三陸復興国立公園 種差海岸の冬の遊歩道。
中須賀。
高い波が押し寄せる。風はない。
いつも、波は高いのだろうか?
右のT遊歩道で、散策している人と話ができた。
「波の高さは、冬はいつも通り」
「満潮になると、もっと高くなって、押し寄せる」
「大前手が浸かって、打ち上げられた、昆布が残っている」
そして、「今年は、雪が少ない」、と話してくれた。
みちのく潮風トレイルの標識。
大前手とは大きな岩だった、その浜には、↓昆布が茶色く見える。
風はないから、草は揺れていない。
ここは、中須賀と大須賀海岸の堺で、
標識には、右は、種差天然芝生地へ4.5km、
左は、蕪島へ3.3km、葦毛崎展望台へ0.7km、とある。
あとで見る▼東山魁夷「道」記念碑は、
大前手とは反対の、山側になる。
種差海岸の遊歩道は、
起点となるS鮫駅の案内板、が頼りになった。
東北自然歩道「種差海岸と うみねこのみち」。
赤い遊歩道(東北自然歩道)が、
JR八戸線のS鮫駅から、右のT種差海岸駅へと続く。
バスの「うみねこ号」が、
JR八戸線に沿った県道1号を走るが、
冬期は土日だけ運行。今日は1月、
それに、平日だから、動いていない。
それで、JR八戸線で、S鮫駅から、T種差海岸駅へ移動して、
種差天然芝生地を見る。再び、JR八戸線に乗って、
T種差海岸駅から、M陸奥白浜駅へ戻る。1時間。
そして、M陸奥白浜駅から、S鮫駅まで、遊歩道を散策。
O大須賀海岸 ⇒ K釜の口 ⇒ ▼東山魁夷「道」記念碑 ⇒
N中須賀 ⇒ A葦毛崎展望台 ⇒ L鮫角灯台 ⇒ B蕪島 ⇒ S鮫駅。
遊歩道の散策は、波と岩の競演、闘いを見る4時間。
種差天然芝生地。
芝生は茶色で、雪があった。
風はないが、力強い波が、押し寄せている。
大須賀海岸。
遊歩道は、一部、砂から離れて、松の間を通り抜ける。振り返った。
海は、波頭が砕ける。
砂浜の迫力の波。釜の口の手前の、前出。
すごい! 下は砂浜で、岩に当たっていないのに、波は砕けている。
どうして? 後ろから押され、前からは返す波がもぐるから?
手前の砂浜の岩は、繰り返す波の攻撃で、
丸くなって、ピカピカになった。
奥の岩にぶち当たる波と、砂浜の波。前出。
砂浜の岩は、波の攻撃で、角が取れてきた。
岩と、砂浜に押し寄せる波の競演。前出。
波の終わりは、どんなだろう?
波と岩、砂浜の競演を、眺めていた。
岩の上の松は、生き延びる。前出。
砂浜には、雪がある。
岩の間を波状攻撃。前出。
波が岩に砕ける! また、次の波が襲いかかる!
岩を襲う波。前出。
闘う岩と、砕ける波。
前出では、波と岩の闘いが、すごい!
東山魁夷「道」記念碑。
道は、左に延びてから、右に曲がり、D第二展望台へ上がる、
そして、A葦毛崎展望台へ、さらに、鮫駅と延びていく。
道の右の中須賀は、波と岩の競演。
東山魁夷は、「道」について、記述している。
東山魁夷画文集 自伝抄 旅の環」。新潮社、1980年から。
「この作品の象徴する世界は、
遍歴の果てでもあり、また、
新しく始まる道でもあった」
「絶望と、希望を織りまぜて
はるかに続くひとすじの道であった」
東山魁夷が、心を鏡にして、見た自然である。
しかし、私には、道の右に広がる中須賀の、
波と岩の競演、闘いに、目が行ってしまって、
道に注目して、観察し、「道」に仕立て上げる、
創造力はない。
中須賀。
手前は、遊歩道で、左の高台の、
D第二展望台に上がり、A葦毛崎展望台に延びていく。
槍は、波が作った? 中須賀。
槍と波、おもしろい!
第二展望台に上がると、道を振り返ることができる。
Tは、みちのく潮風トレイル。
奥のTは、標識があったところ。ここで、
大前手を眺め、山側を振り向いて、
▼東山魁夷「道」記念碑を見つけた。
↓は、道を走る車。
葦毛崎展望台。
「旧日本軍が、アメリカ軍の監視に作った砦」
と、土地の人は説明してくれた。
葦毛崎展望台から、第二展望台越しに、
来た道、中須賀を振り返ることができる。
鮫角灯台。
東山魁夷の「道」のキッカケとなった、
「牧場のスケッチ」に描かれた「鮫角灯台」。
タイヘイ牧場は、となりにあった。が、馬はいなかった。
蕪島。
蕪島神社。蕪島は、ウミネコ繁殖地。
今は冬、4月に来るという、ウミネコはいなかった。
そして、たどり着いた鮫駅。
鮫は、口を開けて5時間も、待っていてくれた。
種差海岸の冬の遊歩道は、
波と岩の競演であり、闘いの場だった。
結果が出たのは、種差天然芝生地、大須賀海岸。
まだ、闘争中は、前出、釜の口、中須賀。
それに、東山魁夷の「道」を訪ねる道。
みちのく潮風トレイルは、見惚れる!
中須賀。
高い波が押し寄せる。風はない。
いつも、波は高いのだろうか?
右のT遊歩道で、散策している人と話ができた。
「波の高さは、冬はいつも通り」
「満潮になると、もっと高くなって、押し寄せる」
「大前手が浸かって、打ち上げられた、昆布が残っている」
そして、「今年は、雪が少ない」、と話してくれた。
みちのく潮風トレイルの標識。
大前手とは大きな岩だった、その浜には、↓昆布が茶色く見える。
風はないから、草は揺れていない。
ここは、中須賀と大須賀海岸の堺で、
標識には、右は、種差天然芝生地へ4.5km、
左は、蕪島へ3.3km、葦毛崎展望台へ0.7km、とある。
あとで見る▼東山魁夷「道」記念碑は、
大前手とは反対の、山側になる。
種差海岸の遊歩道は、
起点となるS鮫駅の案内板、が頼りになった。
東北自然歩道「種差海岸と うみねこのみち」。
赤い遊歩道(東北自然歩道)が、
JR八戸線のS鮫駅から、右のT種差海岸駅へと続く。
バスの「うみねこ号」が、
JR八戸線に沿った県道1号を走るが、
冬期は土日だけ運行。今日は1月、
それに、平日だから、動いていない。
それで、JR八戸線で、S鮫駅から、T種差海岸駅へ移動して、
種差天然芝生地を見る。再び、JR八戸線に乗って、
T種差海岸駅から、M陸奥白浜駅へ戻る。1時間。
そして、M陸奥白浜駅から、S鮫駅まで、遊歩道を散策。
O大須賀海岸 ⇒ K釜の口 ⇒ ▼東山魁夷「道」記念碑 ⇒
N中須賀 ⇒ A葦毛崎展望台 ⇒ L鮫角灯台 ⇒ B蕪島 ⇒ S鮫駅。
遊歩道の散策は、波と岩の競演、闘いを見る4時間。
種差天然芝生地。
芝生は茶色で、雪があった。
風はないが、力強い波が、押し寄せている。
大須賀海岸。
遊歩道は、一部、砂から離れて、松の間を通り抜ける。振り返った。
海は、波頭が砕ける。
砂浜の迫力の波。釜の口の手前の、前出。
すごい! 下は砂浜で、岩に当たっていないのに、波は砕けている。
どうして? 後ろから押され、前からは返す波がもぐるから?
手前の砂浜の岩は、繰り返す波の攻撃で、
丸くなって、ピカピカになった。
奥の岩にぶち当たる波と、砂浜の波。前出。
砂浜の岩は、波の攻撃で、角が取れてきた。
岩と、砂浜に押し寄せる波の競演。前出。
波の終わりは、どんなだろう?
波と岩、砂浜の競演を、眺めていた。
岩の上の松は、生き延びる。前出。
砂浜には、雪がある。
岩の間を波状攻撃。前出。
波が岩に砕ける! また、次の波が襲いかかる!
岩を襲う波。前出。
闘う岩と、砕ける波。
前出では、波と岩の闘いが、すごい!
東山魁夷「道」記念碑。
道は、左に延びてから、右に曲がり、D第二展望台へ上がる、
そして、A葦毛崎展望台へ、さらに、鮫駅と延びていく。
道の右の中須賀は、波と岩の競演。
東山魁夷は、「道」について、記述している。
東山魁夷画文集 自伝抄 旅の環」。新潮社、1980年から。
「この作品の象徴する世界は、
遍歴の果てでもあり、また、
新しく始まる道でもあった」
「絶望と、希望を織りまぜて
はるかに続くひとすじの道であった」
東山魁夷が、心を鏡にして、見た自然である。
しかし、私には、道の右に広がる中須賀の、
波と岩の競演、闘いに、目が行ってしまって、
道に注目して、観察し、「道」に仕立て上げる、
創造力はない。
中須賀。
手前は、遊歩道で、左の高台の、
D第二展望台に上がり、A葦毛崎展望台に延びていく。
槍は、波が作った? 中須賀。
槍と波、おもしろい!
第二展望台に上がると、道を振り返ることができる。
Tは、みちのく潮風トレイル。
奥のTは、標識があったところ。ここで、
大前手を眺め、山側を振り向いて、
▼東山魁夷「道」記念碑を見つけた。
↓は、道を走る車。
葦毛崎展望台。
「旧日本軍が、アメリカ軍の監視に作った砦」
と、土地の人は説明してくれた。
葦毛崎展望台から、第二展望台越しに、
来た道、中須賀を振り返ることができる。
鮫角灯台。
東山魁夷の「道」のキッカケとなった、
「牧場のスケッチ」に描かれた「鮫角灯台」。
タイヘイ牧場は、となりにあった。が、馬はいなかった。
蕪島。
蕪島神社。蕪島は、ウミネコ繁殖地。
今は冬、4月に来るという、ウミネコはいなかった。
そして、たどり着いた鮫駅。
鮫は、口を開けて5時間も、待っていてくれた。
種差海岸の冬の遊歩道は、
波と岩の競演であり、闘いの場だった。
結果が出たのは、種差天然芝生地、大須賀海岸。
まだ、闘争中は、前出、釜の口、中須賀。
それに、東山魁夷の「道」を訪ねる道。
みちのく潮風トレイルは、見惚れる!