諏訪の仏たちに逢う。
NHKの「日曜美術館」で、
「よみがえる諏訪の仏たち」が放映された、2022年11月13日。
江戸時代まで、「神仏習合」で、
「諏訪大社」と「神宮寺」は、隣り合わせで、一体だった。
「神宮寺」は、諏訪では(じぐじ)と呼ばれて、親しまれた。
明治政府から、「神仏判然令」が発令された。1868年
神社からお寺の要素を排除する政策で、
「廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)の動きとなった。
「神宮寺」のお寺は壊され、仏たちは破壊され、散逸した。
150年後、行方知らずの仏たちを明らかにしようと、
「諏訪神仏プロジェクト」が発足し、
数年かけて、仏たちの実態が分かってきた。
修復もして、仏たちは公開されることになった。
諏訪に、
1)「五重塔」があった?
2)「普賢菩薩騎象像」があった?
3)「阿彌陀如来」があった?
4)「千手観音像」があった?
5)「懸仏」(かけぼとけ)があった?…ことは、知らなかった。
NHKの「よみがえる諏訪の仏たち」を見るまでは。
1)「五重塔は、
諏訪大社、上社の本宮の神宮寺にあったが、「廃仏毀釈」で破壊された。
破壊を免れた本尊の「五智如来坐像」は、「諏訪市博物館」で逢うことができた。
撮影不可。NHKの「日曜美術館」から。
2)「普賢菩薩騎象像」は、
諏訪大社、上社の神宮寺、普賢堂にあったが、
諏訪市の「仏法紹隆寺」に遷されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/b1/f7033b5a8e86147f6e009988b96bd930.jpg)
普賢菩薩は、諏訪大社、上社の本地仏(神の本体)。
普賢菩薩が象に乗っている。楽しくなる。
3)「阿彌陀如来」は、
諏訪大社、下社、秋宮の三精寺に祀られていたが、
「廃仏毀釈」で廃寺になる際に、岡谷市の「平福寺」に遷された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/ba/34cf619f79d2db02002837a6b2f4c608.jpg)
大きい。「おひぎりさま」の名で親しまれ、
毎月23日に公開され、参拝客で賑わう。
微笑み、ほっこりする。また逢いたくなる。
「諏訪神仏プロジェクト」の企画展中は、公開されている。
4)「千手観音像」は、
諏訪大社、下社、秋宮の本地仏(神の本体)。
岡谷市の「照光寺」に遷された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/ac/30c5e8e90d258593fdf16dcb57eb4a41.jpg)
撮影不可。NHKの「日曜美術館」から。
12センチメートルと小さいが、秘仏で、
本来は60年に一度の御開帳。
企画展に限って特別展示されていた。
千手観音に逢えた。うれしくなって、マジマジと見た。
5)「惣持院」の「懸仏」(かけぼとけ)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/34/1db9a065f356f39878280b3725245228.jpg)
諏訪大社、下社、秋宮の神宮寺、千手堂から遷されていた。
茅野市の惣持院では「開かずの厨子」にしまわれていたが、
住職が見つけられて、今回の企画に間に合ったとのこと。
直径30センチメートル。木彫りされている。
上の穴は、懸けるため。下に裏の写真が展示されていた。
諏訪大社は全国で1万社ある諏訪神社の総本社。
諏訪大社、下社、秋宮。2022年11月。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/f9/278a551e1db109af55314fb8645ed25b.jpg)
奥は「幣拝殿」、右端に「一の御柱」が建つ。2022年5月に建てかえたばかり。
「御柱祭」(おんばしらさい)は、4隅に4本の御柱を建てる6年毎の大祭で、
諏訪の氏子20万人が参集。諏訪湖をはさんで、
向かい合うように上社と下社があり、上社には本宮と前宮、
下社には秋宮と春宮があるから、合計16本の御柱を、
山から切り出し、木落とし、川越し(上社のみ)、里曳きを経て、
建て御柱で、勇壮な「御柱祭」のフィナーレになる。
「里曳き」。下社、秋宮。2022年5月。
安全な里曳きでは、家族がまたがって体験。
モミの木の太いこと! 足がつかない。
密集する建て御柱は、コロナ禍で氏子に限定されたから、
境内に入ることができなかった。残念!
「諏訪神仏プロジェクト」の展示は、
諏訪地域社寺25か所と、
諏訪市博物館、下諏訪町立諏訪湖博物館。
期間は、2022年10月1日~11月27日というから、急がなくては。
頼りは、NHKの「日曜美術館」の「よみがえる諏訪の仏たち」と、
諏訪神仏プロジェクトの「公式ガイドブック」。
諏訪市博物館で購入。
上記以外の仏たちも逢うことができた。
1)「五重塔」の跡地。
NHKの「日曜美術館」から。
マレットゴルフ場になっていた。
五重塔には、本尊「五智如来坐像」が祀られていた。
誰に聞いても、「廃仏毀釈」はもったいないことをした、と話す。
2)「仏法紹隆寺」には、「普賢菩薩騎象像」のほかに、
「文殊菩薩騎獅像」があった。
文殊菩薩は、獅子に乗っている。
左目は、「廃仏毀釈」の際に傷つけられた。
彫師は、どのように勉強したのだろうか?
また逢いたくなるお姿を研究した?
諏訪には、美術学校があった?
各地に赴いて学んできた?
3)「平福寺」には、「阿彌陀如来」のほかに、
「十一面観音菩薩立像」が遷された。
諏訪大社、下社、秋宮の三精寺の本尊であった。
1本の木から彫り出されたという。
すばらしい造形だ。
4)「照光寺」には、「千手観音像」のほかに、
「仁王像」があった。
諏訪大社、下社、神宮寺の仁王門から遷された。
2メートルを超える本格的な「仁王像」から、
気迫が伝わってくる。風雨にさらされて傷むが、修復した。
5)「惣持院」には、「白岩観音堂」がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/d9/9b8c353256ec9123c5402f1593d0f091.jpg)
建築者は立川流初代の和四郎富棟(とみむね)。
和四郎富棟は、江戸に出て幕府御用達(ごようたし)建築彫刻家の、
立川小兵衛富房の弟子として修行し、立川姓を名乗ることが許された。
諏訪に戻り、「白岩観音堂」を建築した。
先に掲載した諏訪大社、下社、秋宮の「幣拝殿」も建築したという。
諏訪はロマンあふれる地。
①「諏訪大社」と「御柱祭」のほかに、
②「御神渡り」(おみわたり)。
諏訪湖は全面結氷する。氷が膨張して盛り上がった。2018年2月。
上社の男神が、対岸の下社の女神に、逢いに行く「逢瀬の道」。
③「縄文王国諏訪」。
土偶「縄文のビーナス」。
およそ5,000年前。日本最古の国宝。
「神像筒形土器」。
縄文人は神をイメージした。
土器の最高傑作だ!
④「石鏃」は縄文人の生活に必要なもの。
諏訪は、良質な黒曜石の産地。霧ヶ峰、星糞峠。
採掘して、石鏃に加工して、日本中に流布した。
新たな「ビジネス・モデル」をつくった。
山梨から、青森、北海度まで、全国に普及した。
石鏃(やじり)は、今で言えば銃の弾、狩猟生活には欠かせない。
諏訪のやじりは、切れ味もいい、形もすばらしい。
縄文の遺跡数は、全国で諏訪が断トツ。人口も。
技術、芸術性が高い。信仰にまで高めている。
すばらしい「縄文文化」を築いた「縄文王国 諏訪」は、
日本文化の黎明(れいめい)であり中心で、高い文化には人が集まる。
世界遺産に値すると思う。
⑤今回の「諏訪神仏プロジェクト」は、
文化、芸術への興味は、さらに広がってくる。
ロマンあふれる諏訪の街創りは、地域発展の「ロール・モデル」(お手本)になる。
NHKの「日曜美術館」で、
「よみがえる諏訪の仏たち」が放映された、2022年11月13日。
江戸時代まで、「神仏習合」で、
「諏訪大社」と「神宮寺」は、隣り合わせで、一体だった。
「神宮寺」は、諏訪では(じぐじ)と呼ばれて、親しまれた。
明治政府から、「神仏判然令」が発令された。1868年
神社からお寺の要素を排除する政策で、
「廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)の動きとなった。
「神宮寺」のお寺は壊され、仏たちは破壊され、散逸した。
150年後、行方知らずの仏たちを明らかにしようと、
「諏訪神仏プロジェクト」が発足し、
数年かけて、仏たちの実態が分かってきた。
修復もして、仏たちは公開されることになった。
諏訪に、
1)「五重塔」があった?
2)「普賢菩薩騎象像」があった?
3)「阿彌陀如来」があった?
4)「千手観音像」があった?
5)「懸仏」(かけぼとけ)があった?…ことは、知らなかった。
NHKの「よみがえる諏訪の仏たち」を見るまでは。
1)「五重塔は、
諏訪大社、上社の本宮の神宮寺にあったが、「廃仏毀釈」で破壊された。
破壊を免れた本尊の「五智如来坐像」は、「諏訪市博物館」で逢うことができた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/47/e8d2699143a113fdeeac27782277c4fd.jpg)
撮影不可。NHKの「日曜美術館」から。
2)「普賢菩薩騎象像」は、
諏訪大社、上社の神宮寺、普賢堂にあったが、
諏訪市の「仏法紹隆寺」に遷されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/b1/f7033b5a8e86147f6e009988b96bd930.jpg)
普賢菩薩は、諏訪大社、上社の本地仏(神の本体)。
普賢菩薩が象に乗っている。楽しくなる。
3)「阿彌陀如来」は、
諏訪大社、下社、秋宮の三精寺に祀られていたが、
「廃仏毀釈」で廃寺になる際に、岡谷市の「平福寺」に遷された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/ba/34cf619f79d2db02002837a6b2f4c608.jpg)
大きい。「おひぎりさま」の名で親しまれ、
毎月23日に公開され、参拝客で賑わう。
微笑み、ほっこりする。また逢いたくなる。
「諏訪神仏プロジェクト」の企画展中は、公開されている。
4)「千手観音像」は、
諏訪大社、下社、秋宮の本地仏(神の本体)。
岡谷市の「照光寺」に遷された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/ac/30c5e8e90d258593fdf16dcb57eb4a41.jpg)
撮影不可。NHKの「日曜美術館」から。
12センチメートルと小さいが、秘仏で、
本来は60年に一度の御開帳。
企画展に限って特別展示されていた。
千手観音に逢えた。うれしくなって、マジマジと見た。
5)「惣持院」の「懸仏」(かけぼとけ)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/34/1db9a065f356f39878280b3725245228.jpg)
諏訪大社、下社、秋宮の神宮寺、千手堂から遷されていた。
茅野市の惣持院では「開かずの厨子」にしまわれていたが、
住職が見つけられて、今回の企画に間に合ったとのこと。
直径30センチメートル。木彫りされている。
上の穴は、懸けるため。下に裏の写真が展示されていた。
諏訪大社は全国で1万社ある諏訪神社の総本社。
諏訪大社、下社、秋宮。2022年11月。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/f9/278a551e1db109af55314fb8645ed25b.jpg)
奥は「幣拝殿」、右端に「一の御柱」が建つ。2022年5月に建てかえたばかり。
「御柱祭」(おんばしらさい)は、4隅に4本の御柱を建てる6年毎の大祭で、
諏訪の氏子20万人が参集。諏訪湖をはさんで、
向かい合うように上社と下社があり、上社には本宮と前宮、
下社には秋宮と春宮があるから、合計16本の御柱を、
山から切り出し、木落とし、川越し(上社のみ)、里曳きを経て、
建て御柱で、勇壮な「御柱祭」のフィナーレになる。
「里曳き」。下社、秋宮。2022年5月。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/67/5cf092da916bf48a898656b9eb038e04.jpg)
安全な里曳きでは、家族がまたがって体験。
モミの木の太いこと! 足がつかない。
密集する建て御柱は、コロナ禍で氏子に限定されたから、
境内に入ることができなかった。残念!
「諏訪神仏プロジェクト」の展示は、
諏訪地域社寺25か所と、
諏訪市博物館、下諏訪町立諏訪湖博物館。
期間は、2022年10月1日~11月27日というから、急がなくては。
頼りは、NHKの「日曜美術館」の「よみがえる諏訪の仏たち」と、
諏訪神仏プロジェクトの「公式ガイドブック」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/93/770a3ff31f3932661b86142593b05909.jpg)
諏訪市博物館で購入。
上記以外の仏たちも逢うことができた。
1)「五重塔」の跡地。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/3e/0398587eb5bb94eb7858990814a7c5da.jpg)
NHKの「日曜美術館」から。
マレットゴルフ場になっていた。
五重塔には、本尊「五智如来坐像」が祀られていた。
誰に聞いても、「廃仏毀釈」はもったいないことをした、と話す。
2)「仏法紹隆寺」には、「普賢菩薩騎象像」のほかに、
「文殊菩薩騎獅像」があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/16/83ca93ed2cf89a756719fcc91ed6ed6b.jpg)
文殊菩薩は、獅子に乗っている。
左目は、「廃仏毀釈」の際に傷つけられた。
彫師は、どのように勉強したのだろうか?
また逢いたくなるお姿を研究した?
諏訪には、美術学校があった?
各地に赴いて学んできた?
3)「平福寺」には、「阿彌陀如来」のほかに、
「十一面観音菩薩立像」が遷された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/a1/8303917608731374c0fb0c02145857d3.jpg)
諏訪大社、下社、秋宮の三精寺の本尊であった。
1本の木から彫り出されたという。
すばらしい造形だ。
4)「照光寺」には、「千手観音像」のほかに、
「仁王像」があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/ad/fc232c4f6d93ac7a29f7554fff3710c1.jpg)
諏訪大社、下社、神宮寺の仁王門から遷された。
2メートルを超える本格的な「仁王像」から、
気迫が伝わってくる。風雨にさらされて傷むが、修復した。
5)「惣持院」には、「白岩観音堂」がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/d9/9b8c353256ec9123c5402f1593d0f091.jpg)
建築者は立川流初代の和四郎富棟(とみむね)。
和四郎富棟は、江戸に出て幕府御用達(ごようたし)建築彫刻家の、
立川小兵衛富房の弟子として修行し、立川姓を名乗ることが許された。
諏訪に戻り、「白岩観音堂」を建築した。
先に掲載した諏訪大社、下社、秋宮の「幣拝殿」も建築したという。
諏訪はロマンあふれる地。
①「諏訪大社」と「御柱祭」のほかに、
②「御神渡り」(おみわたり)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/c8/68e6624736b912bc1fedeeca13575db3.jpg)
諏訪湖は全面結氷する。氷が膨張して盛り上がった。2018年2月。
上社の男神が、対岸の下社の女神に、逢いに行く「逢瀬の道」。
③「縄文王国諏訪」。
土偶「縄文のビーナス」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/0b/ea3337e749d30f6eea97b0d0bd51954b.jpg)
およそ5,000年前。日本最古の国宝。
「神像筒形土器」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/15/77e627c27b076f7bb9b214024b3cb544.jpg)
縄文人は神をイメージした。
土器の最高傑作だ!
④「石鏃」は縄文人の生活に必要なもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/28/b0dd31c7cd74be3b57a56ef6a8f58436.jpg)
諏訪は、良質な黒曜石の産地。霧ヶ峰、星糞峠。
採掘して、石鏃に加工して、日本中に流布した。
新たな「ビジネス・モデル」をつくった。
山梨から、青森、北海度まで、全国に普及した。
石鏃(やじり)は、今で言えば銃の弾、狩猟生活には欠かせない。
諏訪のやじりは、切れ味もいい、形もすばらしい。
縄文の遺跡数は、全国で諏訪が断トツ。人口も。
技術、芸術性が高い。信仰にまで高めている。
すばらしい「縄文文化」を築いた「縄文王国 諏訪」は、
日本文化の黎明(れいめい)であり中心で、高い文化には人が集まる。
世界遺産に値すると思う。
⑤今回の「諏訪神仏プロジェクト」は、
文化、芸術への興味は、さらに広がってくる。
ロマンあふれる諏訪の街創りは、地域発展の「ロール・モデル」(お手本)になる。