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仏教のアンコール・トムに乳海撹拌

2015-02-22 00:02:22 | Weblog
都城アンコール・トム仏教である。
仏教だから、アンコール・トムには観世音菩薩がある。

アンコール・トムの入口、南大門にある観世音菩薩。2014年11月。
観世音菩薩はあるが、アンコール・トムには仏陀がない。これが不思議だった。

仏教のアンコール・トム (12世紀)は、
ヒンドゥー教のアンコール・ワット(12世紀)、
ヒンドゥー教のバンテアイ・スレイ(10世紀)とともに、
世界遺産アンコール・ワット遺跡群の一つである。
仏教とヒンドゥー教が共存している世界遺産である。

規模は、都城アンコール・トムは、
3キロメートル四方の環濠に囲まれている。
アンコール・ワットは、東西が1.5キロメートル、
南北が1.3キロメートルの環濠に囲まれている。
アンコール・トムはアンコール・ワットの4.6倍になる。

デバター(女神)に注目した。
日本のお寺にデバターはないから、なじみがない。
それが、仏教のアンコール・トムでデバターを見たから、
ヒンドゥー教のアンコール・ワットや、バンテアイ・スレイと比べてみた。

ヒンドゥー教のアンコール・ワットのデバター。


ヒンドゥー教のバンテアイ・スレイには、
有名なデバター「東洋のモナリザ」がある。


仏教のアンコール・トムは、
南大門をくぐると、中心部に仏教のバイヨン寺院がある。

⇒はデバター。

バイヨン寺院には、ニョキニョキと塔がある。その4面にも、観世音菩薩がある。

観世音菩薩は、アンコール・トムが仏教寺院であることを示している。
観世音菩薩は、ヒンドゥー教のアンコール・ワットや、
バンテアイ・スレイにはなかった。

アンコール・トムのバイヨン寺院を見ると、
入口や柱、塔には、⇒デバターがあった。
バイヨン寺院のにあるデバター。


バイヨン寺院のにもデバター。


入口の上にある、あぐらの4体。これは、天女アプサラス?


入口の左は、⇒デバター。


仏教のデバターは、こうあるべきだ、というものは見当たらない。
仏教とヒンドゥー教で、デバターに大きな区別はない。
どちらが、どちらにあっても、違和感はない。

ジャヤヴァルマン7世(1181~1218年頃)によって、
バイヨンは仏教寺院として建設され、仏教の隆盛期を迎える。
今見る観世音菩薩のほかに、ご本尊として仏陀が安置されていた。
それに、ヒンドゥー教の神々も祀られていたから、
仏教とヒンドゥー教は並存していた。

次の注目は、乳海撹拌(にゅうかいかくはん)。
ヒンドゥー教天地創造の神話である。
ヒンドゥー教のアンコール・ワットの第一回廊には、
長さが47メートルの、乳海撹拌の有名なレリーフがある。

中央がヴィシェヌ神。
大蛇を左右で綱引きをするアスラ(阿修羅)と神々で、
引っ張り合って乳海を撹拌し、天地を創造する。
現地人ガイドはていねいに説明してくれた。

この乳海撹拌のレリーフは、長くて撮影が難しいので、
タイのスワンナプーム国際空港にある乳海撹拌の像を使う。

ヒマラヤへ行くときに、バンコクに立ち寄った。2014年3月。

乳海撹拌は、不老不死の薬アムリタをめぐって、
アスラ(阿修羅)と神々が争奪戦をする。
中央がヴィシェヌ神
曼荼羅山(まんだら)に大蛇ナーガを巻きつけて、
左のナーガの頭の方をアスラ(阿修羅)が引っ張り、


右のナーガの尻尾の方を神々が引っ張る。

交互に引っ張り合って、曼荼羅山を軸棒として回転させる。
大海をかき回して、不老不死の薬アムリタを手に入れたい。

曼荼羅山の下の亀(金色)は、ヴィシュヌ神の化身クールマで、
曼荼羅山が沈みそうになったときに、背中で支える。
大海の撹拌は千年続いて、乳の海となった。
そして、天女アプサラスが生まれ、

蓮の花の上で踊る天女アプサラス。バイヨン寺院で。

さらに、太陽、月、ヴィシュヌ神の妻となるラクシュミー女神、
牝牛、白馬、象王、宝石、酒の女神などが現れた。そして、
医の神ダンヴァンタリが、アムリタが入った壺を持って現れた。
そのアムリタをめぐって、またアスラと神々が争奪戦をする・・・。
どこまで行っても、乳海撹拌には、仏教の話は出てこない。
仏教とは縁がない。ヒンドゥー教の天地創造の神話である。

アンコール・トムは、ヒンドゥー教の乳海撹拌を取り入れて造られていた。
アンコール・トムには、環濠にかかる橋を渡って、南大門から入る。
橋の左の欄干には、神々が大蛇ナーガを引っ張っている。

奥は南大門。

橋の右の欄干は、アスラが大蛇ナーガを脇に抱えて引っ張っている。

左奥は南大門。右下は環濠で、アンコール・トムは環濠で囲まれている。

アンコール・トムの中央にあるバイヨン寺院を曼荼羅山に見立て、
環濠を大海に見立てて、アスラと神々が大蛇を引っ張り合って、
バイヨン寺院を回している、という設定だった。
アンコール・トムは仏教だが、
ヒンドゥー教の天地創造の神話、
乳海撹拌を取り入れて建設されていた。

仏教のアンコール・トムが、
ヒンドゥー教のアンコール・ワットや、
同じくヒンドゥー教のバンテアイ・スレイと違うのは、
観世音菩薩があること。

しかし、仏陀がないが?
ジャヤヴァルマン7世(1181~1218年頃)が築いたアンコール・トムは、
仏教の隆盛期を迎える。中央祠堂に3.8メートルの大仏坐像を安置した。
だが、その大仏は今では見ることがない。
ジャヤヴァルマン8世が即位した(在位1243~1295年)。
ヒンドゥー教への篤い信仰から、仏像や仏教のレリーフを破壊したからである。
中央祠堂の大仏は破壊されて、地下に埋められた。

アンコール・トムでは、仏教にヒンドゥー教が並存し、
仏陀、観世音菩薩にヒンドゥー教の神々が祀られていた。
ヒンドゥー教の天地創造、乳海撹拌を取り入れて建設された。
しかし、ジャヤヴァルマン8世が即位して廃仏し、ヒンドゥー教化した。

世界遺産アンコール遺跡群では、
都城で仏教のアンコール・トム、
ヒンドゥー教のアンコール・ワット、
ヒンドゥー教のバンテアイ・スレイを見学するが、
乳海撹拌や仏教とヒンドゥー教の関係を知ることになる。
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バンテアイ・スレイの略奪された東洋のモナリザ

2015-02-15 00:02:15 | Weblog
バンテアイ・スレイのデバター(女神)、「東洋のモナリザ」は、
フランス人のアンドレ・マルローによって略奪された。
その「東洋のモナリザ」を見たい。

バンテアイ・スレイは、世界遺産アンコール・ワット遺跡群の一つ。
シェムリアップの街から北東へ40キロメートルほど。
途中、高床式住居の集落を見ながら、
バスで1時間弱。2014年11月。

祠堂。バンテアイ・スレイは、アンコール・ワットに比べれば規模が小さい。


「東洋のモナリザ」と言われるデバター(女神)がある。

⇒が「東洋のモナリザ」。


東洋のモナリザ」。

現地人ガイドが「東洋のモナリザ」と説明した。

この「東洋のモナリザ」は、
フランスの新進作家アンドレ・マルローによって略奪された。
マルロー事件」として、バンテアイ・スレイの東の、
プレゼンテーション・ルームに説明があった。

アンドレ・マルロー盗まれたレリーフの一つ。

Andre Malraux(1901-1976)            One of the bas-reliefs stolen by Malraux

1923年、フランスの新進作家アンドレ・マルローが22歳のときに、
妻のクララと友人のルイ・シュヴァッソンは、カンボジアに旅行した。
3人は、シャム(タイ)とアンコールを結ぶ道の公式な考古学の学術調査を装い、
新たに発見されたバンテアイ・スレイ寺院から、レリーフをノコギリで切り取って、
骨董収集家に売る予定だった。

マルローは、資産家のクララと結婚して(1921年)、
株式投資で、クララの財産を失った直後だった。
アジア芸術の専門家であるパルマンティアが、
「フランス極東学院」の会報に1919年に発表した論文を、
マルローは見つけた。そして、バンテアイ・スレイの密林に、
埋もれていた寺院が発見されたことを知った。

バンテアイ・スレイ寺院が、アンコール遺跡の外に位置していることに、
マルローは注目した。まだ法的に認められていない遺物とともに。
そして、冒険は金もうけになると考えた。

1924年のバンテアイ・スレイ。

ジャングルの中に埋もれていた。プレゼンテーション・ルームで。

アンドレ・マルローはデバターを、バンテアイ・スレイ寺院の南の塔の、
南東から、南西から、そして、北東の角から略奪した。
3人は帰路、1923年12月23日、プノンペンで逮捕された。
1924年7月、マルローは懲役3年の実刑判決を受けた。
友人のルイは懲役1年半だった。

妻クララは無罪判決だった。すぐにパリにもどって、
文化人を回って、救援の嘆願をした。署名嘆願活動で、
マルローは、懲役1年、執行猶予1年に減刑された。
そして、マルローはフランスに戻った(1924年)。

略奪されたレリーフは、最初はプノンペン国立博物館に行き、
2、3年後に、ようやくバンテアイ・スレイに戻った。
これら一連は、マルローが小説「王道」を書くことにつながった。

その後のマルローは、スペイン戦と第二次世界大戦で勲功をたてた。
ドゴール大統領に取り上げられて、文化相を務めた、1959年~1969年。

つぎに、デバター(女神)のレリーフの彫りの深さについて。
彫りの深さをアンコール・ワットと比べてみる。
アンコール・ワットのデバターは彫りが浅い

奥の平面が見える。

バンテアイ・スレイ(10世紀)のデバターのレリーフは、
アンコール・ワット(12世紀)よりも、彫りが深く、ふくよかだ。
彫りが深く、立体的なデバターは、バンテアイ・スレイの特徴である。

立体的なデバターはたくさんある。扉の左右もデバター。

お坊さんもデバターを撮る。

どれを「東洋のモナリザ」にしようか? 多くのデバターがある。

バンテアイ・スレイには、デバターのほかにも、レリーフがたくさんある。
バンテアイ・スレイは、東門から入るが、見学の順番にレリーフを掲載する。
3頭の象に乗るヴィシュヌ神


阿修羅王を爪で切り裂くヴィシュヌ神の化身のナラシンハ


カーラの上のヴィシュヌ神


象の聖水を受けるヴィシュヌ神の妻ラクシュミー


踊るシヴァ神


猿王スグリーヴァと兄ヴァーリンの決戦





3頭の象に乗ったインドラ神?


地雷の撤去で足をなくした人が、演奏していた。

先のない片足を折るようにして、座っていた。
バンテアイ・スレイを見ることができるのも、
地雷を撤去してくれたおかげだ。献金をする。

バンテアイ・スレイは、暖かいところ。
11月というのに、30℃以上、半袖だった。
バンテアイ・スレイの住人にとっては快適。
すき間に、トカゲのオスとメスが涼んでいた。

その下には、卵。

つぎに、バンテアイ・スレイを訪れると、家族で迎えてくれる?

バンテアイ・スレイは、
「東洋のモナリザ」と、レリーフで飾られていた。
それに、アンドレ・マルローによるデバターの略奪を知ることができる。

プレゼンテーション・ルームにあった、
「マルロー事件」の説明を掲げる。



さらに、調査する参考にしてください。
プレゼンテーション・ルームは、東門の東にあるみやげものやのとなり。
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アンコール・ワットを見たい

2015-02-08 00:01:20 | Weblog
アンコール・ワットを見たい。
信州まつもと空港発着のパック旅行があった。
信州まつもと空港とは便利だ。車で15分もあれば着く。
成田空港だと1日かかるから、往復2日が移動日になる。
それが信州まつもと空港ならば、往復30分の移動時間。
チャーター機の世界遺産「アンコール・ワット5日間」の旅、
近畿日本ツーリスト社にした。2014年11月24日。

信州まつもと空港からは札幌への定期便が出ている。
札幌の場合は、信州まつもと空港まで自転車で行った。
カンボジアの場合には、荷物が重いから車で行く。
車は、無料駐車場に留めておけばいい。

チャーター便は、途中台湾の高雄空港で給油してから、
アンコール・ワットのシェムリアップ空港に向かう。
8時間ほどのフライト。

アンコール・ワットの朝焼けと夕焼け、今昔、ほかを写真で眺める。
のアンコール・ワット。

変化する雲、その下が赤くなってきた。

のアンコール・ワット。

手前は、ハスが咲く聖池。

アンコール・ワットは、中央祠堂を囲うように、
1番外側に第1回廊、その内側に第2回廊、
そして、中央祠堂に1番近くに第3回廊がある。
回廊の周囲は東西南北で呼ぶ。

手前の聖池は、第1回廊の外側で、西になる。
聖池から、アンコール・ワットの日の出を見ることができる。

中央祠堂を見るには、第3伽藍を登って、第3回廊へ行く。

左が下りの階段、右が登り。急な階段で、混雑するところ。
中央祠堂は、頭が左に見える。

中央祠堂

第3回廊から。

デバター(女神)が迎えてくれる。


アンコール・ワットに赤い訪問者

中央祠堂に1番近い第3回廊から、
第2回廊と第1回廊の屋根の並びを眺めていた。
すると、赤い服の訪問者が現れて、第1回廊の中に消えた。
あとで、第2回廊と第1回廊の間を歩くが、いなかった。デバター(女神)?

アンコール・ワットの今昔
修復前の第3回廊と中央祠堂。

レストランAmazon Angkorに掲げてあった。

現在の第3回廊と中央祠堂。

修復前の写真は、左側から撮ったもの。

修復前の第1回廊の南面。

レストランAmazon Angkorで。

現在の第1回廊の南面。

修復前の写真は、右奥から撮ったもの。

第1回廊のレリーフ
第1回廊の南面には歴史、天国と地獄のレリーフ。


第1回廊の東面には、乳海撹拌のレリーフがある。

ヒンドゥー教の天地創造の神話で、中央がヴィシェヌ神。
大蛇を左右で綱引きをするアスラ(阿修羅)と神々で、
引っ張り合って乳海を撹拌し、天地を創造する。
現地人ガイドはていねいに説明してくれた。

日本人がアンコール・ワットを訪れたのは1632年と古い。
森本右近太夫(うこんだゆう)が十字回廊の柱に、
墨で落書きしている。

日本から来て、4体の仏像を奉納したとあり、
落書きは、上から塗られている。

朝焼けのアンコール・ワット。


逆さアンコール・ワット。聖池で。


夕方になって、ホテルに帰る。
夕暮れの語らい

聖池の畔で。

夕暮れの花嫁さん

聖池の畔で、ウェディングドレスの花嫁さんの髪をとかしていた。

アンコール・ワットでは、
現地人ガイドの説明が良かった。
日本からの添乗員の統率も良かった。
アンコール・ワットの今昔まで見ることができた。
そして、朝焼けの出迎えと、夕焼けの送りがあった。
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北アルプスを見たい

2015-02-01 00:02:01 | Weblog
初春に富士山を見た。
大月の菊花山から、快晴の富士山を見ることができた。

富士山の次は、北アルプスを見たい。
夏ならば、いろんなところから北アルプスを見ることができる。
これまでに登った、高ボッチ(塩尻)、美ヶ原高原(松本)、
上高地(松本)、長峰山(安曇野)、鷹狩山(大町)、
聖高原(麻績)…どこも、いい眺めだった。
しかし、冬季の11月末~4月末は、
道路がクローズになる。

2015年1月13日、北アルプスを見ると、晴れている。
松本から、白い白馬三山が見える。白馬へ行こう!
白馬なら、道路はクローズではない。曇らないうちに、急げ!

松本から2時間のドライブ、12時に着いた。

白馬三山は、左から白馬鑓ケ岳(はくばやりがたけ)、
杓子岳(しゃくしだけ)、白馬岳(しろうまだけ)。
手前からの白、黒、白、青の帯がいい。

「白馬」は「はくば」? それとも「しろうま」?
気にせず、全部「はくば」で通している。
JR白馬駅は「はくば」だし、
白馬ジャンプ競技場も「はくば」、
それに、地元の白馬村が「はくば」だから。

白馬へはスノーシューを持って行く。
そして、白馬村の東にある、廃止となったスキー場を登る。

登り初めの標高は、727メートル。
スノーシューでシュプールをたどる。
スノーシューがなければ、ズボズボと埋まる。
最初の白馬三山の写真は、この途中で撮ったもの。

このスキー場は、JR白馬駅の東にある白馬ハイランドホテルを目指せばいい。
白馬ハイランドホテルからの白馬三山の眺めは素晴らしい。
その裏に広がるスキー場に登れば、別の世界が広がる。

シュプールを抜けると、2段になっていて、さらに上がある。

左上が頂上。978メートル。下からは、250メートルの高低差。

あたりを眺めながら、汗をかきながら1時間半かかった。
2012年2月に来ているが、カラ松の若木が植えてあった。
登りも、下りも左を通ったが、今日の足跡は私だけ。
下りは20分で、下まで駆け降りた。

スキー場の2段目から見る白馬三山

左下に白馬ジャンプ競技場があり、右下に白馬村がある。

白馬ジャンプ競技場は、気になる。

長野オリンピックで、団体優勝したところ。
最近では、葛西紀明選手がジャンプしたところ。
それに、高梨沙羅選手は、次はいつ来るだろうか? と思いながら。

スキー場の頂上からの白馬

白馬三山の右には、小蓮華山(これんげさん)、白馬乗鞍岳(はくばのりくらだけ)が続く。
手前には、白馬村が広がる。白馬村役場、白馬高校は右下方向になる。
モーグルの上村愛子選手は白馬高校の出身。

白馬で地震が起きた。
2014年11月22日、22時8分、
「長野県神城(かみしろ)断層地震」。
松本で震度4だった。横揺れが数秒続いた。
そのときは、いつ終わるのか? と不安だった。
それに、揺れが2011年3月11日の東日本大震災に似ていて、
震源地が東北だったら、大変なことになる、と思った。

震源地は白馬村で、震度5強とテレビ放送があった。
地震の震央は、白馬村役場から東南東に約3キロメートル。
左側の松本寄りになる。33棟が全壊したが、近隣が声を掛け合って、
下敷きになった人を救助し、犠牲者はゼロだった。
雪の中、仮設住宅での生活が続いている。

スキー場の頂上は眺望がいい。

雪の上に足を投げ出して、パンとチーズの昼食。
うまい! いつもよりもうまいのは、景色のせい?
山登りで腹が減ったせい? 汗をかいたせい?
かじりながら、北アルプスを眺める。

唐松岳から八方尾根。白馬三山の左側。

⇒と→が頭を出している。不帰ノ嶮(帰らずのけん)だろう。

五竜岳。唐松岳の左側。


冬に北アルプスを見るならば、白馬へ行けばいい。
白馬への道路は、除雪されている。そして、
そそり立つ北アルプスが迎えてくれる。

この景色はいいね! PCの背景に使っている。

白馬駅では多くの外人を見かける。
オーストラリア人が増えているという。
この景色だ。平地のオーストラリアにはない。
峻厳な北アルプスに広がるスキー場に魅了される。

ゲレンデを外れたバック・カントリー(山スキー)には、
十分注意してください。遭難事故が起きています。
白馬は峻厳な世界に、パウダー・スノーが魅力だが、
冬山に登ると同じような技術と体力、装備が必要です。
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