花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

年の瀬の「武相荘」と忘年会

2011年12月27日 | 美術館&史跡巡り

未曾有の震災に見舞われた2011年も、いよいよ押し迫ってきましたね。

3月11日の横浜は、深度5強の揺れで特に大きな被害はありませんでしたが、
計画停電を経験し、物不足に走り回り・・・
TVに写る「津波」の凄まじさに唖然とし
そして福島原発事故の恐怖は未だに消えず・・・

戦後間もなく生まれ、60数年間生きてきた私も、
今年は人生観がひっくり返るくらいにショックを受け、考えさせられた年でした。

それでも我が家の庭の「千両」は例年通り、たくさんの赤い実を付けています

珊瑚のような千両の実辛うじて残っているオレンジ色の千両です。

そんな中で、ゴソゴソと動く姿を発見つぶらな瞳のキジ鳩が、千両の実をつついています

慌てて網をかけ、お正月用の千両を確保しました。


でもまぁ~、鳥たちと分け合いながらも「門松」は出来上がり、
主人は顧客先に無事にお届けできました

門松や松飾は、元旦に神様が訪ねやすいようにとの目印だそうです。
我が家の門前にも、例年通り飾りましたよ。

12月22日、ご近所仲間と「武相荘」へ

去年の6月に、町田に住む高校時代の友人に案内されて行った「武相荘」
スケールの大きな白州次郎、正子夫妻の生き方がその住居にも溢れていて魅せられました。

ご近所仲間たちも「是非行きたい」と夏の頃から話していましたが
皆忙しい身・・・
ようやく4人のスケジュールが合い実行できたのは
年も押し迫ったこの時期になってしまいましたゎ

ならば忘年会もかねてと、暮れの大掃除もほったらかして女4人で行ってきました。


白洲次郎さんは、GHQ支配下の日本で吉田茂首相の側近として活躍し、
貿易庁(通商産業省)長官や東北電力会長等を歴任。
マッカーサーにも「ノー」と言った男としてNHKのTVでも紹介されていました。

寝言も英語で言うほどの語学堪能、日本で最初にジーパンを履いた伊達男
前回行った時、次郎さんの写真を見て私は一目ぼれ

武相荘の詳しい紹介と白州次郎さんの素敵な顔写真はこちらでご覧下さい。


正子さんは随筆家、そして骨董収集家として知られています。

伯爵家の生まれながら「韋駄天お正」と呼ばれたその行動力には、感嘆してしまいますね。

やっと揃った4人のご近所仲間もう24年のお付き合いですが・・・

以前は、映画に歌舞伎に文楽、そして美術館と、しょっちゅう一緒に楽しんでました。
年末の恒例行事はイルミネーション巡り・・・
4人で海外旅行も5~6回行きました

それが去年今年と皆いろいろあって、本当に久しぶりに顔を合わせました。


次郎さんや正子さんの私物が展示されているこの「武相荘」の建物の中は
すべて撮影禁止です。

出口になっているデッキには、この寒さの中、緑の蔓性の植物が目に入りました。
黄色い花が咲く「ウンナンロウバイ」だそうです。

それから広いお庭を散策します。紅葉が終って、野仏が佇んでいました。

最後にお茶処でお抹茶を戴き、しばしお喋り・・・
今回は小さなコンデジしか持って行きませんでしたが、ここも撮影禁止でした。


茅ヶ崎のイタリアンレストラン「ARIETTA」で忘年会

「武相荘」を見学してから相模線で茅ヶ崎に出て、サザン通りにあるイタリアンのお店に行きました。

仲間のK子さんの友人の娘さんがやっているお店だそうです。
「ARIETTA」とは風と言う意味・・・
湘南の風を感じながら、外のデッキではワンコたちとも一緒に食事ができるそうです。
お店の詳しい情報はこちらでどうぞ

まずワインで乾杯しました。チーズの盛り合わせが美味ディナーコースは前菜から始まります。


ガーリックが効いたサザエのエスカルゴ風皆が大好きなピザ、モッチモチ

カニ味噌がタップリの香ばしいパスタメーンディッシュはラムとホタテのグリル焼き

最後にショコラケーキとシャーベットが運ばれましたが、もうお腹がいっぱい・・・
気が付いたら9時半、4時間もお食事とお喋りに熱中し、撮影もおろそかになりました。

同じ町内の同じ班に住むご近所同士、話題はもっぱら地震の話。
千年以上前の貞観地震のあとは、10年以内に各地で大地震が頻発したそうです。
「私たちが生きている間に遭遇する可能性大ね

今月は、OL時代の仲間9人との忘年会で「銀座で和食」
クリスマスには孫達の好きな「焼肉屋」さんで、息子一家と食べ放題&飲み放題

そしてこの日のイタリアンディナー
わたくし体重計に乗るのがオソロシイです


今日はまたまた大掃除をほっぽりだして「一眼レフカメラの基礎講座」に参加

山や海外旅行に熱中していた40代・50代が第二の青春時代だとすれば、
今は第三の青春を楽しんでいるところでしょうか

帰路、我が家近くのショッピングセンター前ではこんな風景が
先日も演奏していた3人組です。

あのメジャーになった「ゆず」も、最初は横浜の伊勢佐木町のデパート前で路上ライブの日々・・・
この彼らはどうなりますか?

いろいろ遭った2011年の年の瀬の風景です。
来年こそは穏かな1年でありますようにと願わずにはいられません。

このブログを見てくださっている方々も、どうぞ良い年をお迎えください。
この1年間、拙いブログにお付き合い戴きましてありがとうございました


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ユズ泥棒と師走の「三渓園」

2011年12月23日 | カメラ教室

今年も残すところ1週間となりました。
流石にノーテンキな私も押入れの整理やガラス磨き・床磨きに追われています

合い間に友人達との忘年会や、買出し&銀行や郵便局廻りでバタバタし、なかなかはかどりません。
せわしない年の瀬ですが、せめてクリスマスの華やかさを我が家にもと
ポインセチアの鉢を購入
リビングがパァ~っと明るくなりました。


毎年同じ我が家のクリスマスグッズ
ご近所仲間と行ったロシア旅行の際に、
モスクワの青空市場で買った木彫りの「聖人人形」です。

昨日22日は冬至、一年中で一番昼が短い日でしたね。
この日はユズ湯に入り、カボチャを食べる日・・・

ところが我が家のユズは喰いちぎられ、庭に散乱一番小さいユズがたった一個残ったのみ

仕方がないので一個98円で買ってきましたよ。
スーパーで売っているユズは倍以上の大きさがあるのですね。
(主人が5kgもの夏みかんを戴いて来ましたが、柚子ももらってきて欲しかったわ)

ユズ泥棒の犯人は誰だ~


近年、我が家近辺でも多く見られる「台湾リス」です。
(この画像はネットのフリー画像屋サンからお借りしました)

我が家庭菜園の畑も被害が出ています。畑で見たリスの様子はこちらです

特定外来生物に指定されている「タイワンリス」が、鎌倉から神奈川県三浦半島地域を中心に増え
近年は横浜南部でも多く見られます。

キュッキュッ、キャッキャという鳴き声が毎日聞こえ、我が家の出窓の上を走り回る音も耳にします。
リスと言えば可愛いイメージですが・・・

生態系の破壊が懸念されるほか、農作物などへの被害もあり、
広域的な防除を求められた横須賀市は、生息地域に多数の檻を設置するなど、
本格的な捕獲に乗り出したとか

横浜市はまだそこまでやっていないようですが、我が家はお正月用の柚子が全滅ですわ

横浜「三渓園」
さて12月14日のカメラ教室の撮影会は、横浜市民にはお馴染みの「三渓園」でした。

当日はマークの予報、しかし幸い雨には遭わずに良かったのですが
せっかくの見事な紅葉が、鮮やかさに欠けて残念でした


こちらの画像は、正門入ってすぐの藤棚横から見た「大池」と「旧燈明寺三重の塔」

三渓園は明治から大正にかけて製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家
「原 三渓」(本名富太郎)が、東京湾に面した三の谷と呼ばれる谷あいに造り上げた
広さ約175,000㎡(53000坪)の日本庭園です。(パンフレットより)

※以下私の撮った画像を、パンフレットに書かれた三渓園の説明とともに紹介しますので、
お出かけの際の参考にして下さい。

蓮池にはあの高貴なお花の残骸が・・・今の季節の見頃のお花は山茶花です



こちらは京都東山「西方寺」にあった薬医門(御門)

明治39年(1906年)に一般公開された外苑と、三渓が私庭としていた内苑の二つからなり
京都や鎌倉などから集められた17棟の歴史的建造物と
四季折々の自然とがみごとに調和した景観が見所です。


御門横、「三渓記念館」前の最後の紅葉


「臨春閣」は紀州徳川家初代藩主の頼宣が和歌山県・紀ノ川沿いに建てた
数奇屋風書院つくりの別荘建築。


「臨春閣」前の池にかかる、とても絵になる橋です。


12月の中旬だというのに、まだまだ紅葉が見られてビックリ
晴れていればどんなにか美しかったことかと悔やまれました。


近い場所なので、忙しい師走でなかったら、お天気の良い日に再度撮影に行ったのですが・・・


桜やショウブの季節の三渓園は何度か行っていますが
紅葉の時期の三渓園は初めてでした。


京都のお寺の風景に匹敵するような・・・
思っていた以上に素敵な紅葉でした。

黄金色の絨毯です遊歩道の紅葉も見事でした


聴秋閣裏の遊歩道の階段を登って行くと、上からT子先生の声がしました。
「ここから素晴らしい景色が見えるからいらっしゃ~い」

三渓園の撮影ポイントです
「ほら、三重塔と橋と聴秋閣が一同に見えるでしょう」

「空に合わせて絞りを決めては駄目よ、F値はモミジで見てね。」
まだ明るすぎると、先生からはなかなかOKが出ませんでした


「聴秋閣」は京都・二条城にあったと言われる、家光・春日の局ゆかりの楼閣建築です。


江戸時代の古い建物と紅葉が情緒的な雰囲気をかもしだしています。

TVドラマ「坂の上の雲」のガイドブックによると、
伊藤博文邸の撮影はここ三渓園で撮られたそうですが、大いに納得できますね。


お食事処の周辺の紅葉も素晴らしくて、集合時間になっても皆中々集まりませんでした。


食事後は解散です。
私は半年先輩のSさんと三渓園会館で催されていた「写真展」を見てから、
お茶席の着物姿の女性達を写させて戴きました。

そしてお抹茶を一服所望(500円)
ちゃんとお点前をして戴き、モデルとしても協力して下さいました。

一脚を使い連写で撮るSさんと私を見て、着物姿の女性達は
「女性カメラマンってカッコイイですね~」と

「着物姿の皆さんの方がずっと素敵ですよ」
まだまだ初心者の私たち、自慢できるような写真が撮れません。
モニターを見せてくれと言われたらどうしようと、冷や汗物でしたよ


お茶席から見える中庭の紅葉も見事で、ガラス越に写させて戴きました。

こうして寒い一日、優雅な雰囲気の「三渓園」での撮影会を終えました。

今回の勉強は絞りの合わせ方と、一脚とレリーズの使い方を先生から教わった事
暮れの忙しい中でしたが、それなりに有意義な一日でした


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舞岡公園の紅葉とカワセミ

2011年12月17日 | 舞岡公園
突然真冬の寒波がやってきましたね。

師走に入って、晩秋の名残の小春日和を感じる穏かさと、
初冬のひんやりした寒さが交互にやって来ましたが・・・
今日12月17日から本格的な冬到来です。

カメラ教室の撮影会に備えて、一脚とレリーズを買いました。
早速14日の「三渓園」で使う予定でしたので、その前にちょっと予行練習と言うことで、
好天に恵まれた12月10日(金時山登山の前日)、スーパーに買い物に行ったついでに、
我が家近くの「舞岡公園」に寄りました。


春には桜が咲き誇る「おおばなの丘」の紅葉が見事でした

我が家近辺のイチョウ並木が全滅だったので期待はしていませんでしたが、
ここのモミジは何とか平年通りに色付いたようです。


まだ一脚はザックの中で出番はありません。


「もみじ休憩所」の周りの紅葉はすでに終わりに近い状態でした。
緑のまま枯れた木もあり、場所によって差がありますね。


舞岡公園は田園や雑木林の風景が広がる自然公園
起伏に富んだ谷戸(やと)の散策は四季折々の景観が楽しめます。

谷戸とは、台地や丘陵に小さな谷が複雑に刻み込まれた地形のこと
横浜南部の特徴ある田園風景が自然公園という形で保存されています。

夏に歩いた「舞岡公園」の田園風景をご覧下さいこちらです。


目にも鮮やかなモミジの紅葉が残っていましたが・・・
今年の紅葉はイマイチで、アップに耐えられる枝を見つけるのも一苦労です


舞岡公園は横浜市が管理していますが地元市民団体によって運営されていて
田んぼも畑も炭小屋も、地元のリタイヤ後のお父さんたちや若者たちが頑張っています。

そして「小谷戸の里」には歴史的建造物である明治時代の古民家が保存されています。
そこではボランティアさんたちが竹馬を作ったり、素朴な玩具を造ったりして
訪れる人たちが楽しく遊べるようになっています。

この日はボランティアさんが障子貼りを・・・こちらは草刈作業の後の打ち上げでしょうか?

先月のNHKニュースで、ここで作られ販売された草木灰から、国の基準を超えるセシウムが検出され
回収になったと知りましたこちらです。


南天の赤い実があちこちに・・・揺れるススキの穂に晩秋の風情を感じます。

今、東京近辺のゴミ焼却場の灰からも高濃度の放射能が検出されていると、ニュースになっていますね。
赤ちゃんが飲む粉ミルクからも、微量ながら検出されました

3.11の震災で制御不能となった「福島原発」の水素爆発で、ミスト状に舞い上がった放射能が
風と一緒に拡散し、その後の雨で各地の木々の葉や土壌に付着したようです


「さくらなみ池」では、カワセミの姿を見ました。
いよいよ300mmのレンズと、この日初デビューの一脚の出番です。

周りの撮り鳥のオジ様方は三脚に大砲のようなレンズを取り付けて、一脚ではたちうちできませんが・・・
辛うじてカワセミを撮る事ができました

あっと言う間に魚をキャッチし、シャッターが遅れるオレンジ色の胸元からお腹が粋ですね。

私はレリーズの正しい使い方が分らずにマゴマゴし、やはりブレてしまった


背中の瑠璃色も美しい
水辺の宝石と謳われる「カワセミ」ですね


カモのツガイも見られて、ここは水鳥の天国です。


駐車場横の「けやき広場」では、若者達やファミリーが球技を愉しんでいました。
平和な風景の「舞岡公園」です。

そんな中での「放射能汚染」騒ぎ
我々中高年は今更心配する必要もありませんが、問題は子供たち・・・
孫のいる身では気になります。

我が自治会の前会長さんが放射能の専門家
その方を講師に自治会で勉強会があり、私も出席しました。

今朝のNHKTVの「ニュース深読み」でも、専門の先生たちが出演していましたが・・・
結局現状では「自己責任で対処するしかない」というお話しでした

健康面では子や孫の世代で何事もなくても、
3代4代後の放射能の影響は、人類がまだ経験していないから「分らない」ことのようです

おりしも昨夜、野田総理は原発事故は収束と発表しましたが・・・
炉内もどうなっているか分らぬ状態での「安定宣言」とは



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忘年登山・地蔵堂から箱根「金時山」へ

2011年12月12日 | 山シリーズ

12月11日(日)、ピカピカに輝く「富士山」を見てきました
箱根「金時山」頂上からの眺めです。


山仲間3人で、小田急「新松田」駅発8:10の関本経由・地蔵堂行きのバスに乗り35分
(途中、矢倉岳への登山口がある矢倉沢で乗客の四分の三が下車)

終点の「地蔵堂」から「夕日の滝」を見て、金太郎コースを登り、
「金時山」の北側から頂上に至るコースを行きました。

私達は以前「矢倉岳」に登り、「万葉公園」から地蔵堂に下ったことがあります。
「金時山」は箱根側から何度か登っていますので、それを繋げるのが今回の目的


終点の地蔵堂で下車し、ストレッチと登山準備をし、AM9時から歩き出しました。
まずは「夕日の滝」を目ざして、しばらくは車道を歩いて行きます。

ここは金太郎の古里・・・
途中、金太郎の生家跡や遊んだという石などがあります。

「狩猟犬供養塔」前に猪の毛皮が干してある駐車場を左に曲がり赤い橋を渡ります。

夕日の滝は地蔵堂から表示板にしたがって歩いて15分
高さ約23m、夕日に映える美しさが名前の由来


「説によると毎年1月15日に太陽が、滝口の中央に沈むのでその名がついたと伝えられています」
と案内板には書かれていました。
 
金太郎はこの滝の水を産湯に使い、足柄山で育ったと言われており、
源頼光と主従関係を結び、坂田公時と名を改めたのもこの地だと伝えられています。

まさかり担いだ金太郎、熊にまたがりお馬の稽古
歌碑の前で、私たちも思わず歌いましたよ。


駐車場のあるキャンプ場(公衆トイレあり)に戻り、ここからいよいよ山道を登りだします。

地蔵堂から金時山まで標高差803m、滝経由でマップタイム2時間半
休憩時間を入れて3時間の予定です。


緩やかな登山道を登っていくと、20分で分岐に出ます。

右へ行くと足柄峠からの道と合流して夕日ノ滝分岐へ、
左へ行くと直接夕日ノ滝分岐への「金太郎コース」
私達は左の道を登りました。


このコースは川を2回渡ります。
大雨の後は避けた方が無難かも・・・

やがて木漏れ日の明るい道となりハコネダケ見られるようになると登山道には雪が

左前方に「金時山」が見えてきました。右手には丹沢連山が連なっています。


いきなり「富士山」がドカンと姿を現しました
眼下は「御殿場」の町でしょうか・・・

「足柄峠」からの道と合流する夕日ノ滝分岐(猪鼻砦)にはベンチがあり、
富士山を仰ぎながら一休みができる絶好の場所です。

夕日の滝駐車場から途中2回休憩を入れ、丁度2時間の登りでした。

ここから急登を40分で「金時山頂上」ですが・・・
下ってくるハイカーは皆さん口々に「雪が凍って滑りやすいから気をつけて」
と注意をしてくれます。


鳥居をくぐって、恐る恐る雪の階段を登って行きます
確かに雪が凍ってアイスバーンになっている


ロープを頼りに行きますが、いよいよ途中で危険を感じ軽アイゼンを靴に取り付けますが・・・
最近は殆んど使っていなかったので、どう着装していいのか

滑る雪の登山道で腰も冷え、かがむと痛む
下ってきたオジさんが手伝ってくれました。

その方は荒縄を靴に巻いていました。
通りがかりの女性は、ストッキングを三つ編みにした物を巻いたとか

鉄梯子を何度か登り、カメラ撮影はモチロン、周りの風景など見ている余裕もなく


雪の急登に取り付いて丁度1時間、12時40分「金時山頂上」(1213m)に到着しました。
予定時間をオーバーしましたが、皆無事でよかった


富士山の右側に「南アルプス」も見えていました。

この日の頂上は金時祭りが催されていて金時娘さんの小屋ではお餅つきが・・・

標高1213mの金時山にちなんで、12月13日に近い日曜日が祭りなのだそうです。

この日は座る場所もないくらいに混んでいました。
私達は比較的空いていたお隣の小屋で、トン汁を頼み、持ってきたおむすびを食べました。

「金時山北側の最後のアイスバーンが怖かったけど、楽しいコースだったわ」
「標高差は前回(笹子雁ヶ腹摺山)よりあるけど、時間かけて登ったからきつくはなかったわね」
「私たち共に山登りを始めて21年になるのよ。前回も今回も印象的な山登りになったわ」

「これで箱根の山のコースは殆んど登りつくして、もう残っていないわよ」
1時間ほどの楽しいお喋りタイムでした。


PM2時前に公時神社を目指して下ります。
遠く相模湾が光っていました。
午前には大島も見えていたそうです。


公時神社に下る南側の登山道は、ヌカルミこそあるものの雪は全く見られませんでした。
眼下に仙石原が広がり、大涌谷の噴煙が望めます。

1時間で公時神社に下り、来たバスに飛び乗り
最終的には「強羅」に出て、「強羅館」で白濁の温泉に入り
強羅駅横のお蕎麦屋さんで、でささやかな忘年会

ケァマネの仕事が忙しくて中々参加できなかったKさんも、腰を痛めて以来、
リハビリとストレス解消を兼ねて積極的に参加するようになり嬉しい限りです。
同年齢の私も同病相哀れむで頑張りますわ。

箱根は何時の季節に行っても明るくて、神奈川県民にとってはお馴染みの安心できる行楽地
ただ、冬は雪の可能性も考慮して、それなりの準備も大切と実感した山登りでした。

※今回の画像はすべて小さなコンデジで撮りました。
もう体力的に、登山に一眼レフカメラは無理のような気がします。



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ドラマ「坂の上の雲」と「阿蘇くじゅう国立公園の旅」そのⅥ

2011年12月08日 | 旅日記

前回も記しましたが、NHKの大河ドラマ「江姫」が終了し
12月4日から「坂の上の雲」第3部が始まりましたね。

"まことに小さなその国は、明治維新から文明開化を経て、日清・日露の戦争へ。
秋山好古、真之の兄弟と正岡子規。
ともに松山に生まれ、青雲の志を抱いた彼らは、
明治という近代日本の勃興期をいかに生きたのか・・・”

司馬遼太郎原作の壮大なドラマです。

第1部「青春編」に続いて第2部は「友情編」、
そして第3部は壮絶な戦い場面が続く「激動完結編」

「血沸き、肉踊ると言いながら、夫は熱心に見ています。

この後のキムタクのTVドラマ「南極物語」ではですから、
12月の日曜夜はしばらく興奮状態が続きそう・・・

私は原作を途中まで読みましたが、戦闘シーンの想像力欠如にて途中で頓挫したまま
TVの方が分りやすく、手に汗握りながら見ました。


この画像は今年の1月に行った横須賀の「三笠公園」の風景です。
渡哲也さん演じる連合艦隊司令長官・東郷平八郎の銅像が建っていました。

モックン演じる主人公の秋山真之は、この東郷平八郎率いる連合艦隊の作戦参謀なのです。


第3部は乃木将軍率いる陸軍の旅順攻撃作戦から始まりますが
ロシア側の機関銃などの新鋭兵器の前に、正面突破の日本軍は多くの犠牲者を出します。

司馬遼太郎の原作では、乃木将軍のことを無能だとしてかなり辛辣に書かれていますね。
カリスマ的人気があった乃木希典ですが、近代の戦というものを理解していなかったのでしょう。
「直接旅順を狙う作戦で勝てるはずがない
「203高地さえ奪えれば、そこから旅順港が眼下に望めるし」
「背後から大砲を打ち込めばロシア戦艦を撃沈できるんだ」
と夫は興奮しながら説明してくれます。

同じ長州出身の乃木希典と児玉源太郎の友情も絡んでの
これからの戦いが具体的にどう展開していくか楽しみです。

最後はバルチック艦隊を迎え撃つ「日本海海戦」で、
東郷元帥と補佐する秋山真之らが活躍、日本は大国ロシアに勝つのですが・・・


第2部の再放送も、BSでやっていました。
去年の感動が再び蘇り
完全に我が夫婦は「坂の上の雲」オタクモードに入っています。

前置きが長くなりましたが、第2部の最終回「広瀬死す」を見て感激し
(主人は、指揮官たるもの「杉野は何処~」などと一人の兵士を探し、
他の大勢を危険にさらす行為はおかしいと申していますが・・・)
実は今年4月に行った九州旅行の際に、「広瀬神社」に参拝する予定でした。

4月14日「耶馬溪」へ
師走に入り、私は九州「やまなみハイウェー紀行」が完結していないのが気になっていました
遅まきながらUP致します。

4月11日、羽田から大分に飛び、空港でレンタカーを借り、
1日目はやまなみハイウェーを走り長者原温泉に泊まりました。

2日目は「久住山登山」後、南阿蘇の一心行の大桜を見て阿蘇温泉泊まり

3日目は阿蘇巡りをしてから、黒川温泉三昧

4日目は由布岳登山の予定を断念し、ロープウェーで別府の「鶴見岳」

そして私達は鶴見岳を下ってから「広瀬神社」に行く予定でした。
主人はずっと大分空港近くにあると言っていましたから・・・


広瀬武夫と竹田市出身の戦没者を祀っている広瀬神社は豊後竹田にあります。
車のナビで調べてみると、豊後竹田は2日前に泊まった110kmも離れた阿蘇近く
「あなたが言っていた空港から近い国東半島にある町は豊後高田よ」

行ってきた道を戻る気にはなれず、計画を変更して「耶馬溪」に向かいました。  


大分県中津市に「耶馬溪」はありますが、
私たちが車を停めたのは「青の洞門と競秀峰」がある駐車場でした。

全国の紅葉の美しい岩場などが、時々「耶馬溪のようだ」と言われる事があります。
この日は4月14日、紅葉ならぬが咲いていましたが・・・

今年の耶馬溪の紅葉の画像をネットから借りました
「青の洞門」の周囲は黄葉が美しい私が描いていた耶馬溪の典型的な風景



駐車場から隧道に向う途中に、青の洞門を開削した実在の僧・禅海の銅像が建っていました。

「青の洞門と言えば小説”恩讐の彼方に”が有名だろ~」と夫は言いますが
「菊池寛の小説ね。でも私読んでいないから知らないわ」
(作者名はすぐに出てきますが内容は、暗記が主な受験勉強の弊害ですね


そんな事を話しながら、古い手掘りの洞門に入りました。

「恩讐の彼方に」のあらすじは、江戸の旗本で働いていた市九郎が、
主人の愛妾と通じて主人を殺し、江戸を出奔して非道な暮らしを送っていましたが、
自らの罪業に恐れをなし、出家します。

全国行脚の旅の最中に、羅漢寺に向かう山国川沿いの難所である「鎖渡し」で
馬子が亡くなる事故と遭遇し、難所を掘削する誓願を立て、
ついに洞門を貫通させるというお話だそうです。

左が現在の車が通る新しい隧道、右手が手掘りの洞門です


小説のモデルとなった禅海和尚は(市九郎の話は全くのフィクション)、托鉢により資金を集め、
享保20年(1735)から自らノミとツチをふるい、付近の村人の協力も得て
30年の歳月をかけて明和元年(1764)に全長360mにも及ぶ青の洞門を完成させたと言われています。


現在の洞門は当時とは大きく変わっていますが、
旧道には禅海が彫った当時の明かり採り窓や素掘の跡が残っています。

重機のない時代に、ノミとツチだけでの気の遠くなるような作業をよくぞ続けたものだと思います。

岩窟の古刹「羅漢寺」

そんな訳で、次ぎに訪ねたのがリフトに乗って行った「羅漢寺」

3770体もの石仏で有名な羅漢寺(らかんじ)は曹洞宗の寺院で、日本三大五百羅漢の一つです。


大化元年(645年)にインドから来た法道仙人(ほうどうせんにん)が開いたとされる
由緒ある古刹。
羅漢山の中腹の岩肌にしがみつくように建っています。


境内には、たくさんの願い事が記された「しゃもじ」が打ちつけらています。

「しゃもじ」で願い事を救う(すくう)ということで・・・
かなわぬ願いはないということのようです。

主人はここの和尚様と話が弾み、20分近く話し込んでいました。
こんな所にお住まいとは、本当に仙人のように見えました。


洞窟の境内には多くの羅漢像があり、「五百羅漢」の石仏が並んでいます。

主人が和尚様と話している間、私は家族や親類に似た顔が必ずあるはずと
ひたすら羅漢様を眺めていました。

※この旅行中、私はカメラのホワイトバランスの設定を間違いました。
お見苦しい画像で申し訳ございません


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上野の紅葉と横浜中心街の黄葉

2011年12月04日 | 我が街・横浜

師走に入ったとたん寒さがやってきましたね。
1日から3日までは冷たい雨が降り、4日の日曜日にようやく晴れました

今日は朝からピカピカの富士山が見えていて
今回は買い物帰りに寄った、我が家近くの公園で撮った暮れ行く富士山をUP致します。
三脚無しで写したため手ブレでボケていますが

我が住宅地の真ん中を貫く幹線道路に面し、我が家からも歩いて5分のコンビニに
今日の未明に強盗が押し入り、早朝からパトカーが20~30台やってきました

年末はなにかと慌しい上に、物騒なことが起こるのですね。

11月23日「上野東照宮」
11月の撮影会は上野動物園でした。
わたくし、動物の撮影は殆んど経験がなく、その上休日の動物園は大混雑で
満足な写真は撮れずじまい

でも帰りに寄った動物園横の「上野東照宮」で、静かな紅葉が楽しめました。


家康を祭った「東照宮」と言えば日光と久能山が有名ですが、上野にもあるのをご存知ですか?

1616年、危篤の家康公の病床に招かれた藤堂高虎と天海僧正は、
三人一つ所に末永く魂鎮まるところを作ってほしいという遺言を受けました。

そこで藤堂家の屋敷地であった上野に1627年に東照宮を造営し
1646年に正式に東照宮の宮号を授けられました(公式ホームページより)

国指定重要文化財の銅灯籠は48基参道両脇に整然と並んでいる石灯籠


1651年に三代将軍・徳川家光公が大規模に造営替えをしたものが、現存する社殿だそうです。

家光と言えば乳母の春日の局と、そして実母のお江様の確執が有名ですね。


こちらは1874年、深川木場組合奉献の「神楽殿」
屋根の勾配の美しさは都下随一といわれています。

毎年お花見の時期には御神楽の奉納が行われるとか。


NHKの大河ドラマ「江姫」も終わりました。
このお江と春日の局の間には、三代将軍の跡継ぎ問題を巡る熾烈な戦いがありましたが、
ドラマではやんわりと描かれていたような気がします。

主人のこのドラマの評価は最低で、秀吉の描き方に腹を立てすぐに観なくなりました。
私は昔、誰の原作かは覚えていませんが、お江の生涯を描いた小説を読み
とても心に残っていましたので、ドラマも最後まで観ました。

向井理が演じたお江の夫二代将軍秀忠も愛すべき人物として描かれていましたものね


「江姫」が終って「坂の上の雲・第三部」が始まりました。
この一週間、連日BSで、去年放送された第二部「友情編」が再放送され、
毎晩主人と感動しながら観ていました

昼間は師走の雑事に追われ、夜はTVに釘付けとなり・・・
PCに向かう時間がなくなり、スッカリご無沙汰してしまいました


ここの鐘楼は「鈴型」なのですね


「上野東照宮」は戦争や震災などの災厄に一度も倒れることなく、
江戸の面影をそのまま現在に残す貴重な文化財建造物ですが
実は今修理中なのです。

本殿の近くに寄ってよく見ると、ナント幕に描かれた画像でした
上手くできていて感心しましたよ。

11月30日・横浜関内から山下公園へ

私が属している「カメラ教室」の初代講師、今のT子先生の先生、
報道写真家の浜口タカシ氏「大震災の記録」展に行ってきました。

泥だらけのランドセルが干してある風景写真を見ただけで、
この東日本大震災の悲惨さが感じられ、胸が痛くなります。

大先生は、水俣病や神通川のイタイイタイ病などの被害者に眼を向けた写真集を出している
社会派の報道カメラマンです。


丁度この日、我が家にも配達される全国紙の横浜版に、
この写真展の紹介記事が載っていました。

孫弟子の女性6人で関内駅前のギャラリーを訪ねた時、大先生もいらしゃって歓待されました。
私は初めてお目にかかりましたが・・・


この時期関内の横浜スタジアムから続く「日本大通り」は、まさに銀杏並木の黄葉が見頃です。
カメラ仲間の我々は最初から撮影目的で、カメラ持参で行きました

サスペンスドラマによく出てくる「横浜地方裁判所」


この左手のレストランでランチ
パスタを戴きながらカメラ談義です。

様々な展覧会で入選している先輩達のお話しに、初心者の私はとても着いていけない
ちょっと違う世界に入ってしまったかしら

「あなたはきっと伸びるわよ。体力があるもの」と言われましたが
体力だけではとうてい無理
私に欠けている豊かな感性とカメラ技術が必要ですね。


相模湾に近い我が家近辺の銀杏は、台風15号の塩害で色付く前に落葉しましたが
東京湾に面する横浜の中心部は、例年より色付きが悪いものの、
黄金色の黄葉が見られました


こちらは「神奈川県庁・旧館」


「山下公園通り」の黄葉並木も見事です。
正面に見える建物は「ホテル・ニューグランド」


陽の光や風のあたり具合で色の付き方も違ってくるのでしょうか?
中には緑の葉も見えています。


山下公園に係留されている「氷川丸」

この船の見学記事はこちらです。


新しい地区の「みなとみらい」の建物が見えています。

水の守護神の像と子供たちワンちゃんたちの散歩コースでもあります。

この公園は1930年(昭和5年)に関東大震災復興事業の一つとして開園しました。
つまり震災で出た瓦礫を埋めてできた公園なのです。


横浜の港見物に便利な赤いくつバスが停まっています。

公園内には、横浜の波止場から異人さんに連れられてアメリカに渡ったという
「赤い靴の女の子」のブロンズ像もありますね。

この赤い靴の女の子は実在する女の子です。名前は「岩崎きみ」ちゃん。、
実際は結核に罹ってアメリカには行けず、9歳で孤児院で亡くなったという
哀しいお話しのようですが・・・

今回も長編となり恐縮です。
お忙しい中、最後までお読みいただいた方には感謝申しあげます。


コメント (24)
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