花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

「弘法山」お花見ハイキング・その1

2009年03月30日 | 山シリーズ

ソメイヨシノの開花が宣言されてから10日が過ぎましたが、寒い日々が続いて中々満開となりませんね。
昨日の日曜日、山仲間と桜で有名な「弘法山」に、ハイキングに行ってきましたが・・・

小田急線の秦野駅北口から水無川に架かるまほろば大橋を渡り右折、川沿いを進むと広い県道(71号線)と出合います。
ここを左折し、河原町交差点を過ぎて行くと弘法山公園への登山口があります。

私たちは今回、秦野駅から鶴巻温泉駅までの約2時間半のコースをノンビリと歩く事にしました。

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林間の登山道は急坂ですが、可憐な道端のお花が心を慰めてくれます。
マウスオンでご覧下さい
最初の黄色いお花は「クサノオウ」、二枚目の白いお花は「クサイチゴ」と、山小屋さんが教えてくださいました。ありがとうございます。
他にも「タチツボスミレ」があちこちに咲いていましたね。


20分ほど登ると広場に出て、すぐに浅間山の山頂です。

ここは提灯が並んだ桜の名所で、車でも入れます。
あちこちにお花見の場所取りのブルーシートが敷かれていましたが、ソメイヨシノはまだ一分咲きくらいでしょうか・・・



振り返ると富士山も眺められます。
サクラのお花越に富士山の画像が撮れる場所ですが、残念ながらサクラはまだ蕾みです

この日の朝は「花曇り」という空模様でした。



ほころび始めたサクラを見つけてパチリ
仲間と一緒の山登りやハイキングでは、もっぱら軽いコンデジカメラのオートで写します。
歩きながらの撮影ですから、あくまでも記録写真です



更に階段状の登山道を登り返して行くと、広い園地になっている「権現山」に到着します。



権現山の頂上には立派な展望台が建っていました。
晴れた日には富士山、丹沢や箱根の山々、相模湾など・・・
360度のパノラマが見渡せます。



展望台に登ってみました。
秦野の町の向こうに見える富士山は、春霞に霞んでいますね。
「関東富士見百景」にも選ばれている冨士の眺めですが、10時半を過ぎて雲も湧いて来ました。



こちらは富士山の左手に連なっている「箱根の山々」です。
一番右の尖った山が「金時山」でしょうか・・・
その左のなだらかな稜線が「明神」「明星」へのトレイル、「神山」「駒ケ岳」と続き、左側のポコポコと並んだ二つの山が「二子山」



反対側に目をやると、円錐形の「大山」が正面に見えていました。
その左側の奥が「丹沢主脈の山々」でしょうか?
まだ雪が残っているようですね。

3月下旬だというのに、先日は雪が舞いました
高い山はまだ冬の景色のようですが・・・
毎年春に丹沢前衛の山に行きますが、こんなに遅くまで雪が残るのも久しぶりのような気がします。

眼下の頂上広場のサクラもまだほとんどが蕾み
この辺りから弘法山にかけては桜の名所になっていて、「弘法山桜まつり」も行われていましたが・・・



「前回はサクラが満開の時に下の娘と来たけど、ここから弘法山までのコースが最高だったのよ」と、Yさんがつぶやきました。
そのお嬢さんも先日お嫁入りをしたとのこと・・・



今回はケァマネの仕事をしていて一番忙しいKさんの都合に合わせ、この日の山行きを決めましたが、案の定、彼女は急な仕事が入り参加できませんでした。
「この不況で、介護の仕事に付く人が増えて彼女も少し楽になると思ったけど、そうでもないのね」
「彼女一体いつ休んでいるのかしら?頑張りすぎて体が心配だわ」

「箱根外輪山」踏破の残り半分、「乙女峠~長尾峠~湖尻峠」のコースは3人で行ける日まで残しておきましょう・・・
Yさんとそんな話をしながら、咲き始めのサクラの下を歩いていきました。



「桜まつり」の模擬店もたくさん出ていて、秦野名物のシイタケの煮物や落花生、ミカンなどを買いながら進むといよいよ「弘法山」でした。




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ジャワ島へ・「ボロブドゥール仏教遺跡」その3

2009年03月26日 | バリ島紀行

最上層の無色界には、72基の釣鐘状のストゥーパー(仏塔)が置かれています。

これらのストゥーパは、三重円を描くように並び、この中心塔は空洞になっていて・・・
大乗仏教の真髄である「空」の思想を強調しているとされ、ジャワ仏教の独自性が示されているそうです。

叉この遺跡は、それ自体が仏教の宇宙観を象徴する巨大な曼陀羅といわれ、一説には、須弥山を模したものとも考えられているそうです。
(須弥山とはサンスクリット語のスメール山の事、古代インドのバラモン教、仏教、ジャイナ教等の世界観の中で中心にそびえる山だそうです)



ボロブドゥールの仏教遺跡は、その形から世界最大級のストゥーパ(仏塔)でもあるそうです。
ストゥーパの釣鐘状になっている部分は、一辺23cm大の石のブロックを目透かし格子状に積み上げ、中の仏像を拝することができるようになっていて、漆喰などの接着剤の類は一切用いられていないとのことでした。



中央の大ストゥーパーの周りを「願い事」をつぶやきながら三周すると、ご利益が叶うとガイドさんに言われ、時計回りに廻りました。

風光明媚な自然に囲まれた「ボロブドゥール寺院」・・・
しばし瞑想にふけりたい所です。



ストゥーパーの中には釈迦牟尼仏が安置されていて、その指に触れるとご利益が叶うらしい。
みんな必死に手を伸ばしていました。モチロン私も・・・



この遺跡は観光客だけではなく、インドネシア国内のたくさんの児童生徒・学生達も「社会科見学」で訪れる場所のようです。

回教徒特有の白いスカーフを被った女子学生から「Can you speak English?」と声をかけられました。
きっと英語教育が盛んなんでしょう・・・
私は「A little」と答えただけで精一杯

そして彼女の許可を得て写真を撮らせてもらいました。
女子は外国人を見ると生きた英語のお勉強に熱心でしたが、男子はどこでも同じようなイタズラ坊主・・・
子供や学生達の姿は万国共通ですね。



最後はいっきに急階段を下まで降りました。遺跡めぐりは体力&脚力が必要です。
車を降りたとき「突然の雨用に」と、エフィーさんから大きな傘を皆に渡されましたが、それがいい杖となりました。
写真を撮るのには邪魔でしたが・・・


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降りてからエフィーさんが、この遺跡の全景が見えるところに案内をしてくれましたが、その前に、主人の提案で彼女を囲んで記念撮影をしました。
マウスオンでご覧下さい

私と良く似た色のポロシャツを着ていて、一番背が小さいのがアラブ系のガイドのエフィーさんです。
若い2人の女性は、横浜では超おなじみの地元の銀行員さんでした。
川崎にお住まいの70歳前後のご夫妻は、ご主人が現役時代、よくインドネシアのジャカルタに長期出張で来ていたことがあり、今回は思い出の地を奥様とご一緒に周られているとか・・・



駐車場に戻る途中で綺麗なお花を見つけました。
こちらは「クジャク花」だそうです。


そしてこちらはブログ仲間の山小屋さんが、「海南島」の記事で紹介していたお花と同じです。

「アラマンダといってキョウチクトウの仲間です。
別名:アリアケカズラと呼ばれています。
日本でも時々見かけます。甘い香りがする花です」山小屋さんの記事より
女性達は皆でこのお花を耳に飾って楽しみました。
同じツァー仲間同士、歳は関係なく親しくなりました

尚、この「ボロブドゥール仏教遺跡」は日の出の時間がお勧めだそうです。
夕日の中に浮かび上がる遺跡も風情があって良さそうです。
できれば、このすぐ近くのホテルで一泊したかったですね。



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ジャワ島へ・「ボロブドゥール仏教遺跡」その2

2009年03月23日 | バリ島紀行

「ボロブドゥール仏教遺跡」は高さ31.5m、最下部の基壇は1辺約123mという威容を誇り、ジャワ様式の下部方形6層とインド様式の上部円形3層のピラミッド構造だそうです。

遠くからも見えていましたが、壁には仏龕(ぶつがん)があり、計432体の仏像が蓮の花の台座の上に据えられています。
仏像は向いた方角によって結ぶ印(両手の形と位置)が異なるそうです。

私たちは真ん中の直登の階段には行かず、まず左側に進み、下部の基壇にあるレリーフの説明を受けました。

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マウスオンでご覧下さい
因果応報を描いた160面のレリーフがある旧基壇は「俗界」を表わします。

飲酒の訓戒を物語るレリーフなどがあり、人間の欲や煩悩を因果応報で説いています。
ガイドさん曰く「男の煩悩は飲む、打つ、買う」が描かれていて、女は「噂話や悪口」だそうです。昔も今も変わりませんね。


階段を少し登ったその上の二層目は・・・
1300面のレリーフと、432体の仏像がある第一回廊から第四回廊までが「色界」です。



第2層の色界では4重に巡る幅約2mの回廊を時計回りに進み、仏教の経典などを見て廻ります。
第一回廊のレリーフにはお釈迦様の生涯が描かれていました。


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マウスオン・クリックで三枚のレリーフをご覧下さい

釈迦は現在のインドとネパール国境付近の釈迦族の出身で、家柄は王 とよばれる名門であったそうです。
シュッドーダナを父とし、隣国の同じ釈迦族のコーリヤの執政の娘・マーヤーを母として生まれ、ゴータマ・シッダールタと名づけられます。

釈迦は母親がお産のために実家へ里帰りする途中、花園で休んだ時に誕生しました。
そして、生後一週間で母のマーヤーは亡くなり、その後は母の妹、マハープラジャパティーによって育てられたそうです。
釈迦には二人の母が居たのです。

釈迦は産まれた途端、七歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と話したと伝えられていますね。
そこまでの「釈迦誕生」のお話を、ガイドさんは熱心に説明してくれました。



回廊の右手の壁にはレリーフが更に続き、釈迦が菩提樹のもとで悟りを開くまでのお話をユックリと見て廻りました。

正直「我が家は仏教の禅宗です」などとオージーに話していたことが恥ずかしいくらい、仏教に関しては無知でした
この「イスラム教徒」が圧倒的に多い国の遺跡で教わるとは・・・



日本人には御馴染みの「仏像」の姿です。何故か心休まりますね。

1000年近くも密林の中に眠っていたそうですが、「イスラム教徒」から破壊を免れるために、信者が埋めたという説もあるようです。



仏像の後ろ側に立つと周囲の山々が見渡せます。
この山々のシルエットが、仏が横になった「涅槃像」の姿にも見えると有名だそうです。
反対側には遠くうっすらと、煙を吐いている火山も見えました。



さていよいよ最後の急階段を登ると、正面に大ストゥーパー(卒塔婆)が現れました。
このてっぺんには以前チャトゥラ(相輪)という装飾物が備え付けられていたそうですが、カミナリで破壊され今はありません。

階段を登りきるとそこは「無色」の世界・・・
大乗仏教の世界観を表わす風景が広がっていました。 
 

                               

話は変わりますが、前回紹介した我が家の「ハクモクレン」は春の嵐に見舞われた日曜日にあっと言う間に散りました。
わずか三日の短い花の命でした。
今では少々無残な姿をさらしています。

これも仏教でいう所の「無常の世界」なのでしょうか・・・?
ふと「平家物語」の冒頭が口から出ました。

       祗園精舎の鐘の声、
       諸行無常の響きあり。
       娑羅双樹の花の色、
       盛者必衰の理をあらは(わ)す。
       おごれる人も久しからず、
       唯春の夜の夢のごとし。
       たけき者も遂にはほろびぬ、
       偏に風の前の塵に同じ。

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ジャワ島へ・「ボロブドゥール仏教遺跡」その1

2009年03月20日 | バリ島紀行

今週は暖かい春の陽射しが続き、我が家の庭の「ハクモクレン」があっと言う間に咲きだしましたが・・・
生憎「春分の日」の朝は風が強く、その上激しい雨が降りだしました。

雨はお昼過ぎに上がり、カメラを持って庭に出てみると、雨に打たれた白い花びらは全部が開ききっていました。

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前日に見たときはまだ蕾みもあったのですが・・・マウスオンで比べてみてください
これでひと風吹けば、あっと言う間に散ってしまうことでしょう


もう花びらの先が傷み始めていますね。
「花の命は短すぎる!」と、何だか私も妙に焦りました

             



さて「バリ島」3日目はお隣の「ジャワ島」に飛んで、世界文化遺産の「ボロブドゥール仏教遺跡」と「プランバナン寺院群」見学の日でした。

こちらが「インドネシア」の地図です
「バリ島」は、首都ジャカルタを擁する「ジャワ島」のすぐお隣にチョコンとありますね。
さてここで「インドネシア」という国のお勉強です。

インドネシア共和国の面積は日本の約5倍。
思っていた以上に広い国で、6つの大きな島と1万7500あまりの島から成り立っています。

人口は約2.28億人(2008年)で、中国、インド、米国に次いで世界第4位の人口。
大半がマレ-系で、中国系は約3%。
総人口の約6割が、全国土面積の約7%に過ぎないジャワ島に集中しているそうです。

宗教はイスラム教88.6%、キリスト教8.8%、ヒンズ-教1.7%・・・
世界最大のイスラム人口を有しますが、特にイスラム教が国教と決められているわけでもないようです。



まだ夜が明けやらぬ4時50分に、スーさんがホテルのロビーに迎えにきました。
夜半から風雨ともに強く、空港に向かう道路は川のように水が溢れていました。
こんな早朝から、ドライバーさん共々ご苦労様です。

「ガイドの仕事があるから、病気の母親を田舎から呼んで家族も養っていけるのです。ありがたい事です」と・・・
それでも世界同時不況で、日本からの観光客は3割減だそうです。

朝ごはんはホテルが用意してくれたお弁当
空港の搭乗待合室で、パンとゆで卵と果物をパクつきました。
同じように、各ホテルのお弁当を食べている日本人観光客が十数組は居たでしょうか・・・

朝の6時過ぎ、ジャワ島の「ジョグジャカルタ」行きの小型飛行機に恐る恐る乗り込みました。
幸い風雨も収まりつつあり、少しホッとしましたが・・・

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民族衣装姿のスッチーさん、上原さくらちゃん似の大きな瞳が印象的でした。
腿の上まで切れ込んだスリットスカートに、殿方はクラクラきていることでしょう
マウスオン、近づいてきた眼下の学園都市「ジョグジャカルタ」の景色も合わせてご覧下さい。


一時間ちょっとで、ジャワ島の古都「ジョグジャカルタ」の空港に到着です。
バリ島の空港よりも更に小さいローカル空港でした。
空港のトイレが和式にそっくりで、ハテナ?ハテナ?状態になりました

私と同じようなトルコブルーのポロシャツを着た40がらみの女性ガイドさんが迎えてくれました。
「私のお父さんはアラブ人、お母さんは中国人、私はマルタ諸島出身で名前はエフィー」と自己紹介。
そして私の顔を覗き込んで「インドネシア語を話してもおかしくないよ」と・・・
そう、私も情熱的な瞳の持ち主なのだ

中高年の夫婦が2組と若い女性2人連れの計6名が、案内されてバンに乗り込み出発です
車中での自己紹介で、6人全員が神奈川県民であることが分り驚きました


「古都ジョグジャカルタは日本の京都と姉妹都市で、今では大学の町と言われています。そしてこの近くにはもう一つ、奈良と姉妹都市のソロという古都もあります。ブンガワン・ソロ♪という歌でも有名ですね」
「その歌なら知っているわ」と、中高年の二組が頷きます。

エフィーさんの説明を聞きながら、バリ島と同じようにたくさんのバイクが走る車窓の風景を眺めました。
所々に自転車レーンならぬバイクレーンがありました。

ジョグジャカルタ市内から車で1時間のところに、世界三大仏教遺跡で有名な「ボロブドゥール寺院」があります。
(ちなみに他の二つはカンボジアのアンコールワット、ミャンマーのバカン遺跡)

三方を3000m級の火山に囲まれ、二つの川が合流するケドゥー盆地の観光公園内に遺跡はあります。
流石に「世界文化遺産」の施設だけあり、入り口ではウエルカムドリンクが用意され、綺麗なトイレがありました。

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公園のガイドさんに案内され着いて行くと、珍しい木が・・・
「ハンカチの木」と日本語で教えてくれましたが、日本のとはだいぶ趣が違っていましたね。
マウスオンで全体の姿もご覧下さい

そしていよいよ、密林の中に長い間埋もれていたという神秘の「仏教遺跡」が姿を現しました


紀元760~850年の間の建立と断定されたそうですが、誰が?、何故?、どのようにして建立したのか?
依然としてナゾのままだとか

シャイレンドラ朝のサマラトゥンガ王建立説が有力ではあるようですが・・・
政変により10世紀の初めに密林に葬られると、以後約1000年にわたって火山灰に覆われていたそうです。


1814年に英国のラッフルズ提督により発見され、一部が発掘されたそうです。
そしてユネスコで救済動議が採択され、1973年から大修理作業が始まり83年に竣工・・・
その後「世界文化遺産」に登録されました。
このマークが二ネスコの世界遺産のマークですね。


丘に盛り土をして、5万5000個もの安山岩を積んで建造された世界最大の仏教遺跡「ボロブドゥール寺院」
それは仏塔か?曼陀羅か?
胸の高鳴りを感じながら階段を登りました。

               
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速報・鎌倉の桜

2009年03月18日 | 鎌倉散策

今週は久しぶりに太陽が顔を出し、暖かく春めいた日が続いていますね
「バリ島シリーズ」を記すつもりでしたが、急遽「鎌倉の桜」を紹介します。

大忙しだった先週とはうって変わり、今週は仕事もなく、主人は仕事仲間と泊まりのゴルフ旅行・・・
ヤッホー!、オサンドンから解放され、まるごと自由な時間が持てました
早速、学生時代の友人を誘い一緒に鎌倉に散策に行ってきました。

鶴岡八幡宮前の「段カズラ」のソメイヨシノはまだ蕾みでしたが、入ってすぐの太鼓橋横の桜が満開でした。


特に桜の名前は印されていません。
「寒桜に何かが混じったのでしょう」と、私と同じようなカメラを抱えたおじ様が話しかけてきました。

いわゆる「彼岸桜」はコヒガンサクラの事らしい・・・
この桜は花びらが大きくて、この優しいピンク色は色の濃い「寒緋桜」(緋寒桜)とも全然違います。


「本堂の大階段横の”河津桜”はもう終わっているし、弁天島の”大島桜”も盛りが過ぎたし・・・、今年は桜が早いようですよ」
おじ様は色々教えてくれました。

そして「4月の6,7,8日ごろには、湘南海岸から”ダイヤモンド富士”が見える」という情報も知らせてくれました。
うぁ~是非行きたい、でも私仕事の週だわ


こちらは弁天島の「大島桜」です
白い花びらがボタン雪のように風に舞っていましたが、まだまだ充分綺麗に咲いていました


ヤマザクラなどと同じように、葉っぱがお花と一緒に出てくる桜です。
白いお花が特徴ですが、真ん中がピンクに染まっているお花も見られるということは???

本州での桜のお花見で代表的なものは「ソメイヨシノ」ですが、他にもたくさんの種類があることを北海道に住んだ時に知りました。

そしてソメイヨシノが咲く条件として「10度以下の気温が二ヶ月以上続かないと咲き出す準備がなされない」ということを最近TVで知りました。
このまま温暖化が続けば、関東南部は見られなくなるかも

                            
                
「報国寺」

この日は急に思いついた鎌倉行きだったので、ランチは駅前通りのイタリアンで済ませ、私たちはバスに乗り、ブログ仲間のekoさんが紹介していた「報国寺」に向かいました。

竹のお寺で有名な足利氏ゆかりの名刹です。
山門が工事中で、裏門から入りました。


茅葺屋根の「鐘楼」です。
何となく「バリ島」のお寺を思い出しました。こちらの方が断然立派ですが

「1334年創建の臨済宗建長寺派の寺。天岸慧広(てんがんえこう)が開山、開基は足利尊氏の祖父である足利家時。上杉重兼が開基という説もある。かつては足利、上杉両氏の菩提寺として栄えたと伝わる」とか・・・

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マウスオンでご覧下さい
さして広くはありませんが、見事に茂った竹林の中を歩くと圧倒される思いがあります。

この中にある「お茶処」で、お抹茶を飲みながら「禅」とは?
と物思いにふけるのも良いかも知れません。
でも久しぶりに会った私たちは、お腹もいっぱい、お話もいっぱいで・・・


禅寺ながらの裏庭も見応えがありました。
真ん中に「サンシユ」が咲いています。丁度満開ですね
左奥のピンクのお花は桃でしょうか?、庭の中に入れないのが残念です。

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入り口近くの「サンシュユ」をアップで撮りました。
良い香りを漂わせていた「沈丁花」と合わせて、マウスオンでご覧下さい

ekoさんが2月に撮った「ユキワリソウ」も、竹林の中に咲いていた橙色と黄色の2種類の「ミツマタ」も終りに近くて、アップに耐えない画像で残念でしたが、竹林を歩けただけでも爽やかな気持ちになれて満足でした。

ところで、「ミツマタ」のお花を知らない方々が多いのには驚きました。
写真を撮っていると「珍しい沈丁花ですね」と、たくさんの方々から話かけられました


ヤグラの前に、珍しい木が・・・
目を凝らして見ると「松」という字がうっすらと読めました。
今思えば望遠レンズで確認をすれば良かったと
(大王松と書かれているようです。モカさん、ありがとうございます)

こんな時にお助けマンの夫がいたならばと思いますが・・・
居ない気楽さの方が大きいかな~

この日はこの後十一面観音で有名な「杉本寺」に寄り、そして最初にUPした「八幡様」のサクラを見て、小町通りでお茶して、ジュンさんの「エジプト旅行」のお話などを聞いてから帰ってきました。
夫が居ないという事は、食事の心配をしなくても良いということで・・・

そして昨日は急遽思い立ち、一人で車で「みなと未来」のワールドポーターズに出かけて、午後から映画「マンマ・ミーア」を観てきました。
友人のジュンさんが「感激した!」と熱っぽく語っていましたものね。


ギリシャの小さな島を舞台に、今年60歳のメリル・ストリーブはじめ、中高年の俳優さんたちが、若い人たちに負けじと、懐かしいABBAの音楽に合わせて唄って踊って弾ける楽しいミュージカル映画でした
目が覚めるような美しいエメラルドグリーンのエーゲ海も綺麗だったし・・・
たくさんの勇気と元気をもらってきましたよ。

さぁ~今日は何を楽しもう?
でももう主人が帰ってくる日となりました。
家の中もどことなく埃っぽくなり、粗食も続き・・・
独り身の自由とはオサラバですが、ソロソロ普通の生活に戻る時間ですね。

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タイムスリップした町・「ヨーク」

2009年03月15日 | パース滞在記
映画「オーストラリア」を観た時、舞台となった第二次世界大戦前の「ダーウィン」の街の風景が、どこかで見たことがあるような気がしました。モチロン、あれはセットでしょうが・・・
去年の2月にパースに行った時に訪ねた「ヨークの町だ!」とすぐに思い出しました。


西オーストラリア州の州都「パース」から東に97kmの所に位置する「ヨーク」は西オーストラリア最古の内陸都市です。

町はナショナル・トラストによって歴史の町に指定されており、19世紀の多くの建物が保存・修復されていて、まるで100年以上前にタイムスリップしたような錯覚を覚えます。

真っ先に目についたのがこの「タウンホール」
1911年に建てられた歴史的建造物です。

インフォメーションセンターの看板があったので、この建物の中に入り地図をもらって説明を受けました。
中は博物館と、簡単な土産物店も兼ねています。
そして、多目的ホールや展示場などが、美しいステンドガラスの向こうに見えていました。


そのお隣が、時代を感じさせる「ホテル」
私たちは車をタウンホールの横に駐車して、町の中を徒歩で散策しました。

町の中の風景をnon_nonさんのソースをお借りしてまとめましたので、小さな画像にマウスオンしてご覧下さい
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郵便局
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映画の中の風景と同じようですね。
車さえなければ、ここでサラに扮したニコール・キッドマンが歩いていても違和感はありません。

ヒュー・ジャックマン演じるカーボーイが馬に乗って現れてもおかしくありません。
代わりに、同じようなカーボーイハットをかぶった主人の姿が見えていますが・・・
足の長さが違いすぎる


かっては先住民が暮らしていたこの地域に、1835年、白人の入植者がやって来て水場近くに住み着いたことから、アボリジニとの争いになったようです。

兵士が入植地の防衛にあたるようになり、こうしてヨークは集落の形を整えたのでした。
その後羊毛産業が盛んになり、港町「フリーマントル」への輸送が急務となりました。
1886年にようやく鉄道が開通すると、偶然にも数年にしてゴールドラッシュが起こりヨークは活況を呈したそうです。

往時の賑わいを偲びながら、町のメインストリートを歩きました。

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その一角にあるレストランで昼食をとりました。
マウスオン・クリックで、三枚の画像をご覧下さい

毎度のことですが、ボリュームがあり過ぎて、いつも頼むのは一人前・・・
これにサラダを付けますが、これがまた凄い量です


こちらは1886年に建てられた「聖パトリック教会」、人の姿はほとんどありませんでした。

この後は車で、インフォメーションセンターの地図に記してあった川に出て、ツリ橋を渡ったりブッシュウォークをしたりして遊び、それから1km位離れた所に建つ古い学校に行きました


小さな小さな小屋のような学校です。
すぐ横にある「工房」に居たおじさんが、鍵を開けて案内してくれました。

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マウスオンで室内をご覧下さい

教室1つと教師の寝泊りする部屋だけの狭さで、トイレも無かったそうです
壁に貼られた、ヨーロッパと大英帝国の大きな地図が印象的でした。


ここでは「駅舎」や「プラットホーム」も立派なヘリテージ、歴史的遺産です。


ここに佇んで、もう列車が走らなくなったレールを見ていたら、ふと「北海道」を思い出しました。
この鉄道工事に従事したのはイギリスから送られてきた囚人達で・・・
ここに住んでいた先住民との土地を巡る争いも、アイヌの悲劇と似ています。
年代的にも同じ頃でしょう。
アポリジニもアイヌも文字を持たなかった事まで共通していて驚きました。


鉄道が廃止されて物流はトラック輸送が主になりました。
オーストラリアは国道一号線が、北東部のケアンズから南に下り、東部の大都市を通ってから海岸線を西に向かい、パースを北上してダーウィンまで繫がっているそうです。
ギネスブックに載る、世界一の長さの国道だそうです。
ヨークに向かう時に、パース郊外の道路で遭遇した光景ですが、こうして「家」までまるごと運んでしまうので驚きました

映画「オーストラリア」を観て、去年行って、まだUPしていなかった「ヨーク」を思い出しました。
この翌日に、インド洋の海にポチャンと落として使えなくなったコンデジで写した古い画像で恐縮です

今年の2月に行った「バリ島」や「ジャワ島」はオーストラリアのすぐそばにあるのですが、歴史のある名所旧跡がたくさん見られるところでした。
次回は叉それらを綴っていこうと思っています。

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映画「オーストラリア」を観て・・・

2009年03月12日 | 映画、観劇

屋根より高く茂ったご近所のお宅の「ミモザ」です。
今年は早くて3月初めには満開となり、そろそろ盛りが過ぎました。

ミモザはマメ科、アカシア属の木で、学名は房アカシア、葉が銀灰色のものを銀葉アカシアと言うようです。
開花時期は3月上旬から中旬で、原産地はオーストラリア・・・

パースの隣人のレスさんご夫妻にこの木と花の写真を見せたら「ワトル!」と言って喜びました。
ミモザと同じ仲間の「ゴールデン・ワトル」がオーストラリアの国花で、国の紋章にもワニやカンガルーと一緒に描かれています

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アップの写真をマウスオンでご覧下さい

特にパースのある西オーストラリア州に多く見られ、春になると郊外の道路は黄色のトンネルの中を走る感じがします
私も3年前の9月(春)に行った時は感激しました。

ミモザを見てオーストラリアを思い出し、映画「オーストラリア」を観て、あの広大な大地を懐かしみました。

                                  

映画「オーストラリア」

私たちは1時間半の昼食時間をとり、次の映画「オーストラリア」を観ました。
お正月、ノンちゃんのお宅のマンションに招待を受け、ご近所仲間4夫婦で新年会をやって以来の久しぶりの顔合わせで、和食のランチを戴きながらお喋りも弾みました。

さて、映画「オーストラリア」のあらすじですが・・・
「第二次世界大戦前夜のオーストラリア。イギリス人貴族のレディ、サラ・アシュレイは、夫を捜しに北部の町・ダーウィンにやって来た。彼女を迎えたのは無骨なカウボーイ、ドローヴァー。夫の領地に着いたサラは、夫が何者かに殺されたことを知る。そして雇い人フレッチャーの裏切りで牧場は破産寸前。牧場を立て直すためダーウィンの港に停泊中の軍に残された1500頭牛を売ることを決心したサラは、ドローヴァーの力を借り、牛を引き連れ砂漠横断の旅に出る…」

いやぁ~、雄大なオーストラリアの風景、アクション、美男美女のラブロマンス、豪華な衣装・・・
ドラマチックなストーリーの大河アドベンチャーは、私の大好きな一昔前のハリウッド映画を思い出しました。
それもそのはず、オーストラリア人監督「バズ・ラーマン」監督は現代版「風とともに去りぬ」を意識したらしい・・・

オーストラリアと言えば「壮大な大自然」「先住民族のアポリジニ」「オージービーフ」「ガンガルー」
出演者も主演の2人をはじめ、ほとんどがオーストラリア人で固められ、監督の祖国愛に満ちた映画となりました。
広大な荒野が広がる風景が美しく描かれていましたね。



最初は西部劇風で、イギリスからやって来た貴婦人サラ(ニコール・キッドマン)のカルチャーショックが、ややコメディータッチに描かれます。
9頭身もありそうな美女「ニコール・キッドマン」が結構はまっていました。

無骨なカーボーイのドローバー(ヒュー・ジャックマン)とは反目しあいながらも、互いに心ひかれていき・・・
二人はライバルの妨害に遭いながらも仲間たちと協力し合い、ダーウィンの町を目指して、牛の大群を追います。


広大な大地に1500頭の牛が駆け抜ける様は、CGを駆使した画像とはいえ凄い迫力でした。
ここまでが前半の山場です。

無骨なカーボーイ役のヒュー・ジャックマンも、顔良し、筋肉質な長身のスタイル良しで、とぉ~ってもステキでした
彼は今年のアカデミー賞授賞式の司会をやっていて、ハンサムな上に踊れて唄える芸達者だそうです。
もっとも私は、往年の名優「ゲーリー・クーパー」のような少々陰のある渋い男性が好みですがね(古すぎる!)

この映画は、前半の「メデタシ!、メデタシ!」だけでは終わりません。
カーボーイは束縛を嫌い、馬おいの旅に出て・・・
その後もサラの前には、裏切り者のフレッチャーが立ちはだかり、戦争が激化して日本軍も襲来します。

サラはスカーレットのごとく雄雄しく困難に立ち向かいます。
ただこれだけでは単なる平凡な大河ドラマですが・・・



「エエッ~!日本軍はオーストラリアも攻撃したの?」と、観客は少なからず驚きますが、上のオーストラリアの地図をご覧下さい

オーストラリアの一番北、ノーザンテリトリーの州都「ダーウィン」はアジアに向けての玄関口でもあります。
南方に戦火を広めた日本軍は、真珠湾攻撃よりも多くの爆弾を「ダーウィン」に降下し、その回数は63回にも及ぶとか

「この映画は日本を敵視していて許せない!」という意見もサイト上にたくさん寄せられていますが、この空襲は真実なので私は特にそのような感情は持ちませんでした。
「風と共に去りぬ」を意識すれば、このような設定も当然ありなんでしょう・・・


この映画が人間ドラマとして多少奥行きが出たとすれば、白人と先住民を両親に持つ混血の少年「ナラ」に物語を語らせ、その祖父の呪術師を登場させた所だと思います(この子がとても可愛い!)

サラは使用人だったナラの母親が事故で亡くなり、孤独になった少年の母親代わりになります。
母性に目覚めるサラ・・・
この物語は家族愛までも謳っていて、涙を誘う要素がいっぱいでした。
テンコ盛り過ぎで、3時間近い上映時間は少々疲れましたが・・・

私たちが中学時代「地理」の時間で習ったオーストラリアは「白豪主義」と必ず教科書に書いてありました。
それは1970年代まで続いたそうで・・・
アポリジニの子供を親から切り離し「白人化」という名の下での、ひどい人権を否定するような「人種差別」があったようです。

今回の映画を反日映画ととる人が現れるということは、オーストラリアに入植した西欧人たちが、アポリジニに対して犯した罪を少々オブラートで包だ感があり、敵は日本軍と思うようにしたとも考えられるからでしょうか・・・
逆に言えば、それが現在のヨーロッパ系のオージーが抱えている痛みでもあるのだと見えてきました。
とにかく、オーストラリアの歴史についても考えさせられる映画でしたね。


余談ですが、私は西オーストラリア州のパースに4年間通い、7回行って滞在し、そこで暮らして周辺を旅をしましたが・・・
まだ未練があるとすれば北部のブルームとダーウィンです。

シドニーやメルボルンは一般的な観光地なので、いつでも行けそうですが、この二つの町は日本と関わる歴史とロマンがあり、そして遥か北の地の果てという点で心惹かれていました。


叉、大自然の中にある世界遺産「バングル・バングル」や、アポリジニの故郷「カカドゥ国立公園」などは、個人では中々行けない場所と聞いています。

パースから一日一便のブルーム経由ダーウィン行きの長距離バスが出ているようでしたが、片道丸二日と8時間を要するらしい・・・
とにかくオーストラリアは日本人の感覚では図れない広さがあり、驚かされることばかりでした。

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映画鑑賞と桜

2009年03月09日 | 映画、観劇

こちらは、横浜のMM21近くにある「県民共済ビル」前の桜です。
ビルの谷間にあるこの桜が、毎年少し早めに咲き出すのは知っていましたが・・・
先週車でその道を通ったら、ナント!すでに満開になっていました

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マウスオンで、アップの花びらもご覧下さい
たまたまバッグの中に入れていたコンデジのオートで撮った、単なる証拠写真ですが・・・

早咲きの桜なのでしょうが、詳しい種類が分りません、冬桜にしては艶やかなのです

雨続きの中、久しぶりに青空が広がった5日の木曜日・・・
私はご近所仲間と3人で、MM21にあるワールドポーターズに映画を観に行きました。
いつもと同じように、1日に2本の映画鑑賞です。

この日は5トウ日なので渋滞を配慮し朝の8時前に車で出発したら、鎌倉街道は案外スムースに走ることが出来て、8時半にはMM21に着きました。
それで時間調整のために車を停めて、朝の「サクラ見物」をしました


一緒に咲いていたピンク色の濃い「ヒカン桜」が、ソメイヨシノより一ヶ月ほど早く咲きだすということは知っていましたが・・・
青空を背景に咲く可憐な薄いピンクの桜が、本格的な春の訪れを感じさせてくれました。


                                  

みなとみらいのマイカルでこの日観た映画は、午前中に「チェンジリング」、そして午後から「オーストラリア」
それぞれ2時間半と3時間の長丁場の作品です。
「お前らはガッツがあるよ。それだけ元気ならエジプト旅行もきっと実現できるよ。大丈夫!」と主人が、半分呆れた顔で見送ってくれました。

「チェンジリング」

最初に観たのは、アンジェリーナ・ジョリー主演の「チェンジリング」
ブラット・ピットの「ベンジャミン・バトン」と迷いましたが(両方ともアカデミー賞にノミネートされた作品)、「チェンジリング」の監督が、以前観て大感激した「ミリオンダラー・ベビー」のクリント・イーストウッドだったのでこちらを選びました。


「1928年。ロサンゼルスの郊外で9歳の息子・ウォルターと幸せな毎日を送る、シングル・マザーのクリスティン。だがある日突然、家で留守番をしていたウォルターが失踪。誘拐か家出か分からないまま、行方不明の状態が続き、クリスティンは眠れない夜を過ごす。そして5ヶ月後、息子が発見されたとの報せを聞き、クリスティンは念願の再会を果たす。だが、彼女の前に現れたのは、最愛のウォルターではなく、彼によく似た見知らぬ少年だった」

「ミスター&ミセス・スミス」では、拳銃片手にブラピと派手なアクションを演じたアンジーが、今度はエレガントな中に強さを内に秘めた母親を熱演しています。
尚、この物語は実話です。
1920年代当時、堕落したロサンゼルス警察が保身のために行った数々の非道な行動・・・
そしておぞましい猟奇的な事件・・・
これらが実際にあったという事実にがく然とさせられました。


「見つかった子は自分の子ではない」といくら訴えても、体面を重んじるロス警察は相手にしてくれません。

教師や歯医者も「違う子供」と証言してくれるのですが、警察は「成長期の子供は5ヶ月で変化する」と言って聞く耳を持たず、挙句に卑劣な手段にでます。

80年前のこの頃から「メディア」という存在が、国家権力にとっても被害者側にとっても侮れないものとなっていたのですね。
現在はこの頃の比ではなくなっていて・・・
政治を動かすのも世論を動かすのも、もしかしたら「メディア」なのかもと、実感しました。

アンジェリーナ・ジョリーの熱演で、上映時間の長さは感じられない力作でした。
当時としては花形職業の「電話交換手」
身に付けるファッションも時代を思わせて良い感じ・・・
落ち着いた色彩の画面に、真っ赤な唇と真っ黒なアイシャドーの大きな瞳が印象的なアンジー。
あんなに細かったかしら?
先日、ブラピと子供達を引き連れ来日した時は、逞しい肝っ玉マザーの印象が強かったけど・・・
役にかける努力はやはりプロですね。


母親の悲しみと孤独な戦いが繊細ながらも淡々と流れる前半に対して、後半は思いがけない展開が繰り広げられ、どんどん引き込まれていきます。
やはりアカデミー賞を2回も受賞した監督の手法は冴えていますね。

重くて切ない物語ですが、希望を失わない母親の姿に救われます。
その彼女に味方した教会や弁護士の存在と、そして良心を持った刑事がいたことも救われました。
辛い展開ながらも、クリント・イーストウッド監督の温かい心が感じられる映画でもありました。

午後から観たもう一本は三時間の大作、ニコール・キッドマン主演の「オーストラリア」
オーストラリアの大自然が美しく描かれています。

4年以上も西オーストラリアに通い、暮らし旅をした私は特別な思い入れがありますので・・・
その思いを絡めて別途語ろうと思っています。





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バリの休日・「ケチャックダンス」鑑賞

2009年03月06日 | バリ島紀行

バリ島2日目最後の観光は「ケチャックダンス」(ケチャダンスともいいます)鑑賞でした。
猿に扮した約100人の男性による「チャッ、チャッ、チャッ」という掛け合いの入る大合唱の中で物語が進行します。
楽器はいっさい使いません。

「サンヒャン」というトランスダンスが原型のこの踊りは、1930年代にインドの古代神話「ラーマヤナ物語」を取り入れて現在の舞台劇になったそうです。


こちらの舞踊は「ラーマヤナ」の舞台劇の一場面ですが・・・
このあとに、童女2人が踊る伝統的な「サンヒャン・ドゥダリダンス」が披露されました。
サンヒャンは、疫病が蔓延したときなどに、初潮前の童女を媒体にして祖先の霊を招き、加護と助言を求めるものであったそうです。
サンヒャンとは神聖という意味で、ドゥダリとは天使という意味で、村人の健康と幸せを守るための神聖な儀式の踊りとか・・・


もう一つの「サンヒャン・ジャランダンス」はトランス状態に入った少年が、ジャランと呼ばれる馬の模型にまたがって、燃え上がる椰子の塊の中で踊るダンスです。
実際にこの舞台でも、男性が炎の上で踊りました


<

最後は踊り子さんたちを囲んで、観光客が一緒に写真を撮る事ができます。
マウスオン・クリックでご覧下さい



ここで遅まきながら「バリ島」についての説明です。
「バリ島」は34州からなるインドネシア共和国の1州にあたり、州都はデンバサール。
面積は東京都のおよそ二倍半・・・
クタ・サヌール・ヌサドゥアなどの有名リゾート地は、南部に集中しています。

島民の約85%がバリヒンズー教徒で、イスラム教徒の多いインドネシアにあっては特異な文化を受けついでいます。
共通語はインドネシア語ですが、バリ人同士の会話はバリ語が主だそうです、

上の地図のピンクのラインが、バリ二日目に廻った所
今回6日間滞在したホテルは一番下の「Nusa Dua」地区にあります。

この日は、朝の8時半から夜の九時過ぎまでの中味の濃い観光を堪能しました。



さて私たちは、ケチャック・ダンス鑑賞の前に、サヌール地区にある「バリ・ハイアット・ホテル」で夕食を楽しみました。これも観光コースに入っているのです。

サヌールは波穏やかな海と朝日が魅力の、1930年代から欧米人に好まれた歴史ある保養地です。
静かな休暇を好む欧米のバカンス客が多く、落ち着いた空気が流れていて・・・
目抜き通りにはお洒落なレストランやお店が並んでいました。


そんなサヌールに、いち早く建った欧米資本のホテルが「バリ・ハイアット」
5階以上は建てられないという規制が出来る前にできた古いホテルでした(このフロントの画像はお借りしました)

我々が泊まっているホテルとは同系列なので、両ホテルの間にシャトルバスが行き来しているようでした。
次回来る事があったら、街に近いこちらに泊まりたいなぁ~


ここでも、心安らぐ「ガムラン音楽」の生演奏が出迎えてくれました。

この日の夕食はこのホテルのレストランでのシーフード料理
マウスオン・クリックでご覧下さい

<

最初にスープと一緒にエビセンが出てきました
前夜に食べた「焼き飯」にも乗っていましたので、ここの名物なんでしょうね。
メーンディッシュは「ロブスター」とインド洋産のタイ・・・

ビールで乾杯したあとに、白ワインを頼みました
この日のディナーは延び延びになっていた私の誕生日祝いも兼ねました。
実は・・・
午前中に寄った「銀細工のお店」で意外な展開となり、思いがけなく誕生プレゼントが手に入りました。それも2つもです


私は日本で「宝石店」に行く事は滅多にありませんが、海外ではその国の特産のアクセサリーを記念によく買います。

イタリアでは「カメオ」のブローチ、タイでは「ブルーサファイア」の指輪、ロシアではエカテリーナ宮殿の「琥珀」のブローチ等など
私のアクセサリーボックスには、旅の思い出がつまっています。

今回はスーさんに案内されたインドネシア特産の「銀製品」のお店で、普段着のTシャツやセーターにも合いそうな、ラピスラズリやアクアマリンなどの石を散りばめたペンダント(左側)を見つけて買う気になりました。
値札は120$
「JTBのお客様は15%引き」と聞いていたし、円高なので計算すると1万円を切りそうな値段です。

お店の売り子さんは拙い日本語で、私の誕生石の右側のペンダントを勧めます。倍の値段でした。
きっぱりと「ガーネットは色々持っているから要らない!」と答えると、横から主人が口を出し、あれやこれやと店員さんと交渉し・・・
この右側のペンダントを買うと左側のペンダントがタダになるという結果となりました。
「はぁ~
「俺からの誕生プレゼントだ。使わなければ嫁さんやFさん(義妹)にあげれば良いじゃないか」と・・・

帰国後、息子夫婦から届いた誕生プレゼントもネックレスだったので、私思いがけずアクセサリー大臣になりました
家族のみんな、ありがとうね~


ふと目の前の夫を見ると、シャツの下に着ているヨレヨレのTシャツがまる見えでした。
八ヶ岳の「青年小屋」で買った、古いロゴ入りの山用のTシャツです。
「では明後日のディナーでは少し早いけど、貴方の誕生日を祝いましょう。プレゼントはバリ島のTシャツ、今着ているのがひどすぎるもの」

「ケチャックダンス」が終り、スーさんとドライバーさんに送られて、9時過ぎにヌサドゥア地区のホテルに戻りました。
「明日はジャワ島に飛行機で飛び、二つの世界遺産見学です。朝の4時50分にロビーにお迎えに行きますので、今夜は早めに寝てください」
スーさんにそういわれた私たち・・・
ホテルの部屋に戻りジャグジー付のお風呂に入ったら、その後はすぐにバタンキューでした

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孫娘の「初節句」

2009年03月03日 | 

今日三月三日は「雛祭り」の日です。
「桃のお節句」とも言われますが、実際に桃の花が咲き出すのは旧暦の4月初めの頃ですね。

我が家の庭では「冬至梅」や「紅梅」は終わりましたが、主人が昔、太宰府天満宮で苗を買った「枝垂れ梅」が丁度見頃となりました

そんな中で、孫娘の菜々ちゃんの「初節句」のお祝いに招かれて、1日の日曜日、息子一家の住むマンションに行ってきました。


♪明かりをつけましょ・・・ぼんぼりに・・・
♪お花を上げましょう・・・桃の花・・・

お嫁ちゃんのご両親が用意してくれた、優雅なお雛様が迎えてくれました。



気品あるお顔の「お内裏様」です。
どうか菜々ちゃんの守り神になって、健やかな成長をお導きください
そう祈りました。


お寿司とお嫁ちゃん手作りのお料理を囲んで、両家のみんなで「乾杯!」

去年の夏にチャイルドシートから落っこちて、脳神経外科でMRIを受けて以来、肺炎での入院騒ぎ、中耳炎、水疱瘡、結膜炎、そして風邪・・・
つい最近まで、病院通いが途切れる事がなかった菜々ちゃん
「どうかどうか健康で健やかな成長を見守りください」とバ~バはもう一度願いましたよ。

<

横須賀のジ~ジとバ~バが、おカァ~タンと妹のY姉ちゃんが初節句の時に着たという「着物」を持ってきてくれました。
マウスオン・クリックでご覧下さい

みんな口をそろえて、ワタチの着物姿が「可愛い」って褒めてくれたけど、ハイハイするのに裾が長くて邪魔なのよ~
「うごく天然モップ」と言っている人はだ~れ?

でも・・・
髪の毛が短いので「男の子」に間違えられるけど、これなら女の子と認めてくれる?
お兄ちゃんが出来なかった正座がワタチの特技なのよ。凄いでしょう!



3月7日生まれの菜々ちゃんは、初節句のお祝いと一緒に「お誕生日」のお祝いもしました。
私は息子しか育てていないので、今まで買えなかったブラウスとスカートのセットをお祝いに買いました。
暖かくなったら、スカートをはいてお外に遊びに行こうね
その頃はもうアンヨが出来るかな~?

春を告げるように、我が家のピンクと白の「ギンギ・アナム」が満開です。



特に白の方がタワワに咲いていますので、株分けして菜々ちゃんのお家に届けましょうね。

菜々ちゃんの生まれた頃の季節に咲くこのランは、梅と同じで派手さはないけど、上品な温もりが感じられるお花です。
菜々ちゃんもそんな女の子に育ってほしいとバ~バは願っています。


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