季節の変化

活動の状況

福島第一原発は廃炉

2011-03-30 00:01:23 | Weblog
福島第一原発は廃炉
ついに、その日がきてしまった。

東京電力の関係者は、
「福島第一原発の6基は廃炉せざるを得ない」
1号機~4号機は、爆発や炉心溶融で、技術的に再稼働ができない、
5号機、6号機は、地元の住民感情を考えると再開は厳しい。
処理には長期間を要し、「廃炉には10年近くかかるだろう」
と、している。Asahi.com、2011年3月21日。

「福島原発は放射線漏れ、女川原発では放射線漏れなし」2011年3月16日、
で、このちがいは、なんだろう? と書いた。

USA TODAYから。

震源地のすぐ左のが女川(おながわ)原子力発電所。
その下の2つのが、福島第一原子力発電所と福島第二原子力発電所。
東京は

震源地に近い女川原発では放射線漏れはない。
安全で、地域住民の避難場所になっている。
震源地から遠い福島第一原発は放射線漏れで、
半径30キロは無人になっている。

そして、福島原発と女川原発のちがいは、
津波対策である、と書いた。
女川原発の津波対策は9.1メートル。
(東北電力は、869年の貞観津波まで調査して設定した、としている)
(女川港の津波の高さは15メートルだった。NHK、3月16日)
そして、主要機器を14.8メートルの高台に設置した。

福島第一原発の津波対策は、5メートルだった。
近くの南相馬市の津波の高さは10メートルに及んだ。

「福島原発は放射線漏れ、女川原発では放射線漏れなし」は、
急いで掲載したブログだったが、
津波対策のちがいであったことは、
まちがえていなかったと思っている。
そして、多くの方が閲覧していただきました。
ありがとうございます。

メディアから、
福島原発と女川原発のちがいに着目して、
津波対策のちがいであった、
という記事が出たのは、
1週間ほどあとだった。

「福島原発は放射線漏れ、女川原発では放射線漏れなし」で、
福島第一原発は、津波で非常用ディ-ゼル発電機などの、
非常用の電源供給系の設備が機能しなくなった。
電力の供給、注水がスムーズにできなくて、
水素爆発、放射線漏れにつながっている、
と書いたが、メディアも同じだった。

福島第一原発は「廃炉」、を予感することがあった。それは、
新潟県にある東京電力の柏崎(かしわざき)刈羽(かりわ)原子力発電所

柏崎港を撮ると、その先に日本最大の刈羽(かりわ)原発が写る。番神堂から。
2007年の新潟県中越沖(ちゅうえつおき)地震が起きる前の刈羽原発。

刈羽(かりわ)原発は日本最大の原発で、
1号機~7号機までの7基の原子炉がある。
「原発が、こんなに近いのか!」
「柏崎市のとなりに、原発があるじゃないか!」
と、正直に思った。
JR柏崎駅から刈羽原発まで約7キロである。

それに、「核シェルター」を柏崎のあちこちでみかける。
「核シェルター」とはSFの世界と思っていたが、
柏崎には普通の風景のようにあった。

新潟県中越沖地震がおきたのは2007年7月16日だった。
マグニチュード6.8の大地震で、15名の死者がでた。
長野県の北部でも、重軽傷者がでた。
ここ松本でも震度4だった。

「力強く立ち直ってほしい」2011年3月24日、で書いた
「岡谷土石流災害」2006年7月19日から1年後のことで、
ボランティアに行こうか、と考えたから、
この中越沖地震はよく覚えている。

中越沖地震では、刈羽原発の3号機の変圧器が燃えた、
そして、少量の放射性物質の漏れがあった。

刈羽原発が初期消火に手間取ったことが問題になった。
それに、耐震強度が問題になった。

地震で消火設備が壊れて、初期消火ができなかった。
それで、緊急対策室の中にある電話で外部の消防署と、
連絡をとろうとしたが、緊急対策室のドアが、
地震でゆがんで、中に入れなかった。
地元消防隊がかけつけて、消火したのは2時間後だった。

中越沖地震は、海岸に沿った「活断層」によるが、
東京電力は、その活断層の長さを短く考えた(23キロを8キロに)。
しかも、活断層は古くて休止状態で、大地震の可能性はないとした。

中越沖地震後、刈羽原発は点検、復旧、耐震強化工事、火災対策をした。
安全確認ができて、最初に再開した1基は2009年12月である。
2007年7月の中越沖地震から2年半後である。
それから、順次再開するが、3基は再開できていない。

東京電力のホームページから。

この刈羽原発が再開に要した期間から、
福島第一原発の再開は容易ではない、
福島第一原発は廃炉になるのではないか、
と思っていた。しかし、
廃炉の予想はできても、記載はできなかった。

そして、東京電力は、
処理には長期間を要し、
「廃炉には10年近くかかるだろう」

刈羽原発、福島第一原発をもつ東京電力に対して、
海外のメディアは厳しい。そして、当たっている。

ワシントン・ポスト2011年3月22日は、
「東京電力は津波のリスクを軽視した」
「非常用のディ-ゼル発電機は低い場所にあったから、
津波に弱いし、内部の浸水にもぜい弱であった」

また、ドイツのテレビ放送では、
「炉心の溶融があり、放射能が漏れる大事件に、
東京電力は、世界の援助を受けようとしてこなかった」

フィナンシャル・タイムズ、2011年3月22日は、
「地震後、東京電力はいくつかの致命的なミスをしたようだ」
「そして、状況は依然として見通しがたっていないことだ」

フィナンシャル・タイムズ、2011年3月20日は、
「東京電力は、2003年に安全データを改ざんしたことが発覚して、
福島原発の6基を含む全部で17基が、運転を中止させられている」
「数年後に、刈羽原発がマグニチュード6.8の地震に襲われた。
このような強大な地震に、刈羽原発(日本で最大の原発である)が、
耐えるようには設計されていなかった、と東京電力はあとで認めている」

福島第一原発の廃炉は、
広島、長崎へ原爆投下された以来の日本の惨事
気が重い。気が晴れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

力強く立ち直ってほしい

2011-03-24 11:06:42 | Weblog
「東日本大震災」、そして「長野県北部地震」。
会合があると、最初に「黙とう」をする。
町内では、「義援金」を集めている。
街かどで「義援金」を集めている。

松本の自衛隊は、災害援助に出動する。2011年3月16日。

およそ、20台のトラックが集まり、「災害援助」とある。

自分にできることはないか?
岡谷でボランティアをしたことがある。
7人が犠牲となった「岡谷土石流災害」、2006年7月。
災害の前の夜は、岡谷より20キロほど北の松本でも、
すさまじい豪雨で眠れなかった。

岡谷の土石流災害のニュースを聞いて、
野球帽、軍手、長靴のいでたちで、岡谷へ行った。

「がんばろって!! 岡谷」。岡谷市役所の玄関。

岡谷市役所前の広場で、ボランティアの受け付けをしていた。
そして、数名がマイクロバスで向かった先は、災害現場であった。

危険な災害現場は、重機が入って、プロが土石流を除く。
ボランティアは、危険な場所の下である。

作業は、側溝に埋まった土砂の除去である。
土砂を除去しないと、次の雨で水があふれ、
浸水したり、家が流される。

まず、側溝のコンクリートのふたをツルハシで外す。
いでたちが若作りに見えたのか、ツルハシの担当になった。
コンクリートのふたの重いこと、大きいこと、
それにビッタリくっついている。

ふたをこじ開けると、においがひどい。
あらゆるものが流れてきたドブのにおいだ。

ふたを開け、スコップで側溝から土砂をかき出す。
かき出した土砂は、手押し車で、ダンプカーが入る集積場所まで運ぶ。
手押し車に土砂を山と積んで、坂道を上がる。何度も何度も。
「重労働だったな!」

そして、手前の側溝はきれいになった。

側溝のふたは厚く、長かったな。
さらに、奥に続く側溝の土砂も除去する。

汗がボタボタと流れる。
幸いにも、水がペット・ボトルで支給された。
」をごくごく飲み、支給された「」をなめなめ、重労働を続ける。

側溝は、すっかりきれいになった。
そして、重いふたをして、夕暮れになった。
被災された住人から、「ありがとうございました
これが、ボランティアの「よろこび」。

岡谷市役所に戻ると、手と長靴を消毒した。
そして、ごほうびがあった。
風呂券
ありがたかった。さっそく風呂へ行った。
疲れがとれるようだ。においまで流れるようだ。

あとで、岡谷市からはがきが届いた。

「災害に強いまちづくりを目指し力強く立ち直っていく

そして、岡谷は災害から力強く立ち直った。
「災害伝承之碑」を建立して、除幕式をした。
「東日本大震災」後の2011年3月20日で、
災害から4年8か月後だった。

「東日本大震災」の災害は、すさまじいものだ。
「日本の悲惨だ」
なにかしたい!
ボランティアに行きたい。
でも、ここ松本もガタガタと、
「長野県北部地震」の余震がある。

信濃毎日新聞社が「義援金」の受け付けをしている。

玄関の義援金受け付けの案内。

ささやかな義援金が災害援助。
力強く立ち直ってほしい」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガンバレ 福島

2011-03-20 00:02:03 | Weblog
東北・関東大地震」では、
津波で街がつぎつぎと消えていく。
それに、福島原発の爆発が輪をかける。
「この先、どうなるのか?」と、気持が折れかかる。

なによりも被災者が、お気の毒です。
これまで築いてきた生活、歴史の積み重ね、
文化の積み重ねが、一瞬にして流れ去った。

郷里を離れるか、場合によって郷里を捨てて、
避難しなければならなくなった。

たまらない。
無念だと思います。
でも、ガンバッテほしい。

「ガンバロー! オナガワ」

女川町。2011年3月15日。産経ニュースから。

テレビをみていると、被災地では、
学童がボランティアをしているではないか。
中学生、高校生が炊き出しの手伝いをしている。
中には小学生がいる。涙が出てくる。

そして、被災者はたくましい
スーパーマーケットでは、整然とならんで、
食料や電池、衣料、灯油を買い求め、生きていく。

この精神的な強さは、どこからくるのだろう?
「いま、生きていることに感謝をしている」
被災者から、元気をもらう思いだ。

松本でも地震がある。
東北・関東大地震の余震と、長野北部地震の余震で、
揺れは、日に数回。震度は、東北地方に比べて小さい。

だが、ラジオからは「緊急地震速報」が流れてくる。
「強い地震にご注意ください」のたびに身構えて、
用意した防災グッズを置いた場所をみる。
そして、いつヘルメットをかぶろうか? とビクビクしている。

電池、ラジオ、ヘルメット、非常持ち出し袋。
非常持ち出し袋には、水、カップメン、衣類、歯ブラシをつめた。

ラジオは、上のハンドルをグルグル回して発電する。
ラジオのほかに、ライト、サイレンもある。
右上のハンマーで、固いものを壊す。
下には、カッターもついている。
携帯電話の充電端子もある。

1995年の「阪神・淡路大震災」のあとで、買ったラジオである。
松本は、「糸魚川-静岡構造線」の真っただ中にあるから、
直下型の大地震が、いつおきてもおかしくない、と思って用意した。

女川(おながわ)原発の写真がある。

2011年3月13日、共同通信から。
女川港で、津波の高さは15メートルと、
報道された(NHK、2011年3月16日)が、
見たところ、津波の被害はなさそうだ。

福島第一原発の爆発は、衛星写真がある。
地震の。New York Times(2011年3月18日)から。

左の港の近くに白いタンクが2つ見える。
非常用ディ-ゼル発電機の軽油が入っている。

地震の

左の港から原子力発電所の周囲まで、
津波による泥、ガレキで茶色になってしまった。

港の2つの白いタンクは、津波で流されてしまった。
そして、非常用ディ-ゼル発電機ほかの、
非常用の電源供給系の設備が機能しなくなった。
このために、非常用の炉心を冷却する装置ECCS
(Emergency Core Cooling System)
が動かなくなって、水素爆発、放射線漏れとなった。
3号機から、水蒸気が上がっている。

自衛隊、東京消防庁が炉心に放水して冷却し、
メルトダウンの危機を防いでくれている。
ありがたいことだ。

それに、福島第一原発が爆発し、放射線が漏れても、
現場に残って、事故処理をしている勇敢な作業員がいる。

東北電力から電力の供給を受けるための配線をしている。
そして、ポンプを動かして、炉心を冷却し、
危機状態を回避しようとしている。

日本命運は、この勇敢な作業員にかかっている。
ガンバレ 福島
「ポンプが正常に動きますように」
「そして、炉心が冷却できますように」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島原発は放射線漏れ、女川原発では放射線漏れなし

2011-03-16 00:03:11 | Weblog
「東日本大震災」は、「日本の悲惨な日」だ。
地震、火災、大津波で街がなくなると、
「これが日本か?」
と、悲しくなる。
それに、福島原子力発電所の爆発が輪をかける。
このままでは、福島原子力発電所は、
メルトダウンしてしまうのではないか?
と、テレビに釘づけになる。

福島原子力発電所放射線漏れ、しかし、
女川(おながわ)原子力発電所では放射線漏れなし
このちがいは、なんだろう?

震源地と原子力発電所の地図。

USA TODAYから。

震源地のすぐ左のが女川(おながわ)原子力発電所。
その下の2つのが、福島第一原子力発電所と福島第二原子力発電所。
東京は

福島第一原子力発電所。

衛星写真。USA TODAYから。
左下の1号機は、爆発で天井が飛んで、
格納容器があらわになり、
3号機からは水素爆発が見える。

左にある港から原子力発電所の周囲まで、茶色になっている。
津波による泥、ガレキである。
このために、非常用ディ-ゼル発電機などの、
非常用の電源供給系の設備が機能しなくなった。

津波対策は、5メートルしか想定していなかったが、
実際の津波は10メートルを超えたとされている。

非常用の電源系が機能しなかったため、最悪となった。
電力の供給、注水がスムーズにできなくて、
水素爆発、放射線漏れにつながっている。

福島原子力発電所から100キロ余り北に、
女川(おながわ)原子力発電所がある。宮城県。

NHKから。2011年3月13日。

女川原子力発電所からは、放射線漏れはない。
一時、放射線量が高い数値となったが、東北電力は、
「女川原発の施設内部の放射線量に異常はなく、
一時的に数値が上昇したのは福島原発の事故の影響」
と、判断している。

福島第一原発と女川原発の間の距離は100キロ余りで、
福島第一原発の事故から出た放射性物質が、
風で運ばれた影響である。
女川原発は、地震で安全に自動停止して、
「冷温停止」になっているから、
異常を示す状況は確認されていない、
と、東北電力は説明する。

それに、女川原発の津波対策は10数メートル、という。
もし、10数メートルの大津波がくれば、そのときは、
女川原発は大丈夫でも、女川町がなくなる、
といわれた津波対策だ。
そして、その通りになった。

女川町。時事通信から。2011年3月14日。

女川町は、陸路が遮断されて、「陸の孤島」となった。
国道はガレキでおおわれ、鉄橋も一部が落ちた。
人口のほぼ半分に当たる、およそ5千人の所在が確認できていない。

女川町にたどり着いた記事が、Asahi.comにある。
「食料もない。水もない。トイレや赤ん坊のオムツもない。しかもこの寒さ」
「とにかく助けがほしい。早く助けに来てくれ
と、安住宣孝町長は必死である。

一方、福島原発のある町は無人になった。
20キロの避難指示と30キロの屋内退避

NHKから。2011年3月15日。

外へ出ることができなければ、
どうしたらいいのだろう?
生存者の捜索や遺体の収納もできなければ、
避難生活への援助も、復旧もできない。
屋内退避は、いつまで続く?

福島原発からは、放射線漏れのほかに、
とうぜん、発電できなくなった。
それで、電力が 足らなくなった。
首都東京で、計画停電という停電になった。
日本の首都で、機能がマヒするという、
あってはならないことがおきた。

それに、テレビで爆発が放映されているのに、
官邸には1時間くらい連絡がなかった、
東京電力の対応の遅さに、
菅首相は東京電力を訪れて、
「原発対応は、あなたたちしかいないでしょう」
と、言われたことが、深刻さを物語っている。

首都東京を守るのだから、福島原発が、
10数メートルの津波対策をしていたらと、悔やまれる。

「未曾有の地震人為災害の重複災害だ。東京電力は、
最悪の事態を想定した重複災害への対応が甘かった」
と指摘する教授がいる(信濃毎日新聞、3月15日)が、当たっている。
未曾有の地震に、女川原発では放射線漏れをおこさなかったし、
福島原発では、つぎつぎに事故をおこして、
ちぐはぐな対応をしているのだから。

福島原発のつぎつぎにおきる事故を、
安全に収束できるのか? 世界が注目している。
そして、しばらくは、日本へ行くのは避けるように、
と、忠告している。

急な記載です。まちがいがあったら、
調査をさらに進める手掛かりにしてください。
日本の原子力発電所の津波対策がどうなっているのか? 調査が必要。
あわせて、耐震性の見直しも必要。
危機管理の見直しも必要。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の悲惨な日

2011-03-13 00:51:57 | Weblog
2011年3月11日「東北・関東大地震」は、
日本の悲惨な日」だ。

松本でも、揺れが長かった。
横揺れだった。
直下型ではないから、震源地は遠いと思った。

テレビをひねった。
押し寄せる「大津波」をみる。
「東北・関東大地震」と名付けられた。

仙台の友人に電話をした。
しかし、つながらない。
携帯にかけたが、ダメだ。

翌日になっても、つながらない。
Eメールにしてみた。
だが、まだ連絡がない。
Eメールは、すぐに返す人だが。

その人は、2009年に信州を訪れている。
そのあと、テレビ放映の、
「糸魚川-静岡構造線を行く -食べ物新日本奇行」
をみたと、Eメールが入った。

イナゴの佃煮は、まだ、食べたことがないというから、
「次回の信州旅行は、イナゴで決まりだね!
楽しみにしてください」
と、返した。

「日本の悲惨な日」を体験するのがよかったのか? どうか?
「その日、その日を精いっぱい生きよう」
と、ますます思うようになっている。

長野北部地震」では、揺れや「ミシッ」という音で、不気味だ。
松本は、「糸魚川-静岡構造線」の真っただ中にいる。
直下型の大地震がいつおきてもおかしくない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シンガポールの世界競争力は1位

2011-03-06 00:10:15 | Weblog
「シンガポールの景観」2011年1月16日で、
1)世界会議の開催で、シンガポールは5位。
 アジアでは、魅力ある都市のトップである。

ほかにも、シンガポールには、いいニュースがある。
2)シンガポールの学力は世界4位。2011年2月20日で、
 学力調査PISA2009で、シンガポールは世界で4位である。
と、書いてきた。

シンガポールには、さらに、いいニュースがある。
3)シンガポールの世界競争力は1位である。
IMDスイスの世界競争力年鑑2010年で、シンガポールは1位になった。

「企業にとって、事業活動をしやすい環境を持つ国はどこか?」
この疑問に答えるものとして、
スイスの調査会社IMD Switzerland(IMDスイス)の、
世界競争力年鑑World Competitiveness Yearbook」がある。

1)経済の実績、
2)行政の効率、
3)ビジネスの効率、
4)インフラストラクチャー、
を調査して、国の競争力のランキングを公表している。

IMDスイスとは、
International Institute for Management Development Switzerlandで、
ネッスル社が幹部候補生の教育資材用とした研究を発展させた調査会社で,
「世界競争力年鑑World Competitiveness Yearbook」
を、毎年発行している。

世界競争力年鑑によるランキングの推移はつぎである。

2010年、シンガポールの世界競争力は1位になった。

長い間、アメリカが1位で、
シンガポールは2位か、3位だった。
香港とともに、アメリカを追っていたが、
ついに、シンガポールがアメリカを抜いた。

しかし、シンガポール、香港、アメリカの差はわずかで、
三強」としている。

アメリカは、16年間維持した1位の座を、
シンガポールに明け渡し、香港の下の3位に落ちた。
アメリカは、サブプライムローンの破たんから、
金融危機を引き起こして、株価が暴落し、景気が後退した。
財政赤字が膨張し、貿易も赤字である。
ドルの価値が下がって、経済の地位が低下している。
だから、いつか落ちるだろうと思っていた。

4位スイス、5位オーストラリアが続く。
アジアでは、台湾が8位、マレーシアが10位と、大健闘である。
台湾は2009年の23位から、8位と大躍進した。
マレーシアも2009年の18位から、10位と大躍進である。

ほかにアジアでは、中国が18位、韓国が23位、タイが26位である。
中国は、2009年の20位から18位に順位を上げ、
韓国は、2009年の27位から23位に順位を上げている。
タイは、2009年の26位から26位と同じ順位である。

日本は27位である。
2009年の17位から、27位と順位を大きく落としている。
調査を開始した1989年は、日本が1位であったが。
それも、5年間も1位を維持していたが。

シンガポール、香港、アメリカの三強に、
日本を加えた競争力のランキングのグラフはつぎである。

シンガポール、香港、アメリカが「三強」であることがわかる。

日本は低落気味である。
1)経済の実績では、
経済の回復力が弱い、長引く不況、
投資が低迷している、などで経済が大幅に悪化している、
3)ビジネスの効率では、
起業家意識が低い、国際経験が乏しい、
4)インフラストラクチャーでは、
法人税が世界一高い、このため外国企業が進出しない、
少子高齢化によって労働力人口が減少している、
生活費が高い、
そして、
2)行政の効率では、
財政赤字が膨張、
移民規制で外国人労働者を受け入れない、
閉鎖的で外国企業の受け入れ態勢が十分でない、
が、挙げられている。
このままでは、国際企業は活動場所として日本を選ばなくなる、
としている。

そして、日本が後退した大きな理由は、「負債」である。
過去に先進工業国であった日本は、放漫財政で、
赤字予算悪魔のような負債をかかえている、
と、指摘している。

負債は、その「」ばかりではない、「返済期間」も、問題にしている。
負債の「額」をみるには、日本の「借金時計」がある。
(http://www.geocities.jp/mkqdj167/japan.htm)
なんと、919兆円である。しかも、
刻々と増え続けているから、恐ろしくなる。
国民一人あたりにすると、720万円である。

健全な負債の限度は、GDP(国内総生産)の60%以下として、
そのための返済期間の筆頭は、日本である。
日本は2084年までかかる、とされた。

2番目に悪いイタリアが、2060年まで、
3番目に悪いポルトガルが、2037年まで、
4番目に悪いベルギーが、2035年まで、
5番目に悪いギリシャが、2031年までかかる、
としているから、日本は断トツに悪い。

巨額な負債を抱えている国は、競争力を失い、
国民の生活水準(購買力)を低下させることになる、
としている。
これは、日本への警告である。

日本は、トヨタ、キャノンほかでもうけた金を、
ムダな道路、ダム、橋、箱物、開発に注ぎ込んできた。
この「土木政治」は、税収だけではまかないきれないとして、
赤字国債を発行して、ムダな道路、ダム、橋、箱物を造り続けてきた。

土木政治を進める放漫財政の結果、
国力も競争力もつかなかった、
国から活力が失われた、
ことに気がついた。

それで、土木政治をやめて、
世界から指摘された、
悪魔のような負債を減らそうとしている。

しかし、健全な負債になるのは2084年である。
なんと、時間のかかることか!
今年、オギャーッと生まれた赤ん坊が、
寿命がきて、棺桶に入るころに、
やっと、健全な負債になる。

いっぽう、シンガポールは、
「ビジネスの効率性」や、
「経済の実績」が高く評価された。

シンガポール人は、つぎのように言っていた。
「シンガポールは限られた土地と人口です。
以前は、安価な労賃で大量生産していたけれど、
産業構造を切り換えて、IT産業を興し、
情報とサービスのセンターを目指している。
そのために、教育やインターネットの普及に力を入れています」

シンガポールの強みは、
金融危機に迅速に対応して、高い経済成長率を得ている、
投資や国際貿易のために、経済が開放されている、
電子商取引のインフラストラクチャーが整備されている、
外国人技術者の入国移民政策がオープンである、
知的財産が保護されている、
ビジネス活動を行う上で、アジアで最も非官僚的である、
などである。

シンガポールの世界競争力が1位は、
長期的な国家戦略が実を結んだことを感じる。

冒頭にシンガポールのいいニュースを掲げた。
1)シンガポールの世界会議の開催は5位。
 アジアでは、魅力ある都市のトップである。
2)シンガポールの学力は世界4位。
そして、今回は、
3)シンガポールの世界競争力は1位。

このほかに、シンガポールの特徴については、
つぎにも書いてあるので、参照してください。
「シンガポールの通知表」2009年11月8日、
(http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/8413d7dea78f63c712291704836422d3)

シンガポールのチャンギ空港が、
アジアのハブ空港の座をねらっていることについて、
「シンガポールのチャンギ空港とアジアのハブ空港の座」2009年11月15日、
(http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/c6ae80605b412afd4386673c421d1a64)
1) 空港へのアクセスは容易か?
  a)距離、b)移動時間、c)料金は?
2) 空港のサービス、顧客満足は?
3) アジアのハブ空港の座は、どこの空港か?
  a)発着便数、b)乗客数、c)貨物取扱量、d)滑走路数、e)着陸料は?
について、書いてある。

日本は、シンガポールに学べ、ということになる。
シンガポールを「ベンチマーキング」したら、どうだろう。
かって、アメリカが日本をベンチマーキングして、活力を見出したように。
「日本をベンチマーキングしたアメリカ」2009年1月7日、
(http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/5e99c63d117aa342a121f2e320881a87)

「ベンチマーキング」については、
つぎにも、記載してありますので、ご参考に。
「異業種をベンチマーキング」2009年1月1日、
(http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/12651401dd477d4d6c22db6e1dc6b4dd)

「航空会社は自動車レースをベンチマーキング」2009年1月4日、
(http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/4de9eaf5c36fe453592e0ced881fae3f)

南国の花が咲く公園。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする