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諏訪の仏たちに逢う

2022-11-27 00:23:21 | Weblog
諏訪の仏たちに逢う
NHKの「日曜美術館」で、
よみがえる諏訪の仏たち」が放映された、2022年11月13日。

江戸時代まで、「神仏習合」で、
諏訪大社」と「神宮寺」は、隣り合わせで、一体だった。
「神宮寺」は、諏訪では(じぐじ)と呼ばれて、親しまれた。

明治政府から、「神仏判然令」が発令された。1868年
神社からお寺の要素を排除する政策で、
廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)の動きとなった。
「神宮寺」のお寺は壊され、仏たちは破壊され、散逸した。

150年後、行方知らずの仏たちを明らかにしようと、
諏訪神仏プロジェクト」が発足し、
数年かけて、仏たちの実態が分かってきた。
修復もして、仏たちは公開されることになった。

諏訪に、
1)五重塔」があった?
2)普賢菩薩騎象像」があった?
3)阿彌陀如来」があった?
4)千手観音像」があった?
5)懸仏」(かけぼとけ)があった?…ことは、知らなかった。
NHKの「よみがえる諏訪の仏たち」を見るまでは。

1)五重塔は、
諏訪大社、上社の本宮の神宮寺にあったが、「廃仏毀釈」で破壊された。
破壊を免れた本尊の「五智如来坐像」は、「諏訪市博物館」で逢うことができた。

撮影不可。NHKの「日曜美術館」から。

2)普賢菩薩騎象像」は、
諏訪大社、上社の神宮寺、普賢堂にあったが、
諏訪市の「仏法紹隆寺」に遷されていた。

普賢菩薩は、諏訪大社、上社の本地仏(神の本体)。
普賢菩薩がに乗っている。楽しくなる。

3)阿彌陀如来」は、
諏訪大社、下社、秋宮の三精寺に祀られていたが、
「廃仏毀釈」で廃寺になる際に、岡谷市の「平福寺」に遷された。

大きい。「おひぎりさま」の名で親しまれ、
毎月23日に公開され、参拝客で賑わう。
微笑み、ほっこりする。また逢いたくなる。
「諏訪神仏プロジェクト」の企画展中は、公開されている。

4)千手観音像」は、
諏訪大社、下社、秋宮の本地仏(神の本体)。
岡谷市の「照光寺」に遷された。

撮影不可。NHKの「日曜美術館」から。
12センチメートルと小さいが、秘仏で、
本来は60年に一度の御開帳。
企画展に限って特別展示されていた。
千手観音に逢えた。うれしくなって、マジマジと見た。

5)惣持院」の「懸仏」(かけぼとけ)。

諏訪大社、下社、秋宮の神宮寺、千手堂から遷されていた。
茅野市の惣持院では「開かずの厨子」にしまわれていたが、
住職が見つけられて、今回の企画に間に合ったとのこと。
直径30センチメートル。木彫りされている。
上の穴は、懸けるため。下に裏の写真が展示されていた。

諏訪大社は全国で1万社ある諏訪神社の総本社。
諏訪大社、下社、秋宮。2022年11月。

奥は「幣拝殿」、右端に「一の御柱」が建つ。2022年5月に建てかえたばかり。

御柱祭」(おんばしらさい)は、4隅に4本の御柱を建てる6年毎の大祭で、
諏訪の氏子20万人が参集。諏訪湖をはさんで、
向かい合うように上社と下社があり、上社には本宮と前宮、
下社には秋宮と春宮があるから、合計16本の御柱を、
山から切り出し、木落とし、川越し(上社のみ)、里曳きを経て、
建て御柱で、勇壮な「御柱祭」のフィナーレになる。

里曳き」。下社、秋宮。2022年5月。

安全な里曳きでは、家族がまたがって体験。
モミの木の太いこと! 足がつかない。
密集する建て御柱は、コロナ禍で氏子に限定されたから、
境内に入ることができなかった。残念!

「諏訪神仏プロジェクト」の展示は、
諏訪地域社寺25か所と、
諏訪市博物館、下諏訪町立諏訪湖博物館。
期間は、2022年10月1日~11月27日というから、急がなくては。

頼りは、NHKの「日曜美術館」の「よみがえる諏訪の仏たち」と、
諏訪神仏プロジェクトの「公式ガイドブック」。

諏訪市博物館で購入。

上記以外の仏たちも逢うことができた。
1)五重塔」の跡地。

NHKの「日曜美術館」から。
マレットゴルフ場になっていた。
五重塔には、本尊「五智如来坐像」が祀られていた。
誰に聞いても、「廃仏毀釈」はもったいないことをした、と話す。

2)「仏法紹隆寺」には、「普賢菩薩騎象像」のほかに、
文殊菩薩騎獅像」があった。

文殊菩薩は、獅子に乗っている。
左目は、「廃仏毀釈」の際に傷つけられた。

彫師は、どのように勉強したのだろうか? 
 また逢いたくなるお姿を研究した?
 諏訪には、美術学校があった?
 各地に赴いて学んできた?

3)「平福寺」には、「阿彌陀如来」のほかに、
十一面観音菩薩立像」が遷された。

諏訪大社、下社、秋宮の三精寺の本尊であった。
1本の木から彫り出されたという。
すばらしい造形だ。

4)「照光寺」には、「千手観音像」のほかに、
仁王像」があった。

諏訪大社、下社、神宮寺の仁王門から遷された。
2メートルを超える本格的な「仁王像」から、
気迫が伝わってくる。風雨にさらされて傷むが、修復した。

5)「惣持院」には、「白岩観音堂」がある。

建築者は立川流初代の和四郎富棟(とみむね)。
和四郎富棟は、江戸に出て幕府御用達(ごようたし)建築彫刻家の、
立川小兵衛富房の弟子として修行し、立川姓を名乗ることが許された。

諏訪に戻り、「白岩観音堂」を建築した。
先に掲載した諏訪大社、下社、秋宮の「幣拝殿」も建築したという。

諏訪はロマンあふれる地。
諏訪大社」と「御柱祭」のほかに、
御神渡り」(おみわたり)。

諏訪湖は全面結氷する。氷が膨張して盛り上がった。2018年2月。
上社の男神が、対岸の下社の女神に、逢いに行く「逢瀬の道」。

縄文王国諏訪」。
土偶「縄文のビーナス」。

およそ5,000年前。日本最古の国宝

神像筒形土器」。

縄文人は神をイメージした。
土器の最高傑作だ!

石鏃」は縄文人の生活に必要なもの。

諏訪は、良質な黒曜石の産地。霧ヶ峰、星糞峠。
採掘して、石鏃に加工して、日本中に流布した。
新たな「ビジネス・モデル」をつくった。
山梨から、青森、北海度まで、全国に普及した。

石鏃(やじり)は、今で言えば銃の弾、狩猟生活には欠かせない。
諏訪のやじりは、切れ味もいい、形もすばらしい。

縄文の遺跡数は、全国で諏訪が断トツ人口も。
技術、芸術性が高い。信仰にまで高めている。
すばらしい「縄文文化」を築いた「縄文王国 諏訪」は、
日本文化の黎明(れいめい)であり中心で、高い文化には人が集まる。
世界遺産に値すると思う。

今回の「諏訪神仏プロジェクト」は、
文化、芸術への興味は、さらに広がってくる。
ロマンあふれる諏訪の街創りは、地域発展の「ロール・モデル」(お手本)になる。
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