花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

私の案内する「横浜物語」・その2

2009年09月28日 | 我が街・横浜
5連休の後は3日間連続のボランティアのような仕事があり
そして昨日の日曜日は息子一家と我家で食事・・・
慌しい日々を過ごしていましたが、気がつけば9月も終りですね。
こちら横浜も爽やかな秋の気配の感じられる季節となりました。

「横浜山手聖公会」

さて、私の「横浜案内」の続きです。
「港の見える丘公園」を出て、外人墓地から山手本通りを更に進むと
右手に緑豊かな「元町公園」が現れます。
その向かい側にある教会が「山手聖公会」です。

1901年に、居住区に住むイギリス人たちの手で
クライストチャーチが作られたのが始まりで
横浜山手聖公会が組織として成立したのは、1947年(昭和22年)だそうです。

この建物は、アメリカ人建築家のJ.H.モーガンの設計によるもので、
横浜市の歴史的建造物に指定されています。
2005年、心無い人に放火された事件には胸を痛めましたが・・・
綺麗に修復されたようですね。

「ベーリック・ホール」

「元町公園」周辺には「エリスマン邸」
昭和2年に建築された外国人向け共同住宅「山手234番館」などがあり
無料で内部見学ができます。

それらを見ながら更に歩いて行くと、広い庭の中に建つ南欧風の大きな建物が・・・
ここが「ベーリック・ホール」です

イギリス人貿易商ベリック氏の邸宅としてJ.H.モーガン設計で
1930年(昭和5年)に建てられたスパニッシュスタイルの洋館・・・
戦前の西洋館としては最大規模の建物だそうです。

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大きなホール、サンルーム、食堂の一階部分をマウスオン・クリックでご覧下さい
二階は書斎や寝室、子供部屋などのプライベートルームがありました。

「山手カトリック教会」

「ベーリックホール」から山手通りを歩いて5分いくと、ペパーミントグリーンの
とんがり屋根が見えてきます。
正面にステンドグラスのある「山手カトリック教会」です。

1862年にフランスの神父さんが建てた横浜天主堂が前身になっていて
鐘や聖母像は、初代のフランスから贈られた物をそのまま受け継いで使っているのとか・・・

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内部は撮影禁止でした。
マウスオンで、浮かび上がるキリスト像をご覧下さい
分りますか~?
中では賛美歌を歌っている人々がいて・・・
ヨーロッパの教会のような派手さはありませんが、心癒される教会でした。

ここで結婚式を挙げた親戚の女性がいます。
私も式に参列しましたが、その時の厳粛な風景が思い出されました。

この近辺は、「フェイリス女学院」をはじめ、横浜の有名女学校が建ち並ぶ一帯ですが
この日は教会に付属する幼稚園の子供たちの声だけが響く、のどかな午後のひと時でした。

叉、この辺一帯は横浜一の大邸宅が並ぶ地区で
あのジュリーと田中裕子さん夫妻も住んでいるらしい・・・

イタリア山庭園「外交官の家」
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1910年(明治43年)に明治政府の外交官内田定槌邸として
アメリカ人建築家J.Mガーディナーの設計で渋谷区南平台に建てられた
木造2階建・塔屋付のアメリカ・ヴィクトリア様式だそうです。

non_nonさんのソースをお借りして纏めましたので、内部の様子と
イタリア庭園越しに見える窓からの眺めをスライドショーでご覧下さい

今年の3月、このイタリア山庭園に移築されオープンしたばかりの
国の重要文化財です。

イタリア山庭園「ブラフ18番館」

大正末期に建てられた外国人住宅で、カトリック山手教会の司祭館として
1991年まで使われていたそうです。


白い壁にペパーミントグリーンの窓枠が爽やかで、窓の外の木々の緑も眩しいくらいです。


この日見た洋館の中では、私一番のお気に入りです。


この応接室には暖炉もありました。
こんな家に住んでみたいですね。

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お客さま用のダイニングルームのテーブルセッティングがステキです。マウスオンでご覧下さい

ここのみならず無料開放されている洋館のほとんどが、12月に入ると
華やかなクリスマス飾りがなされますので、その頃訪ねるのがお薦めです。


高台にあるため、窓からは横浜の街が一望できます。


♪窓を開けれ~ば、港が見える~♪
今ではビルに隠れて海は見えませんが、昔はきっと見えたのでしょう

イタリアの領事館があったこのイタリア山から、大丸谷坂をドンと下ると
5~6分でJR[石川町駅・元町口」です。
関内駅から一人で歩いて歩数は12000歩以上・・・
若者を真似て、素足にサンダル履きで歩いたら、流石に足が疲れました。

友人達には残念ながら時間がなくて、この「西洋館めぐり」のコースを
案内できませんでしたが・・・
古い横浜のハイカラな雰囲気を感じたい方は是非訪ねて見て下さい。

翌々日は結局、短大時代の友人達とは「港の見える丘公園」からタクシーに乗り、
関内駅近くの居酒屋さんで飲んでしゃべってお食事をして・・・
そして最後に、若い頃と同じ様に弾けました。

可愛いベィビ~♪ ハィハィ♪あの娘はルイジアナ・ママ~♪
さぁ~さぁ~ダンスのニューモード手と手を繋いでロコモーション♪

みんなノッテルか~い、イェ~イハッピーバースディも祝っちゃいます

懐かしい60年代や70年代ポップスで弾けましたが、私たちは汗がタラタラ、息がゼイゼイ
2回目の最終ステージの時は席から立てませんでした。
去年60歳を過ぎてから結婚し「幸せ太り」のCちゃんも、楽しそうでヨカッタ!ヨカッタ!

一年半ぶりに仲間と会った日の最後は、オールデーズの生演奏が楽しめる
関内駅前のセルテ11Fの「リトル・ダーリン」で盛り上がり
気持ちだけは若かりし頃に戻った私たちでした
 
 
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私の案内する「横浜物語」・その1

2009年09月23日 | 我が街・横浜
「シルバー・ウィーク」と言われるこの5連休、皆様如何お過ごしでしたでしょうか?
私は、連休前に無事「健康診断」を終えました。
結果が出るのはまだ先ですが、その検診場所が関内駅近くだったので
終えてからついでに横浜の歴史有る地区を散策してみました。

この5連休前半に短大時代の友人のtaeさんが山形から上京し
仲間4人でこの横浜で逢うことになっており・・・
その下見を兼ねてのことでもありました。

「横浜開港記念館」

横浜には「キング」「クイーン」「ジャック」と呼ばれている
三つの「塔」があることをご存知ですか?
夜間にはライトアップされて、国の史跡にも認定されている古い建物です。

こちらの赤レンガ造りの建物は横浜開港50周年を記念、一般の懸賞公募で設計し、
1917(大正6)年、市民の寄付金で建造した「横浜開港記念館」で
「ジャックの塔」と言われています。
そういえば、今年は「開港150年」で横浜の街は賑わっていますよ。

「横浜税関」

「クイーン」の愛称で親しまれ、その名前のとおり気品溢れるこの建物は
大桟橋近くの港沿いにあり、
海側から見ると白鳥が翼を広げたような美しい姿を見せてくれます。
1934(昭和9)年完成の「横浜税関」です。

「神奈川県庁・本庁舎」

1928(昭和3)年築で、現在も使われている神奈川県庁です。
洋風建築に和風建築の屋根を組み合わせた帝冠様式と呼ばれる建物の1つで
この時代に流行った様式で、「キング」と呼ばれている建物です。
ちなみに私が10年間、アルバイトで通った職場は、この県庁のすぐそばでした。

これら三枚の画像は20日の日曜日、taeさんと私と二人で歩いた時に撮ったものです。
あの日はピカピカのお天気で、爽やかな風が肌に気持ちよく
二人でこの県庁前の木陰のベンチで語り合いました。
taeさんは何度も「まるで外国の街にいるみたい」と呟いていましたね。

「横浜中華街」

港に近い朝陽門(東門)

今から150年前の1859年(安政6年)、横浜が開港すると外国人居留地が造成され
欧米人とともに多数の中国人が来住しました。
その後、横浜と上海、香港間に定期船航路が開設されると、中国人貿易商も来住し、
居留地の一角(現在の山下町)に関帝廟、中華会館、中華学校などを建てていきました。
これが横浜中華街の原型だそうです。


小さくて庶民的なお店が並ぶ「市場通り」

友人のtaeさんが泊まるビジネスホテルは中華街の近くだから
4人でのランチはやはり「中華]が好いかしら?
でもこれだけたくさんのお店があると、どこに入ればいいかと迷いますね。


こちらは加賀町警察近くにある横浜中華街善隣門(正門)です。

下見で歩いたのは木曜日でしたので、まだ人が少ない感じですが
4人で集まったのは連休初日の19日土曜日・・・
中華街は人で溢れ、いやはやどこのお店も満員の行列状態でした。


中国のお寺としては古くから「関帝廟」がありますが・・・
2006年3月に開廟したばかりの「媽祖廟」が
開港から150周年を迎える横浜の新しい観光スポットとして横浜中華街に誕生しました。
このニュース、実は私知りませんでしたが

結局4人で会った時のランチは、この派手派手な中国のお寺「媽祖廟」のすぐ横の
以前私が利用した事の有る庶民的なお店「大三元酒家」で「飲茶コース」をいただきました。

最近の中華街のお店は、食べ放題が結構多いのですが
私たちの年代になると量はそんなに食べられませんから、
この「飲茶コース」のランチが適量でした。
10品で1575円はお薦めです。

涼しい風が通り抜ける2Fのお座敷で、この「媽祖廟」の紅い提灯を間近に眺めながら
生ビールで乾杯し3時間以上もお喋りを楽しみました。

「港の見える丘公園」
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中華街から元町を抜けて、急坂を登って行くとご存知「港の見える丘公園」や
「外人墓地」の辺りに出ます。

「港の見える丘公園」の展望台から眺めた「ベイブリッジ」をマウスオンでご覧下さい


ここの展望台からは新しい地区の「MM21」(ミナトみらい21)が僅かに見えます。
観光地としての賑わいをすっかりあちらに奪われた形ですが・・・
横浜の古き時代の栄華の様子がこの辺一体では味わえますから、
友人達を案内しようと思いました。
(夫たちも一緒に集まった一年半前の前回は、新しい横浜のMM21でしたものね)

今回はカフェでのお喋りが弾み、この展望台の上に4人で立ったのは日が暮れてからでした。
ここからの夜景も良いのですが、MM21 が目の前に見える
大桟橋からの夜景には負けますね。


この公園は春と秋には「ローズガーデン」のバラが楽しめる所でもあります。
今の季節は僅かなバラがひっそりと咲いているだけでした。

「イギリス館」
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ここはかつて横浜開港期にイギリスとフランスの軍隊が駐屯した場所としてよく知られていて
すぐ隣には緑豊かな「フランス山」、そして公園内には「イギリス館」があります
マウスオン・クリックで三枚の画像をご覧下さい

イギリスの総領事館だった「イギリス館」は無料で内部の見学ができて
希望者にはお部屋の貸し出しも行われています。

他にも「大仏次郎記念館」や「神奈川近代美術館」などがありますので
時間のある方にはお薦めです。

「外人墓地」

「港の見える丘公園」から山手本通りを歩いて行くとすぐに「外人墓地」
横浜の街を望む斜面に異国の人たちのお墓が並んでいます。
40ケ国以上、約4600人が眠っているそうですが、中には入れません。


墓地からは遠く祖国に通じる港が望めるのでしょうが
この展望台からは、新しい街「MM21」の「ラウンドマークタワー」が正面に見えました。


外人墓地のフェンスに絡み付いて咲いていた「センニンソウ」です。

そして目の前には横浜の老舗「山手十番館」が建っています。


明治100年祭を記念して建てられた「山手十番館」は
外国人墓地前にあるハイカラな明治情緒あふれるカフェ&レストランです。

「友人達とここでお茶するのも横浜らしくていいなぁ~」と思っていましたが・・・
彼女達は「安いところで結構よ」と
手前にあったアメリカンカフェで、アイスクリームを食べました。

みんな堅実で良い奥さんをしています。
二十歳で卒業してから40数年・・・
呑気なお嬢様だった仲間達も逞しくなりました。

特に、自営業に嫁いだ東京の友人は
時代の波に翻弄され、バブル期の絶頂からその後の大不況で大変なようです。
これからの日本、何とか苦労が報われる世の中であって欲しいですね。


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秋を求めて「鎌倉・浄智寺」

2009年09月18日 | 鎌倉散策

「東慶寺」を後にして、鎌倉方面に5分ほど歩くと横須賀線の踏み切り手前の右側に「浄智寺」があります。
この苔むした緑の中を登って行く最初のアプローチが何とも風情のある味わいで、昔から好きなお寺の一つです。

鎌倉五山の四位に列せられ、弘安4年(1281)、執権北条時頼の三男宗政の菩提を弔い、 宗政とその子師時を開基として宗政の妻が建立しました。
現在の建物は関東大震災後に再建されたものですが、自然林に囲まれた静かな境内は国の史跡に指定されているそうです。

叉この参道沿いの石段脇には鎌倉十井に数えられる“甘露ノ井”があり、沙羅双樹などの樹木が生い茂っていました。


石段を登ると正面に、上部に鐘を吊り下げた楼門か立っています。
この山門は上層が鐘楼を兼ねている珍しい形式のもので、花頭窓をあしらった中国風の造りが特徴です。

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近年この門は全面的に改築されて新しくなったようですね。
ススキとのコラボが絵になり写して見ましたが、陽が当たる手前の草木がハレーションをおこしてしまいました
別途、ススキだけを撮りましたのでマウスオンでご覧下さい
ススキも「尾花」と言って、秋の七草の一つですね。

それにしても未だにカメラの設定には苦労していて・・・
晴れた日の、陽の当たる所と当たらない所を同時に綺麗に写すコツがあったら教えて欲しいものです。


この門をくぐったところに、ご本尊の三世仏を安置する曇華殿(仏殿)があります。
阿弥陀、釈迦、弥勒の三体からなるこの仏像は15世紀の作でそれぞれ過去、現在、未来を表しているそうです。

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花トラノオやシオンなどが野生的に咲いているお庭を眺めてみました。
マウスオン・クリックで三枚の画像をご覧下さい
最後の画像は庵の反対側の玄関から撮ったもの・・・
このお座敷で精進料理をいただきながら(要予約)、お部屋の中から眺めるお庭も趣がありそうです。


ここにも「彼岸花」が咲いていました。

浄智寺に足を運んだのは三年ぶりです。
前回はアジサイには少し早いアヤメの季節でしたが、他のお寺の艶やかな花々を見た目には淋しすぎる感じのお庭でした。
それが今回は、秋のもの悲しさが妙にこのお寺の庭の雰囲気にマッチしていて心惹かれました。


やぐら近くの竹林横で「撮影」が行われていて、和服姿の男女のモデルさんがポーズをとっていました。
ワビ・サビの世界の禅寺の中で見る花嫁衣裳のような艶やかな着物と赤い蛇の目傘は、まるで紅色のマンジュシャゲの花のようでした。


境内は緑豊かで起伏に富み、江ノ島鎌倉七福神の一である布袋の石像をまつる洞窟もあります。
いつもお腹をさすらせていただきますが・・・
もう黒光していますね


静かな境内をぐるりと一回りして空を見上げると、そこには「秋」が広がっていて・・・
白いお花のジンジャーとシュウメイギクが最後の頑張りを見せて、青空に向かって咲いていました。


「萩」はまだまだこれから楽しめるようですね。この5連休あたりが見頃でしょうか・・・

鎌倉市指定の天然記念物の古木「ビャクシン」の近くのベンチに腰掛けて休みました。
時計の針は一時を廻っています。
「円覚寺」に行けば「秋の七草」がもっと見られるかしら?
でもその前に腹ごしらえをしなくては・・・
朝から酢たまねぎ入りの大盛りサラダと冷奴しか食べていなかったのです。

実は今月、健康診断があるので、血圧とコレステロールを下げるためのダイエットを始めて三週間になります。
以前このブログでも紹介した「酢たまねぎと大盛り野菜」を4ヶ月間食べ続けた主人・・・
4kg痩せて、8月からはお医者様の指示で服用していた血圧とコレステロールの薬とオサラバしました

その成果に驚き、私も3週間前から更に昆布も混ぜた「酢たまねぎ」(作り方は3ヶ月前の6月21日編を参考の事)と野菜を大量に増やして、炭水化物を半分に減らしました。
おかずはいつもどおりに作って食べていますが(モチロン油物も)、体重は2.5kg減、家で計る血圧も今までは130~85以上あったのが110~65近くに下がりました

ヤッホ~!と叫びたい所ですが、何となくいつもの力が入りません
エネルギーの源は「炭水化物」だという事を、山を歩くと実感できますが・・・
最近はすっかり「ガス欠」気味の私です。
オミナエシの群落を見に「幕山」に行っていたらバテていたかも知れません
何となく顔のシワや目の落ち窪みも気になりますので、ソロソロ炭水化物もシッカリと食べようと思います。

結局体力不足で「円覚寺」に行くのはやめにして、新装成った大船駅でパスタを食べて家路に着きました。






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秋を求めて「鎌倉・東慶寺」

2009年09月15日 | 鎌倉散策

ブログ仲間の山小屋さんから「湯河原の幕山にオミナエシの群落があります」とのコメントが寄せられました。
(上の画像は「フォトライブラリー」からお借りしたオミナエシの写真です)

幕山は梅の季節に2度登っていますが、オミナエシの咲く初秋には行った事がありません。
是非行きたいと思いましたが、野山に連れ出せる友人は、アノ人とコノ人しかいません。
案の定二人とも「今週はもう全部に予定が入っている」とのお返事・・・
ならば一人で行ってみようと「湯河原観光協会」に電話して詳しい情報を聞いてみたところ「今、スズメバチが活発に動き回っているので気をつけてください」と言われ、怖くなって諦めました。

代わりに、マイフィールドの鎌倉のお寺で見られる「オミナエシ」を検索したら「東慶寺」が出てきましたので、お天気に恵まれた14日の月曜日に行ってきました。


駆け込み寺で有名な「東慶寺」は今年の5月下旬に「イワタバコ」、そして6月初めに「イワガラミ」を、続けて見に通ったお馴染みのお寺ですが、9月に訪れたのは初めてでした。

門を入り、拝観料の200円を払ってすぐのところに可愛い「実」が生っていました

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一体何の実でしょうか?、マウスオンでご覧下さい
この立ち姿はどこかで見覚えが、受付の人に確認してみるとやはり「スズランの実」でした。

スズランは「君影草」とも呼ばれ、多くの人々から愛される可愛いお花ですが、花・葉・根、そして実にも毒がありますので、くれぐれも食べないように
この毒は不整脈、心不全、心臓麻痺などの心臓への影響が強いそうです。


その先に、目的の「オミナエシ」を見つけましたが、ロープが張られたお庭の一番奥に咲いていて、とてもアップの写真は無理でした

秋の七草の一つで、万葉集でも詠われた「オミナエシ」
葉っぱを煎じて飲むと解毒作用があるそうで、漢方でも使われているようです。

漢字で書くと「女郎花」
同じ種類の「オトコエシ」は、一週間前に訪ねた「大巧寺」で勢いよく茂り、白いお花が咲いていましたが・・・
名前の通り咲き方がオミナエシの方が華奢なのですね。


快晴に恵まれたこの日は残暑厳しい日でしたが、東慶寺の境内は秋の気配が漂っていました。


見上げると青空の中にホラ、秋の味覚の「柿」が色付いていました。分りますか~?

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そしてこのお庭で一番目を引いたのは「彼岸花」でした。マウスオンでご覧下さい
ここでは紅白で楽しめました
どうやら白い彼岸花の方が少し早めに咲きだすようです。

お彼岸の頃に咲くから「彼岸花」と呼ばれていますが、「これを食べたら彼岸(死)しかない」と言う別説もあるようです。
全草有毒で、誤食した場合は吐き気や下痢、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死にいたるらしい


別名の「マンジュシャゲ」の他にも、日本各地では「死に人花」「地獄花」「幽霊花」などと呼ばれ、昔から忌み嫌われていたようですが・・・
私はこの純粋な「赤い色」にとても惹かれます


奥の墓地の方に進んでいくと、「セミ」がにぎやかに鳴いていました。
見上げるとまだ青々としている「モミジ」の葉が太陽の光に輝いて見えます。
この日の日中は、最後の「夏」が頑張っていました。


温暖な地「鎌倉」の紅葉は、11月末から12月に入らないと見られませんが・・・
初秋の「東慶寺」は夏と秋とが混在していました。

※尚、境内には「夕顔(白)が咲き出すのは午後3時過ぎからです」という看板が見られました。
 ご興味のある方は夕方にかけてのお出かけをお勧めします




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初秋の花咲く「鎌倉・大巧寺」

2009年09月12日 | 鎌倉散策

鎌倉駅から歩いて3分、若宮大路に出た所の交差点を渡ると「大巧寺」(だいぎょうじ)の裏門があります。
その赤い門をくぐるとすぐにたくさんの初秋の花々が出迎えてくれました。
駅から一番近いお寺といわれる「大巧寺」の境内ははこじんまりとしていますが、一年中お花が絶えないお寺としても知られているようです。


このお花は何でしょう、20cmくらいはありそうな大きさです。
名札があったので見てみると「アマギノクサギ」と書かれていました。クサギ?臭木?
どうやら「牡丹クサギ」(クマツヅラ科)の仲間のようですね。

クサギと言えば葉が臭いのでこの名が付いたようですが、葉や枝を切ったり、すりつぶしたりしなければいやな匂いがするというわけではありません。
お花はほんのりとよい香りがしました。


そしてこちらは「コムラサキ」(クマツヅラ科)
ほとんどのサイトでは「大巧寺のムラサキシキブ」と紹介されていて迷いますが、庭木として植えられるのは園芸種のコムラサキだそうです。
ムラサキシキブ(紫式部)というのは山野に生え、もっと地味で観賞価値は劣るとか・・・
という私も、一昨年ブログ仲間の山小屋さんに指摘されるまで、我家にもあるこの紫色の実をつけるお花を「ムラサキシキブ」と思い込んでいました


「大巧寺」は「おんめさま」の名で親しまれている安産祈願の寺です。
もともとは十二所の「大行寺」という真言宗の寺でしたが、源頼朝がこの寺で戦評定を行い大勝を収めたことから「大巧寺」と改め、元応2年(1320年)、現在地に移したといわれています。
 
住職が日蓮に帰依し、弟子の日澄を開山。
檀家を持たず、安産祈願の寺として存在する珍しいお寺のようです。

昨年の3月6日に、やはり私は「宝戒寺」とこの「大巧寺」を訪ねているのですが、その翌朝に二番目の孫の菜々ちゃんが安産で生まれました。
「おんめさまの効き目は偉大ナリ」と感心したものです


お彼岸の2週間前でしたが、白い「彼岸花」が咲きだしていました。
このお花を見ると「初秋」を感じますね。

他にも色々な花々が咲いていましたので、non_nonさんのソースをお借りしてスライドショーで纏めました。
小さな画像にマウスオンしてご覧下さい
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キンミズヒキ
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ニワフジによく似たお花がありましたが、咲く時期が違いハテナマークにしましたが・・・
山小屋さんに「ミヤギノハギ」と教えていただきました。いつもありがとうございます
葉っぱがなければ名前の断定は難しいですね。反省です

境内には紅白のミズヒキもたくさん咲いていましたが、とても標準レンズではその花びらを捉えられませんでした


そしてこの日一番目立っていたのが白い「タマスダレ」(ヒガンバナ科)
別名レインリリーと呼ばれ、南米原産、彼岸花と同じ様に根に毒があるそうです。
明治時代に輸入されたお花ですが、最近では野生化が進み、葉っぱがノビルに似ているので要注意ですね。


この清楚な純白のお花が有毒とは、スズランもそうでしたね。
人と同じで、お花も見た目だけの判断は禁物ということでしょうか・・・
それでもこれだけ咲きそろうと見事でした

夏から秋への変わり目で、その上仕事も忙しかった今週はちょっと疲れが出て風邪気味です。
熱はないのですが、週に二回通っている両親の施設に行くのもためらわれ、マスクが欠かせません。

そういえば、友人のお嬢さんが喉が痛くて熱が出たので病院に行ったら、「熱がある人は電話をしてから来るように」と強く注意されたそうです。
「ここは慢性疾患の人が多く来るのだから、新型インフルエンザだったらどうするの」と病院で叱責され傷ついて帰ってきたとか・・・(結局はただの風邪だったそうですが)

巷に新型インフルエンザがまん延しだしました。
私たちの年代は予防接種の順番も最後のようだし、自分で防御をするしかないですね。
外から帰ったら手洗いうがいを忘れずに実行しましょう・・・





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秋を求めて「鎌倉・宝戒寺」

2009年09月08日 | 鎌倉散策
「葛の花」

秋と夏とが行ったり来たりの今日この頃、気温の変化に体が追いつかない感じです。
そんな中、炎天下の昨日、斜めお向かいに住むご夫妻が近くの街灯に絡みついたツル状の「葛」を伐採していました。

「秋の七草ですね~」とお声をかけると、「地味なマメ科のお花ですけどね、この根が漢方の風邪薬の葛根湯となるのですよ」と、80歳代にはとても見えない若さの奥様が説明してくれました。
奥様は「漢方薬」に関してはとても詳しくて、我家も色々紹介されて飲んでいます。

そしてお二人の口から「秋の七草」の名前が並びました。。
♪はぎ、おばな(ススキ)、くず、なでしこ、おみなえし、ふじばかま、ききょう♪
「そうだ!、鎌倉の萩寺に行ってみよう」・・・
私はすぐにカメラを抱えて飛び出しました

「宝戒寺」

新田義貞の鎌倉攻めにより、最後の執権・北条高時はじめ北条一族870余命が自害したと伝えられています。
滅亡した北条氏の霊を弔うために、後醍醐天皇が足利尊氏に命じて、北条氏の屋敷があったとされるこの地に寺を建立させました。
それが鶴ヶ岡八幡宮のすぐそばに建つこの「宝戒寺」です。


境内には四季を通じて花が咲き、特に9月には白い萩で埋め尽くされる「萩寺」としても有名です。
9月7日の昨日はちょっとまだ早くて、本殿前にチラホラ咲いているだけでしたが・・・
道路から門までと、そして境内の萩の多さには驚かされました。
満開の頃の素晴らしさが充分に想像できる「萩の寺」
来週から再来週にかけてが見頃でしょうか・・・

(尚、去年の三月に行った梅の「宝戒寺」も、ご興味のある方はご覧下さい)


青空を背景に、秋の気配の風が吹き抜ける中で咲く白いマメ科のお花を撮るのは、腕が未熟な私には至難の業ですが、最新情報を伝えたくてUPします。ピントが甘い点はお見逃しを・・・
鎌倉のお寺はどこも三脚使用が禁止されているのです


マメ科の落葉性の低木で、秋に房状の花が咲きます。日本のどこにでもみられますね。

万葉集には非常に多く詠まれており、141首に登場します。
♪「萩の花 尾花葛花 なでしこが花 をみなへし また藤袴 朝顔が花」 山上憶良(万葉集 巻八)

有名な秋の七草の歌でも、萩がトップに詠まれていますね。


「宝戒寺」は圧倒的に「白い萩」が多いのですが、赤やピンクの混じりも見られます。


この日は標準レンズしか持って行かなくて、迫力あるアップが撮れませんでした。
マクロレンズも欲しいけど、今年は息子の新居のお祝いに、私のスネもすっかり細くなり、しばらくはガマンです。


こちらもボケボケの画像でお恥ずかしい限りですが、この色合いもあったという証拠写真です
初めて撮った「萩の花」・・・
あの流れるような美しさが表わせず、画像的にはとても難しいお花でした。

春の七草は厳しい冬を乗り越えるための、食べる七草であるようですが、秋の七草は鑑賞する七草なんですね。
8月のお盆をすぎた頃から花を咲かせ始め、残暑もあとわずかであることを知らせてくれる・・・
ひっそりと秋の到来を感じさせてくれる植物のようです。

でも、まだまだ日中の残暑に夏のお花も頑張っていました。
「宝戒寺」の帰りに寄った「鶴岡八幡宮」の蓮を、オマケの画像としてUPします。

「鶴岡八幡宮」の蓮の花
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鶴ヶ岡八幡宮、入り口近くにある「源平池」の蓮を、マウスオンでご覧下さい


ハス科の多年性水生植物。根の部分(実際は地下茎)は食用にされ、蓮の根すなわち蓮根(レンコン)と呼ばれます。

インドとスリランカでは国の花に指定されている蓮の花・・・
泥から生え気高く咲く花、まっすぐに大きく広がり水を弾く凛とした葉の姿が、俗世の欲にまみれず清らかに生きることの象徴のようにとらえられ、ヒンズー教や仏教のシンボルのお花となっています。
そういえば、バリ島のヒンズー教の寺院にも咲いていた事を思い出しました

こうして夏と秋が代わる代わるに顔を覗かせながらも、今年の夏は幕を閉じようとしています。
私は雨の立山に行ったきりで、「夏」を充分に堪能できませんでしたが・・・
息子宅の主人お手製のベランダも無事に出来上がり、この週末にはそこでバーベキューを楽しみました。
澄み切った夜空にはまん丸お月様・・・
爽やかに吹き渡る風は、もう気持ちの良い秋の風でした。






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ジャワ島の地震と「プランバナン寺院群」

2009年09月04日 | バリ島紀行
9月1日は「防災の日」でした。
1923年(大正12年)9月1日に起きた「関東大震災」の事を語れる人も少なくなってきましたね。
私の父は新橋生まれの新橋育ち・・・
以前は「震災の時に家が燃えて、家族で大八車で逃げた」という幼い頃の体験談を話していましたが、今はもうその記憶も遠い彼方に飛んで消えたようです。

先月には静岡県で最大震度6弱の地震があり、「すわ!東海地震か」とヒヤッとしました。
あの日のドッキリを教訓に、1日は各地で本番さながらの防災訓練が行われたそうです。

そして2日には、インドネシアのジャワ島で、死者行方不明合わせて100人以上の地震に見舞われたとのニュースをTVで見ました。
私たち夫婦は今年の2月に「バリ島観光」に出かけましたが、その際、お隣のジャワ島にも飛び、二つの世界遺産を見学しました。
ジャワ島は3年前の2006年の5月に、死者5700人を越える大地震で被災し、古都「ジョグジャカルタ」にある世界遺産の「プランバナン寺院遺跡」は未だにその被害が残っていたのが忘れられません。
今回このニュースを知り、被害に遭われた方々の無事を願いつつ、遺跡の被害も広がっていない事を祈りました。


ジャワ島の古都「ジョグジャカルタ」は仏教やヒンズー教などの王朝が栄え、数々の遺跡が点在しています。

世界三大仏教遺跡の「ボルブドゥール遺跡」のご紹介はこちらこちらでUPしていますが・・・
ヒンドゥー教の「プランバナン寺院群」の記録がストップしたままになっていました

私たちは早朝「バリ島」からお隣の「ジャワ島」のジョグジャカルタまで飛行機で飛び、この日の最後の観光が”細身の乙女”と称えられる優美な遺跡群「プランバナン寺院群」でした。


ジョグジャカルタの東北東12kmの所に有るプランバナンの中でも、一番の見どころはヒンドゥー教のシヴァ堂を中心とした寺院群です。

碑文によると856年ラカイ・ビンタン王が建立、そして907年にラカイ・バリトゥン王が完成させたようです。
その後、王都が東ジャワに移ると放置され、1584年の大地震により廃墟となり、1733年に発見されました。
数回にわたる大規模な発掘、修復作業を経て、1991年に寺院全体が復元。世界遺産に登録されました。


シヴァ、ビシュヌ、ブラフマの三神を崇拝するヒンドゥー教の信仰は、三位一体を祭る主堂が並びます。
その中心はシヴァ堂(右側)で、高さ47mの細身の堂は、求婚を拒まれた男に石にされた伝説の悲劇の姫「ロロ・ジョグラン」とも呼ばれているそうです。

左側は太陽の光を神格化した神を祭った「ビシュヌ堂」、そしてシヴァ堂の右側には宇宙の創造神である「ブラフマ」を祭った堂が並んでいます。

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こちらが中心の「シヴァ堂」、マウスオンで外壁もご覧下さい

堂は5層からなり、リンガ(男根)と呼ばれる蓮の蕾みの様な塔が並んでいます。
基檀は欲情に包まれた下界。
二段目の身舎は人が有形から解放される世界・・・
そして屋蓋は神々が鎮座する天界を表わしているそうです。

堂内の中心部にはシヴァ神立像が祭られているとのことですが、2006年の大地震以降は危険なので立ち入りは禁止されています。


実際に、地震で落ちてそのままになっている石像があちこちに転がっていました
インドネシアは日本よりずっとずっと地震の被害にたくさん遭っている国なのですね。
私たちが行った今年の2月の数週間前にも、インドネシアの他の島で大きな地震があったと聞きました

ガイドのエフィーさんも、三年前のジャワ島での大地震を体験し、その時の恐怖を語ってくれました。
私たちにできる事は、復興の寄付ぐらいしかないのでしょうが・・・

古都「ジョグジャカルタ」の姉妹都市である京都の新聞が、大地震から三年経っても一向に復興のメドがたたない「プランバナン寺院群」を憂いた記事を載せました。
興味のある方はご覧下さい。

”ジョクジャカルタ考古学事務所は「最大の問題はシバ神殿。内部がどの程度、地震の影響を受けたか分からない」と説明。同神殿の内部構造資料が1940年代の独立戦争の際、行方不明となったためで、旧宗主国オランダに資料の有無を照会中だが、回答がないという”(京都新聞より)

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こちらは「プラフマ堂」の外壁です。マウスオンでご覧下さい

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三つの主堂群の東側にはヴィハナ(神の乗り物)の堂が設けられ、大小240もの小祠堂が取り囲んでいます。
そのうちの一つが唯一中に入れました。
中の様子をマウスオンでご覧下さい


石像が揃わず、未だに放置されたままになっている遺跡の数々・・・
ここは観光公園になっていますが、まだまだこれからも修復工事が続けられていくのでしょうね。
日本などのODAや世界遺産基金への寄付が頼りなのかもしれませんが、この世界的不況はこのような文化遺産にも暗い影を落としているようでした。

折りしも、今日も横浜は小さな揺れを感じました。
この記事を打ちながら「早々に我家の防災グッズの点検をしなければ」と、強く思っています。



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