花と緑を追いかけて

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いっぱいの主婦の日記です

夏の中欧紀行⑩・ホイリゲとシェーンブルン宮殿

2006年09月17日 | 中欧三カ国旅行記
バスの中で、運転手のセロミールさんと、添乗員の三○さんがドイツ語で言い合っていました。
お店の場所がなかなか分らないらしい
ドイツ語の分るYご夫妻が一緒に番地を調べながら、やっとたどり着いたこの日の夕食場所は、アコーディオンとバイオリンの演奏で盛り上がっているホイリゲのガーデンテラスでした。

パンを食べた覚えがありませんので、主食はジャガイモだったのかしら?
私たちのテーブルには同じ横浜から参加の、飛行機の中でお話をしたYご夫妻が一緒でした。
奥様が昔、私たちの住まい近くの中学校で英語の先生をしていたとか・・・
本当はドイツ語の方がご専門とのこと、心強いですね~話が弾みました。
私たちと同じ年代のご夫妻でした。




美しき青きドナウ、ウィンナーワルツ、菩提樹
知っている曲が続きます。
ビールを飲みながら音楽に酔い、ワインを飲みながら初夏のウィーンの風に酔いました。

結局ホテルに入ったのは午後10時過ぎ・・・
この日はバスの移動が多かったのですが、それでも歩数は一万歩近かくになりました。

お風呂に入って、翌日着る洋服を同室のK子さんとチェック。
「奥様、明日は宮殿や王宮めぐり、そして食事やお茶もホテルと言う事になりそうなので、ちょっとおしゃれにパンツスーツにしませんこと」と、おどけながらファッションショー。
眠りについたのは夜中の2時を過ぎていました。


6月24日(土)
この日は、朝から快晴に恵まれました。
ホテルを9時過ぎに出発して、バスで市内観光
最初に向かったのが、前の日に外観だけ見ている「シェーンブルン宮殿」です。

こちらがハプスブルグ家の紋章「双頭の鷲」です。
ハプスブルグ家は1273年、神聖ローマ帝国皇帝に選ばれたアルプス山中の小領主ルドルフ一世から始まり、1740年マリア・テレジアが女帝として君臨した時に絶頂期を迎えました。
19世紀末にはアールヌーボー芸術が花咲きました。
しかし、第一次世界大戦に敗北し、600年以上に及ぶ栄華を誇ったハプスブルグ家は崩壊します。



宮殿の庭に出てみました。こちらも広大で、焦点が絞れません
この写真は7倍のズームで写しました。

正面の古代ギリシャ様式の建物はグロリエッテ。
1757年に対プロイセン戦勝記念と戦没者慰霊の意をこめてマリア・テレジアが作らせたものです。
女帝は政治にも秀でていて、たくさんの改革を実行しました。
その上良き妻であり、16人もの子供の母親でもありました。
末娘はギロチンで処刑されたあの有名なマリー・アントワネットです。

しかし、ガイドさんの説明で浮かび上がるマリア・テレジア像は、ダイエットに苦しみ、子供の教育に悩む女性・・・晩年は嫁との確執もあったようです
夢のような宮殿にお住まいだった女王さまも、私たちとあまり変わらない悩みを抱えていたようですね。





コメント (21)
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