花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

箱根「山のホテル」のツツジ&シャクナゲ

2010年05月27日 | 花シリーズ

「大涌谷」からスタートし、イワカガミの大群落を見てから「神山~駒ケ岳」と歩いて
最後は駒ヶ岳のロープウェーで下りました。

それからタクシーに乗り、ワンメーター
今が盛りのツツジを見に「小田急・山のホテル」に行きました。

前日に得た情報では、ここも「丁度見頃」ということで足を延ばした次第です。
(入園料は昨年と同じ800円)


このブログを始めて6度目の春ですが、4年前と去年も「山のホテル」のツツジは紹介していますから、
これで三回目のUPのツツジです。

「小田急・山のホテル」は、岩崎男爵の別荘地跡に建つお城のようなホテルです。

45000坪の庭園に男爵が植えたツツジやシャクナゲがそのまま残っていて、
毎年5月の中旬頃になると、ヒノデツツジやクルメツツジなど30種3000株のツツジと、
300株のシャクナゲが競って咲き出し、それはそれは見事です

ツツジ越しに見る「富士山」が絶品なのですが、この日は残念ながら見えませんでした。
4年前にはバッチリと見えたのですが・・・


見学者はお洒落なリゾートスタイルの方々が多く、登山姿の我々はちょっと浮いた感じです

主人と車で来た時は、ホテルのラウンジの特等席
ツツジと富士山を眺めながらコーヒーを飲むのが常でしたが
今回は気が引けて、ホテル内には入りませんでした。

ワタシ、前日の雨でぬかるんだ神山の下りで滑って思わず尻モチをつき
ズボンの泥が気になりましたしね~
(Yさんが叩いてとってくれましたが・・・)

買って6年目の登山靴は底が磨り減って、そろそろそ張替え時でしょう。


売店でアイスクリームを買って、ツツジの横のベンチで食べました。

更に「バラ園」が造られたので、ここだけの特製「バラのアイスクリーム」です。
「バラ」はまだ蕾みでしたが、アイスクリームはちゃんとバラの香りがしましたよ


芦ノ湖の畔に立つ瀟洒なホテル・・・
何度も訪れていますが、まだ泊まったことはありません。

昔はしょっちゅう家族で箱根に遊びに来ましたが、
宿はもっぱら主人の会社の保養所専門でしたものね。

ツツジのお庭の奥には「シャクナゲ園」もあります。
nan_nonさんのソースをお借りして、シャクナゲのお花を纏めましたので、マウスオンでご覧下さい

< < < < <

♪夏が来れば思い出す。はるかな尾瀬、遠い空♪
♪霧のなかに うかびくるやさしい影 野の小径♪
・・・・・・・・・・・・
♪石楠花色にたそがれる はるかな尾瀬 遠い空♪

この歌の「シャクナゲ色」は、真ん中の夕焼け色でしょうか・・・

Yさんは左から2番目の「白に少し紅が入った色が大好き」だそうです。
私は山でよく見る薄いサーモンピンクの「アズマシャクナゲ」が好みです

1時間ほど「山のホテル」のお庭を散策して、
この期間だけ運行している「元箱根」行きのバスに乗り帰りました。

       

この日はお天気にも恵まれ、新緑の中、目がピンクに染まるほどの「イワカガミ」と
「ツツジ&シャクナゲ」を見ることが出来て、本当にご機嫌な一日でした。


今回のハイキングコースは、昔準会員として所属していたさる山岳部の隊長さんの案内で、
真冬の雪の中を歩いた事はありますが、春のコースも素晴らしかった

ちなみに今回歩いたコースを、反対側の「芦ノ湖」西岸から写した画像が在りますのでご覧下さい


一昨年の11月23日に、山仲間3人で「箱根外輪山ハイキングした時に撮ったものです。

今回は「大涌谷」から歩き出して「冠ヶ岳」「神山」と登り「駒ケ岳」に向かいました。


こちらが「神山」から「駒ケ岳」の画像です。
「駒ケ岳」の上にポツンと見えている建物はロープウェーの駅です。

5月28日追加
今回のハイキングの模様を「デジブック」にまとめましたので、お時間と興味のある方は
題名をクリックして大型フル画面でご覧下さい。

最初の4枚は前回にUPした「イワカガミ」と同じものです。
その後足元が不安定な山登りとなったので、一眼レフカメラはザックにしまい込みました。
コンデジで撮った画像と合わせて22枚を収めたデジブックです。


デジブック 『箱根・神山ハイキング』




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箱根・「神山」周辺のイワカガミ

2010年05月22日 | 花シリーズ

このピンクのお花は「イワカガミ」(岩鏡)・イワウメ科イワカガミ属の多年草です。
岩場に生えていて、光沢のある葉を鏡に見立ててこの名前が付いたらしい・・・

コイワカガミやオオイワカガミ、ヤマイワカガミなどの種類がありますが、今回行った箱根で見られるのは
<< ベニバナヒメイワカガミ >>と言うようです。

5月中旬になると、箱根の「神山」の登山道にこのお花がたくさん咲きだしますが・・・

私たちは15年以上も前から、毎年「見に行きたいね~」と話題には出るものの、
いつも時期を逸してなかなか実現しませんでした。

それが今回ひょんなことから話がすぐに決まり「今が見頃」との情報を得て、
晴天の5月21日(木)に山仲間のYさんと行って来ました。


小田原から「箱根登山鉄道バス」で「大涌谷」に向かいます。乗車時間はおよそ50分。
「大涌谷」のバス停を降りると、雲の合間から白い頭だけ出している「富士山」が見えました。

小田原のバス停で8時50分発のバスを待っている時、近くにいたおじさんが話しかけてきました。
「イワカガミが一番見事に咲いている所は早雲山方面に行った先の道路の崩壊地点」
と言いながら私がコピーして持っていた地図に印をつけてくれて、写真まで見せてくれました。

下の地図の赤丸の所です


ピンクの☆マークの所が、イワカガミがたくさん咲いている場所です。

大涌谷~神山~お中道~大涌谷と一周(2時間半)すれば、主なイワカガミが見られますが、
我々は「山のホテルのツツジも見頃なので行きたい」という希望もあり、
赤丸の所から「神山登山道」に戻り、「神山~駒ケ岳」と縦走することにしました。

青い線で塗ったところが今回歩いたコースです。


お土産屋さんで大涌谷名物の「くろ玉子」(5個入り500円)を買い、2人で分ける事にました。

10時過ぎに「神山登山道」と書かれた入り口から入ります。
観光客が行く「大涌谷」への道とは違いますから、間違わないように・・・


「有毒ガス発生に注意、立ち止まらないように」と書かれた看板が立っていました。

長い間「有毒ガス」が危険なのでこの登山道は閉鎖されていましたが、2~3年前から再び歩けるようになりました。
でも、どう注意すればよいのやら


前を歩いていたおじさんがルーペをとり出して岩を覗いています。
「何が見えるのですか?」と聞くと「マリリンモンロー」との答え。「はぁ~?」

「マリリンモンローの、赤い唇とソックリだよ」」と言いながら
ルーペを貸してくれました。

「ワォ~、ホント!ホント!」
正式名は「イオウゴケ」と言うそうです。


本格的な登りに入るとすぐに「ベニバナヒメイワカガミ」が咲いていました。
あそこにも、ここにも


上を見上げるとミツバツツジが・・・

「正しくはトウゴクミツバツツジだよ」と、スレ違ったおじさんが教えてくれました。
(箱根には何でも教えてくれるおじさんがいっぱい居ます)

新緑の中のピンクの競演が素晴らしい


およそ20分で分岐の標識が現れました。
ここを「早雲山駅」方面に曲がって更に登っていきます。

山の斜面を横切る道ですが、上にも下に「イワカガミ」の群落が見えました。
マウスオンでご覧下さい

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北側斜面なのでまだまだ蕾がいっぱいありますね。当分楽しめそうです。

暗いのがちょっと難点ですが、あたり一面「イワカガミ」の群落でした。
でも大きな岩が続く登りの道なので、お花に近づくことができずに残念でした


岩の道をズンズン登ると、すぐに「早雲山駅」への分岐に出ます。
早雲山のロープウェー駅とは反対方向に7~8分ほど進むと、登山道が崩落して立ち入り禁止・・・
下に新しい巻き道が出来ていました。


巻き道を下るとそこには明るい光の中に咲く「ベニバナヒメイワカガミ」が、
ピンク色に輝いていました

花弁は五つに分かれ、その先端はさらに細かく裂けています。

登山道のすぐ脇の岩の上にも咲いていて、アップで撮れるのが嬉しい
大きな一眼レフカメラを持ってきた甲斐がありました。

土砂崩れの斜面の上には大群落も見えていますが、流石に登る勇気はありません。

< < < <

その先の斜面にも群落がありましたので、これだけ見られれば満足です。
前回の「シダンゴ山ハイキング」の時は腰が痛くて不参加だったYさんも大喜びでした。

non_nonさんのソースをお借りしてまとめましたのでご覧下さい


この道は「神山」の東側を巻いて「駒ケ岳」方面に向かう道なので、午前中歩くと日当りが良いのです。

「明星ヶ岳」や「明神ヶ岳」も見えていて、この「お中道」はとても気持ちの良い登山道でした。

ここで私たちは元来た道を戻ります。

途中、小田原のバス停で、ここの「イワカガミが一番と教えてくれたおじさんが
4~5人のメンバーを連れて登ってくるのに出会いました。

私たちの一本後のバスでやって来たようです。

「お陰様で、綺麗なイワカガミをたくさん見ることが出来ました」とお礼を言って別れました。



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緑の鎌倉・「名越切り通し」

2010年05月18日 | 鎌倉散策
我が街の「マロニエの花」

「風薫る五月」という言葉に相応しいお天気が続いていましたが
そろそろ西から下り坂でしょうか・・・

昨日は少々暑かったのですが「晴れている内に歩いてみよう」と思いつき、
近場の緑の中に飛び出しました

こちらは、普段私が利用するJR駅近くに咲いている「マロニエの花」です。
和名では「西洋トチノキ」、白色のお花もあるようですね。


駅前通りもデパート横の道路も「マロニエ並木」となっていて、丁度今が見頃です

マロニエと言えばすぐに「パリ」が浮びます(まだ行っていないけど・・・)
あちらは白いお花が多いとか。

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マウスオンでもう一度アップのお花をご覧下さい
と言っても背の低い私にはこれが精一杯のズーム写真ですが・・・

横浜市の「市の花」はバラ、「市の木」はイチョウですが
私が住んでいる区の花は向日葵、そして区の木がこのマロニエなのです。

そうそう銀座にも「マロニエ通り」がありましたね。
今頃丁度咲いているかと思います。

いつもは車で通り過ぎている道路の街路樹「マロニエの花」を写真に撮ってから、
電車に乗って目的地の鎌倉へと向かいました。


鎌倉七口「名越切通」

鎌倉は三方を山に囲まれ、一方は海に面した「天然の要塞」です。
敵からの攻撃を守る点においては非常に好都合だったのですが
物流を含めての出入りが大変不便でした。

そのために山を掘削し、外部との往来が出来るようにしたのが「切通し」で、
鎌倉には七つの切通しがあります。

「鎌倉七口」と呼ばれるこれらを踏破するのが私の目的ですが・・・

去年のゴールデンウィーク前に歩いた「朝比奈の切通し」が清々しい中のハイキングだったのを思い出し、
お天気に恵まれた昨日、まだ行っていなかった「名越の切通し」を一人で歩いてきました。


「名越切通」(なごえきりとおし)は鎌倉の東、逗子との堺の名越の山中にあります。
この道は往時は鎌倉から三浦半島に通じる要路で、戦略上にも重要な拠点でした。

この切通しを訪ねるには幾つかの方法がありますが、
私はJR「鎌倉駅」から「名越経由逗子行き」の京急バスに乗り「長勝寺」で下車・・・


地元の方に「行き方」を教わり、JR横須賀線の「名越坂踏切」を渡ってから
標識に従い住宅地の坂を上って行きました。


民家がなくなると、横須賀線のトンネルの上の山が目の前に迫ってきます。
初夏の光を浴びて「緑」が眩いばかりに輝いていました


途中仮設の桟道を渡るといきなり木々がうっそうと茂った中の山道に入ります。
これが中世の切通しの世界・・・
深山の趣が深い全くの山道です。


平らな所は敵を迎え撃つには最適な場所のようです。

源頼朝の時代が終りを告げ、北条氏の執権の時代を迎えると、
頼朝時代の旧臣たちの存在が、北条にとっては脅威になり、
梶原景時の追放から始まり、侍別当の和田義盛を倒すなど重臣達を次々と抹殺していきました。

ただし、一番の脅威は三浦一族・・・
この「名越切通」は三浦氏の居城の「衣笠城」に通じる重要な道であり
北条氏にとってこの道は鎌倉防衛の戦略上の最重要拠点であったようです。


更に進むと「曼荼羅堂跡」があり、ここでは矢倉や五輪塔などが見られ
アジサイや菖蒲も綺麗と聞いていましたが、今は修復中で入れませんでした。残念


アチコチに咲いていた「ヒメウツギ」がせめてもの慰めとなりました。


左手は断崖、右手にも大きな岩が迫って道をふさぎます。
人馬を容易に通さない典型的な「切通し」の風景ですね。

このまま進むと逗子側の住宅地に出ます。
私は右手の「小坪階段口」と書かれた標識に従って森の中を下りました。


歩いた時間はわずか40分くらい、猫はたくさん居ましたが、誰一人として出会いませんでした。

「鎌倉は我が家から近いし、観光客も多いし、一人で歩くには丁度良いところ」
と日頃から思っていて、時間があると気分転換に出かけていますが・・・、
今回のこのコース、一人では少々怖かった

下ったところの小坪には「名越隧道」「逗子隧道」「小坪隧道」とトンネルが続いています。

昔から地元では有名なお話ですが、これらのどのトンネルかは忘れましたが
夜に車でトンネルの中を走ると「幽霊に出会う」と聞いたことがあります

すぐ上の山は古戦場、あながち作り話でもないような雰囲気が今回歩いたコースにも漂っていましたわ
人が大勢居れば印象も叉違っていたかもしれませんが・・・

「緑ヶ丘入り口」のバス停から「鎌倉駅行き」のバスに乗り戻りましたが、
まだ歩行数は5000歩足らずです。

「鶴岡八幡宮」の倒れたイチョウの木がその後どうなったのか?
興味がありましたので見に行きました。


「鶴岡八幡宮の大イチョウ」

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3月10日の早朝、強風の影響で「鶴岡八幡宮」のシンボルのような大イチョウが倒壊しました。
県天然記念物にも指定されているご神木は樹齢1千年余とされ、
高さ約30メートル、幹回り約6・8メートル。
鎌倉幕府3代将軍・源実朝を暗殺する際、おいの公暁が身を隠した伝承で有名です。

この狛犬さんの奥に、それはそれは見事に茂っていたのですが・・・
マウスオンで、昨年の秋に写した画像と合わせてご覧下さい


倒壊した大イチョウは根元から4メートル付近で切断し、殺菌消毒を施し植え直されたそうです。

新しい芽を使った後継樹も育成されてスクスク育っているようでした。
立派な後継樹が育つことを祈るのみですね。

初夏の陽射しの中、八幡宮も小町通も修学旅行生たちであふれていました。



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エジプト紀行その11・朝日に染まる「アブ・シンベル神殿」

2010年05月15日 | エジプト紀行
1月26日(火)
この日の朝は「アブシンベル神殿・日の出観光」が組まれていました(希望者のみ)
モーニングコールは朝の5時25分、集合は5時55分です。

前日の真夜中の2時半出発と比べれば睡眠時間はそれなりに取れましたが、
それでもまだ暗い中の出発となりました。

ぷりんさんのお姉さんが「ユックリしたい」ということで、ぷりんさん姉妹は残りましたが
それ以外の28人が参加しました。



東の空が白んでいましたが、早朝の神殿はまだ夜の名残の空気が漂っています。
前日の昼と夜に見た「ラムセス二世」の巨大な姿が、叉違って見えました。

ライトアップの灯りと群青色の空が混じり合い、夜のとばりから目覚めた美しい空間を醸し出しています。

神殿の中の方が暖かいと言われ、私たちは中に入って日の出を待つことにしましたが・・・
早朝の神殿内部は幽玄の世界が広がっていました。


入り口から大列柱室に入ると、8体のオシリス神の姿をしたラムセス2世像が
4体づつ中央に向かい合って並んでいます。

その一番奥が「至聖所」
右から太陽神「ラー・ホルアクティ」、神格化されたラムセス2世、王の守護神「アメン・ラー」
そして宇宙の創造神「プタハ」の4体の神像が並びます。

年に2回、神殿の奥まで朝日の光が届き、冥界神であるプタハを除いた3体を明るく照らすそうです。
これを一目見ようと多くの観光客がその日に訪れるとか・・・

その2回とはラムセス2世の生まれた日と、王に即位した日(2/22と10/22)でしたが
水没の危機のために場所を移したので、1日ずれてしまったようです。


大列柱室の壁にはラムセス2世が勇敢に戦う姿や凱旋する姿が描かれたレリーフが刻まれています。
最大の敵は現トルコにあった「ヒッタイト王国」

神殿の倉庫などのあらゆる壁面にも王と神々を表す絵で飾られていました。
(神殿の中は撮影禁止なので、上2枚の画像は写真集よりお借りしました)


神殿正面の東の空が明るく輝き出したので外に出ました

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ラムセス2世も太陽神・ホルアクティも赤く染まります。マウスオン・クリックで三枚の画像をご覧下さい
三枚目の画像はナイル川の氾濫を神格化したハピ神が人の姿で表されています。
上下エジプト統一の儀式が刻まれ、真ん中にはラムセス2世の名前を記したカルトゥーシュが・・・

ギザ郊外のメンフィスで巨大ラムセス像を観た時にお勉強した
「太陽・王様・太陽・波」の古代文字ですね。


朝の6時半過ぎ、いよいよ朝日が顔を出しました。


目いっぱい標準レンズのズームを回します。
この旅に望遠レンズを持ってこなかったことを少し悔やみました


太陽に向かって矢継ぎ早にカメラのシャッターを押し、時々振り返って神殿も写します。
大神殿も朝日に染まって赤く輝いていました。


こちらは大神殿に並ぶように建っている「小神殿」です。


「ナセル湖」の向う側の砂山から昇った朝日
今回も上手く撮れませんでした

もっともっと絞らなくていけないのでしょうか?露出補正もマイナスを大きく?
カメラの技術が伴わずに残念です。


でも赤く染まった「神殿」は前日に見た昼よりも夜よりも更に素晴らしい

「朝日がどのように神殿の中を照らすのか見てくるね」
K子さんが神殿の中に向かいました。


英語が堪能な彼女、3人の門番のおじさんと何やら話しています。
この好奇心は見習わねば

来月の6月にはご主人と南米の「マチュピチュ」に行くとか・・・
体力・気力・財力と三拍子揃っていて羨ましい限りです。

「一番奥の神様が並んでいる所から少し外れて太陽の光が当たっていたわ」
と言いながらK子さんは戻ってきました。


朝日に輝く「アブシンベル神殿」を堪能して、バスでホテルに戻りました。
そのままホテルのレストランで朝食です。

今朝はちゃんと屋内でのビュッフェで美味しくいただきました
寒くはなかったけど時間に余裕がありません

8時までに荷物をお部屋の外に出さなければならないのです。

昨夜は持ってきたポットでお湯を沸かし、2人で紅茶にウイスキーをたらして飲みながらお喋りもして・・・
ざっと荷物もまとめたのですがまだ不十分です。

「今日はバス移動だけで飛行機はないから、神経質になることもないわね」
そういいながら食後バタバタと部屋に戻り、早朝の「日の出観光」に着ていった冬物衣類などを
詰め込んでいると、8時前にポーターさんが荷物ケースを集めにきました。

「ちょっと待ってぇ~
この荷物整理のあわただしさが苦手な方には、是非「ナイル川クルーズ」の船旅をお薦めします

< < < <

荷物を出してから、お隣の部屋のぷりんさん姉妹と一緒にホテル内を散歩しました。
緑豊かな中に赤い「ブーゲンビリア」が印象的でした。

小さな画像にマウスをあてて、スライドショーでご覧下さい

砂漠の中のオアシスのようなホテルの庭で、時間とともに変化するナセル湖(ナイル)を見ながら
2~3日ノンビリ滞在したくなるような所ですが・・・
私たちは慌しく出発します。


8時40分ホテルを出発、
バスは多くの車とともに集合場所で一旦待機して、前日と同じ様にパトカー先導の軍団となり
「アスワン」に戻ります。


       

一昨日、父の付き添いで病院に行ってきました。
先月受けた諸々の検査結果をふまえ、これからの治療法を先生からお聞きするためです。

全身麻酔で行う「細胞の生体検査」は拒否しましたが、それなりに結果はちゃんと出て、
一番恐れていた「ガンの骨への転移」はなかったようで一安心しました

父は今後三ヶ月に一回の注射と血液検査で通院・・・
普段は毎日薬を飲むだけでよいホルモン療法となりました。

何だかホッとしたら気が抜けて、ブログの更新も皆様の所へのご訪問も怠っております。


この一ヶ月、閲覧数(PV)がうなぎ登りに増え、2000を越える日もありました。

いわゆるアクセスカウントの訪問者数(IP)が同じ様に増えているわけではありませんので、
お一人、お一人の方々が、父のことを気にかけて一日に何度も訪ねてくださるのかな?とか
「エジプト紀行」をお待ちの方々が 待ちくたびれて何度も訪ねてくださるのかな?とか
勝手に推察して、ありがたがったり、申し訳なく思ったりしています

両親共々高齢ゆえ、今後突然何が起きるか分りませんが・・・・
取り合えず、父は今まで通り静かに穏やかに、母と一緒に施設で暮らしておりますので、
私も胸をなでおろしている所です。

ブロガー仲間の皆様には、たくさんの暖かい励ましをいただき心から感謝しております。


 
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エジプト紀行その10・「アブ・シンベル神殿」音と光のショー

2010年05月09日 | エジプト紀行

今日は「母の日」ということで、息子夫婦がこんな可愛いプレゼントを持ってきてくれました。
これに有名ケーキ屋さんのクッキーが一箱添えてあります。

美味しいクッキーは、爽やかな風が気持ちよいデッキでいただく事に致しましょう。

ハンガリーのブタペストで買った、緑色の花模様の「ヘレンドのコーヒーカップ」
挽きたてのコーヒーを入れてね


目の前のフェンスには白い清楚な「モッコウバラ」が揺れています。

♪時は春、日は朝(あした)
朝は七時、片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
・・・・・・・・・・・・・ 
すべて世は事も無し♪

(ブラウニング作)

うろ覚えのこんな「詩」を口ずさみながら、緑の中に浸ります
      

デッキの周りは今花盛りです。
こちらは白い「タツナミソウ」、今年は紫色が少ないですね~
他にアッツザクラにキエビネ、ノエビネ、オダマキなどなど・・・

<>

そしてこの「クレマチス」(主人はテッセンと呼んでます)
マウスオンでもう一枚の画像もご覧下さい

どちらの呼び名が正しいのか?
以前調べたことがあります。こちらの記事を参考にどうぞ・・・

主人からは、近くの日帰り温泉の「入浴券&マッサージ券」がプレゼントされました。

心労が重なり、この所ずっと胃腸の調子が悪くて、肩、背中、腰がゴリゴリに張っています。

挙句にくじいた覚えもないのに、足のくるぶしの所が痛い
久しぶりの畑作業が響いたのでしょうか?

昨日は主人とに行き、1時間ほどマッサージを受けました。

嗚呼~、気どって優雅にデッキでお茶の時間を過ごしても、体はガタガタなのでございますわ

おあとがよろしい様で・・・


       

エジプト「アブシンベルのホテル」

壮大な「アブ・シンベル神殿」をジックリ見学してから、バスで5分の所にあるホテルに到着です。

ヌビア地方の天然石を積み上げた洒落た外観の「セティ・アブ・シンベル」
ここは砂漠の中とは思えない、一大リゾートエリアでした

中庭とプールを囲むようにコテージが連なっています。


K子さんと順番にシャワーを浴びてから散歩に出ました。

「夕陽が見られるかも」
小走りで湖の見えるところに行きましたが、最後の光が輝いて丁度陽が沈むところでした。
慌ててカメラをセットしましたが、間に合いませんでした


あとは静寂が周囲を支配していました。

ここはアフリカ大陸・・・
おりしもこの日は私の誕生日、この日この時、ここに立っていることが不思議でした。


私の大好きなトワイライトの明かりの中で
ナセル湖のナイルのさざ波を見ながらいっとき感傷にひたりましたが・・・


すぐにいつもの2人に戻って遊びます。
「女性雑誌の婦人画報やミセスに載っていた様な、素敵な旅のショットを狙いましょう」

<>

デジカメ教室の先生から教わった「素敵な写真の撮られ方」をK子さんに伝授します。

「両手でお尻を持ち上げて、片足を半歩前に出す」
「胸もお腹もそのまま斜め横、顔だけこちらに向けてハイ!ポーズ

ほら素敵な写真でしょ(マウスオン)、私もいっぱしの名(迷)カメラマンだわ
きっとモデルが良いからよ

「アブ・シンベル神殿」音と光のショー

「音と光のショー」がこのツァーだけの貸切で見られるということで
日が暮れてから再びバスで「アブ・シンベル神殿」に向かいました。

寒いと聞いていたので、我が家から成田に向かった時と同じ厚手のズボンにダウンの半コート姿で、
カシミヤの山用のセーターとマフラー、ホカロンもバッグに入れました。

そして、皆がいっせいに使うとお湯が出なくなるという話がもれ伝わっている、
ホテルの部屋のバスタブにタップリと熱いお湯を張ってから出発です。


昼間とは違う、幻想的な雰囲気の「アブ・シンベル神殿」です。
夜空が大きくて星が綺麗でした

神殿を正面に見るように石のベンチが並んでいて、そこに30名の我ら一行が座りました。
目の前には大きなアンプ・・・

やがて遺跡のライトアップが消えて音楽が流れ出し、
遺跡がスクリーンとなり古代エジプトの物語が始まりました。

激しい雨の音、
「エジプトはナイルの夏の洪水で、肥沃な土地が造られ栄えたのです」というナレーション

「ラムセスさま~」ネフェルタリの声
「おぉ、ネフェルタリ、見るが良い。この神殿をおまえのためにハトホル神に捧げよう」ラムセスの声

2人の愛のお話もちりばめられておりますが、戦い続きで苦悩するラムセスも描かれていました。
何だか遺跡のラムセス2世がそのまま語りかけているような不思議な錯覚も・・・

最後にはユネスコの活動も紹介されて、移築の時の説明もありそれなりに感動しました。
 

こちらは小神殿です。
音楽とともに遺跡に画像が映し出されるショーの時間は35分、寒くて途中でセーターを着ました。

昼間の賑わいとは異なり、暗い中、貸切の我々30人だけというのも少々淋しさがありましたね。

8時前にホテルに戻り、そのままビュッフェスタイルの夕食でしたが
ナント!ガーデンエントランスの屋外テーブル
冷えた体には堪えます。
誕生日の夜だと言うのに、寒くて乾杯のビールを飲む気にもなりません
典型的な砂漠気候のようです。
グラスワインを飲みながらお食事をいただきましたが、灯りも暗くて何だか侘しい・・・

オマケにTVでエジプトとどこかの国のサッカー中継をやっていて、従業員は気もそぞろ
完全にサービスを忘れています

どんどん片付けられて急かされて、ユックリ食べる間もありませんでした。

添乗員のH島さんから「お誕生日おめでとうございます」」と声をかけられたのがせめてもの救いでした。









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エジプト紀行その9・「アブシンベル神殿」

2010年05月06日 | エジプト紀行

ゴールデンウィークも終わりましたね。

この期間中はずっとお天気に恵まれ、つい一週間前までは朝夕暖房を入れていたのに、
春を飛び越えていっきに初夏の陽気になりました。

連休中は病院もお休みなので父の付き添いも一休みです。
その分「ノンビリ出来た」のかも知れませんが・・・

「混んでる時は出かけない」主義の我が家
でも私は、青空に映える新緑の美しい山々が目に浮び、気持ちが落ち着きませんでした。

この一週間、我が家の庭の「藤」が丁度見頃でした

「端午のお節句」の頃は、和室の床の間に息子の鎧兜を飾り、この実家から持ってきた藤の花の下で
まだまだ元気だった実家の両親を招待して、毎年バーベキュウをやったものです。

庭に放し飼いの愛犬ジュン君も鼻をヒクヒクさせて仲間入りし、
高校生の息子とお肉を分け合って、食べている姿も写真に残っています。

まだ家族みんなが充分に若く、輝かしい未来があると信じていた頃を懐かしみながら
しばしこの「藤」を見上げて、写真に収めました。


この連休中、私は2回両親に会いに施設に行きましたが、その内の1回は息子一家と一緒に行ってきました。

ひ孫達を見て両親は喜んでいましたが、来週には父の検査結果が出るはず・・・
厳しい現実も覚悟しなければなりませんね。

そして今年の「端午の節句」は、孫のハー君の「兜」が飾られた息子宅のリビング前の
主人手製のデッキでバーベキューを楽しみました。

こうして世代は移り代わりながらも、家族の絆は受け継がれていくのでしょうね。

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借りている菜園では今「絹サヤ」「スナックエンドウ」のお花が咲いています。
藤の花と良く似たお花です。マウスオンでご覧下さい

手の平いっぱいの収穫も間もなくですよ
青空の下、私は連日家庭菜園で土いじりをして「夏物野菜」の苗を植えました。

緑豊かな季節を迎えて、ふと砂漠の国を思い出しました。

エジプトから帰ってきてから両親の事でバタバタし、私も何かと余裕がありませんでした。
なかなか進まない「エジプト紀行」ですが、久しぶりに綴ってみたいと思います

       

エジプトの第一目はカイロ郊外の「ピラミッド」を見学し、二日目は早朝2時半出発で
南部の「アスワン」に飛行機で飛び、「アスワンハイダム」や「イシス神殿」を巡り、
バスで280km南の「アブ・シンベル」に向かいました。

「アブ・シンベル神殿」

バスはパトカー先導で砂漠街道をひた走り、アスワンからおよそ3時間で
「アブ・シンベル神殿」の駐車場に到着しました。

世界中の観光客で混んでいる入り口でセキュリティーチェックを受け中に入り、
ガイドのモモちゃんに案内されて丘の上を10分ほど歩いて行くと神殿が見えてきます。

流石に隣国スーダンまで50kmというエジプト南部、冬とはいえ降り注ぐ太陽の光は強烈でした。

大神殿

大神殿の正面には、高さ20mの「ラムセス2世」の4体の巨像が配置されています。

日本でもTVや写真などでこの巨大なラムセス2世像を見る機会はありましたが、
この4体ともラムセス2世だったとは驚きました

神殿が完成してから7年後(紀元前1248頃)の大地震で左から2番目の像の上半身が崩れ落ち
今でも足元に頭部が転がっていました。

ラムセス2世の巨像は、王を守護するコブラの頭を額につけ、王権を現すネメス頭巾をかぶり
王権の象徴である付け髭をつけ、両手を膝に載せています。


ラムセス2世は古代世界の数多くの王たちの中で、最も顕示欲が強かった王として知られており
「ラムセス大王」とも呼ばれていたそうです。

この大王の事は、ギザ郊外のメンフィス博物館にも巨大な像があり
そこの紹介記事でも記しましたが、90歳近くまで生きた「王の中の王」としてアチコチに遺跡が残っています。

その中でも「アブシンベル神殿」が最たるものだと思います。

ラムセス2世は王妃たちの中でも特に「ネフェルタリ王妃」を寵愛しました。
入り口の両脇に王妃の立像が見られます。

そして像の足元には200人近く居た子供達の一部の像が立ち
神殿の入り口の上には、ハヤブサの頭をした太陽神「ラー・ホルアクティー」の立像が見られます。


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内部は残念ながら撮影禁止です。マウスオンでご覧下さい

入り口の門番が「生命の印のアンク」に取り付けた錠前を持っていて、
興味を示した私たちに手渡し「カメラで写してあげる」みたいなことを言ってきました。

その後しっかりと「ワンダラー」と要求してきましたよ。
仕方無しに渡すと、もう一人の門番のおじさんまで手を出すしまつ・・・

今度はぷりんさんが「消せるボールペン」を渡し、使い方を実演して教えていました。

エジプトでは何故か「日本製のボールペンが人気」と聞いていましたが
案の上のようで、おじさんはニコニコと喜んでいました。

「小神殿」

アブ・シンベル大神殿から北に100mほど離れて、並ぶように造られている小神殿は、
ラムセス2世がネフェルタリ王妃と愛と音楽の神「ハトホル」女神に捧げた神殿だそうです。

ここも大神殿と同じ様に岩山を直接掘って造られました。

神殿の正面には高さ10mのラムセス2世の立像が4体、王妃ネフェルタリの2体の立像を
保護するかのように交互に配置されています。


「ネフェルタリ」とは古代エジプト語で”最も美しい女性”という意味
王妃は重いカツラをかぶり、その上に二枚の羽根と二つの角が付いた太陽円盤が置かれています。


中の「至聖所」前室には彩色の残るレリーフがたくさん刻まれています。

お借りした画像は「左のハトホル女神と右のイシス女神が、ネフェリタリ王妃の頭に冠を乗せている」図
三人ともそれぞれに「生命の印のアンク」を持っています。
この2人の女神の事は「イシス神殿」の見学時に、泉アキさん夫妻が即興で演じ皆で勉強しましたね


アブ・シンベル神殿の前には海のような「ナセル湖」(ナイル)が広がっていました。

1960年、アスワンハイダム建設が始まると、その背後にできる人造湖「ナセル湖」のために
アブシンベルをはじめ、ヌビア地方の数々の神殿が水没してしまう恐れがありました。

そのため、ユネスコ指導で世界規模の「ヌビア遺跡救済運動」が始められ、このキャンペーンにより
1964年から1968年にかけてアブシンベル神殿は元の場所から65m高い位置に移動しました。

大神殿は807個、小神殿は235個のブロックに切断しての移築です。


このことが、世界遺産の創設のきっかけとなりました。
「アブ・シンベル神殿」は世界遺産の象徴的な遺跡で、世界文化遺産に登録されています。

3000年前に建造された遺跡が、20世紀に水没の危機に直面し、世界中の協力と知恵
無事に保護されて、天空のラムセス2世もホッとしているでしょう・・・

洋上のホテルのような船が接岸されている青い「ナセル湖」は、そんな騒ぎも忘れたかのように
砂漠の中に満々と水を蓄えていました。




コメント (22)
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「歌舞伎座」さよなら公演

2010年05月02日 | 映画、観劇
ゴールデンウィークが始まりましたね。
今までの冷たい雨がウソのように晴れ上がり、気持ちの良い風薫る5月がやってきました。
行楽地は大勢の人々で賑わっていることでしょう。

ただ、自由業の我が家は「混む時に出かける必要はない」という主義で、
どこにも出かける計画はありません。

冬物の片付けと家庭菜園で過ごしています。


さて歌舞伎座は4月30日の「4月大歌舞伎・さようなら公演」千秋楽後の「閉場式」を最後に、
取り壊され建て替えられる事になりました。
新しい歌舞伎座は2013年春の完成を予定しているそうです。

今回の名優総出演のさよなら公演は、絶対に見逃す事はできません。
ご近所仲間の4人で「観劇」に行ってきましたよ。

補助席も出るほどの大入り満員・・・
ご覧のとおり、歌舞伎座の前は人で溢れていました。


どの演目を見るかは、歌舞伎通の仲間のぷりんさんに一任しました。
彼女は中村屋成田屋の後援会に入っており、
チケットもそちらで購入できるという事ですべてお任せしました。

仲間4人のうち私とK子さんはアウトドァー派ですが、ぷりんさんは断然インドァー派・・・
彼女に誘われてこの15年以上の間、年に1~2回は歌舞伎や文楽を楽しんできました。
映画にも造詣が深く、こちらは一緒に良く行きます。

山歩きもするけど「実は私、歌舞伎や文楽にも親しんでいるのよ」(年に1~2回だけど)
「単なるモサの山女ではないけんね」と一人ごちつき自己満足しています。
ぷりんさん、時々誘ってくれてありがとう


今回観たのは夜の部の「実録先代萩」「助六由縁江戸桜」

ここで入場するなり事件発生・・・
ぷりんさんの予約してくれる席は、いつも1階の前から10番目以内のとても良い席でした。
今回も一等席なので、当然のように私たちはチケットに書かれた1階の番号席に行きましたが、
すでに先客が・・・
「スワ、ダブルブッキング
すると我々のチケットを見た先客は「お宅たちはお二階よ」

「うぁ~ショック」ぷりんさんはガ~ンと来ているようでした
でも、今回は特に取得困難なプラチナチケットだったのだから
「取っていただいただけでも感謝しているわ」

「いつもは中村屋の後援会に予約するんだけど、今回は成田屋に頼んだのよ」
「やっぱり中村屋の方が力があるんだわ」

「ええぇ~?そういうものなのですか?」
確かに中村勘三郎の人気と実力は今一番なので、「後援会」も破竹の勢いがあるのでしょう。
でも成田屋の海老様だって人気では負けないはず、今後に期待しましょう。


伊達騒動をモデルに、わが子を身代わりに主君の子を守る乳人の物語を描いた「実録先代萩」
大御所の中村芝翫が乳人浅岡役を勤めます。
八十二歳の芝翫さんは頑張って、「閉場会」でも挨拶し現歌舞伎座の最後を〆ました。

守役の侍は次男の橋之助、そして浅岡の実子千代松は孫の国生。
親子三代が舞台を飾る歌舞伎は、観る側も歌舞伎の名門の「家」の歴史を見させていただく感じです。

そしてご存知「助六」は、江戸時代から団十郎の十八番だったようです。
以前、海老蔵の助六を観ましたが、それはそれは水もしたたる好い男でした
今回は父君の団十郎が貫禄で魅せています。

花魁の揚巻が玉三郎、白玉が福助と、これ以上ない華やかさでした。

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お別れ公演ということで、ロビーは「胡蝶蘭」で華やかに彩られていました。
マウスオンでご覧下さい

「助六」と言えば、叉くぐりが有名ですが、商人役の勘三郎が出てくると会場が盛り上がります。

助六役の団十郎には、「まぁまぁ兄さん、大病を克服なさってよござんしたね」
「そして、この度はおめでとうございます。孝俊(海老蔵)も結婚すれば落着くでしょう」
と言いながら、叉をくぐり会場を沸かせ
助六の兄「白酒売り新兵衛役」の菊五郎の叉をくぐる時には
「しのぶちゃんの受賞(ベルリン映画祭、最優秀主演賞)おめでとうございます」と・・・
この人のアドリブは毎度冴えわたり、大いに笑わせてくれます。

お姉さんの波野久里子さんもソックリですね。
先月、主人と新橋演舞場で「三婆」を見てきましたが、その舞台に出ていた久里子さんの演技というか仕草が
勘三郎に良く似ていました


「さようなら公演」だけあって、歌舞伎がハネても観客達はしばし立ち去りがたく
従業員さんもカメラのシャッターを押すサービスにこれ努め、私たちもロビーで4人並んで撮ってもらいました。


私たちが行ったのは4月の8日
カウントダウンの日にちも表示されていました。

名残を惜しんでユックリ写真などを撮り、歌舞伎座を後にしたのは夜の10時を過ぎていました。

「山種美術館」

話は前後しますが、私たち4人が花のお江戸に出て行く時は、目いっぱいの遊びを考えます。
夜の歌舞伎鑑賞だけでは終わりません。

この日は歌舞伎の前に、広尾にある「山種美術館」に行きました。
日本画の「奥村土牛展」をやっていました。


まずはロビーで「山種美術館」についてのあらましと画家たちの事をビデオで学びます。
S41年に開館、昨年10月に広尾の新しいビルに移ったようで、詳しい事はURLで見てください。

昔は、経済人が画家のパトロンになって手助けし、一流の芸術家として育てたものですね。
今ではそんな余裕もない世の中になってしまったようですが・・・

私もS41年に就職した会社の本社ビルに「美術館」ができ、そちらに配属された経緯がありますので
なんだか親近感を覚える美術館でした。


大器晩成型といわれた土牛の代表的な作品「醍醐」
今回の展示会のポスターにも使われた京都の醍醐寺のサクラです。
絵葉書を買いました。

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他に買った絵葉書はこの「吉野」「牛」「テッセン」の計四枚。
マウスオン・クリックでご覧下さい

会場で感激したのはダイナミックな「鳴門のうず」ですが
印刷された絵葉書の色は実物と違っていて、買う気になれませんでした。

「メトロで日比谷へ」

心安らぐ日本画を鑑賞してから、地下鉄で日比谷に出て、
K子さんお薦めのレストランで早めの夕食を済ませることにしました。

少々風が冷たいながらも、春のうららかな日差しの日でした。
私たちはK子さんの染めた春色のスカーフを巻き、パンプスにスカート姿で
目いっぱいお洒落をしています。


まだまだ「桜」が残っていました。こちらは「ベニシダレ」でしょうか?

路地裏を歩いて目的の「ワインレストラン」に向かいましたが
あちこちの茂みの中に傘が広がっていて、その下には可愛い猫ハウスが・・・


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マウスオンでご覧下さい
エサを食べている猫ちゃんもいました。

意外なところでほのぼのと幸せそうな「銀座のニャンコ」を見ましたよ。

K子さんが中途半端な時間でもお食事ができる「ワインバー」に連れて行ってくれました。

前菜のサラダは温泉玉子つきメーンディッシュはポークです
ワインに合うチーズの盛り合わせもそしてデザートはショコラケーキ&アイス

1時間半ほどワインを飲みながらお食事をし、そしてお喋りを楽しみました。

歌舞伎の観劇では、いつも幕間の休憩時間にデパ地下で買ったお弁当を食べたり、
歌舞伎座内のレストランでお食事したりするのですが、時間的にとても慌しくて、
今回は早めの夕食を済ませてから「歌舞伎座」に行きました。

30分間の休憩時間は、ゆっくりお店を見たりして消えゆく古い歌舞伎座を堪能しました。
確かに設備は古くなっていますものね。

3年後には新しい「歌舞伎座」がどんな姿でお目見えするか、何だか楽しみになってきました。
それまで「元気」でいなくては・・・


コメント (26)
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