福島市の
放射線量2017年。
最初に訪れた2011年、福島市は
汚染されていた。
福島市を歩くと、ズボンのポケットに入れた、
放射線量計が
ピッピッ鳴る。
「
この場所から、すぐに退避しろ! 」
国際放射線防護委員会(ICRP)は、毎時の被ばく限度を、
0.52マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]と定めている。
それで、放射線量計は、
0.50マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を超えると、
ピッピッ鳴るように設定しておいた。
ピッピッ鳴る状況は、南相馬市も同様であった。しかし、
放射線量の値は、福島市の方が、はるかに高かった。
2倍~3倍、ところによっては、20倍以上も。
福島第一原発から、
南相馬市の「原ノ町駅」までは、北に24キロと近い。
「福島駅」までは、北西に63キロと離れているが、
よりひどく汚染されていたのは、福島市だった。
6年経った2017年、福島市は除染が進んで、
放射線量は減少している。
しかし、除染は、やり切れるものではない。
放射線量が高いところは残っている。⑩弁天山、
⑪福島駅西の植え込みのほかに、⑥紅葉山公園でも。
2017年には、うれしくなることがあった。
校庭で遊ぶ児童を、初めて見た。
福島第一小学校、2017年6月29日。
除染の成果だと思う。
⇒放射線量計が、校舎の前にある。
外部からは、放射線量の値を見ることはできないが、
先生は、これで安全を確かめて、児童を外に出しているのだろう。
うれしいことは、ほかにもあった。
女の子と男の子、数人が寄ってきた。
6年生くらいかな? 女の子の方が積極的で、
「写真を撮ってちょうだい
! 」と、ポーズをとる。
元気だ
!
学校は、安全な場所になった。
そして、学業が続けられる喜びを、見る思いだ。
この元気な女の子は、6年前の2011年に、天神橋から、
声をかけられた女の子と重なってくるのだが。
振り返ってみると、2011年9月6日、
福島第一小学校のとなりの県庁前公園には、
放射線量を
警告する看板があった。
左の奥に福島第一小学校がある。
「
公園を利用する皆さんへ」
「
公園の利用は、1日あたり、1時間程度としてください」
実際に、⑦
県庁前公園で測ってみると、
2.65マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。
これは高い
! 汚染されている。
2012年には、この警告板は、
「
お知らせ」に置き換わった。
2012年6月19日撮影。
「この公園は、
除染作業が完了しました。」
後方は、ふくしま南幼稚園。この左は、福島第一小学校。
2013年には、除染作業が完了した「
お知らせ」のほかに、
放射線量が表示されていた。
0.53マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]とある。
2013年7月3日撮影。
2014年には、「お知らせ」はなくなって、
放射線量だけが表示されるようになった。
0.36マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。
2014年6月24日撮影。
2016年には、放射線量は、
0.28マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]になった。
2016年7月1日撮影。
そして、2017年には、
0.22マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]になっていた。
撮影するのを忘れていた。児童が校庭で遊んでいるのを見ていて。
福島市は、この放射線量の測定を、
安全であることの、よりどころにしていると思う。
もう一つ、安全のよりどころがある。
福島市のホームページにある、放射線量の測定データ。
福島市放射線量測定マップ(平成27年2月23日~3月実施)から、
福島駅周辺を含む中心街を作成。
地上1メートルで測定。マス目は、500メートル四方、山間地は1キロ四方。
放射線量-例。
福島市を訪れていたのは、①~③、
①福島駅周辺、0.23~0.5マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
②福島県庁周辺、0.23~0.5マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
③弁天山公園周辺、0.23~0.5マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。
2011年に、初めて福島市を訪れた。そして、放射線量を測定した。
それから、2017年まで、福島市を訪問すること10回。
「福島市の放射線量201X」を9回、記載してきた。
2013年から、放射線量が減少し始めている。
「福島市の放射線量201X」を目にする機会があって、
除染されたのならば、福島市民のお役に立てたようで、うれしい。
「福島市の放射線量2013年」では、つぎのように記載している。
「もし、このブログを、目にする機会があって、
福島駅前を除染したのならば、
ブログが役に立ったようで、うれしい」
今回の2017年で、最後にしたい。
終えるにあたって、最初の2011年を振り返ってみる。
あわせて、福島市民の声を、記します。
もう少し、おつきあいください。
2011年3月11日に、東京電力の福島第一原発が、
メルトダウンしてから3か月後の、2011年6月30日。
訪れた福島市は、
南相馬市よりも、ひどく
汚染されていたが、
福島市は、ゴーストタウンではなかった。
普段と変わらないと思われる人出だった。
南相馬市は、
ゴーストタウンだった。
このちがいは、どこからくるのだろう?
南相馬市では、強制避難と自主避難で、大混乱だった。
「避難先は、つてを頼って、北は北海道から、南は沖縄まで」
避難しない人は、被曝から自衛して、窓を閉め切って、
ひっそりと生活していた。小学校は閉鎖された。
南相馬市では、
「津波でさらわれた肉親の捜索は、あきらめざるを得ない」
南相馬市では、
津波と
原発災害の
ダブルパンチを受けて、
恐怖におびえた。
生活の基盤を崩され、新たな生活設計を築かなければならなかった。
福島市には、避難の混乱はない、肉親の捜索もない。
汚染されているが、学校も、幼稚園も閉鎖はなかった。
生活の基盤を崩されることもなく、除染に頼ることになる。
津波と原発災害の、ダブルパンチの恐怖におびえた、
南相馬市は、ゴーストタウンになり、
原発災害で、放射線量は高いが、実感がわかない、
福島市は、ゴーストタウンにならなかった。
つぎに、
福島市民の生の声を、記します。
2011年。ふくしま南幼稚園の前。福島の男性が話しかけてきた。
「福島では、どの程度、健康や人体に被害が及ぶのか、
また、いつ影響が出るのか、明確でないままに生活している」
「汚染物をいかに除去するか、除染が最大の関心事になっている」
「福島第一原発の1号機がメルトダウンしたのは、
3月11日の地震発生から、5時間後だった」
「東京電力は、すぐに国際原子力機関IAEAに、
メルトダウンしたことを報告していたが、
国民に知らせたのは、65日後だった」
「メディアがメルトダウンを報道できなかったのは、
東京電力の広告費、電機メーカーや商社の広告費で、
メディアは成り立っているから、
広告主の意に反することは書けなかった」
「メディアの経営のトップは、
原子力を振興する財団などの役員をしているから、
原子力発電に不利なことは書けなかった」
「海外のメディアは、東京電力とは、しがらみがないから、
メルトダウンは早い段階で報じられた」
「それを見た日本への留学生、教授は、すぐに祖国にもどった」
2011年。天神橋の西。東京からの女性が話しかけてきた。
「放射線量を数値で見るのは初めてです」
「3.00マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]とは、高いですね」
そして、持参していたカメラで放射線量計の写真を撮った。
「原発の災害にあった浪江町の身内を、東京に避難させています」
「避難生活も6か月が限度で、これから自立することを考えるときです」
「浪江町には、もどれません。レベル7ですし、チェルノブイリを考えても」
「津波で家をなくしましたから、浪江町にはもどることは考えていません」
「でも、職を探し、新たな生活をしなければならないですから、大変です」
「避難を受け入れる方も、大変でした。出費も多い。
受け入れる方の出費も、政府に援助してもらいたい」
2011年。天神橋の西。福島の男性が話しかけてきた。
「放射線量は、どのくらいありますか?」
「だいたい、3.00マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]です」
と応えると、男性は近くのオフィスにもどった。それから、
「年間の被曝量は21ミリ・シーベルト[mSv/y]になります」
と、伝えにきた。計算したのだ。
2012年。天神橋の西。福島の男性が話しかけてきた。
「こんどは、どのくらいですか?」
「3.33マイクロ・シーベルト毎時ですか? 増えていますね」
と、ガッカリしていた。
「公表されている値は低いから、空中の放射線量を測っているからだろう?」
「小学生がここを通るが、マスクをしなくなった。まだマスクが必要だ」
「こうして、放射線量を測って、教えてくれるから助かります」
2012年。紅葉山公園。福島の男性が話しかけてきた。
「紅葉山(もみじやま)公園が高いって言われている。県庁のとなりです」
「側溝で測ってみてください」
「27.4マイクロ・シーベルト毎時ですか
! 」
「高いですね! 公表されている値だと、低くて問題はなかったが」
と、ビックリし、ガッカリしていた。
23.6マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]が、撮影できた、
私にとっても、初めて経験する値だ
! 南相馬市でも、経験しなかった。
なんかのまちがい
! だろうとも思った。桁が違う
!
福島の人は言う。
「今年は、落ち葉の清掃をしていない」
「いつもは、落ち葉をかき集めるが…」
「汚染された落ち葉を集めても、処分したり、
持って行く場所がないからかな?」
人が通る散歩道だけ、落ち葉が少ない。落ち葉はかき集めていない。
「あれが、モニタリング・ポストです」
と言われて、2人で近寄った。
左のモニタリング・ポストは地表から2メートル、
右のモニタリング・ポストは地表から50センチで、
空中に浮遊している放射線量を測っている。
「紅葉山公園の放射線量は公表されていない」
「なぜか? 聞いたら、
ちがう場所にある、基になるモニタリングの値を公表しているから、
と係員から言われた」
と、強い不満の口調でした。
2015年。福島市街。除染作業中の人。
「
道路除染作業中」。
「土を入れ替えている」
「縁石は噴射して、洗浄する」
「側溝の中も洗浄する」
「歩道のポールは、雑巾で拭く」
「飯豊山まで除染する」
飯豊山(いいでさん)とは、新潟県、山形県、福島県にまたがる山。
標高は2,105メートルもある。
「除染は、いつごろまで、かかりますか?」と聞くと、
「除染は、いつまでかかるか、わからない」
「福島市中に灰が降ったから」
「それに、担当は道路沿いだから、全体はわからない」
とのことです。
2015年。渡利(わたり)地区。
除染で出た
廃棄物が置かれたままであった。
緑のビニール・シートを見た時には、除染の廃棄物とは思わなかった。
家の庭先、家の横、駐車場、燐家との境、畑…にある。
危険なものを、身近に置いておくわけがない。
通りがかりの人に聞いてみると、
「除染したときに出た廃棄物です」と言う。それで、
「どうして、家に置いてあるのですか?」には、
「持っていってくれない」
せっかく除染したのに、廃棄しなければ意味がない、
と、不満であった。
そして、翌年の2017年6月29日には、
廃棄物は、ほとんどが、片づけられていた。
支所前と弁天山に残っていたのは、理由があるのだろう。
最後に、2011年。親水公園。小学生。
天神橋から、母親と連れ立った小学生が見下ろすように、
「おじさん、こんにちは」と、声をかけてきた。
「よう、こんにちは」と、返す。
かがんで、放射線量計を見ている様子が、
植物の撮影や、昆虫の観察に見えたのだろう?
福島の子よ、すくすく育ってほしい。
このときの親水公園の放射線量は、
3.06マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]でした。
この女の子が、
6年後の2017年6月29日に、福島第一小学校で、
「写真を撮ってちょうだい
! 」
とポーズをとった、元気な女の子と重なってくる。
6年経って、すくすく育ったようで、うれしくなる。
福島の子らよ
! 明るく、元気でいてほしい。
「福島では、どの程度、健康や人体に被害が及ぶのか、
また、いつ影響が出るのか、明確でないままに生活している」
「汚染物をいかに除去するか、除染が最大の関心事になっている」
と言う福島の市民、
除染は進んでいる、長い道のりだが、
「福島で、生きていて良かった
! 」
と実感できるようになることを、願っています。