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戦争ポスターは焼却せよ

2012-08-19 00:02:12 | Weblog
昭和20年(1945年)8月15日に終戦、
昭和20年9月2日に無条件降伏をした。

戦争ポスター」は焼却せよ、
と国の決定があって、「戦争ポスター」は焼却された。
焼却されたはずだった「戦争ポスター」が、
長野県の阿智村から135枚が、まとまって見つかった。

長野県立歴史館(千曲市)の企画展、
戦争と宣伝 阿智村ポスターが語る」では、
阿智村で見つかった「戦争ポスター」135枚のうち、
72点が展示された。複製品ではなくオリジナルである。

2012年7月28日~9月2日開催。
「戦争と宣伝 阿智村ポスターが語る」のリーフレットから。

焼却命令がでたはずの「戦争ポスター」が、
どうして阿智村に残っていたのだろうか?

「戦争ポスター」が阿智村に残っていた謎は、
阿智村役場を訪れたとき(2012年6月)に、
課長が説明してくれた。ありがとうございます。

「阿智村の原 弘平 元村長が、
保存していた戦争のポスターで、
国や県から、村に張るように配られた。
戦争ポスターは、終戦直後に破棄を命じられたが、
尊い教材になると考え、命がけで蔵に保管した』、
痛んでいるものもあるが、保存状態はいい」

「戦争ポスター」を見つけたのは、元村長の孫である。
1994年の発見だから、1945年の終戦から半世紀たっていた。
蔵のはりの上に置いて、下から見えないように隠してあった。
「戦争ポスター」は、1937年~1945年までの135枚。
「戦争ポスター」は、阿智村に寄託され(2010年)、
村役場の保管庫に移されていた。

長野県立歴史館の企画展「戦争と宣伝 阿智村ポスターが語る」を見た。
1)「国民精神総動員」
2)「銃後の後援強化」
3)「貯蓄運動・金属供出」
4)「労務動員」
5)「志願兵募集」
6)長野県独自の制作、
などから構成されていた。
内容は予想がつくでしょうか?

1)「国民精神総動員
戦争の賛歌と、協力運動である、
「国民精神総動員運動」を閣議決定して、
政府は人の心をつかみ、
戦争に反対できないように、
雰囲気づくりに力を注いだ。

国民精神総動員強調週間」。

「特輯放送番組」、「日本放送協会(NHK)」。

規則正しい生活をして、心身を鍛え、
戦争に備えるようにした。
軍国主義国家への確かな歩みである。

2)「銃後の後援強化
傷病軍人の扶助、派遣軍人家族の慰問、
戦没者の遺家族は「誉の家」と呼ばれて尊ばれた。

「戦争と宣伝 阿智村ポスターが語る」のリーフレットから。

3)「貯蓄運動・金属供出
戦争費用を調達するために、貯蓄を奨励し、
国債の購入を呼びかけ、金属の供出を促した。

貯蓄達成運動」、1940年。

「120億円」、「大蔵省 道府県」。

まゆ生産 1100万貫 確保」、1939年。

「長野県」、「長野県蚕糸業同盟会」。
1100万貫 は4.2万トンになる。

生糸」は外貨獲得の稼ぎ頭だった。
つぎにお茶、そして、マッチだったから、
生糸、お茶、マッチで稼いだ金で戦争に挑んだわけだが、
生糸は、ほかに「パラシュート」の材料として貴重であった。

国債を買って、戦線へ弾丸を送りましょう」、1941年。

「支那事変国債 郵便局売り出し」、「10月24日⇒11月4日」、「大蔵省 逓信省」。

4)「労務動員
労務動員」。

「集れ 輸出繊維工業へ」、「厚生省 財団法人職業協会」。

5)「志願兵募集
満蒙開拓青少年義勇軍募集」。

「往け若人! 北満の沃野へ!!」、「詳細は市町村役場へ」、「長野県」。

青年は、北満に国旗を掲揚し、
後ろでは、ヤマトタケル? が右手に弓、左手に剣を持っている。

「満蒙開拓青少年義勇軍」とは、
15歳~18歳の青少年を募集し、
茨城県の内原訓練所で、3ヶ月訓練してから、
「北満」、つまり、ソ連国境の奥地へ送り込み、国境警備にあてた。

長野県は、「満蒙開拓青少年義勇軍」を、
日本一多く満州に送り出している。それに、
「満蒙開拓団」も日本一多く送り出している。

「満蒙開拓平和記念館事業準備会」のリーフレットから。

「満蒙開拓青少年義勇軍募集」のポスター(長野県制作)は、
「満蒙開拓青少年義勇軍」の募集に、大いに貢献したのだろう。

満州に渡った「満蒙開拓青少年義勇軍」の運命は?
ソ連の満州侵攻(昭和20年8月9日)で、地獄の逃避行をし、
シベリアに抑留され、飢え、寒さ、重労働、
発疹チフスで死亡したり、行方不明になって、
生きて日本へ帰国できた少年は半数以下だった。

阿智村ポスター」の印象はつぎである。
☆半世紀たったとは思えないくらい保存状態がいい。
 半世紀たつと退色するものだが、セピア色ではない。
☆多色刷りである。グラデーションもある。
 物不足にもかかわらず、金がかかっている。
 戦争中の印刷といえば、モノクロが普通だから、
 カラー印刷は破格の扱いと考えていい。パッと目につく。
☆デザインがいい。
 人目を引く。内容がすぐにわかる。
☆大きい。
 およそ、縦91センチ、横61センチある。
☆紙質は良い。
 物資がないときにもかかわらず良質。それに分厚い。
☆著名な画家の作品がある。
 著名な日本画家、彫刻家、写真家を使った。
☆長野県独自の制作がある。
 輸出の花形である生糸の増産、満蒙開拓青少年義勇軍の募集、
 疎開者の受け入れ方を漫画入りで説明したポスターなどがある。

戦争のプロパガンダ(国策の宣伝)として、国や自治体は、
「戦争ポスター」には、力を入れていたことがわかる。
そして、「戦争ポスター」を村役場、中学校ほかに配って、
戦意の昂揚をはかり、軍国主義国家への道を進める。

「戦争ポスター」は焼却せよ、というが、
本当に、公式の命令が、あったのだろうか?
そして、焼却の命令は、いつだった?

「機密重要書類」を焼却せよ、という通達があった。

長野県から各市町村長に宛てた通達、
機密重要書類焼却の件」である。松本市文書館で。

「機密重要書類」を焼却せよ、の通達は、
昭和20年8月18日の発行である。
昭和20年8月15日の終戦の3日後で、
昭和20年9月2日の無条件降伏の前になる。
軍・政府はあわただしく動いた。

「機密重要書類焼却の件」では、
「各種機密書類」、「物動関係書類」、
統計印刷物」などの、焼却を命じている。
そして、学校や各種団体に通達すること、
この通達そのものも焼却することを命じている。

政府は1945年8月14日に、
「国や自治体の機密文書の廃棄」を閣議決定した。
戦争はなかったものにしようと、
戦争に関する一切の資料を焼却して、
戦争を歴史から消し去ろうとした。
軍と官僚による戦争の証拠隠滅である。
占領軍GHQの調査が始まるまえに、焼却を急いだ。
そして、軍関係、町村役場、学校、地域では、
数日をかけて重要書類を焼却、廃棄した。

「機密重要書類焼却の件」とは別に、昭和20年8月21日に、
「戦争ポスター」は焼却せよ、という通達を、わざわざ出している。
「機密重要書類」は焼却せよ、の通達は昭和20年8月18日だから、
「戦争ポスター」は焼却せよ、の通達は3日後である。

長野県から各市町村長に宛てた通達、
大東亜戦争関係ポスター類焼却の件」である。松本市文書館で。

「大東亜戦争関係ポスター類焼却の件」では、
戦争ポスター」の焼却を命じている。
そして、学校や各種団体に通達すること、
この通達そのものも焼却することを命じている。
「戦争ポスター」があったことの公式文書である。

「機密重要書類焼却の件」と、
「大東亜戦争関係ポスター類焼却の件」は、
長野県東筑摩郡の今井村役場(現在の松本市今井)の、
昭和20年 庶務関係書類綴」の中に入っていた。松本市文書館で。

重要な文書類を収集、保管し研究している「松本市文書館」の、
小松館長が見つけられた(1998年ころ)。

この「昭和20年 庶務関係書類綴」は、
終戦60周年の2005年8月に、
「新宿歴史博物館」の「平和展」に展示された。

「昭和20年 庶務関係書類綴」が、
2005年8月に展示されたのを契機に、
ほかの県や市町村から、調べなおしたところ、
「わが県でも、『機密重要書類焼却の件』や、
『大東亜戦争関係ポスター類焼却の件』が見つかった」
とは、聞いていないから、他県では完全に焼却したのだろう。
「機密重要書類」を保管するという、危険を冒すようなことはできなかった。
当時、軍は絶大な権力を持ち、逆らうことは恐怖であり、
自治体の長であっても、身に危険がおよぶ。

戦争に関する一切の資料、一切の歴史を焼却したから、
各県の「県史」は、戦争時期の歴史、記述はなくなっている。
それか、聞き取り、個人の日記や記録、写真に頼った「県史」になっている。

もし、「県史」に統計的な記録が連続するならば、それは、
「機密重要書類」を焼却から回避することができた県である。
「長野県史」を見ると、昭和14年~昭和20年の統計資料には、抜けが多い。
みなさんの「県史」はいかがでしょうか?
歯抜けか、統計表自体がないと思う。

宮崎県に「県経済史」がある。
国力を推定できる統計資料は、すべて焼却せよ、内務省
という電報が宮崎県知事に届いていた。しかし、
膨大な統計資料は、宮崎県再建の指針となる、
と考えた職員は、自動車で家の納屋に運び込んで隠した。
その結果、「県経済史」を作ることができた。
統計資料以外の「機密重要書類」は、
県庁横の広場につくったごうで、
斧(おの)で壊し、火をつけ、一週間かけて灰にした。
「松本市文書館講座」の「昭和20年8月の文書廃棄」、2012年8月8日から。


「戦争ポスター」は廃却せよ、という通達は、
「松本市文書館」(松本市)へ行けばいい。
「昭和20年 庶務関係書類綴」が残っていて、
「大東亜戦争関係ポスター類焼却の件」を見ることができる。

戦意の昂揚、プロパガンダを見たければ、
「戦争ポスター」がある。
長野県立歴史館(千曲市)の企画展、
「戦争と宣伝 阿智村ポスターが語る」で、
72点のオリジナルに会うことができる。

長野県の「松本市文書館」(松本市)と、
長野県立歴史館(千曲市)へ行くと、
戦争の証拠隠滅を図った通達、
機密重要書類焼却の件」と、
大東亜戦争関係ポスター類焼却の件」、
証拠隠滅を免れた「戦争ポスター」が、
戦争、歴史の資料として残っている。

阿智村元村長の、
尊い教材になると考え、命がけで蔵に保管した戦争ポスター」は、
半世紀たって、「」の中から日の目を見て、歴史の尊い教材になっている。
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