花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

新緑の「シダンゴ山」

2010年04月28日 | 山シリーズ
いよいよ大型連休が始まりますが、横浜地方は27日、28日と大雨に見舞われました
今年の春は晴れ間が長続きしませんね。

3月に宮ヶ瀬ダム近くの「仏果山」と「高取山」に登った時、
山仲間3人でスケジュール合わせをして、「4月の山登りは25日(日)」と決めました。
この日の天気予報は久しぶりのマーク

私は体調がイマイチでしたが「山を歩いて体をほぐした方が好いに違いない」と思い、
負担が軽くて簡単に歩ける丹沢前衛の山「シダンゴ山」に登る事にしました。


小田急「新松田駅」から、9時5分発の「寄(やどりき)行き」のバスに乗り終点で降りました。

中津川に架かる大寺橋を渡り、「シダンゴ山→」と書かれた案内板にしたがって急坂を登って行くと
やがて家並みを抜け、茶畑の間の道を行くようになります。

青空が広がり、緑の眩しい中「ミツバツツジ」のピンクが彩りを添えていました。

今回、山仲間のYさんからは「腰を痛めて、山登りは出来そうにありません」
というメールが届き、彼女は不参加です。

「仕事のストレスが溜まっているので、是非山登りで発散したい」という返事をくれた
ケァマネで介護事務所の副社長をしているKさんと2人でハイキングを楽しみました。


農道を20~30分登って行くと、頑丈な扉が現れます。
「イノシシよけ」の仕切りらしい・・・

実はこのコース、10年位前に今回不参加のYさんと歩いていますが、
前回は簡単な網の扉で「シカよけ」だったはずです。
近年はシカよりイノシシが増えたのでしょうか?


植林された杉林の中を登って行きます。
最初はなだらかな登山道ですが、杉がヒノキに代わりだんだん急登となっていきます。

ヒィ~ヒィ~言いながら、肺の底から息を吐くと、体に溜まったストレスや悪い「気」が抜けていくようでした。

「悪い"気"が集まるのが病院よ。できれば健康な人は行かない方がいい」
と言うのは気功をやって20年になる友人の話です。

その友人は何度も中国にまで気功の修行に行っていて、
場所によって「良い気」と「悪い気」が集まる所があり、「悪い気が集まる最たる所が病院」
なのだそうです。

どうりで親の付き添いで行くだけなのに、何故か?病院は疲れますものね。

ちなみに日本で一番「良い気」の強い所は長野県伊那の「分杭峠」です。
私が行った時には、日本全国からやってきた病気を治したい人々が
この峠の森の中で森林浴をしていました。


登山道を登りだして40~50分で青空が開け、ピンクのサクラが見えてきました。
頂上です。


ぱぁ~っと開けたシダンゴ山の山頂はアセビに囲まれた小広場で、石の祠が祀られていました。

右手に見える「鍋割山」の奥に丹沢主脈の「蛭が岳」の稜線が見えています。

これらの山々の左手に富士山の裾野がうっすらと見えていましたが、頭は残念ながら雲の中。
「電車の中から綺麗な富士山が見えたからヨシとしましょう」

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マウスオンでご覧下さい
私たちもここで腰を下ろし、オニギリを食べました。

4年前の春には3人で「鍋割山」にも登ったね。
そして10年前のゴールデンウィークには、あの「蛭が岳」までヘロヘロになって歩いたことを思い出し、
3人で山登りを楽しんできたこの20年間を懐かしみました。

3人が知り合った頃は子供たちもまだ10代で、受験生の母としての忙しさはあったけど
月に一度の山登りと、夏の3泊四日のアルプス縦走、そして春と秋の1泊登山は欠かさなかった・・・

今では3人とも老親の介護と孫の誕生でバタバタし、
そして自分自身の体力不足が加わり、中々ロングの山登りも出来なくなりました


頭上には、濃い目のピンクが可愛い「ヤマザクラ」


座った周りにはたくさんの「スミレ」


頂上の周囲には、終りに近い白い「アセビ」がたくさん植わっていました。
前回Yさんと来た時は春のお彼岸の頃で、このアセビが一面に咲いていたのを覚えています。

ゆっくり休んでから「田代向方面」に下ります。
うす暗い林の中の急な下りが続き、やがて鞍部に出ます。


「宮地山」までは新緑のトンネルの中を行く気持ちのよい登りが続きます。

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マウスオンでご覧下さい
萌黄色の新緑が、太陽の光に輝いていました
東京近辺の丹沢や奥多摩の山々は春の新緑の頃が一番美しいと思います。


足元には可愛い花々が・・・
こちらは「ミヤマキケマン」(山小屋さんのご指摘によりキケマンを訂正いたします)
紫ピンクの「ケマンソウ」は我が家の庭にも見られますが、この黄色は春の山に多い感じです。


「シダンゴ山」からおよそ1時間で、「宮地山」に到着します。
ここの頂上は見晴らしが利かないので、軽く水分をとりすぐに出発しました。


この時期の丹沢の山々には、一重の「ヤマブキ」がたくさん見られて
新緑の中にいっそう鮮やかに映えるヤマブキ色が楽しめます。

少し戻り「宮地山分岐」から右手の「大寺橋・自然管理センター→」方面の登山道を下ると
やがて頑丈なイノシシよけの扉が現れます。


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マウスオンでご覧下さい
ここはいっそう厳重な二重扉でした。
イノシシが増えているのでしょうか・・・?


柵の外側は茶畑が続き、典型的な日本の山里の春の風景が広がっていました。


この辺り一帯は「山北茶」の産地。
寒さでお茶の新芽も育っていないとTVのニュースで見ましたが、大丈夫でしょうか?

茶畑の横の急坂を小走りで下るとやがて大寺の集落に入り、朝渡った「大寺橋」に戻りました。


「大寺橋」の一部の欄干の立て格子を叩くと、それぞれ違う音が響き
端から順番に叩いていくと「お馬の親子」のメロディーが流れます

春の日差しの中、「中津川」の河原では親子連れが水遊びを楽しんでいました。
この一帯は「寄自然休暇村」として整備されているようでした。

橋を渡ったところの「寄(やどりき)バス停」がある「管理センター」には、付近の民俗や
自然の解説展示があり、駐車場やトイレ、売店もあります。

ここで私たちは竹の子やワラビ、山北茶を買い、1時35分のバスで新松田に戻りました。

爽やかな風の吹き渡る中を歩いた3時間半、
2人とも日頃のストレスが解消できて、心身ともにスッキリしました

※「寄(やどりき)行き」のバスは1時間に2本程度です。
詳しい時刻は富士急バス松田営業所(0465-82-1361)でお聞き下さい。

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新緑の鎌倉「円覚寺」と友の旅の顛末

2010年04月24日 | 鎌倉散策

今週は母の救急車騒ぎがあった上に、父の検査も始まり、
流石の私も連日の病院の付き添いに疲れ果て、昨日は帰宅後気分が悪くなり寝込んでしまいました
気温差の激しい天候も堪えますね。

久しぶりに晴れた21日(水)、孫達が大じ~じと大ば~ば(私の両親)の見舞いに行くと言っていたのですが
ハー君が風邪をひいて熱を出したので延期となりました。

私は一人で両親の様子見に行き、帰りに足を伸ばして北鎌倉の「円覚寺」に出かけて見ました。
この日は気温もグングン上がって半袖で歩ける気持ちの良い日だったのです

「円覚寺」はご覧の通り、眩しいばかりの新緑に包まれていましたよ


こちらは「三門」、この周りにはたくさんのモミジが見られました。

「円覚寺」は臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられています。
本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗・・・

このブログでも何度か紹介していますので、今回は詳しい事ははしょります。
お知りになりたい方はこちらをご覧下さい。

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マウスオンでモミジの花のアップもご覧下さい
あと一ヶ月もすれば、モミジの赤いヘリコプターが飛び出しますね。


今回の私の目的は、三門の左奥にあるこちらで「山野草」を見ることでした
癒しの時間が欲しかったのです。

なにやら「牡丹」も咲き出したようでした。


通路の右側には艶やかな「牡丹」が咲き乱れ、左側には可愛い山野草が並びます。

マウスオン・クリックで三種類のボタンをご覧下さい

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「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」
とは有名な美女の形容詞ですが、皆様はどのお花が好みでしょうか?

私は「ユリ」、それもヒメサユリが大好きですが・・・
そういえば3年前に行ったヒメサユリの大群落で有名な南会津の南郷村で買った「ヒメサユリ」の鉢植えが
その後全然芽を出しません。おっと話しがそれましたね。

「円覚寺の松嶺院」で珍しい山野草をたくさん見て、大いに心が癒されました
ここにご紹介した写真のお花以外にも、エビネやオダマキ、イチリンソウなどが咲き乱れていました。

初めて見た「ユキモチソウ」「ムサシアブミ」

癒されたといえば・・・
心配していた友人が3日遅れて、無事にイタリアから帰ってきました。

彼女は短大時代の仲間6人で、4月10日から「エーゲ海・アドリア海クルーズ」の旅に出かけていましたが
あのアイスランドの火山噴火の影響で帰りの飛行機が飛ばなくなり、ミラノで足止めされていたのです。

昨日、帰国後早々にTELをくれて、今回の旅の報告をしてくれました。
大変な出来事に巻き込まれたというのに、
彼女の口から語られると喜劇のお話しに聞こえてしまうのは何故かしら?
失礼ながら大笑いして、気分の悪さも吹き飛びました。


一重の「バイカカラマツ」

「旅先でイザという時の一番大事なものは現金と予備の薬よ」
というのが彼女の最初の言葉でした。

彼女達はベニス発着の豪華客船に乗り、地中海(正しくはアドリア海・エーゲ海と彼女から訂正がありました)を
航行し、「クロアチア」「ギリシャ」と巡り、最後はミラノに一泊してミラノ空港から帰国の予定でしたが、
最後の最後に添乗員さんから説明があり
「飛行機が飛びませんので、これから泊まるホテルを探します」と言われたそうです。
ほとんどの人が、日本の家族からのメールや電話でウスウス知ってはいたそうですが・・・

幸い大手の旅行社だったので提携先のミラノ郊外のホテルが決まり、寝る所は確保できたけど、
ここから先はすべて自費となり、旅行傷害保険も切れて使えなくなったそうな・・・
そして「帰国後の当社の代金の請求に対しては速やかに支払います」
という内容の書類にサインをさせられたそうです

ただし旅行社から延長1日につきホテル代5000円の補助は出ることになったけど
「帰りの飛行機代が自費なのかどうか判らないのよ。一体幾ら請求されるやら・・・」


「ツクバネ草」

「ホテルで朝食だけは付いたので、みんなでパンの争奪戦、あっと言う間になくなったわ」
「前日まではロングドレス着て連日ディナーパーティだったのに、いきなり難民になった気持ちよ」

「3日間、毎日路線バスに乗ってミラノの街に食料と水を買出しに行ったのよ」
「でもミラノは大きな街だから、何でも買えて良かったじゃない」

「いつまでかかるか判らないから、お金は出来るだけ使わず、食費も切り詰めたのよ」
「第一旅の最後で残っている現金だって乏しいし・・・」
「衣類は洗濯したけど、旅行用の化粧品もなくなって搾り出して使う有様よ」


「シャユキゲシ」

「3日目にローマに日本からの救援の飛行機が来て帰れる事になったけど・・・」
「多くのツァーが軍団になって、ボロバスに乗り8時間もかけてローマに移動」
「途中のトイレ休憩は大混雑するので食事や買い物は無理、
出発前にミラノで1日分の食料と水を買うようにと言われて大荷物」

「そしてローマの空港では時間がないということで、キャリーバッグを引き荷物抱えて走ったわ」


「ヤブイチゲ」

「持病があるからビジネスクラスで行こうかと迷っていたあなたが、大変だったわね~」
「人間イザという時は力が出るものね。膝や腰が悪いという仲間も皆必至で走ったわよ」
「私たちはまだ若い方なのでどうにか大丈夫だったけど、お年寄りが可哀想だったわ」

「ようやく飛行機に乗れてホッとして、機内食のシャケ弁当が出た時は涙が出たわよ」
「今回の旅ではあれが一番美味しかった」


そして最後に
「添乗員さんが一番大変そうだったけど、お陰で私たちはホテルにも泊まれて早く帰国もできた」
「これからの海外旅行はツァー以外は考えられなくなったわ」
と・・・

「とにかく無事に帰れて何よりだったわね」
私も笑いながら時々突っ込みを入れてたけど、最後は一緒にシンミリとしてしまいました。





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予期せぬ出来事

2010年04月20日 | 私の呟き
(八重咲きのバイカ・カラマツソウ)
月曜日の朝、掃除洗濯と済ませてコーヒーを飲んでいると、高校時代の友人からがあり
開口一番「私、本当なら今頃プラハにいるはずだったのよ」と呟きました。

「あら、そういえばご主人とヨーロッパ旅行に行くとは聞いていたけど、この時期だったの?」
あのアイスランドの火山噴火による航空機の運航中止で、
中欧旅行のツァーが、集合の成田空港でキャンセルになったらしい

「行ってから足止めを食うより、行く前で良かったじゃない。キャンセル料も戻ってきたのでしょう?」
「お金は全額戻ったけど気持ちが収まらないのよ。もう旅行モードにスイッチが入ってしまったのだから」
「ウンウン、よく分るわ」ということで、気分転換に翌日一緒に横浜でランチをする約束をしました。

(モミジバフウロを改め姫フウロとします)

ところが受話器を置いたすぐ後に、両親がお世話になっている施設からがあり
母が倒れて意識がなく「これから救急車で病院に搬送してもらいます」との連絡が入りました。
ええぇ~、父ではなくて今度は母
取るものも取り合えず我が家を飛び出し、車で指定された病院に駆けつけました。

運転しながら、「しばらくは私も病院に泊り込みかなぁ~」と覚悟を決め、
友人にTELして翌日のランチは取り止めました。

一瞬、喪服のことまで考えましたよ

(イチゴの花)

「今、検査中ですから」と言われ、救急車に乗り母に付き添って来てくれた施設の看護婦さんと
病院の暗い廊下で一時間ほど待ちました。

母は朝ご飯をいつものとおり食べて、車椅子に座りながら皆と話していたのが、
いつの間にか体を九の字に曲げて意識を失っていたそうで
スタッフさんが気づいて一旦ベッドに寝かせ、気道確保と酸素吸入をして救急車を呼んだそうです。

病院に着いて、医師が母に大きな声で「お名前は?」と問いかけたら
朦朧としながらも「○○です」と答えたとか・・・

弟夫婦も仕事先から駆けつけました

(姫リュウキンカ)

医師がやって来て、薬のことを施設の看護婦さんに色々聞いていました。

それからしばらくして検査結果が出たようです。
「どこにも異常は見つからず、意識もだいぶ戻ったので今日はこのまま帰ってもいいです」とのこと
「はぁ~」何だかキツネにつままれたようなお話しです

弟夫婦と一緒に医師の話を聞きました。
「CTスキャンを見ると、小脳にたくさんの梗塞がありますがどれも古いものです」
「とにかく眠くて意識が朦朧としていたようですね。」
「考えられるのは夜飲んでいる睡眠導入剤を、朝も間違えて飲んだかな?という疑い」・・・

でも施設側は絶対にそれはないと言っているし、結局ナゾのまま母は元気になって戻りました。

食欲も旺盛で、おぼつかない手つきでスプーンを操り、遅い昼食をむしゃむしゃと食べていましたが、
私は突然の出来事にあわてふためき、疲れ果てましたわ。

とかく予期せぬ出来事が起きた時、人間は冷静ではいられないものですが
今回はやがて来るであろう時の予行練習だったのかしら?
と思ったほどです

(ホウチャクソウ)

夜、主人と食事をしながら、日中の出来事を色々話しました。
私たちにも、母と同じ様な「隠れ脳梗塞」があるに違いないと・・・
これが増えれば、やがては「認知症」に繫がるのです

そんな話をしている時、TVのニュースで今回の航空機のヨーロッパ便欠航の余波が
旅行だけでなく、様々な現場で出てきていることを伝えていました。

生花、サーモン、野菜にチーズ、そして医薬品
その中には乳ガンや前立腺ガンの検査薬も含まれていて、品薄状態になっているらしい。

私は明後日、父の前立腺ガンの造影検査に立ち会うのですが大丈夫でしょうか?
遠くの国で起きた火山噴火が、私たちの身近にも影響を及ぼすとは意外でした。

(ハナズオウ)

主人とは友人の旅行中止の話しから、突然の自然災害時のツァー旅行はどうなるのか?
という話題にも話しが及びました。

サラリーマン時代は広告マンで、大手旅行社の広告も手がけていた夫です。
「災害などで、現地で足止めとなった時のホテル代が個人持ちかどうかは、旅行の約款次第だけど」
「緊急用のホテルを確保する力は大手の旅行社の方があるから安心」とのこと・・・

何事も無ければ小さな旅行社の格安ツァーでもどうということは無いけど、
何か遭ったときの対処が違うというのが主人の持論です。

ふと突然、4月10日から地中海クルーズの旅行に参加している友人のことを思い出しました。
彼女の旅は大手旅行会社のセレブなツァーだから、まさか空港に寝泊りしているとは思えませんが・・・
ロンドンの空港で「疲れました」と、インタビューに答えていた日本人旅行者の姿とダブります。

実は私も誘われたのですが、エジプト旅行で体力も財力も使い果たし、お断りした過程がありました。
友人のマルさんが無事に帰国できたかどうか?今夜TELしてみなくては

尚、今回の画像は今我が家の庭に咲いているお花を挿入いたしました。




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日本三大桜見物(2)・「薄墨温泉」と・・・

2010年04月18日 | 花シリーズ
「根尾谷の薄墨ザクラ」を見てから一週間が過ぎました。

あの翌々日から真冬のような寒さがやって来て
昨日などは東京都心もうっすらと雪化粧だったようですね
4月中旬の雪は41年ぶりだそうな・・・

41年前の4月17日のことは良く覚えています。
その頃、私はまだ初々しい(?)OLで、横浜の三沢に両親と住んでいました。

トロリーバスで横浜駅に出て、超満員の湘南電車に乗って丸の内の勤め先まで通勤していましたが
あの日は雪のため、バスが全然こなくて仕方なく横浜駅まで30分歩いたのです。
そして電車も遅れて会社は遅刻
でもビルの9Fから眺めた皇居の雪景色が素晴らしくて、今でもあの風景はハッキリと覚えています


さて「根尾谷の薄墨桜」の続きです。
杖に支えられ仙人のような風格の「薄墨桜」の周りには、たくさんの子孫が植えられていました
中には「吉野ザクラ」も混じっていて、公園内はふんわりと薄いピンクの濃淡に彩られていました。


奥の小さな古い神社の境内には、親のそばに控えるように「子供の薄墨ザクラ」が見事に育っています。
薄墨ザクラは蕾がピンクで、お花が咲くと白色になり、やがて薄墨色に染まるとか・・・
丁度満開のこの日は白い桜に見えました。


朝は晴れていたのですが、見上げると雲が広がり「花ぐもり」という言葉が相応しい日和です。
最後に出店で薄墨ザクラの苗を買って、10時半頃「薄墨公園」を後にしました。

「薄墨温泉」

次ぎに向かったのは、根尾川を7km遡ったところにある公営の「うすずみ温泉・四季彩館」
ホテルや道の駅が揃ったリゾート地のような所でした。


奥深い山里も満開の桜が咲きそろい、我々を出迎えてくれました。
「薄墨ザクラ」よりも色が濃い桜です。
昔、信州の高遠城址公園で見たのと同じ「コヒガンザクラ」でしょうか?


まずは日帰り入浴ができる「温泉館」に直行します。

うすずみ温泉の主成分はナトリウムイオンと塩素イオン。
海水を2~3倍に薄めたものと酷似しているそうで、はるか伊勢湾の太古の海水が源だと聞きました。




画像はお借りしました。

浴室は極めてオーソドックスな造りですが、ここで面白かったのは「五右衛門風呂」
釜を流用した一人用浴槽なのですが、これがジャグジーになっていて、ぶくぶく大きな泡が出ていました。

露天エリアには岩風呂と打たせ湯があり、塀の向うに根尾の山々が見渡せます。
新緑や紅葉の頃は特に美しいでしょうね。

温泉にユックリ浸かってから、個室で昼食をとりました。

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マウスオン・クリックで3枚の画像をご覧下さい
お食事はこの他にご飯とお吸い物、デザートが付いてお腹がいっぱい、満足!満足!

今回私たちが利用したのは前もっての予約が必要な「プライベートプラン」です。

私たちは1時間延長しての3時間を貸切、お食事のあとにお昼寝タイムをとりました
そして最後にもう一度温泉に入り、午後の4時に帰路に着きました。


この「薄墨温泉」には「道の駅」も隣接されていて、この地方の名産や野菜なども購入できます。
私たち3人の主婦はあれやこれやと買いましたよ。


午後の4時を過ぎても、「薄墨公園」に向かう国道157号線は大渋滞
私たちは朝、6kmの渋滞を50分かけて行きましたが、その三倍はありそうな車の行列です。
観光バスも多くて、日没までに「薄墨ザクラ」にたどり着けるのかと他人事ながら心配になりました。
桜のライトアップなどはなかったような・・・

我々は来た道を戻ります。
浜松を過ぎた頃、電光掲示板に「大井松田~東名町田間・事故渋滞25km」と書かれていました。

運転していた元神奈川県警勤務のW氏は「事故渋滞は片付けばすぐに流れるはず」
「途中のサービスエリアで夕食時間をとれば、大丈夫でしょう」と呟き・・・
私たちは足柄サービスエリアでラーメンを食べて一休み・・・
言われたとおりその後も渋滞はなくスイスイと車は進み、夜の10時45分に我が住宅地にたどり着きました。

往復900kmを運転して下さいました2人のご主人様、お疲れ様でした
今回のお花見を企画して下さったK子さん、お世話になりました
車を出していただいたWご夫妻、本当に有難うございました

              

こうして2年で「神代ザクラ」と「薄墨ザクラ」の苗が揃いましたが、「三春の滝ザクラ」の苗がまだありません。

実は私もK子さんも「三春」にはすでに行っているので、今回で「三大ザクラ」すべてを見たことになるのです。
さてさて「三春の滝ザクラの苗」はどこで手に入れましょう・・・

「三春の滝ザクラ」

こちらは5年前のH17年4月24日に、主人と見に行った満開の「三春の滝ザクラ」です。
丁度ブログを始めて10日目くらいに行ったのを覚えています。

という事は私のブログ生活も満5周年が過ぎ、6年目に入ったということです。

画像容量の意味を勘違いして、2年目に最初の三ヶ月分を消してしまいました
ですからこの「三春の滝ザクラ」の画像はここには残っていません。

これを機会に改めてUPさせていただきます。

「三春の滝ザクラ」は紅枝垂桜で、樹齢約1000年・・・
この日青空を背景に、綺麗なピンク色のお花が満開でした。
この年の(2005年1月)の大雪で頂部が折れたと聞きましたが、
杖に支えられているものの、畑の中で花を咲かせている姿はとても優雅で風格がありました。

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三春の滝桜
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子孫は三春の町や近くの中田町で立派に育っていました。
小さな画像にマウスオンしてご覧下さい
三枚目の画像の「中田の地蔵桜」は、「滝ザクラの娘」と言われているようです。

この時は、更に足を伸ばして「二本松城址公園」の桜を見てから会津若松に向かい、
東山温泉で一泊し、翌日「鶴ヶ城の桜」を堪能しました。
そちらの画像も合わせてご覧下さい。
天守閣から見えた山々は「安達太良連山」でしょうか?
それとも「吾妻連峰」?
5年前の事で忘れています。

「花と緑を追いかけて」という題名を意識しているために、旅行記や花めぐりを中心に綴っていますが
そこに私の日常の呟きが入り混じり、長くて読みづらいブログとなっております
丁度5年が過ぎましたが反省しきりですヮ。

この辺で、写真中心のアルバム的なブログと、日記的な呟きのブログに分けたいところですが・・・
写真も「芸術性」には程遠く、文章もズラズラ並べるだけで自信がなく・・・
その上、最近の私は落着かない日々を過ごしていて、一つのブログも満足に更新できない状態

構想は色々ありますが、これからも手探りで何とか続けて行きたいと思っておりますので
六年目もどうぞ宜しくお願い致します。

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日本三大桜見物(1)・「根尾谷の薄墨ザクラ」

2010年04月13日 | 花シリーズ

「春に3日の晴れ間無し」とは昔から言われますが、日替わりでお天気が変り、
気温も初夏の暖かさになったり冬に舞い戻ったりの乱高下の日々が続いています。

そんな中、4月10日の土曜日にご近所仲間の面々と車で、
日本三大桜の一つ「岐阜・根尾谷の薄墨サクラ」を見に行ってきました。
当日はお天気にも恵まれ、丁度満開となった「薄墨サクラ」を楽しむことができました。


このサクラは、最盛期を過ぎる頃から、やや淡い墨色を帯びるという・・・
淡墨桜の名はそれに由来するものですが、この日は丁度満開になったばかりで
「ソメイヨシノ」よりも小ぶりで控え目なピンク色
楚々とした美しさの中、シベの部分のほんのりとした紅色がとても色っぽさを感じさせるサクラです。

13日現在まだ「満開」という情報ですので、今週はまさに薄墨色の桜が見られるかもしれません。
ライブカメラと詳しい情報はこちらです。


逆光で撮ってみました
宇野千代さんもこのサクラをモデルにした「薄墨の桜」という小説を書いているそうです。
華やかさはないものの、何となく内に秘めたる情念がチラチラとにじみ出ているサクラですね。

<往復900kmの日帰り弾丸ドライブ>
去年の4月4日にご近所仲間3夫婦6人で、三大桜の一つ山梨の「山高神代サクラ」を見に行きました。
その折
「今は皆元気で遠出のサクラ見物も出来るけど、歳をとって行けなくなったら我が家近くでお花見が出来るように」
と「神代サクラ」の子孫の苗を買い、近所の公園に植えました
その時に「次回は岐阜の薄墨ザクラ」と決めたのです。

皆の都合が唯一合った4月10日(土)、早朝2時半に我が住宅地を出発しました。
(我が家の夫だけが「雨続きで仕事が終わらない」との理由でキャンセルしましたが)
今年もW家の7人乗りのワゴン車を出してもらって行きました

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東名高速道路を吹っ飛ばし、およそ3時間半で名古屋です。
途中トイレ休憩1回と朝食タイムを1回取り、ナビの指示どおり「北陸東海自動車道・各務原インター」で降りました。
通常7500円の高速道路代が1250円
この土日割引も6月にはなくなり上限2000円になるそうな・・・?

岐阜市を通り抜け本巣市に入り、更に山あいの道を進むと綺麗な山が見えてきました
「能郷白山」(1617m)のようです。マウスオンでご覧下さい 

ところがこの山が見え出した辺りから渋滞が始まったのです。
「薄墨公園まで6km」という看板が見えていました。


渋滞の中の6kmを50分かけてノロノロ進み、朝の9時15分にようやく駐車場に車を停めました。
「薄墨サクラ」のある所まで、お土産屋サンがズラリと並んでいて・・・
帰りに「薄墨ザクラ」の苗を買うことにします。


流石にお天気に恵まれた土曜日、人出はご覧の通りの凄まじさでした。
薄墨サクラは全体的にお花が小粒で色が薄い感じがします。


樹齢1500年の「薄墨ザクラ」の詳しいことはこちらの表示板に書いてありました。
ここには「和名・ウバヒガン」と書かれていますが、エドヒガン系の桜のようです。

幼時この地で育った継体天皇(在位507~31)が皇位を継ぐために上洛される際、「形見としてお手植えされた」
という伝承があるようですね。

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山高神代サクラと同じ様に、たくさんの杖に守られた国の天然記念物の「薄墨サクラ」の周りを一回りしてみました。
マウスオン・クリックで、横からの姿、後からの姿の三枚の画像をご覧下さい


1500年もの長い間を生き抜いてきたサクラの幹です。

戦後まもなく枯れそうになったことがあり、死を見守る以外に術はないと思われました。
その時、岐阜の歯科医前田利行氏が若い個体の根を238本も根接ぎする大手術を施し、
奇跡的に樹勢を回復することができたとか・・・
彼は樹木医の先駆者であったそうです。

こうして仙人のようなサクラの古木は、地元の人々に支えられ今でも見事なお花を咲かせているのですね。



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エジプト紀行その8・「切りかけのオベリスク」

2010年04月09日 | エジプト紀行

古代からアスワン周辺はピラミッドや神殿に用いられた花崗岩の産地で、
ここから切り出された石材はナイル増水時に船でエジプト各地に運ばれました。

アスワン郊外にある古王国時代から開発されていた石切り場には、
今でも切りかけのオベリスクが残っていました

その長さは約42m・・・
完成していれば、現存するオベリスクの中では最大級の物ですが
製作中にヒビが入ってしまったため、そのまま放置されたようです。


まずは一同腰をおろし、モモちゃんの勉強会から始まりました。

オベリスクはまず切り出す大きさに溝を作り
そこに木製のくさびを打ち込み
水をかけて木材が膨張する力で亀裂を生じさせ切り出すとか・・・
切り口はほとんど凸凹がなく滑らかに切れるそうです

世界中に現存しているオベリスクは合計で30本だといわれています。
そのうちオベリスク発祥の地、エジプトには7本しか残っていません。
「たくさんのオベリスクがエジプトには在ったのに、そのほとんどを戦利品として盗られました
とモモちゃんは残念そうにつぶやいていました。

古代ローマ帝国がエジプトを支配下に収めたとき、
エジプトから50本ものオベリスクを本国ローマに持ち帰ったと伝えられていますが
その殆どが現在発見されていない状態で、ローマには13本のオベリスクが残されているのみです。

そのほかの10本のオベリスクに関しては、
イタリア各地、トルコ、イスラエル、フランス、アメリカ、イギリスなどに点在しています。
フランス・パリのコンコルド広場のオベリスクも有名ですね。


モモちゃんの説明が終わってから、各自石切り場の丘を登りました。
明らかに溝が掘られ表面が滑らかな長い石が横たわっています。
以前はこのオベリスクの上に登れたようですが、今は立ち入り禁止・・・


更にひと登りするとアスワンの町が見渡せました。
乾いた風は爽やかでしたが、照りつける太陽が強烈で、みんな帽子やフードを目深くかぶります。

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下を見下ろすと私たち仲間4人の影か見えています。。マウスオンでご覧下さい

「みんなでハ~イ、ポーズ」号令をかけてカメラで写しているのが私です


石切り場のてっぺんから、ヌビアの人々が暮らす家々が望めます。
もともとエジプトとヌビアはそれぞれ独立した別の国でした。

広大なヌビアの大地は金や銅を初めとする鉱物資源に恵まれていたため、
ヌビア人は小さな集団を形成していました。

現在ヌビアという国は存在しませんが、年中行事や冠婚葬祭、音楽や建築、衣装に見られるスタイル
エキゾチックな風貌などエジプトとは違う、ヌビアとしての独自性が色濃く残っています。


石切り場の丘を下ってお土産屋さんの並ぶ通路を通り、
トイレに寄ってからバスに戻ると「ランチボックス」を手渡されました。

これからいよいよ280km南にある、エジプト観光のハイライト「アブシンベル」に向かいます。

午後12時半、すべての観光バスは軍団になって、パトカー先導で行くようです。

エジプトではイスラム原理主義のテロによって亡くなった人は、
1992年から98年までにかけての6年間だけでも観光客地元民含めて1100人にものぼるとか・・・

特に1997年のルクソールの「ハトシェブスト女王葬祭殿」での出来事は戦慄でしたね。
日本人観光客10人を含め、68人がテロにより亡くなりました。

それ以来観光客は激減、特に日本からのツァーはいつまでも再開されず
観光立国のエジプトには多大な痛手となったそうです(そこがテロリストの狙い目?)
それで日本大使館と話し合いが行われ、このようなパトカー先導で行く措置がとられたとか・・・

モモちゃんに言わせると
「パトカー先導、こわ~いというのが日本人」
「おもしろ~い、というのが西欧人」なのだそうです。


警察官の見送りを受け出発です。
バスの中からはパトカーの姿は見えませんから、物々しさは特に感じられません。

たとえテロの心配がなくても、このようなアラビア語の標識では、
オーストラリアのようにレンタカーを借りて個人で行こうにも無理がありますね。


こちらは速度標識でしょうか・・・
どの車も凄いスピードで走り、守られているとも思えませんでした。

朝ごはんは、早朝のカイロ空港でお弁当のパンとチーズとヨーグルトを食べただけですから
流石にお腹がすきました。


こちらが「ランチボックス」の中味です。
炒めご飯とコッペパン・・・
パンの間に鳥の唐揚げをちぎってピクルスと一緒に挟んで食べたら、それなりに美味しかったですね。

後の席に座っていた泉アキさんが覗き込んで、「私、青唐辛子が大好き!」と言うので
お分けしましたわ。


広大な砂漠の中に送電線がどこまでも通じていました。
アスワンハイダムが出来て以来、有り余るほどにエジプトの電力事情は良くなったそうです。

砂漠街道をバスは速度を増して走ります。
その内、皆がコックリコックリ舟を漕ぎ出しました
この2日間、ほとんど寝る時間がありませんでしたものね。

          

ご報告です。
全身麻酔で行う父の二泊3日の検査入院の予約を来週に入れたのですが、
不安がいっぱいで眠れない日が続き・・・
一昨日、「あなたも真剣に考えて!」と弟を誘いだし、一緒に病院の主治医と再度話し合いました。
先生も「無理には勧めません」と言ってくれましたので、結局キャンセルしてきました。

今更手術も出来ないのに、リスクの高い検査をしてどうするの!といった心境だったのですが、
一人で決断するには重すぎて、弟にも一緒に考えてもらいました。
これで後悔したとしても、2人で決めたことですから重荷は半分です。
姉妹がたくさんいらっしゃる方々を羨ましく思ったこの数週間でしたよ。

患部は前立腺なのでこれからホルモン療法に入ります。
まだまだCTスキャンやMRIの検査はあり、すべてはこれからなのですが・・・
取り合えず最初の難問は通り抜けてほっとしました。

昨日はピカピカのお天気の中、花のお江戸に繰り出し、そして明日はお花見に出かけます。
私も気持ち的にようやくを感じることができました。
ご心配いただいた皆様、ありがとうございました


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エジプト紀行その7・「イシス神殿」

2010年04月06日 | エジプト紀行

「イシス神殿」のあるフィラエ島はアスワンダムの上流・アスワンハイダムの下流といった場所に位置します。
フェリーボートに乗って10分、フィラエ島(旧アギルキア島)の桟橋を降りると正面に第一塔門が見えてきて
桟橋から、この第一塔門までは美しい列柱が続いていました。

この第一塔門の右側にはホルス神を中心にイシス女神らが、
左側には敵を打ちすえるファラオが刻まれています。


この島は神話の世界の神であるオシリス神の島であり、オシリスの妹であり妻でもある
イシス女神が息子ホルス神を生んだ島「聖地」として崇められていました。

古代エジプト末期王朝頃(クレオパトラの父の時代頃)にフィラエ島にイシス女神を祀る神殿が築かれ
緑の美しさともあいまって「ナイルの真珠」と呼ばれてきました。

しかし、この神殿もアスワン・ハイダムができ、水没する運命に・・・
そこで、お隣にあったアギルギア島に神殿は移築されました。

それにしても異国の神話の世界は難しい・・・
ガイドのモモちゃんは即興劇したてで説明をしてくれました。

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マウスオンでご覧下さい
イシス女神の役はタレントの泉アキさん、夫のオシリス神は桂菊丸さん。
息子ホルスとその妻ハトホル役はもう一組のご夫婦が演じます。
絶妙なキャストですね。

エジプトの神話を簡単に説明すると・・・
オシリスは弟であるセト神に殺されてしまい、死体をばらばらにされます。
(菊丸さんは早々に退場)
それを妹であり妻であるイシス女神が拾い集め、オシリス神を復活させ、オシリスは冥界の王となりました。

イシス女神はオシリス神の妻であるとともに、ホルス神の母として尊敬されています。
死者の保護者としても描かれることが多く、頭の上に、日輪と牝牛の角や玉座を乗せているのが特徴です。

ホルス神は、ハヤブサの頭を持つ天空の神。
ファラオはホルス神の地上での化身とされました。


神話の中の神様同士の関係を教わってから、神殿の中に入りました。


第二塔門の中央には、ハヤブサの頭を持つホルス神が彫られています。
このホルスは来る時に乗ってきたエジプト航空機のマークにもなっていましたね。


こちらは牡牛の耳を持つ、愛と喜びの女神ハトホルの顔を彫り込んだ柱です。
ハトホルはホルスの妻なので、この神殿にはハトホル柱が多いようでした。


神殿の中は壁一面に美しいレリーフが刻まれています。

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マウスオンでご覧下さい
イシス女神がホルス神を生んだ地とされるだけあって、
この神殿には母としてのイシスを描いたレリーフが多くありました。
一枚目はホルス神に立ったままお乳を飲ませているイシス女神です。

二枚目は神の顔の向きにより、ヒエログリフ(象形文字)で書かれた文章の
初めと終りが分るというモモちゃんの説明を受けたレリーフです。
「左を向いた顔の絵のところから文章は始まり、右を向いた絵のところで終わる」だったかな~?


中には女神が削られていたり、上からキリスト教の十字架が刻まれたりもしています。
キリストに祈りを捧げる礼拝堂の跡らしきものもありました。
後々ここはキリシタンの隠れ場所にもなったようですね。

イシスとホルスの母子の姿は、キリスト教徒にとっても「マリアとイエスキリスト」の姿に
ダブルものがあったとモモちゃんは話していました。


朝の9時過ぎ、モモちゃんの説明が終わって外に出てみると、
エジプト南部の強烈な太陽が照りだしていました。

私たちは「明日見学の予定の神殿を今日に変更」と言われ、何の予備知識もなくバスを降り
まさかの船の移動・・・
帽子すら持ってこなかったので慌てました。


長方形の建物は「トラヤヌス帝のキオスク」
神殿で儀式をするとき、船で帰還したイシスの休憩場所として造られたそうです。


14本の柱で構成され、神々とトラヤヌス帝のレリーフがありました。


ポールが建っている一帯がほとんど水没した「旧フェラエ島」
ユネスコが中心になり、この「イシス神殿」は隣の島に移築され、1980年に完成しました。

今では神殿の建つこちらの島が「フェラエ島」と呼ばれているそうです。


来た時と同じ様に再び船に乗り、バスに戻ります。
船の中から「イシス神殿」の全体の姿が見えてきました。


正面の長い長い堰は1902年に完成した古い「アスワンダム」


ヌビアの人々が暮らす町が見えてきました。
もうすぐ船着場です。


       

サクラは満開になりましたが、なかなかお天気に恵まれず、
未だに綺麗なサクラをジックリと見てはいません。

4日の日曜日は、今にも雨が降り出しそうな中、主人が中心となり
皆で息子宅の庭の造園仕事に頑張りました。

息子宅の目の前のテニスコートにも隣の公園にも、たくさんのサクラが咲いていましたから、
ここからの眺めで満足しましょう

日が暮れてから皆で大船の「日帰り温泉」に出かけました。
ユックリお風呂に入りお食事もここでマッタリと楽しみました

春休みなのに精神的に余裕がなく、孫達と一緒に遊べなかったばぁ~ばのおごりです。

TBSテレビ「世界遺産・ナイルの源流を訪ねて」

こちらの画像はTVに映し出された「ナイルの始まりの一滴」です。

私が毎週楽しみにしている番組に、日曜日の午後6時からのTBS「世界遺産」シリーズがあります。

4月4日は「ナイルの源流へ・ルウェンゾリ山地国立公園」をやっていました。
これは見逃すわけには行きません。
みんなで温泉に行っていたので録画をしておきましたよ。


アフリカを流れるナイル川は、全長約6650メートルの世界最長級の河川。
古代の歴史家が「エジプトはナイル川の賜物」と表現したように、ナイル川はエジプト文明をはじめ、
その流域の人間の文化や生活に昔も今もさまざまな影響を与え続けてきた偉大な自然であります。
ウガンダのルウェンゾリ山地国立公園は、そのナイル川の"源”を抱いた山々がある世界遺産です。
(TBSテレビより)


2世紀の地理学者であるプトレマイオス・クラウディオスが作成した地図に、
ナイル川の水源のある「月の山」が描かれていました。

19世紀当時、大河の源流の発見者になるのは大変な名誉で、
冒険家たちは伝説の「月の山」を目指してナイル川上流の未開の地へ踏み込んでいっていたのです。
そして1889年に、イギリス出身の冒険家、ヘンリー・モートン・スタンリーが
ヨーロッパ人として初めてルウェンゾリ山地を発見しました。
(TBSテレビより)


一般的には「ビクトリア湖」がナイル源流と言われていて、湖畔にはその碑も建っているようですが
まだまだ先があったのです。


アフリカ大陸第三位の高さを誇るルエンゾリ山地のマルガリータ峰(5109m)頂上付近の氷河から
最初の一滴が流れ出た「ナイル」は、やがて大河となって地中海に注ぐのです。

私たちはその一番下流のエジプトの「ナイル」をしっかりと堪能してきたわけですね。

さて・・・
父の容態をこのブログで綴りましたが、たくさんの皆様に励ましをいただき有難うございました。
これを読んだ友人達からも電話でアドバイスをいただいたりと、
とても心強く感じ感謝しております


施設の担当医に「是非に!」と勧められ、細胞検査を受ける方向で予約を入れましたが
「2泊3日の全身麻酔」と主治医から言われて再び迷い始めました。

従兄弟のコーちゃんからも「全身麻酔はやめた方がいい」という助言もあり、
明日、弟と一緒にもう一度総合病院の主治医と話し合うことにしました。

最近のお天気のように、私の心は相変わらず乱れています。


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