東山魁夷の最も好きな町の一つ、ザルツブルク。
東山魁夷は、「京洛四季」を描き終わると、
ドイツ・オーストリアの旅にでた(1969年)。
そして、大作が生まれている。
ドイツでは、「緑のハイデルベルク」(1970年)、
オーストリアのザルツブルクでは、「雪の城」(1970年)。
「雪の城」。
東山魁夷は、「ホーエンザルツブルク城」を雪景色として描いた。
「降り積もった雪の樹間に遠く眺めた幻想的な構成を、
心の中で創り出したものである。
私が訪れたのは夏である」
と、東山魁夷は言っている。
「東山魁夷画文集」、新潮社から。
「ホーエンザルツブルク城」を眺めた写真がある(1989年)。
「ザルツブルクで最も美しい眺めの一つ」
と、東山魁夷が言う、
ミラベル宮殿の庭園から、
ザルツブルクのランドマーク、
「ホーエンザルツブルク城」を見た。
手前の青いドームは、ザルツブルク大聖堂。
東山魁夷のドイツ・オーストリアの旅は、
1969年の4月から9月。東山魁夷61歳。
「旅のすべてのスケジュールを、
ザルツブルクの音楽祭に合せた」
「モーツァルトへの旅は、私の多年の念願であった」
と、チケットは日本で手配した。そして、
ザルツブルクを、旅の最後の地にした。
モーツァルトの生誕地、「ザルツブルク」を、
東山魁夷はつぎのように言っている。
「モーツァルトの音楽にとって、
ザルツブルクに生まれたことは、
決定的なものであると思われる」
「ザルツブルクの町、その歴史と性格、その地理的位置、
建物のたたずまい、周辺の清楚な風景、すべてが、
モーツァルトの音楽を育てる土壌であり、
養分になっているに違いない」
東山魁夷は、
世界遺産であるザルツブルクの街で、
「ザルツブルク音楽祭」を楽しみ、
モーツァルトゆかりの地を訪ねている。
モーツァルトの生家(ザルツブルク)、
モーツァルトの母の生家(ザンクト・ギルゲン)である。
これらを、写真で見る。
「ザルツブルク」の街並み。ホーエンザルツブルク城から(1989年)。
ザルツァッハ川の手前が旧市街、対岸が新市街の方向。
青いドームがザルツブルク大聖堂。
その左がフランツィスカナー教会で、
さらに左は、ザルツブルク大学になる。
左手前は聖ペーター僧院教会。
ホーエンザルツブルク城を眺めたミラベル宮殿は対岸で、
ほぼ中央に見える青い屋根に白い壁の大きな建物。
「モーツァルトの生家」、ザルツブルク。
使用したピアノや楽譜がある。
撮影は許可してくれた(1989年)。
「モーツァルトの母の生家」が、ザンクト・ギルゲンにある。
ザルツブルク①から東へ24キロのザンクト・ギルゲン②は、
ヴォルフガング湖③のほとりにある小さな町。
場所を示す番号①、②、③・・・を、
「ザルツカンマーグート主要交通網」(インターネットから)に、
書き入れた。
ザンクト・ギルゲンの「町役場」(1989年)。
「町役場」の広場の円形の花壇には、
バイオリンを弾(ひ)く少年のモーツァルト像がある。
モーツァルトの像は、左の窓と重なっているので、
場所を変えて、モーツァルトの像を撮った。
この「町役場」の東100メートルほどに、
「モーツァルトの母の生家」があって、
「モーツァルト記念館」になっている。
「町役場」の左後方のピークは、
「シャーフベルク山」④(1,783m)。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」の、
オープニング・シーンのロケ地である。
「ツヴェルファーホルン」⑤(1,522m)まで上がる、
ロープウェイが、「町役場」の近くからでている。
「ツヴェルファーホルン」⑤からは、
ザンクト・ギルゲンの街②とヴォルフガング湖③が見渡せる。
ザンクト・ギルゲンの「町役場」から見えたピーク、
「シャーフベルク山」④は右の松の木の奥になる。
ザルツブルク①の東に広がるアルプスの湖水地帯は、
「ザルツカンマーグート」と呼ばれ、
ハルシュタット⑥とダッハシュタイン⑦は風光明媚で、
文化的景観として世界遺産になっている。
ダッハシュタインの山々。
ロープウェイで「ツヴィーゼルアルム」⑧(1,587m)へ上がると、
ダッハシュタイン(主峰は2,995メートル)とゴーザウ湖⑨が眺められる。
ダッハシュタインの氷河地形には夏でも雪がある。
東山魁夷は「ツヴィーゼルアルム」へ登っている。
「ツヴィーゼルアルム」⑧へのロープウェイに乗るには、
ゴーザウ⑩から、南にあるゴーザウ湖⑨に向かったが、
ゴーザウ⑩は美しい村だ(1989年)。
東山魁夷はゴーザウに滞在している。
「ザルツカンマーグートと呼ばれる、
数多くの湖を鏤(ちりば)めたこの地方の風景は、
忘れることができない鮮やかな印象を、
今も私の心に残している」
と、東山魁夷は言っている。
「東山魁夷画文集」から。
「ザルツブルクに生まれた楽聖モーツァルトの音楽に、
ザルツブルクの町は宿命的な影響を与えている」
と、東山魁夷は、
「ザルツブルク」をモーツァルトと重ね、
「夏のザルツブルクを心ゆくまで、味わい楽しんだ」
東山魁夷のザルツブルク、「雪の城」は、
「東山魁夷館」で見ることができた。長野市。
「東山魁夷館」は「善光寺」のとなりにあり、
右手前方向にある「信濃美術館」とは、
レストランでつながっている。
「2008年は東山魁夷生誕100周年」
「東山魁夷館」のリーフレットから。
企画展「生誕100年東山魁夷展」で、
東山魁夷の代表作を、一気に見ることができた。
「東山魁夷館」のリーフレットから。
東山魁夷が、
「最も好きな町の一つ、ザルツブルク」を、
つぎを参照して、書いてきた。
古本屋で見つけた「東山魁夷画文集」(新潮社)、
ザルツブルクを訪れたときに撮った写真、
「生誕100年東山魁夷展」のリーフレット。
東山魁夷は、「雪の城」を、
「ホーエンザルツブルク城を雪の樹間に、
心の中で創り出した幻想」で描き、そして、
「最も好きな町の一つ、ザルツブルク」を、
「心ゆくまで、味わい楽しんだ」
が、伝わればうれしい。
東山魁夷は、「京洛四季」を描き終わると、
ドイツ・オーストリアの旅にでた(1969年)。
そして、大作が生まれている。
ドイツでは、「緑のハイデルベルク」(1970年)、
オーストリアのザルツブルクでは、「雪の城」(1970年)。
「雪の城」。
東山魁夷は、「ホーエンザルツブルク城」を雪景色として描いた。
「降り積もった雪の樹間に遠く眺めた幻想的な構成を、
心の中で創り出したものである。
私が訪れたのは夏である」
と、東山魁夷は言っている。
「東山魁夷画文集」、新潮社から。
「ホーエンザルツブルク城」を眺めた写真がある(1989年)。
「ザルツブルクで最も美しい眺めの一つ」
と、東山魁夷が言う、
ミラベル宮殿の庭園から、
ザルツブルクのランドマーク、
「ホーエンザルツブルク城」を見た。
手前の青いドームは、ザルツブルク大聖堂。
東山魁夷のドイツ・オーストリアの旅は、
1969年の4月から9月。東山魁夷61歳。
「旅のすべてのスケジュールを、
ザルツブルクの音楽祭に合せた」
「モーツァルトへの旅は、私の多年の念願であった」
と、チケットは日本で手配した。そして、
ザルツブルクを、旅の最後の地にした。
モーツァルトの生誕地、「ザルツブルク」を、
東山魁夷はつぎのように言っている。
「モーツァルトの音楽にとって、
ザルツブルクに生まれたことは、
決定的なものであると思われる」
「ザルツブルクの町、その歴史と性格、その地理的位置、
建物のたたずまい、周辺の清楚な風景、すべてが、
モーツァルトの音楽を育てる土壌であり、
養分になっているに違いない」
東山魁夷は、
世界遺産であるザルツブルクの街で、
「ザルツブルク音楽祭」を楽しみ、
モーツァルトゆかりの地を訪ねている。
モーツァルトの生家(ザルツブルク)、
モーツァルトの母の生家(ザンクト・ギルゲン)である。
これらを、写真で見る。
「ザルツブルク」の街並み。ホーエンザルツブルク城から(1989年)。
ザルツァッハ川の手前が旧市街、対岸が新市街の方向。
青いドームがザルツブルク大聖堂。
その左がフランツィスカナー教会で、
さらに左は、ザルツブルク大学になる。
左手前は聖ペーター僧院教会。
ホーエンザルツブルク城を眺めたミラベル宮殿は対岸で、
ほぼ中央に見える青い屋根に白い壁の大きな建物。
「モーツァルトの生家」、ザルツブルク。
使用したピアノや楽譜がある。
撮影は許可してくれた(1989年)。
「モーツァルトの母の生家」が、ザンクト・ギルゲンにある。
ザルツブルク①から東へ24キロのザンクト・ギルゲン②は、
ヴォルフガング湖③のほとりにある小さな町。
場所を示す番号①、②、③・・・を、
「ザルツカンマーグート主要交通網」(インターネットから)に、
書き入れた。
ザンクト・ギルゲンの「町役場」(1989年)。
「町役場」の広場の円形の花壇には、
バイオリンを弾(ひ)く少年のモーツァルト像がある。
モーツァルトの像は、左の窓と重なっているので、
場所を変えて、モーツァルトの像を撮った。
この「町役場」の東100メートルほどに、
「モーツァルトの母の生家」があって、
「モーツァルト記念館」になっている。
「町役場」の左後方のピークは、
「シャーフベルク山」④(1,783m)。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」の、
オープニング・シーンのロケ地である。
「ツヴェルファーホルン」⑤(1,522m)まで上がる、
ロープウェイが、「町役場」の近くからでている。
「ツヴェルファーホルン」⑤からは、
ザンクト・ギルゲンの街②とヴォルフガング湖③が見渡せる。
ザンクト・ギルゲンの「町役場」から見えたピーク、
「シャーフベルク山」④は右の松の木の奥になる。
ザルツブルク①の東に広がるアルプスの湖水地帯は、
「ザルツカンマーグート」と呼ばれ、
ハルシュタット⑥とダッハシュタイン⑦は風光明媚で、
文化的景観として世界遺産になっている。
ダッハシュタインの山々。
ロープウェイで「ツヴィーゼルアルム」⑧(1,587m)へ上がると、
ダッハシュタイン(主峰は2,995メートル)とゴーザウ湖⑨が眺められる。
ダッハシュタインの氷河地形には夏でも雪がある。
東山魁夷は「ツヴィーゼルアルム」へ登っている。
「ツヴィーゼルアルム」⑧へのロープウェイに乗るには、
ゴーザウ⑩から、南にあるゴーザウ湖⑨に向かったが、
ゴーザウ⑩は美しい村だ(1989年)。
東山魁夷はゴーザウに滞在している。
「ザルツカンマーグートと呼ばれる、
数多くの湖を鏤(ちりば)めたこの地方の風景は、
忘れることができない鮮やかな印象を、
今も私の心に残している」
と、東山魁夷は言っている。
「東山魁夷画文集」から。
「ザルツブルクに生まれた楽聖モーツァルトの音楽に、
ザルツブルクの町は宿命的な影響を与えている」
と、東山魁夷は、
「ザルツブルク」をモーツァルトと重ね、
「夏のザルツブルクを心ゆくまで、味わい楽しんだ」
東山魁夷のザルツブルク、「雪の城」は、
「東山魁夷館」で見ることができた。長野市。
「東山魁夷館」は「善光寺」のとなりにあり、
右手前方向にある「信濃美術館」とは、
レストランでつながっている。
「2008年は東山魁夷生誕100周年」
「東山魁夷館」のリーフレットから。
企画展「生誕100年東山魁夷展」で、
東山魁夷の代表作を、一気に見ることができた。
「東山魁夷館」のリーフレットから。
東山魁夷が、
「最も好きな町の一つ、ザルツブルク」を、
つぎを参照して、書いてきた。
古本屋で見つけた「東山魁夷画文集」(新潮社)、
ザルツブルクを訪れたときに撮った写真、
「生誕100年東山魁夷展」のリーフレット。
東山魁夷は、「雪の城」を、
「ホーエンザルツブルク城を雪の樹間に、
心の中で創り出した幻想」で描き、そして、
「最も好きな町の一つ、ザルツブルク」を、
「心ゆくまで、味わい楽しんだ」
が、伝わればうれしい。