花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

晩秋の鎌倉・「獅子舞」の紅葉

2009年11月30日 | 鎌倉散策
今日で11月も終りです。
昨夜来の冷たい雨もやんで、西の空が少し明るくなってきましたが、今日も寒い一日となりそうです。
先週も相変わらず寒暖の差が激しい週でしたが28日の土曜日は朝から良く晴れて
行楽日和となりました。


土曜日の午前中はハー君の幼稚園の「お遊戯会」を鑑賞して、それから「鎌倉」に向かいました。
前回見られなかった「獅子舞の紅葉」のリベンジです。
イチョウとモミジがコラボして、それは見事な紅葉でした


鎌倉駅から「鎌倉宮」行きのバスに乗り、鎌倉宮から瑞泉寺方面に向かって歩き始めます。
赤いポストのある二股の分かれ道で、「瑞泉寺方面→」を右に分け、左側の川沿いを進みます。

左手に「永福寺跡」が見えてきますが、これは昔の寺の跡地で、今ではただの野原となっています。
ススキがたなびいて味わい深い風情でしたが、やがて畑に変わり、正面に色付いた山が見えてきました。
鎌倉宮から20分ほどで、いよいよ「モミジ谷」への入り口となります。

登山道はぬかるんでとても滑りやすく、靴は「トレッキングシューズ」がお薦めです。


15分くらい泥だらけの山道を登って行くと、前方に赤く染まったモミジが見えてきました。
この辺一帯が「獅子舞」(通称モミジ谷)です。
土曜日のこの日は大勢のハイカーたちでにぎわっていました。


足元に気をつけながら進み、前方を見上げると、山の一角が赤く燃えているようでした。


手入れが行き届き造形されたお寺のモミジと違い、自然のままに伸びた山のモミジはみな大木で、
ファインダーの中には納まりません
圧倒される思いで、ただただ下から見上げた構図でシャッターを押しました。


ここには見事なイチョウの大木もあちこちにあり、足元は黄葉の絨毯でしたが、
大勢の人に踏まれて写真に写せる状態ではありませんでした。
きれいなイチョウの葉っぱの上を歩きたい方は朝のお出かけを勧めます。


鎌倉で一番の山の紅葉が見られる「獅子舞」(通称モミジ谷)
絶好の日和に行けて大満足でした。


紅葉の中の山道を更に10分くらい登って行くと「天園ハイキングコース」に出ます。
上から降りてくる人たちも大勢いて、この日のモミジ谷は大賑わいでした。
土曜日なので、若者のグループやファミリーの姿が多いのが嬉しいですね。


ひと登りすると「天園ハイキングコース」に出ました。
コースに立ち、右に進むと「瑞泉寺」、左に進むと「天園」です。


左側の大きな岩をよじ登ると上は見晴台になっていて、歩いてきた紅葉の森が見渡せました
左手に湘南の海が光っていました。
空気が澄み切った日にはここから「箱根連山」「富士山」も見えるらしい・・・


天園にある標識です。私はここから「建長寺」を目ざす事にしました。

南側は海、そして三方を山に囲まれた「鎌倉」にはたくさんのハイキングコースが整備されていますが
この「天園ハイキングコース」はいわゆる「鎌倉アルプス」を歩く代表的なコースです。

横浜市との境にある北東の山々は鎌倉アルプスと呼ばれていますが・・・
最高峰は大平山の159m。アルプスというより丘陵ですね。

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天園の「峠の茶屋」で一休み、マウスオンでご覧下さい。
この横に「横浜市最高地点」という標識が立っていました。
ここは横浜と鎌倉の境目なのです。


大勢の人が休んでいた「大平山」頂上を通り抜け、鎌倉カントリーを右に見ながら
私はひたすら「建長寺→」という標識を頼りに歩き続けました。

その後はしばらくアップダウンを繰り返します。
途中、鷲峰山(じゅぶせん)の分岐点には、左に「覚園寺」、右に「今泉台」と書かれた表示板がありますが
そのまま真っ直ぐと進みます。


しばらく歩くと絶景ポイント「十王岩展望台」に到着です。
ここからは「湘南の海」が真近に望めました。
「アッ!鶴岡八幡宮前の若宮大路の道が見える!正面は由比ガ浜ね」
隣にいた若い女の子が叫んでいました。

陽が西に傾き、湘南の海は夕景の風情です。
時計を見ると午後三時を廻っていました。


十王岩展望台から建長寺の一番奥、勝上献まではすぐです。
ようやく「建長寺・半僧坊」裏手に到着しました。
「鎌倉宮」から写真を撮りながら歩いて、2時間半の距離でした。

瑞泉寺から建長寺までの約3.5kmが天園ハイキングコース(約2時間半)ですが、
「鎌倉霊園」の横を通り、我家近くの「円海山」や「金沢市民の森」までの散策路も通じていて、
時間や脚力に応じて、様々なコースが楽しめます。

紅葉の季節(11月下旬~12月中旬)には、是非この「獅子舞」(モミジ谷)を通るコースをお薦めします。



前々回の凹んだ私の記事を読み、心配した友人達数人からTELがありました。
歯の痛みも無くなり(問題はこれからどうするか?ですが)、
抱えていた諸問題もほぼ解決しました。
色々ご心配いただきありがとうございました。

ところが一難去って叉一難
施設に入っている母が車椅子から落下して顔面を打ち、救急車騒ぎとなりました。
幸いCTスキャンの検査では「異常無し」でしたが、顔が打ち身でアザだらけ
「高齢者は1~2ヵ月後に硬膜下出血を起こす場合があるので、要観察」
とのお医者様の説明でした。

母が車椅子から落ちたのはこれで2回目です。
前回は私がオーストラリアのパースに長期滞在していた時で
今回は友人4人と1月に行く「エジプト旅行」をすでに申し込んだ後でした。
出かける寸前までどうなるか?そんな状況がここ数年続いています。

鎌倉を歩いて、自然の中で癒されて・・・
あれやこれやと考えても、なるようにしかならない「ケセラセラ」と、
わり切る事ができました。
「自然は大きなホスピタル」ですね。
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晩秋の鎌倉・「瑞泉寺」

2009年11月25日 | 鎌倉散策
相変わらず気温の変化が激しく、猫の目のように変わるお天気が続いています。
先日の三連休も、日曜日は雨模様の真冬の寒さでした。

抜歯後の痛さも加わって、「連休なんて私には関係ないヮ」と、
くら~~い気持ちで家の中に閉じこもっていましたが・・・
最後の勤労感謝の日は晴れ上がり、暖かい陽気となりましたね。

抜歯の影響で、まだほっぺたは少々腫れていましたが
「このこわばった心身をほぐすには歩くのが一番」」と実感し、家を飛び出しました。

主人は仕事だし、お昼近くになってから一人で歩けるところは近くの鎌倉くらいしかありません。
イザ鎌倉へレッツ・ゴ~~


我家近くの銀杏並木も黄金色に色付いてきましたから、鎌倉の紅葉もソロソロ見頃かしら?
ネットで検索すると「獅子舞はガイドブックにはあまり載っていない紅葉狩りの穴場です!」
と書かれています。
場所は「瑞泉寺」周辺の>「紅葉谷」の一角らしい・・・
私は観光客で溢れている「鎌倉駅」から「瑞泉寺」を目ざして歩き始めました。

途中「八幡宮」「鎌倉宮」に寄り、お昼のおうどんを食べたりして、
およそ1時間半かけて「瑞泉寺」に到着しました。
瑞泉寺の入り口近くのモミジが赤く色ついていて、これは期待が持てそうです。


竹林を右手に見ながら苔むした階段を登って行くと「山門」が現れます。
その門をくぐると思わず「ウワァ~」と声が出ました。
黄金色に輝く大きな木(ケヤキ?)が目に飛び込んできたのです


そしてその木の下には楚々とした「冬桜」のお花が、辛うじて残っていました。
白に近い淡いピンクが乙女のように可憐です


「瑞泉寺」は臨済宗円覚寺派のお寺で、夢想疎石がここを禅院にふさわしい地として選び
嘉暦二年(1327)に建立しました。

山号の錦屏山は、紅葉谷を囲む三方の山が秋になると紅葉し、
寺の背後に錦の屏風のように広がることから名付けられたそうでが・・・
この日(11月23日)は残念ながら紅葉にはまだ早かったようです。

本堂裏の庭園は、夢窓疎石による岩盤を削って作られた禅宗様庭園で、
書院庭園の起源となったそうです。


ここの庭園は荒廃していたのを後に発掘復元したものだそうです。

岩盤に池、中島等を巧みにえぐって橋をかけ、さらに水を貯めて滝として流す貯水池までも刻んだ、
岩庭と呼ぶに相応しい庭園です。
後に夢想疎石は、京都の苔寺・西芳寺や天竜寺の庭園も作っているようですね。

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「瑞泉寺」境内のモミジの紅葉は少々早かったのですが、これはこれで美しいものがありました。
マウスオンでご覧下さい


そして「瑞泉寺」の詳しい歴史はこちらをご覧下さい

紅葉には早かった「瑞泉寺」を後にして、少し「鎌倉宮」方面に戻り、
途中で右に折れると、歩いて25分で山道となり「獅子舞の紅葉」が見られるらしいのですが・・・
ナップザックを背負い、トレッキングシューズを泥だらけにしたグループとすれ違いました。

聞いてみると
「前の日の雨で道はドロドロで滑るし、紅葉もまだ早いし、今日は行かない方がいい」とのこと
この日の私はウォーキングシューズでしたが・・・
「見頃は12月に入ってからかな?」と言われ、諦めました。


こちらは行きに寄った「鶴岡八幡宮」の樹齢1000余年と言われている大銀杏です。
まだ黄色くなっていませんでした。

建保7年(1219年)1月27日、源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁は、
この銀杏の木に隠れて待ち伏せ、源実朝を殺害したと伝っています。

一ヶ月前に、孫の七五三の参拝でここに来ましたが・・・
お天気に恵まれたこの日も、七五三のお祝い姿の家族連れが見られました。
不景気で先の見えない日本ですが、このような平和な風景がいつまでも続いて欲しいですね。

鎌倉の紅葉はまだ少々早かった感じですが、
好天の中、久しぶりに歩いて心身ともに癒されました。
歩行数は一万歩を超えました。

アウトドァー派の私、気が滅入った時は戸外を歩いて汗をかくのが一番
と悟った一日でした。



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夕焼け空

2009年11月21日 | バリ島紀行
今週はお天気の変化が激しい日が続きましたね。
19日には冷たい雨が降り、初冬の寒さがやってきました。
例年、この晩秋の頃は我家の二階のベランダから、夕景の美しい富士山が見られるのですが
何だか今年は少ないように思います。


朝から風雨が激しく、神奈川県では珍しく「竜巻注意報」が出た11月14日(土)
午後には雨が上がり、夕方になって晴れてきました。

部屋の中に紅色の光線が差し込み、思わず西側の空を見上げてみると
真赤に染まった夕焼けが見えました

富士山の向こう側は晴れて、黄昏色に暮れ出した空が広がり、
そしてこちら側の雲に夕陽の光が照らされて、それは見事な夕焼けでした


こちらは去年の12月に写した初冬の夕暮れの富士山です。
澄んだ空が透明の茜色に染まり、富士山のシルエットが印象的です。


こちらは去年の2月、オーストラリアのパースに長期滞在時、
パース近郊のコッテスローの浜辺で撮った「インド洋に沈む夕陽」です。
水平線にストンと落ちた燃える夕陽が鮮やかでした。


そしてこちらは今年の2月に旅した「バリ島」のインド洋の夕焼けです。
「夕陽」「夕焼け」の違いが良く分りますね。

「タナロット寺院」

インド洋に面したバリ島には、夕陽で有名な「バリ・ヒンドゥー教寺院」があります。
インド洋の荒波が打ち寄せる海岸に迫り出した、小島のような岩山に建つ「タナロット寺院」です。
16世紀、、ジャワ島の高僧ニラルタが「神々が君臨するのに相応しい場所」として
村人達に海の守護神を祭る寺院建立を勧めたと伝えられています・

今でもこの岩島には神の化身である黒い蛇が棲みつき、
海からやって来る魔物を追い払っているとか・・・


落日の時間になると、参拝者はモチロン、大勢の観光客が対岸の高台から
タナロット寺院のはるか向こうに沈む夕陽を見ようと集まります。

近年、このインド洋の荒波で寺院の台座部分が侵食されたそうですが、
日本やドイツのODAの援助で岩礁が補強されたとか・・・
ガイドさんに感謝されました。


寺の麓の岩場で、正装したバリ人に聖水をかけてもらう事はできるようですが
原則的に異教徒はここには上れないそうです。

打ち寄せる波の音・・・
茜色に染まる空・・・
黒く浮かぶ「タナロット寺院」・・・


この日はちょっと太陽の光が弱くて、私たちは半分夕陽を諦め・・・
ディナーの場所のホテルまで、インド洋を見下ろす道を東に歩いて行きました。


ゴルフ場の中にある「ル・メリディアン・ニルワナ・リゾート」のホテルの庭から見た風景です。


突然空が輝きだしました


居合わせた人々も、自然が繰り出す壮大なドラマを見ていました。
静寂の中で、神の降臨を望む気持ちが湧き上がってくるようでした。


ホテルのレストランの窓からも、夕焼けの輝きが見えていました。

旅の4日目のこの日は、午後三時まで各自自由にホテルライフを楽しみ
それからガイドさんの案内で、バリ島で二番目に大きな寺院
17世紀に王家の寺院として栄えた「タマン・ユン寺院」を見学し
それから夕陽で有名な「タナロット寺院」にやってきました。

前日、ジャワ島の世界遺産「ボロブドゥール仏教遺跡」「ブランバナン寺院群」
一緒に見学した2組のお仲間と、このレストランで一緒になりました。


お肉とお魚のコース料理も美味しかったし
歌のサービスもあり、楽しいディナーのひと時を過ごす事ができました。

主人はチップを弾み、好きな曲を何度かリクエストしました♪
昔懐かしい、アイジョージの歌が多かったかしら・・・

「夕焼け空」から思い出した「バリ島紀行」を、今頃になって綴っています。
読んでくださった方々、ありがとうございました。

まだまだ紹介しきれない画像も残っていて中途半端です。
これからも記録保存のために時々UPする所存ですので、懲りずにお付き合いくださいね


前回は、決断力も実行力も失せて、オタオタしている私自身の心境を吐露しましたが・・・
実は昨日、歯医者さんで突然奥歯を抜かれました
歯根が割れてグシャグシャになっていたそうです

子供の頃から歯は丈夫で、歯医者さんとはあまり縁が無く、
自信を持っていただけにこの抜歯はショックでした。

今日は朝から痛くて、左頬がお多福さんのように腫れています。
思考力もなく、またまた「歳」を感じて凹んでいる私・・・
トホホホホ~


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帝国劇場「レ・ミゼラブル」

2009年11月16日 | 映画、観劇
「日比谷公園」を出て、日比谷交差点を渡るとすぐに「帝国劇場」のある国際ビルが見えてきます。
その手前が「第一生命本社ビル」・・・
戦後GHQの本部として使われ、マッカーサーの司令室がありました。


マッカーサーは複数あった候補の中からこのビルを選んだそうです。
目の前に皇居を見渡すことができる環境と、華美ではない機能的な建物が
マッカーサーの目に留まったと言われています。

ここには、現在でもマッカーサー総司令官室が保存され、一般に公開されていて
私も昔見学し、マッカーサーの椅子を見たことがあります。


日比谷通りのこちら側は皇居のお濠が続きます。
丁度銀杏並木が黄金色に色付いて輝いていました

馬場先門の土橋まで行ってみたかったのですが、
白いテントと警官姿があちこちに見えていて何やら物々しさが漂っていました。
後で考えると12日に開かれた「天皇陛下在位20年記念式典」の準備がなされていたのですね。


帝劇を右に見て馬場先門の交差点まで歩き、Uターンして帝劇に行きました。
お濠にはツガイの白鳥が浮かんでいて・・・
もっとゆっくりカメラを向けたかったのですが、チケットを持っている主人はスタスタと歩いて行き
ひたすら目的地を目指していましたので、私も後を追いかけるしかありませんでした。


この日は12時半開場、1時開演の「レ・ミゼラブル」鑑賞です。
12時半前に到着しましたが、修学旅行生らしき高校生の姿が沢山集まっていました。
当日券はすでに無く、全席埋っていたようです。

一切れのパンを盗んだ罪で19年間も牢獄にいた服役囚だったジャンバルジャン
そんな彼を追い詰めて行く刑事・ジャヴェール
そしてジャンバルジャンに引き取られる孤児の少女コゼット
ご存知ビクトル・ユーゴーの名作です。

手にしたチラシには
「明日を信じ今日を懸命に生きた、名もなき人々の物語」
1987年の初演以来、数多くの観客が幾度となく劇場に足を運び、
感動に繰り返し涙しました。
と書かれていました。



主役のジャンバルジャン役は山口祐一郎さんはじめ4人の方が入れ替わりで演じているようですが
この日は別所哲也さんでした。
TVで拝見する限りでは甘いマスクが魅力ですが、ジャンバルジャンにしてはちょっと線が細かったかしら・・・?
ジャンバルジャンはもっと個性が強くて存在感の有る人が合うような気がします。

フランス革命の混乱のなかにある19世紀前半のフランス。
舞台は陰鬱なくらいに暗い中で進んで行く悲惨で重苦しいミュージカルです。
たくさんの人々が演じる群像劇でした。
前回見た「屋根の上のバイオリン弾き」よりも若い観客が多く、
最後は熱狂的なスタンディングオーベーションでしたが・・・

「子供の頃に世界名作全集で読んだ覚えがあるけど、あの”ああ無情”ってこういう物語だったけ?」
オジサン、オバサンの私たちはイマイチ乗れませんでした。


終わってから帝劇ビルの9Fにある美術館に寄って、気持ちを整理しました。
ここは私が娘の頃に4年間働いていた場所でもあるのです。
(学校卒業後勤めた企業が、本社の上に美術館を開館しそこに配属されたのです)
この日の催し物は「ユートピア・描かれし夢と楽園」

江戸時代の人々は四季の折々の花鳥風月の中にユートピアを見ていたようですね。
屏風や焼き物、絵画には美しい自然の中の楽園が描かれていました。

重い内容の舞台を見た後に、日本や中国の緑の楽園風景を見て少し心のバランスが保てました。
が・・・
あの「レ・ミゼラブル」のメインテーマがいつまでも頭から離れませんでした。
音楽を聴きたい方はこちらでどうぞ♪
各シーンの名曲も聴けますよ。


昔よく歩いた「丸の内仲通り」
この夕闇の迫る時間はライトアップが綺麗でしたが
「ラッシュで混む前に帰るぞ」と主人に急かされて、ノンビリ歩くことも出来ませんでした。

お陰で電車は座れましたが・・・
せっかちな夫と出かけると、とにかく慌しいですね。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

インドァーのお楽しみが続きましたが、運動不足も響いているのか?
この所、すべてが面倒くさくて集中力に欠けています。
パソコンに向かう気にもなれず、夏物の整理も中途半端なまま・・・

その上、さまざまな問題が生じてオタオタしています。
特に生き死ににかかわる事でもなく、生活に響くような問題でもありませんが、
人の感情が加わると厄介です。

一昔前の私ならズバッと判断して決められた事が、
オロオロするだけで決められない自分が歯がゆいです。

歳のせいでしょうか

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秋色の都心「日比谷公園」

2009年11月12日 | 東京の街
「屋根の上のバイオリン弾き」を観てからまだ2週間しか過ぎていないのに
すぐ次の11月分の「レ・ミゼラブル」観劇の日がやってきました。
この日の舞台は「帝国劇場」です。

前回は大雨の中を出かけましたが、今回は小春日和の気持ちのよいお天気に恵まれたので
「日比谷公園」を散策してお昼を食べてから観劇に向かいました。


11月10日(火)、日比谷公園の木々はすでに「秋色」に染まっていました。
今年開園107年目の「日比谷公園」の木々はみんな大木です。


大きなケヤキの木の下で、たくさんのビジネスマンがお弁当を食べていました。
こんな日は戸外で食べた方が気持ちが良いですものね
みんな揃って同じ仕出し弁当の一団が・・・
公園内の「日比谷公会堂」で全国統一集会でもあったのでしょうか?


こちらは日比谷公園のシンボル「大噴水」、28分間周期で24景が楽しめるそうです。

幕末までは松平肥前守などの屋敷地でしたが、明治時代に陸軍練兵場となり
その後「都市の公園」として計画、設計、造成された「日比谷公園」
日本初の「洋風近代式公園」として誕生し、平成15年に開園100年を迎えたようです。

 ・開園は明治36年6月
  ・面積は約16ヘクタール
・樹木数は 3.100本

ニューヨークの「セントラルパーク」には負けますが、都会のビジネス街の真ん中にあり
サラリーマンたちの憩いの場所になっています。

私も娘の頃はこのすぐ近くの職場に勤めていましたから、お昼休みなどよく通いました。
若き日の思い出の日比谷公園です。


開園当時のデザインの幾何学文様がそのまま残る、洋風の第一花壇も日比谷公園のシンボルです。
ここではバラが楽しめるのですが、すでに終りに近くなっていました。

私の父の実家が、日比谷公園近くの新橋で小さな商家を営んでいました。
この公園は小さかった父の遊び場でもあったようです。
「日比谷公園で蝉取りをした」とよく言っていました。

三男の父は17歳で家を離れ、大學で「化学」を専攻して化学会社に勤め、地方の工場勤務が長かったのですが
40代後半で東京本社に戻った時、横浜に家を建てました。

晩年、両親と私と3人で我家近くのデパートで買い物中、迷子になった父を探して交番に駆け込んだ時
父はお巡りさんに「住まいは新橋」と言ったらしい。
「こんな横浜の郊外で新橋から来たお年寄りが迷子になったというので困っていた所です」
とお巡りさんに言われました

人間歳をとり、状況の認知ができなくなっても、自分が子供の頃に育った「家」の事は忘れないようです。


観劇前のお食事は日比谷公園内の「松本楼」でランチです。
2年前の秋バラの綺麗な頃、中学時代の友人のtomokoさんとここのオープンデッキ
お食事をしました。

先日も暖かい日和でしたので、外での席を希望しましたが、残念ながら満席・・・


室内で前回と同じ様に昔懐かしい「洋食」を戴きました
この後飲んだコーヒーは、小学生の時に初めて口にした苦味の有るコーヒーと同じ味がしました

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紅葉を眺めながらお食事が出来るオープンデッキはやはりステキです。
マウスオンでご覧下さい

少し待てばここで食べられたのですが・・・
「腹減ったという主人の言葉に「待ちます」とは言えませんでした。
夫と二人ではさして話すことも無く、サササ~と食べて終わりですものね。


「石垣」が貴重な江戸時代の遺構として残っています。
日比谷公園のある場所は江戸時代は大名の屋敷地ですが、江戸城に登城するためには
見張り役人が警備する日比谷見附を通り抜けなければなりませんでした。

現在の日比谷交差点の辺りにあった日比谷見附は野面積み(のづらづみ)の石垣で
江戸時代初期の築造です。
石垣の周囲は濠になっていましたが、その一部を明治36年「心字池」として残しました。
唯一和風の風景が広がる場所ですが、この季節木々の剪定が行われ池に脚立が建てられていて
写真に撮る事は諦めました。


「心字池」の周囲の松の向こうに、これから行く「帝国劇場」のあるビルが見えていました。


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芸術の「秋」はインドアーのお楽しみ?

2009年11月07日 | 映画、観劇


こちらの画像は横浜みなとみらい小ホールから眺めた
「インターコンチネンタルホテル」&「パシフィコ横浜」方面です。

ちょっと日が経ってしまいましたが、先月の初め、
主人の大学時代の先輩ご夫妻に誘われて、みなとみらい小ホールで開催された
「音楽会」に行って来ました。

~3人の男性歌手~
「トリオ・ベルカントが歌う、懐かしの名曲」


テノール、バリトン、バスの男性三人(トリオ・ベカント)による三重唱
タップリと聴かせていただきました

小学生唱歌から美空ひばりの「愛燦燦」
そして「アメイジング・グレイス」までの、お馴染みの曲ばかり・・・
心地よい秋の午後のひと時を楽しみました。

ピアノ・バイオリンの演奏を担当した三人の女性の独奏もあり
特にバイオリンの「チゴイネルワイゼン」は圧巻でしたね


平日の午後の小ホール(定員440席)、最終的には八割程度埋まったようです。
圧倒的に中高年のグループが多い
そもそもは「嬬恋」に別荘を持つ方々による「つまごい・コンサート」から始まったとか・・・

「ワインを飲みながら、夏の高原で聴く音楽も良いものだよ」と
以前から、北軽井沢近くの嬬恋に別荘を持つ先輩ご夫婦に誘われていました。


日本のオペラ会で芽を出し始めている若手音楽家たちの面々です。
ブログに載せる許可を得て写真を撮らせて頂きました。

こういった実力の有る若手音楽家の方たちに発表の場を与え続けているプロデューサーは
別荘地に住む元教師さんとか・・・
強い意志と行動力が伴った方がいてこそ実現できる「音楽会」ですね。


一人ひとりの独唱も力づよくて素晴らしかったです。

左はテノールの澤崎一了さん
「カタリ・カタリ」と「愛燦燦」の独唱はハリのある高音に驚かされました。

真ん中はバスの安東玄人さん
ヴェルディの「プロバンスの海と空」、ヘンデルの「ラルゴ」は男性独唱の魅力に溢れていました。

右がバリトンの大川博さん
シューベルトの「菩提樹」と島崎藤村の「初恋」を味わい深くしみじみと聴かせてくれました。

夕暮れ時に「音楽会」はお開きとなり
友人ご夫妻とみなとみらいクィーンモールのイタリアンレストランで、
ピザをつまみにを楽しみました。

主人が兄のように慕っている先輩ご夫妻とはオーストラリアのパースでご一緒しました。
パースの借家の共同借主になってくれたのです。

流石に嬬恋とパースの2軒の別荘は重荷だったのか、ご夫妻のパースは2年で終りましたが・・・
あれはあれで二夫婦共々良い想い出になりました。


さて・・・
昔は会社のワンゲル部に所属し「山登り」に親しんでいた主人ですが
ゴルフの方が好みなのか?、歳とともに山はほんのタマ~にしか行かなくなりました。
そして今年の夏突然
「膝が痛いので山登りはパスと宣言しました。

以前から「俺は戸外で仕事をしているので、遊びの時間まで外で身体を動かす気になれない」
とつぶやいていましたから特に驚く事でもなく(ゴルフは積極的に参加しているのにねっ!)
「私は友人と好きな山を楽しめばいいわ」と思っていました。


そんな主人が「我が家に欠けているのは音楽会や舞台鑑賞だ
「そろそろインドァーの楽しみ方を考える歳になったと思う」と述べ、
早速、仕事仲間が入会している「都民劇場」の演劇サークルの会員になりました。

そして手に入れたチケットがミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」
10月下旬、2人で台風20号の大雨の中、日比谷の日生劇場に行って来ました。
芸術の秋、我が夫婦は突然インドァー派に転向です。



物語の舞台は革命前のロシアです。
ウクライナの寒村アナテフカでは、ユダヤ人たちが伝統的な「しきたり」を守ることにより
周りのロシア人たちとも大きな争いを起こすことなく、何世代もうまくやってきた。
こんな彼らの生活は「危ない屋根の上で生活しているようなものだ」ということで
『屋根の上のヴァイオリン弾き』の題名がつけられたようです。

そこに住む牛乳屋の「テヴィエ」という男が主人公。
初代は森繁久弥さんが演じて900回を重ねたブロードウェーミュージカルの名作
二代目は西田敏行さん
そして2004年から市川正親さんが演じています。
いやぁ~存在感も大きく、観客を沸かせ泣かせて見事な「テヴィエ」でした。

テヴィエには妻の「ゴールデ」との間に五人の娘がいて
その娘たちが結婚相手を選んでいくにあたり、徐々に「しきたり」が破られていくお話しが進行していきます。
そして最後は村人全員がロシア皇帝からの追放令を受ける日が来てしまう……。


鳳蘭さん演じる妻ゴールデの貫禄に圧倒され、
革命家やロシア兵と結婚して家を出て行く娘達との別れのシーンでは涙が滲み
お馴染みの曲「サンライズ・サンセット」を歌う結婚式の場面では一緒に口ずさみ
私はそれなりに楽しみましたが、主人はほとんど居眠り状態
ぐぅ~とイビキが聞こえた時には思わずわき腹を突っつきました。

11月の「レ・ミゼラブル」の鑑賞が来週に迫っています。
そして12月分のチケット購入も決めなくてはなりません。
「私は忙しいからパス!あなた一人で行って」

私は今までも、インドァー派のご近所仲間ぷりんさんに誘われて
「歌舞伎」「文楽」を年に1~2回楽しんでいますし・・・
ブログのUPは怠けていますが、美術館や映画鑑賞も仲間と時々行っています。

特別に観たい舞台があれば、話は別ですが
今のところ、雰囲気が良くて楽しめる「音楽会や演劇」が、年に2~3回くらい加われば
それで充分だと思いました。



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七五三のお祝い

2009年11月03日 | 
木枯らし一番が吹いて、今日の「文化の日」はブルブルと震え上がりそうな寒さでしたね。
TVのニュースによると、紅葉の中を歩いた「八甲田山」も白い世界に様変わりしたようです。
北国の秋はあっと言う間に通り過ぎて行くのでしょう・・・


こちらは11月3日、朝8時半、我家の2階のベランダから望んだ「富士山」です。
姿を現すごとに白い雪の部分が増えて行き、その輝きが眩しいくらい・・・
やはり「富士山」は雪があってこそ絵になりますね

さて・・・
お天気に恵まれた先週の水曜日(10月28日)
鎌倉の「鶴岡八幡宮」に、5歳の孫ハー君の七五三のお参りに行きました。
行楽シーズンの土日の鎌倉は混雑するので、皆の都合が合う平日に取りおこないました。


息子一家と両方のジ~ジとバ~バの全員が集合です。
外人の観光客が数人、ハー君のはかま姿が珍しいのか、カメラを向けてきました。
日本の伝統的な行事ですものね。

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平日の午前中だいうのに、もう大勢の人がお参りにきています。
マウスオンで我家三代の「男衆」をご覧下さい
3人揃ってB型人間です。


30数年前、オトータンもこの鎌倉の「鶴岡八幡宮」で七五三のお祓いを受けました。
あの日は土曜日で、七五三の参拝も多く凄い人出だった・・・
お祓いを受けるのに行列で並んだ覚えがあります。

近世までの日本は、栄養不足・健康への知識不足・貧困などが原因で乳幼児が成人するまでの
生存率はきわめて低く、七五三はその様な事から乳幼児の生存を祝う節目として定着したようです。

乳幼児の死亡率が減った現代でも
初孫が大きな病気もせずにここまで無事に成長した事に
感慨深いものがありますね

Wikipediaによると、三歳、は髪を伸ばす「髪置(かみおき)」
5歳は初めて袴をつける「袴着(はかまぎ)」
7歳は、それまでの紐付きの着物に代わって、本仕立ての着物と丸帯という大人の装いをする
「帯解(おびとき)・紐落(ひもおとし)」の名残りなのだそうです。


この日のこの時間は、5歳の男の子4人と三歳の女の子1人の計5家族一緒のお祓いでした。
スーツ姿の男の子が一人いましたが、他の四人は着物姿・・・
ド~ンドンと鳴り響く太鼓の音に、菜々ちゃんが「コワイ~」とベソをかき
横須賀バ~バが抱いて外に出ました。

お祓いが終わってから、本殿前に並んでみんなで写真を撮りました。
あらあら最近の七五三用の袴は歩きやすいようにロングスカートになっているのね
草履も指が痛いとかでハー君が履いたのはここだけ・・・
あとは赤いスニーカーで歩き回っていました


家から鶴岡八幡宮までは車で30分かかりました。
車の中でハー君は、袴の紐でお腹を締め付けられて「苦しい~」
ですからお昼を食べるお店の「ひさご亭」まで、ジ~ジやバ~バ達と歩いていきました。

正式な記念写真は9月に「早割撮影」で撮りました。

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マウスオン・クリックで「若殿」のように凛々しいハー君と
菜々ちゃんと一緒の、粋なタキシード姿のハー君をご覧下さい

赤いバラの花束を抱えたお洒落なポーズの写真もあるけれど・・・
ジャニーズ事務所からスカウトされたら大変だから載せるのはやめておきます。
(ハハハ、完全なババ馬鹿

ピンクのおリボンを付けた菜々ちゃんもおすまししています
2年後は菜々ちゃんの七五三です。
それまでに髪の毛が伸びますように


お食事は鶴岡八幡宮から歩いてすぐの「ひさご亭」でいただきました。
「豆腐懐石」で有名なお店です。

昭和の初期に建てられた重厚な建築で、当時の海軍大将の屋敷とか・・・
お部屋の窓から山とお庭が望めて、リスの鳴き声が聴こえていました。

ハー君の無事の成長を祝って一同揃って乾杯です。
今日はお豆腐のお料理だから菜々ちゃんも食べられるね。ハイどうぞ・・・

着物は苦しいから着替えるねそれから豆乳と栗のデザートを食べよっと・・・


余計な装飾品がない畳の個室は、まるで自分の家にいるような落ち着きを感じました。
2人のジ~ジは共にお酒を酌み交わし・・・
ナント!横浜ジ~ジは横になってお昼寝です

そもそも北条屋敷跡に建てられたという「宝戒寺」の裏手にあるこのお店の場所は
政子の御寝所あととも言われているそうです。
眠気を誘う安らぎが感じられる所でした。


床の間のお花飾りは、白い「ワビスケ」と「ホトトギス」でしょうか・・・
如何にも鎌倉らしい、禅に通じる佇まいでした。



コメント (28)
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