花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

2013年・鎌倉の紅葉情報「円覚寺」

2013年11月27日 | 鎌倉散策
11月22日・北鎌倉「円覚寺」
晴天の中、鎌倉の源氏山の紅葉を楽しみ、葛原ヶ岡ハイキングコースを歩いて
浄智寺に下り、その後行ったのが北鎌倉駅前の「円覚寺」です。


総門に通じる階段から振り返ると、総武横須賀線が目の前を走ります。


入り口の総門は西向きなので、午後に行くと丁度太陽があたっていて
紅葉のトンネルの中の階段からは、まさに逆光の紅葉が輝いて見えるのです


総門をくぐり抜け、受付で300円払って円覚寺境内に入ります。


すぐ正面に「三門」があります。
この周囲のモミジはまだ赤くなってはいませんでした。

三門は三解脱門(空・無相・無願)を象徴するといわれ
諸々の執着を取り払って佛殿(涅槃・解脱)に至る門とされます。

そしてその奥に配置されているのが「仏殿」です。


仏殿の周囲の紅葉が素晴らしい

仏殿は円覚寺のご本尊さまをおまつりしてある建物で、
関東大震災で倒壊しましたが、昭和39年に再建されました。

ご本尊は冠をかぶった宝冠釈迦如来、
開基は鎌倉幕府八代執権北条時宗、開山は無学祖元。
鎌倉五山第2位のお寺です。


天井画の「白龍図」は前田青邨の監修で、日本画家守屋多々志が描いたもの。


仏殿の奥が「大方丈」

本来は住職の居間であるわけですが、現在は各種法要の他、
坐禅会や説教会など多目的に使われているそうです。


創建当時は総門・三門(山門)・仏殿・法堂・方丈が一直線に並ぶ
典型的な禅宗様伽藍配置でしたが、現在法堂は失われています。
(以上ウィキペディアを参考に記しました

私は見事な紅葉に圧倒されながら、妙香池から舎利殿に向かいました。
国宝・舎利殿の周囲はまだ青いモミジが目立ちます。

中高年の女が一人でカメラを向けていると目立つのでしょうか


「ホワイトバランスを日影モードにしてアップで狙うと紅葉がより赤く写るよ」
首からカメラを2台ぶら下げたおじ様が、自分が撮った画像を見せてくれました。

言われたとおりに私が写したモミジです
(ホワイトバランスのこのお話は聞いたことがありました)
「肝心な時に忘れているなんて」と思わず苦笑いです。


でも・・・
鎌倉のお寺の境内では、建物とモミジのコラボを狙いたいですね。
それには構図が大切ですが、それが何とも難しい・・・


舎利殿の奥はまだ色付いていませんので、回れ右して戻ります。

仏殿横に建つ「居士林」は在家修行者の為の専門道場で
土日には誰でも「座禅修行」に参加できるようです。

ここは何も考えずに正面から撮るだけで絵になりますね。


そのお隣は選仏場
元禄12年(1699年)建立の茅葺き屋根の建物で坐禅道場です。

内部には薬師如来立像(南北朝時代)を安置してあり
仏殿が再建されるまでは、この堂が仏殿を兼ねていたそうです。

茅葺き屋根と紅葉が絵になるのですが、構図がとても難しい・・・


更に手前にあるのが松嶺院
春と秋には山野草が楽しめて、ボタンも有名ですね。

丁度松嶺院を入れて、紅葉と光芒が撮れました


晴れた日の午後の総門は、紅葉を逆光で撮るには最高の場所

できれば僧侶が立っていて欲しいけど・・・
若者の二人連れも鎌倉らしくて絵になりますね

午後3時15分、円覚寺を後にして帰路に着きました。
尚、円覚寺境内の配列図はこちらをご覧ください。

考えてみたら、鎌倉のお寺の中で
私が一番多く訪ねているのがこの「円覚寺」
実家のお墓があるお寺のご本山という縁もあるのですが・・・

何といっても北鎌倉の駅前と言う便利な所にあり
私の両親が入院する病院から駅で二つ目と言う利便性ですね。

以前のUP記事を見てみると、その殆どが親の入院がらみでした。
私は親の心配事があるたびに
気分転換に円覚寺を訪ねているような気がします。

今回は父も無事に退院し元気な中での嬉しい鎌倉歩き・・・
画像にその心根が出ているでしょうか?

          

11月24日・「長谷寺」へ
翌々日の日曜日は「長谷寺」に行きました。
目的は紅葉の偵察もありましたが
割れてしまった「身代わり鈴」を買うことでした。


昨年友人からもらった長谷寺の「身代わり鈴」
キィに付けて常に持ち歩いていましたが、父の入院でバタバタしている時に
玄関先で落として割れました

きっと私と父を守ってくれたのでしょう・・・
カラカラと優しい響きの鈴の音が忘れられずに、買いなおしました。

「長谷寺」の紅葉はイマイチでした。
まだ時期的に早いのか?台風の塩害にやられたか?
去年と似たような感じで写真は殆ど撮りませんでした

こちらをご覧ください。

「妙本寺」
代わりに行ったのが、鎌倉駅東口から歩いて7~8分のこちらのお寺です。


人ごみで大混雑の「長谷寺」と違い、静かな中での散策が楽しめましたが
紅葉がまだ少々早い
それと光の具合を考えると今週末の午前中に訪ねたいと思いました。

そんなこんなの私の鎌倉散策、これからもまだまだ歩く所存です。



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速報!2013年・鎌倉の紅葉情報「源氏山」

2013年11月24日 | 鎌倉散策
お蔭様で父も無事退院し、私もようやく普段の生活に戻りました。
今週は朝晩は冷えたものの、快晴の小春日和が続いています。

さぁ~、私も遅まきながら紅葉を楽しまなくては


当日突然思い立っての行動では友人も誘えない
「一人で箱根の紅葉を見に行こうかしら・・・」と朝から思案していたら

TVの天気予報の「紅葉」を紹介するコーナーで
「鎌倉の鶴岡八幡宮」にモミジマークがついていました

まずは偵察のつもりで、鎌倉でも早めに紅葉が見られる
「源氏山公園」に行って見ることにしました。


ブログの順序としては、「濃密な休日」編の後半をUPするのが正しいのですが
紅葉情報は旬がベター

速報版として「源氏山公園の見頃の紅葉」をUP致します。

11月22日(金)・最初は「寿福寺」へ
鎌倉駅西口から歩いて7~8分のところにある「寿福寺」は
まだ紅葉が始まったばかり・・・


ここは北条政子が夫の頼朝亡き後、菩提を弔うために建てた
鎌倉五山第3位の古刹ですが・・・

境内は一般公開されていません。


裏の墓地には北条政子と源実朝の墓と伝わるやぐらがあります。
(実朝は頼朝&政子夫妻の次男、甥の公暁に暗殺された三代将軍)

墓地の入り口近くの色付き始めたモミジに、
スポットライトのような陽の光が射し込み、美しく輝いていました



山の上はもっと赤く染まっているかもと、期待が高まりましたが、
化粧坂は土砂崩れで通行止め
住宅街を迂回して、ひたすら階段を登って行きました。


「源氏山公園」
源氏山は、奥羽を舞台とする後三年の役(1083~1087年)で
八幡太郎義家が出陣するときに、この山上に源氏の白旗を立てて
戦勝を祈ったところから「源氏山」とか「旗立山」といわれるようになったといいます。


区域内には源頼朝像や大小の広場などがあり、桜や紅葉の名所にもなっています。
この日は修学旅行の小学生で賑わっていました。

今年は台風の影響もあり、茶色くなっている葉も多々見受けられますが・・・


逆光で見れば素晴らしい


光芒も意識して取り入れ、ひたすら逆光で撮りました。


鎌倉の紅葉の見頃は11月下旬から12月初旬と言われていますが
今年はいつまでも暑かったわりには、昨今の寒さが紅葉を早めたのでしょうか・・・

源氏山はすでに紅葉の最盛期を迎えていました


特に「大仏ハイキングコース」に向かう右手にある④の丘のモミジが見事でした。


立派な東屋があります。
私もここで持ってきたおにぎりを食べました。


ファミリーで、お花見ならぬ紅葉狩り・・・
トップの画像もここで撮ったものです。


この道を進めばおよそ30分で「大仏」に出ます。

そこから歩いて7~8分の「長谷寺」の紅葉を楽しむことも考えましたが
時計を見ると1時半を過ぎていました。

葛原岡ハイキングコース
私は大仏とは反対側の葛原岡神社から北鎌倉の「浄智寺」方面に
向かうことにしました。

葛原岡神社は後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍した
日野俊基卿をお祀りする神社です。

今は縁結びの神様として若い方の姿が多く絵馬もハートの形をしていました


「建武の中興」を見ずして、
ここで処刑された日野俊基卿の墓も近くにありました。


途中古い石塔などを見ながら山道を進みます。


常に人が行きかう鎌倉のハイキングコースなら、一人でも怖くはない・・・


2時過ぎに浄智寺に下ってきました。

紅葉も始まっていましたが、境内はすでに陽が翳っているところが多く
写真撮影は難しい

ここはパスして、「明月院」に向かおうか?それとも「円覚寺」?
迷いましたが・・・

「円覚寺」
結局駅の近くの「円覚寺」を見ていくことにしました。。



総門前のモミジは真っ赤に染まっていました。

舎利殿から奥はまだでしたが、本殿の周りの紅葉も見事でした。
その模様は改めてと致します。

思った以上に進んでいた鎌倉の紅葉
お天気にもよりますが、この週末から2週間ほどは楽しめそうです


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濃密な休日1・「等々力渓谷」

2013年11月20日 | ハイキング・散策
晴天が続き、連日富士山が綺麗に見えています

17日の日曜日も、気持ちの良い小春日和に恵まれ
午前中、山仲間のYさんに誘われ世田谷にある「等々力渓谷」を歩いてきました。


東横線の自由ヶ丘から大井町線に乗り換え「等々力駅」で下車

駅南側徒歩2分の所にある赤いゴルフ橋の脇から、らせん状の階段を下ると
鬱蒼とした渓谷に出ます。


下流の矢川橋迄の僅か700Mの距離が、東京23区内唯一の渓谷「等々力渓谷」です。

Yさんと一緒に三浦半島の「武山」を歩いていた時
「17日の日曜日に、私が通っている大学の音楽堂で邦楽ミュージカルが催されるのよ」
「一緒に見に行かない?」と誘われました。

「1時半開場だから、午前中は同じ沿線にある等々力渓谷を歩こう」となり
「ついでに五島美術館にも寄りたい」と・・・

Yさんの提案で盛りだくさんのスケジュールが組まれました
すべては土地勘のある彼女にお任せです


等々力(とどろき)渓谷は、矢沢川が武蔵野台地を削って形成した渓谷です。
決して清流とは言えませんが・・・
宅地化が進んだ今でもなお、周辺には深い森林が残り、斜面の各所から湧水が湧き出ています。

詳しい地図と説明はこちらをご覧ください。


渓谷に沿ってしばらく歩き、玉沢橋をくぐるとすぐに、
等々力渓谷三号横穴の標識が見えてきます。

左手の斜面を上がると、古墳時代後期から奈良時代(7世紀後半~8世紀)のものと推定される
横穴式古墳がありますが、残念ながら工事中で中には入れませんでした。

更に遊歩道を進むと左手に稲荷堂と滝が現れるこの不動の滝も湧水です。


よく見ると、苔の間からも水が流れ出ていました。
東京礫層と呼ばれる地層から湧出しているそうですが・・・

矢沢川自体が、世田谷区桜丘五丁目付近の湧水に源を発し、
途中で複数の湧水を合わせて流下してきた川だそうです。


このすぐそばにお団子屋さんのようなお店もありましたが、私たちは先を急ぎました。

ブログ仲間のtonaさんが、国分寺にある野川の源流を紹介していますが
国分寺崖線(通称ハケ、立川から世田谷の等々力渓谷まで約25㎞続く河岸段丘)は
湧水が多いようですね。

「日本庭園」へ

等々力渓谷の終端近くの右岸に日本庭園があります(入場無料)

崖の地形や自然環境を巧みに活かした庭園で、豊かな緑が残されていました。

竹林を登っていくと、その先に色付いた木々が上に書院があり、周囲のモミジが綺麗でした。




書院ではセルフサービスでお茶をいただく事が出来ます。

縁台に座ってお茶を飲みながらイロハモミジの赤と黄のグラデーションに
見とれていたい心境ですが・・・

スケジュールが押していて、急いで写真を撮って先に進みます。

書院の隣は芝生広場、明るい武蔵野台地の風景の中でファミリーが楽しんでいました。
すぐ下に、木々に包まれた渓谷があるとはとても思えません。

ここには洋式もある綺麗なトイレがありました。

満願寺「等々力不動尊」
私たちは不動の滝まで戻り、急な階段を登って「等々力不動尊」に出ました。


不動堂本尊の大日如来像は、新義真言宗の宗祖興大師が山城国(現在の京都府)より、
この地に移したと伝えられています。

真言宗の開祖・弘法大師の才能にあやかって、学業成就、芸事上達のご利益があるそうですが・・・
ここはパワースポットとしても有名のようでした。

ここから幹線道路(目黒通り?)を歩いて等々力駅に戻り、次の目的地に向かいました。

私は今回一眼レフカメラを持って行きましたが、
コンデジで撮ればよかったと反省です

暗い渓谷内、歩きながらの三脚なしでの撮影はブレブレとなってしまいました
Yさん、何度も立ち止まらせてごめんね。


               

11月19日・父が退院
風は強いもののピカピカの快晴に恵まれたこの日、父は無事に退院しました
戻った先が自宅ではなくホームというのが少々切ないのですが・・・

施設の方々が、父の発熱以来日々細かく様子を見て処置し
知らせてくれて助かりました


肺炎&心不全、肺に水もたまっていたようです。
それらもようやく治り、施設側の許可も出て
父は退院できました

この地域の中核病院の周りの道路は「銀杏並木」が断然多いのですが
この所の冷え込みでいっきに黄金色に染まりました


弟一家は皆仕事に出ますので、ウィークデーの病院通いはすべて私がやりました。

なかなか下がらなかった熱の心配と、毎日出る洗濯物は
別洗いしなければならずけっこう大変

私自身の気分転換の必要性を感じ、17日の日曜は父のことを弟夫婦に任せました。

無事に退院を済ませ、施設の看護婦さんとケアマネさんと現場のスタッフさん
そして私の4人で、これからの父の事で打ち合わせをし

その後父の昼食の介助をしたら、90%食べてくれたので一安心

両親や周りのお年寄りを見るにつけ、人間食べることの大事さを思い知らされました。

帰路、青空を見上げたらクラクラきて・・・
の計画も一向に進まず、ぼぉ~としています



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つかの間の富士山・つかの間の秋

2013年11月15日 | 私の呟き
今週に入って急に寒くなりました。
一ヶ月前は30度の真夏日で、半そでを着ていたのが信じられないくらい・・・
あわててダウンコートを出しました。

秋はあっという間に去っていったのでしょうか

11月14日・我が家から見た富士山
この秋はなかなか「秋晴れ」が見られませんでしたが、
寒いながらも13日・14日と晴れました


朝、私が起きて真っ先にすることは、私の部屋からバルコニーに通じる
西側のガラスドァーのロールカーテンを上げること・・・

朝6時15分、正面に綺麗な赤富士が姿を見せていました


こちらは6時35分の富士山です。


最近は私も老化現象化?、すっかり早寝早起きになりました。


7時の富士山です。
赤富士は消えて、いつもの見慣れた富士山になってきましたね。


7時半にバルコニーに出てみると、一筋の黒い雲が・・・


8時には雲がさらに広がって富士山は白い頭だけ・・・
8時半には姿が見えなくなりました


こちらは前日の11月13日の朝9時50分の富士山です。


この日は風邪薬を飲んで寝たせいか、珍しく寝坊をして
「赤富士」は撮れませんでしたが、夕景の富士山を期待しました。

残念ながら午後の3時頃から突然雨が降り、北風が吹きつけお天気は豹変しました。
この秋はどうしたことでしょう・・・

いまだに真っ赤に染まる富士の夕景が見られません

11月15日・我が家近くの公園
中々熱が下がらなかった入院中の父も
私が十日町行きを断念した翌日から新しい抗生物質が投与され

それが効いたようで・・・
今週になって熱が下がり笑顔が多くなりました。

何しろ38度以上の熱があっても、食欲があり大きな声で歌っていた父
体力があったのが功を奏したのでしょう

「歌が好きな笑顔が可愛いお爺ちゃん」と、
看護師さんやスタッフの皆様の人気者になりました

今週末にも退院して「あとは施設の嘱託医にゆだねて下さい」と
主治医に言われましたが・・・

受け入れ側の施設の方が慎重で、「月曜日に視察させていただきそれでOKなら火曜日に退院」
と言う流れになりました。


私も先が見えホッとしたらガックリきて
父の入院している病院そばの骨折医院でマッサージを受けたりしています

父が熱を出して以来25日間、毎日父の様子を見に施設や病院に通ったら
さすがにジックリと秋を味わう余裕がありませんでした。

今朝は雨が降る前に、カメラを抱えて近所の公園に散歩に出てみました。


ケヤキなどは色付いていましたが、本格的な紅葉はこれからのようです


ヤツデの葉が黄色く染まり、千両や万両の赤い実も多く見られます。

ドウダンの葉も赤く染まりましたが台風の影響綺麗な葉を捜すのに苦労します



銀杏の葉もアップに耐えられる葉がない多くの葉が枯れ始めています。


今までは紅葉をじっくり眺める余裕はありませんでしたが
我が家は食べ物で秋を感じることができました


主人が毎日のように、仕事先からもらってくる柿


我が家の裏口前に何本かあるシイタケのホダ木には大きなシイタケが生りました


ナメクジに食べられる前に人間様が食べなくては
早速鍋料理に使いましょう。

来月で94歳になる父、歳が歳だけにまだまだ油断は出来ませんが・・・

父が完全に良くなったら、私は紅葉を愛でながら
ノンビリ温泉に入りたいと、切に切に思っています。

さてさて・・・
関東から西の方ならまだまだ可能ですよね

今夕雨が上がったときに西の空を見たら
ほんのり赤く染まったシルエットの富士山が見えていました。
明日はきっと秋晴れですね





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「武山~三浦富士」・癒しのハイキング

2013年11月10日 | ハイキング・散策
ようやく青空が広がった11月6日、三浦半島の「武山~三浦富士」を歩いてきました。


父の発熱からドタバタと半月以上も緊張が続き、心身ともにガチガチとなった私
これをほぐすには自然の中を歩くしかないと・・・

山仲間のYさんが空いていたこの日、お天気も良かったので
2人で、三浦半島南端の野菜畑の背後に連なる里山を歩いてきました。

最初の予定では箱根の山に登り、下山後温泉に入って、心身をほぐすつもりでしたが・・・

父の咳・発熱ともに芳しくなく、病院からの万が一の呼び出しにそなえ
我が家近くの2時間20分のこのコースに決めました。

「一騎塚」バス停からスタート

JR横須賀線の横須賀駅から、三崎口駅方面行きのバス(京急横須賀中央駅も経由)で30分
「一騎塚」バス停から歩き出します。時計を見ると10時10分でした。

バスを降り、車道をわずかに戻るとこのような案内板が立っていて
今回は青印で示した道を行きます。

案内板に従い脇道に入り、一騎塚を左に見て進み、富士見小学校の前を通り
住宅街の中を上っていきます。

日当たりのいい道路脇には大きなカタバミが紅白で咲いていました


Yさんの指の大きさと比較して見てください

人家が途切れると道は急坂になり古い石仏(お不動様?)が出迎えてくれます。




どうやらこの道は武山不動尊に通じる参道らしくて
コンクリートの道が頂上まで続いていました。


途中ベンチがあり、風景が開けたところがありました、
ここから富士山が見えるらしいのですが、この日は湿度が高くてガスっていました

武山頂上の「持経寺」
バス停からおよそ40分で頂上です。
お寺の正式名称は、浄土宗龍塚山持経寺武山不動院


武山不動尊は、航海安全の浪切不動として広く知られ、
漁業関係者から厚く信仰されているそうです。

頂上にはツツジが群生(2000本)し、アゼリアハウスと名付けられた休憩所の屋上からは
360度の展望が開け、「洋上には大島が望める」とガイドブックには記載されていますが・・・

この日は残念ながら休憩所が工事中で立ち入りは出来ませんでした
完成は来年の1月28日の「初不動」の頃になるそうです。

木々の間から雲海に浮かぶ房総の山々が見えていただけに
撮影できず悔しいです


武山から砲台山~三浦富士へと向かいます。

標高200mたらずの山々を巡るのは登山とは言わず、簡単ハイキングですが
ここからようやく土の山道が始まって、心が弾みます


武山を後に東に向かうと分岐があり、左に折れます。

「砲台山」
落ち葉を踏み分け歩く道は気持ちが良い武山から20分で砲台山です。




太平洋戦争で築かれた砲台の基礎と、海上保安庁の受信設備がありますが
木々に囲まれていて展望はききません。

来た道を分岐まで戻りますが、古い構造物が・・・登山道にたくさん咲いていたお花


戦時中「東京湾の入り口で敵を阻止せん」とした横須賀では
太平洋戦争時の名残を見ることがありますね。


途中立派なベンチが設置された見晴台があり、
そこから金田湾が手に取るように見えました。

私たちもここで休憩し、持ってきたおむすびを食べました。
何人かの人々が汗をかきながら、私たちとは反対側の三浦富士方面から登ってきます。

京急「津久井浜駅」から、三浦富士~砲台山~武山~津久井浜観光農園~津久井浜と
駅から歩いて一回りするハイキングルートが一般的のようですね。

「三浦富士」

30分の休憩時間を入れて、砲台山から丁度1時間の12時半に「三浦富士」に到着です。


浅間神社の奥宮の石碑や大願成就の石碑が多く設置されており
名前の通り古くからの富士信仰の盛んなことが伺えます。


山を歩くと日本は「山岳宗教」の国と実感できますね。


手製の帽子や襟巻きをしたお地蔵様にも癒されました。


秋の木漏れ日が気持ちの良いふかふかの道を下っていきます。

警察犬訓練所の前に出ました。周りはオレンジ色のみかんがたくさん実っています




ススキの向こうに登って来た山々が見えていました。


三浦富士の麓に四季を通じて果実狩が出来る「津久井浜観光農園」があります。
私たちもみかんを買って帰りたいと思いましたが、受付が分からず買えませんでした

大根やブロッコリーが植えつけられた農道の中を歩くこと30分、
三浦富士の頂上から1時間ちょっとの午後1時半過ぎに、京急「津久井浜駅」に着きました。

駅前のカフェで、コーヒーフロートを飲んで、1時間ほどおしゃべり・・・

ジンワリ汗をかき、気心の知れた友人と語り合いながら歩いて
気晴らしが出来ました。

付き合ってくれたYさん、ありがとう。
ちょっと物足りない歩きでしたが、2人とも立山以来でしたね。



          

この日は主治医に父の様子を聞いて決断すべき事があったので
帰路、京急上大岡からバスで、父が入院している病院に行きました。

「10日に新潟県の十日町に一泊旅行する予定がありますが、行くかやめるか迷います」と・・・

「お父様は少しづつ良くなってきていますから、一泊くらいなら大丈夫かと思いますが」
「歳が歳だけに何があるかは分かりません」と、医師らしいお答えでした。

その夜新潟の友人からTELがあり
「あなたもお父さんを心配しながら参加しても心底楽しめないでしょう」
「天気予報によるとこの2日間はお天気が最悪なので中止にしよう」とのこと・・・

案の定、今日の日曜日は風も強くて関東も嵐のような悪天候です。

本来なら、いつものように当間高原のリゾートホテルで、中学時代の友人と
4人で弾けるはずだったのに・・・

大変残念な、ちょっとホットしたような思いの私です。






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爽やか信州&飛騨の旅・その8

2013年11月06日 | 旅日記
秋バラもそろそろ盛りが過ぎた感じですが・・・
母の写真の前に飾るお花は小菊よりもバラが似合うような気がして、

この秋、黄色のバラの苗を買いました。

これで我が家の庭には真紅・ピンク・黄色と三種類のバラが見られそうです。


写真の中の母には「お父さんをまだ連れて行かないで・・・・」と、
お願いしましたよ。

この2週間は父の病状に振り回されていました。

総合病院の外来で2回診てもらったのですが、いずれも「軽い肺炎」との診断。
でも・・・
抗生物質を投与されても中々熱が下がらず
喘息のような症状も出て、2日の土曜日に緊急入院しました。

肺炎は悪化、心不全もみられ、肺に水がたまっているとのこと

ところが本人は食欲もあり、38度の熱があるにもかかわらず至って元気で
一晩中歌をうたって一睡もせず、ついに個室行きとなりました


「下呂温泉」
信州&飛騨の旅の続きです。
白川郷と五箇山の合掌造りの里を見学した私たちは、日本三大名泉に数えられる
「下呂温泉」に向かいました。(あとの二つは草津と有馬)


高山本線下呂駅から、飛騨川沿いを中心に旅館・ホテルが林立していますが、
私たちが利用した会員制の宿は、温泉街からちょっと離れたところにありました。


名古屋から車や電車で約1時間半の温泉地ですが、この日の宿泊客は7~8組程度
団体客がいない会員制ホテルは淋しいくらいに静かです。


夕食は名物飛騨牛のすき焼きとお造りの他に、鮎の塩焼きなどが並びます。

温泉に浸かった後のビールが美味しいホウ葉のねぎ味噌焼きでご飯も進みます


お食事はまぁ~まぁ~ですが、前日に泊まった「上高地・帝国ホテル」と比べると
極端に従業員が少なくて
ビールのお代わりも手を上げて、「すみませ~ん」と大声出して頼みます

高級ホテルのボーイさんたちの目配りには到底かないません。
ここの宿泊費は帝国ホテルの5分の1と思えば腹も立ちませんが・・・

「朝市」でお買い物
下呂の町で訪ねたのは「朝市」です。


高山名物の「赤カブのお漬物」や「高山ラーメン」、そして新鮮野菜を買いました。
赤カブの漬物は、10年前に行った高山の朝市で買ったものの方が美味しかったです。


下呂からの帰路は、中央高速道路を使う手もありましたが
まだ走ったことがない「第二東名」を走りたいという主人の希望もあり
お買い物のあとは、ひたすら飛騨川沿いを名古屋方面に向かいました


「日本昭和村」
名古屋近辺には「明治村」「大正村」、そして「昭和村」とあります。

私はどれもまだ見たことがありませんでしたが、
今回はその中の「昭和村」に寄っていくことにしました。


日本昭和村は、岐阜県美濃加茂市にある昭和30年代の里山をイメージしてつくられた都市公園で
正式名称は「平成記念公園・日本昭和村」

ここは道の駅「昭和村」を併設している「東海環状自動車道のハイウェイオアシス」でもあります。


私たち夫婦にとっては懐かしい昭和の時代の風景が再現されています。


私の小中学校時代の頃のお茶の間は、まさにこんな感じでしたね。


古民家の中では本物の生きた「かいこ」を見ることができました。

小学生の男の子も興味津々です。この虫が繭を作って、それから糸をつむいで・・・


カイコガ科に属する幼虫のカイコ(蚕)はクワ(桑)を食餌とし、
絹を産生して蛹(さなぎ)の繭(まゆ)を作ります。

ここでは有史以来養蚕の歴史と共に生きてきた昆虫と繭を見ることができました。


園内の敷地面積は約83.9ha(計画は約159.6ha)

暑い中歩いて回るには広すぎます。
私たちは約20分で一回りする、機関車トーマスのトレインに乗りました。


カヌー遊びができる池もあります。


馬場があり、馬にも乗れますね。
ファミリーで楽しめる公園のようでした。

園内には木造校舎や遊具、万華鏡作りなどの体験教室、桑畑、茶畑等が広がり
岐阜県内に現存した建物が移築される場所もある発展途上の公園です。

小学校が「昭和のお化け屋敷」として営業中古い町役場も移築されています。



2003年(平成15年)4月にオープン。
名誉村長には中村玉緒が就任し、1年に1度のペースで訪村しているそうです。


「新東名高速道路」・NEOPASA駿河湾沼津(上り)
昭和村を後にし、東海環状自動車道から東名高速道路に入りました。
この旅の最後の目的は、2012年4月14日に開通した新東名の御殿場JCT~三ヶ日JCT間の
約162kmを走ることです

この間は私も運転しましたが、トラックが少なくて走りやすかったです。


駿河湾沼津のサービスエリア(上り)で遅い昼食タイムを取りました。

地中海の港町をイメージしたという外観は、高速道路施設とは思えないほど
リゾート感が満載です。


新東名高速の中で、上下線ともに海を見渡せるのがこのエリア。
上り線では、2階テラスや3階の展望テラスから駿河湾を一望できます。

この日は生憎の眺望で、駿河湾も伊豆半島もぼんやりと見えるだけでしたが・・・



こうして私たち夫婦の「信州&飛騨」を駆け抜けた
三泊四日のドライブ旅行も終了です。

長きに渡っての旅行記にお付き合いいただきありがとうございました。




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