花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

タイムスリップした町・「ヨーク」

2009年03月15日 | パース滞在記
映画「オーストラリア」を観た時、舞台となった第二次世界大戦前の「ダーウィン」の街の風景が、どこかで見たことがあるような気がしました。モチロン、あれはセットでしょうが・・・
去年の2月にパースに行った時に訪ねた「ヨークの町だ!」とすぐに思い出しました。


西オーストラリア州の州都「パース」から東に97kmの所に位置する「ヨーク」は西オーストラリア最古の内陸都市です。

町はナショナル・トラストによって歴史の町に指定されており、19世紀の多くの建物が保存・修復されていて、まるで100年以上前にタイムスリップしたような錯覚を覚えます。

真っ先に目についたのがこの「タウンホール」
1911年に建てられた歴史的建造物です。

インフォメーションセンターの看板があったので、この建物の中に入り地図をもらって説明を受けました。
中は博物館と、簡単な土産物店も兼ねています。
そして、多目的ホールや展示場などが、美しいステンドガラスの向こうに見えていました。


そのお隣が、時代を感じさせる「ホテル」
私たちは車をタウンホールの横に駐車して、町の中を徒歩で散策しました。

町の中の風景をnon_nonさんのソースをお借りしてまとめましたので、小さな画像にマウスオンしてご覧下さい
<
郵便局
< < < < <

映画の中の風景と同じようですね。
車さえなければ、ここでサラに扮したニコール・キッドマンが歩いていても違和感はありません。

ヒュー・ジャックマン演じるカーボーイが馬に乗って現れてもおかしくありません。
代わりに、同じようなカーボーイハットをかぶった主人の姿が見えていますが・・・
足の長さが違いすぎる


かっては先住民が暮らしていたこの地域に、1835年、白人の入植者がやって来て水場近くに住み着いたことから、アボリジニとの争いになったようです。

兵士が入植地の防衛にあたるようになり、こうしてヨークは集落の形を整えたのでした。
その後羊毛産業が盛んになり、港町「フリーマントル」への輸送が急務となりました。
1886年にようやく鉄道が開通すると、偶然にも数年にしてゴールドラッシュが起こりヨークは活況を呈したそうです。

往時の賑わいを偲びながら、町のメインストリートを歩きました。

<

その一角にあるレストランで昼食をとりました。
マウスオン・クリックで、三枚の画像をご覧下さい

毎度のことですが、ボリュームがあり過ぎて、いつも頼むのは一人前・・・
これにサラダを付けますが、これがまた凄い量です


こちらは1886年に建てられた「聖パトリック教会」、人の姿はほとんどありませんでした。

この後は車で、インフォメーションセンターの地図に記してあった川に出て、ツリ橋を渡ったりブッシュウォークをしたりして遊び、それから1km位離れた所に建つ古い学校に行きました


小さな小さな小屋のような学校です。
すぐ横にある「工房」に居たおじさんが、鍵を開けて案内してくれました。

<>

マウスオンで室内をご覧下さい

教室1つと教師の寝泊りする部屋だけの狭さで、トイレも無かったそうです
壁に貼られた、ヨーロッパと大英帝国の大きな地図が印象的でした。


ここでは「駅舎」や「プラットホーム」も立派なヘリテージ、歴史的遺産です。


ここに佇んで、もう列車が走らなくなったレールを見ていたら、ふと「北海道」を思い出しました。
この鉄道工事に従事したのはイギリスから送られてきた囚人達で・・・
ここに住んでいた先住民との土地を巡る争いも、アイヌの悲劇と似ています。
年代的にも同じ頃でしょう。
アポリジニもアイヌも文字を持たなかった事まで共通していて驚きました。


鉄道が廃止されて物流はトラック輸送が主になりました。
オーストラリアは国道一号線が、北東部のケアンズから南に下り、東部の大都市を通ってから海岸線を西に向かい、パースを北上してダーウィンまで繫がっているそうです。
ギネスブックに載る、世界一の長さの国道だそうです。
ヨークに向かう時に、パース郊外の道路で遭遇した光景ですが、こうして「家」までまるごと運んでしまうので驚きました

映画「オーストラリア」を観て、去年行って、まだUPしていなかった「ヨーク」を思い出しました。
この翌日に、インド洋の海にポチャンと落として使えなくなったコンデジで写した古い画像で恐縮です

今年の2月に行った「バリ島」や「ジャワ島」はオーストラリアのすぐそばにあるのですが、歴史のある名所旧跡がたくさん見られるところでした。
次回は叉それらを綴っていこうと思っています。

コメント (17)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パースの弟子からのメール

2008年10月02日 | パース滞在記

いよいよ10月がスタートしましたが・・・
秋雨前線に台風の影響が重なり、毎日本当によく降りましたね

私の風邪が主人にも移ったのか?(でも、主人は咳が出ない!)
2人とも家の中でウツウツと過ごすクラ~~イ日々が続いていました。
今日(1日)は僅かながらも夕焼けが見られましたから、明日はきっと晴れるでしょう

ブログ仲間の皆様には色々とご心配をおかけましたが、どうにか咳き込む事も少なくなり(夜布団に入るとまだまだ咳が止まらなくなりますが)、熱もないので月曜日から仕事に出ています。
声もガラガラ声ながら出るようになり、体のだるさも抜けました。
ただ、まだ薬を飲んでいるので思考力がなく、仕事仲間に助けられていますが・・・

風邪をひく前に行った「文楽」や映画「イントゥー・ザ・ワイルド」の紹介記事をUPする予定でしたが、主人からはPC禁止令が出てしまい・・・
叉感想をまとめる気力も沸いてこないので、パ~~っと明るいパースの「キングスパーク」の風景を並べて載せたいと思います。
今は、この明るさが思いっきり欲しい気分なんですよ


<>

マウスオンで、クリケットをしている中学生達をご覧下さい

「キングス・パーク」はパースシティーから歩いて20分、Mtエリーザ全体に広がる自然公園です。
園内には自然遊歩道や、サイクリング、ジョギング向けの小道が整備され、家族連れのためのレクリエーション設備が整い、バーベキューエリアも完備。

このブログでも何度か紹介していますがこちらです
眼下にスワン川とパース中心街を見渡すパノラマは絶景で
ツァーでも必ず展望台には案内されますが、今回の画像はツァーでは行かない、地元の人たちが楽しんでいるエリアのご紹介です。


<

マウスオン・クリックで3枚の画像をご覧下さい

池の中ほどにこじんまりとした展望台があり、小さな子供達が楽しむ遊具も揃っていました。
この日はストロング光線が鋭く射すようなピカピカお天気の日で、さすがに遊んでいる幼児はいませんでした。

でも日影に入ると爽やかな風が感じられ、噴水の水の奏でる音が心地よく感じました



小学生の子供達はバーベキューのお昼ご飯でしょうか・・・?
先生らしき若き男性が2人、お肉やソーセージを焼いていました。
私たち夫婦も、木陰でオムスビのランチタイムです

午前中は主人の弟子のGさんが造園したジャパニーズ・ガーデンのチェックに出かけ、その帰りに寄った「キングスパーク」の一角の風景です。



先日、そのオージーの弟子のGさんからメールが届きました。
今年の2月、パースで最後に逢った時に「9月には家族で叉日本に行きます。今度は日本庭園のある旅館に泊まりたい」と熱心に語っていたので、その後どうなったのかと気になっていたのですが・・・
(風邪で寝込んでいるときに突然来られても困るなァ~とも思ったり)

留学経験のあるお嫁ちゃんにも目を通してもらって読んだ英文のメールはナント
「自宅の敷地内に、一日限定二組のお客様が泊まれるような日本庭園がメーンの和風旅館を作る予定で、今、当局に申請を出している」という内容でした

「部屋と庭の製図も添付されているという事は、俺に来てくれと言うことに違いない」と主人は言いますが・・・
「許可が降りるには、公道からちゃんとした道路を引き込んでからでないと駄目かもとも書いてあるわよ」
アワテナイ!アワテナイ!


<>

真夏のパースは南国のお花が綺麗に咲いています
マウスオンで、夏の代表的な「キャット・ポー」のお花もご覧下さい

Gさんの家は、パースから車で40分以上もかかる自然豊かな丘の上にあります。
日本人の観光客相手の宿ではなく、現地のオージー対象に、たっぷりと日本文化が体験できるというふれ込みの宿を考えているのでしょう・・・
社名も「匠」から「ワビ・サビ」に変更したそうです。



こちらは公園内のワイルドフラワーが見られるゾーンです。

子供の頃からこのように広い公園を自由に駆け廻って育ったオージーに、こじんまりとした和の美しさが判るのでしょうか・・・
第一、この乾燥した地では苔が無理なので、お庭は枯山水が中心になるのかな?

それならもう立派な日本庭園がGさんの家には出来ているので、それを生かせばいいはずです

それに鉱物資源が豊かな西オーストラリアは今バブルで、パースの人口もうなぎ登りとか
景気が良いので、旅館としての商売が成り立つかもしれませんね。
でも・・・
アメリカの金融不安の影響で世界同時株安のニュースが流れ、今後一体世界の経済はどうなっていくのでしょうか?


コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「パース動物園」その2

2008年07月18日 | パース滞在記

この日は日曜日だったので、「パース動物園」にはたくさんの家族連れが訪れていましたが・・・
「上野動物園」を見慣れた私には「これが動物園?」と思うほど、日本の動物園とは趣が違っていました。

広大な敷地には自然に近い状態で動物と人間が触れ合えるよう、エリアごとに動物が飼育されています。
横浜の「ズーラシア」も、同じように広くてエリアごとに区分されている動物園ですが・・・
「パース動物園」では、緑の草や林の中にごく自然な姿の動物達がいて、人間の方が「おじゃましま~す」という感じなのです。



南国特有のお花もたくさん咲いていて、ピクニックエリアなどもありました。



こちらは代表的なワイルドフラワーの一つ「Red Flowering Gum」でしょうか。



「オーストラリアン・ブッシュ・エリア」のお隣は「アジア熱帯林エリア」で、林の中にゾウさんの姿が見えました。

若い飼育員の女の子が、棒やタイヤを使ってゾウと遊んでいました。
ロープが張られた柵の手前にはベンチが並んでいて、子供連れのファミリーが三々五々、目の前でゾウさんの素朴な曲芸を見学しています。
一日に何回かは園内を廻る「ゾウの行進」もあるようでした。
動物と人間との距離がとても近いように感じました。


こちらの写真は3年前の秋に、息子一家と行った我が家の近くにある「横浜市立金沢動物園」のゾウさんです
孫のハー君が一歳半の時でした。

円海山一帯に広がる市民の森の一角にあるこの動物園も、自然がいっぱいの中に動物達はいますが・・・
ゾウの居場所はすべてコンクリートの中です。
土や草は見当たりません。
この方がお掃除がし易くて衛生的なのでしょう。
そして見学者との間には、安全性を考えての大きな溝と生垣と鉄の柵が存在しています。

この時のハー君は、生まれて初めてみたゾウさんのあまりの大きさにしばらく固まっていました。
そしてその後にニコ~~っと


私たちは最後に鳥のコーナーに行きました。
周囲の国々と遠く隔たっているオーストラリア大陸は、独特の進化を遂げた動物や鳥がたくさんいます。
借家の庭にも聞き慣れない鳥の声が響いていました。

鳥の写真の一部をnon_nonさんのソースをお借りしてスライドショーで纏めましたので、小さな写真にマウスをあててご覧下さい。

< < < < <

頭とお尻の先が黒い鳥はコウノトリにソックリですが、オーストラリア北部の海岸に生息する「PIED HERON」と標識には書かれていました。
カモは日本のカモと同じですが、やはり南国色が綺麗に見えますね。
もっと綺麗だったのはブルーのクチバシのカモ・・・
標識には「BLUE BILLED DUCK」と書かれていました。

一番右側の写真は水の中を泳ぐペンギン、体の小さな「Little Penguin」です。

水辺の脇に木道があり、私たちはその上を歩いていきました。
頭上には大きな網が適当に張られていましたが、あれでは外部の小さな鳥も入ってくるのでは?と気になったくらいです。
アバウトなオージー気質がそのまま表れていましたね。



「パース動物園」では動物も見ましたが、それよりもたくさんの森林浴を楽しんだ感じです。
大規模な動物園を見慣れた日本人には多少の物足りなさがあるかも知れませんが、ファミリーで楽しむにはこのような所の方がイイナァ~と思いました。
ほとんどの動物達が、子供の目線でも充分に見える設計でしたよ。



2月もそろそろ終りの頃でした。
パースにも秋の気配が・・・
こちらは何の実でしょうか?



コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「パース動物園」その1

2008年07月15日 | パース滞在記

梅雨明けはまだのようですが、こちら関東南部は真夏の暑さが続いています。
13日の日曜日に、アヤメの群落で有名な南アルプス前衛の山「櫛形山」に行く予定でしたが、山仲間のKさんのお母様が亡くなられたとの事で急遽取り止めになりました。

その上、ブログ仲間の山小屋さんから「鹿の被害でアヤメはほとんど見られなくなった」というコメントを戴いて・・・
残りの2人で出かける気も失せてしまいました。

丹沢や日光でも鹿が増えすぎて被害が出ていると聞きますが・・・
オーストラリアでも保護動物のカンガルーが増えてすぎて、駆除問題でゆれているようです。

モンキーマイアへの3泊4日の旅でも、国道沿いにたくさんのカンガルーの死骸を見ました。
夜行性のカンガルーは車のライトを見ると立ち止まってしまい、車と激突する事が多いのです。
中にはお母さんのお腹の袋から赤ちゃんが飛び出た姿も・・・



旅から戻り、生きている元気なカンガルーが見たくて「パース動物園」に行きました。

パース動物園はパース市のほぼ中心部にあって1898年にできた歴史のある動物園です。
広い園内には280種1600頭以上の動物がいるようですが、私たちは主にオーストラリア特有の動物を見て廻りました。

オーストラリアゾーンの大きな塀があり扉を開けて中に入ると、カンガルーとの境は簡単に張られたロープだけ・・・
暑い真夏の昼下がり、カンガルーたちは日影で横になっていました。
日本の須坂動物園の親父カンガルーのハッチ君と似たような姿かな?


<>

同じゾーンにはコアラのコーナーもあって、こちらは高いユーカリの木の上に大きな日傘が取り付けられていました。
マウスオンでご覧下さい

パースに来てすぐに行ったヤンチャップ国立公園のコアラよりは管理されているようでしたが・・・
ガラス張りの温室の中に居た我が家近くの「金沢自然動物園」のコアラに比べればあくまでも自然流です。
気候が違うので仕方の無い事ですが・・・



オーストラリアの在来犬ディンゴです。
我が家の愛犬だった柴犬のジュン君よりもふた周りくらい大きいでしょうか・・・
野生的な鋭い目が特徴です。

ディンゴは農牧場を開設したヨーロッパ人には厄介者でした。
しかし先住民族のアボリジニはその子犬を育てペットにしていたようです。


<>

他にもアジアゾーンとかアフリカゾーンなどもありますが、それらの動物は横浜の動物園の方が充実しているはずです。

オーストラリアといえばクロコダイルですね。
ワニなどの爬虫類や両生類専用の建物がありましたので入りました。

可愛い女の子が「エリマキトカゲ」とお話をしていました。
マウスオンでご覧下さい
昔、コマーシャルでも有名になった襟巻きが立った姿を見たかったのですが、限られたコーナーの中では無理でした。



トグロを巻いた大きなコブラやパイソン、そしてトカゲなどが充実していましたが、とてもカメラを向ける勇気が無くて・・・

今回のドライブ旅行では毒蜘蛛騒ぎはありましたが、蛇に出会わなくて「良かった」とつくづく思いました。
ブッシュの中に隠れて居るんですよね~


<>

こちらは「ニシマツカサトカゲ」、何となくひょうきんな感じですね。
マウスオンでご覧下さい

両生爬虫類にはあまり興味のない私ですが(というよりも生理的にあまり受け付けないのです)、好きな方々にしてみればここは珍しい動物が揃った憧れの世界のようです。

現在、オーストラリアは両生爬虫類の輸出を禁止しています。
西オーストラリア州は、人の立ち入ることができない場所が多く、州都であるパースは大都会なのですが、ここから北のノーザンテリトリー州の州都ダーウィンまで大きな町はほとんどありません。
特に北西部の内陸にある鉄鉱石で有名なピルバラ地方は、町はおろか道路もまともに通っていない場所ですから、かつてオーストラリアの両生爬虫類が輸出されていた時も、西オーストラリアの両爬は流通に乗りにくかったようです。
その不便さゆえに、珍しい両生爬虫類を多く残しているのでしょう。

ですから爬虫類に興味のある方は是非「パース動物園」に行かれる事をお勧めいたします。


<>

凄い迫力の「ワニ」もいました。
マウスオンでご覧下さい
こう見えても動きは素早いのです。

オーストラリア名物にはクロコダイルのハンドバックがありますが・・・
ウォーキングの途中の水場でこのような姿に出合ったら、腰を抜かしそうですね
この鋭利な歯で、いっぺんに頭も噛み砕かれてしまいそう



順序が逆になりましたが、こちらが「パース動物園」の入り口です。

年中無休でAM9時~PM5時までやっています。
入園料は大人18A$でしたが、我々はシニア料金の14A$しか取られませんでした。
本来なら政府発行のシニアカードを提出しなければならず、観光客は該当しないのですが、主人のカンガルー帽子があまりにも決まっていて地元民夫婦に見られたのでしょうか
何も言われずにシニアの切符を渡されました。
これって喜ぶべきか?
ちょっと複雑な心境でしたね。

<追記>
両生爬虫類が特に充実していた「パース動物園」では珍しいカエル等もたくさん見られましたが・・・
今、日本のアマガエルが危機に瀕しているようです
ブログ仲間の紅さんが下記のように訴えておりますので、是非ご協力宜しくお願い致します。

《最近、あなたの周りでアマガエルを見かけますか?その数は以前と変わりないですか?
今、カエルに異変が起きているようです。
実は、マイブログでお馴染みの私の鳥撮りの先生、eomai さんが住む下関あたりでは全く見られなくなったそうです。どうも猛毒の細菌に冒された可能性もあるかもしれないと。
たかがカエルと侮れません。カエルがいなくなると蚊や蠅の大量発生にもつながりカエルを食していたヘビや鳥たちも困るでしょうね。生態系にも変化が起きてしまいます
そこで皆さんにお願いです。
あなたの周りのカエル情報を是非お寄せ下さい》

尚、カエル情報を纏めているeomaiさんのブログはこちらです




コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤い大地を駆け抜けて⑦・「ジェラルトン」から「ニューノーシア」へ

2008年07月12日 | パース滞在記

インド洋に面したジェラルトンの人口は約2万人、パースの北400kmの所にある中核都市です。
パース近郊のフリーマントルに次ぐ西オーストラリア第2の港町で、ロブスター漁が重要な産業のひとつ。
オーストラリア西部最大のロブスター漁船団がここを母港にしているとか・・・

ここのロブスターは「伊勢えび」として、日本にも出荷されているそうです。
ありゃりゃ~~、私たち、食べ損ないました

トップの写真は市役所の斜め前に建っている「大聖堂」です。



こちらは「ジェラルトン駅」
今ではもう路線も廃止されていますが、中々風格のある建物です。

周辺地域では羊毛や小麦の生産が行われ、広大な農場や牧場主たちの家族がこの街に住んでいるのでしょうね。
立派な病院も2つ並んでありました。

私たちが泊まった宿はこの総合病院のすぐそばの「ホスピタリティー・イン・ジェラルトン」
後で知ったのですがレストランもちゃんとありました。

2月22日
宿のレストランでコンチネンタルスタイルの朝食をとっていると、ナント今まで3度も顔を会わせたあの外国人ご夫妻が
ジェラルトンの街には多くの宿があるにも関わらず、ここでの4度目の再会は奇跡です。
奥様と抱き合ってご挨拶をしました。

あちらもビックリして、感激のジェスチャーを繰り返していましたが、私たちの拙い英語が相変わらず全く通じません


オージーのガイドさんがやって来たので聞くと、彼らはフランス人でした。
唇をすぼめるような発音で自分達の住んでいるフランスの街の名前を教えてくれましたが、こちらもフランス語は全く聞き取れませんでした



こちらがその時の記念のショットです。
英語の筆記なら会話よりは得意な主人ですが、フランス語となると手も足も出ません。
住所の交換が出来ずに残念でしたが、旅の良い思い出となりましたね



9時過ぎに宿を出発し、ガソリンを給油してから国道1号線に入りました。
流石に今までよりは車の数が多い感じです。
多いといってもこの程度ですが・・・



雲も切れてきて青空が広がってきました。
およそ200km行ったところの「Badgingara」という村でトイレタイムを取り、ここから1号線を離れて内陸の「Moora」の町に向かいます。



運転を交代して私がハンドルを握ります。
道の両側は果てしなく続く大規模牧場が広がっていました。

「Moora」の町は3年前の9月に、鎌倉の友人ご夫妻とワイルドフラワーを見るために寄った事があります。
牧場には黄色いお花が絨毯のように咲き乱れ、道路は黄色のアカシアの花のトンネルが出来ていました。
この道は「ワイルドフラワー・ロード」とも呼ばれているのです。

あの頃はオーストラリアの広さに圧倒されて声も出ませんでしたが、大分慣れましたね。



110kmのスピードが出ていますから、大型の連結車とすれ違う時は緊張します。
運転が苦手な私には冷や汗ものです



工事現場のおじさん達がかぶっているのは、黒い網で顔をすっぽりと覆う帽子・・・
ハエの大群が襲ってくるのです。
牧場には動物達の糞尿がありますから仕方がありませんね。



突然緑の中に教会の建物が現れて、どうやら目的地の「ニューノーシア」に着いたようです。



19世紀に突然タイムスリップしたような・・・
ここだけ違う空気が流れているような・・・
そんな雰囲気の町を散策する事にして、車を停めました。

教会の写真は↓で別途UPしていますので、そちらをご覧下さい。

叉、この回のコメント欄は閉じさせていただきます。下の欄で一括受け付けておりますので宜しくお願い致します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ニューノーシア」の教会

2008年07月12日 | パース滞在記

パースの北東120kmの所にあるニュー・ノーシアは、スペイン人の修道士ドン・ロセンド・サルバドによってキリスト教の普及と、農業の伝承により、19世紀に作られた農業を中心とした町です。

ガソリンスタンドで給油をし、そこの売店でハンバーガーとコーラで簡単な昼食を済ませてから、私たちは教会巡りをしました。



こちらの銅像が修道士「ドン・ロセルド・サルバドル」でしょうか・・・?



礼拝堂や修道院等、歴史的な建物を散策しながら見学できます。
ビサンチン様式やゴシック様式が交じる町は、不思議な雰囲気を感じさせてくれます。



ツァーで来れば中に入れるのでしょうが、個人で勝手にドァーを押す勇気はありませんでした。


<>

マウスオンでご覧下さい

1846年に入植が始まったニューノシアには、オーストラリア唯一のカソリックのベネディクト修道院があります。
ただ、仏教徒の我々にはどの建物が修道院なのかが分りません


<

門が閉められているこちらが「修道院」かな?
マウスオン・クリックでご覧下さい



門の装飾のアップです。



こちらの建物からは賑やかな声がして、テニスラケットを持った少女達が出てきました。
どうやら学校のようです。



そんな少女達を見守る古い銅像・・・

他にも「博物館」などがあり、開拓当時の耕作道具や当時の生活用品などが並んでいました。

ふと、パースに来るちょっと前にTVで観た「北の零年」という吉永小百合主演の映画を思い出しました。
歴史的には「北海道の開拓」と同じ頃ではないでしょうか?
よく似ています。

旅の最後の日になって真っ青な空が広がり、眩しいまでのカンカン照りとなりました。
ここからパースまではグレート・ノーザーン・ハイウェイを通って約2時間・・・
もう荒野というよりは郊外の風景が続いていました。

こうして私たちの、3泊4日のアクシデント満載の「冒険旅行」は何とか無事に終わりましたが・・・
親しい友人達には「歳も考えずに無茶して」とあきれ果てられました。
もうこのような旅も今回で最後かもしれません。
そう思うと一抹の淋しさがよぎります。


コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤い大地を駆け抜けて⑥・「シャークベイ」

2008年07月09日 | パース滞在記
九州沖縄地方はすでに梅雨が明けたようですが、関東は梅雨末期の蒸し暑い日々が続いています。
胸の痛みも徐々に薄れてきていますが・・・
体調はイマイチ、頭もボォ~っとしていて、ついにとんだ失態をやらかしてしまいました。


部屋の中で三脚立てて、セルフタイマー撮影の練習をしていたのですが、ちょっと離れたすきに三脚が倒れてしまったのです
幸い絨毯の上だったのでカメラ本体は無事のようですが、標準レンズのズームが作動しなくなり修理に出しました。
こういう場合は、保証書が利かず自己負担になるようですね。嗚呼~~

気を取り直して・・・
トップの写真は西オーストラリア州の世界自然遺産「シャークベイ地域」に位置するモンキーマイアの海です。
今年の2月、パースに行った時に3泊4日のドライブ旅行を敢行しましたが・・・
車が砂に埋没して助けを呼んだり、毒グモ騒ぎがあったり
ようやく辿り着いた海はサイクロンで荒れていたりと散々な目に会いました。
でもモンキーマイアではイルカやペリカンと楽しく遊びました
よろしかったらこちらをご覧下さい。

ここまでの記事をUPしたまま3ヵ月半も経ってしまっています。
先日見た「ジャカランダの花」にパースを懐かしみ・・・
カメラも手元にないことから、アクシデント満載だった旅行記の続きを進めたいと思います。



モンキーマイアを後にし、デナムの街で給油
そしてビジターセンターに寄り、生きている岩石「ストロマトライト」の事を聞きました。
地図を渡され「ここから60kmの所にある」とマーカーで印しをつけてくれました。
「目指す看板はストロマトライトの"S"ね!それではシュッパ~ツ!」



サイクロンは通り過ぎたようですが、相変わらずスッキリしないお天気でした
「シャークベイ」は入り組んだ地形なので車窓の右や左に海が見えてきます。

「ボーン・ホエールズ」と書かれた表示板を見かけました。
遠浅のこの海でクジラが生まれるのでしょうか?
そして母子で、プランクトンの豊かな南極の海までの長い長い旅に出る・・・
映画「アース」で観たばかりでした。



前日海岸に立った「シェルビーチ」を上から眺められる展望台がありました。
120kmに渡る海岸線が、砂ではなく白い貝殻で覆われているのです。
景色が大きすぎてとてもカメラでは収まりません
もっと晴れていたらと、とても残念に思いました。
ネットで綺麗な写真が紹介されていましたので、是非こちらをご覧下さい。

目を皿のようにして「S」で始まる看板を探しましたが見当たりません。
阿寒湖のマリモよりも貴重なものなんだから・・・
「きっとストロマトライトの絵も描かれた大きな看板があるはずよね」


<>

「S」ではなく「Nanga Bay」と書かれた表示板があったので行って見ました。
素朴なリゾート地でした。マウスオンでご覧下さい


自然豊かな「シャークベイ」には、人魚伝説で有名なデュゴンや野生のイルカなどが見られますが(もちろんサメもいるのでしょうね)・・・
1991年、世界自然遺産に登録された一番の要因は、35億年前に地球上で始めて光合成により酸素を造ったとされている生物、ストロマトライトが生息しているからです。
藍藻類と呼ばれる微生物に海水や石灰砂が堆積して成長したもので、今のこうした緑豊かな地球(環境)をつくりだしたのは、ストロマトライトなんですね~


写真はパンフレットより引用させていただきましたが、この貴重な古代生物(岩?)のお話はこちらを参考にして下さい。

気がついたら100kmが過ぎていて「シャークベイ・世界自然遺産エリア」と大きく書かれた看板の立つ国道一号線の交差点に来ていました。
私たちは「ストロマトライト」を見ることが出来なかったのです

車を止めてちゃんとした地図で確認しました。
ストロマトライトはシェルビーチの端の「ハメリンプール」という所で見学ができるようになっていたようです。
最初の文字は「S」ではなく「H」の表示板を探すべきだったのです。

日本のような派手な大きな看板など一つもなく・・・
時速130kmで飛ばす主人の運転する車の中から、小さな英語で書かれた文字を最後まで判読するのはとても無理でした

「ジェラルトンの街で今夜予約している宿の場所を探さなくてはならないから、5時までにはジェラルトンに入りたい」と主人が言うので、40km戻るのは諦めました
個人旅行は、このような事があるから見逃しも多いのです。


<>

行きと同じガソリンスタンドで給油し、お昼を食べました。
お店はここしかないのです。マウスオンでご覧下さい
前日はステーキバーガーとホットサンドを食べましたが、この日も似たようなメニューで腹ごしらえです。

ナント!前日シェルビーチで出会ったガイドさん付きで観光を楽しんでいるご夫婦と、ここでも一緒になったのです。
早朝のイルカの餌付けでも会っていますから同じ「モンキーマイア・リゾート」泊まりだったようです。ご挨拶したのもこれで3度目です。
偶然も三度重なると親近感が湧き、笑顔で握手をしましたが、英語がまるで話せないお二人でした。
「どこの国の方かしら?」と興味がわきましたが・・・



荒野の中を行く国道1号線を走ること4時間、途中私が運転を代わり、午後5時前に「ジェラルトン」の街に到着です。
24時間やっている「ビジターセンター」で大家さんが予約してくれた宿の場所を聞き、ようやく辿り着きました。
"何も5時にこだわらなくても良かったのでは?ストロマトライトは二度と見る機会はないのよ"と、喉まで出掛かりましたがやめました。

何だかどっと疲れが・・・
夕食の場所を探すのも面倒なので、スーパーに出向き「のり巻き」を買うことにしましたが見つかりません。
日本のようなファミレスも見つからず、仕方なくフライドチキンやポテトスナックなどを買いお部屋で食べましたが、オーストラリアでの旅は大自然は素晴らしいのですがどうもお食事がイマイチです。

去年は、この世のものとも思えない美しさのエスペランスの海に大感激しましたが、夕食は宿で食べたインスタントラーメンの「出前一丁」でした。
どんぶりもなくスープ皿で食べましたが、返ってそれが忘れられない思い出になりました




コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スワン川」・ミニクルーズ

2008年05月24日 | パース滞在記

西オーストラリア州の州都「パース」は海辺の街と思われがちですが、その実パースの街の緑をいっそう美しく見せている青い水面は「スワン川」なのです。
港町「フリーマントル」からスワン川をさかのぼって20km内陸に位置しているパースは近年急速に発展し、人口も200万人近くに膨張しているそうです。

インド洋に面した「フリーマントル」からは電車で30分、車で20分・・・
船では丁度一時間のクルーズが楽しめます。

この間の両岸に連なる高級住宅地を最初に見た時は驚きました。
初めてパースを訪れた時、パースから船で「ロットネス島」観光に行き、その時初めて見ましたが・・・
日本の豪邸とは規模が違いました

あれから5年目・・・
パースもバブルで、ゴージャスな住宅が更にたくさん増えたようですね。
ビッシリと建ち並んでいます。
そして当然のように持ち船が係留されています。


<>

マウスオンでご覧下さい
ヨットやプレジャーボートは車と同じ感覚で、ここに住むほとんどの方々が持っているのでしょう。

パースではお金持ちはモチロンの事、多くの庶民も船を持っています。
マリーナに係留出来ない人々は自宅の庭に置いて、船を使う時は車の台車に積んで運びます。
休日になるとそのような車がたくさん見られますね。


トローリングを楽しんできたのでしょうか?
後部のデッキではワインを飲みながら歓談しているグループの姿が良く見えました。
日本ではさしずめ成果をすぐに「お刺身」で楽しむところですが・・・



こちらは家のすぐそばにある「プライベート・マリーナ」でしょうか・・・
とても贅沢な風景です。

パース市民にとってのステータスは、スワン川沿いやインド洋が望める海辺に住む事のようでした。
豪雨も地震も関係のない土地柄だからでしょうね。



「スワン川」では、船に乗るだけではなくウオーターバイクやセイリングなどのマリンスポーツを楽しむ人々がたくさん居ました。

ふと見ると、川の中をたくさんの人々が歩いています
3枚の写真をマウスオン・クリックでご覧下さい

<<

浅瀬の中洲につながる川の中の道なのでしょうか?
今回初めて見た風景です。
マリンスポーツが苦手な私でもこれならできそう・・・



そんな風景を、船のデッキから一人佇んで眺めている金髪の若い女性が印象的でした。
絵になりますね~

作家の椎名誠さんが、オーストラリアの砂漠を縦断し北のダーウィンの町に辿り着くまでの記録「熱風大陸」という本を1988年に出していますが・・・
その中に、オーストラリアの女性は「世界三大ブス」の三位に入ると書かれています
(ちなみに一位はオランダ娘だとか)

素朴だったオーストラリアの女性も経済の発展とともに磨かれ、私はパースを訪ねるたびに洗練されていく彼女たちに驚かされました。
男性も同じ事が言えますね。
ステキな方がとっても多くなりました



ホテルでは結婚式も川辺で行われるのでしょうか?
「お幸せに~
私たちも船で味わえる試飲のワインをかざして祝いました

スワン川は日本の川のようにセメントで固められた護岸工事はされていません。
誰でも自由に川と関われるのです。
大きな蛇行を繰り返して、パースの街まで一時間かけて船は進みます。

やがてパースの街の高層ビル群が見えてきました。
non_nonさんのソースをお借りして纏めましたので、小さなサムネイルの写真にマウスオンをしてスライドショーでご覧下さい。

< < < < <

午後6時、パースの街はまだ明るい太陽の光の中にありました。
あの金髪の女性もストールを脱ぎました。
赤く日焼けした肌が眩しいですね

バラック広場に面した桟橋に到着です。
青いガラスの高い塔は「ベルタワー」
1988年に、オーストラリア200年祭を記念してロンドンのマーティン教会から贈られたスワンベルがあり、13時と18時に鐘の音が響きます。

私たちは行きつけのイタリアンのお店に行きましたが、(日)(月)とお休み
他のお店もほとんどやっていません。

バス停に行ってみると、休日は19時が最終便で出たばかり
日曜日のパース中心街は眠ったように静かでした。

酔ったアポリジニが数人騒いでいたので、私たちはパース駅前から早々にタクシーに乗って帰りました。

コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

港町「フリーマントル」

2008年05月20日 | パース滞在記

今朝は激しい風雨の音で目が覚めました。
5月に台風襲来とは
地球がちょっとおかしくなっている様な気がしてなりません。

交通機関にも乱れが出て、東京湾フェリーも欠航とか・・・
前回UPしたあの「観音崎」から眺めた穏やかな海も、今日は大雨強風波浪警報が出ていて大荒れでしょうね。

観音崎があるのは横須賀市です。
その横須賀市が姉妹都市の提携を結んでいる街の一つに、西オーストラリア州の州都「パース」のお隣にある港町「フリーマントル」があります。

私たちもパースに出かけるたびに訪れる魅力的な街ですが・・・
今年の2月に行った時は、フリーマントルからの帰り道は船に乗ってみました。
トップの写真がフリーマントルの港です。

午後5時、沖合いに浮かぶ「ロットネス島」からたくさんのプレジャーボートが戻ってきました。



パースシティーの南西20キロ、電車で30分・・・
こちらが「フリーマントル駅」です。

スワン川の河口に広がる古い歴史の面影を残す「フリーマントル」は、異国情緒が漂う魅力的な街ですが・・・
パースシティーのお店がほとんどお休みの週末になると、この街は大勢の人々で賑わいます。


100年以上も続いているという「週末マーケット」も見どころの一つで・・・
150店舗以上のお店が並び、地元の野菜や果物、魚介類、そして民芸品などを見て歩くのも楽しいひと時です。
メインストリートのカプチーノ通りのオープンカフェで一息入れるのも良いですね

これらの様子はこのブログでも何度か取り上げていて、古いお仲間はもうご存知かと思いますので写真は省きますが・・・


<>

歩行者天国となった通りでは、あちこちで大道芸人たちのパフォーマンスが繰り広げられます。
マウスオンでご覧下さい




素人が自分の芸の発表の場としている様子も伺えて、横浜の野毛の大道芸人たちの本覚的な芸とは趣が違いますが・・・
子供が真面目な顔してバイオリンを引いている姿も見られて、微笑ましく思いました。

「フリーマントル」という地名は、1829年に入植したイギリスのキャプテン・フリーマントルにちなんで命名されたそうです。
イギリスからの開拓者が移民する事によって発展したこの街は、今でもいたるところに当時の建物が残り、古きよきビクトリア王朝時代を醸し出しているのですが・・・
真夏の休日は開放的な雰囲気の人々であふれていました。



街を一回りしてから駅の反対側にある「港」に行きました。
ここにもマーケットがあって、オープンカフェでは軽快なリズムのデキシー&ジャズの生演奏をしていました。

音楽を聴きながら名物の「フイッシュ&チップス」をお腹に入れて・・・
私たちは予定通り、この港から船に乗ってパースシティーまで戻る事にしました。
ミニクルーズを楽しむために、この日は車ではなく電車でフリーマントルまでやって来たんですもの



インド洋に面しているフリーマントルは、植民地時代以降、オーストラリアでも屈指の港町として発展し、今では世界有数の積出港になったとか。

特に近年、西オーストラリア州で産出する鉄鋼石やウラニュウムなどが人気を呼びこの港から輸出されているようですが・・・
貿易相手国はずっと日本が一位を占めていたのに、昨年から完全に中国が取って代わったと聞きました

写真に写っている逆光の大型の船も、良く見ると「AUSTRAL ASIA LINE」と描かれています。
インド洋は、アジア、中近東に繫がっている海ですね。

中東方面には「羊」が生きたままギュウギュウ詰めで、ここから輸出されて行きます。
半分は船の中で死んでしまうとか・・・
動物愛護団体が問題にしているようでした



私たちが乗る大型船がロットネス島からやって来たようです。
チケットを買う時、どの便に乗ろうか迷いましたが、ワインのティスト付きの大型船にしましたよ



一足早く小型のパース行きが着岸しました。
ロットネス島で一日海遊びを楽しんだのでしょう・・・
乗客は皆真っ赤に日焼けしていました。

自転車やクーラーボックスを抱えながら下船する人々がたくさん居ました。



船の衝撃を少なく着岸するには技術が必要なんですね。
若いマドロスさんがきびきびと動き大活躍です。
カッコイイですねぇ~



10分後に私たちの乗る大型船も着岸して無事に出航しました
港を離れるとすぐにヨットハーバーが次々に現れます。

このフリーマントルの名が一躍有名になったのは、1987年にこの地で開催された世界最大のヨットレース「アメリカンズ・カップ」でした。
アメリカ船籍以外のヨットで史上初の優勝を果たしたオーストラリア号はフリーマントル港出身・・・

それ以来フリーマントルは明るく開放的な観光スポットに生まれ変わり、ヨットのメッカとしても発展しているようです。
日本では見られないヨットの数、マリーナの存在に圧倒されました。





コメント (25)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤い大地を駆け抜けて⑤・「モンキーマイア」その2

2008年03月18日 | パース滞在記
2月21日

夏時間を採用している西オーストラリアの夜明けは朝の6時半過ぎになります。
前日の激しい雨はやんでいましたが、雲が相変わらず空を覆っていました

イルカがやってくるのが朝の8時から9時頃と聞いていたので、8時前には浜辺に出て待機しました。
まだ朝が明けきれぬ薄暗い中、ひょうきんな姿のペリカン達が出迎えてくれました



桟橋の先から見た「モンキーマイア・ドルフィンリゾート」です。
レストランや売店、バーベキュー施設、野外ステージまでが完備された一大リゾート地ですが、派手さはなく、あくまでも自然の中に違和感なく存在している施設が素晴らしいですね。

この桟橋で、前日の「シェルビーチ」の浜辺で一緒だったご夫妻に会いました。
同じ所に泊まっていたようです。
「グッド・モーニング」と笑顔で挨拶したら・・・
ニッコリと聞きなれない言葉で返事がありました。どこの国の方かしら?
イルカが突然やってきました
慌てて浜辺に戻ります。

「naoさんのブログは同じような写真が多すぎる」との外野の意見も時々聞かれますが、反省もなく載せますね。
このイルカちゃんたちに会いにはるばるやって来たんですもの・・・
non_nonさんのソースを使わせていただきました。
小さな写真にマウスオンしてご覧下さい。

< < < < <

自然保護指導員の方の説明がありましたが、英語なので半分も聞き取れませんでした
1960年代に、ある女性が野生のイルカの餌付けに成功したのが始りだそうで、現在はその時のイルカの3~4世代後のファミリーが餌を求めてやってくるそうです。



最後に希望者が餌をやりました。
私は手を上げませんでしたが指導員の方に呼ばれて、手から直接お魚をあげました


私たち世代は昔TVで見た「わんぱくフリッパー」というアメリカのドラマに出ていた白いマイルカが御馴染みですが、この浜辺にやってくるのはちょっと小さい「バンドウ・イルカ」だそうです。

パース近郊のロッキンハムの海岸近くにもバンドウイルカが見られ、「イルカツァー」があるそうです。かなりの高確率でイルカと泳げるらしい・・・

このようにオーストラリアではイルカは一つの観光資源なので、日本からのニュースで、イルカを叩いて殺している画像には過敏に反応していました。
一面血の海で、イルカが捕らえられている場面だったのでそれはそれは衝撃的でした。
日本は捕鯨やイルカ漁でオーストラリアのメディアにかなりバッシングされています。



さて・・・
朝ごはんにやってきた野生のイルカも、バケツが空になると分るようで沖に戻っていきます。



「私たちも見て!」と存在をアピールしているのはペリカンたちです。
マウスオンでご覧下さい

<>

「私たちにも餌をちょうだい!」とばかりに、バケツを持ったお姉さんを囲んでねだっているようでした



こうしてモンキーマイアでの楽しい時間が終わりました。
水着を持ってきていますが泳ぐにはちょっと風が冷たくて・・・

売店でパンを買い、部屋の前のデッキで簡単な朝食を楽しみました。
潮風を感じながら呑むコーヒーの美味しい事
おかずはハムとチーズとトマトだけですが、景色が何よりのご馳走です。

このような所で1週間くらいノンビリ過ごすのが本当のリゾートライフなんでしょうが、慌しい日本人は食後すぐに荷物をまとめてモンキーマイアを後にしました。



コメント (32)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする