花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

「阿蘇・くじゅう国立公園」の旅(Ⅱ) 『春浅き「久住山」』

2011年04月29日 | 山シリーズ

ゴールデンウィークが始まりました。
「各地に観光客が少しづつ戻ってきた」と言うニュースに接し、
胸をなでおろしています。

我が家の和室前にある「藤棚」の藤が満開になりました
狭い庭ながらその他の花々もいっせいに咲き出して、1年中で一番庭が華やぐ季節到来ですね


GWのお天気は前半の方が良いとの予報で、初日の4月29日、
山仲間と「花の高尾山」を歩いてきました。

そのご紹介は次回として、まずは「阿蘇くじゅう国立公園」にある日本100名山「九重山連山」の
主峰「久住山」登山紀行をUPいたします。

4月12日

朝7時、一番乗りでホテルのレストランに行きました。
目の前に三つのピークを持つ「三俣山」が迫っています。

山登りするこの日は、残念ながら温泉の「朝風呂」は諦め
朝食をシッカリ戴き、頼んでおいた「お弁当」を受け取ってから出発します。


駐車場に停めて置いた車のフロントガラスが凍っています
流石に高原の朝は冷えていました。

この長者原のホテル近くに「九重山登山口」があるのですが
私たちは、大きな駐車場とレストハウスのある「牧の戸峠」まで「やまなみハイウェー」を通って
車で上がり、徒歩時間1時間15分をカットしました


九重山の主峰「久住山」に登るには、この「牧の戸コース」が一番標高差が少なく
アップダウンもあまりないラクチンコースなのです。

私たちは、「久住山」(1787m)から、余力があったら九州の最高峰「中岳」(1791m)まで足を伸ばし
同じ道を戻ってくる事にしました。


朝8時、気温4度、風が冷たくて寒い
駐車場にはすでに車が7~8台停まっていて、登山者達はトイレを済ませ身支度を整えます。

愛知から来た男性二人、大阪から来たご夫婦・・・
それぞれが登山カードを記入して登りだします。


遊歩道を20分登って行くと突然視界が開けて、屋根つきの東屋がある「第一展望台」に出ます。
目の前の山の斜面が黄色く染まっていました。
マンサクの花らしい・・・


展望台からは阿蘇山・由布岳など多くの山々が望めました。
朝、ホテルのレストランから見た「三俣山」が角度を変えた姿で見えています。


「春一番にまんず咲く花」ということで、マンサクという名前が付いたらしい・・・


最初に目ざす「沓掛山」はまさにマンサクの花盛り・・・

黄色のトンネルを行くようでしたが、足元はハシゴや鎖場か続く岩場です。
見とれてばかりはいられませんでした


「沓掛山」のピークを下ると、その向うはなだらかな登りが続きます。
稜線の左手が「星生山」、右に「扇ヶ鼻」の望みながら進みます。


振り返ると「飯田高原」(はんだこうげん)の山々が・・・

この辺りは、夏にはピンクのミヤマキリシマが咲き乱れ、
秋にはドウダンツツジの紅葉が素晴らしいエリアのようです。
10分間の休憩をしました。


「扇ヶ鼻」分岐を過ぎると池塘も見える湿地帯「西千里が浜」です。
春浅き4月は枯れ草色が広がっていました。

左側に「星生山」の稜線がそそり立ち、正面に目ざす「久住山」が見えてきましたが・・・
霜柱が溶け出した登山道はヌカルミが続き、とても歩きづらい


目の前に現れた「久住山」は円錐形の綺麗な姿をしています。

岩石が多い道を注意深く進み、窪地に下ると「避難小屋&トイレ」に出ますが、冬の期間は閉鎖中・・・

一休みしてスポーツドリンクを飲み、最後の登りに備えます。


そして左手に「硫黄山」の噴煙を見ながら、「久住別れ」の標識を右折し「久住分岐」に進み
岩のザレ場を頑張って登っていきます。

避難小屋がドンドン小さくなっていきました。


空池の縁から久住山北側面をひと登りすれば頂上です。

硫黄山の噴煙と、ホテルから眺めた西側の「三俣山」とは違う南側の山容が目の前に広がっていて・・・
ダイナミックな風景に圧倒されました。


10時45分、「久住山頂上」に立ちました
ここまでは初心者でも登れるラクチンコース、休憩時間を入れて2時間半で登ってきました。

頂上には2組の方々が休んでいました。
我々もここで宿で作ってもらったオニギリ弁当を食べました。美味しい
そしてしばし広大な風景に魅入っていました。

九州の屋根と称される「九重連山」は大分県西部に位置する火山の集まりです。
1700m級の峰々が立ち並んでいました。

この「登山紀行」をデジブックに纏めましたので、大画面でもっと詳しく見たい方、
お時間に余裕のある方はご覧下さい。

デジブック 『春浅き「久住山」』


さて深田久弥の「日本百名山」では「九重山」と紹介されていて、「九重か?久住か?」で迷いますが・・・

これにはそれぞれに歴史があり、地元の相譲れない長い闘争があったようです。
それで国立公園の名称は「くじゅう」とひらがなになったのでしょう。

深田さんは「九重山」はこの山群の総称であってその主峰は「久住山」
と紹介しています。

更にもう一つ迷うのが、久住山より4m高いお隣の「中岳」が九州で一番高い山なのですが・・・
その姿かたち品格の点で深田久弥は「久住山」を選んだのかしら?

私たちも、更に往復80分かけて「中岳頂上」を目指すつもりでしたが
「中岳はやめて、南阿蘇の一心行の大桜を見に行こう」という主人の一言で決まり
このまま「久住山」を下山し、来た道を引き返し
丁度午後1時に、「牧の戸峠」に戻りました。

ここの「レストハウス」で食べたソフトクリームが美味しかった~

牧の戸峠から車の少ない「やまなみハイウェー」を快適に走り
およそ2時間で、前々回紹介した南阿蘇の「一心行の大桜」に到着し見物しました。

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「阿蘇・くじゅう国立公園」の旅(Ⅰ)

2011年04月25日 | 旅日記
東日本大震災から一ヵ月半ぶりで東北新幹線がようやく仙台まで通じ、
運行開始となりました。
これで被災地の復興に弾みが付くといいですね。
と・・・
お昼のニュースを見て記しましたが、どっこい「停電」によりスムースはいかなかったらしい

「三春の滝桜」
(H17年4月24日撮影)
日本三大桜の一つ、福島県の「三春の滝桜」が満開を迎えたと昨日のニュースで見ました。
この度の震災による被害もなく、今年も美しい桜色に彩られた生命力あふれる姿が見られたそうで
こちらは嬉しい限りです

樹齢1000年を超える三春滝桜は「紅シダレサクラ」の古木・・・
私たち夫婦は6年前の4月24日に見に行きましたが
三大桜の中では一番鮮やかで妖艶な色をしていました

今年は観桜料の徴収や夜間ライトアップ、無料シャトルバスの運行を見合わせたそうですが、
昨日の日曜日は大勢の見物客が殺到したようです。
これで福島も活気付くと良いのですが・・・

福島原発20km圏内の立ち入り禁止のニュースは哀しいですね。
残された畜産業の馬や牛、そしてペットたちの姿にTVを見る度に涙しています

放射能も恐れず、ペット達を救う活動をしている団体に「餌代」の義援金を送りたいと思いました。
こちらNPO法人・「犬猫みなしご救援隊」です。

            

この4月は、孫の入学&入園式に出席し、九州&京都と巡りましたが・・・
ようやく落ち着いたところで「阿蘇・くじゅう国立公園」の旅行記を纏めたいと思っています。
宜しくお付き合いくださいね。

4月11日(月)「羽田出発」

2月のマイレージでの予約時は、朝10時発の大分空港便は満杯でとれず
午後0時半の出発便となりました。
のんびり出かけて、空港で昼食を済ませ、展望デッキに出てみました。

正面に見えるのが新しい「国際線ターミナル」
見学したかったのですが、電車で一駅あり簡単に行ける距離ではありませんでした。


この日は気流が不安定と言うことで搭乗前にトイレを済ませておくようアナウンスがありましたが
思ったほどではなく・・・
ちゃんとお茶のサービスも受けられました。

ただご覧の通りのガラガラ状態
ツァーやマイレージ用の席は後の方と決まっていますが、全部合わせても30人足らずです。
再生企業の日航さん、大丈夫かしら?と心配になりました。


飛行コースは三浦半島の付け根の我が家近くを飛び、左手に江ノ島が霞んで見えました
しばらくして水平飛行になった頃、反対側の席に移動していた主人が「南アルプスが見えている」
知らせてくれました。

どのあたりの山々でしょうか?
7年前に夫と二人で縦走した「赤石岳~荒川三山」の稜線のようにも見えましたが。。。

その後、春霞でけぶる瀬戸内海から四国をかすめて、大分空港に到着したのは2時15分
少々遅れたようですが、さして揺れる事もなく順調な飛行でした。


空港近くで予約していたレンタカーを借りました。
今回の車種はガソリン代節約のため「プリウス」にしました。

我が家のマークXとは操作のしかたが少々異なり、
私は殆んどパスでしたが、リッター21kmも走ったのには驚きました。
さすがハイブリットカーですね


目指すは「久住山(くじゅうさん)」の麓にある
九重(ここのえ)の「飯田高原・長者原(ちょうじゃばる)温泉」
どうしてこんなに複雑な読み方をするのぉ~

ナビ頼みで、大分自動車道から憧れの「やまなみハイウェー」に入ります
沿線の桜並木が迎えてくれました

九重”夢”大吊り橋

鳴子川に架かる、高さ173m、長さ390mの日本一の人道吊り橋です。
近くには「日本滝100選」に数えられる「震動の滝」や、紅葉で有名な「九酔渓」
そして晴れていれば「くじゅう連山」が見渡せるらしい・・・

この吊り橋を往復しました。寒い落差83mの震動の滝・・・

宿に近いので寄りましたが、夕方4時過ぎの高原はガスがかかり風が冷たくて寒かった~


1日目の宿は、湯けむり漂う「長者原温泉・九重西鉄ホテル花山酔」
今回の旅の宿はすべて主人が「楽天トラベル」のネットで予約しました。
宿のホームページはこちらです。

お値段のわりにはお部屋も広くて温泉もとても良かった

お風呂に入っていると旅人同士も打ち解けて、話が弾みますが・・・
時期柄「大震災のお話」が必ず出ます。

弟さん家族が横浜にいて、停電で酷い目に遭っていると聞かされている方から
「横浜から避難してきたの?」と言われましたが
その横に、「いわき市」から本当に避難してきた方がいらっしゃいました。

85歳で一人住まいだったお姉さま、避難所で15日間暮らしてから博多にいる妹さんに呼ばれて来たそうです。

お風呂に入れなかったのが辛かったとか・・・
「今日は思う存分温泉三昧でした」とご姉妹で喜んでいました。

この妹さんのお話では「このホテルは定宿なの。シニアには嬉しいお料理よ」とのことでした。

確かに適度な量で丁度良い関サバの他にご飯と香の物、デザートが付きました

湯上りの冷酒も美味しくて・・・
新潟の十日町から来たというお隣の席の方々とも話が弾みました。

博多に勤める30代の息子さんを訪ねるドライブ旅行、ご夫婦で新潟から車で琵琶湖・広島と泊まり
この日は息子さんも一緒にここでの休暇を楽しんだらしい・・・
明日は出張の息子さんと一緒に大阪まで戻るそうな

静かな山間のホテルのレストランで、8組の方々との一期一会を楽しみました。


そして翌日は「久住山」(1786.5m)登山の日

空は朝から晴れあがり、朝食の整ったレストラン横のデッキから、
噴煙たなびく「硫黄山」の右側に、目ざす「久住山」が見えていました。




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目黒「自然教育園」の山野草

2011年04月22日 | 花シリーズ
先日の日曜日(17日)、目黒にある国立科学博物館付属「自然教育園」に行ってきました。

今回訪ねた目的は二つ・・・
一つは園内に咲いている「山野草」に逢うこと、
もう一つは、ブログ仲間の紅さんご夫妻が属している写真グループの写真展「白金の花と昆虫」を鑑賞すること。


入ってすぐに鮮やかなレモンイエロウの「ヤマブキ」が出迎えてくれました。
そしてそのまま受付から繫がる建物の中に入ると、写真展のパネルが並んでいました。


そこには大都会のオアシスのような「自然教育園」の自然
生き生きした姿を表現した写真の数々が展示されていました。


正面に紅さんご夫妻の写真が並んで飾られています。
(左が紅さん、右がご主人の白さんの作品)

私はしばし魅入り、呆然とこの作品の前に立ち尽くしていました。
白さんは先月、突然急逝なさったのです。
でも・・・
目の前には白さんがファインダー越しに覗いた素晴らしい世界が広がっていて、
その時の息使いまでが感じられるようでした。

紅さんの哀しみを思うと私の心も痛みますが、どうぞ遺されたステキな写真の数々を支えに
ご主人様の分まで生きてくださいね。
・・・・合掌・・・・

尚、写真展は24日(日曜日)が最終日です。


散策路を歩き始めるとすぐに「イチリンソウ」が、いっせいにこちらに顔を向けているような風景に出会いました。
まるで乙女の集団のようで可愛いですね

4月5日にここを訪れたブログ仲間の「山小屋さん」も詳しく紹介していますが
わずか2週間足らずで、咲いているお花がずいぶん違う事が分りました。
それだけ春の季節の移ろいが早いということなのでしょうね。


今回嬉しかったのは「アポも取らずに突然伺ったのに、紅さんにお会いできたこと
そしてこの「ラショウモンカズラのお花に出会えたこと」・・・

今から20年近くも昔、ご近所仲間のK子さんご夫妻と我等夫婦の2組で
6月上旬に上高地の奥ま歩き、「横尾山荘」に泊まったことがあります。

丁度「ウエストン祭」が開催され、上高地は春の息吹きで溢れていました


あの時、徳沢園周辺にたくさんのニリンソウと、このムラサキの「ラショウモンカズラ」が咲いていました。

その後、ニリンソウはあちこちで見る機会があり、我が家の庭にも咲いていますが
このラショウモンカズラに出会うことはありませんでした。
今回の対面はまさに20年ぶりだったのです

この奇妙な名前は「京都の羅生門で、渡辺綱に切り落とされた鬼女の腕に似ている」
ということで名づけられたそうですが、ニリンソウと混じって群生している姿はむしろ高貴に見えましたよ。


元気が出そうなビタミンカラーの「ヤマブキソウ」

他にもたくさんの「山野草」が咲いていました。

ミツバツツジシャガ
我が家にもあるニリンソウ小さな小さなヤマルリソウ


20ha(6万坪)の広さをもつ園内は、四季折々の自然が楽しめるようです。
木々も萌黄色に芽吹き出していました。

私は学生時代に何回かこの公園を散策した覚えがあります。
まだこんなに綺麗に整備されていなくて、武蔵野の面影が色濃く残る自然公園でした。
あれから45年ですか・・・


新緑の中を歩いていくと「ひょうたん池」に出ます。


もう4~5日早かったら「サクラ」も楽しめたようです。


名残のピンクの花びらが池にたくさん浮んでいました。


そして池の周りには湿地でよく見る「ミツガシワ」が咲いていました。
3枚の葉がカシワの葉に似ているからこの名が付いたらしい・・・


こちらは「トウダイグサ」?、それとも「ノウルシ」?
いずれにしてもトウダイグサ科・トウダイグサ属のお仲間ですが・・・
切ると乳白色の汁が出て有毒だそうです。
ご用心!

こうして小一時間ほど園内の散策を楽しみました。
カワセミも見たかったのですが、お楽しみは次回にとっておく事にしましょう。

季節によって風景やお花も全然違うようなので、これからも時々訪ねてみようと思った自然公園でした。

              

速報
高校時代の「同窓会」が京都で開催され行ってきました

(4月21日・撮影)
ついでに足を伸ばして見に行った京都洛北「仁和寺」の御室桜が満開でした。


御室桜は遅咲きで、背丈の低い桜です


今週末もまだまだ鑑賞できそうですよ。
まずはお知らせいたします。

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南阿蘇・「一心行の大桜」

2011年04月16日 | 旅日記
好天に恵まれた山巡り&花巡り&温泉巡りの旅から帰ってきました。
行った先は春爛漫の季節を迎えた「阿蘇くじゅう国立公園」
です。

(百名山・久住山)
56歳で脱サラして庭師になった我が夫、1月から4月までは草木が伸びない季節なので
ほとんど仕事はありません。

毎年冬にはオージーの弟子がいる真夏のオーストラリアに通い、日本庭園を教えるのが常でした。
それも3年前に終了したのですが・・・

今年になってオーストラリアの「カンタス航空」から、
2月でマイレージのポイントが切れる旨のメールが届きました。

母がようやく転院出来て落ち着いた所だったので
「海外はまだ無理だけど、イザとなったらその日の内に戻れる国内なら行けるかも」と、
2人分のマイレージの無料チケットを日航便に切り替えて、
予約可能な2ヶ月先の、4月中旬の九州(大分)往復便を手続きしました。

(由布岳)
「長崎のハウステンボスのチューリップが咲く頃がいいわ。九十九島も見たいし、百名山の一つも登りたい」
私の希望はそれだけでした。

そして3月11日の大震災があり、九州行きの事はすっぽりと私の頭から抜けていました。
でも主人は着々とスケジュールを決めていたようです。

何しろ去年は私のエジプト行きがあり、その後の両親の入退院のバタバタ続きで、
夫婦一緒の大きな旅行は殆んど無しでしたものね。

(鶴見岳はロープウェーで登れます)
主人が組んだコースを聞いてビックリ
やまなみハイウェーを車で是非走ってみたい」
「だからその沿線のに泊まり、久住山・阿蘇山・由布岳・鶴見岳と登るぞ」

こんな時期にノンキに山登りをして良いのだろうか?と迷いましたが、
母も取りあえず落ち着いているし
私たち夫婦もいつ何時動けなくなるか分らない年代になったし・・・
(実際同じ年頃のご近所仲間2人に、ガンが見つかりました)
主人も成人病検査であちこち引っかかり、私も時々胸や胃腸が苦しくなったりで

「動ける内に行っておかないと」という焦りもあり、行く事にしました。

「南阿蘇・一心行の大桜」

4月11日(月)の出発の朝、
たまたま見ていたNHKTVで中継された南阿蘇の「一心行の大桜」
翌日の12日に現地に行って見てきました。

今年は見学料が300円500台分の駐車場(12日は無料でした)があります。
見頃の週は夜間のライトアップもされるようです。

地図などの詳細はこちらを参考にして下さい。


「一心行の大桜」は南阿蘇村中松で峯家の菩提樹として祀られています。
阿蘇の外輪山の山々を背景に、傷つきながらも凛々しく頑張っている古武士のような趣がありました

樹齢は約400年と伝えられ、樹形はきれいな半円形で高さ25m、幹周7.35m、葉張り22mの一本桜でしたが
平成16年8月の台風災害で一部の幹が倒木し、半円形の樹形が乱れてしまいました。


今回の旅では、至る所で「菜の花」が見られましたね。


台風で折れた真ん中の幹が切り取られ、今ではM字型となってしまいました。

カミナリが落ちた事もあるそうですが、それでも元気に生き延びてきた桜です。
見ているだけで「勇気」が沸いてきそうな感じがしました。

去年は「根尾谷の薄墨桜」、一昨年は「山高神代桜」、そして6年前には「三春の滝桜」
日本三代桜を見に行きましたが、
どれも多くの杖に支えられた仙人のようなサクラでした。


桜のそばに峯伯耆守惟冬を祀る御堂があります。


品種はエドヒガンという説もありましたが、
DNA鑑定の結果、平成15年3月28日に正式に「山桜」と発表されました


今回の4泊5日の山巡りの旅では、行く先々で「サクラ」を楽しむことができました

残念ながら、私カメラの「ホワイトバランス」の設定を間違え
画像の色が不自然になったのが悔やまれます

この4月中旬でマイブログも丸6周年を迎へ、7年目に入りました。
ブログ仲間の皆様の温かいコメントを励みにどうにかここまで続けられました。
本当にありがとうございます。

エジプト紀行も未完成のままですし、最近は少しボケてきたのか
カメラ設定を間違え画像までが自信喪失ですが
今後ともどうぞよろしくお願い致します。




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「舞岡公園」の満開のサクラ

2011年04月10日 | 舞岡公園

春特有の強い風が吹き、更に昨日はとなり・・・
満開のサクラを愛でる機会がなかなかなかったのですが
10日の日曜日にようやく青空の元でその美しさを堪能することが出来ました

選挙の投票後、買い物の途中で立ち寄った我が家近くの「舞岡公園」のサクラです

この公園の詳しい事はこちらをご覧下さい。


私の好きな「枝垂桜」も咲き出していました。
このサクラのふんわりとした優雅さが大好きです

あれから一ヶ月が過ぎようとしています。
千年に一度と言われる大地震、その後に起きた大津波・・・
何もかもを飲み込んでいった巨大な津波の恐ろしさは、忘れようとしても忘れられません。
そして福島原発の放射能に脅える日々・・・

被災地から離れていて、私自身被害はありませんでしたが、
思わぬ電気不足や物不足を経験し、激動の一ヶ月間でした。


それでもちゃんと「春」はやってきました。
桜前線はまもなく甚大な被害を被った東北地方にも上って行くことでしょう。


「舞岡公園」では白い「大島サクラ」もあちこちに見られます。

ぱっと咲いて、ぱっと散る・・・
サクラは日本人の死生観をそのまま現しているようなお花だと思います。


家族連れや若いグループがお弁当やお酒を持ちよって、
それぞれ三々五々、サクラを楽しんでいました。

横浜市が管理する「自然公園」ですから午後5時で閉園ですが・・・


お上が「自粛・自粛」と唱えても、このようお花見は積極的にやるべきです。
元気な子供達の姿を見て未来に希望がもてました。


私も仕事は辞めたものの、孫達の「入学式&入園式」が続き、
合間に両親の施設や病院に通ってバタバタし
「お花見」をユックリ楽しむ気持ちを忘れていました

来年はハー君や菜々ちゃんたちと一緒にここの桜の下で、
是非「お花見」をやりたいと思います。


公園や街路樹の木々も、薄緑色の芽吹きが始まりました。
私もそろそろ始動開始です。

まずは夫婦で、東電エリアから飛び出して「山巡り」に行ってきます。
可愛い「春の野の花」に出会えると良いのですが・・・

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桜が咲いて「入学式」です

2011年04月06日 | 

東京では「サクラの満開宣言」が出されましたね。
こちら横浜もそろそろでしょうか?
ただ、我が家近辺は高台にあるので少し遅れているようです。


真っ青な空が眩しい4月5日に、初孫のハー君の小学校入学式がありました。
ちょっと風が冷たくて、学校の門の前にあるサクラはまだ4~5分の咲き具合


当日、私は妹の菜々ちゃんと一緒にお留守番の予定でしたが、体験で通っている幼稚園で預かってもらえたそうで
息子夫婦から「ばぁ~ばも入学式に参加して欲しい」と誘われ行って来ましたよ。

区をまたいだお隣の小学校ですが、息子の家からよりも我が家からの方が近くて、5分で行けちゃいます。


快晴に恵まれたこの日は、春には珍しく湿気がなくて、校庭から白い富士山が綺麗に見えました。
ちょっと送電線が邪魔ですが・・・

昭和45年に京浜東北線が延長されて、当時の住宅公団と民間の大手デベロッパーが
横浜南部の山を切り崩し、住宅地として一大開発をした地域です。

今では少子高齢化が進み、ナント新一年生は29人の一学級のみ

ここは山の中の分校、と思うほどにのどかな風景でした。


周りは一軒家の住宅地ばかりで、近くに団地やマンションが殆んどないのも一因でしょうね。
お嫁ちゃんの話しでは
「先生の目が行き届き、塾に通わなくてもいいくらいお勉強も熱心に指導してくれる学校」
なのだそうですが・・・

男の子は、いろんな環境に住んでいる大勢の子供達の中で揉まれた方が、逞しく育つのではと・・・
ばぁ~ばは少々心配しています。

何しろ戦後すぐの翌年に生まれた私の後には団塊の世代が続き、
二部授業も経験したくらいの超過密学校で勉強しましたものね。


6年生のお兄さんお姉さんに一人づつ案内されて、新一年生が入場です。
流石にみんな緊張気味・・・

でも5月生まれで背が高いハー君は、6年生と並んでもさほど小さいとも思えませんね。


最初に、今回の東日本大震災で亡くなった人たちに黙祷を捧げてから国歌斉唱、
そして校長先生の挨拶がありました。
(君が代を歌ったのは本当に久しぶりです)

「新入生の皆さん、学校ではまずあ・い・う・え・おを覚えてくださいね」
あいさつ
一生懸命勉強すること
運動にはげもうの
は常に笑顔を絶やさずにの
お友達をたくさん作ろうの

はーくんはきっと出来るよね。

最後は私の知らない「横浜市の歌」と「校歌」を聞きました。


息子の入学式は東京三鷹市の小学校でした。
詳しい事は忘れましたが、アルバムを開くとピンクのスーツを着た若い私と、
ハー君と同じような、紺のブレザーに赤いネクタイを締めた息子が校門の前で笑っています。

お母さん達が、そろいも揃って黒い絵羽織の着物姿で入学式に参列して、
カラスの行列と言われた2~3年後でした。
(昨日の入学式では、29人の新入生のお母さんの中で1人だけ着物姿がいましたが・・・)

当時と違うのはお父さんの姿が多いこと、私以外にもば~ばが2人居たことです。

モチロン息子も参列です。
息子の会社は福島県のいわき市に主要工場があり、そこが今生産ラインがストップして
製品がなかなか納入されず仕事にならないようです。
8日の菜々ちゃんの幼稚園の入園式にも半日休んで参加すると言っていました。

ハー君のお友達のお父さんも自宅待機の方がいらっしゃるようです。
日本の経済は大丈夫なのでしょうか?


今日6日は前日よりも温度が上がり、借りている畑のそばの「ヤマザクラ」がほぼ満開となりました。

ニュースによると「福島原発」のピットから海にもれ出ていた高濃度の放射能汚染水
取り合えず凝固剤が効いて止まったようですね。

でも、低レベルの放射能汚染水を、近隣諸国や全漁連に
前もって通知せずに放出し、ヒンシュクをかっている
とか

せっかく被災者たちのマナーが良いと、世界中から称賛されているのに残念です

そして、計画停電は廃止の方向だと言うニュース
政府は夏の電力使用量を前年比25%減らすよう、東京電力管内の大口利用先の工場に要求するとか・・・。
ますます日本の経済が心配になります。

ブログ仲間のだんだんさんが紹介している諏訪中央病院の鎌田實先生「公式ブログ」には
こんな節電のアイデアが書かれていました。
(被災地で精力的に活動なさっている鎌田先生の、放射能のお話しもとても参考になります)

日本の経済を救うためには、
「東京電力管内でも、企業、工場など経済活動を担うところにはできるだけ電力を供給したい」と
鎌田先生が考え出したアイデアは

「避暑地での夏休みキャンペーン」
「夏休みには、東電エリア外に避暑に出かけてもらうように呼びかける。
長野や岐阜、北陸、北海道などで過ごすようになれば、観光業界も救うことになる」と・・・

これには我が家の夫や息子も大賛成!
「今年の夏はテントを積んで、東京電力管内以外の高原に行こう」

それともう一つ「シエスタを実践する」
南欧では午後1時ごろから店が閉まって昼休みに入ります。
家が近い人は帰宅し、食事や昼寝をして過ごし、夕方から仕事をはじめ、
夜になると町にでて、飲めや歌えやで経済をまわす・・・

「午前5時から午後1時までというような、朝型のシフトをつくるのもいい」
「午後からは家族と一緒に過ごすというのも日本人の新しい生活リズムになるかもしれない」と先生は説きます。

今日のTVのニュース番組で、すでにコレに近いことをやっている企業の「森永」が紹介されていました。
電力不足をきっかけに、働く日本人の夏の過ごし方が変わるかもしれませんね。




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卒業、そしてこれからの私は?

2011年04月03日 | 日常の日記
(スミレ・3月30日撮影)
「春」の風が吹き出して、4月がスタートしましたね。
私も気持ちを新たに第一歩を踏み出さなくては・・・

この3月31日で、9年前から始めた公的施設のスタッフの仕事を卒業しました。
オーストラリア行きがあったりで途中2年半ほど離れていましたが、
再度のカムバックで、合計6年半通いました。

最後の仕事の前日、春の陽気に誘われ、カメラを抱えて我が家近くの里山周辺を散策しました。
3月11日の大震災以来、初めてユックリ歩いた感じです。

暖かい春の陽射しが眩しくて、軽く汗ばんだ体に春風が心地よい・・・
足元にゆれる野の花が、とても愛おしく感じました。

(カラスノエンドウ)
「地区センター」の仕事は一週間交代のワークシェアリング方式、
一日4時間のシフトでしたから、さほど負担はありませんでしたが・・・
両親の入院騒ぎが続いた去年から時間的に追われるようになり、辞める決心をしました。

頭を使い体を使い、良いボケ防止をさせていただきました。
地元の人々との笑顔の触れ合いもあり、忙しいながらも楽しい時間でした。

親の介護問題を抱えて悩んだ時や、
この度の大震災で心が痛み、肩こりやめまいに苦しんだ時も
仕事をすることで気分転換ができ、気持ちが落ち着きました。

でも私ももう歳ですから、3度目のカムバックはないでしょうね。

(ホトケノザ)
28日の休館日には、仕事仲間の息子さんご夫婦がやっている「活き魚料理店」で、
今回辞める4人と新人さんたちも一緒の総勢20人の歓送迎会を催して戴きました。

お店は幸い計画停電に入らない地域なので助かっているようですが、
自粛自粛で客足が遠のき、経営も大変だそうです。

その仕事仲間の郷里は、原発事故で大変な目に遭っている「福島」・・・
お店の活性化に、少しでもお役に立てたならば嬉しいです

(ハナニラとハナダイコン)
最後は皆で肩を組み、カラオケで森田公一とトップギャランの「青春時代」を大合唱して別れました。

青春時代が夢なんて、後からほのぼの思うもの~
青春時代の真ん中は、胸にトゲさすことばかり・・・

結婚前のOL時代は別として、息子が小学校に入ってから始めた吉祥寺のタウン誌のレポート書き以後、
私と世間様との触れ合いは、その後三つの仕事を通じて途切れる事無く続けられ
お陰様で視野が広がり、私の思考のバランス感覚を養うことができました。

この30数年間、私の仕事に関わった多くの皆様方、本当にありがとうございました

(桃の花)
僅かに残った「里山」を通り抜けると、お隣の住宅地に出ます。
サクラはまだ蕾みですが、公園には春のお花の競演が見られました

前回辞めた時は、この桃の花とサクラが満開で、私の新しい門出を祝ってくれたのですが・・・
その時の様子はこちらでUPしています。
(上のバーの表示→文字サイズ→大に変換してご覧下さい)
あの日と比べると、今年のサクラはやはり遅いですね。

(ユキヤナギ)
これからの私は(あまり家事は得意でない)専業主婦ですが、
5年前に辞めた時のような、アレコレやりたいという希望が、さほど湧いてきません
前回はPC教室に通い、オーストラリア行きのための英会話レッスン、
日本文化を伝えるための手織り教室なども通い始めました。

人との触れ合いが少なくなることで生じる無口&無表情は、ボケに繫がるのではと心配
まずは、地区センターを利用して活動している「写真教室」を覗いてみようと思っています。

(レンギョウ)
そして人生のフィニッシュに向っての「老い仕度」をソロソロ始めねばと・・・
親の人生の後半を目の当りにしていますから、これから先の生き様は覚悟が必要だと痛感。

花を愛で、できるだけ自然に寄り添い、気持ちを穏かに生きて行きたいと思っていますが、
自然界は時々途方もない牙を剥き、人間を悲しみのどん底に突き落とす事も知りました。


公園の広場では、春休みの子供たちが「カクレンボ」をしていました。
かがんでいる子はオニです。
他の3人の子供たちは木々の茂みに隠れています。

この子たちの将来が明るいものであることを願いますが・・・

最後にわが夫婦共々読んで涙した4月1日付けの「毎日新聞・余禄」の一部を
掲載したいと思います。

  ▲岩手県の大船渡と釜石に入った米救助隊はその惨状に驚く。
  それにもまして印所深かったのは崩壊した店の女主人が「なにもありませんが」とせんべいを
  さしだしたのだ。

  ▲同じく大船渡で捜索活動をした中国の援助隊は、通りがかりの住民に「遠くからわざわざありがとう」と
  声をかけられ、アメや菓子を手渡された。
  別の隊員は現地コンビニで「援助隊なら」と代金の受け取りを拒まれた。

  苦境にあっても思いやりを失わなぬ被災者の姿は外国人に感銘を与えた。
  だが外国の人々も負けていない。

  ▲マレーシアのある孤児院では孤児が修道女らに働きかけて、被災地への募金活動を始め、
  パキスタンの地中海性貧血を患う子供達40人は福祉団体代表と共に日本領事館へ
  被災地の子供達へとサッカーボール10個を寄付した。

  ▲人への優しさや思いやりが地球のあちこちで小さな奇跡を起こし続けている「3・11」後
  今は現地を覆う深い悲しみも、いつかはこの奇跡の輪の中で癒される日が来るよう祈る・・・

今、地球規模での絆が広がりつつあるようで・・・
落ち込んだ心に、少し希望の光が差し込み始めましたね。



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