花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

バリの休日・「ティルタ・エンプル寺院」その2

2009年02月28日 | バリ島紀行

私たちは黄色の腰帯をウエストに巻いてから、「割り門」をかたどった塔を見上げ、その脇から神聖なる領域に入りました。


ガイドブックによると、バリ・ヒンズー教の最高神は「サンヒャン・ウィディ・ワサ」
そしてインドのヒンズー教とも共通する三大神、シバ神(その象徴は風・白)、プラフマ神(火・赤)、ヴィシュヌ神(水・黒)がその現れの一つだそうです。

こうして三つ並ぶ祠が、それらの神様の居場所なんでしょうか・・・

そしてこの「ティルタ・エンプル寺院」の中心は「プヌンガン・トプサナ神殿」でした。


こちらがまさにその神聖なる神殿のようです
神々は、常に寺院に祀られているわけではなく、寺院祭礼(オダラン)にのみ天界から寺院に降臨するとされていて・・・
その時のために、寺院には神の座所となる祠や祭壇が建っているのでした。


反対方面から写してみました。
本堂にご本尊が祭られている日本の寺院とは趣が全然違います。

バリの宗教は建物より、お祈りの空間が重要なのではないかと感じさせられました。
ヒンズー教は、天界、人間界、地界の三界に別れていると言われます。
天界、地界とをダイレクトに交感するためには、屋根があってはいけないのでしょう・・・


私は、聖域に手を合わせ、旅の安全を祈願し、写真を撮ることのお許しを請いました。


高僧が祈る場所だけ屋根がついています。同じ目線でカメラを写しました。
正面に見えている石像は、こちらにお越しになる神様のお姿なのでしょうか?

雨期の季節らしくて「傘」が置いてある風景が、如何にも「人間界」を現していますね。


この寺院の象徴「聖水」は今でも「プヌンガン・トゥプサナ神殿側」から、砂や小石を巻き上げながらコンコンと湧き出しています。

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「ここには主のような大ナマズがいます」とスーさんが説明してくれたすぐあとに、ナント黒い影が動きました

マウスオンでご覧下さい
主人が慌てて撮った写真には、1m位の、大ナマズというよりは大ウナギのような「主」が見事に写っていました。


この聖水の一段下が「沐浴場」・・・
そしてその先にはたくさんの鯉が泳いでいました。


寺院の出口からはお土産屋さんがズラリと並んでいました。
「みんな三枚千円よ」とたどたどしい日本語が飛び交います。
女同士で来れば冷やかしながら覗くのですが、スーさんと主人はスタスタと急ぎ足
もっともさして買いたい品物があるわけではなく、買ったら後悔するに違いありませんが・・・

世界同時不況の影響で観光客が激減し、お店の方々も暇そうでした。

「絵画や木彫りを作っている所を見たいですか?」
車に乗り込むとスーさんが聞いてきました。
午前中棚田を見たので、午後行く予定だったゾウの洞窟を意味する寺院遺跡「ゴア・ガジャ」見物をカットし、時間が少し空いたようです。

「ボクの趣味は版画だけど、あの精巧な木彫りをどのような道具を使って彫るのか見てみたい!」と主人が返事をし、急遽行く事になりました。

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超高級な作品ばかりを扱っている、立派なお店でした。
マウスオン・クリックでその店構えをご覧下さい
庶民派の私たちは入り口を見ただけで怖気ついてしまいます(笑い)

「買わなくて良いですよ~、作っている所を見たいだけとお店には言ってあります」とスーさん。
「ホッ


紫檀や黒檀、白檀などで作られた品物が並ぶ店内を通り抜けて外に出ると、中庭に面したオープンな作業場で、匠たちは作品創りに取り掛かっていました。

中庭にはお花も咲いていて・・・
私はそちらにも興味が惹かれます。

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マウスオンでご覧下さい
バリ島ではランの花を木に寄生させて咲かせる方法が多く見られます。
ここでもそうでした。

日本では鎌倉のお寺のお庭などで見られる、古木に着生した「セッコク」がこれと似ていますね。


一本の木を彫っている匠の動きにずっと見入っていた主人は「こんな簡単な道具だけで彫り上げているんだ」と驚嘆していました。

                                

今週は関東では珍しく冬の冷たい雨が続きましたね
昨日などは雪まで混じりました。
地域のお祭が終りホッとしたのもつかの間、その後片付けが山のようにあり、体力的には厳しい二週間が続きました。
もうヘロヘロです。

その上、PCの調子が悪くて中々ブログも更新できませんでした。
皆様の所にもお伺いできずに失礼しています。

主人の友人のお助けマンに来てもらい、外付けのハードディスクを取り付け、画像ファイルの整理をしたら大分PCが軽くなり、変な警告も出なくなりました。

さぁ~!今日で仕事も一段落・・・
6日ぶりに太陽も顔を出しました
明日は菜々ちゃんの「初節句」のお祝いに行ってきます。



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バリの休日・「ティルタ・エンプル寺院」その1

2009年02月23日 | バリ島紀行
今日は朝から冷たい雨の一日でした
この土日は私がスタッフとして働いている公の施設のお祭で・・・
先週は会場を盛り上げるための準備にいそしみ、当日の2日間は地元の人々が楽しめるようにとフルに動き回りました。
そんな訳で、コメントのお返事が遅れて申し訳ございませんでした。

流石に今日は疲れ果て、家でTVのアカデミーショー授賞式の模様などをツラツラと眺めて過ごしました。
日本映画の2部門受賞
大健闘ですね。



横浜市には、地域の人々が文化活動やスポーツ活動を通して交流が図れる場としての施設が、全域に80箇所ちかくあります。

私がスタッフとして働いている地区センターには、体育館や図書室、大小の会議室に茶道や踊りが出来る和室が二部屋、それに料理室、キッズルームと揃っていて、地域の方々の活動の場としてたくさんの人々に利用されています。

昨日一昨日のお祭は年に一回の発表の場でもあり、模擬店も出て、それはそれはにぎやかに開催されました。

私たちスタッフは受付やロビーをはじめ、舞台や食堂、コーヒーコーナーをセッティングし、看板を作り、切り絵やお花、風船などで飾り立てました。

都会の新興地では、これが現代のお祭なのかもしれませんね。
大人も子供も派手な衣装に身を包み、舞台で揃って踊るフィナーレの華やかなフラダンスを撮影しながら(私の担当は受付とカメラ撮影)、そう強く感じました。

                   
 
バリではデサ(村)を更に分けたバンジャールという共同体があるそうです。
冠婚葬祭は助け合い、ガムラン音楽や踊りの練習を共にして・・・
地域社会を重んじるバリの生活基盤になっているとか。
そして島の生活は、バリ・ヒンズー教が深く関わっていて、人々は祭礼に明け、祭礼に暮れる日々のようでした。

村の中心部を走っているときスーさんが、「集会所に集まって話し合いをしてますね。日本で言えば青年団のような集まりです」
車の中でそんな説明を聞きながら、食後はタンパシリンの北のはずれにある、聖なる泉の湧く寺院で有名な「ティルタ・エンプル」に行きました。


車から降りたとたん、立派な「貴公子」が出迎えてくれました
初めて訪れるヒンズー教寺院に興味がわいてきます。
スーさんに、守らなくてはならないオキテを聞いたところ「生理中の女性は不浄なので入れない」との事でした。


寺院の周りには「ガジュマル」の大木があちこちに見られます。
そして、この大きな実は「ナンカー」というジャケット・フルーツで、大きな物になると20kgもあるそうです。


さぁ~いよいよ「割門」をくぐります。
このお寺はバリ島内の大きな寺院六つの内の一つに数えられるとか・・・

伝説によると、魔王マヤ・ダナワと戦ったインドラ神が、大地を杖で叩き不老不死の水を湧き出させた場所とされているそうです。


中に入ると、広場のようになっていて、右手に休憩場のような建物がありました。
ここはジャバ・シシ(外の広場)といい、村人の集会所でもあり、闘鶏場でもあり、ガムランの演奏場所でもあり、オダラン(寺院の建立祭)のお祭会場でもあるという。

この写真は主人が撮ったもの・・・
赤い麦藁帽子姿の私も写っています。


左側には何やら立派な塔が建っていました。

ガイドブックによると「バリ・ヒンズー教の神様は山の頂に住まう」らしい・・・
そして海には魔物が住むという・・・
寺院でも神聖な領域は山側にあり、門は海側に建っているそうです。


二つ目の「割れ門」チャンディー・ブンタールが見えています。
扉を開けてここをくぐって行くと・・・

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そこは聖なる泉をひいた「沐浴場」でした
ヒンズー教徒の多いインドでは「ガンジス川の沐浴」が有名ですが・・・
マウスオンでご覧下さい

泉が発見されたのは962年と言われ、この寺院の古い歴史を感じ取る事が出来ました。


さて、ここから先は神々が降りてくる最も神聖なる領域に入ります。
スレンダンという腰帯を巻かなければいけません。
短パンやミニスカートの人は、肌を隠すためのサルンも巻きます。


すぐ横の丘の上に、スカルノ元大統領が建てた瀟洒な別荘がありました。
あの○○夫人も来たようです。

今では政府のゲストハウスだそうですが・・・
聖なる場所を見下ろす所に建っていて、神様の怒りに触れないのでしょうか?
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バリの休日・キンタマーニ高原

2009年02月21日 | バリ島紀行

午後1時過ぎにようやく「パトゥール山」がよく見えるキンタマーニ高原・ペネロカンの展望レストランに到着しました。

巨大なクレーターをもつパトゥール山(標高1717m)は、1917年と1926年に大噴火したそうです。
手前に黒々とした溶岩流の痕跡が見えますね。

ブログ仲間の「山小屋さん」のお話では、この山は5時間で登れるらしい・・・
ガイドブックを読むと、ここの頂上で見る「日の出」が特にお勧めとか
でも「乾期にガイド付きで行く事!」と書かれていました。
過去に遭難騒ぎを起こした日本人とか、有毒ガスで死亡したドイツ人がいるそうです


こちらがパトゥール山を正面に、湖を眼下に見下ろす展望レストラン&ホテル「レイクビュー」の入り口です。


バリ島の音楽と言えば心癒される「ガムラン音楽」が有名です。
多くのホテルやレストランで、おじさんたちが奏でる鉄琴などの生演奏が出迎えてくれました♪♪


外輪山の崖の上に建つレストランからは、バリの水源「バトゥール湖」を中心に、西に「バトゥール山」、東に「アバン山」(標高2153m)がそびえる大パノラマが楽しめました。
雲が多くてちょっと残念!


パトゥール山の噴火でできたこのカルデラ湖は周囲約11km、透明度が抜群だそうです。
湖畔から仰ぐ「パトゥール山」はさぞかし凄い迫力でしょう・・・
時間があれば下の湖まで降りてみたかった!
(上の写真の横に並べて貼りたい所ですが、技術が伴いませんでした


ここでのランチは、インドネシア料理のビュッフェです
野菜と肉の炒め煮が多い感じで、「ナシ・ゴレン」(焼き飯)と「ミ・ゴレン」(焼きソバ)はどこでも定番のお料理でした。


前の晩にホテルのレストランで焼き飯を食べたので、今度は焼きソバをいただきました。
柔らかめの麺で、昔食べたインスタント焼きソバ「UFO]の麺に似ている感じでした。

焼き鳥好きの主人がスパイシーな串焼きを10本くらい持ってきたので、それも一本いただき~
朝もホテルでビュッフェだったし、これだけ食べれば太るわねぇ~
ビールはどこでも星のマークのビンタン
スッキリとした喉越しの美味しいビールでした。


欧米人(主にオージー?)が六割、日本人が三割、中国人が1割くらいの比率でしたが、何故か、欧米人は外のデッキがお好きなようです。
日本人は「突然雨が降ってくるかも・・・」なんて心配するから、我々も含めてほとんどの人が室内でのお食事でした。


そしていつも思うのですが、白人女性のリゾートウェアーは実に開放的ですね
特にこの方のスタイルには目を見張りました

この日の私は「海ではなく、高原に行くのだから」と、インディゴブルーのジーンズにボーダー柄のポロシャツ姿です。
これだけではちょっと味気ないので、ハワイで買った真っ赤な麦藁帽子をかぶり、珊瑚のイヤリングをぶら下げましたが・・・
いくらあがいても、スタイルの良い白人女性の大胆さに、小柄な日本のオバサンは到底敵いませんわ

バリ島のイメージは「海辺のリゾート」が圧倒的に強いのですが、田んぼや渓谷、そしてこのような高原の風景も楽しめるとは、一粒で二度美味しいグリコみたいな島でした。
いえいえ、更にオリエンタルな雰囲気のヒンズー教のお寺見物も趣があって・・・
「バリ島」は3つの顔が楽しめる面白いところでした。


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バリの休日・ライステラス

2009年02月18日 | バリ島紀行
「トゥガラランのライステラス」

ウブドから北へ約6.5km行くと、東側の渓谷に、緑のひだを幾重にも折り重ねたように美しい「ライステラス」(棚田)が広がっていました

ここではこれから田植えが行なわれるようですね。手前に萌黄色の苗代が見えています。

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ズーム画像をマウスオンでご覧下さい

バリ島では一年を通じて稲が育つため、2~3毛作で、何月が田植えで何月が収穫ということは決まっていないとか・・・
稲刈りと田植えが同時に見られる事もあるようです。


展望ポイントにはお土産屋さんやカフェが並んでいます。
車を止めた道路沿いには色鮮やかな木彫りの工芸品を売るお店も数多くありました。


物売りの人々も多く・・・
「品物が確かな物とは限らないので、買わないように」と、スーさんに言われていたので「ノー」と断り続けましたが、中国ほどしつこくはありませんでした。
ほとんどが女性で、荷物を頭の上に乗せている人が多く、そのバランスのよさと、逞しさに圧倒されました。

ライステラスを堪能してから、車で標高1500mの高原リゾートを目指します。


キンタマーニ高原まではおよそ一時間半、車窓からはのどかな田園風景が見られました。
時速80km以上の車の中から写した、ブレブレの画像が最後まで続きますがお許しください。

バリ人の家々に神や祖霊を祭るサンガ(祠)があるように、水田にもサンガがあります。
これは稲の神様や農業を司る神々のためのもの・・・
稲田に平等に水を引くスパッという水利組織が管理する小さな寺院といえるようです。


村を通った時、下校途中の小学生達の姿が見えました。みんなキチンとした制服を着ていますね。
スーさんのお話では「給食はなく、学校は午前中で終り」
午後からは伝統芸能などのお稽古事に通う子が多いそうです。


そしてやはり頭に荷物を乗せて歩いている女性が目につきます。
「背が伸びなくなるからと、最近の若い子は嫌がってしなくなりました」とスーさん。

主人は彼に「日本でも京都の大原女というお花を売る女性が、頭に乗せる姿で有名ですよ」と教えていました。


やがてキャベツやレタスなどの高原野菜の畑が目につくようになり、果物屋さんも多く見られるようになりました。
日本とは全然違う果物のレイアウトに思わず「車を徐行してぇ~!」と運転手さんに頼みました

下の段の右端に見えているのは、昔懐かしい「計り」でしょうか?



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バリの休日・ウブドへ(その2)

2009年02月16日 | バリ島紀行

バレンタインデー(土)の日はポカポカ陽気となり、各地で4月下旬の気温を記録したようですね。
小田原では26度の夏日だったそうです
我が街でも、日中散歩に出たら半袖姿の人が多く見られました。

畑の脇にたくさんの「フキノトウ」が顔を出していて・・・
今夜はそれを天ぷらにして、「春の香り」を楽しみました。

本来なら今日の日曜日は、山仲間と箱根にハイキングの予定でしたが・・・
Kさんからメールが入り、急遽仕事が入ったらしい
彼女も暮れに「ケァ・マネージャー」の国家試験に合格して、今まで以上に忙しくなったのでしょう。

私も帰国後すぐに仕事が続き流石に疲れました。
ハイキングが延期になって、ホッとしたような・・・
バリ島旅行モードからの、気持ちの切り替えのきっかけを失ったような・・・
余韻を引きずったまま、更にバリ島紀行は続きます。

 
                                

「モンキー・フォレスト」

ウブドでは、およそ200匹の野生サルが生息する保護区の森に案内されました。
「大きなネックレスやイヤリングは外してください。メガネもサルに盗られない様に気をつけて下さいね。そしてサルとは目を合わせないように・・・」とスーさんに言われ、私は耳元でユラユラ揺れる珊瑚のイヤリングを慌てて外しました。

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サルが棲む聖なる森の中には、見上げるばかりの「ガジュマル」の木がありました。
枝から垂れる「気根」が幹を覆うように垂れ下がっています。

マウスオンで「藤(ラタン)」もご覧下さい
他の木に絡まっているラタンを初めて見ましたが、籐は竹でも木でもありません。
ヤシ科のつる性の植物で、東南アジアやインドなどの、熱帯から亜熱帯にかけてのジャングルに生息しているそうです。
軽くてしなやかで堅牢性がある為、家具の材料として使われていますね。

私は「藤」という字に惑わされて、あのお花の藤と同種類の植物から「籐家具」は出来ていると思っていましたが・・・


森の中を歩いて行くと、サルの姿はすぐに見えてきます。
ここに棲んでいるのは日本で言う「オナガザル」のようでした。


入り口ではエサ用のバナナを売っていて、その他にも係員がお芋をあげていましたから・・・
以前行った「伊豆の波勝崎のお猿さん」と比べると、ここのおサルさんたちはとても穏やかに感じました。

仲睦まじく毛づくろいをしていたり、母ザルが赤ちゃんザルの世話をしていたり・・・
微笑ましい光景に癒されますね。
non_nonさんのソースをお借りして纏めましたので、小さな画像にマウスオンしてご覧下さい
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森の中には死者の寺「ダラム・アグン・バダントゥガル寺院」もありました。
人間様は足を布で覆い、腰に黄色い三尺を巻かなくては中に入れませんが、おサルさんたちは自由に出入りしていましたね


森の前からウブドの目抜き通りが続いていましたが、残念ながら散策する時間はなくて、車の中からの見学となりました。
こちらは中心地にある「王宮」


町のあちこちに「絵画」を売る店がありました。
ウブドスタイルの絵とは異なる、現代絵画が多い感じですね。


そして石の彫刻が「これでもか!」という感じで街道沿いのお店に並んでいました。

スーさんが「ライステラスを見たいですか?」と聞いてきました。
ガイドブックに載っていた「棚田」の風景が頭に浮かびます。
「見たい!」と答えると「今日はこれから二つのお寺の見学がありますが、一つはやめてライステラスを見に行きましょう」と・・・
何組かの旅行者が一緒だったら、きっと意見が割れるだろうな~と思いました。

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バリの休日・ウブドへ(その1)

2009年02月11日 | バリ島紀行

この画像はヒンズー教の神話に登場する神鳥「ガルーダ」で、仏教でいう迦楼羅あるいは金翅鳥のことだそうです。
ワシの頭、人間の胴体と手足、背に翼をもった姿であらわされていて、バリでもあちこちで見られました。
インドネシアの国営航空会社の名前にも使われていますね。

私たちは2月1日の午前11時、成田発のガルーダ・インドネシア航空「バリ島・デンバサール」行きの直行便に乗り込みました。
飛行時間はおよそ7時間半・・・
現地時間の夕方5時半過ぎに、無事ランディングしました。日本との時差は1時間です。

飛行機から降りたとたん、むっとするような暑い湿気が襲ってきました。
着込んでいたセーターを脱ぎ、ポロシャツ一枚で「バリ島」に入国です。
ビザ取得代1人10$を払って預けていた荷物を受け取り、到着ロビーに出ると、各旅行会社の札を持ったガイドさん7~8人が迎えてくれました。

私たちはJTBの現地ガイド「スータマ」さんに案内されて、両替所で2万円分をルピアに替えて、空港から車で20分のところにあるヌサドゥア地区に向かいます。
(円もドルも使えるので、ルピアは飲み物代くらいで良いそうです)
ええっ~~、お客さんは我々2人だけ


ヌサドゥア地区に入る時にゲートがあり、金属探知機でのセキュリティーチェックがあります。
そして、宿泊ホテルの門にもゲートがあり、同じような検査が・・・
更に車から降りた入り口でも持ち物検査があります
画面の一番左端にある四角いゲートを必ず通らないといけません。
バリでは過去2回、爆弾テロがあり、当局が神経をとがらせてる様子がよく分りました。

チェックインはガイドさんがやってくれたので、とても気楽です
諸々の説明を受けて部屋に入りました。


こちらはインドネシア風焼き飯「ナシ・ゴレン」です
目玉焼きと海老せんべいが上に乗っていて、鳥の唐揚げと「サテ」という焼き鳥のような物が添えてありました。

「夕食にシーフード料理は如何ですか?良い所にご案内しますよ」と、ガイドのスータマさんが言ってくれましたが・・・
この日は朝の6時前に我が家を出て、車で成田まで行き、その後の長い長い道中があったので流石に疲れました。
ホテルから、旅行会社のサービス特典の食事券を一枚づつ渡されたので、それを利用してレストランで食べた夕食がこちらです。
サラダとビールを追加していただきました。
これにパンもついているのですから、お腹が破裂しそうになりました。

                                     
                  
一夜明けた翌日はビッシリと観光スケジュールが詰まっています。
8時半にスーさん(と呼ぶ事にしました)が迎えに来てくれました。
やはりドライバーさんとスーさんと私たち二人だけで、贅沢なハイヤー観光のようですね。


最初は「芸術の町・ウブド」に向かいます。
デンバサールの街に出ると、バイクの洪水に巻き込まれてしまいました。
ひゃ~~!怖い!

「バリには電車がないので移動はほとんどがバイクです。ボクもそうです。」とスーさんは言いますが・・・
右からも左からもバイクが割り込んできて、お互い交通道徳なんてなきに等しい走り方
「とてもパースのようにレンタカーを借りて、自分達で運転しようなんて思えないね」
我ら夫婦は後ろの席で慌ててシートベルトを締めました。

ウブドの街はヌサドゥアから車で一時間20分のところにありますが・・・
途中「雑貨のお店」と「銀細工のお店」に寄りながら行きました。

「ネカ美術館」

絵画収集家として知られるネカ氏が所蔵していた、インドネシア人画家やバリに住んでいた西欧人画家の絵画を展示した美術館です。
大きな「ガルーダ」が出迎えてくれました。


1908年にバリの王朝を滅ぼしたオランダは、1920年代にオランダ汽船会社がバリへの航路を就航させました。
それ以後バリ島は西欧人が多く訪れる観光地となるのですが、バリ独特の文化に魅せられて長く住み着く人々が出てきました。


もっとも知られているのがドイツ人画家のウォルター・シュピースで、彼はオランダ人画家のルドルフ・ボネと共にウブドで土地の皇族や絵描きと交流し、遠近法や西欧の絵の具を持ち込みました。
こうして興ったのが「ウブド・スタイル」と呼ばれている絵なのだそうです。


回廊から眺める「庭」も素晴らしい そしてここにも「ガルーダ」がいましたね。


中庭には「アヒル」がいて・・・
綺麗なお花も咲いていました。マウスオンでご覧下さい

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スーさんにお花の名前を聞いたら、二種類とも「バナナ」の仲間だそうです。


六つの展示館で構成された館内に飾られている絵は、どれも名作と呼ばれているものばかりだそうです。
そして建物と、その入り口やドァーの装飾も見事でした。


美術館の外には広いオープンロビーがあり、お茶することもできます。
そこからは緑豊かな渓谷が見渡せて・・・
南国の珍しい花々も見られました。


時々雨が落ちていたようですが、私たちの行動時に傘を広げる事はありませんでした。

ウブドの街はお洒落なお店やホテルが並んでいて、絵を売るお店もたくさんありました。
ここで一泊するのも良いかもしれません。
海辺の風景とは全然違う、山あいの「軽井沢」のような感じの町でした。




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バリの休日・無事帰国

2009年02月08日 | バリ島紀行

2月1日から一週間、インドネシアの「バリ島」に滞在し、7日の土曜日無事に帰ってきました。
留守中、ブログ仲間の皆様からたくさんのコメントを戴きましたが、お返事が帰国後となり申し訳ありませんでした
あちらでは、ホテルや飛行場でインターネットを見ることが出来ましたが、日本語のローマ字入力の方法がよく分らずコメントが出来ませんでした。お恥ずかしい限りです


前回も記しましたが、毎年2月に西オーストラリア州のパースに通っていた私たち夫婦・・・
2月の声を聞くと「暖かいところに出かけたい」と、体の奥から叫び声が聞こえるようでした。

西オーストラリアの海によく似た感じの「フィジー」や「ニューカレドニア」行きなどを考えましたが・・・
「俺達のような中高年には、名所旧跡の多いバリ島の方が適している」という主人の意見に従いました。

6日間連泊したホテルは「ヌサドゥア」地区にある巨大リゾートホテル「グランド・ハイアット・バリ」
どこまでも続くプライベートビーチに驚かされました


「バリ島」は今雨期なので、連日スコールのような雨が降り、オーストラリアで見たような真っ青な海は到底無理でしたが・・・
それでも太陽は毎日必ず顔を見せましたので、晴れたら海辺に出てノンビリしました。
6~7年ほど前から、プールでのアクアエクササイズをしていますので、水着はたくさん持っている私・・・
でも、欧米の若い女性たちの紐のようなビキニを見たら、私の水着姿などとても披露できるものではありません
上にTシャツを着てちょこっと海に浸かりました。


それでもここまで来たなら是非泳がねばと、家族連れの多いプールに行く事の方が多かったですね
オーストラリアのようなピカピカの強烈な陽射しではなかったのでつい油断してしまい、顔と手足が陽に焼けてしまいました。
主人などは背中や首が真っ赤になって「ヒリヒリするうぅ~」とわめいていましたよ。

バリ島にはオージーたちもたくさん来ていると聞いていますが、プールサイドで各国の人々を観察するのも楽しい時間でした。


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憧れのデッキチェアーに寝転び上空を見上げると、パースでよく見た「プルメリア」のお花が青い空に映えていました。
マウスオンで白いプルメリアもご覧下さい



緑豊かな広大な敷地内には、珍しい実がたくさん見られました。
そしてそれらをついばむ野鳥達の姿も


全648室が4つのブロックに分れ、8つのレストラン&バーや大小6つのプールを有し、自然の野鳥も生息できる大型ホテルです。
最初の頃は、自分たちの部屋に戻れず迷子になったほどでした


お腹が空けばレストランでお食事を楽しみ・・・


喉が渇けば、オープンロビーで心地よい涼風を感じながらのお茶も楽しめます。


周りの池に咲き誇るスイレンのお花が心を癒してくれました。


眠くなればあちこちにある東屋風の一角でお昼寝タイム
これぞ真のリゾートホテルライフの楽しみ方なのでしょうが・・・
私たちにも全く自由な2日間がありましたが、貧乏性の私はそこまでくつろぐ事はできなくて、カメラを片手にウロウロと歩き回っていました。


斑入りの葉っぱが珍しい赤いハイビスカス
「フリルのある花びらや長いシベが、我が家のハイビスカスと全然違うわね」


白いハイビスカスによく似たお花も見られました。楚々としていて美しい


お隣のビラのエリアにまで足を伸ばして、ヒンズー教のお寺の入り口に多く見られる「門」を見てきました。

インドネシアは9割以上がイスラム教徒の国ですが、ここバリ島は古来の祖霊信仰に仏教やヒンズー教が混じり合った独特の宗教だそうです。
この「バリヒンズー教」は一つの村に少なくとも8つの寺院があり、一般家庭の庭にも神や祖霊に捧げる祠が建っています。


こちらはホテルの入り口にあった「像」
悪霊のご機嫌を損ねないためのものなのでしょうか???


私たちは30度の暑さの中、ホテルの外のショッピングモールや公園にも歩いて出かけました。
有名な高級ホテルが点在する「ヌサドゥア」地区でも、大きなロータリーには必ずこのような石塔や石像などが見られました。
四辻は呪力の強い場所といわれ、悪霊を鎮めるための魔除けの意味があるようです。

今しみじみと6日間滞在した「バリ島」を思い返してみると、優雅なホテルライフの記憶よりも、観光で廻ったオリエンタルな雰囲気のヒンズー教寺院、そして狭い道路を走る凄まじいバイクの群れ、そのすぐ横をうろつく犬達・・・
数多くの伝統工芸品や雑貨類、そして懐かしい棚田の緑・・・
雑多なそれらはまさにアジアの原風景そのもので、とても印象的でした。

今回は芸術の村「ウブド」や「キンタマーニ高原」観光、バリ舞踊鑑賞などの他に、飛行機で一時間半のジャカルタまで飛び、世界遺産の「ボロブドゥール遺跡」と「プランバナン寺院群」も見てきました。
次回からはそれら一つ一つの紹介記事となる予定ですので、宜しくお付き合い願います。
興味のない方はスルーしてくださいね。

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二月は南の国で・・・

2009年02月01日 | 日常の日記

あっと言う間に一月も終りです。
ここ数年、毎年二月に入ると西オーストラリア州のパース行きがあり、丁度この頃は準備で落ち着かない時期でした。
去年でそれも終りにしたので・・・
あの真っ青な海と空のコラボを懐かしんでいます。

詳しいいきさつはこのブログに何度も記して、古いブログ仲間の方々にはもう耳にタコのようなお話ですが・・・
ジャパニーズガーディナーになりたがっていた主人の弟子のオージーも一人前になったし、バブルのオーストラリアは物価が跳ね上がり、住居費と生活費が高騰したのと、そして歳をとった私の両親がいつ何時何があるか分からない状態になり、長期に日本を留守にするのが不安になったのと・・・
諸々を考えて借りてた家の更新をやめにしました。


トップとこの2枚目の写真は、一番印象に残っている南極海に面した「エスペランスの海」です。
白い砂と白い波が海の青さをいっそう際立たせていて、この世の風景とは思えない美しさでした

パース行きをやめたとたん、この世界的大不況でオーストラリアドルは大暴落
去年の2月は1A$が100円を越えていたのに、最近では50円台・・・
今行けば、一年前の半額で生活できる状態となり、間が悪くて歯軋りする思いですが、パース生活は散々楽しみましたからもう未練は断ち切ることに致します。

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マウスオンでご覧下さい
忘れられない風景に「エスペランスのピンクレイク」がありますね。
塩分濃度が98%の塩の湖は、太陽の光に作用してピンク色に見えるから不思議です。


三年続けて、小さなレンタカーで西オーストラリアの大平原を2000km行きました。
日本では味わえない大冒険をしたものです


パースから400km離れた所にある南極海に面した港町「アルバニー」は二回行きました。
ここには世界最大級の「クジラのミュージアム」があり海も綺麗で、小さいながらもお気に入りの街となりました。


一昨年の2月には2歳のハー君を連れて、お嫁ちゃんとその両親がやってきて・・・
パースに借りていた借家で一週間、寝食を共にして遊びました。
皆でパースの衛星都市「ロッキンハム」の桟橋から船に乗って、「ペンギン島」に渡りました


「イルカと泳ぐツアー」もあるこのインド洋の海も綺麗でした
息子は仕事が忙しくてパースにはこれませんでしたが、お嫁ちゃんが一生懸命ハー君を海で遊ばせていました。
その名のとおり、運が良ければペンギンの姿も見られる島です。


そしてこちらがパース近郊の「コッテスローの海水浴場」
借家からも車で20分くらいで行けましたので、しょっちゅうインド洋を見に行っていた様な気がします。
豪邸が建ち並ぶ、横浜で言えば湘南海岸のような所でしょうか?


そしてインド洋に沈む夕日は感激的でしたね。

毎年2月はこのような風景の中で過ごしたので、今年も青い海を見ないと落ち着きません。
沖縄の離島も考えましたが、国内はもう少し歳をとってからでも行けそうです。
円も高いことですし、仕事のない来週、「バリ島」に行く事にしました
でもでも・・・
今は雨期なんですよね
オーストラリアの夏のような真っ青な海と空は期待できそうもありませんが・・・
暖かいところでノンビリしてきます。

パースのように一ヶ月間も行っているわけではなく、すぐに帰ってくる予定ですのでPCは持って行きません。
ホテルでネットが使用できれば、現地から皆様の所にご訪問ができるかもしれませんが・・・
画像入りの更新はしばらく出来ませんので、宜しくお願い致します。
コメント (28)
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