません」
「急変したら病院搬送になります」と


「何とか食べて解熱剤も飲んで欲しい」との願いも虚しく
この日父はいっさい食べられず薬も飲めなくなっていました

私が見守る中、父はまた熱が上がり病院搬送がすぐさま現実となったのです。


「点滴をしてもらって少し元気になれば食べられるかもしれない」と言われ
入院グッズは持って行かなかったのですが

父は脱水症状と炎症反応が異常に高くて
入院の必要ありとなりました。
その時に医師が言った言葉が痛烈で
「この病院は患者を治療して治す所です。」
「退院時施設がちゃんと受け入れるという前提でないと入院は認めない」と

年寄りが何度も入退院を繰り返してベッドを占領する現実を
どこかで断ち切らないと、若くて重症の患者が迷惑するという意味のようでした。

珍しい果実が生っていましたびじゃふらかぶつしゅかんの木


「○○さん(父)は温厚なとてもいい人で私たちも大好きです」
元気になったら迎えに来ますから入院させて下さい。」と
付き添ってくれた施設の看護婦さんが訴えて、父はやっと入院が決まりました。


長い待ち時間、彼女と話して今まで知らなかったことを改めて知った私です。

民間の有料老人ホームも特別養護老人ホームも
最期の看取りをする所としない所があり
医者が常駐しておらず、看取りができない施設で入居者が亡くなると
警察が入るらしい。。。

ですから最期の看取りができない施設は基本的に病人は引き受けないそうです。

入居する時にそこのところを確かめるべきでしたが
経験しないと見えてこない問題ですね


救急外来の医師の言葉は「施設が看取りをするべきだ」という抗議なのでしょう。
「私もそうすべきと施設長にいつも言っているのですが・・・」と
施設の看護婦さんも悔しそうでした。

私は朝の10時から父の厳しい状況を聞かされ
午後には熱が上がったので急遽病院搬送
入院時にはスッタモンダがあって、父が病室に落着いたのは夜の7時半過ぎ
私も頭がパニックになり疲れ果てましたよ



そんな折、ニュースによると
政府は12日、医療提供体制と介護保険制度を一体的に見直す
「地域医療・介護確保法案」を閣議決定し、近く国会に提出し
成立を目指すようです。

つまりかかりつけ医の支援で住み慣れた場所で暮らし
介護サービスも使いながら自宅で最期を迎えられる
「地域包括ケァシステム」のまい進だそうです。

重傷者向けの入院ベッドは削減計画も盛り込み
病院が計画に反してベッドを増やした場合は病院名の公表や
補助金の停止もありえるらしい。



我々の老後の終末医療はどうなっていくのでしょう
ますます入院特約の医療保険は無意味になるに違いありませんね。


祝!!羽生選手
金メダル、おめでとう


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大雪で、鎌倉での「新年会」をキャンセル

2014年02月09日 | 鎌倉散策
2月8日(土)・45年ぶりの大雪
週末の日本列島を襲った8日の大雪
首都圏では45年ぶりの記録的な積雪になったようですね。
いやはやよく降りました


45年前はまだOLだった私、当時の大雪の詳しい事は覚えていませんが
4年間のOL生活で、何度か雪は体験しました。

皇居前のビルの9Fに仕事場があり、そこから眺めた
二重橋とお堀の雪景色が、日本画のように美しかったことを
今でもはっきりと脳裏に焼きついています

昨日の雪は前日から気象庁が会見を開いて、
大雪に関する注意を呼びかけていましたから
前日に買出しに行き準備万端

私たち夫婦も覚悟して、8日の土曜日は外出を控えました。

窓から雪の様子を眺めたりリンゴを吊るし鳥の観察したり


午前中は庭に出て、咲き出した紅梅と雪のコラボを撮ったりと余裕がありました。


北海道並に暖房を効かせたヌクヌクの部屋で、TVの大雪情報を見ながら
「雪で特別番組だなんて、札幌では考えられないね」などと言っていましたが

午後になると窓辺の様子が札幌時代を思わせるような雰囲気になってきました。

2Fのベランダの正午の積雪が13cm午後3時の積雪が22cm


好天時には富士山が望める方向ですが
この日の午後は雪が舞い上がり吹雪のようでした。


夜の7時半過ぎに何度か秒単位の短い停電が繰り返され、
起きていても寒いので、懐中電灯を持って早目にベッドに入りました。

10時過ぎに外を見てみると、この30cmのスケールが
全部雪に埋まっていましたね




2月9日の雪景色
0時前には雪もやみ、横浜は17cmの積雪と発表され
東京や千葉に比べると少なかったようですが・・・

朝の8時半、横浜郊外の丘陵地帯に広がる我が住宅街は
ご覧の通りの雪景色です。


新聞配達のおじさんが、バイクは幹線道路に置いて
歩いて配っていました。

主人は3時間半以上かけて、雪かきです


公園にはまだ子供達の姿は見えませんが
午後からは歓声が聞こえてきそうです


幹線道路もスタットレスタイヤかチェーン使用でないと、走れそうにありません。

実は9日の日曜日は山仲間と3人で鎌倉を軽くハイキングしてから
北鎌倉のイタリアンレストランで新年会の予定でした

雪の予報が出た時点でハイキングは諦めましたが、
お食事は「予約もしてあることだし、横須賀線が動いていたら決行しよう」と、
私と同じ雪国生活の経験のあるYさんとで決めていましたが・・・

地元鎌倉に住むケァマネの仕事をしているKさんから、前日の8日昼頃
「大雪の中、歩いて仕事先を回ったら疲れ果てて明日は無理」との
TELがありました。

Kさんは九州出身で雪には不慣れだったようで
結局「新年会はキャンセル」です
(9日、横須賀線は間引き運転ながら午前中には全線動いたようでした)


我が家からは見えない「丹沢の山々」が、幹線道路から見えていますね。
富士山は雲の中でした。

この日は新年会のあと、弟と父の施設に行くことになっていました。

中々食事が進まない父を今後どう介護していくべきか?
看護婦さんやケァマネさんから私達姉弟に招集がかかったのです。

その事の相談もあって、介護ヘルパー派遣会社の副社長でもある
Kさんには会いたかったのですが。。。
雪の中無理して新年会を決行し、怪我でもしたら大事なお仕事にも
影響が出て大変

私と旭川生活が長かったYさんは「この程度の雪は春の淡雪」と
軽く考えていましたが、取り止めにして正解だったと思います。


まだ多くの雪が残る中、父の施設に行くのにマイカーの運転は無理
隣の駅から出ている施設の無料送迎バスを利用です。

丘陵地帯を周る我が家周辺の路線バスは2日間動かず
結局駅まで歩いて行きましたが
雪かきができていない道もあり、普段の1,5倍の時間がかかりました。

靴の裏に金具の付いた滑らない靴を履き、更に買ったばかりの
ゴム製の滑り止めを持参(写真の右下はアイゼン)

滑って転ばないようにと細心の注意を払いながら歩きましたわ。

鎌倉「円覚寺」へ
帰りも施設の車で送ってもらってJRの駅にたどり着いたのは3時半
まだ十分に明るかったので、ふた駅先の北鎌倉に行きました。


雪の鎌倉を是非見てみたかったのです。


禅宗のお寺の雪景色は風情が増してステキでした。


夕暮れ時の静かさも、ワビサビが感じられて好い・・・


深刻な話は胸の奥深くにしまい込んで祈りました。


又いつか、父の事、この日の雪の円覚寺の事などを語りたいと思いますが・・・


今日の鎌倉「円覚寺」はサラリとご紹介して終わりにいたします。


コメント (22)
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うっすらと雪景色・「家庭菜園」と私のたわごと

2014年02月05日 | 日常の日記
この冬初めての積雪
三日の節分の日は桜の季節の暖かさだったのに
翌日の立春は夕方から雪となり、その温度差は10度以上・・・
明けて今日5日は、頬や鼻が痛くなり身を刺すような寒さでした


そんな中、一昨年の暮れに買ったサーモンピンクの「シクラメン」が
咲き出しました

購入時より二まわり以上も小ぶりになりましたが
蕾が20ヶ以上も出ていて、楽しみです

シクラメンとは相性がよくない我が家
翌年もお花が咲いたのはまだ2回しかありません



4日の雪は夜にはやんで、煌々と三日月が照っていましたから
放射冷却もあって、今朝は札幌を思い出す寒さとなりましたね。


朝の9時過ぎ、我が家の北側玄関横のデッキから見た風景です。
陽の当たらないデッキや、家々の屋根にはまだうっすらと雪が残っていました

道路に雪はありませんが、ところどころ凍っていて
テカテカに光っています。
こんな日は用がなければ外に出ない方が賢明ですね。

我が家の「家庭菜園」
分譲地の一番奥まった所にある我が家ですが・・・
向かいの家の裏が、我が家も軽トラを置かせてもらっている契約駐車場で
その奥が昔からの地主さんの田畑
周囲は里山の面影が残る自然豊かな所です。


その畑の一角を、ご近所仲間たちと「家庭菜園」として借りています。
ここもうっすらと雪が残っていました。


今は冬野菜の最盛期、大根は28本育ちました。
丁度暮れから食べられるようになり、お正月の紅白なますに使いました。

暖かくなると「トウ」が立ち、硬くなりますので
できれば2月中に食べてしまわねば・・・


6株の苗を買って植えたブロッコリーも、先週の暖かさでみな大きくなりました。

融けた雪の露が太陽に光っていましたので、アップでカメラを向けましたが
マクロレンズではないので上手く撮れませんでした

次々に脇芽も出て嬉しい野菜です
葉も利用できる、お得な大根


家庭菜園の野菜はとにかく新鮮なので甘くて美味しい・・・
ただいっぺんに育つのでせっせと食べねばなりません。

息子の所にも持っていきますが、喜んでくれているかしら?

連日大根入りの野菜サラダが続き
イカやブリと煮たりしています


他にもおでんやトン汁・鍋等に使い、大根おろしにシラスやなめこを入れたり・・・
大根の味噌漬けにもトライしてみようと思っています。


10月中旬にタネを蒔いた小松菜は、12月から毎日のように収穫し
お正月のお雑煮にも使い、そろそろ終わりですが

10月下旬に蒔いたホウレン草がようやく大きくなりました。
同じ時に蒔いた春菊はまだ小さいですね。

大根も9月の上旬までにタネを蒔かないと小振りになってしまいます。
野菜はとにかく蒔きどき、作付け時が大事です。


9月の中旬に蒔いたので小さ目の大根ですが、夫婦二人の生活では丁度良い
これからはブロッコリーとホウレン草のお料理も連日続きますね。

絹サヤやグリンピースも育ってきて
豆ご飯も楽しみです。お米はコレね。


最近はもっぱら「ゆめぴりか」です。
一昔前までは不味いお米の代表格だった北海道米が
魚沼産のコシヒカリに迫る美味しさで驚きました

昔札幌に住んでいた時、新潟の友人達に会った際
「北海道のお鮨はネタはいいけどお米がイマイチで・・・」と
愚痴った覚えがあります。

その時新潟の友人達は胸を張り
「ネタもシャリも美味しいのは新潟よ」と自慢していましたが
今では良い勝負かもしれません。

と言うことは『地球温暖化』で、北海道が以前の新潟と
同じくらいに暑くなったって事
米の品質改良もあるでしょうが、当らずとも遠からじかも知れませんね。



パソコンはセブン?それともエイト?
私の使っているPCはウィンドウズ2003のXPです。
サービス打ち切りも迫ってきたので、いよいよ買い替えを考えねばなりません。

カメラ同好会の仲間に、パソコン教室の講師がいるので詳しいことを聞きました。

そもそもサービスが打ち切りになるとどうなるの?
「PC自体の体力や免疫力がなくなるということです」

ウイルスバスターなどはマスクのようなもので、それをつけていても
体力がなければウィルスに感染しやすくなるそうです。

「新しいエイトはXPとは全く別物なので、勧めるならセブンだね」
「量販店ではもう扱ってないから、企業ルートで手配してあげる」
とのこと、
「ただしセブンのサービスは2020年まで」

う~~~ん、どうしよう


迷っていたらやっちゃいました

ショッピングセンターの駐車場で、バックで駐車するのに
モニター画面見ていたら、前に駐車していた車のバンパーに
鼻をこすっちゃった

主人が続けてぶつけたので車の任意保険料が高くなりすぎて
去年の春から車両保険はパスしていたのだ

相手の車(スカイライン)の修理代は保険から出るけど、
我が家の車の修理代は一体いくらかかるかしら


この数年、私は「天中殺?」と思えるほど、
落ち込む出来事が多くなりました


コメント (22)
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父の退院と、「舞岡公園」で見つけた春の兆し

2014年02月01日 | 舞岡公園
今日から2月がスタートです。3日が節分で4日が立春
春はすぐそこまで来ているようですね。


我が家近くの「舞岡公園」に春を探しに行ってみました。
春になるとマンズ一番に咲くというマンサクの花が咲いていましたよ


この日は土曜日、ファミリーの姿が目立ちます。
駐車場近くの「こぶし広場」や「けやき広場」では子供達が走り回っていました。
ワンちゃんはお昼寝でしょうか


ヒイラギナンテンの花が咲き出していました。


そのお隣には可愛いベル状の「アセビの花」が三輪だけ


春には桜が咲き乱れる「おおなばの丘」の下にある「さくら休憩所」で
「マンサクの花」を見つけました。

枯葉もたくさん付いていたので「シナマンサク」でしょうか・・・


こちらは何の実でしょう・・・?

田園風景と雑木林が広がる横浜南部の舞岡公園は、園内のほとんどが
自然のままの姿で保存されています。


畦道や表示板など多少整備はされていますが
その他は谷戸と田園の風景がそのまま広がっています。

丘や池、田畑の風景の中、ゆっくりと散策すれば3時間ほど・・・
昔懐かしい風景に出会うことのできる自然公園です。
詳しい地図などはこちらです。


今週は比較的暖かい日和が続き、梅もようやく開きだしたようですね。
春近しでしょうか・・・

一週間前に父の主治医から「比較的落着いていますから退院を考えましょう」
と言われビックリしました

その僅か4日前に「お父様は意識混濁が見られ、脱水症状も起こしています」

「抗生物質が効かず、ブドウ糖の点滴だけで様子を見ていますが・・・」
「水分を増やすと心不全が起こりますから難しいところです」と
厳しい状況を説明されていましたから、
「退院」とは、狐につままれたような思いでした


「あとは施設の医師にゆだねてください」との事で
父は1月末に退院しました。

決め手は炎症反応が6から2に下がった(前回の退院時は0,06)ことと、
ミキサー食ながら口から食べられるという所のようです。
(3年前、同じ病院に入院していた母は食べられなかったので戻れませんでした


田んぼの反対側には「ソシンロウバイ」も咲いています。

今、病院のベッドがドンドン減っている現実をご存知ですか?
地方は医師不足・看護士不足によるものが多いのですが、
都会は意識的に減らされています。

ベッドを一床減らすと、国から500万円の補助金が出るとか


昨年の秋に来た時は、小谷戸の里の前の広場に収穫した稲を干していましたが
今は脱穀も済んだ藁がうず高く積まれていました。

下記は3年前の母の退院と転院でバタバタした時に記した
私のブログの転用ですが

ホームドクターの話では
”入院患者が増えると「健康保険」が赤字になるので、
国はできるだけ患者が入院しないで済む訪問看護に力を入れている”
との事・・・

入院した場合、入院25日を過ぎると診療報酬の点数が低くなるので
病院側は長期入院患者を抱えると赤字になっていくそうです。

医師はできるだけ早く患者を退院させるようにと
課せられているのです。


もっとも地域の中核病院は、次々に救急患者が運ばれてきますから
そのためにも、ベッドを明け渡さなければなりませんものね。


オレンジ色のマンサクでしょうか

父の退院に付き添い、施設の医師・看護士・スタッフさんたちと
今後の生活を話し合い、帰宅したらどっと疲労感に襲われ
口内炎も再発して、何をする気にもなれませんでしたが・・・

その夜、施設から父が8度5分の熱が出たとの連絡があり
「とりあえず解熱剤で対処します」と言われ
慌てました


ミツマタの花が咲き出すのももうすぐですね。

今朝、弟と施設に飛んで行くと父は熱も下がり食事も摂れたようで
緊急の病院搬送は様子見となりました

「午後になって又高熱が出るようだったら連絡します」との事で
帰宅して待機です。



中丸の丘の紅梅が鮮やかでした。

自宅で待機するのも、病院に近い舞岡公園で待機するのも
駆けつける時間は変わりませんので、散策にやって来た次第です。


いつもはカワセミ狙いのカメラが並ぶ「さくらなみ池」は
静かで誰もいません。

冬枯れの風景が落着かない私の心に沁みました。

結局施設からの連絡はなく、私は近くのスーパーで買い物をして帰りました

今インフルエンザやノロウィルスが流行っていて、
施設での面会は禁止です


当分電話連絡のみで、不安と心配が募りますが・・・
まずは(いつ又病院に舞い戻るか分かりませんが)、洗濯物を抱えての
毎日の病院通いがなくなりホッとしています




コメント (26)
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