花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

年末のご挨拶

2008年12月30日 | 日常の日記

我が家の庭の片隅に、白い梅が一輪だけほころび始めていました。
「冬至梅」です。
この周りだけ、一足早く「春」がフンワリと漂っているようでした

今年もいよいよ残すところあと一日・・・
大掃除をして、銀行周りをして、そしてお正月用品のお買い物に忙殺されていました。



11月の初めごろから赤く色付きだした「千両」は、半分以上が鳥さんたちに食べられてしまいましたが、辛うじて残っている物を切り取って、松や菊などと一緒に活けました。

一夜飾りはタブーなので、今日までに「神棚」や「床の間」にお供え餅を供え、門や玄関の飾りつけも済ませました。
忙しい、忙しい、年の瀬です



万両は下を向いているから鳥さんたちは気がつかないのでしょうか?
みんな綺麗に残っています。
「白の万両」もあるはずと探し始めたら、夫が声を上げてせかすように呼んでいます。
まだまだお買い物が残っていました


※大晦日の今日、千両の茂みの中にあった「白い万両」を見つけましたので追加します。
 やはり紅白揃った方がオメデタイですものね



昨日今日と南関東は11月上旬の暖かさだそうで・・・
雪国の方々には申し訳ありませんがとても助かっています。

暖かいと水蒸気が上がって我が家から富士山はなかなか見えないのですが、お買い物から帰宅した夕暮れ時、ベランダからシルエットの富士山が望めました。
今日は雲もなく風もなく、とても穏やかな富士山ですね。
「来年こそは良い年でありますように」と思わず祈りました




富士山の南側には細い金細工のような「三日月様」
そのすぐそばには宵の明星が輝いていましたが、ツゥーショットの画像は撮れませんでした。

今年は100年に一度という未曾有の金融危機が世界中を襲い、日本も株の大暴落があり、企業の人員整理が大々的に行なわれ始めたようで、この国の行く末が案じられます。
大混乱の年となりましたね。

我が家も次々と色々な事がありましたが・・・
このブログを通じて皆様からのたくさんの励ましをいただき、どうにか無事に「年越し」ができそうです。
ありがとうございました。

来年も無理しない程度に、この拙いブログを続けていく所存ですので、どうぞ宜しくお願い致します。
皆様もどうか良いお年をお迎えください。


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カレッタ・汐留の「ブルーオーシャン」

2008年12月27日 | 東京の街
24日から4日間続いた仕事も今夜で終わりました。
横浜市の公共施設「地区センター」は、12月28日から1月4日まで、年末年始のお休みに入ります。

一日4時間勤務で一週間交替のワークシェアリング方式。
日曜祝日はお休みの夜間のスタッフに急遽空きが出て、以前やっていた私が館長から懇願されて舞い戻り、今年の9月から再び勤務していますが・・・
たかが4時間、されど4時間で・・・
今週は息子一家とのクリスマス食事会の他にも、両親の所に行ったり、年賀状を仕上げたり、そして職場のみんなとの忘年会があったりで、大掃除とお正月の準備は「仕事が終わってから」と手をつけていませ~ん。
さぁ~!、明日から頑張るぞ~~~



さてさて、今更ながらの画像ですか・・・
東京イルミネーション巡りの最終回です。

「六本木ヒルズ・森タワー」屋上のスカイデッキから「東京タワー」を中心とした東京の夜景を楽しんだ後、見晴らしの良い「東京シティービュー」でお茶にしました。
そして一休みしてから、私たち4人は再び地下鉄に乗り汐留に向かいました。
六本木の「東京ミッドタウン」のイルミネーションも素晴らしいのですが、去年の流れ星を見ているので、今年の星座編はパスして、去年参加しなかったK子さんご希望の「カレッタ・汐留」のブルーオーシャンを見に行く事にしました。

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マウスオンでご覧下さい
煙が出てきて、シャボン玉も飛び出します
去年見た「ブルーウェーブ」とどこか違う所はあるかしら?

音楽が流れ、光の色が変わり始めました。
non_nonさんのソースをお借りして纏めましたので小さな画像にマウスオンして、スライドショーでご覧下さい
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会場内の“海”に表情が付き変化する、「音と光」のショーが始まりました。
東儀秀樹さんのオリジナル楽曲「BLUE OCEAN」(作曲・演奏/スタジオ録音)と、20万球のLEDとムービングライトを組合せた光のコラボレーションが楽しめます。

私が慌ててカメラの三脚を取り出すと、係員さんがやってきて「この中は三脚禁止です」と注意を受けました。
結局最初に行った「和田倉噴水公園」とお濠端以外はすべて三脚無しの撮影となりました


こちらは「祈りの塔・OCEAN BELL 」
ベルを鳴らすと、祈りの塔が音と光で“インスパイアリング”に反応、東議秀樹さん作曲の音が聞こえてくると光の海に愛の魔法がかかるそうです。

たくさんの若い二人連れが並んでベルを鳴らしていましたが、こんなファミリーの姿も
私たちも気後れする事無く行けば良かったかしら?

青い波のような光の中に身を置いていると、何だか不思議な感覚に囚われました
いつもの年の今頃は、海の綺麗な真夏のパースに行くための航空券を購入している頃だけど・・・
今年はもう行けないんだわ~~~
何だか無性に本物の「ブルーオーシャン」が恋しくなりました。

尚、この催しは今年で4年目、12月1日から25日まで楽しめたようです。

順序が逆になりましたが、下の画像は、この日4人でイルミネーション巡りの前にいただいたお食事です。

クラゲと鳥肉と野菜の前菜シュウマイ
ホタテと野菜の炒め物エビチリ

ピリ辛・サンマー麺デザート

有楽町の中華レストランで4時前から、軽くグラスビールを飲みながら「レディース・コース」のお食事をしました。
今回はあくまでも「イルミネーション巡り」がメーンでしたが、気持ちは「忘年会」・・・
「今年一年お世になりました。来年も宜しくね」と乾杯です

こうして私たち恒例のイルミネーション巡りは今年も楽しく実行できました。
歩いた歩数は14000歩を越えていて・・・
それぞれが体力的にも「衰え」が出る年齢になったと実感です。

本当は今年の予定だったこのメンバーでの「エジプト旅行」
K子さんの希望で来年末か再来年初めに延期となりましたが、果たして皆元気で行けるでしょうか?
それなりにハードな旅と聞いています。
私も油断は禁物、「鍛えなくては!」と感じた一日でした。
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「フラワー・ファンタジア」&「東京タワー」

2008年12月23日 | 東京の街
12月23日は「天皇誕生日」、そして我が家には息子一家がやってきました。
孫のハー君のクリスマスプレゼントを買うために、玩具の専門店「トイザラス」に行き、夜は近くのスペイン料理のお店でお食事をしました。

この時の様子はいずれ機会があったらと言うことで・・・
「イルミネーション巡り」の続きをUP致します。


私たちは皇居のお濠の静かなイルミネーションを楽しみましたが、道を一本中に入ると、まばゆいばかりの光で溢れていました。

東京駅から日比谷に通じるここ丸の内仲通は、日本一のオフィス街でもあります。
花の金曜日ですが・・・
まだまだオフィスには明るい照明が灯っていました。


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マウスオンでご覧下さい
この丸の内仲通では「光都東京・ライトピア」の一環として、花と光のコミッションワーク「フラワーファンタジア」が開催されています。

2年目となる今年は「風と水、光の旅」をテーマに、会場の一部に風力発電を取り入れて展開するなど、環境に配慮し、自然と共生するイルミネーションイベントのあり方を模索しているそうです。


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こちらもマウスオンです
会社帰りの人々と、イルミネーション巡りの人々が交差しますが・・・
六本木などから比べれば、丸の内周辺はやはり「大人の街」
若かりし頃、私も4年間、ここにある会社に毎日通っていました。
青春時代の思い出の街でもありますね。


こちらは「東京フォーラム」
「フラワー・ファンタジア」では、パンジー・ビオラを中心に13種類、13万6千5百鉢の生花と緑を使用しているそうです。

私たちは日比谷から地下鉄で六本木に出ました。
東京タワーはこの23日で開業50周年を迎え、今年は石井幹子さんの演出により、夜の8時にはレインボーカラーに変化して、それからダイヤモンドベールに包まれるのです。
それを見るために「六本木ヒルズ」の52階にある展望台に向かいました。



六本木ヒルズ・森タワーのエントランスは、赤いイルミネーションで迎えてくれました。

クリスマスシーズンの夜景が360度ぐるりと一望できる「東京シティビュー」はエレベーターでひと登りです。
そしてこの日は、今年4月にオープンした海抜270メートルの屋上「スカイデッキ」から「変化する東京タワー」を眺めるのが目的です。
そのために防寒対策をしっかりと整えてきましたものね。

チケット(1500円)を買うのに15分以上並びました。7時半を過ぎています。
眺めが素晴らしい52階の「東京シティービュー」から、更に屋上の「スカイデッキ」に出るためにエレベーターを乗りかえるのですが・・・
ここで行列が詰まっていました
もうすぐ8時です

係員に案内されて、カメラと携帯電話以外は全部ロッカーに入れなければなりません。
セキュリティーのため?
「レインボーカラー」が見られるのは8時からわずか10分間だけです。
心が急きますが・・・
三脚が大きすぎてロッカーの扉が閉まらな~い
係りの人の誘導で大きなロッカーまで移動させられて、私だけ置いてけぼり


屋上の「スカイデッキ」に出た時は、「東京タワー」はすでにダイヤのベールに包まれていて
結局私は変化の途中の「レインボーカラー」を見逃しました。

50周年の50という字が見えていますね。
いつもの見慣れたオレンジ色の東京タワーと違って、ダイヤモンド色の東京タワーは貴婦人のようでした。


宝石をちりばめた様に美しい東京の夜景は、パイロット達の間では世界の街のナンバーワンといわれていると、ブログ仲間のmarriさんから伺いましたが・・・
充分に納得できました。

ライトアップされた絵画館や漆黒の神宮の森もすぐそばに見えていて、遠くディズニーランドの花火までが望めました。
(尚、この画像は仲間のぷりんさんのカメラで係員さんに撮ってもらったものを加工しました)


私が初めて「東京タワー」に上ったのは、小学校を卒業した春休みだったと思います。
その2年前に父の転勤で、東京の中目黒から新潟市に引っ越しましたが・・・
父方のお婆ちゃんのお見舞いに家族で上京しました。
父の実家は東京の新橋
出来てすぐの東京タワーは歩いて行ける距離でした。
それにしても望遠レンズも三脚もロッカーの中
肝心な時に使えないなんて、何のために重い思いをして持ってきたのかと悔やまれました。
私の標準レンズは18mm~55mm・・・
小さな小さな東京タワーしか写せませんでした

尚、六本木ヒルズ森タワー「スカイデッキ」の詳しい情報はこちらです


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光都東京・ライトピア

2008年12月20日 | 東京の街

19日の金曜日、ご近所仲間4人で恒例の「クリスマス・イルミネーション巡り」に行ってきました。

こちらは「和田倉噴水公園」で行なわれている光と水と音楽のコラボレーション「アンビエント・キャンドルパーク」
プロデュースは世界的に有名な照明デザイナーの石井幹子さんです。


東京駅丸の内側にある丸ビルと新丸ビルの間を通る行奉通りを皇居方面にまっすぐ進み、日比谷通りの交差点に出ると、右手に和田倉濠が見えてきます。
お濠の石垣の周辺は、幻想的な妖しい色に包まれていました。
木製の和田倉橋を渡って噴水公園に入ります。


和田倉濠の木々は「環境」を現す緑、石垣はそれを引き立たせる光源が使われているそうです。
グリーンのコラボレーションが闇の中に浮かび上がり、幽玄な美しさが水面を照らしていました。
和田倉濠のこの美しい光のゆらめきが見られるのは12月19日~28日までだそうです。


この「和田倉噴水公園」は、今上天皇のご成婚を祝して昭和36年に作られた面積1万5000平方メートルの公園です。
その後、皇太子殿下のご成婚を記念し「噴水公園」が平成7年6月最整備されたそうです。

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「地球・環境・平和」をテーマに、著名人及び千代田区の小学生がメッセージ等を描いた明り絵が、公園中央に約700個並んでいます。
マウスオン・クリックでご覧下さい

一枚目は皇居方面、二枚目は噴水、三枚目は公園内のレストランとビジネス街のビルを背景に写しました。
この日から始まったこの催し・・・
人出もまだそれほどではないので、私は重い思いをしながら持ってきた三脚をバッグから取り出して使用しました。


全体的に派手さ控え目な大人の雰囲気が感じられる「アンビエント・キャンドルパーク」ですが、赤く照らされた木々の向こうにボンヤリと皇居・和田倉門の建物が見えていて・・・
明るさが残る薄暮の頃に来ると更に絵になりそうです。

今回、そのトワイライトでの撮影を目指したのですが、お食事時間が長引いて・・・
気がついたら暗くなっていました

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こちらは日比谷方面を望んだ風景です。
マウスオンで、「東京タワー」もご覧下さい

尚、この「アンビエント・キャンドルパーク」の催しは19日〔金)~24日(水)PM17時~PM21時までだそうです。

    

「和田倉噴水公園」の明かり絵を堪能してから、皇居のお濠を右に見ながら日比谷通りを日比谷方面に歩いていきました。


お濠の石垣にはダイヤの首飾りのような灯りが施されています。
題して、光のアート・インタレーション「雪月花」・・・

丸の内周辺で開催されているこれら一連の「光都東京・ライトピア」は、28日までだそうです。


東京タワーが見えてきました。
カメラに三脚を付けたまま、友の後を追いながらの撮影です。
歩道にはジョギングをする人、自転車で走る人もいて・・・
正直撮影条件はよくありません。

次は東京タワーのよく見える「六本木ヒルズ」に移動です。

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師走の「茶話会」二つ

2008年12月17日 | 日常の日記

今日は冷たい雨の一日です
今年の師走は特に雨が多いように思いますが・・・?

毎年変わり映えのしない我が家のクリスマスのコーナーですが、今回はご近所の友人K子さんから戴いたタイ土産のクロスを敷いてみました。


象さんやタイの人々の生活が描かれている、とても面白い図柄です。

そのK子さんご夫妻が3ヶ月ぶりにタイのチェンマイから帰国し、一昨日、仲間のノンちゃんやぷりんさんと共に茶話会に招かれました。

このブログでも何度か紹介していますが、K子さんご夫妻はチェンマイに家を一軒借りてそちらで生活しています。
3ヶ月に一度帰国して、彼女の年老いたご両親を見舞う生活を始めて3年になります。
今回はお正月明けまで日本に滞在とか・・・
「父も入退院を繰り返すようになったし、妹夫婦に任せてばかりでは申し訳ないので、この三月でチェンマイを引き揚げるつもり」とのことでした。
(ですから4人でのエジプト旅行も、その後にして欲しいと言われていたのです)

タイの政治情勢も不安がありますものね。
日本から遊びに行った友人夫妻が、デモ隊の飛行場占拠で10日間足止めをくい帰れなかったそうです。

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マウスオンでご覧下さい
真ん中にあるお煎餅がタイのお菓子です。

60歳までフルタイムで働き、今はタイで染物と織物を学んでいるK子さん。
この彼女の家のテーブルクロスもタイで織って貰ったものらしい・・・
日本の昔の「銘仙」に似ている感じですね


彼女より4年早くリタイヤしたご主人も、彼女が退職するまでの期間「木工」を学び、今ではタイのチーク材を使って現地で家具造りに精を出しているそうです。

定年後の「海外ロングスティ」を考えている人が多い時代
問題はそこで何をするかなんですね。



K子さんが抱えている紺の織物と、ピンクの織物はチェンマイ郊外の工房で織って貰ったそうです。
好きな事を見つけてまい進している彼女を見て、私も刺激を受けました。
「押入れにしまったままの手織り機を、私も取り出してみようかな~」

我が家はたまたま西オーストラリアのパースに、ジャパニーズガーデンを手がけるオージーの弟子ができて5年通いました。
ここ数年で弟子も力をつけ、オーストラリアの物価上昇に借家も生活費も跳ね上がり、その上私の両親も病気がちとなって・・・
パース生活も今年の2月で終りにしました。

ところがこの10月からの世界同時金融危機で、オーストラリアドルがナント、半分近くに下落しました。
チョット早まったかな~と、後悔しきりの私です


                                 
 


こちらはホテルのロビーではありません。
ご近所仲間の一人が引っ越したマンションです。
先週もう一人の仲間と見に行ってきましたが、その豪華さに圧倒されました


一軒家と比べて収納部分が少なく、整理に苦労したそうですが、このゴージャス感が何とも羨ましいです。


「マンションの方が断然暖かくて楽よ」、犬のリリーちゃんも床暖房で住み心地抜群ね。

お引越しの時、我が家も本棚と食器洗い機を引き取りました。
「お宅のご主人、食洗機は要らないと最後まで拒否していたわね」
「主人はあの通り古い人間なので、主婦がますます怠け者になるとブツブツ言ってるわ。でも私は便利で重宝しているわよ。ありがとう」

女3人、新しいマンションのお部屋でお茶を飲みながら、話は尽きませんでした。


こちらは屋上庭園
バーベキュー施設や犬の足洗い場も整っていました。

「老後歩けなくなっても、這ってでも会える距離に住んでいる私たち。お互い宜しくね。」と話していたのに・・・
彼女が引っ越しただけでも淋しいのに、何だかいきなり「セレブマダム」に変身してしまったようでちょっと焦ります

我が住宅地の住民も定年退職者が増えて、少しづつ変わってきていますね。


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義母の想い出

2008年12月14日 | 日常の日記
先日、主人の母の23回忌の法要が、世田谷の芦花公園近くにある主人の実家でとり行われました。
肺炎で入院した孫娘の菜々ちゃんも元気になり、親戚一同への初披露も兼ねて、息子一家も全員出席しました。

その時の写真がないので、11月18日に行った鎌倉「円覚寺」の未公開画像を入れて、亡き義母の想い出を綴ってみたいと思います。

「黄梅院」
円覚寺の境内最奥に位置する塔頭寺院。足利尊氏が夢窓疎石(円覚寺15世住持)の塔所として文和3年(1354年)建立されたもの。

義母は今から22年前の12月初めに、突然「心筋梗塞」で亡くなりました。
76歳でした。
朝、同居している兄嫁から「お母さんがちょっと苦しがっているので、これから病院に連れて行きます。診察が終わったら叉詳しい事を電話で知らせますから」との
結局その日の午後に、義母はあっと言う間に息を引き取ったのです。

境内の「リンドウ」

実は義母が亡くなる5日前に、横浜の郊外に建築中だった我が家の「上棟式」を催し、主人と私の両親4人にも参加してもらったのです。
晩秋とは思えない暖かい日和でしたが、それでも「あの時の無理がたたったのかしら」としばらくは辛い思いに駆られました。
主人は「いいんだよ。俺の力で建てる家を見せたんだから。出来上がりは間に合わなかったけど親孝行したんだ」と言いますが・・・

当時大阪に住んでいた主人の上の姉も「一ヶ月前に大阪にきてもらったのよ。私が忙しくて中々一緒に観光も出来なくて・・・、最後はお母さんと喧嘩別れのようだったの。それが影響したのかしら?」と涙が隠せませんでした

突然死なれると、みんながみんな自分に原因があったのではと、悩むものなんですね。
それでも、誰にも手を煩わせる事無く亡くなった、如何にも義母らしいアッパレな死に際でした。

「仏日庵」
円覚寺の開基である、北条時宗公をおまつりしてあります。現在のは江戸時代1811年(文化8年)に改築されたものとされています。

義母は「明治女」の強さを持った芯のある人でした。
主人と結婚して挨拶に行った時、最初に言われた言葉が「naoさん、人間は向上心が大切ですよ」と・・・

義母は11歳の時に父親を亡くしたそうです。
上の姉達はおんば日傘で育ち、結婚式も提灯行列だったけど、母はその時「女も自立する事が大事」と悟ったとか・・・

当時としては珍しく女ながらに2級建築士の資格を取り、昭和の初めには東京駅前の丸ビルにある建設会社の設計部で図面を引いていたそうです。
義父とはそこで知り合いました
「S建設の社内結婚第一号」なんだそうです。

「マユミ」
妙高では真っ赤な実を、そして箱根ではピンクの実を見ましたが、ここでは白い実でした

今回の法事では、出された会席料理を戴きながら主人の姉2人が、弟の嫁2人に「お母さんは何でもできる人だったのよ」と想い出を語ってくれました。
「戦後の何もない時代でも、全部手作りで可愛いお洋服を縫ってくれたし、家族で百人一首やトランプをするといつも母が一番だったの。誰も敵わなかったわ」

そういえば亡くなる前日まで「中華料理教室」に通い、踊りと謡いを習っていたらしい・・・
最後まで向上心を失わなかったお姑様!、頭が下がります。

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「方丈」
元来は寺の住持の住む建物を指しますが、現在では各種儀式・行事に用いられる建物となっています。前庭のビャクシン(柏槇、和名イブキ)の古木は無学祖元手植えと伝えられています。
マウスオン・クリックでご覧下さい

義父が40代で管理職に付いたとたんに、突然肺結核で倒れました。
当時の結核と言えば「死の病」
義母は「何が何でも私が夫の命を助ける」と・・・
肺の手術前後三年間、義父の家庭内療養の看護を完璧に行なったそうです。

上は中学生の兄から下はまだ未就学の弟まで、子供5人は義母の母が面倒を見てくれたそうです。
江戸時代の家老の娘として育ったお婆様の躾けは相当厳しかったようで・・・
主人のガンコさ、古さはその時の影響かと・・・
最近孫のハー君に言っている言葉が、そう思えてなりません。

境内に咲いていた「冬桜」

幸いその後「パス」や「ストレプトマイシン」などの良い薬が開発されて、義父は元気になり、職場に復帰しました。
当時は休職していても80%の給料が保証され、社宅にそのまま住んでいられた良い時代のようでした。

葬儀の時、内助の功を発揮した妻に先立たれた義父を見て、親戚みんなが「三年持たないだろう」と心配しました。
が・・・
義父は妻の17回忌を済ませても元気に生き抜き、4年前の98歳の秋に眠るように自宅で亡くなりました。
義母は亡くなっても「夫に淋しい思いをさせない」賢夫人だったようです。

「三門」
三門は三解脱門(空・無相・無願)を象徴するといわれ、諸々の執着を取り払って佛殿(涅槃・解脱)に至る門とされます。
私が戻る頃、どっと団体客が押し寄せてきました。

私の育った家は全く逆で・・・
姉達とは一周り以上年の離れた末っ子の母は、おんば日傘で育ったまま歳をとりました。
母はすべて父を頼り、父が家族を引っ張っていました。
私から見ればとても頼りになる父だったのです。

私たち夫婦の悲喜劇は、立派な母親を持った主人と、頼れる父親を持ったファザコン気味の私が結婚した事にあるのかな~と、時々考えてしまう私です。

久しぶりに会った主人の兄弟夫婦や姪甥たちと、取り留めのない話をしながらも・・・
女として尊敬すべきお姑様の想い出に終始した一日でした。

菜々ちゃんも、初めて会う大伯母様たちに次々に抱かれて、幼いハトコたちからもいじくり回されて・・・
お疲れ様でしたね。







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稲村ガ崎の夕日

2008年12月11日 | 鎌倉散策

私たちは鎌倉の「浄妙寺」境内の「石窯ガーデンテラス」でランチを楽しんでから、湘南海岸に出ました。
夕日を見るまでにはまだ少々時間がありましたので、稲村ガ崎のレストラン「サンディッシュ」でお茶しながらお喋りの続きです。

ここは昔から両親や家族とも通った想い出のレストラン・・・
近年は経営者も変わり、隣に温泉も掘られたよう(稲村ガ崎温泉)でビックリですが、ここから見る海の風景は変わっていません。



アイスクリームや紅茶を飲みながら、話は盛り上がります。

オシドリ夫婦のぷりんさんが、お嬢さんが結婚で家を出て以来、夫婦別室にしたと聞いていました。
「とっても気楽で良いわよ~。ただ気楽過ぎて夜更かしになるから要注意ね。」

「私も主人とは寝る時間が全く違うし、この秋、私は風邪で咳とウアゴトがひどかったので、主人から眠れないと愚痴が出て、最近私が息子の部屋に引っ越したのよ。私も主人のイビキから開放されたし、お互いが安眠できて良い感じ。ただ夜中に急死しても解らない恐ろしさはあるかもね~」
「マンションは狭くて別室はとても無理、どちらかが風邪などひいたらリビングに寝るしかないわ」

お喋りが弾みましたが、ふと窓の向こうを見ると伊豆半島方面に夕日が落ちていく所・・・
慌てて清算を済ませて、国道134号線の向こう側にある「稲村ガ崎公園」に行きました。



三脚を立てたカメラマンがたくさん並んでいました。
夕闇迫る中、七里ヶ浜の向こうに江ノ島と富士山が見えています。

   ♪七里ガ浜の磯伝い
    稲村ガ崎、名将の
    剣投せし、古戦場♪

何故か自然に古い歌が出てきました。
この稲村ガ崎は、元弘3年(1333)5月、新田義貞鎌倉攻めの時の古戦場で、義貞は太刀を海に投じ、干潟に乗じて兵がいっきに鎌倉中へ乱れ行ったと伝えられるそうです。

ノンちゃんもぷりんさんも知らない歌だといいますが・・・
私の方が2つ年上ですからね。人間も古いのかも・・・

夕日はいよいよ伊豆の山陰に沈んでいきます。
non_nonさんのソースをお借りして並べました。

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左から右にマウスを移動させて「沈む夕日」をご覧になってください
私は慌ててレンズを200mmの望遠に替えて少し絞りましたが、300mmを持ってこなかったことが悔やまれました。

今年の3月、デジイチ初心者の私はこのお隣の由比ガ浜で夕日を撮りました。
あの時は、この稲村ガ崎に夕日が沈んで行ったような気がします。

そして「夕日」と言えば忘れられないのが、今年の2月に西オーストラリアのパース近郊の海岸、コッテスローで見たインド洋に沈む夕日です。
ご興味のある方は、この湘南海岸「稲村ガ崎の夕日」と比べてみてください。

お天気にも恵まれ、紅葉の「浄妙寺」で味わった美味しいお料理と、湘南海岸「稲村ガ崎の夕日」が堪能できた晩秋の一日に大満足して、私たちは北鎌倉経由で帰りました
「鎌倉は近いのだから、これからも時々こうした一日を作りましょう」と、三人の口から出ましたよ。


                       

こちらはこの日の朝、我が家の二階のベランダから写した富士山です


300mmの望遠レンズで撮りました。
電信柱が邪魔ですが、これからの季節「富士山」がハッキリと見える日が多くなります。

昨日今日と暖かすぎて蒸気が上がり見えませんが・・・
東南の角部屋の私の部屋の西の窓から、とてもよく見えるんですよ。
今の所、我が家で一番明るい部屋に引っ越して大満足です


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鎌倉「浄妙寺」で洋風ランチ

2008年12月07日 | 鎌倉散策
今週は仕事の無い週なので、2階の部屋の模様替えに取り掛かりました。
主人と寝る時間帯が全く違うので、私だけがPC部屋にしている息子の部屋に引越しです。
2階の南東の角部屋で、こちらの方が日当たりも良くて暖かいのです。

そんな時、9月に隣のJR駅前の豪華マンションに引っ越して行った、ご近所仲間のノンちゃんからが・・・
「今日これからそっちに行く用があるんだけど、ぷりんさんも誘うから一緒にランチしない?近くのイタリアンはどうかしら?」

突然の申し出にOKしたものの、ランチなら他に是非行きたい所があったのです。



それはブログ仲間のくるみさんが紹介していた、鎌倉の「浄妙寺」の境内にある「石窯ガーデンテラス」です。
我が住宅地からなら車で30分もかかりません。

「鎌倉?でも普段着に近い格好よ」と、二人はチョット驚いていましたが・・・
「鎌倉はハイキングスタイルの人が多いから大丈夫よ。こんなに良いお天気なんですもの。紅葉見物方々行きましょう」
「引越しの片付けで、今年はまだ紅葉を見ていないから行こう」と即決でした。

道路も空いていて、ノンちゃんの運転であっと言う間に「浄妙寺」に到着です。
車を駐車場に入れてから、拝観料100円を払って中に入りました。



「淨妙寺」は臨済宗建長寺派の古刹。
鎌倉五山の第五位で文治四年(1188)に、源頼朝の忠臣で豪勇であった足利義兼が開創し,始めは極楽寺と称したそうです。
開山は退耕行勇と伝えられ、足利尊氏の父・貞氏が中興開基で、墓地に貞氏の墓と伝えられる宝篋印塔があります。
本尊は釈迦如来で、境内は国の指定史跡となっているとのことでした。

銅葺きのこじんまりした本堂のバックの山々が綺麗に紅葉しています
静かな境内には庭師さんが入り、手入れをしていました。
ノンビリと日向ぼっこをする猫ちゃんの姿があちこちに・・・



燃えるようなモミジが境内のあちこちに見られました
アップの写真も撮ったのですが、どうしても枯葉が混じり輝きに欠けます。
「アップに耐えられないなんて、何だか自分を見ているようで切ないわ」と三人で思わず苦笑です


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マウスオンでご覧下さい

赤く染まったモミジを眺めながら山の斜面を上り、足利尊氏の父「足利氏貞」のお墓がある墓地に行きました。
左手の丘の上に洋館の屋根が見えています。
「あそこがきっと石窯ガーデンテラスよ」



山々に囲まれた中に、築80年の洋館が建っていました。
この日12月3日は雲ひとつない快晴に恵まれ、風もなく11月初めの暖かさに恵まれたようです。

青空に輝く周囲の風景に圧倒されながらカメラのシャッターを押しましたが・・・
どうも絞りの設定をミスして、ハレーションを起こしている画像ばかりになってしまいました



”浄妙寺境内の高台に、80年近い歴史を刻んだ洋館を改装して、石窯で焼くパンを提供するカフェ&レストランとして2000年5月にオープンいたしました。
ガーデンテラスでは、庭に咲く四季の花を眺めながらお食事・お茶を味わっていただいております。
また、客席からは、ガラス張りのパン工房でパンが作られていく様子をみることができます”
と紹介されていた、このお店のホームページの文章に惹かれてやってきた私・・・

この時期の鎌倉の混雑を知っていましたので、並ぶのは覚悟の上でしたが、7~8分待ちで希望のテラス席に案内されました。



目の前にはイングリッシュガーデンが広がっていて、最後のバラが咲いていました。
お庭にはお料理に使うハーブ園もあり、四季折々のお花も楽しめるようです。

久しぶりに顔を会わせた私たち三人、話が弾みました。
「マンションは収納部分が少なくて中々片付かないのよ。でも機密性が高いので暖房要らずで暖かいわ」
ノンちゃんは今回の引越しで、5kも痩せたそうです。
「この機会に荷物が整理できて良かったわよ。歳をとったら断然マンションの方が暮らしやすいかもね」



メニューはスープとパン、コヒーor紅茶の付いた「シェフのこだわり石窯パンコース」が4種類と、そしてカレー、パスタがありました。

私たちはコースの中から
・鎌倉野菜と鎌倉ハム、冷菜のサラダ仕立
・海の幸の軽い煮込み
・ローストビーフカルパッチョ仕立
この三種類を頼んで、三人で分け合って戴きました。
素材の味がそのまま生かされ、ハーブの香りがハーモニーとなって「美味しい」
暖かい太陽の下で食べるランチはとても爽やかで気持ちがいいのもでした。



鎌倉の紅葉もそろそろフィナーレを迎えていました。
今年は10月始めに「妙高・笹ヶ峰」で、10年に一度の美しさと言われる光り輝く紅葉を見ましたが・・・
あれから見ると、我が家近辺の紅葉はイマイチ鮮やかさに欠けるような気がします。
暖かさと寒さの兼ね合いがピリリと来なかったのでしょうか?

それでも私たちは満足した気分で、レストランを後にしました。



こちらは「浄妙寺」境内にある「喜泉庵」
枯山水のお庭を見ながらお抹茶がいただけます(有料)
たまには煩雑な日常を忘れて、禅の世界に浸るのも良いかもしれませんね。

ただ、私たちはまだまだ語り足りなくて・・・
鎌倉の地名の由来にもなった、お隣の「鎌足稲荷神社」に寄ってから、海辺でお茶をすることにして、湘南海岸に向かいました。



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箱根「外輪山周廻歩道」その3

2008年12月04日 | 山シリーズ

この画像は深良水門のある「芦ノ湖」の西北側から、仙石原方面を写したものです。
「金時山」もハッキリと見えていますね。

私たちは一休みした「三国山」頂上を後にして、この芦の湖畔を目指して下ります。



午後2時近くになって、影も大分長くなってきました。
時折姿を見せる富士山は頭に雲がかかっていましたが・・・
晩秋で落葉が進み、尾根道も明るい陽射しの中を歩く事ができました。



ブナ林を下っていくと、正面が開けて湖尻峠と丸山が見えてきます。
斜面に茂ったハコネダケの防火帯の中の道を人が下っているのが見えました。

「乙女峠から長尾峠を経由し、丸山を越えてここまで登山道が繫がっているみたいよ」
Yさんが地図を見ながら言いました。
「では、次回のハイキングはここから繋げましょう」
「決まりね!」即決でした。



「芦ノ湖スカイライン」のすぐ脇に建っている湖尻峠の案内板には、箱根用水の説明が書かれていました。
この下をトンネルが貫通していて、芦ノ湖の水が流れているらしい・・・
当時(江戸時代)の土木技術には驚かされます。

少し先の峠で右に折れ、歩きづらい石畳の急坂を15分下ると深良水門に着きました。


水門から湖の水が江戸時代に作られた地下トンネルを通り、静岡県側に流れています。
この芦ノ湖西北岸には、釣り人が2~3人いただけで・・・
私たちは、水門から流れる水音だけが聞こえる静寂の中に包まれていました。

芦ノ湖は神奈川県にある湖なのにその水権利は静岡県にあります。
なぜかというと話は江戸時代までさかのぼります。


芦ノ湖から湖尻峠を越えたところに深良村(現・裾野市)がありました。
干害に苦しむ村人を救うために深良村の名主・大庭源之丞は 箱根山の外輪山を貫通するトンネルを掘ることを考えました。

1666年に工事を開始し約4年の歳月をかけて1280mのトンネルは完成。
深良用水は干ばつに苦しむ農民を救いました。


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湖の正面には「駒ケ岳」「神山」そして大涌谷周辺の山々が見えていました。
マウスオン・クリックで三枚の画像をご覧下さい

山々の紅葉はもう終りのようですね。
左端の賑やかな所がバス停のある「桃源台」・・・
私たちはこの水門から、更にあそこまで40分かけて歩きます

湖面には海賊船が行きかっていました。
行楽シーズンの三連休はフル回転なのでしょう。



芦ノ湖に沿って桃源台を目指します。
3時を過ぎて陽が西に傾き、すでに夕景の風情です。
芦ノ湖も神秘的に見えました。

この湖は神奈川県にありますが、水利権は静岡県・・・

箱根用水路が完成した当時、箱根と深良は同じ小田原藩の領地だったため、水権利は何の問題もありませんでしたが・・・
廃藩置県で神奈川県と静岡県に別れてしまってから問題になり、両県で水利権を争ったが裁判の結果、水利権は静岡県にということになったそうです。
およそ300年前の治水工事ですが、現在でも深良の田畑を潤し、山の傾斜を利用して水力発電も行われてとのことでした(案内板より抜粋)


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桃源台近くの散策路の紅葉が辛うじて残っていました。マウスオンでご覧下さい

観光船の発着場と、大涌谷から早雲山方面に上るロープウェーの駅は、昔とすっかり変わっていて・・・
設備も整い綺麗で立派になっていました。
夕方近くなっても、駅の中はまだまだたくさんの観光客で溢れています。

私たちは冷えた体を温めるために、レストランで「シラスかき揚げ蕎麦」を食べてから、バス停に並びました。
始発のバスはすぐに来て、私たちは一番前の席に座りましたが・・・
「箱根湯本まで2時間かかるよ」と運転手さんに言われてビックリ
通常なら40分で行ける距離です。
バスは満員の乗客を乗せて4時15分に出発しました



バスの窓からは、夕暮れの富士山のシルエットがクッキリと見えていました。
その内に私は眠気を催し
気がつくとまだ仙石原・・・
ここで大渋滞に巻き込まれて、バスは一時間以上も立ち往生していました
動き出してもノロノロ状態、途中のバス停にもたくさんの人々が並んでいましたが、乗れる余地はありません。
箱根湯本に着いたのが8時半近く、ナント4時間以上もかかりました
座っていた私たちでも腰が痛くなりましたが、満員の中立っていた方々の辛さはいかばかりかと・・・

イヤハヤ、イヤハヤ、
行楽シーズンの、好天に恵まれた連休の箱根は、聞きしに勝る凄まじい人出で驚きました。

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箱根「外輪山周廻歩道」その2

2008年12月01日 | 山シリーズ
いよいよ師走に入りました。
年々月日の過ぎ行く速度が増している感じで焦りますが・・・
今年の秋は特に風邪が長引き、自由に動けなかった焦燥感がありますね。

そして私は今、生まれて初めて「耳鼻咽喉科」に通っています。
風邪が原因の炎症により、喉から耳に空気が通らなくなっていたようです
仕事がある週の毎日の病院通いは少々堪えました
コメントのお返事も遅くなり、ブログ仲間の皆様の所へのご訪問もなかなかできず申し訳なく思っています



この「箱根外輪山周廻歩道」ハイキングの時も耳に違和感がありましたが、楽しさが勝り、足取りも軽く歩いていました。

この画像の富士山は「芦ノ湖スカイライン」の、レストハウス裏の丘に登って仰いだ姿です。
正午を過ぎて、頂上付近に雲がわき出していますね


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富士山の左側には「愛鷹連山」が連なっています。
この山に登れば目の前が富士山のはず・・・
何回か登山計画はたてていますが、未だに実行できていません。

その右奥に「南アルプス」の白い山々の姿もうっすらと見えていますね
マウスオンでご覧下さい

画像の下の方には「芦ノ湖スカイライン」を走る車も・・・
さすがに連休の中日で、車の数も多いようです。
スカイラインのカーブを楽しむローリング族も多くて、バイクの爆音が響いていました。



反対方向に目をやると、駿河湾が光っていました。
伊豆半島の西側の先端は石廊崎でしょうか?



バリバリバリという大音響に頭上を見上げれば、観光用のヘリコプターが飛んでいました。
芦ノ湖にはたくさんの遊覧船が浮かんでいて・・・
行楽シーズンの連休は、多くの人々がそれぞれの楽しみ方で晩秋の箱根を謳歌しているようでした。



私たちは再び登山道に戻り、ひたすら歩きます。
一旦芦ノ湖側に下ってから上り返すと「山伏峠」
人の姿もほとんどなく、すれ違うグループも数えるほどしかいませんでした。



峠を越えるといよいよ「三国山」への登りが始まります。
頂上までは1.8km、およそ1時間のダラダラ登りが続きます。



大ぶりな「ワレモコウ」が残っていました。
最近は園芸店でも見かけるお花のようですね。



たくさんの赤い実が、登りの苦しさを癒してくれました。
百両とも言われる「タチバナ」の実?
※山小屋さんのご指摘により「ミヤマシキミ」と訂正致します。



やっと着いた「三国山」頂上・・・
標高は1100mを越えています。
木々の間から青い湖面の「芦ノ湖」が望めました。
そしてその向こうには、駒ケ岳から神山への稜線が続いていました。

「あとどれくらい?」
「ここから下って深良水門までが一時間、バス停のある桃源台までは更に40分」
「3時頃の到着になるわね」

自分の声がごぉ~んと響き、友の声が遠くで聞こえるようでした。
丁度車で山から下った時に感じるような・・・
飛行機で着陸する時に生じるあの耳のトラブルとソックリでした。

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