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ウェストンが見る槍、穂高

2016-11-26 00:01:30 | Weblog
ウォルター・ウェストンが見る槍ヶ岳穂高岳
乗鞍岳から見る、槍ヶ岳、穂高岳。
ウェストンは、乗鞍岳に1892年に登っている。

2014年9月19日、日の出前の5時23分。
Y槍ヶ岳、3,180メートル、
O奥穂高岳、3,190メートル、
M前穂高岳、3,090メートル、
手前のVは、焼岳、2,455メートル。白い噴煙を上げる活火山。

イギリス人の宣教師、ウォルター・ウェストンは、
保福寺峠(ほうふくじとうげ)や、徳本峠(とくごうとうげ)を、
ゲートウェイにして、上高地に入り、槍、穂高に登っている。
ウェストンは、世界には、日本アルプスを紹介し、
日本人には、登山の魅力を伝え、広めた。

ウェストンの日本アルプスにおける足跡」。

「日本アルプス 登山と探検」、ウォルター・ウェストン著、岡村精一訳、平凡社から作成。

ウェストンが目指した、槍、穂高は、横浜から汽車で8時間かけて(1891年)、
碓氷(うすい)峠の手前の横川へ行き、鉄道馬車に乗り換え、
何度も脱線しながら、碓氷峠を越えて●軽井沢へ。
汽車に乗り換えて●上田へ。人力車で、
▼保福寺峠を越えて、◎松本へ。
◎松本から、最初は人力車で、つぎに徒歩で、
▼徳本峠を越えて、■上高地へ。
■上高地を拠点のようにして、槍、穂高へ登っている。

ウェストンは、◎松本について、つぎのように書いている。
「山の遠征には、松本を出発点として選ぶのが一番よいのである」
「人口2万のこの繁華な町は、肥えた平野の中心にあって、
中仙道と日本の西海岸を結ぶおもな道路の一つに沿っている」
「パン屋は腕を上げていて、みごとにでき上った」
「牛肉、ビール、ミルク、水、バターが手にはいる」

第一のゲートウェイ、上田から松本に入る、保福寺峠は、
1994年、保福寺峠の南に、三才山(みさやま)トンネルが、
開通してからは、国道254号が幹線道路になって、
保福寺峠は、今では、閑道、冬期はクローズ。

第二のゲートウェイ、松本の島々から上高地に入る、徳本峠は、
1927年、(かま)トンネルが開通してから、こちらが幹線道路になって、
徳本峠は、今では、山の愛好者がウェストンをしのぶ古道になっている。

ウェストンがゲートウェイから見る、槍、穂高。
第一のゲートウェイ、保福寺峠から。

2016年11月13日。
M前穂高岳、O奥穂高岳、R涸沢岳、3,110メートル、
K北穂高岳、3,106メートル、J常念岳、2,857メートル、Y槍ヶ岳。

日本アルプス絶賛の地」。

2016年11月13日。保福寺峠。
碑には、雪をかぶる日本アルプスが映る。

ウェストンは、大連峰の全景に接して、その壮麗さに驚嘆した。
「大連峰の全景が初めて眺められたが、
われわれの心はひきつけられた」
「私たちは、思いがけなくその展望に接したので、
その壮麗さにはただ驚嘆するばかりだった」
「日本のマッターホルンである槍ヶ岳」
「ペニンアルプスの女王ワイスホーンの、
縮図を想わせる優美な三角形の常念岳」

第二のゲートウェイ、徳本峠

2016年10月22日、朝6時13分。
N西穂高岳2,909メートル、O奥穂高岳、J明神岳、M前穂高岳。
ウェストンは、つぎのように言っている。
「徳本峠からの展望は、日本で一番雄大な眺望の一つ」

徳本峠の徳本峠小屋には、
日本山岳遺産 認定書」が掲げられている。

徳本峠小屋は、徳本峠への古道の補修、整備に貢献されている。

ウェストンは、上高地を拠点にして、槍、穂高に登った。
清水屋ホテル(現:上高地ルミエスタホテル)が定宿だった。
田代橋から見る、⇒清水屋ホテル

2008年10月18日。手前は梓川。
奥には、奥穂高岳と前穂高岳、明神岳がそそり立つ。
霞沢岳は、⇒清水屋ホテルからは、梓川を挟んで、反対側になる。

左の→は、上高地温泉ホテルで、ウェストンは、1913年に、ご夫妻で宿泊している。
上高地温泉ホテルでは、初めて見る、外国人の女性クライマーの到来に、
センセーションが巻き上がった。ウェストンご夫妻は、
上条嘉門次(かもんじ)と、根元清蔵(せいぞう)の、
山案内で、槍ヶ岳、奥穂高岳に登っている。

左から、上条嘉門次、根元清蔵、そして、ウェストン。ミセス・ウェストンが撮影。
"The Playground of the Far East"、Walter Weston著、John Murray発行から。

ウェストンにとっては、なじみの光景である、河童橋や、穂高連峰、焼岳を見る。
河童橋

2015年5月30日。穂高岳が屏風のようにそそり立つ。手前は、梓川。
この景色は、一度は見ておきたい、と観光客でにぎわっている。
それに、日本アルプスへの登山の拠点になっている。
外国人の観光客や、登山者も多い。

穂高岳

2013年11月9日、朝6時56分、大正池。
N西穂高岳、O奥穂高岳、M前穂高岳、J明神岳。

焼岳

2009年3月10日。手前は大正池。

ウェストンのゲートウェイである、保福寺峠、徳本峠、
それに、お気に入りの上高地から、槍、穂高を見てきた。

槍ヶ岳からの眺めは、日本では最も広大で、最も荒涼たる光景の一つである」
穂高岳は、日本アルプスの中で、最も長く続く登攀である」
と、ウェストンが感激し、驚嘆した日本アルプス。
そのいくつかは、125年後に、私も登っているので、
ウェストンが見た、槍、穂高や上高地を、追ってみる。
ウェストンが見る、槍、穂高に、もう少し、お付き合いを。

焼岳から見る、槍、穂高。
ウェストンは、焼岳にご夫妻で登っている、1913年。

2014年10月7日。
Y槍ヶ岳、N西穂高岳、O奥穂高岳、M前穂高岳、J明神岳。
右下に上高地がある。⇒は河童橋。梓川左岸に▽帝国ホテル。
梓川右岸に▼清水屋ホテル(現:上高地ルミエスタホテル)と、
その手前の赤い屋根は、上高地温泉ホテル。

焼岳から見る、霞沢岳、上高地。

2014年10月7日。
R六百山、S霞沢岳。T大正池。
焼岳は、ウェストンがイギリスに帰国したあとで噴火した。
焼岳の噴火で、梓川がせき止められて、T大正池ができた、1915年。

霞沢岳から見る、奥穂高岳。
ウェストンは、霞沢岳に1913年に登っている。

2016年10月21日。
Gジャンダルム、O奥穂高岳。手前は、六百山。
霞沢岳からは、穂高連峰が目の高さで迫ってくる。

霞沢岳から見る、笠ヶ岳、上高地。

2016年10月21日。
奥の▼は笠ヶ岳、2,898メートル、右の▼は西穂高岳。
上高地には、梓川右岸に、▼清水屋ホテル(現:上高地ルミエスタホテル)。
▼清水屋ホテルの左の赤い屋根は、上高地温泉ホテル。梓川左岸に、▽帝国ホテル。

常念岳から見る、槍ヶ岳。
ウェストンは、常念岳に1894年に登っている。

2009年8月19日。
Y槍ヶ岳。Y槍ヶ岳の左は、
▼大喰岳(おおばみだけ)、3,101メートル、
▼中岳、3,084メートル、▼南岳、3,033メートル。
▼南岳の左は、大キレットを経て、穂高岳に連なる。

常念岳から見る、穂高岳。

M前穂高岳、O奥穂高岳、R涸沢岳、K北穂高岳。
K北穂高岳の右は、大キレットを経て、南岳に連なる。

常念岳の南、蝶ヶ岳から、槍、穂高を一望する。

2009年8月18日。
M前穂高岳、O奥穂高岳、R涸沢岳、K北穂高岳、Y槍ヶ岳。
K北穂高岳の右は、大キレットを経て、▼南岳、▼中岳、▼大喰岳。

乗鞍岳から見る、槍、穂高。
ウェストンは、乗鞍岳に1892年に登っている。

2014年9月26日。
Y槍ヶ岳、O奥穂高岳、M前穂高岳。手前に、V焼岳。

乗鞍岳から見る、雪の残る槍、穂高。

2014年6月15日。

西穂高岳側から見る、槍ヶ岳。

2015年3月27日。
Y槍ヶ岳、▼大喰岳、▼中岳。

西穂高岳の丸山から見る、乗鞍岳、焼岳、上高地。

2015年3月27日。
N乗鞍岳、V焼岳、T大正池。

西穂高岳の丸山から見る、六百山、霞沢岳、乗鞍岳、上高地。

2015年3月27日。
R六百山、S霞沢岳、N乗鞍岳。
T大正池、→帝国ホテル、⇒河童橋。

槍ヶ岳の東鎌尾根から見る、穂高岳。
ウェストンは、槍ヶ岳に3回登っている。1892年、1912年、1913年。
1913年は、ご夫妻で登っている。

2015年7月25日、朝5時14分。
M前穂高岳、K北穂高岳、O奥穂高岳、Gジャンダルム、3,163メートル。

木曽駒ヶ岳から見る、アルプス。
ウェストンは、木曽駒ヶ岳に1891年に登っている。

2012年8月21日、朝5時19分。
▽穂高岳、▽槍ヶ岳、▽鹿島槍ヶ岳、▽白馬三山。

白馬岳から見る、槍、穂高。
ウェストンは、白馬岳に2回登っている、1894年、1913年。

2015年9月28日、夕方5時38分。
穂高岳と槍ヶ岳。手前は、白馬鑓ヶ岳。

前穂高岳から見る、奥穂高岳、涸沢岳。
ウェストンは、前穂高岳に1893年に登っている。

2016年9月2日。
Gジャンダルム、O奥穂高岳、R涸沢岳。

前穂高岳から見る、御嶽山、乗鞍岳、焼岳、霞沢岳、上高地。

2016年9月2日。
O御嶽山、N乗鞍岳、V焼岳、R六百山、S霞沢岳。
T大正池、▽帝国ホテル、▼上高地温泉ホテル、⇒河童橋。
左手前は、明神岳の一部。

奥穂高岳から見る、槍ヶ岳。
ウェストンは、奥穂高岳に2回登っている、1912年、1913年。
1913年は、ご夫妻で登っている。

2016年9月2日、朝5時30分。槍ヶ岳に、陽が射してきた。
ウェストンが言う、
「日本のマッターホルンである槍ヶ岳」の1枚になった。

ウェストンが日本アルプスを登った年は、つぎを参照した。
「日本アルプス 登山と探検」、ウォルター・ウェストン著、岡村精一訳、平凡社。
「日本アルプス再訪」、ウォルター・ウェストン著、水野勉訳、平凡社。
"The Playground of the Far East"、Walter Weston著、John Murray発行。

最後に、再び徳本峠から見る、穂高岳。
「徳本峠からの展望は、日本で一番雄大な眺望の一つ」の朝、昼、夕。
、6時3分、2016年10月22日。


、1時54分、2016年10月20日。


、4時3分、2016年10月21日。

訪れるときの参考に、撮影の日時を記載してあります。

ウォルター・ウェストンについては、
これまでに記載してきた次も参照してください。
「奥穂高岳の陽の変化」、2016年10月2日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/2f6290b34813e3644cac9eaf05153719

「前穂高岳からの眺望」、2016年10月9日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/2bbf3f3a657bfe313b12103dee62c36f

「ウェストンの日本アルプス絶賛の地、保福寺峠」、2016年10月23日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/c0d949a2230e625b1fbf7c600104474b

「徳本峠と霞沢岳」、2016年10月30日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/d7e40ace3a8237c9233818f9b5a825af
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