花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

根津・谷中下町巡りと、孫の学校の臨時休校

2020年02月29日 | 東京の街
色々あった2月も今日で終わりです。今年はうるう年だったのですね。
我が家の地味な地味な「マンサク」が咲き出しました。



広がりを見せる新型コロナウィルス問題で、安倍総理から全国の小・中・高校の一斉休校要請が出て
この問題の危機感がいっそう感じられて恐ろしくなります

先週横浜市のお達しによりコーラスも「新年会」も中止になり・・・
その上私は2月の第3週目は何回か「混雑した電車」に乗ったので、2月23日からは静かに家に居ました。

「庭と畑作業をする」と友人達に宣言しましたが、花粉が酷くて目が痒くなり無理と悟りましたよ



我が家の孫たちは中学校3年と小学校6年生なので、2人共この3月で卒業ですが
でも、この臨時休校騒ぎで可哀想に卒業式は中止だそうです。

取りあえずお兄ちゃん孫の高校受験が無事に終わり、希望校に入れたのでホッとしていますが・・・

孫達はインフルエンザの予防接種は必ずしていますが、毎年インフルエンザに罹りました(軽く済んだけど)
それほど学校という集団の中のウィルス感染力は強烈です。

まして新型コロナウィルスは特効薬無しですから、そこがインフルエンザと違う所。

安倍さんの学校閉鎖の判断は評価しますが、あまりにも突然で働くママさんたちはさぞかし大変かと思います。
預け先が見つからないから老親に頼むとなるとリスクは子供よりも大で、本末転倒のような気がしますがね。

根津・千駄木巡り(2月7日)
以前も載せましたが、この胡蝶蘭は4年半前の夫の一周忌の時にOL時代の同期のT子さんが送ってくれたものです。
2年後から再び花を咲かせるようになり、今年は6輪咲きました

ランの種類は強くて、すでに一か月以上も咲き続け私の心を癒してくれています
(管理は5月に半日陰の外に出し、11月に家の中の日当たりの良い窓辺に置くだけ)



T子さんは12月の銀座の「梅の花」で行われたOL時代の仲間との忘年会に、用事があって参加できなかったので
同期の一期生だけで改めて「新年会」をやろうという事になりました。

釜揚げうどん専門店「根津・釜竹」でランチ
T子さんは東京の下町、文京区の千駄木に住んでいます。



「我が家近くに美味しいおうどん屋さんがあるの、谷中や根津神社も案内したい」と言ってくれて
この冬一番の寒さになった2月7日に行ってきましたよ。



どっしりとした蔵の中の、重々しいながらも洒落た感じのうどん屋さんでした。
後ろの建物は彼女のお父様が入っていたケァーマンションだそうで、古い街並みに調和した
落ち着いた施設でしたね。

そのお父様が大好きだったというメニューを頂きました。



暖かいお湯の中に入ったシコシコのおうどんを、薬味を入れたツユに入れ付け麺方式で頂きます。
天婦羅の盛り合わせもパリパリで美味しくて、ボリュームたっぷりのおうどん完食は無理でした



すぐ近くに見覚えのある木造三階建の串焼き屋さんを目にしました。
私は20年近く前にご近所仲間3人で、「谷中巡り」に来たことがあります。

上の地図の⑳の「朝倉彫塑館」を見学してから、お寿司屋さんで谷中名物の「アナゴ寿司」を食べ
親切な自転車に乗ったおじさんに案内され、谷中霊園の中の⑱「徳川慶喜の墓」をお参りし

古い風情の街並みの中の和紙屋さんやおせんべい屋さんに寄り、④の根津神社に詣でて
最後はこの串焼き屋さんで夕食をして、上野まで歩いて帰りました(若かったわ~)

今回はT子さんの案内で古いお店が並ぶ路地を行きます元お豆腐屋さんが人気のパン屋さんになったとか

以前来た時の雰囲気より、お洒落な街に様変わりしていました。

「根津神社」(根津権現)へ
マンプクリンのお腹を抱え、路地裏のお店を覗きながら歩いて20分
3000株のツツジで有名な「根津神社」の鳥居が現れました。



1900年前、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社です。



「楼門」をくぐると右手に舞殿があります。



「唐門」の奥が社殿です。



五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座しました。

1706年に完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・西門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し
国の重要文化財に指定されています。



私たちは楼門に戻り、社殿に向かって左手の「乙女稲荷」に続く赤い千本鳥居に向かいました。
一昨年の秋に訪ねた京都の伏見稲荷神社の千本鳥居を思い出します。

京都と違って人が少ないのが良いですね~10分程度で通り抜けられますが満足しました

T子さんの案内で根津神社の西口門から出て、ユニークな指人形のお店に行きました。

指人形「笑吉」工房
我々世代が良く知っている昭和時代に活躍した有名人の顔の人形が並んでいました。



在京のテレビ6局全部の街歩き番組で紹介されているようです。
NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」にも出たけど、あれは本当に何の打診もなく「突然やって来た」とか・・・



1人500円で指人形の実演をしてくれます(撮影禁止)
典型的な昭和の熟年夫婦の面白おかしい家庭内の風景や、演歌が流れる中
男女の切ない思いが喜劇的に表現されて、笑いの20分間が味わえます



次に行ったのはすぐ近くにある和紙屋の「いせ辰」さん

20年近く前にご近所仲間のプリンさんとノンちゃんと谷中歩きをした時も寄りましたが
店構えがすっかり変わり、モダンになっていてビックリしました



このお店での写真を撮り忘れました

T子さんが「遠くから我が街に来てくれてありがとう」とここの和紙をお土産に下さいました。
高価なA3の和紙です。さてさてどのように利用しようかしら?と思案中です。



最後にT子さんがいつも利用する千駄木商店街のお肉屋さんで「コンビーフ」を買ったり
昭和の香りのするレトロな喫茶店でお茶して
4時半過ぎに「夕焼けだんだん」を上りJR日暮里駅に向かいました。

この2月上旬はダイヤモンドプリンス号が横浜の大黒ふ頭に停泊し
日ごとにウィルス陽性者の数が増えていた頃で、私たちも電車の中ではマスクを着用しましたが
まだまだ着装率は50%以下だったような気がします。

               

この一週間は政府のお達しを忠実に守り、近くのスーパーに買い物に行くだけの生活を過ごしていました。
自分が感染するのも恐ろしいけど、人様に移すのも怖い・・・

流石にストレスマックスで、思い切り動き回りたい心境です。

2月最後の土曜日は朝からたくさん電話がかかってきました。
どれもが「コミニティーハウスが3月3日から休館で、サークルもお休みです」という内容ばかり
これで趣味の会は全部お休みです。

安倍さんが言う”ここ1~2週間が新型ウィルス感染がパンデミックに移行するかどうかの瀬戸際’
というお話で予測できましたが、正直独り者は「孤独」です。

電話やメールはウィルス感染もしませんから、毎日のように友人たちと連絡は取り合っていましたが
この土曜日の午後からは、ご近所仲間やブログ仲間のLINEがどっと押し寄せてきました。

曰く「スーパーからトイレットペーパーとティッシュ、お米が姿を消したよ」
「冷凍食品や保存食品のコーナーも空っぽ」「一億総ヒステリー状態だわ」
「偽情報も多いし、少なくても我々は踊らされないようにしましょう」と・・・

50年前の「石油危機」でのトイレットペーパーや洗剤騒ぎを思い出しました。
後から考えれば喜劇のようなお話ですが、いまだに人間は同じことを繰り返すのですね。




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ワンゲル「鎌倉88カ所・お寺巡り」・第一回(その3)

2020年02月23日 | 鎌倉散策
2月初旬は寒さが厳しい日もありましたが、陽の光は一日ごとに春めいてきました。
我が家の庭の梅は散りだしていますが、「クリスマスローズ」が次々と咲き出しています



連日新型コロナウィルス騒ぎが拡大し、クルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」が停泊している我が街横浜は
クルーズ船を降りたウィルス陰性の人々が、最寄りの駅から公的交通機関を使って家路に着いたそうで
その方々の中に陽性の人が見つかったとのニュースもあり

普段から外人観光客のみならず外人就労者も多い関係上、地方の友人から見れば完全に横浜は
「汚染地域」と見られているようで、最近お見舞いのメールやラインなどが届きます

そんな横浜の郊外に住んでいる私はいつもの通り、2月の第二週目は趣味の会に通い
息抜きに友人とのランチを楽しんだり、美術館に行ったりしていました。

TVでは新型コロナウィルスの市中感染の脅威が伝えられ、私は不安が高まりノイローゼになりそうで
TVを消して、好きな音楽などを聴く事にしています

リスクの高い年寄りはできるだけ不要不急の外出は避けるようにとのお上のお達しですが・・・
外出時のマスクとアルコール消毒用のティッシュは必ず持参して、ストレス解消をせねばとは思っています。

ウィルスに勝つには「免疫力」が大事

免疫力を高めるには「バランスの良い食事・十分な睡眠・運動」と、いつも体操の講師に言われていますので
それらを実践し、ワンゲルの鎌倉の88カ所のお寺巡りの催しは完遂したいと思っています。



南関東地方は昨日の2月22日に強い南風の「春一番」が吹きました。
丁度ワンゲルの「鎌倉88カ所巡り」の第二回目の日で、、、

早咲きの「河津桜」があちこちのお寺で満開を迎え、梅との競演が綺麗でした

今回は「江の島」に近い日蓮宗の総本山の「龍口寺」から歩き始めました。
本当にストレス解消になりましたわ

私はまだ1回目に歩いた先月の玉縄城を中心としたお寺の紹介も全部終えていません
書き方がまずくて誤解もあったようなので、このシリーズの題名を一部手直しをしました。

玉縄城を中心とした大船のお寺を巡る・その3(1月24日)

北条早雲が小田原城の支城として、現在の鎌倉市大船地区に玉縄城を築きましたが
城主氏勝が豊臣秀吉に敗れ、元和5年(1619)徳川氏が城郭を廃棄・・・

(今回は真冬でしたが)まさに「夏草や、兵どもが夢の後」状態の玉縄城址を見学後
私たちは坂を下り植木地区に歩いていきました。

光円山・久成寺(くじょうじ)」日蓮宗
光円山久成寺は、永正17年(1520)に日蓮宗の熱心な信者であったといわれる後北条氏の家臣
梅田尾張守秀長が宅地を寄進して、日瞬を開山に迎えて建立したといわれる日蓮宗の寺院です。



小田原の陣に出陣中の徳川家康公が久成寺に立ち寄り、四代住職日顗上人の祈祷の恩賞として
三石を与えたといわれている。



その後、鷹狩りの折立ち寄った際、日顗が柚子を献上し
家康公からは「葵の紋」入りの弁当箱を授けられたそうです。



この弁当箱は行厨(こうちゅう)あるいは破子(わりご)と称し、久成寺の寺宝となっています。



葵のご紋が徳川家ゆかりのお寺だと思わせてくれますね。



中々立派な風情ある境内です。
徳川家康が二度立ち寄ったといういわれもうなずける感じがしました。

城護山明王院・円光寺(真言宗)
初代玉縄城主だった北条氏時が僧澄範を開山として招き、永禄年間(1558年〜1570年)に城内に創建したお寺で
山号の「城護山」がそれを示しているとか。。。



城中や城下の平安を祈る祈願所だったが、元和5年(1619年)玉縄城が廃城となってから
現在の場所に移ってきたそうです。



ご本尊は「不動明王」



本堂右手に建つ薬師堂(昭和53年(1978年)に改築)には行基作と伝わる薬師如来像のほか
十二神将像が祀られ、60年に一度(!)開帳されるそうです。

玉縄山珠光院・貞宗寺(浄土宗)
慶長16年(1611年)に、徳川2代将軍秀忠公の祖母「貞秀院」が晩年を過ごした
屋敷の跡地に建てられたお寺です。



ご本尊は「阿弥陀三尊}、障子が閉まっていたのが残念でした。



竹の緑が印象的なお寺でした。



ワンゲルの最後は必ず(?)裏山に登ります。

最後の「貞宗寺」を後にし住宅地を進むと、夫が良く通っていた大型ホームセンター「コウナン」でした。
ここでトイレとお茶タイム



そこから更に30分近く歩いて丁度4時に、朝出発した「大船駅」に到着し解散です。
夕日に照らされた「大船観音」が出迎えてくれました。

朝10時に出発し、食事休憩を入れて6時間、私のスマホの歩数計は22562歩でした。

                  

女二人のささやかな新年会(1月30日)
写真仲間のSさんと毎年夏と冬の2回、飲みながら食べながらの「女子会」をやっています。



今回は彼女が駅の近くに良いお店を見つけ、そこのランチが安くて美味しいと言うので
昼間のランチを楽しみました。



お寿司膳やステーキ丼など、5種類のセットメニューがすべて1100円(毎月メニューは変わります)
私たちはお店の名前の付いた定番の「せのうみ膳」を頂き、ビールを1本頼んで
二人で新年の乾杯をしました。

毎度書きますが、夫を突然失い落ち込んていた時、一番付き添ってくれたSさんです
墓地探しにも協力してくれて、ついには同じ墓友になりましたよ。




二次会は駅前ショッピングセンターの落ち着いたカフェで、コーヒーとケーキでお喋りです。
気が付いたら、いつもの夜の居酒屋さんと同じ5時間が過ぎていました。

私の夫は5年半前の夏、ある日突然発熱し肺炎と診断され総合病院に入院したが
抗生物質が全く効かず、原因不明でわずか二週間で亡くなりました。

脚立の三段目から落ち、頸椎ねん挫で整形外科に通い薬を飲んでいましたが
入院の5日前まで、夫婦で軽井沢のオーナーズビラで5日間避暑を楽しんでいました。

医師の話では「原因はウイルス・多量の薬・肺挫傷」のいずれかが考えられるとの事でした。
今回の新型コロナウィルス肺炎騒ぎをニュースで見るたびに、入院中の夫の事が思い出され
私は恐怖を感じます。

不安を感じるたびに私はSさんに長電話やラインをしてしまいます
そんな私に何時間も付き合ってくれる彼女に感謝していますよ

昨日(2/22)歩いた第二回目の「鎌倉88カ所お寺巡り」で見つけたリュウキンカのお花です



22日の夕方の5時半過ぎにワンゲルの鎌倉歩きから帰宅すると、すぐにケアプラザから電話が入りました。

「地域での行事や催し物などの集まりは控えるように」という、横浜市からのお達しで、
月に一回通っているコーラスサークルも今月はお休みとのことでした。

新型ウィルス騒ぎはいよいよそこまで~~~

私の属している防犯パトロールの「女子会懇親会」が、順番で今年は私が幹事で
3月3日のひな祭りの日に集まることになっています。

2~3日前に代表の女性から「外での食事会を不安に思っている人が居るのよ」
「中華街なら分かるけど、こんな横浜での片隅でもとびっくりしたけど。。。」
「結論は幹事さんが決めてね」と言われていました。

パトロールの会は一応地域活動です。ケァープラザからの電話で決心がつき
今日は朝から参加予定の13人に「延期」の電話をして、お店にもキャンセルの電話を入れました。

今の状況が続けば、中小の観光業界や飲食店は潰れる所が増えるのでは?
日本の経済は今後どうなるのだろうとかと心配になりました。



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ワンゲル「鎌倉88カ所・お寺巡り」・第一回(その2)

2020年02月14日 | 鎌倉散策
暖冬と言われる今年の冬、大寒中も暖かい日々でしたが・・・
節分・立春と終えたとたんに寒さがやってきて、先週後半は震えました。

2月7日、OL時代の仲間4人で谷中から根津神社と歩きましたが、皆モコモココートに帽子姿。



そんな中、我が家の庭の梅が咲き出し(2/10写す)気持ちがほっこりしましたが・・・
この2~3日は南風が吹きだして、20度近い気温が続き梅も一気に満開になりました。

昨日(2月13日)ワンゲルで生田緑地の梅園に行きましたが、こちらはもう満開は過ぎていました
気温の急変に体調を保つのが大変ですが、今風邪をひいたら新型ウィルス騒ぎに巻き込まれそうで怖いです

ワンゲル「鎌倉88カ所巡り」その2(1月24日)
前回紹介した大船周辺のお寺巡りの続きです。

「玉縄首塚」
大船軒で昼食を終えてから歩きだし、道路わきの「首塚」の石碑やお地蔵様を見ながら
次のお寺を目指します。



大永6年(1526年)、下総小弓の城主里見氏との戦いで戦死した35人の首を
その時の玉縄城主、北条氏時が埋めて塚を築いた。

この石碑の横にお地蔵さまがズラリと並んでいました。

「聖天山・玉泉寺」(真言宗)
大船軒から歩いて20分の住宅地の中に佇むお寺です。山門はありませんでした。



祭られているお不動様の胎内には小さな不動(胎内不動)が入っているそうです。

秘仏本尊なので、正月三が日だけ御開帳されるとか・・・
私たちはお参りしましたが、ご本尊を見ることができませんでした。

境内には6体の欲張り地蔵が祭られています地獄道・飢餓道・畜生道・修護道・人間道・天道とあります




山に囲まれ、平地の少ない鎌倉のお墓はこのような「やぐら」が多い

「陽谷山・龍宝寺」(曹洞宗)
文亀3年(1503年)、玉縄城主北条綱成が城の東北地に建てたお寺です。
その後天生3年(1575年)、北条氏勝(4代城主)により今の場所に移されました。



この山門は元禄年間にできたそうです。



冬桜が咲く境内には新井白石の碑があるとか・・・



昭和26年(1952年)に火災により焼け、昭和35年(1960年)に再建されました。



本尊は釈迦如来像で、五山レベルに匹敵するほどの広い境内は印象的でした。

「諏訪神社」
永正9年(1512)、北条早雲が小田原城の支城として玉縄城を築いた際、城内東北隅 (諏訪壇)に
鬼門除の鎮護神として信州諏訪神社を勧請しました。

玉縄城が廃城になった時、この場所に移されたとか長い長い階段を登って行きます

参道階段を登り切ると左に本殿、右に神楽殿があります。木々に囲まれた山深い中に神社はありました。



城主氏勝が豊臣秀吉に敗れ、元和5年(1619)徳川氏が城郭を廃棄する時
村民が神社の荒廃を憂い現地に奉遷したそうですが・・・

歴史ある古い神楽殿には大きな落書きが書かれて、寂れた感じが漂っていました。

七曲・玉縄城大手門入り口・玉縄城址
玉縄城大手門に至る坂道を登って行きました。



玉縄城は自然の利を生かした山城です。
海までが見渡せるので攻めてくる敵も一目瞭然私たちはひたすら登って行きました

玉縄城址は登った先の住宅地の中に建つ「清泉女学校」の敷地内の山の上にありました。
前もってリーダーが許可を得ていたので、學校の門は鍵が開けられていました。



外堀すら自然の利を生かしていたようで、石積みなどの遺跡も何一つ残っていない城址です。



二等三角点と看板だけが山の頂上にありました。「山城」とはそのような場所なのですね。

(2/15・追記)この玉縄城址のすぐそばにある大船フラワーセンターにはこの地で生まれ育った
「玉縄桜」があります。



私は今から8年前の3月22日に、カメラ友のSさんとNHKTVで紹介されてすぐに観に行きました。
花期が2月中旬から3月下旬と大変早く、約1ヶ月の長期にわたって鑑賞できるのが特徴です。



昭和44年に台木養成を目的に「染井吉野」の種子を播種
その苗の中に発芽が半月ほど早い株があることを発見し、そのまま育成、昭和49年に初めて開花

花は「染井吉野」に似ていますが、20日ほど開花が早いことを確認、平成2年に種苗登録されたそうです。
品種名は、フラワーセンター近くの由緒ある地名の「玉縄」を「桜」に冠したものだそうです。

今年は暖冬ですから、そろそろ咲き始めるかも・・・?
今後ホームページの「開花情報」をチェックをしていこうと思います。

                  

「ダイヤモンドプリンセス号」の新型ウィルスの感染者の数には驚かされますが
あくまでも「検疫中」という事で、管理されていると思っていましたが・・・

ついに我が神奈川県から、日本初の新型コロナウィルス肺炎での死者が出ました。

今夜のニュースでは他にも千葉・和歌山・名古屋・札幌と、中国に関係しない感染ルートの分からない患者が
次々に出たと聞きショックを受けました。
新型ウィルスはすでに市中に潜んでいるようでね。

2/7の谷中歩きや、2/13の「生田緑地の観梅」参加時、ラッシュの時間に電車に乗りましたが
どちらもマスク着装率は40~50%程度、サラリーマンの着装率が特に少なかった感じです。

東京のタクシー運転手の例では「屋形船での新年会」が原因
私もまだまだこれからコーラスやパトロールの会の新年会の予定が入っています。

「60歳以上の高齢者はできるだけ人混みに出ない事」とTVでは発信していますが、う~~んどうしよう
家に1人でこもっていると、私は不安から神経が危なくなりそうで怖いです


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ワンゲル「鎌倉88カ所・お寺巡り」・第一回(その1)

2020年02月02日 | 鎌倉散策
気が付けば早2月、明日は節分で、明後日は立春・・・
あっと言う間に令和2年の1月が終わってしまいました

「大寒」中は雪がちらつく寒い日の翌日が最高気温18度の春の陽気になったりの
身体がビックリするようなお天気が続いていましたが・・・
昨日今日は例年通りの気温に戻った感じです。



我が家の庭の梅の蕾も膨らみだして、水仙も満開です
毎年、お正月が近づくと咲き出す薄い黄色の日本水仙が、今年はどうした事かあまり咲かず
そのあとに咲く濃い黄色の水仙が見頃です。

私の今年のワンゲル初歩きは「鎌倉寺巡り」
前回のマイブログで紹介した「横浜そごう・樹木希林展」に行った翌日に参加しました。

鎌倉は近場だし、山ではなくてお寺巡りだしと軽く考えていましたが・・・
歩数は24000歩程度だったものの、どのお寺も神社も階段が長くて
その日の夜中には膝が重くて何度も目が覚めました。

神社仏閣巡りは足腰丈夫なうちにとお勧めします。

ワンゲル「鎌倉88カ所・お寺巡り(1)」1月24日
”鎌倉駅周辺のみならず、市全域に点在する名もない小さな寺院も含めて訪れる企画のスタートです。
全域を10地域に分け八十八のお寺を主として約一年かけて巡る予定です”
というお誘い文に惹かれて参加しました。



この日の予定は「大船駅・南口」に10:00集合で、この図の13カ所の赤丸の神社仏閣&遺跡を巡ります。

「無我想山・黙仙寺」(曹洞宗)
最初に訪ねたのは駅そばのお寺です。



明治の末に浜地八郎と言う人が、自分で信仰する金剛経を広めるために
曹洞宗・永平寺管長であった雑宝駄仙師を開山として開いたお寺です。



昨年の2度の台風襲来で階段横の斜面が崩れ、登った上の境内も木々が倒れて工事中
お寺もシャッターで閉ざされ、参拝もできませんでした

「大船観音寺」(有料)
JR「大船駅」からも良く見える大きな上半身の観音像は、私も常々電車の中から目にしていますが
訪ねるのは初めてでした。



この日の参加者は男性4名・女性12名の計16名
丘の上に建つ観音像に会いに斜面を登って行きました。



300円を払って山門をくぐります。



昭和4年4月14日に建立の工事が着手されたが、資金不足のため中断、昭和32年5月18日に起工式が行われ
昭和35年4月28日に、高さ25mの大船観世音菩薩の落成式が行われたそうです。



更に長い階段を登って行くと・・・



観音像が姿を現しました



微笑んでいるような表情の、慈愛深いお顔の大きな観音菩薩
見る方向で表情も微妙に変わります。



中にも入れます。内部も観音様が祭られていました。

境内の白梅も3分咲きとなっていて・・・ミツマタの小さな蕾も見られました




戦没者慰霊碑や原爆犠牲者慰霊碑もありました。



1945(昭和20)年、広島市に投下された原子爆弾。実は、その戦火を自分のカイロに移し
自宅へ持ち帰った方がいらっしゃったそうだ。
その貴重な火を受け継いでいるのが、同寺の「原爆犠牲者慰霊碑」です。

平和と子宝に御利益のある大船観音です。

昼食は「大船軒」本店で
まだ11時を少し過ぎた時間でしたが、一同アジの押し寿司で有名な大船軒で昼食です。
私はアジと小ダイの押し寿司を頂きました昭和の雰囲気の中で食後のコーヒーも・・・

「アジの押し寿司弁当」は大船駅でもいつでも買えますね。

             

鎌倉を歩いた翌日は「私の誕生日」
去年は誕生日当日がワンゲルの鎌倉のハイキングコース歩きで・・・
山の頂上でワンゲル仲間が「桜餅」と「ハッピバスデーの歌」で祝ってくれて感動しました



息子一家は例年、お寿司の居酒屋さんで食べ放題飲み放題でご馳走してくれて
プレゼントは孫が選んだ小さな花束でした。

でも今年はお兄ちゃん孫が受験生で塾通い、孫娘も土日は遠い町田までチァーダンスの教室に通っている。
親はその送り迎えに忙しそうで・・・

食事会はお兄ちゃん孫の午後2時半から7時半までの塾に行く前に「近所のイタリアンでのランチ
私だけ白ワインを頂きました、残念ながら奈菜ちゃんは欠席です。



今回のプレゼントはリラクゼーションのお店のマッサージ券4枚
肩こり症の私はこのプレゼントが一番うれしいわ、ありがとう

 この一週間、新型コロナウィルスのニュースが日に日にエスカレートし、他人事ではなくなり
1/29(水)、美容院に行ったついでにマスクを買い求めました。

駅近のショッピングモールの大型ドラッグストアーのマスク売り場の棚は半分以上が空で
「お一人様一個の販売です」と書かれたポスターが貼られていました。

私は残っていた60枚入りの箱を一箱買って帰宅(自宅には取り置き用の箱に30~40枚残っています)

翌日、ご近所仲間からのLINEで1/30(木)はどこもマスクが売り切れ状態で
購入困難の様子を知りました。
ネット購入も、届くまで一週間以上かかり高騰しているとの情報です

国際都市の横浜は世界中の人々が集まりますので、人混みに出ることを躊躇してしまいます。
早く収拾して欲しいですね。


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