まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

トロピカルな夏

2024-07-22 08:56:55 | 公園・庭園

 昨夕

いくらか涼しくなった夜。
そうだ、トイレに立ったとき満月を見たんだった、ひさしぶりの満月。

今朝はそよとも吹かない風、すでに28度の室温。
湿度80%。いい加減にしておくれってもんだ。

冬、はやく夏にならんかなあと言っていた夫は、はよ冬にならんかなあとぼやく。
あと2ヶ月もあるかと寝そべって嘆く。

私は元々冬の方が元気が出るから、それ見たことかと言い募る。
で、関係ないけど朝の最高血圧が105だなんて、測り直したら111なのよ。
どうなっているのか、自分。まあなんでもありだからいいけど、ちとびっくり。
さてさて、昨日は1日家でごろごろしていたから、今日は買い物に行かねば。
ま、1日の始まりだ。

 

ふざけるなって言いたくなるタイトルね。いやいや私が言ったんじゃないの、買い物途中で
寄り道した広々公園で見かけたのでいただいた次第で。いつもタイトルには苦労するのよ。

こちらのコンテナ寄せ植えの説明板に「トロピカルな夏」 まさにトロピカル。

他のコンテナの寄せ植え。

 

 

 

で、トロピカルな光景。
花壇の向こうはテニスコート。

 

 

 

この暑いのにテニスの試合、信じられん。信じられんけれど拝見。
前衛、自分が決めるなら決めなさいな、ラケット出してやっぱりやめたじゃ、後衛は困るでしょ。
なんて一丁前に。

手前のコートの選手も出てきた。暑いなあ。

試合待つ人たち かな。

荷物ものびている

野球場はごらんのとおり

写真撮影スポット。トロピカルな夏、記念撮影。

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鹿の子ユリ

2024-07-21 09:06:21 | 

昨夜は一晩中エアコンのお世話になった。初めてよ。
そんなことしていいのか、となんとなく思うけれど倒れるよりはいっかと。
室温27度、風速2のレベルに設定して夫は寝ていたのだが、私は少し冷える。
暗がりで風速を自動にして、次に室温を28度にして。
4時前、トイレに起きた時は消したかったが、そこは我慢したわ。

冷房の温度設定。
元同僚はラインで、夫の冷房温度に合わせていると風邪ひきそう、イライラする
と送ってきて、もう笑いをこらえたわ。分かる分かるそのイライラ微妙なイライラ。
夫婦二人で毎日を送っていると、どうでもいいようなことがイライラの種になるのよね。
種は育てちゃいかん。いかんけれど、いつの間にか栄養取って大きくなったりして。
花まで咲いたらえらいこっちゃだわ。イライラの花、どす黒いのかしら。うふふ。

 

ネズミ額の庭、トリを飾る鹿の子ユリ、紅色よ。
地植えすると、いつまでも枯れた葉が残るから嫌で鉢植えにしてもう数年、3年くらいかしら。
あまり好きじゃなかったからほったらかしにしておいた。それでも花開く、えらい。

7月13日 最初の1輪

7月16日 下の方はこんな感じ

7月17日 雨にぬれても頑張る

7月18日

さすがに花は小さくなったけれど このくらいが可愛くていいかな

 

蝶が大好きな三尺バーベナを ユリなんて彼ら彼女たちは見向きもしない

こうなると ジャングル庭もすてたもんじゃないなと

私が好きだから 八重のジニア

こちらは一重のジニア

斑入りのギボウシだったはずが こんなんなっちゃったわ 変

さて、もう少ししたら公園掃除に行かなくては。
自分ちのネズミ額庭だって見て見ぬふりしているのにね。
こんな暑い中、高齢者ばかりが集まって公園掃除よ、大丈夫かしら。ま、行って来る。

追)
ただいまです。公園掃除は中止です、賢明です。
ご苦労にも、班長さんが公園で待ってて来た人に説明して。ご褒美にゴミ袋いただきました。

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席を譲られる

2024-07-20 08:29:29 | くらし

 

 昨夕

私、鎌倉八幡宮に寄り道したときの横須賀線で初めて外国人男性に席を譲られようとした。
ああ、いよいよばあさん外見はインターナショナルになってきたんだな、と。はい。
大船駅乗り換えしたとき、空席がなかったから立っていたの、斜め前の座席に若い
かわいい外国人カップルがいたのよ。高校生か大学生か。ガイドブックを見ている。
彼女の方が男性を突いて何やらひそひそ、私見てひそひそ。と、やおら男の子が立ち上がり、
手で「どうぞ」のジェスチャー。ん?うれしい。けれど、ね、せっかくのカップル旅、
じゃましてもなんだから「大丈夫」「ありがとう」とお得意の日本語とボディランゲージ。
彼らは北鎌倉駅で降りて行きました、いい旅を。

 今朝の朝顔

昨日は暑気払いと称して同級生が6人集まった。集合場所は新宿、もう泣きそうなところ
だけれど仕方がない。駅構内も脱出した街の景色も異国だからね、人の多さと狭苦しい
空間に息が詰まりそうになるのよ。

で、行きの京急車内、横浜駅で立っている私の斜め前の席が空いた。その前に立っている
若い女の子は座ろうとしない。これは暗黙の裡に私にどうぞだなと都合よく解釈して、
「いいかしら」と言って座らせてもらった。
「目的地までに立ちっぱなしはない、必ず座れる」のジンクスは未だ生きている。

帰りの新宿からの山手線、ちょいほろ酔いで乗り込んだら、前の席に座っていた若い女性が
「よかったら座りませんか」言い回しは違うけれど、とても丁寧な口調で席を譲ってくれた。
感激よ。と、隣の30代くらいの男性が、どうぞ、って夫に席を譲ってくれた。
ほんとありがたい、が、申し訳ない。昼間っから遊んでいる年寄りに、と思うとね、なんだかね。
途中駅で二人とも座れたからほっとしたわ。男性の方は私の横だったから下車するときには
再度のお礼を。

帰りも京急、品川駅から。待ち時間なしの乗車だから当然座れない、つり革につかまって。
しばらく走ったら、前に座っていた中年男性がやおら立ち上がった。ん?と思ったが
譲ってくれたんだなと座らせてもらった。男性氏、次の駅で下車した。

 

白髪頭、疲れ顔の効果は電車では効力を発揮したけれど、ミニバスこまわりくんでは通用しない。
ほぼ8割敬老パス使用。老々譲渡はできないのよ。

 

 

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坂道を下る 夏の花

2024-07-19 08:42:20 | 植物

梅雨が明けたのね、よかったと言おうかどうか。
気象予報と同じで何度も同じことを言う、ああいやだいやだ暑いのは。
もう分っているから、今日も暑いとか最高気温はとかいちいち言わないでおくれ、
と予報士さんに突っ込むの、ほんと。

 昨夕

 今朝

 

もう1週間くらい前になるかしら、ロータリーバス待ちで。
思いやりベンチに、ちょい年上の老女お3人が座って何やら四苦八苦している。
突っ立っているちょうど私の真ん前。見ていたら栄養ドリンクの蓋を開けようと
しているのね。何度も挑戦しているの。
「ここまでは開くのよね」と。蓋はぐるぐる回る。さてその先が何としても開かない。
見かねてお貸しくださいなんて。ところが開かない、力任せは開かない、だめなの。
「開きませんでしょ、変ね。どうやるのかしら」とその方がまたもや挑戦。
預けていたもうひとりの老女が「もういいよ」と言うけれど、その方頑張る。
あっ、開いた!って押せばいいのよですって。ぐるっと蓋を回してその後は押す。
そっか。なあんだとにっこり。ありがとうと感謝されたけれど、私は何も役立っていない。
うん、でも栄養剤ごときでバス待ちの時間が楽しくなったことはほんと。

 

坂道途中にあるいつも利用しているコミュニティハウスへ。
バスを一つ手前で降りて歩く、膝の調子がこのところいいからね。
途中途中のあちこちに夏の花。

アパートの前のフウセンカズラ

オニユリだ

駐車場の片隅に 大きなひまわり 夏本番だ

こちらにもオニユリ

 

小学校の横を下る

 

プランター菜園

モミジアオイ 

ルドベキア こちらの家の植え込みにはいつの季節も何かしらの花が咲いている 

ミカンは大きくなっていた わが家と比べ物にならない

たったひと停留所歩くだけでも夏に出会えるわ。

 

 

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横浜友がまだ若かったとき イタリア旅行

2024-07-18 09:08:38 | 旅行

 昨夕 

Luccaルッカで呼び覚まされたイタリア旅行の思い出。

横浜友3人が50代後半、年下友は前半か。
うまい具合に3人が3人とも行かれる条件が揃って、ここがチャンスと初めての3人海外旅行へと
ツアーに乗った。場所は迷わずイタリア。そりゃあ楽しかったわ。
ルッカの冷や汗があったりしたけれど、あとは概ね順調にね、イタリアの思い出。
いやローマのホテルの夜、その日の清算をしているとき私がごねたことはあったわ。私だけ
多く出して損しているって。2対1、これでいいの!合ってるのとふたりに押し切られて。
3人はこういう時いいわね。それにしても自分でもなんでごねたのか謎。ケチじゃないはずなのに。

行程はすっかり忘れているから、写真のなすまま。

いきます、そのローマ

バチカンのスイス衛兵 衣裳が何ともステキで見惚れる

トレビの泉

フォロ・ロマーノ ここに咲いていたアカンサスに一目惚れしたわけ

 コロッセオ

 

カンポ・デ・フィオーリ広場の市 ナヴォーナ広場が近い

次にヴェネツィア

カナルグランデ(大運河)

船着き場

なんたって高いところがあれば上るから サン・マルコ広場の塔からの景色

丸いドームの建物はサンタマリアデッラサルーテ聖堂  中にも入った気がする

マッジョーレ島

ヴェローナ あんまり寄りたい場所じゃないね、なんて生意気言ったけれど素敵な街でした

ツアー客はいずこの国も同じ ガイドさんに連れられて並んで並んで

その我らのツアコンさん

 

ロミオとジュリエットの舞台になった街ね ジュリエットの家とバルコニー 

アッシジ すごく行きたかったところ

サン フランチェスコ聖堂 「小鳥に説教する聖フランチェスコ」などジョットの壁画が

 

と、ここまでUSBから画像を引っ張り出して選んで貼り付けたはいいが、肝心のフィレンツェの
写真がひとつもないのよ、いくら探しもないの。変、おかしい、どこに消えたのだろう。
もうしょうがないな、まあいいや頭の中には残っているからね。
で、ネットから拝借の1枚。

我ら3人してこの大聖堂のてっぺんに上ったの。大聖堂の中の狭い階段を息切らしながら
必死で上ったわけ。尻込みする年上友を叱咤激励して「ここまで来てドーモのてっぺんに
上らないでどうする!」と脅迫して。

写真にも白い狭いてっぺんに人々が見えますでよ、あの中の一員になったの。
狭い通路に恐怖を感じて1周して、今思い出しても足がすくんでぞがぞがするわ。

それにしても70代後半の今つくづく思うわけ。「行けるときが行くとき」
私の口癖だった「今年が最後」は母が倒れて本当になったもの。
あの時行っておいてよかったな。二人には感謝だ、よくぞ付き合ってくれたもんだ。

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舞岡公園 谷戸の田んぼ道を歩く

2024-07-17 08:35:28 | 自然・風景

涼しいのもどうやら今日で終わりのようね。
どんより曇り空はいやだけれど、気温の低さはありがたいのよ。

 今朝開いた朝顔

昨年の秋冬には血圧が140台で時に150にも行くことがあり、いよいよ医者通いに
なるのかとぐずぐずしていた。さすがに150くらいになると、変だなと自覚がある
けれど140なんてへっちゃらだ。むしろ元気が出るくらいで、そのうちにと
ほっておいたら。
いやいやこの春ぐらいから120台に落ち着いてきて、最近では110台だ、たまに110を
切ることもある。そりゃあ気温が高いというのもあるだろうが、なんだろうねこの落差。
いいのかしら、そっちの方が気になる。血圧が110台だとやる気が出ないね、さらに出ないね、
洗濯物干すのも
めんどくさいわ、ってそりゃあ別の病気か。ま、そんなこんな。

13日、ヤマユリご挨拶に行った舞岡公園。


林を抜け谷戸の耕作田んぼに下りた途端 暑さがむうーんと押し寄せてきてすぐに汗が浮かんだわ

両側を林や崖に囲まれた谷戸は暑い 拭っても拭っても汗が出てくる

園路のキキョウ見ても暑い

小谷戸の里のヤマユリ開き具合をチラ見して

古民家裏のヤブマオ拝見して もうさっさと帰り道へ

暑い 汗が流れる 
ネムノキは終わりだ そういえばリョウブの花もオカトラノオも終わりだったな

苗は順調に成長しているようだ

 

 

 

カメラに収める収穫はあったかな

 

帰りのバスを逃してしまった。乗る予定のバスはちょい向こうで信号待ち。
1本待つ間そこら辺ぶらぶら、谷戸の田んぼの中よりずっと涼しかったのよ。
私のことだ、こんなことなら20分もう少しゆっくり歩けばよかったなと後悔したことは
言うまでもない。ま、いっか。

 

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バス待ちの空

2024-07-16 08:51:36 | 街・風景

涼しかった。
しっかりタオルケット巻き付けて寝た夜。少しだけ開けておいた窓も閉めようか
と思ったくらい。それなのに23時に寝て2回も目覚めて3時からはもう眠れない、ま、なにする
でもないからいいけれど、今朝は室温26℃だから思いのほか体はシャキッとよ。ほんとよ。

 今朝の朝顔

今年に入ってからというもの、今までの私の人生になく自己肯定感が出てきて、
まあいいわこれでいいわ、私は私、と気持ちは高値(よりは低い)安定だったのに。
どうでもいいのの開き直りともいう。それが。
このところちょっといかん、なにがあったわけでもないのに、ちょっと低空飛行に突入。
困ったもんだ、仕方ないわねそうなんだから。ま、そのうちまた上昇するだろうと
取り敢えず買い物途中の道で空を見上げる。

昨日は市バス利用で隣駅のスーパーへ いつものスーパーは飽きた

百日紅がきれいだ この程度の大きさがいいな

 

階段を下りて

バス停で前の団地を眺める
一緒にバス待ちしていた老女が「ひとつ前のバスに置いて行かれちゃった」って 
ふたりして老女置いてけぼり率の高さを嘆き合う 運転手からは見えているはずなのにと
走っているつもりでも 歩いている程度のスピードじゃ仕方がないわね はははなんて
ちょっと前に並んでいればいいことよ と当たり前のことを確認しあう

買い物終えて、こまわりくんに乗り換えのバス待ちの間も空を見る。
青空は久しぶりな気がするわ。
四角い団地の建物と青空、雲。

 

 

 

 

 

7月も半分まで来た。
嫌いな夏はあと1ヶ月半もある。

 

 

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シンチャンママのがんばり

2024-07-15 08:36:54 | くらし

今朝も梅雨そのものの空。蒸し暑いなあ、気持ちが悪い。
床もどこもべたべたして、やり過ごすしかない。

 (写真は今朝の朝顔)

シンチャンママの家に回覧板を持って行ったら「おかわかめ食べる?」と聞かれた。
なにそれ、って。
おいしいのよ、さっと湯がいてお醤油たらして食べてみて、と庭のフェンスにぐじゃぐじゃ
絡まっているその葉を摘んでくれた。私はそっちよりシソの葉の方に目が行って。
そう、両方もらって夕飯に。私の献立は貰い物でできている。
おかわかめ、美味しいようなそうでもないような。微妙。湯がきすぎたかな。

それにしてもシンチャンママ、よくここまで回復したね頑張ったね、って。
シンチャンママは去年のゴールデンウイーク前に股関節の手術をした。
特に日常生活は困っていたわけではないけど、今だって決めたんだって。
「手術の後はバラ色の世界だって言われているのよ」と何の不安も見せずに言ってたの。
手術は大変らしかったそうだけれど、その後の生活が想像以上で。

シンチャンママは長年整骨院にお世話になっていて、その先生の進言で手術にも踏み切って。
当然のように手術をした病院の医師は、術後は歩いてリハビリしなさいと言う。
ところがその整骨院の先生は、術後の身体が落ち着くまでは歩いてはならないと言う。
トイレにだって歩いて行ってほしくないと言われたそう。迷うよね。
シンチャンママは、長年診てもらって治療してもらっていた整骨院の先生の助言に従った。
なるべく歩かない生活。それがいつまで続くか分からない生活、信頼するしかないわけ。

それまですぐそばのシンチャン一家は、何かとおばあちゃん家に出入りしていた。
それがほぼ行かなくなって、ソウチャンもメイチャンの声も聞かなくなった。
シンチャンママの家から生活の気配が何もしなくなった。ご主人が出入りする音だけ。
私、たまに回覧板持って行き、出なくていいからと言うけど「ちょっと待ってて」と
ゆっくり玄関まで出てくる。少し話す。
その間も立っていられず、座るねと段差に座って話す。誰にも会わないのだから
少しは声を出したいよね。
「大丈夫よ、エアコンとEテレとBSで楽しんでいるわ」って。
「主人や妹なら耐えられないだろうけど、私、もともと家の中でのんびりしているのが
好きだから」って。
私も絶対耐えられない。だってね、オクガワサンに〇さんの奥さん見かけないけど
どうしたのかしら、と聞かれるくらい徹底して外に出なかったんだから。すごい忍耐力。

それが、半年以上経ってお正月が過ぎて、玄関先からシンチャンたちとの声が聞こえ始めた。
シンチャンママが車運転する姿を見かけ始めた。
宅配便の人と話す声が聞こえ始めた。
「ようやく歩いてもよくなったの15分くらいね、まだ坂はだめだから平らな道ね。
だからスーパーまで車で行って中をぐるぐる歩いているのよ」なんて。
それにしても辛抱強いシンチャンママ。
1年を経過した今はすっかり元の生活に戻っている、いや歩く姿は以前よりすっきりしている。
「やっぱり大変だった、折れそうになったわ」と今にして。そうね、そうよね。
ほんとよかった。1年はかかったけれど乗り越えた先に、願ってたバラ色の世界があったわけね。

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舞岡公園 ヤマユリ

2024-07-14 09:06:14 | 植物

ここ数日、少し蒸すけれど涼しくて何より。
私はそんなこと言っていられるけれど、天が好き放題大暴れしている地域もあって、
いい加減にしてくれと怒鳴りつけている。

わが家のユリが終わって、そろそろヤマユリの花の時期だなと。保存してある写真は
毎年17日前後の開花。来週あたりだな、なんて考えていたの。それが。
昨日舞岡公園のHP確認したら、12日のブログに今が見頃です、って。
えっ!?それは大変だ、今年はどの植物も早めだからなこちらも早まったのか、行かねばと。
来週のどの日に行こうか天気予報見て考えていたけれど、2日も予定があるから躊躇
していたのよ。それが見ごろとあれば今日行くっきゃない、慌てて出かけたわ、昨日。
空も晴れていたしね。

 

終点でバスを降りて カーブミラー先の林の中を入る
入ったその時からもう汗がにじみ出してきて 
東門から耕作田んぼに来たらすでに背中はびっしょり
途中の林の中のヤマユリは ぽつりぽつりの開花 うーん残念

赤とんぼを撮ったつもり いない

園路のヤマユリは蕾 何本もあるヤマユリ 見事にまだ蕾

かわいい鳥が先導してくれるのがせめてもの慰め

小谷戸の里 門前で1輪出迎えてくれる

辛うじて1本咲いてくれている

古民家のお庭崖に

 

 

 

がっくり落胆 早まったか、もろもろで感激がない。ヤマユリご対面の感激がなかなかわかない。
林の中、園路、小谷戸の里、どこもかしこも見事に咲き誇っていた去年の姿が印象に残っている
からね、それがじゃまするの。うん、いけないね。

そうよ、今年も見られただけでよかったじゃないの、とむりやり気持ちを切り替えたわ。

 

 

 

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理佐と律とネネと『水車小屋のネネ』津村記久子著

2024-07-13 08:02:25 | 

いい話だった、本当にただただその想いしか浮かばない。
読んでいる最中も読み終わった後も、しみじみといい話だなあと。
最近読んだ本の中ではいちばんだわ。

かなり重いテーマを含み複雑な問題を孕んでいると思うのに、それが少しも表に出てこない。
淡々と描かれていて、姉妹はそこから逃げず戦わず気負わず乗り越えていく。
それはきっと、作者の津村さんがいうところの二人の姉妹の性格、
「理佐は生活の細々したことは考えつつも、考え込むことがなく、思い切ったことが
できるプリミティブな感じの人です。律のほうが慎重で考え込む感じですね」
が大きく作用していると思う。

小説は第1話の1981年から始まって、10年刻みで91年、2001年、11年と進み、エピローグは21年。
そこで終わる。

身勝手な母とその婚約者から逃れ、山間の町にやってきた理佐18歳、律8歳の姉妹。
理佐が見つけた就職先は小さな町のそば屋。この店はそば粉を水車小屋の石臼で挽いていて、
ヨウムのネネがその監視をしている。理佐の仕事はそば屋の接客とそば粉挽き、
そしてネネの相手をするというものだ。このネネの賢さが物語を彩り豊かなものにして。

裁縫が好きな理佐と、本好きの律。
二人が出会うのは老齢の画家・杉子さん、律の担任の藤沢先生や同級生の寛実ちゃん、
寛実ちゃんを男手ひとつで育てる榊原さん、浪子さんに誘われて理佐が参加した婦人会の女性たち……。
「必要に応じて登場人物を書いていったら、こんな感じになりました」と作者の津村さん。

ー「この程度のことなら自分にもできる」という範囲の親切にしたかったんですよね。
強烈に肩入れして助けてくれる人がいて人生が変わった、という話は拒否したいんです。ー
この津村さんのスタンスがとてもいい。

代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子さんは
ー人間同士の関係が、「対ネネ」と変わらないのである。べたべた甘えず、寄りかからず、
踏み込まずに、信頼し支え合う。このフラットな感じはとてもやすらかーという。
そう、物語はそのフラットな感じが貫かれていてすごく共感でき、気持ちよく読み進めていくことが
できる。暑苦しい熱意や好意は読み手も暑苦しくなるだけ。

 

大学に行くためのいろいろを教えてくれた藤沢先生の言葉。
「誰かに親切にしなきゃ、人生は長くて退屈なものですよ」

陽が落ちる直前の渓谷を眺めながら、律は地元の駅へと帰っていった。
恵まれた人生だと思った。
自分を家から連れ出す決断をした姉には感謝してもしきれないし、
周囲の人たちも自分たちをちゃんと見守ってくれた。義兄も浪子さんも守さんも杉子さんも
藤沢先生も榊原さんも、それぞれの局面で善意をもって接してくれた。

自分はおそらく姉やあの人たちや、これまでに出会ったあらゆる人々の良心で
できあがっている。

しばらくの間、自分という人間がおらず、何もしなくていいように感じることを
気分よく思いながら、律は去って行った守さんや杉子さんや、この場にいない
藤沢先生のことを思い出していた。彼らもその場にいるような気がした。

誰かが誰かの心に生きているというありふれた物言いを実感した。むしろ彼らや、

ここにいる人たちの良心の集合こそが自分なのだという気がした。

深い深い凄い言葉だなあと思う。多くの人に助けられてきた律がたどりついた自分自身の今。
いい物語だ。余韻が残る小説だ。


物語をさらに生き生きとさせているのが北澤平祐さん描くイラストの挿絵。
挿絵だけでもじっと見ていられる、想像力をかきたてられる。
単行本にはめずらしく挿絵が多く入っていて、大人のちょっとした絵本ふうだ。

(すべてネット拝借)


2024年本屋大賞2位。私的には読んでいない1位を上回っての1位。

 

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