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バンテアイ・スレイの略奪された東洋のモナリザ

2015-02-15 00:02:15 | Weblog
バンテアイ・スレイのデバター(女神)、「東洋のモナリザ」は、
フランス人のアンドレ・マルローによって略奪された。
その「東洋のモナリザ」を見たい。

バンテアイ・スレイは、世界遺産アンコール・ワット遺跡群の一つ。
シェムリアップの街から北東へ40キロメートルほど。
途中、高床式住居の集落を見ながら、
バスで1時間弱。2014年11月。

祠堂。バンテアイ・スレイは、アンコール・ワットに比べれば規模が小さい。


「東洋のモナリザ」と言われるデバター(女神)がある。

⇒が「東洋のモナリザ」。


東洋のモナリザ」。

現地人ガイドが「東洋のモナリザ」と説明した。

この「東洋のモナリザ」は、
フランスの新進作家アンドレ・マルローによって略奪された。
マルロー事件」として、バンテアイ・スレイの東の、
プレゼンテーション・ルームに説明があった。

アンドレ・マルロー盗まれたレリーフの一つ。

Andre Malraux(1901-1976)            One of the bas-reliefs stolen by Malraux

1923年、フランスの新進作家アンドレ・マルローが22歳のときに、
妻のクララと友人のルイ・シュヴァッソンは、カンボジアに旅行した。
3人は、シャム(タイ)とアンコールを結ぶ道の公式な考古学の学術調査を装い、
新たに発見されたバンテアイ・スレイ寺院から、レリーフをノコギリで切り取って、
骨董収集家に売る予定だった。

マルローは、資産家のクララと結婚して(1921年)、
株式投資で、クララの財産を失った直後だった。
アジア芸術の専門家であるパルマンティアが、
「フランス極東学院」の会報に1919年に発表した論文を、
マルローは見つけた。そして、バンテアイ・スレイの密林に、
埋もれていた寺院が発見されたことを知った。

バンテアイ・スレイ寺院が、アンコール遺跡の外に位置していることに、
マルローは注目した。まだ法的に認められていない遺物とともに。
そして、冒険は金もうけになると考えた。

1924年のバンテアイ・スレイ。

ジャングルの中に埋もれていた。プレゼンテーション・ルームで。

アンドレ・マルローはデバターを、バンテアイ・スレイ寺院の南の塔の、
南東から、南西から、そして、北東の角から略奪した。
3人は帰路、1923年12月23日、プノンペンで逮捕された。
1924年7月、マルローは懲役3年の実刑判決を受けた。
友人のルイは懲役1年半だった。

妻クララは無罪判決だった。すぐにパリにもどって、
文化人を回って、救援の嘆願をした。署名嘆願活動で、
マルローは、懲役1年、執行猶予1年に減刑された。
そして、マルローはフランスに戻った(1924年)。

略奪されたレリーフは、最初はプノンペン国立博物館に行き、
2、3年後に、ようやくバンテアイ・スレイに戻った。
これら一連は、マルローが小説「王道」を書くことにつながった。

その後のマルローは、スペイン戦と第二次世界大戦で勲功をたてた。
ドゴール大統領に取り上げられて、文化相を務めた、1959年~1969年。

つぎに、デバター(女神)のレリーフの彫りの深さについて。
彫りの深さをアンコール・ワットと比べてみる。
アンコール・ワットのデバターは彫りが浅い

奥の平面が見える。

バンテアイ・スレイ(10世紀)のデバターのレリーフは、
アンコール・ワット(12世紀)よりも、彫りが深く、ふくよかだ。
彫りが深く、立体的なデバターは、バンテアイ・スレイの特徴である。

立体的なデバターはたくさんある。扉の左右もデバター。

お坊さんもデバターを撮る。

どれを「東洋のモナリザ」にしようか? 多くのデバターがある。

バンテアイ・スレイには、デバターのほかにも、レリーフがたくさんある。
バンテアイ・スレイは、東門から入るが、見学の順番にレリーフを掲載する。
3頭の象に乗るヴィシュヌ神


阿修羅王を爪で切り裂くヴィシュヌ神の化身のナラシンハ


カーラの上のヴィシュヌ神


象の聖水を受けるヴィシュヌ神の妻ラクシュミー


踊るシヴァ神


猿王スグリーヴァと兄ヴァーリンの決戦





3頭の象に乗ったインドラ神?


地雷の撤去で足をなくした人が、演奏していた。

先のない片足を折るようにして、座っていた。
バンテアイ・スレイを見ることができるのも、
地雷を撤去してくれたおかげだ。献金をする。

バンテアイ・スレイは、暖かいところ。
11月というのに、30℃以上、半袖だった。
バンテアイ・スレイの住人にとっては快適。
すき間に、トカゲのオスとメスが涼んでいた。

その下には、卵。

つぎに、バンテアイ・スレイを訪れると、家族で迎えてくれる?

バンテアイ・スレイは、
「東洋のモナリザ」と、レリーフで飾られていた。
それに、アンドレ・マルローによるデバターの略奪を知ることができる。

プレゼンテーション・ルームにあった、
「マルロー事件」の説明を掲げる。



さらに、調査する参考にしてください。
プレゼンテーション・ルームは、東門の東にあるみやげものやのとなり。
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