ウォルター・ウェストンが見る槍ヶ岳、穂高岳。
乗鞍岳から見る、槍ヶ岳、穂高岳。
ウェストンは、乗鞍岳に1892年に登っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/65/96a382cedc751b225b57aaea8932ac68.jpg)
2014年9月19日、日の出前の5時23分。
Y槍ヶ岳、3,180メートル、
O奥穂高岳、3,190メートル、
M前穂高岳、3,090メートル、
手前のVは、焼岳、2,455メートル。白い噴煙を上げる活火山。
イギリス人の宣教師、ウォルター・ウェストンは、
保福寺峠(ほうふくじとうげ)や、徳本峠(とくごうとうげ)を、
ゲートウェイにして、上高地に入り、槍、穂高に登っている。
ウェストンは、世界には、日本アルプスを紹介し、
日本人には、登山の魅力を伝え、広めた。
「ウェストンの日本アルプスにおける足跡」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/d9/a8b8f163320a5099544dc5ea6e243f4d.jpg)
「日本アルプス 登山と探検」、ウォルター・ウェストン著、岡村精一訳、平凡社から作成。
ウェストンが目指した、槍、穂高は、横浜から汽車で8時間かけて(1891年)、
碓氷(うすい)峠の手前の横川へ行き、鉄道馬車に乗り換え、
何度も脱線しながら、碓氷峠を越えて●軽井沢へ。
汽車に乗り換えて●上田へ。人力車で、
▼保福寺峠を越えて、◎松本へ。
◎松本から、最初は人力車で、つぎに徒歩で、
▼徳本峠を越えて、■上高地へ。
■上高地を拠点のようにして、槍、穂高へ登っている。
ウェストンは、◎松本について、つぎのように書いている。
「山の遠征には、松本を出発点として選ぶのが一番よいのである」
「人口2万のこの繁華な町は、肥えた平野の中心にあって、
中仙道と日本の西海岸を結ぶおもな道路の一つに沿っている」
「パン屋は腕を上げていて、みごとにでき上った」
「牛肉、ビール、ミルク、水、バターが手にはいる」
第一のゲートウェイ、上田から松本に入る、保福寺峠は、
1994年、保福寺峠の南に、三才山(みさやま)トンネルが、
開通してからは、国道254号が幹線道路になって、
保福寺峠は、今では、閑道、冬期はクローズ。
第二のゲートウェイ、松本の島々から上高地に入る、徳本峠は、
1927年、釜(かま)トンネルが開通してから、こちらが幹線道路になって、
徳本峠は、今では、山の愛好者がウェストンをしのぶ古道になっている。
ウェストンがゲートウェイから見る、槍、穂高。
第一のゲートウェイ、保福寺峠から。
2016年11月13日。
M前穂高岳、O奥穂高岳、R涸沢岳、3,110メートル、
K北穂高岳、3,106メートル、J常念岳、2,857メートル、Y槍ヶ岳。
「日本アルプス絶賛の地」。
2016年11月13日。保福寺峠。
碑には、雪をかぶる日本アルプスが映る。
ウェストンは、大連峰の全景に接して、その壮麗さに驚嘆した。
「大連峰の全景が初めて眺められたが、
われわれの心はひきつけられた」
「私たちは、思いがけなくその展望に接したので、
その壮麗さにはただ驚嘆するばかりだった」
「日本のマッターホルンである槍ヶ岳」
「ペニンアルプスの女王ワイスホーンの、
縮図を想わせる優美な三角形の常念岳」
第二のゲートウェイ、徳本峠。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/f5/0ad711ab646c83ba6c91d685bf2bc923.jpg)
2016年10月22日、朝6時13分。
N西穂高岳2,909メートル、O奥穂高岳、J明神岳、M前穂高岳。
ウェストンは、つぎのように言っている。
「徳本峠からの展望は、日本で一番雄大な眺望の一つ」
徳本峠の徳本峠小屋には、
「日本山岳遺産 認定書」が掲げられている。
徳本峠小屋は、徳本峠への古道の補修、整備に貢献されている。
ウェストンは、上高地を拠点にして、槍、穂高に登った。
清水屋ホテル(現:上高地ルミエスタホテル)が定宿だった。
田代橋から見る、⇒清水屋ホテル。
2008年10月18日。手前は梓川。
奥には、奥穂高岳と前穂高岳、明神岳がそそり立つ。
霞沢岳は、⇒清水屋ホテルからは、梓川を挟んで、反対側になる。
左の→は、上高地温泉ホテルで、ウェストンは、1913年に、ご夫妻で宿泊している。
上高地温泉ホテルでは、初めて見る、外国人の女性クライマーの到来に、
センセーションが巻き上がった。ウェストンご夫妻は、
上条嘉門次(かもんじ)と、根元清蔵(せいぞう)の、
山案内で、槍ヶ岳、奥穂高岳に登っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/6c/4735803aa2e66cbeba887fd30780ed22.jpg)
左から、上条嘉門次、根元清蔵、そして、ウェストン。ミセス・ウェストンが撮影。
"The Playground of the Far East"、Walter Weston著、John Murray発行から。
ウェストンにとっては、なじみの光景である、河童橋や、穂高連峰、焼岳を見る。
河童橋。
2015年5月30日。穂高岳が屏風のようにそそり立つ。手前は、梓川。
この景色は、一度は見ておきたい、と観光客でにぎわっている。
それに、日本アルプスへの登山の拠点になっている。
外国人の観光客や、登山者も多い。
穂高岳。
2013年11月9日、朝6時56分、大正池。
N西穂高岳、O奥穂高岳、M前穂高岳、J明神岳。
焼岳。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/c4/b527f04bf43a108239fa692a5feb2f52.jpg)
2009年3月10日。手前は大正池。
ウェストンのゲートウェイである、保福寺峠、徳本峠、
それに、お気に入りの上高地から、槍、穂高を見てきた。
「槍ヶ岳からの眺めは、日本では最も広大で、最も荒涼たる光景の一つである」
「穂高岳は、日本アルプスの中で、最も長く続く登攀である」
と、ウェストンが感激し、驚嘆した日本アルプス。
そのいくつかは、125年後に、私も登っているので、
ウェストンが見た、槍、穂高や上高地を、追ってみる。
ウェストンが見る、槍、穂高に、もう少し、お付き合いを。
焼岳から見る、槍、穂高。
ウェストンは、焼岳にご夫妻で登っている、1913年。
2014年10月7日。
Y槍ヶ岳、N西穂高岳、O奥穂高岳、M前穂高岳、J明神岳。
右下に上高地がある。⇒は河童橋。梓川左岸に▽帝国ホテル。
梓川右岸に▼清水屋ホテル(現:上高地ルミエスタホテル)と、
その手前の赤い屋根は、上高地温泉ホテル。
焼岳から見る、霞沢岳、上高地。
2014年10月7日。
R六百山、S霞沢岳。T大正池。
焼岳は、ウェストンがイギリスに帰国したあとで噴火した。
焼岳の噴火で、梓川がせき止められて、T大正池ができた、1915年。
霞沢岳から見る、奥穂高岳。
ウェストンは、霞沢岳に1913年に登っている。
2016年10月21日。
Gジャンダルム、O奥穂高岳。手前は、六百山。
霞沢岳からは、穂高連峰が目の高さで迫ってくる。
霞沢岳から見る、笠ヶ岳、上高地。
2016年10月21日。
奥の▼は笠ヶ岳、2,898メートル、右の▼は西穂高岳。
上高地には、梓川右岸に、▼清水屋ホテル(現:上高地ルミエスタホテル)。
▼清水屋ホテルの左の赤い屋根は、上高地温泉ホテル。梓川左岸に、▽帝国ホテル。
常念岳から見る、槍ヶ岳。
ウェストンは、常念岳に1894年に登っている。
2009年8月19日。
Y槍ヶ岳。Y槍ヶ岳の左は、
▼大喰岳(おおばみだけ)、3,101メートル、
▼中岳、3,084メートル、▼南岳、3,033メートル。
▼南岳の左は、大キレットを経て、穂高岳に連なる。
常念岳から見る、穂高岳。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/87/48665eaecb106a1d5f23eaf6bf5e369d.jpg)
M前穂高岳、O奥穂高岳、R涸沢岳、K北穂高岳。
K北穂高岳の右は、大キレットを経て、南岳に連なる。
常念岳の南、蝶ヶ岳から、槍、穂高を一望する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/c0/4b2ee35741b417beb737d921d381cf2c.jpg)
2009年8月18日。
M前穂高岳、O奥穂高岳、R涸沢岳、K北穂高岳、Y槍ヶ岳。
K北穂高岳の右は、大キレットを経て、▼南岳、▼中岳、▼大喰岳。
乗鞍岳から見る、槍、穂高。
ウェストンは、乗鞍岳に1892年に登っている。
2014年9月26日。
Y槍ヶ岳、O奥穂高岳、M前穂高岳。手前に、V焼岳。
乗鞍岳から見る、雪の残る槍、穂高。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/9d/ac2a268ffc7dfda9c6be15caafb4c171.jpg)
2014年6月15日。
西穂高岳側から見る、槍ヶ岳。
2015年3月27日。
Y槍ヶ岳、▼大喰岳、▼中岳。
西穂高岳の丸山から見る、乗鞍岳、焼岳、上高地。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/5e/9045bc1755c3125cc1a157cb1d555c0c.jpg)
2015年3月27日。
N乗鞍岳、V焼岳、T大正池。
西穂高岳の丸山から見る、六百山、霞沢岳、乗鞍岳、上高地。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/7c/39db5ecc67cf48bfb579cf9027e4390a.jpg)
2015年3月27日。
R六百山、S霞沢岳、N乗鞍岳。
T大正池、→帝国ホテル、⇒河童橋。
槍ヶ岳の東鎌尾根から見る、穂高岳。
ウェストンは、槍ヶ岳に3回登っている。1892年、1912年、1913年。
1913年は、ご夫妻で登っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/f4/3afd2aa73244600a6aa34903fbd49d94.jpg)
2015年7月25日、朝5時14分。
M前穂高岳、K北穂高岳、O奥穂高岳、Gジャンダルム、3,163メートル。
木曽駒ヶ岳から見る、アルプス。
ウェストンは、木曽駒ヶ岳に1891年に登っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/35/784a1203ed4a1c9296abc2139399e633.jpg)
2012年8月21日、朝5時19分。
▽穂高岳、▽槍ヶ岳、▽鹿島槍ヶ岳、▽白馬三山。
白馬岳から見る、槍、穂高。
ウェストンは、白馬岳に2回登っている、1894年、1913年。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/3e/ec425867c8ff9b908c9c4b816178786c.jpg)
2015年9月28日、夕方5時38分。
穂高岳と槍ヶ岳。手前は、白馬鑓ヶ岳。
前穂高岳から見る、奥穂高岳、涸沢岳。
ウェストンは、前穂高岳に1893年に登っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/12/07d00db04909b803ff357769c00901ab.jpg)
2016年9月2日。
Gジャンダルム、O奥穂高岳、R涸沢岳。
前穂高岳から見る、御嶽山、乗鞍岳、焼岳、霞沢岳、上高地。
2016年9月2日。
O御嶽山、N乗鞍岳、V焼岳、R六百山、S霞沢岳。
T大正池、▽帝国ホテル、▼上高地温泉ホテル、⇒河童橋。
左手前は、明神岳の一部。
奥穂高岳から見る、槍ヶ岳。
ウェストンは、奥穂高岳に2回登っている、1912年、1913年。
1913年は、ご夫妻で登っている。
2016年9月2日、朝5時30分。槍ヶ岳に、陽が射してきた。
ウェストンが言う、
「日本のマッターホルンである槍ヶ岳」の1枚になった。
ウェストンが日本アルプスを登った年は、つぎを参照した。
「日本アルプス 登山と探検」、ウォルター・ウェストン著、岡村精一訳、平凡社。
「日本アルプス再訪」、ウォルター・ウェストン著、水野勉訳、平凡社。
"The Playground of the Far East"、Walter Weston著、John Murray発行。
最後に、再び徳本峠から見る、穂高岳。
「徳本峠からの展望は、日本で一番雄大な眺望の一つ」の朝、昼、夕。
朝、6時3分、2016年10月22日。
昼、1時54分、2016年10月20日。
夕、4時3分、2016年10月21日。
訪れるときの参考に、撮影の日時を記載してあります。
ウォルター・ウェストンについては、
これまでに記載してきた次も参照してください。
「奥穂高岳の陽の変化」、2016年10月2日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/2f6290b34813e3644cac9eaf05153719
「前穂高岳からの眺望」、2016年10月9日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/2bbf3f3a657bfe313b12103dee62c36f
「ウェストンの日本アルプス絶賛の地、保福寺峠」、2016年10月23日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/c0d949a2230e625b1fbf7c600104474b
「徳本峠と霞沢岳」、2016年10月30日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/d7e40ace3a8237c9233818f9b5a825af
乗鞍岳から見る、槍ヶ岳、穂高岳。
ウェストンは、乗鞍岳に1892年に登っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/65/96a382cedc751b225b57aaea8932ac68.jpg)
2014年9月19日、日の出前の5時23分。
Y槍ヶ岳、3,180メートル、
O奥穂高岳、3,190メートル、
M前穂高岳、3,090メートル、
手前のVは、焼岳、2,455メートル。白い噴煙を上げる活火山。
イギリス人の宣教師、ウォルター・ウェストンは、
保福寺峠(ほうふくじとうげ)や、徳本峠(とくごうとうげ)を、
ゲートウェイにして、上高地に入り、槍、穂高に登っている。
ウェストンは、世界には、日本アルプスを紹介し、
日本人には、登山の魅力を伝え、広めた。
「ウェストンの日本アルプスにおける足跡」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/d9/a8b8f163320a5099544dc5ea6e243f4d.jpg)
「日本アルプス 登山と探検」、ウォルター・ウェストン著、岡村精一訳、平凡社から作成。
ウェストンが目指した、槍、穂高は、横浜から汽車で8時間かけて(1891年)、
碓氷(うすい)峠の手前の横川へ行き、鉄道馬車に乗り換え、
何度も脱線しながら、碓氷峠を越えて●軽井沢へ。
汽車に乗り換えて●上田へ。人力車で、
▼保福寺峠を越えて、◎松本へ。
◎松本から、最初は人力車で、つぎに徒歩で、
▼徳本峠を越えて、■上高地へ。
■上高地を拠点のようにして、槍、穂高へ登っている。
ウェストンは、◎松本について、つぎのように書いている。
「山の遠征には、松本を出発点として選ぶのが一番よいのである」
「人口2万のこの繁華な町は、肥えた平野の中心にあって、
中仙道と日本の西海岸を結ぶおもな道路の一つに沿っている」
「パン屋は腕を上げていて、みごとにでき上った」
「牛肉、ビール、ミルク、水、バターが手にはいる」
第一のゲートウェイ、上田から松本に入る、保福寺峠は、
1994年、保福寺峠の南に、三才山(みさやま)トンネルが、
開通してからは、国道254号が幹線道路になって、
保福寺峠は、今では、閑道、冬期はクローズ。
第二のゲートウェイ、松本の島々から上高地に入る、徳本峠は、
1927年、釜(かま)トンネルが開通してから、こちらが幹線道路になって、
徳本峠は、今では、山の愛好者がウェストンをしのぶ古道になっている。
ウェストンがゲートウェイから見る、槍、穂高。
第一のゲートウェイ、保福寺峠から。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/b1/cd602a5c21c692fc150cc40c29014c65.jpg)
2016年11月13日。
M前穂高岳、O奥穂高岳、R涸沢岳、3,110メートル、
K北穂高岳、3,106メートル、J常念岳、2,857メートル、Y槍ヶ岳。
「日本アルプス絶賛の地」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/e3/13c24ef42f3e79047e01f6ea036b579a.jpg)
2016年11月13日。保福寺峠。
碑には、雪をかぶる日本アルプスが映る。
ウェストンは、大連峰の全景に接して、その壮麗さに驚嘆した。
「大連峰の全景が初めて眺められたが、
われわれの心はひきつけられた」
「私たちは、思いがけなくその展望に接したので、
その壮麗さにはただ驚嘆するばかりだった」
「日本のマッターホルンである槍ヶ岳」
「ペニンアルプスの女王ワイスホーンの、
縮図を想わせる優美な三角形の常念岳」
第二のゲートウェイ、徳本峠。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/f5/0ad711ab646c83ba6c91d685bf2bc923.jpg)
2016年10月22日、朝6時13分。
N西穂高岳2,909メートル、O奥穂高岳、J明神岳、M前穂高岳。
ウェストンは、つぎのように言っている。
「徳本峠からの展望は、日本で一番雄大な眺望の一つ」
徳本峠の徳本峠小屋には、
「日本山岳遺産 認定書」が掲げられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/fe/b55c2e02a5a3d6ec96ec586a380c2b20.jpg)
徳本峠小屋は、徳本峠への古道の補修、整備に貢献されている。
ウェストンは、上高地を拠点にして、槍、穂高に登った。
清水屋ホテル(現:上高地ルミエスタホテル)が定宿だった。
田代橋から見る、⇒清水屋ホテル。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/69/87dd57a1c0ef69f5c0260421b77c597e.jpg)
2008年10月18日。手前は梓川。
奥には、奥穂高岳と前穂高岳、明神岳がそそり立つ。
霞沢岳は、⇒清水屋ホテルからは、梓川を挟んで、反対側になる。
左の→は、上高地温泉ホテルで、ウェストンは、1913年に、ご夫妻で宿泊している。
上高地温泉ホテルでは、初めて見る、外国人の女性クライマーの到来に、
センセーションが巻き上がった。ウェストンご夫妻は、
上条嘉門次(かもんじ)と、根元清蔵(せいぞう)の、
山案内で、槍ヶ岳、奥穂高岳に登っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/6c/4735803aa2e66cbeba887fd30780ed22.jpg)
左から、上条嘉門次、根元清蔵、そして、ウェストン。ミセス・ウェストンが撮影。
"The Playground of the Far East"、Walter Weston著、John Murray発行から。
ウェストンにとっては、なじみの光景である、河童橋や、穂高連峰、焼岳を見る。
河童橋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/1e/0cd89141bd23a3674285e2b37d476e71.jpg)
2015年5月30日。穂高岳が屏風のようにそそり立つ。手前は、梓川。
この景色は、一度は見ておきたい、と観光客でにぎわっている。
それに、日本アルプスへの登山の拠点になっている。
外国人の観光客や、登山者も多い。
穂高岳。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/74/4435b34035f3294afa7d0949a91be894.jpg)
2013年11月9日、朝6時56分、大正池。
N西穂高岳、O奥穂高岳、M前穂高岳、J明神岳。
焼岳。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/c4/b527f04bf43a108239fa692a5feb2f52.jpg)
2009年3月10日。手前は大正池。
ウェストンのゲートウェイである、保福寺峠、徳本峠、
それに、お気に入りの上高地から、槍、穂高を見てきた。
「槍ヶ岳からの眺めは、日本では最も広大で、最も荒涼たる光景の一つである」
「穂高岳は、日本アルプスの中で、最も長く続く登攀である」
と、ウェストンが感激し、驚嘆した日本アルプス。
そのいくつかは、125年後に、私も登っているので、
ウェストンが見た、槍、穂高や上高地を、追ってみる。
ウェストンが見る、槍、穂高に、もう少し、お付き合いを。
焼岳から見る、槍、穂高。
ウェストンは、焼岳にご夫妻で登っている、1913年。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/26/20f0b03f442984df8ec1b4aaadb47c17.jpg)
2014年10月7日。
Y槍ヶ岳、N西穂高岳、O奥穂高岳、M前穂高岳、J明神岳。
右下に上高地がある。⇒は河童橋。梓川左岸に▽帝国ホテル。
梓川右岸に▼清水屋ホテル(現:上高地ルミエスタホテル)と、
その手前の赤い屋根は、上高地温泉ホテル。
焼岳から見る、霞沢岳、上高地。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/88/32b8a73b3c310a83a29b76aef5e03772.jpg)
2014年10月7日。
R六百山、S霞沢岳。T大正池。
焼岳は、ウェストンがイギリスに帰国したあとで噴火した。
焼岳の噴火で、梓川がせき止められて、T大正池ができた、1915年。
霞沢岳から見る、奥穂高岳。
ウェストンは、霞沢岳に1913年に登っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/f3/4986e65ca8130f6c3937497a79d4af3a.jpg)
2016年10月21日。
Gジャンダルム、O奥穂高岳。手前は、六百山。
霞沢岳からは、穂高連峰が目の高さで迫ってくる。
霞沢岳から見る、笠ヶ岳、上高地。
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2016年10月21日。
奥の▼は笠ヶ岳、2,898メートル、右の▼は西穂高岳。
上高地には、梓川右岸に、▼清水屋ホテル(現:上高地ルミエスタホテル)。
▼清水屋ホテルの左の赤い屋根は、上高地温泉ホテル。梓川左岸に、▽帝国ホテル。
常念岳から見る、槍ヶ岳。
ウェストンは、常念岳に1894年に登っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/98/17adad6b1d32288dc74292d9f9610682.jpg)
2009年8月19日。
Y槍ヶ岳。Y槍ヶ岳の左は、
▼大喰岳(おおばみだけ)、3,101メートル、
▼中岳、3,084メートル、▼南岳、3,033メートル。
▼南岳の左は、大キレットを経て、穂高岳に連なる。
常念岳から見る、穂高岳。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/87/48665eaecb106a1d5f23eaf6bf5e369d.jpg)
M前穂高岳、O奥穂高岳、R涸沢岳、K北穂高岳。
K北穂高岳の右は、大キレットを経て、南岳に連なる。
常念岳の南、蝶ヶ岳から、槍、穂高を一望する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/c0/4b2ee35741b417beb737d921d381cf2c.jpg)
2009年8月18日。
M前穂高岳、O奥穂高岳、R涸沢岳、K北穂高岳、Y槍ヶ岳。
K北穂高岳の右は、大キレットを経て、▼南岳、▼中岳、▼大喰岳。
乗鞍岳から見る、槍、穂高。
ウェストンは、乗鞍岳に1892年に登っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/90/9e1e5fa0b171689e21f57bcd5c8ac27e.jpg)
2014年9月26日。
Y槍ヶ岳、O奥穂高岳、M前穂高岳。手前に、V焼岳。
乗鞍岳から見る、雪の残る槍、穂高。
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2014年6月15日。
西穂高岳側から見る、槍ヶ岳。
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2015年3月27日。
Y槍ヶ岳、▼大喰岳、▼中岳。
西穂高岳の丸山から見る、乗鞍岳、焼岳、上高地。
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2015年3月27日。
N乗鞍岳、V焼岳、T大正池。
西穂高岳の丸山から見る、六百山、霞沢岳、乗鞍岳、上高地。
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2015年3月27日。
R六百山、S霞沢岳、N乗鞍岳。
T大正池、→帝国ホテル、⇒河童橋。
槍ヶ岳の東鎌尾根から見る、穂高岳。
ウェストンは、槍ヶ岳に3回登っている。1892年、1912年、1913年。
1913年は、ご夫妻で登っている。
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2015年7月25日、朝5時14分。
M前穂高岳、K北穂高岳、O奥穂高岳、Gジャンダルム、3,163メートル。
木曽駒ヶ岳から見る、アルプス。
ウェストンは、木曽駒ヶ岳に1891年に登っている。
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2012年8月21日、朝5時19分。
▽穂高岳、▽槍ヶ岳、▽鹿島槍ヶ岳、▽白馬三山。
白馬岳から見る、槍、穂高。
ウェストンは、白馬岳に2回登っている、1894年、1913年。
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2015年9月28日、夕方5時38分。
穂高岳と槍ヶ岳。手前は、白馬鑓ヶ岳。
前穂高岳から見る、奥穂高岳、涸沢岳。
ウェストンは、前穂高岳に1893年に登っている。
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2016年9月2日。
Gジャンダルム、O奥穂高岳、R涸沢岳。
前穂高岳から見る、御嶽山、乗鞍岳、焼岳、霞沢岳、上高地。
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2016年9月2日。
O御嶽山、N乗鞍岳、V焼岳、R六百山、S霞沢岳。
T大正池、▽帝国ホテル、▼上高地温泉ホテル、⇒河童橋。
左手前は、明神岳の一部。
奥穂高岳から見る、槍ヶ岳。
ウェストンは、奥穂高岳に2回登っている、1912年、1913年。
1913年は、ご夫妻で登っている。
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2016年9月2日、朝5時30分。槍ヶ岳に、陽が射してきた。
ウェストンが言う、
「日本のマッターホルンである槍ヶ岳」の1枚になった。
ウェストンが日本アルプスを登った年は、つぎを参照した。
「日本アルプス 登山と探検」、ウォルター・ウェストン著、岡村精一訳、平凡社。
「日本アルプス再訪」、ウォルター・ウェストン著、水野勉訳、平凡社。
"The Playground of the Far East"、Walter Weston著、John Murray発行。
最後に、再び徳本峠から見る、穂高岳。
「徳本峠からの展望は、日本で一番雄大な眺望の一つ」の朝、昼、夕。
朝、6時3分、2016年10月22日。
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昼、1時54分、2016年10月20日。
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夕、4時3分、2016年10月21日。
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訪れるときの参考に、撮影の日時を記載してあります。
ウォルター・ウェストンについては、
これまでに記載してきた次も参照してください。
「奥穂高岳の陽の変化」、2016年10月2日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/2f6290b34813e3644cac9eaf05153719
「前穂高岳からの眺望」、2016年10月9日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/2bbf3f3a657bfe313b12103dee62c36f
「ウェストンの日本アルプス絶賛の地、保福寺峠」、2016年10月23日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/c0d949a2230e625b1fbf7c600104474b
「徳本峠と霞沢岳」、2016年10月30日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/d7e40ace3a8237c9233818f9b5a825af