季節の変化

活動の状況

ランドマークの閲覧状況

2010-10-31 00:12:27 | Weblog
街の「ランドマーク」について、つぎの基準で選んできた。
1)「独自文化」である、
2)街の「象徴」になっている、
3)街の人が「誇り」を持っている。
 そして、「観光客」が訪れ、「外国人」観光客にも人気である。
4)国宝や国の重要文化財であれば、評価されたものになるが、
上記の1)、2)、3)があれば、こだわらない。

ただ目立つだけの、高い建造物、巨大な建造物、
派手な建造物などは、街のランドマークから外れる。
たとえば、札幌駅、名古屋駅、京都駅、京都タワーなど。
自然や周囲と調和しなかったり、景観を損ねていることがある。

札幌駅。


名古屋駅。


京都駅。


京都タワー。


そして、8つの街のランドマークを掲載してきた。
松本、京都、東京、長野、奈良、札幌、名古屋、諏訪。

これらの街のランドマークはつぎである。
「松本のランドマークは松本城」、2010年9月12日。
「京都のランドマークは金閣寺」、2010年10月6日。
「東京のランドマークは東京タワー」、2010年10月10日。
「長野のランドマークは善光寺」、2010年10月13日。
「奈良のランドマークは東大寺」、2010年10月17日。
「札幌のランドマークは時計台」、2010年10月20日。
「名古屋のランドマークはトヨタ産業技術館」、2010年10月24日。
「諏訪のランドマークは諏訪大社」、2010年10月27日。

関連する記事は、つぎである。
「松本城の季節の変化」、2010年9月15日。
「松本城の季節の変化、ボケの木から」、2010年9月19日。
「松本城は要塞と美意識」、2010年9月22日。
「松本は美しい自然と豊かな伝統文化」、2010年9月26日。
「醜い国に気付かない日本人」、2010年9月29日。
「アメリカ、イギリス、日本の住環境」、2010年10月3日。

これらの街のランドマークについて、
どのくらい閲覧があったのだろうか?
閲覧状況を検索エンジン、Google、OCN、Yahoo! Japanで順位をみる。



各都市のランドマークは、高い順位です。

つぎに、関連する記事の閲覧状況をみる。
タイトルが長い場合は、キーワードにした。
「醜い国に気付かない日本人」は、「醜い国」、
「アメリカ、イギリス、日本の住環境」は、「アメリカの住環境」
と、いうように。

醜い国に気付かない日本人」、
「アメリカ、イギリス、日本の住環境」、
など、景観や住環境についても、高い順位です。

多くの方から閲覧いただきました。
ありがとうございます。

みなさんが住む街の「ランドマーク」は?
そして、街の「景観」や「住環境」は?
に、思いを巡らせる機会になれば、と思います。
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諏訪のランドマークは諏訪大社

2010-10-27 00:10:27 | Weblog
諏訪のランドマークは、「諏訪大社」。
諏訪神社が全国に1万社以上あるが、「諏訪大社」は、その本社。

多くの観光客が諏訪大社を訪れる。
御柱」(おんばしら)を背景に記念撮影。「上社」。

「諏訪大社」は、諏訪湖をはさんで、
南側に「上社」(かみしゃ)、
北側に「下社」(しもしゃ)がある。

「上社」は、諏訪市に「本宮」(ほんみや)、
茅野市に「前宮」(まえみや)がある。

「上社」の「本宮」。

「下社」は、下諏訪町に「秋宮」(あきみや)と、
「春宮」(はるみや)がある。

「下社」の「秋宮」の神楽殿。
右に御柱が見える。左にも、杉の間に御柱が、薄く見える。

上社は男の神、「建御名方命」(たてみなかたのみこと)を、
下社は女の神、「八坂刀売命」(やさかとめのみこと)を、祀っている。
男神を「たてみなかた」、女神を「やさか姫」と諏訪の人は呼んでいる。

諏訪市博物館のカタログ。

男神と女神の名前が書いてある。

冬には、諏訪湖に「御神渡」(おみわたり)ができる。

氷が膨張してできた、盛り上がり。2008年。
男神の「たてみなかた」が、女神の「やさか姫」に逢瀬に行く道、
という神話から、「御神渡」(おみわたり)と呼んでいる。
「御神渡」は男神の諏訪から、女神の下諏訪に、
向かっているように見える。

外国人に、男神と女神の逢瀬の話をしたところ、
「ロマンティック」
と、興味深く聞いていた。

「御神渡」ができると、その高さや方角で、
作物のできばえや気候を占う「神事」が、
諏訪の八剱(やつりん)神社によって行われる。

「御神渡」は、マイナス10℃くらいの寒さが、
1週間ほど続くと、全面結氷してできるが、
最近は小さかったり、見られないことがある。
「御神渡」ができても、雪が降れば、埋もれてしまう。
諏訪の観光案内所に御神渡の状況を聞いてから、出かけた。

「諏訪大社」の、いくつかあるお祭りの中で、
御柱祭」(おんばしらさい)が、知られている。

「御柱祭」の絵巻。諏訪市博物館のカタログから。
「御柱」を曳く人、縄やてこを持つ人、そして、
おんべや扇子、笹を持って応援している人と、
分担し、結束してお祭りをしている。

「御柱祭」は、平安時代の初期(8世紀)に最初の記録があって、
起源は、さらにさかのぼるというから、長い歴史のあるお祭りだ。

7年目ごとの寅(とら)年と申(さる)年に、
もみの大木を山から切り出して、人力だけで、

山から里へ20キロメートルほど曳き、
最後に、16本の「御柱」を神社の4隅に建てる。

諏訪湖を囲むようにある諏訪地方の6市町村の、
21万人が参加する大祭である。

山から里へ曳く「山出し」には、
「御柱」を、坂から落とす「木落し」があり、
川で「御柱」を清める「川越し」(上社)がある。

下社の「木落し」。

諏訪市博物館のカタログから。

「御柱」に乗る数人の氏子は、選ばれた人。
特に先端は、名誉中の名誉である。
御柱に巻き込まれることもあり、
命をかけることになる。

「男見るならば7年に1度、諏訪の木落し、坂落し」と、言われ、
諏訪の男ならば、一生に一度は乗ってみたい「木落し」である。

上から見た「木落し坂」。

8本の「御柱」を、ここから落とす。
斜度は35度、長さは100メートルある。
土煙を上げ、ドドドッーと地響きを立てて、
「御柱」は落ちる。落ちた跡は、黒い筋になっている。

「木落し坂」をのぞきこんで、

「この急坂を、木にまたがって下りるなんて!……」
と、肝を冷やしていたのが聞こえた。

木落しが終わった「御柱」は、里に向かう。

御柱の直径は1メートル、長さ17メートル、
重さ10トンを、人力だけで曳く。

御柱を清める「川越し」。上社だけ。

右の白旗が上がり、「川越し」の準備と安全が確認できて、
左右の綱を曳き始めると、対岸にある「御柱」は川に入った。
雪融け水の温度は10℃で、十分冷たい。

左奥の川の中にいる白いヘルメットの数人はレスキュー隊。
御柱の下敷きになったり、川に流される氏子を救出する。
「川越し」は、「木落し」とともに難所だ。
どちらも、救急車が待機している。

御柱が通る「御柱街道」では、道行く人に「振る舞い酒」がある。

諏訪は酒どころ。
どの銘柄も、うまかったな。「ウィ~」。
酒がタダなんて、こんなお祭り、見たことがない。

山から里へ曳く「山出し」のあとは、
里から神社へ曳く「里曳き」になる。そして、最後は、
神社の4隅に御柱を建てる、「建御柱」(たておんばしら)になる。
「奥山のモミの大木が、里へくだって、神になる」ときである。

「建御柱」

「御柱」のてっぺんに乗る「天端乗り」は、名誉なことである。
垂直に建つまで乗っている。
気分が高まるとともに、緊張するときである。

氏子が、「車地」(しゃち)を巻き上げると、

「御柱」は、だんだんと建っていく。

「建御柱」は、「御柱祭」の最後の難関だ。
そして、垂直になって、感激のときがきた。
「天端乗り」は、「御柱祭」をやり遂げたことを、
下の氏子とともに歓び、どよめきが上げる。

「御柱祭」は、回をおうごとに盛んになっている。
起源が平安時代の初期より前にさかのぼる「御柱祭」は、
諏訪の伝統であり、文化である。
諏訪の人たちは、誇りを持っている。
御柱祭には、血は湧き、肉は踊って、
民俗の大催事を結束して継承してきた。

男神「ミナカタ」と女神「ヤサカ姫」を主人公にした、
神話のオペラ、「御柱」がある。
2004年の公演を観た(岡谷)。
諏訪にはロマンがあり、
文化の創造がある。

「御柱」の観光客は増えて、2010年の人出は180万人で、過去最高である。

観光バスで来て、観覧席から上社の木落しを観る。

諏訪の人は、「御柱祭」を観る場所を知っているが、
観光客は、どこへ行ったら、山出しや里曳きを、
観ることができるのか、わからないから、
観覧席はいいサービスである。
当日券を手に入れることができて、
遠方からのお客さんをお連れしたが、
「こんなに勇壮なお祭り、見たことがない」
と、興奮していた。

伝統ある「御柱祭」だが、オリジナリティでないものがある。
それは、ラッパと他県の民謡の踊りである。
ラッパは威勢がいいし、ショウとして盛り上げるには効果的だ。
だが昔は、ラッパはなかった。たとえば、ホラ貝や角笛、有名な太鼓に、
だんだんと置き換えていくのは、どうだろう?

ラッパが少なく、「木遣り」(きやり)が多いのは「下社」。
その分、「下社」は「上社」よりも、素朴で勇壮だった。

しかし、「下社」には、他県の民謡をスピーカーで流して踊っていたが、
新たにオリジナリティを盛り込んだ踊りだろうか?
マネに見えたが。基本は、絵巻にある。

「御柱祭」は諏訪の伝統であり、独自文化である。
諏訪の誇りであり、日本の誇りである。
独自の文化は、世界に誇れる。

諏訪の人たちの「アイデンティティ」、
それは「御柱祭」だ。
は沸き、が踊り、そして、結束する。
アイデンティティを持った人たちは、誇り高くみえる。
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名古屋のランドマークはトヨタ産業技術館

2010-10-24 00:00:05 | Weblog
名古屋のランドマークは、「トヨタ産業技術館


日本は先端技術の国。
しかし、どこへ行けば先端技術を観ることができるだろうか?

アメリカの首都ワシントンには、「スミソニアン博物館」がある。
印象に残っているのは、ライト兄弟の初めての飛行機や、
大西洋を単独初飛行したリンドバーグの、
「翼よ、あれがパリの灯だ!」で有名な、
スピリット・オブ・セントルイス号、
世界初のインクジェット・プリンターなどである。

「スミソニアン博物館」のような総合的な博物館は、
日本にはないが、産業技術の歴史については、
名古屋に「トヨタ産業技術館」がある。
トヨタは豊田織機を礎に、自動車産業に進出し、
主力産業に育てて、世界のトヨタになった。

ホールには環状織機がある。


自動織機のほかに、自動車、その組み立てライン、
ロボットなどが展示されている。これらは、
日本の経済、産業を支えてきた製品である。

自動車の組み立てラインのロボットはダミーで動かないが、
トランペットを吹くロボットがあって、
決められた時間に演奏する。

愛知万博に出展して人気のロボット。

日本の各会社には、「ショー・ルーム」があって、
会社の歴史から最新製品や先端技術を展示している。
しかし、観ることができるのは、お客さんか、取引先で、
一般の人には公開されていない。まして、
「日本の先端技術を観たい」
という外国人には、見学はむずかしい。

地域の会社のショー・ルームを巡る、
「バス・ツアー」があればいいと思う。
会社としても、自社の技術や商品、サービスを、
広く知ってもらう、いい機会になる。

そうすれば、ビジネス・チャンスが広がるだろう。
ショー・ルームは観てもらうものだが、
たいがいは、閑散としている。
飾っておいてもしょうがない。

「トヨタ産業技術館」は、
名古屋駅から2つ目のバス停と近いし、
予約なしで見学ができる(有料、月曜休館)。
見学に疲れたら、レストランもある。

「トヨタ産業技術館」は、お客さんや取引先に、
観てもらうほかに、社内教育にも使っている。
そして、一般に公開しているから、
「日本の先端技術を観たい」という、
一般の人や外国の人にも、ピッタリである。

源氏物語絵巻」を所蔵している徳川美術館がある。
源氏物語」は日本文学の最高。世界の宝物。
源氏物語からおよそ150年後の12世紀に、「源氏物語絵巻」が誕生した。
徳川美術館は、五島美術館とともに「源氏物語絵巻」(国宝)を所蔵している。

柏木三(部分)。「原色日本の美術」絵巻物。小学館から。

徳川美術館を訪れたが、「源氏物語絵巻」の展示期間は、
限定されているから、観ることはできなかった。
美術書で、源氏物語を想像していた。

しかし、徳川美術館と五島美術館が所蔵している、
「源氏物語絵巻」の復元を観ることができた。
「よみがえる源氏物語絵巻」。

サンリツ服部美術館。諏訪市。2007年。

原画は、はく落したり、色があせたりしているが、
最新の科学技術と現代の画家の技によって、
平成版」、19図がよみがえっている。
それを一堂に観ることができた。

「源氏物語」一千年紀記念切手。2008年。

記念切手から、復元した平成版「源氏物語絵巻」を観ることができる。
日本が誇る美術作品「源氏物語絵巻」が名古屋にある。

名古屋城もランドマークの候補だ。

手前には「本丸御殿」の礎石が並んでいる。2007年。

ここに、本丸御殿を建設している。2010年。

本丸御殿の復元の工事現場を見ることができる。

天守閣も本丸御殿も「国宝」であったが、
第2次世界大戦(1945年)の空襲で焼失した。

名古屋城の天守閣は、1959年に再建された。
しかし、残念ながらコンクリート製で、
国宝や世界遺産への道は閉ざされている。

本丸御殿は、幸いにも、実測図、文献、写真が、
残されているから、当時の工法で復元できる。
2018年に公開予定。

工事現場の壁。

狩野派の障壁画は、空襲を避けるために、
取り外したから、焼失をまぬがれている。
最新の科学技術で復元して、本丸御殿に使う。
復元された一部は、特別展示されていた。

本丸御殿は、優美な武家風書院造で、
京都の二条城の二の丸御殿とならぶ、
というから、期待が上がる。

名古屋は空襲されたが、京都は空襲をまぬがれた。
連合国軍は、京都の歴史遺産を守るために、
京都を空襲の対象から外したためである。

二条城の二の丸御殿(国宝)。

原色日本の美術」城と書院。小学館から。

名古屋城の本丸御殿の完成が待ち遠しい。
日本の独自文化だ。
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札幌のランドマークは時計台

2010-10-20 00:05:07 | Weblog
札幌のランドマークは、「時計台」。

時計台は、大自然の中にあることを夢見て訪れるが、
実際は、札幌の繁華街にあって、高層建築に埋もれている。

木造で、予想よりも小さいが、北海道開拓時代の面影がある。
日本で一番古い時計台。国の重要文化財になっている。
観光客は訪れて、古い時代にロマンを感じる。

時計台は、北海道大学の前身、札幌農学校の演武場だった。
時計台だけがここ、札幌駅の南に残り、
北海道大学は、札幌駅の北に移動した。

札幌遊覧の馬車。

「時計台の街札幌」とある。

札幌は、電柱、電線が少ない。

札幌市街では、多くの電線は埋められている。

ポプラ並木、北海道大学。

田園を撮ると、電柱が入るものだが、ここでは見つからない。

石狩平野で電柱と鉄塔を見た。

札幌から旭川へ向かう電車から。苗穂付近で。
よ~く見ると、低い電柱が奥の田んぼに、
鉄塔が丘の手前を走っている。

松本の田んぼを見ると、電柱だらけ。

「田んぼにサギがいる!」
と、撮ったもので、電柱をねらったわけでないが、電柱だらけ。
道路があれば、それに沿って電柱があるから、縦横にある。
それに、鉄塔が、山の手前と、奥の山を走る。

札幌はプラニング(都市計画)があって、開発された。
東西の道路は、大通公園に平行に、
南北の道路は、創成川と平行に走っているから、
市街は碁盤の目のように整然としている。

特に「大通公園」は、幅が105メートルあって、
開拓当時から、日本では異例の大通りであった。
その大通公園は、札幌市民の憩いの場であり、
「さっぽろ雪まつり」の主会場になる。

ラーメン横丁。

外国のお客さんにとっても興味深い。

札幌には、東南アジア、オーストラリアからの観光客が多い。
「大自然と涼しい気候や雪景色を味わい、雪祭りを見たい。
札幌には直通便があるから便利だ。それに、時差がない」
と、大きな利点だ。
「スキーが体験できた。それに、ラーメン、
サッポロ・ビール、うに・いくら丼がおいしかった」
と、東南アジアの人は喜んでいた。

旧道庁。重要文化財。

赤いレンガの旧道庁を見ようと、観光客が訪れる。
右奥のビルディングが現道庁。左奥は北海道警察本部。

旧道庁の中の道路を、カモが横切る。

「向こうから渡ってきた」
と、お婆さんがニコニコしながら指差す。
人と自然、伝統ある文化が調和する街であってほしい。

東京も、京都も、「調和も統制もない」街になったが、
日本人によるプラニング(都市計画)であっても、
すばらしい街ができることを示してほしい。
ほかの街のお手本になるような。
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奈良のランドマークは東大寺

2010-10-17 00:10:17 | Weblog
奈良のランドマークは、「東大寺」。

東大寺の南大門は迫力がある。

荒削りがいいね。
外国からの観光客も多い。

仁王の形相がすさまじい。

世界で一番怒っている姿だ。
東大寺は世界遺産である。


奈良駅の旧駅舎はどうなるのか? 気になっていた。2008年。

相輪(そうりん)を持って、古都をイメージする旧駅舎は、
フェンスで囲われて、中に入ることはできなかった。
右奥には、踏切があって、電車は地上を走っていた。
その上は、高架の工事中だった。

京都駅のように、巨大で無機質な箱ものができるのだろうか?

奈良駅は、そうなってほしくなかった。

旧駅舎の左では、新駅が建設中だった。2008年。


どんな奈良駅ができるのか?
旧駅舎は、取り壊されるのか?
平城遷都1300年記念で、平城宮の朱雀門や、
新たにできた大極殿(だいごくでん)も気になるが、
奈良駅は、どうなったか? 真っ先に、見たかった。

旧駅舎は、遺っていた。2010年。

うれしかったな!
奈良市総合観光案内所になっていた。
観光案内をしてもらい、「ようこそ奈良へ」のマップをもらった。
インターネットも使用できた。

奈良駅は左にできていた。
巨大で無機質な箱ものではなかった。

旧駅舎は、奈良駅の顔に見える。
もし、旧駅舎がなければ、どこにでもある駅になってしまう。

旧駅舎を基点に、春日大社の参道である三条通りが東に伸びている。
多くの観光客が、この三条通りを通って、世界遺産である、
興福寺、東大寺、春日大社、元興寺を見に行く。

旧駅舎の右奥の踏切はなくなり、高架になっていた。
西側から見た新駅。

「青丹よし」で、5色になって、どこにでもある駅と区別していた。

乗り合わせたタクシー・ドライバーに、
「旧駅舎が遺っていて、ホッとした」
と、言うと、
「旧駅舎は、1億円かけて移転した」
「市議会で、遺すか、潰(つぶ)すかで、モメた」
と、説明してくれた。

「レールの上に乗せて、ゆっくりと移動していた」
と、タクシー・ドライバーは言うが、
見たかったな!
報道すればいいのに。
それにしても、旧駅舎を遺して良かった。
文化を大事にする奈良市民の選択だ、叡知だ。

興福寺、国宝館のチケット。

仏頭や阿修羅像、金剛力士像を観ることができたのは、うれしかった。
伝統文化を大切にする先人が、修理し保全してくれたおかげだ。

それに、興福寺の五重塔の中と、薬師寺の東塔の中を観ることができた。
これは、平城遷都1300年のおかげだ。
もう観る機会はないだろう。

復元された大極殿、平城宮跡。

壮大な平城宮を建設した先祖を誇りに思う。

それに、平城宮跡の広大な敷地が、
住宅や商業地区になる前に守った明治の人と、
平城宮の遺跡を調査、研究するとともに、
朱雀門、大極殿を再建した今の人も、
奈良の伝統文化に誇りを持っている。

でも、奈良の目抜き通り、三条通りのごちゃごちゃは、
なんとかしてほしい。

家並み、電柱、電線、看板、それに、
電柱にかけた紅葉のもみじの造花で醜い。
世界遺産となった昔と、今の美意識では、ギャップが大きすぎる。

「平城遷都1300年の古都だ」
「これから世界遺産を見に行くんだ」
「古都の文化、日本を代表する文化だ」
「興福寺、東大寺、春日大社、元興寺が見られる」
と、予感させ、わくわくする参道にしてほしい。
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長野のランドマークは善光寺

2010-10-13 00:10:13 | Weblog
長野のランドマークは「善光寺」。

7年に1度の「御開帳」、本堂。2009年。

「回向柱」(えこうばしら)に触ろうとする人、人、人……。
全国からお参りに来る。

「前立本尊」(まえだちほんぞん)を7年に1度、御開帳する。
回向柱に触ることで、前立本尊の中尊阿弥陀如来の右手と、
結びつきができる。
回向柱に触れてからは、本堂の前立本尊をお参りする。

前立本尊の写真を撮ることはできない。
しかし、善光寺のとなりにある信濃美術館では、
善光寺式の三尊像が、ドイツから里帰りした。2009年。

「善光寺信仰展」のチケット。
信濃美術館も、にぎわっていた。
御開帳されることのない「本尊」を予想する。

大僧正(赤い傘の下)のお数珠を頂戴しようと、
頭を下げて待つ参拝者の列。本堂の前。うしろは山門。2008年。

寒い雪の上で、お数珠が頭に触れる幸運を祈りながら待つ。

仲見世通り。奥は仁王門。

電柱、電線を取り払って、景観を良くしてある。

長野オリンピック(1998年)によって、
長野は、世界の“NAGANO”になった。

そのNAGANOのランドマーク「善光寺」を、
一目見ようと、外国人も訪れる。
「牛にひかれて善光寺参り」?
金堂の手前の山門で。2009年。

そして、「日本の文化」に触れる。
善光寺は世界遺産を目指す。

しかし、感激しないことがある。
それは、善光寺の玄関口、長野駅

長野新幹線の長野駅の正面。
長野オリンピックの開催にともなって、開設した。
左右にあるエスカレーターで改札口に上がる。

この長野駅には、わくわくしない。
「NAGANOのランドマークは善光寺だ!」
「そのNAGANOに、ついに来たんだ!」
門前町の文化の香りがする!」
という「NAGANOらしさ」を、感じさせない。

プラスチックを使い、薄っぺらい駅だ。
前の長野駅は、善光寺をイメージするもので、
どっしりしていた。
「門前町」長野に来たんだ!
これから、善光寺へ行くんだ。
と、期待が上がってきた。

新しい長野駅は、善光寺らしさを取り払った。
「門前町」の長野NAGANOに来たんだ、
ということを、感じさせないようにした。
長野の良さ、日本の文化の良さを、
知らせたくない人が、造ったのだろうか?

世界遺産を目指す善光寺の、玄関口である長野駅から、
善光寺の文化の良さを予感し、わくわくしたかった。
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東京のランドマークは東京タワー

2010-10-10 00:03:02 | Weblog
東京ランドマークは、「東京タワー」。

夜の東京タワー。


パリのランドマークは、「エッフェル塔」。

夜のエッフェル塔。

どっちが東京タワーで? どっちがエッフェル塔?
1889年にパリにエッフェル塔が建設されてから、
69年後の1958年に、東京タワーを建設した。
当時の東京は、パリを目指していた?


ラス・ベガスには、エッフェル塔のコピーがある。アメリカ。

エッフェル塔を縮尺した。
「凱旋門」のコピーもあって、パリを再現した。

ラス・ベガスには、水の都ベニス(イタリア)の再現もある。
ゴンドラに乗った運河巡りは、観光客に人気だ。

砂漠にこつぜんとできた「不夜城」ラス・ベガス。
カジノとエンターテインの不夜城は、
建物もネオンサインも、すべてが奇抜、巨大、ド派手だ。
遊びに来たお客さんの度肝を抜けばいい。
なんでもありの街だ。


エッフェル塔はパリ万博(1889年)の目玉として造られた。
当時は、30年後に取り壊されることになっていた。

パリ旅行では、必ず行くところ、エッフェル塔。
わくわくしてエレベーターで昇って、パリ市街を眺める。

エッフェル塔はパリのランドマークになった。
エッフェル塔を取り壊す話は、今では、まったくない。


「東京のランドマーク『東京タワー』を見たい」
と言って、日本に来る外国人はみたことがない。
東京タワーは、日本の独自文化とは思っていない。
エッフェル塔のマネだと思っている。
パリで本物を見ればいい。
日本まで、わざわざ来る必要がない。

東京を概観するために、東京タワーに上った外国人は、
「おもちゃ箱をひっくり返したような街だ」
「調和も統制もない」
と、言っている。
東京の都市計画も景観も、ダメ! と言っている。


ホテルから見た新宿副都心方面。


「東京スカイツリー」が、姿の一部をあらわした。

上野の国立博物館から見えた東京スカイツリー。

東京スカイツリーは、エッフェル塔のマネではない。
独自デザインだ。よかった!  よかった!

東京タワー(1958年)から、東京スカイツリーまで、
独自デザインに半世紀以上かかった。


「Time Out」という、世界の都市の魅力を紹介する旅の情報誌(イギリス発行)がある。
見どころやお楽しみ、ショッピング、レストラン、芸術、ホテルが載っている。
東京の表紙は、見苦しい電線と広告看板だった。

東京の表紙が、これと似た、見苦しい電線と広告看板では悲しい。
これでは、「さぁ、東京に行こう!」という気にならない。


「Time Out」は、東京の表紙に、
東京のランドマーク「東京タワー」を、
使うわけにはいかなかっただろう。
パリのエッフェル塔と同じになってしまう。


東京で、外国人が行くところは、「皇居」。

北の丸公園。
外国人が団体で訪れる。

それに、「秋葉原」の電気街や「浅草寺」。

「Time Out」の東京の表紙は、せめて「浅草寺」にしてほしかった。
日本の伝統文化がある。
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京都のランドマークは金閣寺

2010-10-06 00:00:10 | Weblog
京都のランドマークは、「金閣寺」。

平山郁夫画伯は、平成の洛中洛外図の中で、金閣寺を描いている。
「静夜鹿苑寺金閣」。

水野美術館 所蔵。長野市。絵はがきから。

「東方見聞録」でマルコ・ポーロは、
「ジパングZipanguは金が豊富で、宮殿の壁や床は金でできている」
と、日本を世界に紹介した。
「ジパングの金閣寺はどんなか?」
と、世界の人はわくわくして見に来る。

昼の金閣寺。

外国人観光客用の日本の絵はがき。

JAPANを代表する金閣寺である。
日本の絵はがきとして、ほかに、「すし」、「松本城」、「富士山と新幹線」が、
デパートメントで売っていた。


絵はがきのような、すばらしいお寺や神社、庭園のあとでは、
人が息づく街」、京都らしい町並みも見たい。

東山魁夷画伯は、京都の町並みを描いている。

「年暮る」
京都のこうゆう町並みをさがしたい、見たい。


歴史のある町並みだと思う。


貸し自転車で、
「一番古い町家が並ぶところは、どこですか?」
と、京都の人に聞きながら、さがしてみた。

「古い家が、ちょこちょことあります」
と、教えてもらったところ。

古い町家は、高層建築や電柱、駐車場と同居している。


「京都タワー」について、
アレックス・カー氏(東洋文化研究家)は著書、
「美しき日本の残像」朝日文庫で、つぎのように書いている。

京都に初めて来たお客さんなら、まず京都タワーを見て、
「あの変なタワーは何だ?」
と聞きます。
「これは京都市民が、町の瓦屋根があまりにも古くさいイメージなので、
世界に京都のモダンなイメージを訴えるために造りました」
「京都タワーができたことによって、
京都の屋根並みが劇的な致命傷を受けてしまいました」


司馬遼太郎さんは、
「京都人が京都駅前にローソクの化けもののような京都タワーを、
出現させたときは仰天した」
と、書いている。
(「美しき日本の残像」が、新潮学芸賞を受賞した選評で)


つぎに、「京都駅」について。
アレックス・カー氏は、
「日本の伝統文化を活かした地域づくり」の講演で、
「京都駅の設計を公募したが、結局、現在の高層箱ものを選んだ。
三十三間堂をイメージした仏閣案も、最後まで残っていたのだが」
と、残念がっていた。

京都を訪れる外国人にとっても、玄関口である。

アレックス・カー氏は、
「犬と鬼」講談社で、京都駅について、書いている。
「京都タワーによるダメージを払しょくして、
文化都市としてのイメージを回復する絶好のチャンスだったのだが」


「1500億円をかけた新しい駅は、建設ブームの日本でも、
屈指のスケールであり、京都タワー、京都ホテルなど足元にも及ばない。
線路に沿って500メートルの幅で、巨大な灰色の軍艦ビルがのしかかる。
戦後の京都の慣わしにしたがって、街の歴史を力強く否定し、
世界に向かって、否定を大声で叫んでいる」


「京都のように歴史のある街では、
デザインの質を考えなくてはならない。
これではまるで倉庫か刑務所のようだ」
と、地元の建築家の言葉も載せている。


そして、「京都」について。
アレックス・カー氏は、
「美しき日本の残像」朝日文庫で、
「京都の醜さは意図的なものです」
「京都はわざと京都の文化を壊しています」
と、言っている。

「京都の破壊は凄まじいものであって、
『今の日本人は昔の美に対して何らかの恨みを、
持っているのではないか』と考えるようになりました」


文豪川端康成は、
「京都を描くのなら、今のうちですよ」
と、東山魁夷画伯に言っている。


東山魁夷画伯は、京都の街を描いている。
「古い家のない町は、思い出のない人と同じです」
と、言っている。

「花明り」。東山魁夷館、長野市。
円山公園のしだれ桜と月。

東山魁夷画伯は、自然と人間がともに生きる京都の姿を、
絵の中に残そうと描いた。「東山魁夷-生誕100年-展」、2008年。


アレックス・カー氏は、
「犬と鬼」講談社で、京都について、つぎのように書いている。
「京の街は、フィレンツェやローマに並ぶ文化都市として、
世界の人々に愛されていた」
「第二次世界大戦の末期に、連合国軍司令部が京都を、
空爆対象からはずしたのもそのためだ」

「新しい建築物を古い家屋に調和させるノウハウがないので、
木造家屋はブリキとプラスチックで無神経に修復され、
また古い家屋を必死で残そうと努力しても、
周囲には電線や看板やパチンコ店があふれている」

「日本は『古い=不便』と『新しい=味気ない』という、
両極端のあいだで引き裂かれている」
「この断絶を埋めるものがなにもない状態、
それが現代日本の街の風景だと言えるかもしれない」


日本の古民家を再生する建築家、カール・ベンクス氏は、
「日本人は、宝石を捨てて、砂利を拾っている」
日本人が、昔の京都の町並みを壊した
と、言っている。


日本人も外国人も、同じことを言っている。
「伝統文化と発展を、調和させることができなかった」
「日本人が、京都の町並みを壊した」
「手遅れだが、再生を考えよう」
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アメリカ、イギリス、日本の住環境

2010-10-03 00:01:17 | Weblog
アレックス・カー氏(東洋文化研究家)が、
「日本は、日本の伝統や文化を切り捨て、自然を破壊しながら、
無秩序に開発を進めてきた。このために、世界の中で、
醜い国』の一つになってきている。問題は、このことに、
日本人気付いていないことです」

「先進国の都市と町で電線を埋めてないのは日本だけであって、
日本の町の独特のごみごみした雰囲気はそのせいです」
と言う。

そこで、アメリカ、イギリス、日本の住環境を、住んだ家で比較する。


ロス・アンジェルス。2000年撮影。

借りた家は木造で古い。
家賃は、会社の住宅手当の規定におさまった。

電柱が家の左に見える。
それと、丘の上にも点々とならぶ。
しかし、ごみごみと醜いほどではなかった。
目の前に電柱や電線があって、景色をさえぎったり、
空をおおったりはしていなかった。


あるとき、見知らぬ人が、家の設計図を片手に、玄関のベルをならした。
改築したいので説明して、近隣の人の了承を得たいのです」
と言う。

我が家からは離れていて、見えない家だった。
それに、おつき合いもなかった。しかし、
その近隣の人は設計図を広げて、一生懸命、説明した。
「家のデザイン高さが、
自然や周囲の景観との調和を保つものです」

設計図や説明には、問題がなかった。
それで、了承して、設計図にサインをした。

そして、
「いい家を建ててください」
と言うと、顔がほころんだな。
得体のしれない借家の日本人から、
了承が得られて、ホッとしていた。
「近隣十数軒の了承を得る」
と言う。

家を建てるには、周囲との調和に、
近隣の人の了承が必要だ。
みんな、自分の街に愛着を持っている。
コミュニティCommunity(地域社会)の一員として、
景観や住環境を大事にし、守ることは、当たり前のことなんだ。

突然、高層建築が建ったり、
広告看板が建つことは、あり得ない。
それが、自分の土地であっても。


ロンドン。1988年。

家賃が住宅手当の規定を超えてしまう。
それで、オーナーと話をして、
まけてもらって、借りることができた。

電柱、電線はまったく見当たらない。
家は半世紀前の石造りと古いが、
中は改装(リファービッシュ)してあったため、
使い勝手のいいキッチン、じゅうたんのバス・ルーム、
空気を汚さないスチーム暖房など、快適だった。

それに、バック・ヤード(手前)が広かった。
息子とテニスのボレーができた。
ときどき、ボールがお隣にとびこんだが。

リスが庭のブラック・ベリーを食べに来た。実をもいで、
立ちあがって、モグモグ食べる姿が可愛いかった。
この住環境が、すっかり気に入った。

それに、近くの並木道も気に入った。1990年。

街灯はあっても、電柱、電線はまったく見当たらない。
並木道を通って、朝晩、眺めるのはうれしかったな。

お隣のご主人が、病気療養中であったが、亡くなられた。
訪問して、奥さんに哀悼の意を示すとともに、
「なにかあったら、お手伝いをします」
というメッセージを手渡した。
奥さんは、胸をつまらせていた。
「ありがとう」のメッセージが届いた。

も、隣人も、住環境も、気に入っていた。
しかし、家は古く、改修が必要になって、引っ越した。


ロンドン。2000年。

レンガ造り。窓やドアは白。
周りの家もレンガ造りで、調和がとれていた。

家は新しく、家賃が高かったが、不動産やの許可を得て、
ニューヨークに転勤になったオーナーと話をして、
まけてもらった。

電線が、右上から煙突の方向に走っている。
ごみごみと醜い、というほどではなかった。

フロント・ヤードには3本の白樺(写真では2本)があり、
バック・ヤードには太いオーク(屋根の右奥)があった。
オークは、3匹のリスの遊び場だった。
ここの住環境も気に入った。


松本。家の窓から。2007年。

電柱と電線が空をおおう。
ごみごみと醜いではないか!
山(左下)や空、景色は、電線の間から見る。
こうゆうことは、アメリカでも、イギリスでも、なかった。

4本の電線が家に敷かれている。
右からケーブル・テレビ(右~上へ)、
光ケーブル(右下~左上に横切る)、
電力線(電柱の上部~左上に垂れさがっている)、
そして、電話線(電柱の下部~左へ)。

電柱は、電力線のほかに、電話線、
光ケーブル、ケーブル・テレビを兼ねている。
ケーブル・テレビは、前の住人用だったが、そのまま残っている。
光ケーブルを敷いたから、電話線は要らなくなったが、そのまま残っている。

もし、大きな地震があれば、
電柱のトランスが落ちたり、
感電したり、電柱が倒れるのだろう?
電柱が倒れてくれば、我が家はペシャンコ。
阪神・淡路大震災では、倒れた電柱や電線は、
避難や救助、消火活動の妨げになっていた。

電線を埋めずに、工事費を倹約しているから、
電気料金は、安くなるのかな? と思うが、
日本はアメリカやイギリスの2倍だった。
とりわけ安くなかった。とりわけ高かった。
日本は、電気料金が高く、景観が悪く、危険ということになる。


アメリカで日本のような電柱をさがした。
スコッツデール、アリゾナ州。1985年。
冬でも雪の降らないスコッツデールは避寒地。

電柱は木だった。
そして、電力線と電話線が走っている。
ハイウェイ沿いで、奥の住宅とは離れているから、
目ざわりにはならないのだろう?
今はどうなっているのかな?

アメリカにも鉄塔がある。
スコッツデール、アリゾナ州。1985年。

ボケていて、すみません。
市街では鉄塔を見ないが、
砂漠を走っていると、目の前に鉄塔が広がった。
運転しながら、あわてて撮った。左の白は対向車。

日本の鉄塔。
山のほかに、平地も縦横に走る。
公園の横。長野市、2010年。

公園では、子どもがボール遊びをしている。
鉄塔は、ここでTの字型に、左右と奥に伸びる。

左右に伸びた鉄塔。

田んぼでは、農家が脱穀をしている。
そして、鉄塔は、市街に伸びていく。


美しい街、サンタ・バーバラ、カリフォルニア州。

教会のタワーから撮った町並み。1986年。
電柱、電線は、写真には写らない。

プラニングがあって、街をつくり、
屋根はスペイン瓦、壁は白と、
色調の統一をした。
それに、広告看板はない。

住人は、調和のとれた住環境を守っている。
高層建築が建ったり、
広告看板が建つことはない。
高層建築や広告看板が、
モダンとか、
すばらしいとか、
生活の質を向上させるとか、
とは、思っていない。
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