花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

秋、寒冷前線通過・・・

2012年10月27日 | 日常の日記
(10月24日・撮影)
荒れに荒れた寒冷前線通過の翌日は、
我が家からも富士山がピカピカに見える好天気
こちら横浜は空気も澄んで寒いくらいでした。

今月初めはまだ30度を越える夏日でしたのに、季節の移ろいは急速に進み
秋の深まりを感じますね。

母の容態が急変し、弟一家と交代で付き添っています。

最近は呼びかけても反応が無く、目も頬もこけて気になっていましたが・・・
この一両日中が山とのこと



半年前から構想を練り、旅行社との折衝や(お食事を決めるのに下見にも行きましたね)
回覧を廻しての参加者募集・名簿作りなどに、文化部として心骨を注いだ
自治会主催の「バス旅行」の日は、生憎の前線通過の最悪のお天気

「敢行か?キャンセルか?」で寸前まで悩み、
自治会副会長と相談して、午前中の予定の「江戸東京博物館」見学と
チャンコ料理屋さんの昼食は雨には関わらないので「行こう」となり・・・

後は薄氷を踏む思いで、スケジュール通り「隅田川遊覧&浜離宮」見学をこなしました。

大型バス2台に分乗した80名の参加者の方々
幸い事故もなく無事に遂行できました。

前日の夜に観たTVの天気予報は「落雷・突風・竜巻に注意と言うもの
私は胃が痛くなり、体調は最悪でした。

翌日1時間ほどマッサージを受けて、辛うじて元気を取り戻したら、
今度は母の「誤嚥性肺炎」による血圧急低下で緊急呼び出し

鼻から管を入れ、高カロリー注入で生き延びて2年になりますが、
この所、いっそう衰えて気になっていた所に、吐いたことが原因の肺炎です。

しばらくはブログ仲間の皆様の所にもお訪ねできないかと思いますが
取り急ぎ現状をお知らせして失礼致します。


尚、今回コメント欄は閉じさせていただきました。

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みちのくの紅葉を訪ねて1・蔵王「熊野岳」

2012年10月18日 | 山シリーズ
10月8日~9日に、山仲間のYさんと山岳ツァーに参加して
赤く色付き始めた東北の山を歩いてきました。

我々2人にとって「東北の秋山トレッキング」は、毎年10月の恒例行事になっていて・・・

2011年は「出羽三山・湯殿山&羽黒山&月山」
2010年は「吾妻連峰・一切経山と東吾妻山」
2009年は「岩木山&八甲田山」と、紅葉登山を楽しんでいます。

今回は手を骨折した私の復帰後初の山歩きですから、
まずは以前も歩いていて、状況をよく知っている簡単な山を選びました。

10月8日・東北新幹線に乗って出発
朝の7時前に東京駅で集合し、7時12分発の東北新幹線に乗りました。


お天気は上々、進行方向左手の座席に座ると次々に山が見えてきます。

日光方面には雲がありましたが、こちらは「那須岳」でしょうか?
綺麗に見えていました。

ドームのような山は「茶臼岳」、その右の尖った山は「朝日岳」
更に右?、それとも間にポツンと見えるのが「三本槍岳」?

この山は山仲間3人で、20年くらい前の5月に「茶臼~朝日」と歩きましたが、
主人とは紅葉の季節に三山とも登っています

「素晴しい紅葉だったから、今度は秋に三人で三斗小屋泊まりで行きたいわね」
と、Yさんと話しました。


まもなくして見えてきたのが「吾妻連峰」でしょうか?

「吾妻小冨士」と「一切経山」らしき姿が望めます。
一昨年あそこのテッペンに登り、「吾妻の乙女の瞳」と称されている幻の湖を見ましたね。

「秋に3人で縦走した安達太良連峰はもう過ぎたって事?」
「あの山は強い風の中、3人で迷わないように緊張して歩いたから忘れられないわ」

Yさんとは20年以上一緒に歩いてきた山仲間同士
どの山を見ても思い出話しにつながります。

「白石・蔵王」で下車し、バスで「蔵王」へ

1時間半ほどバスに揺られて、蔵王のシンボル「御釜」を目指します。

蔵王連山の上部は雲に覆われていましたが、刈田峠を通り過ぎ
「蔵王エコーライン」に入ると木々が色付いていました。


この日は「体育の日」で最後に渋滞がありましたが、11時前に蔵王刈田岳山頂の駐車場に到着

ガスは流れているものの、エメラルドグリーンの御釜が見えていました


右手は5~6分で登れる「刈田岳頂上」
刈田郡や伊達家重臣の総守護神として、古くから崇められた「刈田嶺神社」が祀られています。


ここでは午後1時半まで、各自自由行動です。

レストハウスが混んでいたので、私とYさんはバスの中で、
オプションで頼んでいたお弁当(福島のマツタケ弁当)を食べ

それから添乗員さんたちと一緒に、蔵王の主峰「熊野岳」まで、往復1時間45分ほど歩くことにしました。


だんだんガスも抜けていき、トルコブルーが混じったような緑の御釜がくっきりと見えてきました。

「運転手さんのお話では、このシーズン10回来たけど御釜が見えたのは2回のみだったそうよ」
と添乗員さんは言います。

私は10年以上前に主人とここに来ていますが、その時もピカピカに見えたから
「10割の確率だわ」


青空の向うに「熊野岳」の避難小屋が見えていました。


登山道はしばらく御釜に沿って進みます。


空の色、雲の流れ、太陽の光りで、御釜の色も微妙に変わりますが・・・
それをカメラで表現するはとても難しい


最後に標高差100mのガレ場を登ると、「熊野岳」の頂上です。


蔵王の主峰「熊野岳」(1841m)は、刈田岳のレストハウスから1時間足らずで簡単に登れます。

ここで若いスマートな女性添乗員さんと3人で記念写真を撮りました。
背の高さや体型に差がありすぎて、UPはやめておきますわ

山頂にはスサノオノミコトを祀る「蔵王神社」と避難小屋が建っていて
そばには斉藤茂吉の歌碑もあります。

私たちも早速お参りしました。どうかいつまでも元気で山登りが楽しめますように


この蔵王岳から地蔵山を目指して行くと、スキー場や温泉のある山形蔵王に出ます。

そこまで歩きたかったのですが、今回はほんの「足馴らし」で諦めました。
でも・・・
これだけお天気に恵まれたという事は、神様から「山を歩いても良いよ」と
ようやく認められたようで、とても嬉しかったです。


熊野岳頂上は広くて遮るものがありません。霧の時には要注意ですね。
そんな時は、登山道に沿って立てられている棒を目印に進むと良いようです。


主人とここに来た時には「飯豊連峰」などの山々が望めましたが
この日は眺望がきかず、逆に雲海が綺麗でした


山頂から名号峰方面に少したどると再び「御釜」が見えてきます。

この辺りの斜面には、たくさんの「コマクサ」の葉が見られました。
夏には一面に可愛いピンクのお花が咲き誇っているのでしょう・・・


正午を過ぎて陽射しは高くなり、御釜の色もいっそう鮮やかな色となりました。


最後にYさんと二人で「刈田岳」の頂上に登り、「刈田嶺神社」にもお参りし
午後1時半の集合時間にキッチリと間に合いました。

お天気に恵まれた三連休の最後の日、駐車場待ちの車で大渋滞でしたが
下りはスイスイと進み・・・

この日の宿のある「厳美渓温泉」に着くまでの2時間は、皆バスの中でコックリコックりの
お昼寝タイムとなりました


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『藤沢・小出川の彼岸花』

2012年10月13日 | 花シリーズ

10月4日、遅まきながら「小出川」の彼岸花を見に行きました。

この日、主人は早朝から泊りがけの「ゴルフ」でいない
私は食事の支度からも解放されて、一日中自由です

脳裏に真っ赤に燃えるような「彼岸花」が浮びました。

お彼岸の頃に満開になるのでこの名で呼ばれていますが
今年は開花が遅れたそうなので、まだ見られるかもしれない・・・


幸いお天気も上々、我が家からは富士山も頭だけ見えています。
朝の残りのサラダとハムとチーズ、そしてパンを容器に入れて飛び出しました

まず、鎌倉近くの老人施設でお世話になっている父の顔を見てから
藤沢の奥にある小出川に向いました。


藤沢市にある慶應大學の湘南キャンパス近くを流れる「小出川」の両岸に、
3kmに渡って、80万本の彼岸花が咲いています。


「巾着田」が真っ赤な絨毯なら、こちらは「紅い帯」と言う感じです。

田んぼが見えてきました。
「あらぁ~」、すれ違いざまにいきなり声をかけられ
相手を見ると、カメラ仲間のSさんでした
彼女はお友達と4人で彼岸花を見に着たらしい・・・


川の水がキラキラ光っています
今回意識して、華やかな「彼岸花」を黒い背景で狙って撮りました。


富士山と黄金色の田んぼと、真っ赤な「彼岸花」のコラボが魅力の場所ですが
この日、富士山はもう顔を隠してしまったのが残念でした。


見えている円錐形の山は丹沢連山の「大山」です。
広い空に刻々と変わる「雲」が印象的でした。


大黒橋から追出橋までの約3kmの「彼岸花コース」
4分の3ほど歩いて引き返しました。

東側の空の雲はポッカリ・ポッカリと言う感じ・・・

往復5km近く歩いて、車を停めた駐車場近くの「大黒橋」手前の
ベンチがしつらえてある広場で、持ってきたお弁当を食べました。


雲が急速に黒く大きく広がっています。

江ノ島での夕日の撮影は諦めて、藤沢にある療養型病院に入院中の母を見舞ってから、
大船の日帰り温泉に直行しました

もう殆んど反応が無い母親を見るのは忍びない思いですが
温泉に浸かってから、40分ほどマッサージを受けたら、何とか元気が出ました。

彼岸花を愛でながら散策し、両親の顔も見て、最後は温泉とマッサージ・・・
時間を気にせずに極楽気分に浸れた一日でした


「小出川の彼岸花」をデジブックに纏めましたので、
お時間のある方はご覧下さい。

デジブック 『藤沢・小出川の彼岸花』



          

速報「栗駒山の紅葉」

ごく最近まで暑い!暑い!と言っていたものの
はや10月も半ばです。


今年も山仲間と東北の山の紅葉を見に行きました。
季節は確実に秋に変わり、北国の山々の頂上付近は赤く染まっていました

次回からは紅葉便りを綴っていきたいと思います。

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初秋の鎌倉・萩寺と竹寺

2012年10月07日 | 鎌倉散策
「宝戒寺」(萩寺)

まだ夏の気配が残る9月27日、高校時代の友人Mさんと初秋の鎌倉を歩いてきました。

まず最初に向ったのが鶴岡八幡宮近くの「宝戒寺」
この場所は北条義時以来代々の執権館があった所だそうです。


200株ともいわれる「シロハギ」が見事で「萩の寺」と呼ばれています。


鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、北条一族の霊を弔うために
宝戒寺を建立させ、
勅命により円観慧鎮を開山とし、1335年(建武2年)創建

廃寺となった東勝寺をこの場所に移したともいわれますが詳しいことは不明だそうです。


本堂ではご本尊の子育経読地蔵の他にも、梵天・帝釈天、閻魔大王など多くの仏像も拝観できます。

M子さんと靴を脱いで中に入り、畳に座ってユックリとお参りをしました。

まだ観光客の少ない時期で・・・
仏像に囲まれ、静かな雰囲気の中に座っていると心が洗われるようでした。

「最近の願い事は、家族皆の健康を祈るのみよね」



そんな彼女と自分のためにお守りを買いました。
「宝戒寺」のワラジのお守りです。

友人達に差し上げることが多いのですが、今回は自分のためにも買いました。
それだけ足腰に自信がなくなったということです

白萩が多い中、彼岸花もあちこちに
こちらも赤より白が多かった・・・




ここではコムラサキも白実のものでした。

新田義貞の鎌倉攻めで北条一族はこの近くの東勝寺で果てました。
その供養のために建てられた「宝戒寺」には、白いお花が似合います。

ただ今年の白萩は満開になる前に、台風や豪雨にやられてイマイチデしたが・・・

俳句が趣味のMさんは、このお寺の印象を
”白萩の分け入る古刹こぼれ花”と詠みました。

浄妙寺境内「石釜ガーデンテラス」
「宝戒寺」で心癒されてから、浄妙寺まで20分ほど歩いていきました。
この日は台風の影響で風が強い日で、秋を感じながらの心地良い散策となりました。


ランチは鎌倉五山第5位の「浄妙寺」境内にあるレストラン詳しくはこちらです

お庭を見ながらデッキで食べるお食事が何とも気持ちが良い・・・

パンプキンスープと美味しいパン鎌倉野菜と地元のソーセージの盛り合わせ


1年前の春に、京都での同窓会に出席して以来の再会です。
高校時代の懐かしいお話しに花が咲きました。


いつもは並ぶこのレストランも、9月はまだ観光シーズンでないせいか?
案外すいていました。

お花は端境期のイングリッシュガーデンですが
このお花は一体なんでしょう?


春先にはたくさんの山野草が咲いていた「浄妙寺」も彼岸花と萩が見られるくらい・・・

秋の七草の萩の花
同じく七草のオミナエシも咲いていました



「報国寺」(竹寺)
お食事後は歩いて7~8分の所にある「報国寺」に行きました。


足利尊氏の祖父、家時開基と伝えられる臨済宗の禅刹です。


写真でパチリよりも、日がな一日画を描いて過ごすほうが優雅な感じ・・・


竹林に一歩足を踏み入れると、竹のあまりの高さにビックリします。
直射日光が遮られて涼しく、笹の乾いた葉すれの音はとても心地よい・・・


京都から移したという無数の孟宗竹の中に、所々灯篭や石塔を配したシンプルな庭は、
和の風情の究極ともいえるようです。


喋りながら忙しく写真を撮ってきましたが・・・
ここでは二人とも圧倒される思いで、自然と無口になりました。


竹林の中の石仏たち


竹林を抜けると、岩肌に掘られた大きな横穴を見ることができます。

「やぐら」と呼ばれる、鎌倉独特の横穴式の墳墓で、足利尊氏の祖父・家時ほか一族の墓だとか・・・

ここでのMさんの一句は
”竹林の中に二本の曼珠沙華”

「報国寺」を見てからバスで鎌倉駅に向いました。

今度は小町通りでお茶することにします。


昭和の香りが残る喫茶店で有名なのは「ジョン・レノンが毎朝食べた」という
超厚手のホットケーキ

「焼くのに20分かかります」と最初に言われるのも納得です。

いつも大勢の人が並んでいるこのお店も、9月は空いているのか?
私たちはすぐに席に案内されました。

萩の花が咲く頃の「鎌倉」は案外静かでお薦めですよ。





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三渓園「観月会」と、ロコモのお話し

2012年10月03日 | 我が街・横浜
台風17号は東海地方や首都圏など広い範囲を暴風域に巻き込みながら
列島を縦断し、1日には北海道東方沖に去って行きました。

沖縄県や鹿児島県では多くの怪我人が出たそうですが、
被害に遭われた方々には心よりお見舞いを申しあげます。

私の住む横浜南部も、30日の18時頃から風雨ともにひどくなりましたが、
夜中の2時過ぎに目を覚まして外を見たら、中秋の名月が煌々と輝いていました。


明けて10月1日は台風一過の晴天に恵まれ、朝から富士山がクッキリと見えていました。

この日は山仲間のYさんが、三渓園の「観月会」の席で、和楽器の合奏に参加するというので
もう一人の仲間のKさんと、JR根岸駅で夕方の5時に待ち合わせ「三渓園」に行きました。

暮れなずむ大池から見た「三重の塔」が、ライトアップされていました



宮城流のお琴の師匠をしているYさん、今回はお三味線に挑戦だそうです。


会場は三渓園・内苑の「臨春閣」

紀州初代藩主の頼宣が、和歌山・紀ノ川沿いに建てた数奇屋風書院造りの別荘建築です。
内部には狩野派などの絵師による障壁画(オリジナルは三渓記念館で保存・展示)や
洗練されたデザインが各所に見られます。


午後6時15分、すっかり暮れた内苑に雅な調べが流れます。
お琴と尺八の風情あるハーモニーに酔いしれました。


2曲目にはYさんのお三味線も加わります。
津軽三味線に通じる力強い響きが感じられました♪
いつもの山姿とは全然違うYさんに目を奪われます

1脚にカメラをセットした私は、観客席の芝生の上をあちこち移動しながら撮りました
夕景の写真は一週間前に伊豆で習ってきましたが、三脚ナシでの夜の撮影は更に難しい・・・



こちらが昨年の12月に、所属していたカメラ教室での撮影会
この三渓園に来た時に撮った「臨春閣」です。

三渓園は、明治時代末から大正にかけて製糸・生糸貿易で財をなした
横浜の実業家原三渓(本名・富太郎)が、東京湾に面した”三の谷”と呼ばれる
谷あいに造り上げた53000坪の日本庭園です。

明治39年に一般公開された外苑と、三渓が私邸としていた内苑の2つの庭園からなり
京都や鎌倉から集められた17棟の歴史的建造物と、
四季折々の自然が見事に調和した景観が見所です。
(パンフレットより)


旧燈明寺三重塔も、この日はライトアップされていました
関東地方にある木造の塔では最古のものらしい・・・


そしてこの夜は「十六夜の月」

ウサギの餅つきが全然写っていなぁ~い
これでは単なる白い玉

三脚を持ってこなかったことが悔やまれますが、
次回のカメラのお勉強は「月の写し方」ですね。

         

夜風が心地よい中、7時半過ぎまで日本庭園に流れる和楽器の調べを堪能してから
Kさんと本牧のファミレスでお食事をしました。

話題は、その日の朝のNHKTV「あさイチ」で取り上げられた
「ロコモティブシンドローム」のお話しです。

Kさんは去年ぎっくり腰をやって、一ヶ月以上身動きが取れなかったそうです。
そして身長が1年で4cmも縮んだとか

彼女と同じ歳の私は今年転んで手を骨折し、一ヶ月では骨が着かず
「骨粗しょう症」を疑われ、先日腰のレントゲンを何枚も撮りました。

私、今までも違う病院で何度か骨密度は測っていて、いつも105とか108とかで
平均値よりも高かったのです。

それが今回の検査で背骨の一箇所に少々の狭窄が見つかり、
その上の骨の一部が初期の骨粗しょう症という診断

「一部分だけ骨密度を測っても、その数値はあまり意味はありません」と、
今通っている病院の医師は言います。

「〇〇大学病院の新しい治療法で、あと20年は元気に歩けるようにしましょう」と
しばらくは毎週一回注射を受けるように言われました。
う~~~ん

そこに偶然観たのが今回のNHKTVです。


あさイチ”あなたも寝たきり、患者4700万人、
第二の国民病「ロコモ」にご用心”40代から突然の転倒骨折”

要注意、”〇〇大学病院の研究で最近分った隠れ骨粗しょう症
原因はコラーゲン不足

まさに私のことを言われているようでした

「放っておくと手の次は背骨の骨折の危険、そして最後は大腿骨骨折のリスク大」
TVでの教授の言葉にガ~~ン
迷っていましたが、私、〇〇大学病院の注射療法を受けることにしますわ。

「あさイチ」では、40代から日々の軽い運動で筋力を維持し、
カルシウムやコラーゲンに富んだ食生活を心がけましょうという趣旨でした。

「私たちの40代・50代はハードな山々に行きまくっていたから、筋力はあったはず」
遅まきながら今からでも「危険の無い山歩きは筋力維持のために続けよう」
となりました。

二人ともここ最近「加齢」を突きつけられて落込んでいましたが、
負けてなるものかと頑張る事にしましたよ。


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