季節の変化

活動の状況

種差海岸の冬の遊歩道

2020-02-16 00:02:22 | Weblog
三陸復興国立公園 種差海岸の冬の遊歩道
中須賀


高い波が押し寄せる。風はない。
いつも、波は高いのだろうか?

右のT遊歩道で、散策している人と話ができた。
「波の高さは、冬はいつも通り」
「満潮になると、もっと高くなって、押し寄せる」
「大前手が浸かって、打ち上げられた、昆布が残っている」
そして、「今年は、雪が少ない」、と話してくれた。

みちのく潮風トレイルの標識。

大前手とは大きな岩だった、その浜には、昆布が茶色く見える。
風はないから、草は揺れていない。

ここは、中須賀と大須賀海岸の堺で、
標識には、右は、種差天然芝生地へ4.5km、
左は、蕪島へ3.3km、葦毛崎展望台へ0.7km、とある。
あとで見る▼東山魁夷「道」記念碑は、
大前手とは反対の、山側になる。

種差海岸の遊歩道は、
起点となるS鮫駅の案内板、が頼りになった。
東北自然歩道「種差海岸と うみねこのみち」。


赤い遊歩道(東北自然歩道)が、
JR八戸線のS鮫駅から、右のT種差海岸駅へと続く。

バスの「うみねこ号」が、
JR八戸線に沿った県道1号を走るが、
冬期は土日だけ運行。今日は1月、
それに、平日だから、動いていない。

それで、JR八戸線で、S鮫駅から、T種差海岸駅へ移動して、
種差天然芝生地を見る。再び、JR八戸線に乗って、
T種差海岸駅から、M陸奥白浜駅へ戻る。1時間。

そして、M陸奥白浜駅から、S鮫駅まで、遊歩道を散策。
O大須賀海岸 ⇒ K釜の口 ⇒ ▼東山魁夷「道」記念碑 ⇒
N中須賀 ⇒ A葦毛崎展望台 ⇒ L鮫角灯台 ⇒ B蕪島 ⇒ S鮫駅。
遊歩道の散策は、波と岩の競演、闘いを見る4時間。

種差天然芝生地

芝生は茶色で、雪があった。
風はないが、力強い波が、押し寄せている。

大須賀海岸

遊歩道は、一部、砂から離れて、松の間を通り抜ける。振り返った。
海は、波頭が砕ける。

砂浜の迫力の波。釜の口の手前の、前出。

すごい! 下は砂浜で、岩に当たっていないのに、波は砕けている。
どうして? 後ろから押され、前からは返す波がもぐるから?
手前の砂浜の岩は、繰り返す波の攻撃で、
丸くなって、ピカピカになった。

奥の岩にぶち当たる波と、砂浜の波。前出。

砂浜の岩は、波の攻撃で、角が取れてきた。

岩と、砂浜に押し寄せる波の競演。前出。

波の終わりは、どんなだろう?
波と岩、砂浜の競演を、眺めていた。

岩の上のは、生き延びる。前出。

砂浜には、雪がある。

岩の間を波状攻撃。前出。

波が岩に砕ける! また、次の波が襲いかかる!

岩を襲う波。前出。

闘う岩と、砕ける波。
前出では、波と岩の闘いが、すごい!

東山魁夷「道」記念碑

道は、左に延びてから、右に曲がり、D第二展望台へ上がる、
そして、A葦毛崎展望台へ、さらに、鮫駅と延びていく。
道の右の中須賀は、波と岩の競演。

東山魁夷は、「」について、記述している。
東山魁夷画文集 自伝抄 旅の環」。新潮社、1980年から。
「この作品の象徴する世界は、
 遍歴の果てでもあり、また、
 新しく始まる道でもあった」
「絶望と、希望を織りまぜて
 はるかに続くひとすじの道であった」


東山魁夷が、心を鏡にして、見た自然である。
しかし、私には、道の右に広がる中須賀の、
波と岩の競演、闘いに、目が行ってしまって、
道に注目して、観察し、「道」に仕立て上げる、
創造力はない。

中須賀

手前は、遊歩道で、左の高台の、
D第二展望台に上がり、A葦毛崎展望台に延びていく。

は、波が作った? 中須賀。

槍と波、おもしろい!

第二展望台に上がると、道を振り返ることができる。

Tは、みちのく潮風トレイル。
奥のTは、標識があったところ。ここで、
大前手を眺め、山側を振り向いて、
▼東山魁夷「道」記念碑を見つけた。
は、道を走る車。

葦毛崎展望台

「旧日本軍が、アメリカ軍の監視に作った砦」
と、土地の人は説明してくれた。
葦毛崎展望台から、第二展望台越しに、
来た道、中須賀を振り返ることができる。

鮫角灯台

東山魁夷の「道」のキッカケとなった、
「牧場のスケッチ」に描かれた「鮫角灯台」。
タイヘイ牧場は、となりにあった。が、馬はいなかった。

蕪島

蕪島神社。蕪島は、ウミネコ繁殖地。
今は冬、4月に来るという、ウミネコはいなかった。

そして、たどり着いた鮫駅

鮫は、口を開けて5時間も、待っていてくれた。

種差海岸の冬の遊歩道は、
波と岩の競演であり、闘いの場だった。
結果が出たのは、種差天然芝生地、大須賀海岸。
まだ、闘争中は、前出、釜の口、中須賀。
それに、東山魁夷の「道」を訪ねる道。
みちのく潮風トレイルは、見惚れる!
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東山魁夷の「道」を見たい

2020-02-02 00:03:00 | Weblog
東山魁夷の「」を見たい。

作品の「道」は、
東京国立近代美術館で観ることができた。
2008年、「東山魁夷 生誕100年展」、
信濃美術館、東山魁夷館でも、
観ることができた(ポスター)。

東山魁夷画文集 風景との対話」。新潮社、1978年から。
青森県八戸の種差海岸の、
牧場のスケッチを見ている時、
その道が浮かんできたのである。
牧場の柵や、放牧の馬や、灯台をとり去って、
道だけを描いてみたら……と思いついた時から、
ひとすじの道の姿が心から離れなくなった。
そして、どうしても行ってみたくなった。

牧場のスケッチから十数年後の、
戦後の1950年に、再び訪れている。
その道は荒れてはいるが、
以前のままの牧場の中を通って、
灯台の丘へと、ゆるやかに続いていた。
「来てよかった」と、ひとりごとを言って、
私はその場に立ちつくした。

この道の作品を描いている時、
未来への憧憬の道、また、
過去への郷愁を誘う道にもなった。
しかし、遠くの丘の上の空を少し明るくして、遠くの道が、
やや、右上がりに画面の外へ消えているようにすると、
これから歩もうとする道という感じが強くなってくるのだった。
「道」は、1950年の作品、東山魁夷42歳。

その種差(たねさし)海岸へ行って、道を見たい。
2020年1月、「道」から70年後になる。

バスの「うみねこ号」が、
JR八戸線に沿った県道1号を、
左のS鮫(さめ)駅から、右端のT種差海岸駅まで走る。
頼りになったのは、S鮫駅にある案内板、
東北自然歩道「種差海岸と うみねこのみち」。


▼東山魁夷「道」記念碑は、JR八戸線のS鮫駅と、
右のM陸奥白浜駅との間、N中須賀海岸にある。
バスの「うみねこ号」で、バス停は中須賀。
しかし、冬期は土日のみの運行。
今日は1月、それに平日。

「うみねこ号」は動いていない、どうしよう?
「遠いですよ! 歩けば、1時間半ほどかかる」
と、S鮫駅の駅員は教えてくれた。

それで、M陸奥白浜駅から歩くことにした。
まず、JR八戸線で、S鮫駅から、T種差海岸駅へ移動して、
種差天然芝生地を見る。再びJR八戸線に乗って、
T種差海岸駅から、M陸奥白浜駅へ戻る。
そこから、東北自然歩道(トレイルルート)を、
▼東山魁夷「道」記念碑まで歩く。

東北自然歩道「種差海岸と うみねこのみち」を、
O大須賀海岸を眺めながら、N中須賀海岸を目指す…。
近くになったら、▼東山魁夷「道」記念碑を探そう。

O大須賀海岸の、素晴らしい波と岩を眺めながらは、
標準時間の倍の、2時間かかった。そして、見つけた、
▼東山魁夷「道」記念碑


道は、鮫角(さめかど)灯台の方向に、真っ直ぐ伸びている。
そして、N中須賀の海岸の先を、右に曲がって、
A葦毛崎(あしげざき)展望台へ上がっていく。
1台の↓車が、A葦毛崎展望台から、こちらに向かってくる。

東山魁夷画文集 自伝抄 旅の環」。新潮社、1980年から。
「道」は、青森県八戸の種差海岸にある牧場での取材である。
この作品の象徴する世界は、
私にとって遍歴の果てでもあり、
また、新しく始まる道でもあった。それは、
絶望と希望を織りまぜてはるかに続く一筋の道であった。

種差海岸から、ここまで2時間の、波と岩を追ってみる。
種差海岸 ⇒ 大須賀海岸 ⇒ ▼東山魁夷「道」記念碑。
種差海岸の種差天然芝生地

茶色で、雪があった。
風はないが、力強い波が、押し寄せていた。

大須賀海岸

M陸奥白浜駅から、大須賀海岸のトレイルルートは、
一部、松の間を通り抜ける。振り返った。
海は、波頭が砕ける。

大須賀海岸の先は釜の口。その奥は、N中須賀海岸になる。

波が、押し寄せるO大須賀海岸は、素晴らしい。
迫力のある大波で、引いては返す、さざ波ではなかった。

左に松林がある。その間に道が通っているから、その近辺で、
▼東山魁夷「道」記念碑を探そう、と思った。

O大須賀海岸から、松の右の岩に上がって、波と岩を見た。

東山魁夷の、海の作品を見ているようだ。

それから、左を見た。
あれが、▼東山魁夷「道」記念碑!


うれしかったね。駆け上がった。やっと逢えた!

▼東山魁夷「道」記念碑

A葦毛崎展望台、D第二展望台、N中須賀海岸。

東山魁夷が、
「来てよかった」と、ひとりごとを言って、
私はその場に立ちつくした。
と言う、道に来ている!

S鮫駅までの帰りは、
N中須賀海岸を見ながら、D第二展望台に上がって、
を、振り返った。

道を走る↓車。▼東山魁夷「道」記念碑。
バス停の中須賀は、この先。牧場は、道の右で見えない。

「今年は、雪が少ない」
「波の高さは、いつも通り」と、
Tトレイルルートを散歩している人は話す。
左奥のO大須賀海岸から、左端のTに上がり、
念願の▼東山魁夷「道」記念碑へ。それから、
N中須賀の海岸を見ながら、右端のTから、D第二展望台に上がる。
これから、A葦毛崎展望台に向かい、さらに、S鮫駅へ。

M陸奥白浜駅から ⇒ O大須賀海岸 ⇒ ▼東山魁夷「道」記念碑までは、
波と岩の種差海岸を楽しみながら、「道」を期待する2時間だった。
帰りは、N中須賀 海岸⇒ A葦毛崎展望台 ⇒ S鮫駅まで、さらに2時間。
いい道だったな! と、思い出しながら、
ウキウキしながら帰る。

「この作品の象徴する世界は、
 遍歴の果てでもあり、また、
 新しく始まる道でもあった」
「絶望と、希望を織りまぜてはるかに続くひとすじの道であった」
東山魁夷が、心を鏡にして、見た自然である。
私には、種差海岸の「海」に魅かれたが、
「道」に注視して、観察する力は、ない。

東山魁夷画文集 わが遍歴の山河」。新潮社、1978年から。
恩師の結城先生から、
私が落選してがっかりしている時など、
「よく自然を見て来るんだね、
 さあ、スケッチブックを持って、
 心を鏡のようにして見ておいで」
と言われたものです。

「道」のキッカケとなった、
牧場のスケッチ」を見たくなった。
「東山魁夷画文集」10冊には、なかった。画集では、
集英社刊にも、朝日新聞社刊にも、なかった。残念!
どこかの美術館が保管していれば、公開してほしい、見たい!
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