花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

我が家の花と「田浦の梅林」

2011年02月25日 | 花シリーズ

♪東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ♪
学問の神様で有名な菅原道真公が詠んだ歌ですが、
主人が10年以上前に道真公ゆかりの「大宰府の天満宮」で購入した「枝垂れ梅」が咲きだしました。

今日(2月25日)は東風ならぬ南風が強く吹いて、横浜の最高気温は20度近くに上がるとか・・・
気象庁から「春一番」が宣言されました。


西の中近東に目が行っていたら、今度は南半球のニュージーランドで大地震
日本人の留学生が大勢巻き込まれたようですね。

現地からの凄まじい画像に胸を痛めており、一刻も早い救出を願ってやみません。
地震国日本に住む身にとっては、改めて直下型地震の恐ろしさを痛感し
ベッド脇とダイニングのテーブル下に「笛&懐中電灯&水」を入れたボックスを置きました。


こちらは我が家の庭のマンサク
前回UPした「東慶寺」の豪華なマンサクと違い、小さな楚々としたお花です

毎年2月中旬になるとあっという間に咲き出して直ぐに終わってしまいます。
この花を見ると、この時期に足かけ5年通ったオーストラリアのパースを思い出します。


パースにも日本からたくさんの英語研修の留学生が来ていました。
ワーキングホリデーのビザを取って、勉強しながら働いている日本の若者がたくさんいました。

私たちのパースに通いだしたきっかけは、定年退職後パースに家を借り長期滞在をしていた主人の先輩から
「オージーに日本庭園を教えてやって欲しい」と声をかけられたのが始まりです。

その先輩は退職後すぐにニュージーランドのクライストチャーチにある英語学校で3ヶ月間学び
その美しい街がトテモ気に入ったので長期滞在を考えたそうです。
しかし気候的に厳しいものがあり、留学相談所の薦めもあって温暖なパースに変更。

一緒にエジプトに行ったご近所仲間のK子さん夫妻も、以前訪ねたクライストチャーチが気に入り
ここでの長期滞在を考えたそうですが、同じ理由でタイのチェンマイにしたとか・・・

まだ秋の初めの季節なのに冷たい雨が降っている地震の被災地のクライストチャーチ

私はまだ行ったことはありませんが、山をやる人間なら誰でもが憧れるニュージーランド
一日も早い復興が望まれる所です。

横須賀「田浦の梅林」

先週の土曜日(19日)、ポカっと時間が空いたので、カメラを抱えて「田浦の梅林」に行って見ました。

母の転院、父の様子見、孫の子守などが続き、流石に疲れ果て・・・
自然の中に飛び出しての気分転換を求めたわけです。


横須賀線の「田浦駅」から歩いて20分、行き方は色々ありますが、私は旧梅林から入りました。

急な階段をひたすら登って行きます。

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途中に「大六天神」があり、脇に梅林発祥の地の碑が建っていました。マウスオンで説明標識をご覧下さい。

昭和9年、今上天皇がお生まれになったのを記念して、地元の有志が
60アールの山林に梅を植樹したのが始まりだそうです。


三浦半島最大の梅林で、約2700本の梅が咲くのですが、この日はまだパラパラとしか咲いていませんでした。
先週は積雪が見られた週で冷えましたものね。


この梅林は10年位前に、山仲間と「仙元山~二子山」にハイキングした時に知りました。
あの時はまさに満開で素晴らしかった

今回、梅はまだ5分咲き程度でしたが、足元に咲く水仙が満開でした。
ここから山頂までの風景をnon=nonさんのソースをお借りして纏めましたのでご覧下さい

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足元に咲く水仙が可愛い♪
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「田浦梅の里」の山の頂上(127m)付近には、アスレチック、キャンプ場、芝生広場、展望台などがあり
四季を通じて家族連れなどが楽しめるようです。


私も展望台に登って、雄大な東京湾の風景を堪能しました。

この日は薄曇りで残念ながら房総半島は良く見えませんでしたが・・・
船のドッグが見えていて、港湾風景が楽しめました。


左手に目をやると、うっすらと横浜港のベイブリッジが見えました。
判りますでしょうか?


ほのかに香る白梅の花の下で、ポットに入れて持ってきた温かいお茶を飲み、
コンビニのオニギリを食べました

軽く汗ばんだ体にお茶が染入ります。
外の風を感じながら食べるひと時はなんて気持ちが好いのでしょう

この梅林の梅は殆んどが「白梅」
この梅の実が横須賀名物の「梅ワイン」となって販売されているとか・・・
今度味わって見たいと思いました

尚、梅の開花情報や地図などはこちらのホームページをご覧下さい。
今日の暖かさでいっきに開花して、今週末が見頃かもしれませんね。



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エジプト紀行17・「ハトシェプスト葬祭殿」

2011年02月21日 | エジプト紀行
チュニジアから始まった民主化要求デモは拡大を続け、
中近東の国々では、政権側の弾圧による死者数も増え続けているようですね。

昨夜、NHKスペシャル「独裁政権VS若者達・中東ネット革命の真実」を見ました。

デモという従来からあった行動の裏では、インターネットを遮断したエジプト政府と若者達、
そして世界中のハッカー達との凄まじい攻防が・・・
今までの革命とは全然違うネット戦争が繰り広げられていたようです。

死亡した365人の追悼式が行われたタハリール広場では、それぞれが権利を主張するデモが行われ
収拾が付かなくなりつつあるようです
エジプトの民主主義はこれからが正念場ですね。

この一連の動きは、ひょっとして中国にも飛び火するかも知れません。
歴史は今怒涛の如く動いていますね。

エジプトと言えば忘れられないのが、1997年にルクソールの「ハトシェプスト女王葬祭殿」で起きた、
イスラム原理主義の過激派集団による「外国人観光客襲撃テロ事件」です。

私たちの「エジプト旅行」6日目の見学は、その舞台となったルクソール西岸へ向いました。

1月28日

古都「ルクソール」での2日目の朝を迎えました。
私たちが泊まったホテルは「シェラトン・ルクソールリゾート」
ナイル河畔の東側にあるリゾートホテルです。

西側の山々が朝日に赤く染まっていました。
あの山の向こうに「王家の谷」があるのでしょうか・・・?

ホテルの部屋はちょっと狭かったけど・・・朝食のビュッフェはパンが豊富でした。

さて「生者の都」と言われる東岸に対して、
夕日が沈む西岸は 「再生・復活」を意味する「死者の都」ネクロポリステーベと呼ばれ
墓所として利用されてきました。


サトウキビ畑の続く牧歌的な風景の中に突然現れる「メムノンの巨像」

新王国時代絶頂期の「アメンへテブ3世」の像で、坐像の後には葬祭殿があったのが
後の国王が自らの葬祭殿設立の石材調達のために破壊してしまったそうです

「ハトシェプスト女王葬祭殿」

そしていよいよ「ハトシェプスト女王葬祭殿」に到着です。
厳重なるセキュリティーチェックを受けてからトラムに乗って行きました。

岩を背にしたモダンな三階建ての建物が眩しい

この葬祭殿は、紀元前1500年頃エジプトで最初の女王となったハトシェプストのために
造られた葬祭殿で、ルクソール西岸・王家の谷の東側にある断崖を背に建てられています。

私たちは最初に向かって右側にある“アヌビス神の礼拝所”に行きました。

アヌビス神とは黒い犬の頭を持った神様で、お墓の守り神だったようです。


この壁画は、ホルス神にワインを捧げるトトメス3世の姿が描かれています。

3500年以上も前に描かれた色彩が、色鮮やかに残っていることが奇跡ですね。

トトメス3世は幼少期に王権を奪われたことでハトシェプスト女王を憎み、
壁画を抹消したり、ファラオにとって大事な王名表からも女王の名前を削除させたそうです。

女王の姿が削られていますアメン神への捧げ物

天井一面に描かれた星が見事!犬の頭を持ったアヌビス神

モモちゃんの熱心な説明を受けてから自由時間となり、私たちは葬祭殿の上のテラスに行きました。


14年前、ここで死者60名を出したテロリストグループによる外国人観光客襲撃事件が起きたのです。
日本人も10人が犠牲になりました。

まさに逃げ場のない舞台のような場所ですね。


すっかり御馴染みになった「ホルス」がお出迎えです。


当時、エジプトでは女性は王になれませんでしたが、王の嫡出の長女には王位継承権があり、
その夫が王になるという制度になっていました。

ハトシェプストはトトメス1世の嫡出の長女として王位継承権を持っており、
トトメス1世の側室の息子が彼女の夫でトトメス2世となりました。


付け髭をつけた「ハトシェプスト女王」の像が並んでいます。
本物は破壊されましたので、これらはレプリカですが・・・

女王には息子がいなかったのか、トトメス2世の側室の息子が後継者に指名されました。
しかし、トトメス2世の死後、ハトシェプストは夫の側室の息子であるトトメス3世が幼少であることを理由に、
自らが王になりました。
トトメス3世は彼女の娘と結婚します。
う~~ん、このドロドロの人間関係は現代では考えられませんね

エジプトの女王と言えば美人で有名なクレオパトラが浮びますが、
ドラマチックな点ではハトシェプスト女王も負けていませんね。俄然興味を持ちました。

現代はここで「写真を撮ってあげる」と言ってパクシーシ(チップ)を要求する警備の警官の姿が目立ちます

どうやら我ツァー仲間が餌食になったようですこちらは岩窟聖至所

この聖至所は女王の墓に続いているとも言われているそうですが、
未だに女王の墓は確認されていません。


ハトシェプスト女王は、この葬祭殿を建築した(愛人であったとも言われている)センムトを後に追放し、
センムトの像を全て破壊させました。

しかし、女王もトトメス3世が成長し力をつけてからは結局失脚します。
テロの舞台となったこの「葬祭殿」には愛憎渦巻く物語がありました。

       

この日のルクソールはカンカン照りで、帽子を忘れた仲間のぷりんさんとK子さんは
この「ハトシェプト女王葬祭殿」のお土産屋さんで帽子を買いました。

エジプトのカイロが北緯30度ですから、この1月の時期は冬です。
でも・・・
太陽の陽射しは強烈で帽子とサングラスは欠かせません。
最低気温「8度」、最高気温「30度」の世界です。

太陽の照りつける茶色の世界のあとに、早春の日本の風景を最後に加えます。


こちらは先日雪の後に尋ねた鎌倉「東慶寺」の鐘楼の周りに咲いた梅です。 


そしてこちらが春まんず咲くと言われる「マンサクの花」

こちらは「東慶寺」で写した画像ですが、今日見たら我が家の庭の「マンサク」も満開になっていました。
何となく嬉しいですね
青空が広がったら撮影したいと思います。

日本人の「春を待つ心」・・・
四季のある風景の中で培われた気持ちを大事にしたいですね。


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雪の残る北鎌倉・「明月院」

2011年02月16日 | 鎌倉散策
母が今日(2月16日)藤沢市にある療養型病院に転院しました。
先週から天気予報は雪だるまマークが目立ちましたが、今日は穏かな日和に恵まれて本当に良かった・・・

最初の予定では、今月初めに鎌倉駅近くの病院に移るはずでしたが、
母はMRSA菌値が高くて入院を拒否されました

それでようやく見つかったのが、この菌の数値が高い患者専用の病室がある藤沢の病院。
鎌倉よりも更に遠くて、入院費用もバカ高(同じ医療保険病棟なのに、今までの病院の4倍)ですが、
終末まで看てくれる介護病棟も付属されているので決めました。

と言うより、地域の中核病院に入院して三ヶ月・・・
もうこれ以上今の病院に置いてもらえず、受け入れてくれる病院がここしかなかったのが実情です。


2月11日の雪は、ニュースで大騒ぎしたわりにはさして積もりませんでしたが
バレンタインデーの14日の雪は凄かったですね。
横浜は夕方の5時半頃から、雨が雪に変わりズンズン積りました
真夜中にベランダの手すりの雪を計ったら6cmの積雪でしたよ。

11日の雪のあと「今度雪が積ったら鎌倉のお寺に行ってみようと思っていた私・・
昨日は、母の病院の面会時間が始まる2時まで北鎌倉を散策してきました。
(鎌倉に行くのに超便利な、母の入院している病院通いもこの日で最後ですものね)

お天気が回復して陽が照り出し、せっかく積った雪もドンドン融けて行きました。
「山の陰になる日当たりの悪い小さなお寺なら雪が残っているかもしれない」
と選んだのが「明月院」です。

ご覧の通り、雪はほんの少し残っていました。


「アジサイ寺」として有名なこのお寺の事は、ここで何度も紹介していますので
詳しい事は省きます。
歴史などを知りたい方はこちらをご覧下さい。


「山門」に向う参道の階段の両脇にはアジサイがズラリと植えられており、
今は少し芽が出つつあるものの、全体的には茶色の枝が目立ちます。

姫アジサイの明月院ブルーが見事で、シーズン中は行列が出来る階段ですが、
この日は殆んど人の居ない静かな雪の残る「明月院」でした。


上を見上げるとあちこちに黄色の「ロウバイ」が・・・
黒いのは実でしょうか?

なるほど花はまるで違えども、初夏の「明月院」の庭に咲く、
私の大好きな「ナツロウバイ」の実にソックリです


漢字で書くと「蝋梅」
蝋細工のような美しさと言うところでしょうか・・・?

青空に映えて春色に輝いていました


「方丈」の周辺には雪が残っていました。


ご存知「満月」を現した方丈の「丸窓」から眺めた奥庭。
ハナショウブと紅葉の季節だけ一般公開されるお庭です。


冬の季節らしく「火鉢に鉄瓶」が置いてあります。
いつカメラを向けても「絵」になる空間ですね。


誰が作ったのか?、親子の雪だるま・・・
温かい日差しに融けだして、フニャフニャの姿になっていました。


こちらは「方丈」の左手奥にある「開山堂」

いつも季節のお花をいっぱい抱えている「花想い地蔵」も、暖かそうな赤い毛糸の帽子をかぶっています。

開山堂のすぐそばにはほぼ満開の紅梅と白梅が、昨夜来の雪で冷やされてヨレヨレぎみ



「開山堂」の右手には鎌倉十井の「瓶の井」があります。
詳しい事は↓をお読みください。


この十井の詳しい場所はこちらを参考にして下さい。

私のブログの中では「海蔵寺」の二つの井戸を以前紹介したことがあります。


「開山堂」の裏手の山側には夏ミカンがたわわに実っていて・・・
たくさんの「ロウバイ」が咲いていました。

ここだけビタミンカラー満載の明るい初夏の色に染まっていた感じです。


開山堂左手にある「やぐら」は、山内上杉家の祖上杉憲方の墓とされ「明月院やぐら」と呼ばれるもので
鎌倉最大(間口約7メートル、奥行き6メートル、高さ3メートル)のやぐらです。

やぐら内中央の宝篋印塔が憲方の墓と伝えられています。

壁面には釈迦如来、多宝如来が浮き彫りされており、
その周りに十六羅漢の浮き彫りもあるため「羅漢洞」ともいわれています。


雪国に住む人にとっては「春の音」
雪が融ける「雨だれの音」を聞きながら出入り口の総門近くまで戻ると
北条時頼の墓の横の廟の前に、可愛い色の梅が春の日差しを浴びて咲き出していました

今の季節の「明月院」は圧倒的に「ロウバイ」のお花が多いのですが、梅もなかなかのものでした。

雪を見に行ったつもりが、「春」を感じた鎌倉散策でした。

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さて、優雅な鎌倉歩きの後ですが、ここからは少々シリアスはオハナシです。

母は幸いこの一週間、熱が出ることもなく体調も落着いていて、何とか無事に転院できましたが・・・
ここまで来るのに色々大変な思いをしました。

今、病院のベッドがドンドン減っている現実を存知ですか
(地方は医師不足・看護士不足によるものが多いのですが、都会は意識的に減らされています)

私のホームドクターの話では、入院患者が増えると「健康保険」が赤字になるので、
国はできるだけ患者が入院しないで済む訪問看護に力を入れているそうです。

そして入院した場合、健康保険の点数が入院25日を過ぎると低くなるので
病院側は長期入院患者を抱えると赤字になっていくそうです。

ですから軽い人なら2週間、重い人でも3ヶ月で追い出されるシステムなのですね。


前政権(自民党政権時代)の時に決まった事ですが、病院の廊下を広くしたり1ベッドの空間を広くしたりと
病院の建築基準を変えて、1ベッド減らすと国から病院に500万円の補助が出るとか・・・
ある病院では20ベッド減らして1億円の補助金が入ったそうです。

今日母が転院した病院のソーシャルワーカーさんのお話では、
2013年までに療養型病院のベッドは半分に減らすという法案が出ていると嘆いていました。

財源不足は判りますが、血も涙もない政策に唖然とさせられます。
多額のお金と医者のコネの無い人の老後はもう真っ暗くら
ピンピンコロリを願うしかないようですわ

そんな怒りを鎮めるためにも出かけた「鎌倉歩き」でした。


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「エジプト紀行」16・ルクソール「カルナック神殿」

2011年02月13日 | エジプト紀行
雪の中の「椿」

三連休初日の11日、滅多に雪の降らない太平洋側も雪の一日となりましたね
横浜郊外にある我が家近辺も最初はミゾレ混じりでしたが、
午後からは水分の多いボタン雪が降り出しました。

そんな中、ちょっと早いのですが(当日は仕事で不在と言うことで)主人の誕生日を祝うために
駅前の繁華街に繰り出しました。

主人の大好きな活き魚料理をたらふく食べ、熱燗のヒレ酒を付き合い、
最後は「カラオケ」を楽しみました。
雪のせいか?、休日だと言うのにどこもお客さんの姿はほとんどなくてガラガラ・・・

私は滅多にカラオケは行きませんので歌える歌はごく僅かですが
ド演歌の多い主人に合わせて「雪椿」を覚えました

優しさと甲斐性のなさが、裏と表に付いてくる~~
そんな男に惚れたのだから~、私がその分頑張りますと・・・
花は越後の~、花は越後の雪椿~


私の歌などコブシが回らないママさんコーラス的な歌い方なので、こちらで原曲をお聴きください。

今どき滅多にいない、母たち世代の耐える女の歌ですが・・・
そんな雪椿に良く似た風情の椿が、
翌朝近くの公園で見られたので写真を撮りました


横浜南部の高台にある我住宅地は、うっすらと雪化粧の朝を迎えました(12日、朝8時撮影)

札幌で4年暮らした経験のある我等夫婦から見れば、淡い春の雪に見えますが・・・
雪道を歩きなれていない人々が、我が家の前の坂で転んでは大変と
主人が凍った雪をかきました。

僅か15分の作業でしたが、3m以上も降り積もっている雪国の人々の大変さを思うと
申し訳ないような気持ちになりますね。

        

さて、エジプトの「ムバラク大統領」がついに辞任したと発表されました。
「軍」が全権を掌握したようですが、
これからの「エジプト」がどのように変わっていくのか暫くは目が離せませんね。

私の1年に及ぶ「エジプト紀行」もようやく古都「ルクソール」に入りました。

今までの旅行記は左上のカテゴリー「エジプト紀行」で、
カイロ特別編を入れて18編UPしておりますので参考になさって下さい。

ルクソール「カルナック神殿」

画像は「雪の横浜」から一転、エジプトのルクソール「カルナック神殿」に飛びます。

カイロから南へ約670km、その昔テーベと呼ばれたルクソール
中王国時代から新王国時代にかけて(紀元前2000年~紀元前700年頃まで)エジプトの中心地でした。

その栄華を反映するように、現在のルクソール各地には、当時の王たちの権力を象徴するような
神殿・葬祭殿・墳墓が遺跡となって残されています。

その中でもエジプト最大の大きさを誇るのが「カルナック神殿」です。

第一塔門

カルナック神殿の最初の塔門まで導くのが左右に40体並ぶ羊の頭を持つスフィンクスです。
 

幅113m、高さ43mの第一塔門はエジプト最大を誇ります。

王が神となったていた古王国時代、テーベの街が発展するとともに第12王朝の時、
アメン神は太陽神「ラー」と結合して国家最高の「アメン・ラー神」となりました。

その庇護の下、2000年の長きに渡って歴代の王が次々と「カルナック」に神殿を造営したので、
エジプトで1番大きな神殿となったのです。

第一中庭

第一塔門をくぐると、幅103m、奥行き84mの第一中庭があります。
第22王朝のシェションク1世による造営です。

第二塔門と大列柱室

ラムセス二世が完成させた第二塔門を抜けると、巨大な柱の森「大列柱室」へと入ります。

写真にも写っていますが、エジプトの遺跡にはこの様なワンコがあちこちに寝そべっています。
いわゆる「野良犬」なのですが、モモちゃんの話では「神の使いの山犬」として
エジプト人たちは特に追い払わないのだそうです。

巨大な柱の合計は134本!ラムセス二世が装飾部分を完成させました

やっぱりありましたね。ラムセス二世のマークその先には2本のオベリスクが・・・

第三塔門と第五塔門の「二本のオベリスク」
トトメス1世が造営したオベリスクは19.5mハトシェプスト女王のオベリスクは29.5m


2本のオベリスクはアスワン産の赤色花崗岩で製作されています。

制作費を惜しまなかったハトシェプト女王のオベリスクは元来対で2本あったそうです。
その内の1本は地震で倒れてしまったとか・・・

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お陰で目の前でオベリスクのてっぺんを見ることができます。
マウスオン でテッペンンのハトシェプスト女王の図をアップでご覧下さい



エジプト最大の神殿の中心部となるアメン大神殿の面積はなんと約30haもあります。

神官たちが身を清めた聖なる池巨大なスカラベの周りを廻ると願いが叶う?

私たちもモモちゃんに言われたとおり7回、ぐるぐると回りました。

スカラベとは昆虫のふんころがしのこと。
ふんころがしは朝早く起きてせっせと働きますから、エジプトでは太陽のイメージの聖虫なのです。



流石に見応えのある神殿ですが・・・
この日はアスワンを発って「コム・オンボ神殿」「ホルス神殿」と見てきたので
頭の中はゴチャゴチャになっています


午後3時、世界中の観光客がゾクゾクと集まってきています。

今回のエジプトの騒乱で、この様な遺跡に観光客の姿は見られるのでしょうか?
行きたい人がいつでも行ける、平和なエジプトであって欲しいと思います。

旅の5日目のこの日は「カルナック神殿」を見学してから早めにホテルに入り一休み・・・
ルクソールでは2泊するので、私とK子さんはザブザブと手でお洗濯をしました。

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そしてこちらの画像はこの日のディナーのビュッフェ料理です。
メーンディッシュはシシカバブーでしょうか?

マウスオン・クリックで前菜とスープ、
そしてアラビアのロレンスのようなステキな民族衣装で現れたモモちゃん
仲良く一緒の画像をご覧下さい

彼も今が一番の稼ぎ時なのに、仕事のない毎日を送っているのではないかと心配していますが・・・
無事民衆による「革命」が成し遂げられて、今頃は歓声をあげているかもしれませんね。

何しろ、私の仕事先の公共施設を時々利用しにくるエジプト人のW氏のお話では、
「日本のジャイカなど海外からの援助金の99%はムバラク一族の企業に入る」との事

世界中のあちこちに家を持つ彼のような富裕層でも、打倒ムバラクでした。

30年にも及ぶ独裁長期政権は、公金横領・コネ・ワイロ・秘密警察が横行し、
腐りきっていたようですね。




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三浦半島「鷹取山」・簡単ハイキング

2011年02月08日 | 山シリーズ
ここを訪ねて下さった皆様の中で「金縛り状態」に陥った経験のある方はいらっしゃいませんか?
先週、私は夢か?うつつか?妙な体験をしました。

ベッドに横になって間もなくのこと、雨戸を打つ風の音が時々頭上でカタンと聞こえるのですが
それがゴ~ンゴ~ンと大きく響き出し、ふわぁぁ~と体に圧力がかかった、と思ったとたん
私は金縛り状態になったのです。

大声で助けを呼ぼうとしても声が出ない、多分うなされていたと思います。

「きっと精神的に疲れているのだわ」・・・
そんな時は体を動かすに限ります。


2月6日の日曜日、山仲間のYさんを誘って、近くの「鷹取山」へ出かけました。

JRの「東逗子駅」から歩き出します。
駅の右手の踏切を渡り、そのまま道なりに300m進むと「神武寺」の入り口が現れ
「鷹取山」の標識が出ていました。


「神武寺」の表参道が「鷹取山」の登山道に通じているのです。

医王山来迎院「神武寺」
登山口からおよそ15分で「神武寺」の最初の小さな「山門」が見えてきました。

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医王山来迎院・「神武寺」
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境内の様子をnon_nonさんのソースをお借りして纏めましたので、小さな画像にマウスオンしてご覧下さい。

山中で静かな佇まいを見せる「神武寺」は奈良時代の724年、
行基という僧により創建されたと伝えられる天台宗の古刹です。

「吾妻鏡」によると、承永3年(1208年)5月15日、将軍実朝がここに参詣したことが記されているそうです。

今の薬師堂は1594年の建立で、室町末期の建築様式だとか・・


境内には樹齢400年の「なんじゃもんじゃの木」が・・・
高さは約20m、この辺りがこの木が育つ北限なのだとか。

薬師堂の左手に「鷹取山」への登山道が通じています。


登山と言っても「鷹取山」は標高僅か139mの低山、子供連れのファミリーの姿も多く見られました。


低山のお気軽ハイキングといえども、こんな鎖場もあって、変化に富んだ楽しいコースです。


鷹取山の地質は大谷石と同じ「凝灰岩」、ここはまさに「岩の山」でした。


その岩を利用しての「ロッククライミング」の練習場になっていました。

ところで・・・
ここまでの撮影は、私、カメラのISOの設定ミスで、画像の色が不自然でガックリ


昭和初期まではこの凝灰岩が切り出され、鷹取石と呼ばれて建築用に利用されていたそうです。
今ではクライマー達があちこちの絶壁に取り付き、スリルを楽しんでいました。

「鷹取山・頂上」


東逗子駅から歩き出して、丁度1時間で「鷹取山」頂上に到着です。
更に階段を登ってあの上の展望台に行きました。

この日は生憎霞んでいて、富士山も東京湾も見えませんでしたが、
空気が澄んだ日は富士山はモチロン、房総半島や伊豆半島も見えるらしい・・・

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山頂の様子をマウスオンでご覧下さい。


トンビが空を舞って、時々急降下していました。
頂上広場でお食事をしていた人々のお弁当を狙っていたらしい・・・
被害者があちこちにいました。

私たちはトンビから逃れるために、東屋の中のベンチに座り、持ってきた「オニギリ」を食べました。
久しぶりに歩いて好い気持ち
血の巡りが良くなり、体中に酸素が行き渡った感じです。

「鷹取山頂上」は公園になっていて、トイレや自販機もありますので、家族連れで楽しめる所です。


私たちは30分休んでから「追浜方面」に向いました。


こちらの岩場には女性のクライマーの姿も見られます。

楽しそうな歓声を聞きながら「追浜方面」に7~8分歩いて行くと、
巨大な「磨崖仏」が現れます。


地元の彫刻家「藤井茂氏」が昭和40年ごろに彫ったものだそうです。
圧倒される思いで見上げました。

このまま下ると20分で京急「追浜駅」です。
「まだちょっと歩き足りないわね」と言うことで、私たちは頂上まで引き返し、
「京急・田浦」駅に向うことにしました。

「時間があったら田浦の梅林にも行きたいわ」


里山の風情の感じられる気持ちよい道を50分歩いて行きます。
1時半頃に「京急・田浦駅」に到着、丁度3時間のお気軽ハイキングでした。

田浦の梅林はまだ3~4分咲きだそうなので今回は行かず、
駅近くのレトロな喫茶店でケーキセットを食べながらお喋りを楽しみました

日頃の悩みも忘れて笑い転げ、好い気分転換になった一日でした。
忙しい中、前夜の突然の誘いに付き合ってくれたYさん、ありがとうございました


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「エジプト考古学博物館」

2011年02月03日 | エジプト紀行
カイロ空港で足止めされていた旅行者の方々も
皆さんどうにか帰国されたようで何はともあれ一段落しましたね。


パース繫がりの私の若いブログ仲間さんのお母様もその中のお一人で
カイロ空港の冷たい床の上で2日間を過ごしたそうです。

毛布もなく、差し入れはパンと水のみ・・・
トイレも酷い事になっていて、辛い2日間だったに違いありません。
無事、成田直行の一番機で帰国できて何よりでした。

旅行中災難にあった場合、添乗員さんの判断(旅行会社の判断)が重要ですね。

私たちは現地にシッカリとしたサポート会社や支店があること
そしてプロの添乗員さんが揃っている旅行会社を、
自分達で見極めて選ぶしかありませんね。

以前、ご近所仲間と安いスポット的なツァーに飛びついて酷い目にあったことがあります。
それがロシアと言うちょっと独特な国だったので、散々怖い目に会いましたよ。
(自業自得なのですが、添乗員さんの存在感がまるでなかった)

そういう旅ほどインパクトが強烈で忘れられませんね

さて、エジプトのムバラク大統領は「次回の9月選挙には不出馬」との声明を出ましたしたが
返ってそれが火に油を注いだようになり、
カイロ中心街にある「タハリール広場」を埋め尽くしたデモ隊は「今すぐの退陣」を求めてヒートアップ

昨日のニュースでは、親ムバラク派との衝突があったと聞きました。
死者五人に大勢のけが人が出て・・・
同胞同士の流血騒ぎは悲しいですね

「エジプト考古学博物館」

今、騒乱が起きている「タハリール広場」に面して「エジプト考古学博物館」があります。

収蔵点数は20万点にものぼると言われる人類の宝物が所狭しと並んでいます。
私たちのツァーは最終日の午前中、この博物館を訪れました。


館内には、ツタンカーメン王の王墓から発掘された黄金のマスク、黄金の玉座をはじめ、
カフラー王座像、ラムセス2世のミイラなど、古代エジプトの至宝が展示されています。

少年王のかぶっていた黄金のマスクは純金製で重さ約11kg
青い部分はラピスラズリと色ガラス、目の部分は黒曜石が使われ実に鮮やかです

ここに暴徒と化した人々が侵入し「ミイラ2体」を傷つけたとニュースで知り、胸を痛めていました。


ヒョウの上に立つツタンカーメン王の像や王族のミイラ2体など多数の収蔵品が損傷を受けたが、
盗難はなんとか免れたようです。


貴重な自国の遺産を奪略するなんて、と信じられませんでしたが
エジプトに滞在している吉村作治先生のお話では、デモ騒ぎにつけ込んだ窃盗団の仕業だそうで・・・
略奪者は29日、警察当局とカイロ市民によって捕らえられたようです。

市民たちは略奪者の侵入を防ぐため、手と手をつないで博物館を取り囲んだ
と言われています。

エジプト全土に略奪のニュースが広まる中、
地域の史跡を守るために団結するエジプト国民も増えているそうですね。

ギザのピラミッドも、この「考古学博物館」も今のところ軍が管理していて閉鎖されているようですが
どうか史跡を守ることを第一に、その銃口が市民に向けられないことを祈りたいですね。


私たちが行った時は世界中からの観光客で賑わっていました。
館内は撮影禁止なので、売店で買ったガイドブックや絵葉書から、画像をお借りしています。

1965年にこのツタンカーメンの黄金のマスクが上野の国立博物館で展示されたことがあります。
(モモちゃんの説明では、アスワンハイダム建設への多額の援助の返礼だったそうです)

当時短大生だった私は誰と行ったかは忘れましたが、
大行列の中で見たツタンカーメンの財宝の数々の精巧さと美しさに感動したのを覚えています。

ツタンカーメン王の王座背もたれにはくつろいだ姿のロイヤルカップルが

その時に感激した黄金のマスクや金のベッド、椅子など、40数年ぶりに対面しました。

今回その感動を思い出しながら、少年王の短かった一生に思いを馳せ
ジックリと鑑賞しました。

初日にギザのパピルスのお店で買った「額」は、まさにこの椅子の背もたれに描かれている
ロイヤルカップルの姿がデザインです


前にも紹介しましたが、今我が家のリビングのカップボードの上に飾ってあります。

ヒヒの胸飾りハヤブサの翼とスカラベの胸飾り

ツタンカーメン王のお墓から出てきたたくさんの宝飾品も展示されていました。
強盗や窃盗団が狙うはずですね。

2Fにはミイラの特別展示室があり別料金のようですが、
私たちはそのまま進み、ガイドのモモちゃんの説明を聞きました。

「アブシンベル神殿」などを建てた偉大なる王「ラムセス二世」のミイラも展示されていますが
ツタンカーメン王のミイラはここにはありません。

彼はルクソールの王家の谷にある自分のお墓の中で静かに眠っています。
次回からは私の「エジプト紀行」も元に戻って、ルクソール編から再開したいと思います。


午前中3時間かけて「エジプト考古学博物館」を鑑賞し、外に出てみると
日差しはますます強くなり、観光客もどんどん増えていました。




今日は節分、明日は立春です。
太陽の光が力強くなり、富士山がぼぉ~っと霞んで見えました。
季節は確実に春に向っていますね。


去年は「エジプト旅行」から帰国してすぐだったので、「節分」の行事は何もやりませんでした。
そのせいか、辛いことが次々と起こり、滅入ってしまった私・・・

今年はシッカリやりますよ~
南南東に向って「恵方巻き」を一気に食べ、豆をまきながら大声を張り上げましたわ。

「福は~内!、鬼は~外!」

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