花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

父の葬儀とハクモクレン、そして香典泥棒

2014年03月25日 | 私の呟き
父が亡くなって丁度一週間が過ぎました。

あの日に咲き出したハクモクレンの白い花びらが
春風に吹かれて散り始めています


暖かい春の陽射しが注いだ昨日・一昨日が見頃だったのでしょう・・・

丁度その2日間が父の葬儀で忙しくて
ジックリと仰ぎ見る時間がありませんでした


関東地方、明日は雨のようなのでそれで終わりになりそうです

見納めのハクモクレンにカメラを向けましたが
今日は風が強くてなかなかうまくはいきません

この所の暖かさで、25日に東京横浜も桜の開花宣言が出ましたね。
ハクモクレンと入れ替えに、今度は桜を楽しみたいと思います


お彼岸中はお寺の和尚様が大忙しで
父の告別式は亡くなってから6日目の24日と、ずい分遅くなりました。

それもどうにか終えてどっと疲れが出ています

この5ヶ月間、毎日のように病院に通い、買い物や洗濯物を届け
医師との面談(これが一番辛かった!)に出向きました。

張り詰めていた気持ちがプッツンしたようです。


母の時はごく内輪での葬儀にしましたが、父はそうも行かず・・・

70才まで勤めていた会社に「死亡届け」を弟が連絡したら、
あっという間に役員やOBにも伝わり

新聞社の取材電話も数件あり、死亡記事が小さく載ったようで
葬儀の参加予定人数が増えました。

私は父の面倒は見ましたが、葬儀は弟夫婦に任せました。
そういうイベントではとても頼りになる義妹
当日も仕切り屋力を大いに発揮してくれました。


今回は弟の会社からも何人か参列するとかで
「私の田舎(弘前)では、ちゃんとした葬儀の時の喪主夫人は当然着物です」
「私とT子(長女)は二日間とも着物を着ますが、義姉さんどうしますか?」

う~~ん、どうしよう


せっかく持っている喪服、母の告別式の時に1回着たきりではもったいないし
”父の葬儀に着なくていつ着るの”と・・・

結局私も2日間、慣れぬ着物で通しました
ですから余計に疲れたのかも知れませんね。

でも着物を着たことで、皆さまから戴いたお香典が守られました。
一体、どういうこと


こちらがお花で飾られた父の祭壇です。
至ってシンプルですが、この両側に親族と会社関係の生花が並びました。

孫娘の奈菜ちゃんがインフルエンザに罹り、
残念ながら葬儀には出られませんでした

50人近くの親族が集まった先月の主人の兄の葬儀に比べると
親族席がなんとも淋しい限りで、空席が目立ちます。

そんな中、主人の姉妹兄弟3人が2日間とも参列して
親族席に並んでくれて嬉しかったですね。


「お父さん、会社を辞めて20年以上経つのにたくさんの人が来てくれたよ」
「皆お父さんの事を覚えていてくれて良かったね」

「お父さんは良い上司だったって、後輩達が言ってたよ。嬉しいね」
納棺のときに語りかけたら、涙が止まらなくなりました

弟は喪主の挨拶の中で「仕事一筋の父でした」
「家ではいつも机に向かっている父の背中を見てきました」と話していましたが
5歳年上の私はちょっと印象が違います。


ハイキングやお花見など、会社のアウトドァーの行事はいつも父に連れられて
参加していましたね。

学生時代は学校ではなく、父が属していた会社のテニス部で
私も一緒に練習させてもらいました

今回参列してくださった方々の中には、先方から「naoちゃんですか?」と
声をかけてくださる方が何人かいました。

転勤で行った新潟(その時私は小中学生)や、山口(高校時代)での
50年以上前の思い出話もたくさん出ました。


24日の告別式の朝、私と義妹は着物の着付けをするために
早めにメモリアルホールに行きました。

出張の着付け師さんに何気なく「父の葬儀の案内が新聞に載ったせいか?」
「思いがけず大勢の方々が参列してくれて、父も喜んでると思います」
と話したところ

「そういう場合、香典狙いの空き巣が入る危険性大ですよ」
「くれぐれも現金は家に置かないように」と、真剣な顔で注意されました。
義妹は心配になって、まだ家にいた弟にTELして注意を促したようです。

案の定、すべてを終えて夕方5時過ぎに帰宅したら
家の中がメチャメチャになっていて
どうも金庫の鍵を探し回ったようで、あらゆる引き出しが開けられていたとか

金庫の鍵は弟が肌身は離さず持っていたので、今の所被害は無しのようですが
警察の話ではあとから分かる被害も結構あるそうです。

とんだ災難でしたが、葬儀屋さん経由で頼んだ着付け師さんは
流石にそちら方面の情報が豊富で助かりました。



お彼岸中に母のお墓参りに行き「お父さんを宜しく」
バトンタッチしてきました。
「そちらの世界でも仲良くしてね。喧嘩はしちゃ駄目よ」と・・・

今頃父は母以外にも、親兄弟や大勢の友人たちとも再会している事でしょう


コメント (36)
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春を見届け、父は旅立ちました

2014年03月19日 | 日常の日記

春一番が吹き、庭の椿が咲きそろい、ハクモクレンがほころび始めた日に
父は母のもとに旅立ちました。

彼岸の入りの18日早朝に、天国の母が迎えに来たようです。

せめて桜の花を見届けさせたかったとも思いますが
苦しむことなく眠ったまま逝きましたので、ヨシとしましょう。

この2~3日、突然春がやってきて暖かい日和が続き
病室の窓に差し込む陽光も春本番の明るさで・・・

「お父さん、春が来ましたよ」と声をかけ
私は春の歌に加えて、桜の歌も枕元で歌いました

特に亡くなった日の前日は父も調子が良さそうで、パッチリと目を開け
私の姿を追い歌を聴いてくれていましたので、心残りはありません。


看護婦さんたちにも最後まで「心優しい穏やかなお爺ちゃん」と愛された父・・・

「意識もハッキリしているのだから、何とか助けてあげたい」という
熱意あふれる主治医も、最後は「力及ばず申し訳ない」と
頭を下げられました。

最初はキツイ事をはっきり言うこの医師との葛藤もありましたが
父には苦しむことのない適切な治療を最後までしてくださり
今では感謝しています。

おかげで父の頬はふっくらし、表情も顔色も良くなりました。

暖かくなるまで頑張って、息子や孫・ひ孫達の仕事や学校にも間に合うような
病院の業務にも響かない早朝に父は逝きましたので
改めて「愛情豊かで気配りができる父」を尊敬し直しました。


ソメイヨシノは未だ開花していませんが、近くの街道並木は
ヒカン桜でしょうか?河津桜でしょうか?
今月上旬から咲いています。

人生の中盤に、技術系のサラリーマンとして活躍し花開いた父にふさわしい
鮮やかなピンクの桜です


私は父親っ子でしたから、心にぽっかりと穴が開いたような心境で
花粉症も加わり、鼻水ズルズル涙ポロポロと心身ともにぐちゃぐちゃ状態ですが・・・

「nao、もういいよ。お疲れさん」と、父が解放してくれたようにも思います

このブログにも父の事は記しましたので、ブログ仲間の皆様には
たくさんのご心配をおかけしました。

父は94歳の天寿を全うし、安らかに天に召されたことをご報告するとともに
皆さまの励ましに深く感謝いたします

有難うございました。


尚、コメント欄は閉じています。

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春は黄色のお花から・・・

2014年03月14日 | 日常の日記
今週は冬と春が勢力争いをしているような一週間でした

東日本大震災の3年目となった3月11日
西高東低の冬型のお天気だったのでしょうか?

空気が澄み切って、朝から富士山が綺麗に見えていました。


この日はなぜか元気が出るビタミンカラーのお花に会いたくて・・・
少し早く家を出て、父の病院に行く前に北鎌倉まで車を走らせました

「円覚寺」の門前に、サンシュユの木があったことを思い出したからです。


ウィキペディアによると「ミズキ科の落葉小高木」
ハルコガネバナ、アキサンゴ、ヤマグミとも呼ばれているらしい。


葉が出る前に、黄色の小さな花をたくさんつける
早春を代表する花木のひとつのようです。


木全体が早春の光を浴びて黄金色に輝く
別名「春黄金花(はるこがねばな)」です。


円覚寺の門前近くには「菜の花」や「沈丁花」「ミツマタ」なども見られて
春の香りにあふれていました。

梅や寒桜は別としても、1月の水仙やロウバイ、2月の福寿草やマンサクなど
早春は黄色いお花から始まる感じですね

甘い香りのジンチョウゲたわわに咲いたミツマタの花


ほんの30~40分ほどの北鎌倉でしたが、
黄色いビタミンカラーのお花に出会えて、元気をもらいました。

父が危篤となってアタフタした前の週は、今何日か?何曜日か?も定かではなく
胃と歯が痛くて頭もクラクラしていました

「人工呼吸器の装着を望まないのなら、もう治療の手立てはありません」と
主治医に宣告されましたが、父は何とか頑張っています。


我が家の庭の「ヒュウガミズキ」も咲き出しました。


「毎日見舞ってくれても、あなたが元気でないとお父様は喜びませんよ」と
ヨガの先生に言われた言葉がいつも胸に響きます。


こちらは我が家の「マンサク」です。

我が家の庭を作った時、山野草好きの主人の知人がマンションに移るからと
たくさんの鉢植えをいただきました。

これらの木々がそうですが、ちょっと地味と言うか風情があるというか・・・
それでも水仙と共に元気つけられる「春の色」ですね。



父が悪いなりにも落着いた今週は、毎日午後から3時間ほど病院に面会に行きますが
午前中は家事の他にも気分転換の時間を再開です

しばらく休んでいたアクアエクササイズも、休んだ分も振り替えて
今週は2回行きました。

この数ヶ月は頭と心がガチガチに凍りつきました。
体も同じように疲れさせないと神経が変になり、バランスが保てませんものね。


エクササイズの後、友と語りながらいただくランチも心和む時間です


こちらは八景島近くの南部市場で食べた「海鮮丼」、安くて新鮮でした



病院からの緊急呼び出しに備えて、常に携帯電話は手離せませんが・・・

先日預かった孫娘の奈菜ちゃんとは映画ドラえもん
「新・のび太の大魔境」を観にいきました。

犬の国のお話で今回はジャイアンが活躍
緊迫した場面になると、奈菜ちゃんは映画館の椅子の下に隠れていました。



帰りに一緒に食べたケーキも美味しかったね

父の事では心労が重なりましたが、早春の花々やスポーツ
友との語らいや孫達に心癒されています。

富士山は11日以来姿を見せませんが
来週こそは春本番がやって来そうですね




コメント (26)
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病室で歌う童謡唱歌♪

2014年03月08日 | 日常の日記
”東風(こち)吹かば、匂いおこせよ梅の花
あるじなしとて春な忘れそ”


菅原道真公ゆかりの博多の「大宰府天満宮」で買った
我が家の枝垂れ梅が咲き出しました


この梅が、道真を慕い一夜にして京都から大宰府へ空を飛んだといわれている
伝説の「飛梅」の子孫かどうかは定かではありませんが・・・

それにしても3月だと言うのに春風はなかなか吹いてくれませんね。
今日も昨日も冷たい北風です。

昨日(7日)は寒いものの春の陽光が気持ちよく、
固まった私の心をホッコリと温めてくれましたが・・・
午後3時半頃から空は一転黒く覆われ、またまた雪が舞いました

思わず父の病室で♪春よこい 早く来い♪と
何度も歌ってしまいました


先週、ブログ仲間との鎌倉オフ会の翌日、父の主治医に呼ばれ
父はもう積極的な治療を受けるだけの体力がないことを知らされました。

「これからは高栄養液を足の付け根から大動脈に直接投与するだけで」
「あとは見守るしかありません」と宣告されました


父は鼻からの栄養注入用の管(一度自分の手で引き抜いた!)
も抜かれ、もう手の拘束もなくなりましたので
私は「返って良かったかも」と思っています。


朝から石油ファンヒーター全開の暖かいリビングでは
シンピジュームが次々と咲き出しています

こちらは何年か前のお正月用に買った「ゴールドラッシュ」
5本の茎が伸びお花が咲きました

シンピジュームは買う時は少々高いけど
毎年お花が咲いてくれるならお得なお買い物ですね。

難点は場所を取ることですが、花が終わった春から晩秋までは
東側の外に出しっぱなしですみます。


母の時は経管栄養注入を止めて点滴だけで1ヶ月半持ちましたので
大きな病院での高栄養液点滴の父は2~3ヶ月は大丈夫に違いない・・・


ところが今週の火曜日に再び主治医に呼ばれ、レントゲン写真を見せられて
「肺の80%が機能しなくなり、肺不全で今夜か明日が山
と言われ慌てました


4日・5日は私がずっと付き添い、朝晩は弟夫婦が交代し
息子や姪たちも会社帰りに駆けつけましたが

父は驚異的な回復力を見せ、主治医も
「お父さん、強いなぁ~」と感嘆していました。


お正月早々にも「今週が山」と言われた父
見事に立ち直り、一旦は退院しましたものね。

「生まれた時は大震災、青春時代は大戦争」を乗り切ってきた
大正生まれの底力は強力です。


日当たりの良い和室前の廊下に置いたピンクの「ギンギアナム」が
たくさんの蕾を付けています


主治医の適切な抗生物質投与も効いたのか、父の荒かった呼吸も解消され
時々目をパッチリと開き周囲を見渡しています。

でももう声はほとんど聞かれません
最初の入院の頃は一日中元気に唱歌や寮歌を歌い
個室に入らざるを得なかったのですが・・・

代わりに今は私が毎日病室で歌っています

今回は最初の一週間はナースステーション隣のリカバリールームでしたが
その後ずっと2人部屋です。
病院側も気を利かせてくれて隣のベッドはこの一週間空いています。



ギンギアナムの小さな可愛いお花が三輪ほど咲き出しました

♪春が来た、春が来た どこに来た♪
♪春の小川はさらさら行くよ 岸のスミレや蓮華の花に♪
父もじっと私を見つめ、心なしか口も動いているような・・・?

この4ヶ月間入退院を繰り返し、すっかり顔見知りとなった病院の
スタッフさんたちに「歌好きの父娘」として知られてしまいましたね


我が家のシンピジュームはまだまだこれからも次々と楽しめそうです
こちらは去年買った「スパニッシュケープ」
5本立ちの蕾を持った茎がぐんぐん伸びています。

父がこんなに歌が好きだと言うことを知ったのは施設にお世話になってからです。
ボランティアさんたちが楽器を抱えてしょっちゅう施設にやってきて
私も一緒に歌う機会が多々ありました。

父が愉しそうに歌う姿を見て、理工科系の堅物な企業戦士だった父の
意外な一面に驚きましたね


1月から咲き出したこちらのシンピジュームは花芽が8本咲き出して
寒い玄関に飾っていたので未だに楽しめます。

父は東京の新橋生まれなのに、施設の皆と「ふる里」を歌うと必ず涙ぐみました。

今でも病室で私が「ふる里」を歌うと父の目に涙が光ります。

♪うさぎ追いしかの山 こ鮒釣りしかの川♪
♪夢は今も巡りて 忘れがたきふる里♪

父はこの他にも旧制高校の寮歌が大好きでしたが私は歌えません。
是非覚えねばと思っています。こちらを参考にしましょう・・・



まだまだ寒い毎日ですが、父の病室から帰る夕方の5時過ぎは
以前はもう暗かったのですが、最近は明るくて日が長くなりましたね

私も当分遠くの野山の花々を追いかけることはできなくなりましたが
悔いがないように日々の病院通いを元気に頑張るつもりです。

まずはこの見事なシンピジュームを数本手折り、
明日の母の月命日に墓前に手向けてこようと思っています。

尚、今回もコメント欄を閉じています。



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雛祭り・たくさんのお祝い

2014年03月04日 | 
3月に入ったとたん、春の陽気から寒い冬に逆戻り・・・
三寒四温で春は行ったり来たりでしょうか?


今年も私の古いお雛様を飾りました。

戦後の物のない時代に母方の祖父母が、初孫の私に揃えてくれたお雛様
古色蒼然としてきて、数年前に処分しようと考えましたが・・・

ブログ仲間のラッシーママさんに「もったいない」と止められて
お内裏様と三人官女だけ残しました。


今年は和室の出窓に飾りました。

お雛様はすぐに片付けないと「お嫁に行き遅れる」とか申しますが
今ちょっとバタバタしているのでもうしばらくこのままにしておきましょう。

今更お嫁に行くわけではありませんものね。



3月2日・孫娘のお祝い
氷雨の降った日曜日、息子宅に招待されました。


こちらは孫の菜々ちゃんのお雛様です。

この日は雛祭り&お誕生日&小学校入学のお祝いが重なりました。


いつものように両方のジィジとバァバが集まり、
皆で菜々ちゃんを祝いました。


お寿司とオカータン手作りのお料理が美味しいね。


「トータン、早くケーキも食べたいから切ってよ」

去年まではアニメの主人公、キュートな女の子「プリキュラ」が
描かれていたのに、もう卒業ですか?
今年は「ドラえもん」なのね。

ちょっとマッタ~、何か忘れているよ6本のローソク立ててからだよね


ようやく皆で「ハッピーバースデー」を歌いました。


そう・・・
この3月で6歳になる菜々ちゃんは、この春小学校に入学です
おめでとう

生後7ヶ月で肺炎と中耳炎で、一週間入院した時はこちらです。
心底心配しましたが、無事にここまで大きく育ち
バァバは本当に嬉しいです

まだまだランドセルの方が大きいね~にぃにぃと同じ机も買ったよ


家を建てた時、それぞれの子供部屋も造ったけど
小学生の間はよく目が届くリビングの一角に机を置くことにしたらしい・・・

「引きこもりになられると困りますから」とオカータン

たくさんのプレゼントももらいました今はリカちゃん人形に夢中です


にぃにぃはサッカー少年団に入り土日は練習と試合
水泳も習っていて忙しい・・・

菜々ちゃんはチェアーダンス
2人とも元気いっぱいで、引きこもりになんかならないよね。

食べて、飲んで、孫を囲んで皆でたくさんお話をして
愉しい一日でした。

尚・コメント蘭は閉じています。




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