花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

慌てて逝ってしまったあなたへ・・・

2014年08月25日 | 私の呟き
お疲れさま、たくさんの思い出をありがとうございました。

(ブログ仲間さんたちから弔電と共に届いたブリザードフラワー)

主人は入院2週間目でついに力尽き、私と息子一家に見守られ旅立ちました。

最初は「抗生物質の点滴で一週間の入院」と言われ
気楽に「空調の効いた涼しい病院で休息だ~」と申しておりましたが・・・
ついに抗生物質が効かず、あっという間に逝ってしましました(涙)

語りかけるとうなずいたり、首を振ったり微笑んだりと
最後まで私たちの言うことは分かっていましたね。

(主人の机の前に貼ってあった自筆の色紙)

「生涯現役でポックリ逝くのが夢、長患いは絶対したくない」が
口癖だったあなた・・・
有言実行を貫きましたね。

でも常に言っていた目標の77歳まではまだ6年もあるので唖然呆然ですよ。

いつも周りを驚かしてくれていたあなた・・・
ハラハラドキドキの結婚生活44年間でしたが、
今思うと平凡ではないスリル満点の楽しい人生でした。
どうも有難う・・・
                        by nao♪
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軽井沢で休養(3)湿原の花々と浅間山周辺

2014年08月15日 | 旅日記
旧盆に入り台風一過の晴天が続くのかと思っていましたが、暑さは一段落
でも、ムシムシとした不安定なお天気が続いていましたね。

今日8月15日は終戦記念日、久しぶりにカラリと晴れ上がり蝉しぐれの中で朝を迎えています。
日中はさぞかし猛暑になることでしょう

あの湯の丸高原の爽やかな風の中で、花や蝶を撮影してからすでに半月が過ぎました。
その後の急展開の状況に何が何だかわからないような10日間となり・・・

あっという間だったような?、もうずっと以前の楽しい思い出になってしまったような?

湯の丸高原「臼窪湿原の花々」(7月30日)
前回紹介したキャンプ場の先にある湿原で見られた花々をUPいたします。


木道が整備され、10分程度で廻れる小さな湿原ですが
丸い姿の湯の丸山が見えるのが絵になる場所ですね。

左手に連なる烏帽子岳か見えないのがちょっと残念ですが・・・

群生で咲いていたニッコウキスゲアヤメはそろそろ終わりのようでした。


湿原は乾燥化が進んでいましたが、目を凝らせばたくさんの花々が見られました。


こちらは秋まで楽しめる「ワレモコウ」

私の好きなカワラナデシコも群落で可憐なフウロもたくさん咲いていました。


気短な主人が待っていますから、素早くバシバシと撮っていきました

手ブレが気になりますが、あくまでもこの湿原に咲いていたお花の記録ということで・・・

ノイバラのようなこちらは何のお花?コオニユリでしょうか・・・


他にもたくさんのシャジクソウとノハラアザミが咲いていました。


シニアのご夫婦二組と、大きなカメラを抱えた登山姿の男性に会っただけの
静かな静かな湿原でした。


1時間10分後に主人の待つ地蔵峠に戻りました。

主人がお茶していたロッジの上にはこの様な看板が
ここは分水嶺なのですね。

私もすっかり汗をかきましたので、今度は二人でソフトクリームをほおばりましたよ。


主人お勧めの嬬恋にあるイタリアンレストランに向かいます。
途中車窓から見た「浅間山」はすでに雲が湧きだしていました。


こちらは浅間山の北西に連なる「四阿山~根子岳」の峰々。
ふもとの菅平や「嬬恋野菜」が有名ですね。

主人が元気だったなら四阿山の斜面にある「パルコール嬬恋スキーリゾート」から
高山植物の宝庫と言われる「野地平湿原」に行きたかったのですが、今回は諦め・・・

主人お勧めの嬬恋高原「ブルーワリー」でランチをしながら、
高原野菜の畑越しに観る「浅間」を堪能することにしました。


主人の学生時代の同じゼミの先輩がこの近くに別荘を持っているので、
大学時代の仲間とよく来たと言うレストラン「ブルーワリー」ホームページはこちらです。

それがなんと「定休日」
前回、息子一家やお嫁ちゃんの両親を連れて着た時もリニューアル工事中で
「縁がないわね~」となりました


高原野菜の販売所はやっていたので「完熟トマト」(5個で350円)と「ブルーべりー」(500円)を買いました。


キャベツ畑の向こうにドカンとそびえる「浅間山」が絵になると主人は言いますが
浅間の北側なので時間を選ばないと逆光で山は霞んで見えました。残念です


軽井沢に戻り、ホテル近くのお蕎麦屋さんで食べた山菜天ぷら蕎麦

蕎麦はシコシコして美味しかったのですが、ツユがしょっぱくて
「この天ぷらの盛り付けはひどすぎる、まずそうで食べる気がしない」と夫はオカンムリでした。

2時過ぎにホテルに戻りしばしお昼寝

3日間もホテルの和風会席のお食事をする気にはならなかったので
この日は素泊まりにし、夕方から歩いて15分の駅前通りにあるローストチキンのレストランに行きました。


ホテルの若いお姉さんに紹介された駅前通りの「カスターニ」詳しくはこちらです。

ペアでのコース料理を頼みました

数種類の中からシーザースサラダを選び前菜はサーモン、メキシコ風のおつまみも


この後にチーズとトマトの「モッツァレラピザ」が出たのですが、撮影し忘れました

メインのローストチキンは全部は食べられずただしデザートのアイスクリームは別腹ですね。


私はコケモモ、主人はバニラを選びましたわ。

若者好みのお洒落なレストランでしたが、軽井沢らしくて外人さんの家族も見られました。
お料理もイタリアンとドイツが合体したような?

「カスターニ」とはドイツ語で「トチノキ」という意味らしい・・・
それってマロニエのことかしら?

若いスタッフさんたちもキビキビと気持ち良い接待で、居心地の良いお店でした。
7時前に帰路に着きましたが、吹く風が涼しくて私はサマーカーデガンを羽織りました。


手先はしびれると言いながら、こんなに元気で食欲も旺盛だった主人ですが・・・
あまりにも突然の入院で私も気持ちが現実に着いていかず、オロオロしています

本人も何とか頑張っておりますので、主治医と本人の体力と抗生物質が効くことを信じて
私も連日病院に通っています。





コメント (32)
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軽井沢で休養(2)「湯の丸高原」

2014年08月09日 | 旅日記
猛暑が続いていましたが、台風11号の影響で関東地方は少し涼しくなりました。
台風は10日未明から明け方にかけ、四国地方に上陸する見込みのようですね。

西日本の太平洋側と東海地方を中心に猛烈な雨を伴い
すでに三重県地方にはかってないほどの大雨とか・・・
被害がないことを祈ります。

山仲間と3人で、10日から一泊で中央アルプスの「木曽駒ヶ岳」に登る予定で
新宿発の高速バスの往復チケットと山小屋を予約していましたがキャンセルしました。

私は主人の入院というハプニングに見舞われ、台風騒ぎ以前に山は諦めましたが
今年はトコトン「山とお天気」の巡りわせが悪くて、山とは縁がありませんわ


「湯の丸高原」散策(7月30日)
さて、軽井沢2日目は朝から晴れ上がりました。
主人が「浅間山が見えるだろうから昼食は嬬恋のイタリアンレストランでしよう」と
朝食後に言い出しました。


まずは「湯の丸高原」に寄っていくことにします。

私は山岳道路の運転は苦手ですから、主人が運転
「運転は大丈夫だけど山歩きはパス」とのこと・・・


標高1732mの地蔵峠の駐車場に車を停め、私はカメラを抱えて放牧されている牛を撮りに行きました。
湯の丸高原はもう一ヶ月も早ければ「レンゲツツジ」の大群落が見られる所として有名です。

「俺はここでコーヒーを飲んで待っているから、一人で湯の丸山まで登って来れば」と夫は言います。

頂上までは牛さんたちの柵の横から1時間・・・
下ってきた山姿のご夫妻にお花の状況を聞きました。


「キャンプ場の先の湿原にキスゲが咲いていましたよ」と言われ、そちらに向かうことにします。

駐車場から20分登った所にバンガローや炊事場が整ったキャンプ場があります。

この日の私は登山靴ではなく、撮影の時に履くウォーキングシューズ
砂利道の登りにヒィーヒィーハーハーと、息が切れました

こんなんでロープウェー利用とはいえ3000m級の中央アルプスに登れるのだろうか?と
不安になりましたわ。



キャンプ場の周りにはアザミが咲き乱れていました。


ここにはノアザミ・ノハラアザミ・タムラソウとあるらしいのですが
私には区別はできません。


蝶や昆虫たちの楽園のようです。


トンボもやってきました。


この様な無粋な看板が見られましたが、この自然は大事にしたいですね。


正面に「湯の丸山」が見えてきました。

山頂からは浅間山の 噴煙や鹿沢の山々、白根火山など上信国境の山並が一望できます。
2005年の秋に登った時は北アルプスまで見えましたこちらこちらです。


足元にはウツボクサの群落もあちこちに見られました。

こちらはシャジク草、まだ蕾?ウツボグサもまだ咲き始めのようです。


7月下旬のこの時期はまだまだ夏のお花が新鮮ですね。

林の中ではヤマブキショウマが風に揺れてヤナギランも咲きだしました。




そして左手に木道と黄色いキスゲの群落が見えてきました。
ここで撮影できれば、もうあの山に登らなくても十分だわと思いました。

カメラを抱えていれば不思議と一人での孤独も感じません。


たまに登山者が足を延ばしてやってきますが、静かな静かな湿原でした。

        

今回の軽井沢行きは二ヶ月前から予約していて主人も楽しみにしていました。
頸椎捻挫もありノンビリするために滞在を1日増やし、高原に出かけたのはこの日だけ・・・

あとはもっぱらホテルと旧軽近辺で美味しいものを食べ大いに鋭気を養い
いたって元気な主人でしたが、今週に入って熱をだし「肺炎」ということで入院しました。

原因が分からずまだ菌も特定できず、最初は1週間と言われた入院は長引きそうです。

父と同じ病院の同じ病棟で・・・
私は切ない想いが甦り、複雑な心境の日々です


コメント (28)
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軽井沢で休養(1)「富岡製糸場」見学

2014年08月02日 | 旅日記
8月に入り、アブラゼミの声が賑やかになってきました。
暑い首都圏を抜け出して、3泊4日で軽井沢に避暑に行ってきました。

と書くと優雅ですが、実は主人が仕事中に脚立から落ちて「頸椎捻挫」
手が腫れて仕事はすべてキャンセル・・・

暑い中悶々としてTVの前に居座る夫に私の方が根を上げ、気分転換に出かけた次第です。


「富岡製糸場」見学(7月29日)
父の新盆の行事「お施餓鬼」に出席し、
義妹とお坊さんの講和を聞き法要も無事終えた翌日・・・

幸い主人もハンドルは握れるようで、2人で車で出かけました。


関越道・中央道・東名を結ぶ圏央道ができて、本当に便利になり
東名海老名から圏央道を使えば軽井沢まで2時間半で行けるようになりました

朝9時45分に横浜の我が家を出て、途中のサービスエリアで昼食を取り
この日の観光目的地、群馬県の「富岡製糸場」に着いたのは1時前でした。


群馬県では古くから養蚕、製糸、織物といった絹に関する営みが盛んで
絹産業に関する文化遺産が数多く残っています。

これらのうち「富岡製糸場」と、蚕の品種改良と普及に貢献した「田島弥平旧宅」、
全国海外に技術を広めた民間養蚕教育機関「高山社跡」、そして日本最大級の蚕種貯蔵施設「荒船風穴」の
「絹産業遺産群」は今年の6月にドーハで開催されたユネスコの世界遺産委員会で
正式に登録されました(パンフレットより)


富岡製糸場が操業を開始したのは明治5年(1872年)
近代化が悲願だった日本が国の威信をかけて建設した、国営の近代製糸工場です。

「東繭倉庫」
500円払って中に入るとすぐに「東繭倉庫」1Fが事務所で2Fが乾燥させた繭の貯蔵庫です


もらったパンフレットの地図では「乾燥場」と書かれた所が崩落していました
今年の2月の大雪で崩れてしまったそうです


「何しろ世界遺産になったので元通りにしなければならず、数年かかりそう」とスタッフさんが言っていましたが
費用はどこが負担をするのでしょう


「繭倉庫」の建物は木で骨組みを造り、柱の間にレンガを積み上げて壁をつくる「木骨煉瓦造り」
(この頃はまだコンクリートは使われていなかったそうです)


たくさんのボランティアガイドさんが、午前午後とも30分おきに案内をしてくれます。
「横浜から来た」と言うと「ここは横浜と深いつながりがあるのです」とのことでした。


工場建設の指導者としてポール・ブリュナはじめ、当初は10人のフランス人を雇い入れました。

「繰糸場」
繰糸場は繭から生糸を取る作業が行われていた場所です。
創業当初はフランス式の繰糸機300釜が設置された世界最大規模の製糸工場でした。


明治26年に官営から三井に安く払い下げられ、10年後は横浜の三渓園の主・原氏に転売されました。
昭和14年、片倉製糸紡績と合併し、昭和62年の操業停止まで115年間操業し続けた製糸場です。

グンゼの片倉工業が閉鎖後も保全管理していたおかげで世界遺産につながったようです。


この日は暑い日でしたが、当然どこも冷房などありません。
入り口にはミストがしつらえてありましたが、汗が流れ出ました

その分人が少なかったと言えるでしょうか・・・


小屋組には「トラス構造」という従来の日本にはない建築工法を用いているので
建物内部には中央に柱のない広い空間が保たれています。

現在は昭和40年以降に設置された自動繰糸機が保存されています。

「ブリュナ館」
指導者として雇われたフランス人ポール・ブリュナが家族と暮らした住居は320坪の広さ


のちに建物は寄宿舎や女工に読み書きや裁縫などを教える夜学校として利用されました。


フランス式の労働環境を取り入れた富岡製糸場は、女性が働く環境としてとても先進的でした。
労働時間は一日八時間未満、日曜日は休みで、夏休み冬休みも十日ずつあったそうです。

後に全国でできた「民営」の製糸工場では「女工哀史」などに代表される過酷な搾取と労働環境により
多数の女工が命を落としたり病気にかかったりしました。

富岡製糸場は少なくとも民営化される前までは良好な労働環境が保たれていたそうです。

当時の女工たちが目指したのは「一等工女」
一等工女は給与も服装も特別待遇で、浮世絵に描かれるほどの憧れの存在でした。

他に日本人工女に機器による糸取の技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居や
生糸の検査などを担当したフランス人男性技術者の住居などがありますが・・・


こちらは最後の「片倉工業」時代の寮
あちこちに雪害の様子が見られました

世界遺産だからという理由では国からの交付金は支給されません。これはユネスコも同じです。

世界遺産登録の前提となる文化財保護法での文化財補助金という名目で
損壊等の恐れが文化審議会で認められた場合にのみ修繕費用としての助成金が給付されるようです。

基本的に維持は持ち主の負担だそうで、この場合は「富岡市」

市営駐車場の周りは整備されていますが・・・商店街はまだまだ素朴なお店が並びます。


「世界文化遺産」というブランドは獲得したものの、すべてこれからの発展途上の観光地です。
涼しくなったら観光客であふれるかも知れませんね。

私たちも「絹産業遺産群」観光は次回に残すことにして
再び「上信越自動車道」の富岡インターから軽井沢に向かいました


※今回の記事は入場時に渡されたパンフレットを参考にさせていただきました。
コメント (30)
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