花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

「道の会」懇親会と、高齢化が進む我街を想う

2016年10月28日 | 日常の日記
先週、新潟の当間高原から帰ってきた日の東京の最高気温は27.5度だったとか・・・
あれから一週間、季節は進み急に寒くなりました。

今朝は我が家もエアコンの暖房を入れましたわ。

防犯パトロール「道の会」の懇親会
ちょっとお話は戻りますが・・・
ホトトギスが咲きそろった今月初めの日曜の夜に、
私が属している「道の会」の親睦会が、我住宅地の自治会館で催されました。



会費は女性1000円、男性1500円
日頃お世話になっているからと、地元の酒屋さんから日本酒の一升瓶やワインなどの差し入れがあるから
この値段でできるのですが・・・

予算内でお弁当やおつまみなどを準備する幹事さんのやりくりに感嘆いたします。



庭に咲いている秋の花々を生けて、味気ない会議室を彩る幹事さんの感性にも拍手ですね
(ちなみに来年は私と、〇〇さんご夫妻が幹事と指名されましたわ)

この会に入会し二年になります。
2年前の真夏に夫が突然亡くなって、何が何だか分からない日々・・・
寸前まで仕事をし、社会生活を送っていた彼の後片付けは本当に大変でした

そんな中、寒さに向かって移りゆく秋の風情が哀しみをより深くし、
独りで黙々と夫の名前を消していく作業に、精神的に危うくなる自分を感じ・・・
この会に入れていただき私は「ウツ」にならずに済みました。




一時間の防犯パトロールで住宅街を歩いて6500歩~7000歩・・・
歩き足りなかったり、誰とも話をしなかった日は必ず参加し、お仲間と歩いて喋って私は救われています。

「医師に家に引きこもらないで、日々歩いて人とふれ合い話しなさいと言われ、この会に入れていただきました。」
「お蔭さまで元気になり、夫亡きあと6~7キロ痩せた体重が三分の二ほど戻り、この辺で止めたいと思っている昨今です」
と・・・
一人一人の挨拶の時に感謝しました。

昨年の様子はこちらです。

我が家の庭の花々と、住宅地の高齢化を考える
夕方防犯パトロールで歩いていると、思いもかけない事例に出会います。

初夏の夕方、まだ明るい時間のパトロール中、道端で倒れているお爺様を見つけました。
すぐに救急車を手配し、杖に書かれていた電話番号に連絡すると、娘さんだかお嫁さんだかが駆けつけました。
大事には至らなかったようでまずは良かった!良かった!

秋バラもそろそろ終わりです。



パトロール仲間にもらったジニアは7・8・9・10月と長い間、夫の遺影の前に飾ることができました。
今最後の数輪が咲いています

2週間前、我住宅地内で火災がありました。幹線道路に面した一軒家・・・
パトロールで集合した時、消防自動車が8台も駆けつけていました。

全焼だったようです。

幸い両隣が3階建てのビルで、延焼は免れたようですが・・・
翌日の新聞のローカル版に98歳のご主人が亡くなったと記されていました。
90歳の奥様はお買い物に行っていて難を逃れたとの事

90歳と98歳の夫婦が二人で暮らしている現状が、高齢化が進む今の時代の象徴のような気がします



秋バラもジニア(百日草)も終わりに近づき、代わりに小菊が咲きだしました。
これからはこの小菊を夫の前に手向けましょう。

火災のあったお宅に子供さんが居たとしたら、さぞかし悔いて切ない思いをしている事と思います
ひと昔前までは、親が歳をとったら子供が同居するのが当たり前の時代でした。

主人の実家の場合、長兄一家が実家近くの社宅に住んでいましたが・・・
義母が72歳の頃、兄が実家を訪ねた際、(電気ポットがない時代)義母がお茶を出すために
ヤカンでお湯を沸かした時、生ガスを焚いたらしい

「働き盛りの子供が5人も居るのに、70を過ぎた老人2人住まいで万が一火を出してご近所に迷惑かけたら目も当てられない」と
「まだまだ二人で頑張れる!」という義母の阻止を振り切り、
義兄は自分の所の家具や電化製品のほとんどを処分して、強引に家族五人で実家に入り同居したらしい・・・

我が家が丁度札幌転勤で、上の姉の一家が大阪転勤で引っ越した年でした。
昔は長男教育がしっかりとなされていましたものね。

今は親の世代も子供の世代も「気を遣うのはまっぴら」という思いが強い
そうして住宅地は高齢化が進み、圧倒的に70歳以上の夫婦二人暮らしの家が増えています。




今日はお昼前から冷たい雨となり、庭の色付きだした千両も濡れていました。
もう門松を造る人も居なくなりましたが、鳥さんたちの餌になっているようで
ザクザク切ってしまうのもためらいました。


去年の秋に91歳のご主人さまを亡くし、小田急沿線に住む息子さんのお宅近くのマンションに移られていた
ご近所の88歳のお婆様が戻ってきました。

大きな病院の医院長をなさっている息子さんが、自分の家のすぐ前の駅近マンションを買ってくれて、
老後は息子さんが経営する老人ホームに入ることができる環境をとても羨ましく思いましたが・・・

「新しいマンションは知らない人ばかりで淋しくて鬱になりそう、主人との思い出がある横浜に帰りたい」と、
おばぁ~様はいつもお電話で仰っていました。

「幾ら息子宅が近くても彼は忙しい身、私の孤独死は大いにあり得る。それなら横浜の一軒家でも同じこと」
「友人も近くて、ご近所も顔なじみの横浜が良い」と、息子さんを説得して戻ってきたそうです。

私よりもずっと年上で、息子さんは病院と老人ホームを経営していて・・・
老後の心配もない状況でも、ご主人を亡くした淋しさは私と変わりません。


人間、老後どのような環境が幸せなのかは人それぞれですが、住み慣れた所で過ごすのが一番のようですね。

畑作業も終盤です
昨日今日と畑作業をしました。
茂ったゴーヤを片づけ、ホウレン草のタネを蒔きました。



4月にハイキングに行った時、100円で買える農家の無人販売所で手に入れた里芋を植えました。
それが今茂って、そろそろ採り入れ時となりました。

左右の畑の方々の里芋と茎の色が違って赤い色をしています。
これって赤目芋で茎は「ズイキ」で食べられる

9月末に蒔いた小松菜も、ようやく間引き乍ら食べられるようになりました。



9月上旬に蒔いた大根は台風の大雨に流され、中旬に蒔きなおしましたが、何とか茂ってくれました
今年は本当に雨に泣かされましたね。



昨日収穫した里いもと大根菜も使って「トン汁」を作りました。
ぽくぽくと美味しい里芋でしたわ



今日は山のように採れたゴーヤと竹輪のかき揚げを作るつもり・・・
同じ畑をやっている方からサツマイモを頂きましたから、これも天ぷらにいたしましょう。

たくさん作って、88歳で一人暮らしを始めたご近所さんにも持って行きましょうか~?
親しい友人が一週間泊まり込みで、引っ越し荷物を片づけてくれると仰っていたから、返って迷惑かしら?

高齢化が進んだ我住宅地、お互い声かけし、ベタベタしない程度に支え合いながら生きて行きましょうね。






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古希記念!、女4人で「秋の当間高原」で弾ける♪

2016年10月23日 | 旅日記
季節の変わり目、何かと忙しくて、久しぶりの更新となりました。
そんな中、中学時代の友人4人と新潟県の十日町にある「当間高原リゾート一泊旅行」で弾けてきました。

「当間高原リゾート」で、パターゴルフ&お喋りで弾ける(10月19日)
父が転勤族だった私は、中学時代を新潟市で過ごしました。
小学校5年生で東京の中目黒から新潟の小学校に転校した時はイジメに遭い、
よく泣かされましたが、中学時代は友人に恵まれ楽しい日々を過ごしました。



その時の友人達3人とは今でも付き合いがあり
2~3年に一度、新潟組みと東京組みが落ち合って親交を温めています。
と・・・
初めてこの「当間(あてま)高原リゾート」を紹介したのは、東日本大震災のあった年の(2011年)の6月でした。

それまでもずっと2~3年に一回位は、越後湯沢や水上の温泉ホテル、
私が持っていた軽井沢のオーナーズホテルでも落ち合い、ミニ同級会を楽しんでいました。

東日本大震災を体験し見聞きし、「いつ何時何があるか分からないから、今の内にせっせと逢おう」と
始まったこの当間高原リゾート旅行は、その後も2回実行しましたが・・・



「私は腰が痛くてマッサージに通う日々、同じ新潟のsumikoさんは膝痛で歩けなくなりついに手術
「動ける内に是非会いましょう」と、Kさんに声をかけられ行ってきました。



上越新幹線の「越後湯沢駅」で新潟組と首都圏組が1時過ぎに再会し、ホテルの送迎バスで40~50分
秋の当間高原リゾート・ホテル「ベルナティオ」に到着し・・・

年に何度も利用している上得意様のKさんのお蔭で、ウエルカムコーヒーの接待を受けてから
高原の心地よい風に誘われて、「パターゴルフ」を楽しむことにしました

この日は東京も新潟も9月中旬の暖かさ、特に新潟側は晴れて当間高原も歩くと汗が出ました。
木々は色付き始めていましたが、紅葉はまだまだこれからのようです。



ゴルフ歴30年近いKさんとsumikoさんは流石にお上手
今はそれぞれ腰と膝を傷めて医者からゴルフは禁じられているそうですが、時間が経てばきっとカムバックできますよ。

最初にここに来た時、私は初めてパターゴルフを経験しましたがイマイチ苦手です
あの時はプレー中に、十日町が震源の震度5強の地震に遭遇しましたこちらです。



今回私は18ホールの半分の10ホールでギブアップし、
持ってきた一眼レフカメラを取りだして、秋の高原の夕景を写すことに専念しました



過去の三回は、初めて来た6月と雪の残る4月(ご興味がある方は赤い所をクリックしてね)
そして父を亡くし新潟の二人に招待され、慰められた2年前のお花の綺麗な7月でしたから
秋の「当間高原」は初めてでした。

今までは絵葉書のような綺麗な風景を「まるで外国の高原リゾート地みたい」と表現していましたが・・・
今回は大きく広がる空を見上げて「北海道の秋」を思い出しました

日が傾く頃パターゴルフを終えて、温泉に入り、私は久しぶりにtomokoさんに背中を流してもらいました。
それから広いダイニングルームで、和洋中華のブッフェ料理を楽しみましたよ



汗をかいて温泉に入った後のビールが美味しい
前回は八王子に住むtomokoさんの都合が悪くて、4人揃っての乾杯は4年半ぶりです。

地元のワインもオーダーし、越後の豊かな海の幸&山の幸を堪能しました。
普段は淋しい個食の私、6時から9時までの3時間、大いに食べて、尽きることなく語り合いましたよ



4部屋の個室のベッドルームがあるこのホテルのフレンズルームがとても気に入っています。
イビキや歯ぎしりはもちろん、夜中のトイレも気になりません。
安心して熟睡できるのが良いですね。ホテルの詳しい情報はこちらでどうぞ

もう以前のように二次会のカラオケで飲んで歌う元気もなく
このお部屋で再びお茶を飲みながら11時半までお喋りです。

tomokoさん以外の3人が睡眠導入剤を飲んで、12時にはバタンキューでした。
以前は2時過ぎまでお喋りを楽しんだものですが、古希を迎え、皆無理が効かなくなりました

翌日も食べて喋って、高原散策♪
この時期の越後の山々はそろそろ紅葉が見頃
私は苗場の東洋一長いという「ドラゴンドラ」に乗っての紅葉見物をしたかったのですが、
アクセスが悪いという事で、ホテルの「八海山ツァー」を申し込みました。
が・・・
もう満杯で受け付け終了、今が丁度ロープウェーから見頃の紅葉が楽しめるらしい。



朝ぶろに入ってから、結局10時までゆっくり朝食を楽しみ、ダイニングでお喋りです。

大きなお釜で炊いた地元南魚沼産のコシヒカリのご飯が美味しくて、二杯いただきました。
おかずはサラダやオムレツ、ハム類など様々ありましたが・・・
魚沼産のコシヒカリには塩鮭と明太子、お漬物と越後名物のノッペ汁がサイコーです

食後果物とコーヒーでお喋りを楽しみましたが、あっという間に時間が過ぎ、
前夜もそうでしたが、気が付くと私たちが最後でした

ホテルのロビーの朝市で、息子宅用のお土産に魚沼産のコシヒカリの新米二合パックを二袋
そしてお遣い物用に、Kさんお薦めのお菓子を二箱購入しました。



行楽シーズンなのか?、この日は平日にも関わらずホテルは満室
沢山のシニアの女性のグループがロビーにたむろしていて
男性群のほとんどはゴルフが目的のようでした。

そんな中で私たちはハロウィンの仮装をしての撮影会で遊びました。
「似合うわよ~」という掛け声が外野から聞こえてきましたわ。



この日も、気持ちの良い爽やかな風が心地よい

tmokoさんはライトダウンを着て来たことを悔いていましたが、翌日の金曜日は急に寒くなって冷えたそうですから
越後の秋のお天気と気温はさっぱり解りませんね。

私は2日目のこの日の東京の最高気温予報が28度と聞き、ジーンズの上着にしましたが・・・



この日は満杯で行けなかった「八海山ツァー」の他に、写真を趣味とする者には人気の松之山のブナ林
「美人林ツァー」もやっていましたが、朝の7時半集合が慌ただしくて、4人共行く気になれなかった・・・

今回は中学時代の仲良しグループだった仲間4人と、ノンビリまったりと温泉とお食事、
そして大いに語り合って過ごすのが目的ですものね。



正直、今回の旅行を決める時、私はちょっと戸惑い
「夫を亡くして二年が過ぎ、まだ孤独感は否めず・・・」
「正直淋しさと関係がない生活している3人さんに会うのを躊躇する気持ちもあります」
「でもこだわっていたら前に進めませんので、三回忌を契機に参加することにしました」

仲間にメールしたものです。



このリゾート地はペットや子供連れが多いのも特徴です。

東京ドーム109個分もの広大な自然の中、ゴルフ場は勿論、テニスコートやゲートボール場もあり、
室内プールや卓球なども楽しめて・・・
季節に応じた自然体験プログラムやイベントも豊富に用意されています。



来る時のバスの中から見えた、真っ赤な「コキア」が並ぶ所まで行ってみました。

ここは新潟県の第三セクターが運営しているそうですが
東京電力と鹿島建設が大株主。
そしてホテルは「インターコンチネンタル東京ベイ」を運営する会社に委託。
評判が良いはずですね。

満開のコスモス畑まで行きたかったのですが、雨がポツンと落ちできたので慌てて戻ります。
コテージタイプのお部屋があるから、ペット連れも多いのでしょう。



12時過ぎになっていたので、ホテルのロビーのカフェでサンドイッチ2皿頼み、
それを4人で分けて、ビールを飲みました。
一時間以上の散策で喉が渇いておりましたからね

2時50分発のホテルの送迎バスの時間まで、結局食べて飲んでお喋りをしましたわ。
それでもまだ語り足りない気がした2日間でした。

翌々日の土曜日は孫の小学校の運動会・・・
目が回るような日々を過ごし、今の私は「祭りの後の淋しさ」に浸っています。






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東京「路地裏」ブラ歩き・夢の島から深川へ(3)と、ジャズライブ

2016年10月15日 | 東京の街
体育の日の三連休を境に急に秋も深まり、朝晩は暖房が恋しいくらいとなりました。
慌てて夏物衣類を片づけ、秋冬物の衣類と寝具を出しています。

第二週目の今週は趣味の会が重なり、コーラスも発表会に向けて最後の追い込み
そして爽やかな秋晴れとなった今日の土曜日は自治会の「防災訓練」が大々的に行われ、
班長として参加し、疲れ果てました

ブログの更新もままならず、コメントのお返事も遅くなり申し訳ございません

ワンゲルの会・街歩き「深川へ」(9月18日)
夢の島公園で「第五福竜丸展示館」と「熱帯植物館」見学後、私たちはバスで深川に移動しました。



江東区深川の羽崎地区から歩き出します。
ひっそりとした「羽崎神社」の前を通り・・・



平久川にかかる「平久橋」を渡りました。



この辺一帯は第二次大戦時の3月10日の東京大空襲で、大勢の人々が亡くなった所です。



橋のたもとにこのような案内板が・・・
”寛政3年9月、深川羽崎一帯に高波が押し寄せ、多数の家が流され死者行方不明者がでた”とのことでした。

江戸時代に建てられた「津波警告の碑」が三分の一ほど残っていて
これと同じ碑が、羽崎神社にもあるそうです。



並んで建っていた昭和20年3月10日の東京大空襲の被災者の供養塔

そういえば深川森下町で生まれ育ち、この街で結婚した短大時代の友人Mちゃんの同居しているお姑さんが
児童文学作家の早乙女勝元さんとともに「東京大空襲」を語り伝える活動をしていて

以前は毎年3月10日になるとTVのローカル番組に出たりしていましたが・・・
今年亡くなったと、Mちゃんから聞きました。


戦争の惨事を伝える人も、年々少なくなっていくのですね。

「富岡八幡宮」
平久橋から歩いて10分で、”深川の八幡様”と親しまれている「富岡八幡宮」に到着しました。



今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。



富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地としても有名です。詳しいことはこちらで紹介しています。



そして何と言っても目を見張ったのが二つの「黄金の神輿」
この大関の碑の向かい側の建物の中に納められていました。

鳳凰の目がダイヤ7カラット二個
他にもたくさんの宝石類で飾られていて、女性一同タメ息をつきました。

ガラス越しで写真は上手く撮れませんでしたのでこちらでご覧ください。

成田山・東京別院「深川不動」
富岡八幡宮を後にし、すぐそばの「深川不動」にやってきました。



この日は28日のお縁日で、平日でしたがとても賑やかでした。
3時から護摩焚きが始まり、太鼓やほら貝の音が混じるお経が聞こえてきて
本堂に多くの人々が詰めかけていました。

「のうまくさんまんだば~、さらだ~せんだ~まかろしゃだ~、そわたやうんたらた~かんまん~」
夫の母や札幌の伯母が熱心なお不動様信仰者で、毎月お不動様に通っていました。



この深川不動は若い頃、姑や義姉たちと来たことがあります。
10年前に江東区に住む友人に案内されて来たこともありました。

夫とは毎年元旦に野毛の成田山「横浜別院」に行きました。
夫が亡くなる2年前まで、お不動様で星まつりのお札を申し込んでいたのです。

善男善女の厄を落とし、願いをかなえてくれるお不動様・・・
もしかしたら、長患いをヨシとしない夫の願いもかなえてくれたのかもしれません。

でも・・・
私は去年からお不動様のお札を申し込むのをやめました

「親睦会」
小雨が降ってきたので次の予定地はカットし・・・
3時過ぎに深川不動のすぐそばの地下鉄「門前仲町駅」で解散でした。

有志10人が、お仲間のお嬢さんがやっているカフェで親睦会と言うことで
地下鉄で南千住に移動しました。



ワンゲルの会だけの貸し切りで、お嬢さん手作りのお料理をつまみに飲んだビールがとても美味しかった
この日は30度を越えた蒸し暑い日でしたから、皆びっしょりと汗をかきましたものね

「ジャズライブ」へ(9月25日)
ワンゲルの会で歩いた3日前の日曜日の夜、私はワンゲルの会で親しくなった同じ歳のNさんに声をかけていただき、
彼女のご主人の所属するバンドが演奏するジャズライブに行きました。



会場は藤沢駅から歩いて3分のライブハウス・・・
ワンドリンク付きで2000円です。

バンドの名前は「G Flats」(ジー フラッツ)
GはじぃーじのGですなどと笑わせていました。



Nさんのご主人はコルネット担当で、この日の主役♪
慶〇大学時代はデキシーランドジャズで活躍していたそうです。

曲はカーペンターズが歌って大ヒットした「仮面舞踏会」
ブラジルで生まれたボサノバの代表作「イパネマの娘」
ミュージカル三文オペラの主題歌「マック・ザ・ナイフ」
映画音楽の大御所ヘンリー・マンチーニ作「酒とバラの日々」など懐かしい曲ばかり



湘南を中心にデキシーランドジャズやスタンダードジャズのボーカリストとして活躍中の篠森富江さんも加わります。
ディズニー映画ピノキオの主題歌「星に願いを」やミュージカル映画「オズの魔法使い」
シャンソン「枯葉」などを歌ってくれました。



ピアノの演奏者は早大でタモリと一緒にジャズ研で活躍していたそうな・・・
初秋の宵のひととき、セミプロ級の方々の生の演奏15曲を、ビールを飲みながら楽しみました。

このジャズライブの話をブラ歩きの親睦会の時に、同じ会員でブログ仲間の山小屋さんに話したら
彼もワンゲルの歩きに時々参加するNさんのご主人を良く知っていて・・・
「そうやってnaoさんが積極的に出かけるのは、とても良い事だと思うよ」と、喜んでくれましたわ


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サガリバナと東京「路地裏」ブラ歩き・新木場から深川へ(2)

2016年10月09日 | 東京の街
沖縄の「サガリバナ」
たった一夜だけ咲き、夜明けとともに散ってしまう幻の花「サガリバナ」をご存じですか?

サガリバナはアフリカ東部から東南アジア、そして太平洋の南の諸島に広く分布する常緑樹に咲く花。
日本だと沖縄や奄美諸島に多く生育しています。

10m程度の小高木で、その枝から長さ60cmから1mほどの花序が垂れ下がり、
1つの花序には20以上ものつぼみを付け、夏の夜に一夜だけ花を咲かせて・・・
翌朝には散ってしまいます。

サガリバナは夕方から夜に咲くお花ですが、見頃は散り際の明け方・・・
「花開けばたちまち墜落」と表現されるくらい短時間で落花する儚いお花ですが、
明け方が特に多いそうですお花の画像はこちらでご覧ください

散った後も幻想的なサガリバナ、特に水面に落下し浮かんだ姿の美しさは素晴らしいらしい

私は今、そんな幻のお花をモチーフとした大人の恋物語のドラマに熱中していますこちらです。
(ドラマの中での「サガリバナ」を観ながら、いつか本物を見たいと思いました)

「ラブストーリーの神様」と呼ばれる脚本家・北川悦吏子さんのNHK初執筆作品
ドラマ10「運命に似た恋」

高級クリーニング店で働く45歳のバツイチの母親と、超一流デザイナーが恋に落ちるという
ちょっとベターな大人の純愛物語です。

ワンゲルの会で行った夢の島「熱帯植物館」をブログUPするために画像を整理した時、
私はその「サガリバナ」を写真に撮っていたことに気付きました



「サガリバナ」は6月から真夏に咲くお花ですから、もう実になっていましたが・・・
沖縄まで行かなくても、この「夢の島熱帯植物館」に来れば見られることを知ったのが収穫でした

さて・・・
毎週金曜日の夜10時のNHK金曜ドラマ10「運命に似た恋」は8話中3話が終りましたが
毎回、原田知世演じる中年のヒロインカスミの健気さに心打たれ・・・

年下の幼馴染?役の斉藤工の若い男の色気にノックアウトされ、私は胸キュンで見ておりますわ
(このドラマ10でのドキドキ感は、4年前の中園ミホ執筆、木村佳乃主演の「初恋」以来です)

風邪気味で心身ともに落ち込みがちなこの時期、心ときめくドラマに出会えて少し元気になりました


「夢の島・熱帯植物館」((9月28日)
前置きが長くなりましたが、ワンゲルの会の夢の島散策の続きです。



私たちは「第五福竜丸展示館」を観賞してから、「熱帯植物館」に行きました。
シニア料金120円を払って中に入ります。

予約していたボランティアさんに案内してもらいました。

入ってすぐの所にハイビスカスによく似たお花が・・・
このフウリンブッソウゲは、ハイビスカスの一種で風鈴に似た姿をしたアオイ科フヨウ属の低木です



右側の画像は「インドボダイジュ」
(お花は上の名前をクリックしてみてください)

その横には「ムユウジュ」「サラソウジュ」と並んで植えてありました。
ガイドさんのお話では、これらの三つが仏教三大聖樹なのだそうです。

「仏教三大聖樹」は以下の三つ。

無憂樹   お釈迦様がその木の下で「誕生」されたといわれる
菩提樹   お釈迦様がその木の下で「悟り」を開いたといわれる
沙羅双樹 お釈迦様がその木の下で「入滅」されたといわれる

尚、日本のお寺でよく見る沙羅双樹(夏椿)は別物とか・・・



温室内には池あり滝ありの熱帯の森が再現されています。

温室の暖房や館内の冷暖房、給湯などに必要な莫大なエネルギーを、
すべて新江東清掃工場から送られてくる高温水でまかなっているとか。エコですね。



高さ30mにもなる「ダイオウヤシ」が、ガラスの天井に向かって伸びています。
輪のような切込みの環状紋が目立ちますね。



ボランティアさんが触ってくださいと・・・
水の流れる音がしたような気がしました。

上の画像の右はしに見えているひも状のお花は「紅ひもの木」、手前の赤いお花は「レッドジンジャー」?

鮮やかなお花もいっぱい!料理バナナは硬いのでお料理に・・・
タコノ木は足がいっぱい!カカオの実

他に世界最大の竹「ゾウダケ」などもありました。
今の時期、派手な南国のお花よりも、珍しい熱帯の木々とその実がたくさん見られます。



「この長い長いひも状の根は凄いね」「マングローブの一種かしら?」



こちらは「オオギヤシ」、名前の通り扇の形に葉が茂ります。
高い天井が生かされていますね。

最後に食虫植物温室で、今年の夏に箱根の湿生花園で見た「ウツボカズラ」や「ムシトリスミレ」を観賞

広い温室内や施設のご紹介はとてもこのブログで全部は無理、興味のある方はこちらをご覧ください。



時節柄庭には巨大カボチャが転がり、室内は「ハロウィン」の飾り付けがなされていました。
受け付けロビーやお土産コーナーの奥にはカフェがあり、私たちはここでランチタイムです



私はドライカレーとマンゴージュース(合わせて1150円)、
他にトロピカルカレーや沖縄のスパム(ポークの缶詰)ランチなどがありました。



お腹もマンプクリンになり、トイレも済ませて午後1時に深川に向けて出発します。



ワンゲルの会ですから、すぐに交通機関は使いません。
蒸し暑い中、「夢の島公園」を後にし、運河沿いを歩きます。

「スカイツリー」が見えていました。



この辺一帯はすべて埋立地、今問題の豊洲市場も近いはずです。
2020年に開催される東京オリンピックまでには、築地周辺の臨海地区も大きく様変わりすることでしょう・・・

来る時に乗ってきた「りんかい線」?、それとも「京葉線」?
30~40分歩いてから、ようやく深川方面行のバスに乗りました。

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東京「路地裏」ブラ歩き・新木場から深川へ(1)

2016年10月03日 | 東京の街
秋冷の10月に入りました。土日はまぁ~まぁ~のお天気でしたが・・・
秋雨前線は相変わらず居座って、台風18号の影響を受け今日も雨となりました

9月のワンゲルの会の路地裏歩きは、東京下町の木場から深川

まだちょっとノドがイガイガしていましたが、当日のお天気は幸いうす曇り・・・
歩きたい気持ちが勝り思い切って参加してきました。

今年の夏から秋にかけては雨が多いせいか?、とにかく蒸し暑い
この日も30度を越えたようで、汗まみれになりました

江東区「夢の島公園」散策(9月28日)
昭和20年代から都民のゴミ捨て場として有名になった「夢の島」も、
60年の流れで緑が茂る市街地として発展しています。

集合はJR京葉線&りんかい線「新木場駅」に10時、お馴染みの顔が集まりました。
この日の参加者は男性9名、女性5名の合計14名。



「新木場駅」から首都高速「湾岸線」をくぐり、およそ7分で緑豊かな「夢の島公園」に入ります。
深紅の「アメリカディゴ」が迎えてくれました。

ゴミの埋立て処分地に整備された巨大な公園「夢の島公園」では、最後の「フヨウ」が咲いていて



公園中央に位置する広大な芝生には、小学生が集まっていました

熱帯植物館や五福竜丸展示館、ヨットハーバーなどなど、見所もいっぱいの公園です。

第五福竜丸展示館
最初に案内されたのが、ヨットハーバーの手前に建つ船の形に似た展示館です。
中はクーラーが効いていてホッとしました



ここには、木造のマグロ漁船「第五福竜丸」およびその付属品や関係資料が展示されています。

「第五福竜丸」は、昭和29年(1954年)3月1日に太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁で
アメリカが行った水爆実験によって被害を受け、無線長の久保山愛吉さんが亡くなりました。

当時はこのような木造船で遠くの海まで魚を求めて行ったのですね。  



船尾の底部分には小さなスクリューと、木製の舵・・・
これで太平洋の赤道直下のマーシャル諸島まで航海したとは驚きです



「第五福竜丸」は、昭和22年(1947年)に和歌山県で建造され、初めはカツオ漁船として活躍し、
後にマグロ漁船に改造され遠洋漁業に出ていました。

水爆実験での被爆後は、練習船に改造されて東京水産大学で使われていましたが、
昭和42年(1967年)に廃船になったものです。  

東京都は、遠洋漁業に出ていた木造漁船を実物によって知ってもらうとともに、
原水爆による惨事がふたたび起こらないようにという願いをこめて、この展示館を建設したそうです。
<昭和51年(1976)6月10日開館>



第五福竜丸だけでなく、被災した日本漁船の総数は856隻、廃棄された魚は約486トン
ビキニ水爆被災は人々の日常生活を直撃しました。



放射能に汚染されたマグロは「原爆マグロ」と呼ばれ、その騒動は日本全国に波及
街の魚はほとんど売れなくなり、廃業する魚小売業者も出たそうです。

その年の4月以降には「日本全国で放射能雨が降った」との報道により、農産物に対する恐怖も広がりました。

私がまだ小学校の低学年の頃に聞いたこのニュース・・・
「雨に濡れると頭がはげる」と、子供同士で騒いだ事を覚えています。



日本は広島&長崎と人類で初めて被爆を経験した国です。
そしてこのビキニ環礁での漁船の被爆・・・

その上、2011年3月11日の「東日本大震災」によって引き起こされた東電福島第一原発の事故での放射能汚染・・・
放射能の恐怖は遠い昔の話しではなく、今でも続いているのです



アメリカの水爆実験の被災者は日本の漁船だけでなく、ビキニ環礁の実験場近くのマーシャル諸島の人々も・・・
その実態が知られるようになったのは、1990年代に入ってからでした。

オバマ大統領の核兵器の先制不使用宣言を支持することは被爆国としては当然ですが、
お隣の北の国が盛んに行っている原爆実験も怖いものがあります

そして「日本も核を持て」というアメリカの大統領候補のトランプ氏が選ばれたらどうなることでしょう



厳粛な気持ちになって外に出ると、第五福竜丸のエンジンが展示されていました
このリーダーの街歩きは、必ずこうした施設見学がありお勉強になりますわ。



私が10代の頃に「夢の島」の臭いと大発生したハエの被害が東京を襲いました。
TVのニュースで見た事があります。

そんな大東京のゴミ捨て場が、今では緑豊かな公園になりました

「夢の島熱帯植物館」へ
ここには焼却場で発生した熱を利用した熱帯植物館があります。
歩いて向かう途中、「パパイヤ」の花と実が生っていました。



そして大きなカボチャがたくさん転がっているのが見えてくると



夢の島「熱帯食物館」でした。こちらのご紹介は次回に続きます。



            

「カマキリと同居」
9月中旬から畑作業や庭仕事で忙しくしていましたので、その時私の衣服に付いてきたのか?
それとも洗濯物にくっついていたのか?



二週間ほど、このカマキリと同居していました。
蜘蛛やゴキブリは怖いけど、このまん丸目玉が何となく愛嬌がある・・・

リビングの天井近くにいたかと思うと、ダイニングテーブル横の出窓にいたり・・・
その内だんだん茶色くなってきたので、外に出してあげました。

洗面所にはおんぶバッタの姿もあって、田舎の風情の我が家です。



そんな折、taeさんのご主人からブドウと一緒に送られてきた「イナゴの佃煮」
今では高級品で「桐箱入り」で売られたりしていますが、こちらは知り合いの方の手作りとか。

美味しい味付けでしたが、イナゴの手足が同居した仲間たちを思い出して喉を通らない
結局お行儀が悪いけど、手足を取り除いて少々頂きました。

殻付き小エビの佃煮のような食感でしたわ。




コメント (21)
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