季節の変化

活動の状況

ビーナスラインの紅葉狩り

2012-10-28 00:02:26 | Weblog
ビーナスライン紅葉狩りをした。
八島ヶ原湿原」①、
車山高原」の伊那丸富士見台②からの、
八ヶ岳」、「富士山」、「南アルプス」、
白樺湖」③、「蓼科湖」④、「白駒池」⑤、
御射鹿池」(みしゃかいけ)⑥、「横谷峡」(よこやきょう)⑦の写真を掲載します。
あわせて地図も掲載するので、
ビーナスラインの紅葉を楽しんだり、
これからの紅葉狩りの参考にしてください。

ビーナスラインの紅葉狩りの地図。

「信州ビーナスラインNavi」から作成。http://www.venus-line.net/

JR茅野駅S近くから東北に延びる緑の線が「ビーナスライン」V、
その南の赤い線299号は「メルヘン街道」Mと呼ばれ、
八ヶ岳の「麦草峠」を越えて八千穂村へいく。

八島ヶ原湿原」①。2012年10月。

手前の「まゆみ」は、赤い花から赤い実に変わった。後方の左は「車山」A、1925m。

八ヶ岳」。「車山高原」の伊那丸富士見台②から。2012年10月。

「八ヶ岳」には雪が積もり始めた。「八ヶ岳」の右すその上には「富士山」。

南アルプス」。「車山高原」の伊那丸富士見台②から。2012年10月。

左の「八ヶ岳」のすその上には「富士山」。
「南アルプス」は左から「鳳凰山」、「甲斐駒ヶ岳」、「北岳」、「仙丈ケ岳」。

「ビーナスライン」からは、日本で一番高い「富士山」3776mと、
二番目に高い「北岳」3193m、それに、写真にはないが、
三番目に高い「奥穂高岳」3190mを見ることができる。

白樺湖」③。2012年10月。

後方は初冠雪した「蓼科山」B、2530m。

蓼科湖」④。2012年10月。

後方は「八ヶ岳」。雪がはっきり見える。
中央左は主峰の「赤岳」C、2899m、右は「阿弥陀岳」2805m、
右端は「権現岳」2715m。左端の白は「横岳」2829m。

「ビーナスライン」Vの南、「メルヘン街道」Mにある、
白駒池」⑤。2012年10月。

赤、黄色、緑の中に、ダケカンバの白い幹が目立つ。

「メルヘン街道」Mの南の道、奥蓼科へ行く「湯道街道」沿いにある、
御射鹿池」(みしゃかいけ)⑥。2012年10月。

東山魁夷画伯の「緑響く」のモデル。「白馬」は現れなかった。
水が青い。風がないから波が立たず、紅葉が湖面に反射している。

横谷峡」(よこやきょう)⑦。2012年10月。

「横谷峡遊歩道入口」の案内板から作成。

「渋川」沿いの「横谷峡遊歩道」は、
「乙女滝」から上流の「横谷観音展望台」まで、
60分の紅葉狩りが楽しめる。
車は現在地にある「横谷温泉旅館」に、
日帰り温泉(1,500円)か宿泊で駐車できる。
露天風呂から横谷渓谷の紅葉がたのしめる。

横谷渓谷の下から「乙女滝」、「霜降の滝」(しもふりのたき)、
「鷲岩」(わしいわ)、「王滝」、「遊歩道」からの眺めを掲載する。
乙女滝」。2012年10月。


霜降の滝」(しもふりのたき)。2012年10月。


鷲岩」(わしいわ)。2012年10月。

左下は「渋川」。「横谷峡」はこの「渋川」沿い。

王滝」。2012年10月。

「横谷峡遊歩道」の上部にある「横谷観音展望台」から見下す。
「横谷観音展望台」の近くには駐車場がある。

横谷峡遊歩道」。2012年10月。

紅葉の中を歩く。「横谷観音展望台」近くで。

「横谷峡遊歩道」から眺める山。2012年10月。


「横谷峡」は小学生もハイキング。

秋晴れときらめく紅葉の下でお弁当を広げる。「横谷観音展望台」で。

「ビーナスライン」は「紅葉狩り」でにぎわっていた。
日本の秋の「紅葉」は「自然の贈り物」。
「日本晴れ」という「秋晴れ」にも感謝。
「紅葉」がきらめく。
それに、「ビーナスライン」では、
湖や川の青や雪の白が混じっていた。
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駒ヶ岳の紅葉とカナディアン・ロッキー

2012-10-21 00:10:21 | Weblog
駒ヶ岳紅葉カナディアン・ロッキーを見る。
駒ヶ岳の森林の紅葉はきれい。

駒ケ岳の紅葉は、天気予報で「明日は晴れ」という当日の朝、
「駒ヶ岳ロープウェイ」に乗って「千畳敷カール」へ行った。
針葉樹に広葉樹が混じる。2004年10月18日、午前9時。

ロープウェイから眺める紅葉は、赤や黄色が、
バックの針葉樹の中に映える。
赤はモミジやカエデ、ナナカマド、
黄色はダケカンバ。

千畳敷カール」。「駒ヶ岳ロープウェイ」の終点。

千畳敷カールの高度2612メートルまでくると、
森林限界を超えているから、高い木は育たない。

千畳敷カールのお花畑は枯れている。
左にとんがっているのは「宝剣岳」2931メートル。
右の平が「乗越浄土」(のっこしじょうど)でその下が「八丁坂」。
「乗越浄土」から「宝剣岳」や奥の「駒ヶ岳」に登るが、
朝早いのか、まだ人は見当たらない。

「千畳敷カール」から「しらび平」にもどるロープウェイ。

ロープウェイから、夕陽に染まる紅葉を見ることができる。午後3時。

北アメリカとヨーロッパ大陸は、
氷河期」には、何千年も分厚い「氷河」に覆われた。
そのために、それまでの「植物」は絶滅した。

日本では、氷河のカール地形は、
3000メートル級の高山にだけある。
日本の「氷河」は限られた場所だったから、
昔からの植物に、新しい植物が増えていった。
日本は「植物多様性」になっている。

「植物多様性」は日本の「紅葉」の美しさに、大いに関係がある。
アメリカにもヨーロッパ大陸にも、あざやかな紅葉はある。
しかし、日本の紅葉がきれいなのは、
広葉樹も針葉樹もあって、
赤であったり、黄色であったり、いろんな色で、
しかも、さまざまな葉の形で、つぎつぎに紅葉していくから。
」に咲く花が一種類か、それとも、
多くの種類があるかの違いであると思えばいい。

カナディアン・ロッキー」を1987年9月に訪れた。
緯度も高いし、季節的にも紅葉の時期である。
紅葉は氷河の影響の少ないところ。バンフ、1987年9月。

道路沿いの木が紅葉している。

草は枯れて、赤や黄色になっている。バンフ、1987年9月。

草以外は針葉樹。草地の針葉樹はまだ若い。
奥の氷河は、今にもこぼれ落ちそうだ。

草は枯れて、赤になっている。カルガリー、1987年9月。

奥には氷河がある。手前は針葉樹。左の標識はルート90を示す。

「カナディアン・ロッキー」の氷河地形の「植物」を見る。
バンフ、1987年9月。

氷河地形のまわりは、針葉樹が茂る。
大きな針葉樹。風景はモノトーンである。

バンフ、1987年9月。

氷河地形のまわりは、針葉樹が茂る。

カルガリー、1987年9月。

氷河地形のまわりは、針葉樹。

クロウフット氷河」。バンフ、1987年9月。

右はクロウフット山、手前はボウ・レイク。
左に針葉樹が見える。

バンフ、1987年9月。

氷河に削られた「U字谷」。
ペイト湖のまわりは、針葉樹で覆われている。

氷河のへ行った。ジャスパー。1987年9月。

氷河は、奥から手前に移動してくる。
氷河の端は、溶けて水たまりができる。
氷河の左側は、水と土はあるのだが、
寒さで植物は育たない。
氷河に押し流された石が転がっていた。

「カナディアン・ロッキー」は、
氷河で「植物」は絶滅した。
そして、あとから針葉樹が茂った。
「植物多様性」ではなくなった。

日本の「氷河」は限られた場所だった。
だから、「植物多様性」になった。
それで、美しい「紅葉」がある。
自然の贈り物」、である。

「駒ヶ岳」以外の日本の紅葉を集めた。
白駒池」、八ヶ岳、長野県。2012年10月。

針葉樹に広葉樹が混じる。

大沼池」、志賀高原、長野県。2012年10月。


小遠見山」(ことおみやま、2007m)から北アルプス。
白馬村、長野県。2006年10月。

左は「五竜岳」(2814m)。

八方尾根」の上に「白馬三山」。北アルプス、長野県。2006年10月。

左から白馬鑓ヶ岳(2903m)、杓子岳(しゃくしだけ、2812m)、白馬岳(2932m)。
その右は小蓮華山(2766m)。

上高地」、松本市、長野県。2008年10月。

大正池から河童橋に向かう。
奥は穂高連峰で、最高峰は奥穂高岳、3190m。

鎌池」(かまいけ)、小谷村(おたりむら) 、長野県。2008年10月。

鎌池は一周できる。

大渚山」(おおなぎやま)、小谷村(おたりむら) 、長野県。2008年10月。

日本では、各種の色の紅葉があって、
紅葉のトンネルをトレッキングできる。

カナディアン・ロッキーと日本は、
「庭」に咲く花が一種類か、それとも、
多くの種類があるかの違いである。

日本の「植物多様性」は「自然の贈り物」、
秋になると、「紅葉」の美しさを楽しむことができる。
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駒ヶ岳は「聖職の碑」の現場

2012-10-14 00:10:14 | Weblog
駒ヶ岳は「聖職の碑」の現場。
「聖職の碑」(せいしょくのいしぶみ)は、
中箕輪(なかみのわ)尋常高等小学校が「駒ヶ岳」に登り、
遭難した修学旅行登山に基づく新田次郎の小説である。講談社発行。


およそ100年前の1913年8月26日、
中箕輪尋常高等小学校(現在、箕輪中学校)は、
1泊2日の修学旅行登山で「駒ヶ岳」2956mを目指した。

一行37名は、
赤羽長重(ちょうじゅう)校長をリーダーに引率の先生2名、
高等科2年生(今の中学2年生)の男子25名と、
援助する同窓会員9名だった。

しかし、急に動き出した台風に襲われ、
赤羽長重校長と14歳~16歳の生徒10名が遭難した(1913年8月27日)。

中箕輪尋常高等小学校のあった場所は、
現在、「箕輪中部小学校」が建っていて、
そこに「駒ヶ岳遭難の碑」がある。

13回忌の1925年の8月27日に、遭難した同級生が建てた。
奇しくも、この年に唐沢圭吾さんの遺体が見つかった。

「箕輪中部小学校」では毎年、事故があった8月27日に、
生徒は花を手向けて遭難者を悼むとともに、学校行事の安全を祈る。

これまでに3回登っている「駒ケ岳」が遭難現場である。
どうして、11名も遭難したのだろうか?
「駒ヶ岳」学校登山に興味を持った。

山に囲まれた長野県の学校では、
学校登山」は当たり前の行事で、
学年ごとに登る山が決まっていた。
小学校では2000m級で、七島八島や霧ヶ峰。ゴシタカッタナ!
中学校では3000m級で、蓼科山(八ヶ岳)を覚えている。
蓼科山は、ふもとから登ったためか、頂上は遠かった。
登山とは別にキャンプ(霧ヶ峰)があって、
テントの設営や飯盒(はんごう)炊さんは楽しかった。

毎年の登山とは別に最終学年に「修学旅行」があった。
毎月積み立てて、小学校は江ノ島・鎌倉、
中学校は奈良・京都だった。

長野県人に機会があると、中学校時代の「学校登山」について聞いてみた。
北アルプスの「乗鞍岳」(のりくらだけ、3026m)だった、
北アルプスの「燕岳」(つばくろだけ、2763m)だった、
八ヶ岳の「天狗岳」(てんぐだけ、2646m)だった、
菅平高原の「根子岳」(ねこだけ、2027m)だった、
「仙丈ケ岳」(せんじょうがたけ、3033m)だった、
「御嶽山」(おんたけさん、3067m)だった。

そして、「駒ヶ岳」(2956m)だった、
という人がいた。
「中学校はどこですか?」
と思わず聞いた。
箕輪中学校です」

下校時、生徒は元気よくあいさつする。

まさに、「聖職の碑」の「中箕輪尋常高等小学校」ではないか!
しかも、小学校は「箕輪中部小学校」の卒業生で、そこには、
「駒ヶ岳遭難の碑」があることを教えてくれたのである。

さっそく「箕輪中部小学校」と「箕輪中学校」へ行った。
2校は高台で、隣同士にあった。2校の卒業生は、
「箕輪中部小学校」の正門で待っていてくれた。
「私の家はあそこです」
と、指し示した先を見ると、なるほど、両校に近い。

2校では、ありがたいことに教頭先生が応対してくれた。
それに、「駒ヶ岳遭難の碑」の裏に書いてあった文、
「箕輪町郷土博物館」の話、
「箕輪中学校」の卒業生の話、
新田次郎の「聖職の碑」を基にして、
学校登山の「駒ヶ岳」でどうして、
11名も遭難したのだろうか?
どんなルートだったのだろうか?
「駒ヶ岳遭難」を探った。

「駒ヶ岳」の登山ルート

「聖職の碑」、新田次郎著から作成。

目指すは左の「駒ヶ岳」①(2956m)。
右の「胸突き八丁」③を登り、
初日は左の「伊那小屋」⑨泊り、
翌日、「中岳」⑩から「駒ヶ岳」①に登る。

前年まで同行したガイドは、予算の関係から雇うことができなかった。
地元のガイドがいなかったことは、遭難事故を暗示させる。
しかし、遭難したのは、天候の急変と、
泊まるはずの「伊那小屋」⑨が、登山者の失火により、
影も形もなかったことだった。

登山の前に、飯田測候所に何度か電話をかけているが、
直前の電話でも変わりはなく、
「北東の風、曇り、にわか雨」
この季節の長野県の山ではもっとも一般的なものである。

ところが、八丈島付近に停滞していた低気圧、
(当時は低気圧の扱いだったが、実際は台風)は、
韋駄天(いだてん) 「台風」となって北上し、
8月26日の夜は暴風雨になって駒ケ岳を襲った。

「駒ヶ岳」登山の初日は、
「駒ヶ岳」①の手前にある「伊那小屋」⑨に泊まる。
しかし、「伊那小屋」⑨にたどり着く前から、
霧になり、雨と強風によって生徒の身体は冷え切った。
そして、たどり着いた「伊那小屋」⑨は影も形もなかった。
急きょ、仮小屋をつくって、一晩明かしたが、
暴風雨で仮小屋が倒壊する危険から山を降り、
生徒10名と校長の11名が遭難した。

さて、「駒ヶ岳」登山の登山口は、
「胸突き八丁」③の手前 「桂小場」②(かつらこば) である。

「桂小場」②には1本の大きな桂の木があった。
左は「聖職の碑」コース案内図。
登山口と登山者用の駐車場はこの左にある。

学校から「桂小場」②まで、
車のメータで19キロあったが、生徒は歩いている。
100年前の生徒の脚力と精神力は、大したものだ。
今とは違う。食べ物も粗末だったのに。

装備も今から比べると粗末である。
袷(あわせ)の着物に股引(ももひき)だった。
脚絆(きゃはん)に草鞋(わらじ)履き、麦わら帽子、
防寒用に冬シャツと雨に備えてゴザの合羽を用意した。

「桂小場」②からいよいよ登りになる。
着物に草鞋で、「桂小場」②まで19キロを歩く元気は、
私にはない。「桂小場」②まで車で来て、そこから登りたい。

朝の5時40分に学校を出発して ⇒「桂小場」②に、
10時40分に着いたから、5時間かかった。お昼まで休憩して
⇒「胸突き八丁」③ ⇒「行者岩の最低鞍部」(2600m)④に、
着いたのは午後3時。

学校から9時間20分の行軍である・・・疲れたと思う!
それに、この先「伊那小屋」⑨までは3時間かかる。
森林地帯を抜けたこのころから霧が出始める。
それに、尾根道は強風をまともに受ける。

「将棊頭山」(しょうぎかしらやま)⑤の近く ⇒
あとで建つ「遭難記念碑」⑥を通り ⇒
「濃ヶ池」(のうがいけ)⑦に着いたのは午後4時。

濃ヶ池」。2012年8月20日。

「駒ヶ岳」から、左奥の「将棊頭山」(しょうぎかしらやま)2730m方向へ、
馬の背を降りる途中で撮影した「濃ヶ池」。夏なのに雪渓が残っている。
生徒は「濃ヶ池」を通って、右に見える山すそ(中岳)の右側に上がってくる。

「濃ヶ池」⑦ ⇒ 「駒飼ノ池」(こまかいのいけ)⑧の近くになると、
天気が急に変わり、雨が降り、冷たい谷風が襲ってきて、
大急ぎで登る ⇒ あるはずの「伊那小屋」⑨に、
着いたのは午後6時だった。
出発してから12時間20分である。

赤い屋根の山小屋は「天狗荘」。
「伊那小屋」⑨は、この辺にあった。

生徒は右下にある「駒飼ノ池」⑧、「濃ヶ池」⑦から、急な坂を、
「中岳」⑩の手前にあるはずの「伊那小屋」⑨まで、
雨が降り出した濃霧の中を這い上がってきた。
「駒ケ岳」①は、「中岳」⑩の奥に見える。

しかし、泊まる予定の「伊那小屋」⑨は、焼失して、影も形もなかった。
「伊那小屋」⑨に着いたら、火を焚き、温かいお湯を飲み、
休むことができる、という望みはなくなった。

暴風雨はそこまで来ていた。
残された高さ1メートルの石垣に、
急いで、焼け残った角材を渡して、
ハイ松やゴザの合羽をかぶせて屋根をつくり、
最後に石を乗せ、40分くらいで仮小屋を造った。

仮小屋ができたころから、暴風雨になった。
八丈島付近に停滞していた低気圧は、
韋駄天(いだてん)台風となって北上し、
8月26日の夜は暴風雨になって駒ケ岳を襲った。
仮小屋の雨は漏り、火は焚けず、真っ暗の中、寒さと睡魔に闘った。

容赦ない暴風雨は仮小屋の屋根を剥(は)ぎにかかった。
危険を感じて「木曽小屋」(頂上木曽小屋)⑪に逃げ込むことを考えた。
駒ヶ岳の頂上から木曽側(西側)に50メートルほど降りたところにある。

駒ヶ岳の頂上から見た「頂上木曽小屋」、赤い屋根。
奥は「御嶽山」3067m。2004年10月18日。

2012年8月21日に「駒ヶ岳」の山頂に登ってご来光を待ったが、
気温は10℃以下、それに風が強いから、ふるえがくる。
中箕輪尋常高等小学校の、「駒ヶ岳」登山のように、
もし「暴風雨」が一晩中、荒れ狂ったら、
体温は奪われ、遭難するだろうな、と思わせる。

「木曽小屋」(頂上木曽小屋)⑪と、
「駒ヶ岳」①、「中岳」⑩を含む全体の位置は、
「宝剣岳」⑫の先から見ることができた。2012年8月21日。

「木曽小屋」(頂上木曽小屋)⑪は、「駒ヶ岳」①の左下にある。
「伊那小屋」⑨からは、「中岳」⑩を越え、
「駒ヶ岳」①の頂上から、左側(木曽側)に降りる。約1キロ。
「駒ヶ岳」①に登らずに、巻き道もあるが危険。
左奥は「乗鞍岳」(のりくらだけ)3026m。

「木曽小屋」⑪を探しに赤羽校長と引率の先生が仮小屋⑨を出た。
しかし、暴風雨に小石が舞い、進むことができずに、
仮小屋⑨にもどった。1913年8月27日、午前7時。

仮小屋⑨で生徒の古屋時松さんが亡くなった。疲労凍死である。
「死が、こともなげに訪れたのを見て、すべての者は動顚(どうてん)した」
なんとかして、この場を逃げ出さないと、古屋時松さんと同じ目にあう。

「おれは山を降りるぞ、こんなところにいたら、みんな死んでしまう」
と、青年が立ち上がったのを機に、いっせいに仮小屋を出た。
暴風雨の中を、「濃ヶ池」の方向に降りた。

「駒飼ノ池」⑧で1名(唐沢圭吾さんの遺体は12年後に見つかった)、
「濃ヶ池」⑦で1名、
「将棊頭山」⑤付近で赤羽校長を含む8名が亡くなった。

「駒ヶ岳ロープウェイ」ができた今では、
「千畳敷」⑬まで登ってから、
「中岳」(2925m)⑩から「駒ヶ岳」①に登るルートが多く使われる。
「宝剣岳」(2931m)⑫や「濃ヶ池」(2655m)⑦めぐりにも近い。

中箕輪尋常高等小学校は、遭難事故から12年後に、
「駒ヶ岳」登山を再開している。そして、
100年たった今でも、箕輪中学校は、
「駒ヶ岳」登山を続けている。

しかし、「駒ヶ岳遭難」を教訓として、いくつかの違いがある。
登山の準備として、雨が降っても、毎日2キロのランニングを100回続ける、
経ヶ岳(きょうがたけ、2296m)に日帰りの予備登山をして、適正調査をする、
健康診断をする、引率する先生は下見登山をする、マムシの血清を準備する、
遭難記録を読み、駒ヶ岳の勉強をする。

ほかに、登山口やルート、人数、泊まる山小屋が違っている。
登山口。
100年前の登山口は、学校から19キロ先の、
「桂小場」(かつらこば)②、伊那市だった。そして、
翌日は「駒ヶ岳」①に登り、「将棊頭山」⑤から、
「権現づるね」を降りる予定だった。
「桂小場」(かつらこば)②より南になる。

今は、「駒ヶ岳ロープウェイ」の下の、
北御所」(きたごしょ)⑭、駒ヶ根市までバスで行って、登り、
翌日「駒ヶ岳」①に登ったあと、「将棊頭山」⑤近くの、
「遭難記念碑」⑥に花を手向けて祈り、「桂小場」②へ降りてくる。

ルートと人数。
100年前の37名から、中学2年生の260名~270名に。
37名は学校 ⇒ 桂小場② ⇒ 将棋頭山⑤近く ⇒ 伊那小屋⑨泊まり
⇒ 中岳⑩ ⇒ 駒ヶ岳① ⇒ 「権現づるね」 ⇒ 学校だったが、
260名~270名はバスで北御所⑭ ⇒ 伊那前岳の前の稜線
⇒ 乗越浄土 ⇒ 宝剣山荘と天狗荘に分かれて泊まり
⇒ 中岳⑨ ⇒ 駒ヶ岳① ⇒ 遭難記念碑⑥ ⇒ 桂小場②となっている。

「中岳」から見た「天狗荘」、手前の赤い屋根と、
奥の「宝剣山荘」。その先は「宝剣岳」。

右奥は「空木岳」。左奥は南アルプス。

長野県は山国である。校歌には山がでてくる。
長野県から山を取ったらなんにも残らない。
周到な準備のもとに行われる登山は、
自然を観察し、身体を鍛え、
強い意志を養うとともに、
目的達成の場になる。

新田次郎の小説の題名「聖職の碑」は
「教師は単なるサラリーマンではなくして、聖職である」
ことから名づけられた。
「教師は、こどもたちを愛し、導くためには、
身を犠牲にするのも惜しくはない」
赤羽長重校長がまさに、『聖職の人』だった。

「中岳」の頂上から見た「駒ヶ岳」。

「頂上木曽小屋」⑪。左奥は「御嶽山」3067m。
手前の青い屋根は「駒ヶ岳頂上山荘」で100年前はなかった。

「箕輪中学校」のとなりにある「箕輪町郷土博物館」では、
「中箕輪尋常高等小学校の駒ヶ岳遭難」の特別展を、

2012年10月27日~11月18日まで開催する。
入館料100円は無料になる。

来年の2013年は「駒ヶ岳遭難」から「100周年」になる。
遭難した子孫が100周年登山を計画されている。

駒ヶ岳遭難」は語り継がれ、
教訓になって、生かされてきている。
そして、つぎの100年に生かされていく。
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駒ヶ岳のカール地形はお花畑

2012-10-07 00:10:07 | Weblog
駒ヶ岳の「カール地形」には「千畳敷カール」と「濃ヶ池」がある。
駒ヶ岳のカール地形は「お花畑」だった。高山植物の宝庫だ。

千畳敷カール」、2612m。2012年8月20日。

後方の「宝剣岳」(2931m)から手前に、
スプーンでえぐり取ったようなくぼみが「千畳敷カール」。
氷河」がゆっくり流れ下るときに、氷河の重みで山を削り取った。
手前は「剣ヶ池」で、最下点にできたくぼみに水がたまった。
氷河によって運ばれた「モレーン」と呼ばれる堆積した土砂が、
剣ヶ池の土手になっている。土手の先は急激に落ち込んで崖になる。
そして、この崖に滝ができる。

「千畳敷カール」の高度2612mは、
森林限界を超えているから、高い木は育たない。
「剣ヶ池」の先に「お花畑」が広がり、ハイ松が混じる。
「お花畑」の上はハイ松になり、そして岩場になる。

「千畳敷カール」で行き会った高山植物のパトロールの人は、
「今シーズンは大雪のため、雪解けが遅かった」
「高山植物は、今も見ごろです」
と言うが、そのためか、剣ヶ池の水が多い。

駒ヶ岳のもう一つのカール地形、「濃ヶ池」、2655m。

8月というのに、奥には雪渓が残っている。

上から見た「濃ヶ池」。

「駒ヶ岳」から降りる途中から見た「濃ヶ池」。雪渓が残る。
左奥は「将棊頭山」(しょうぎかしらやま)、2730m。

左の駒ヶ岳から続く尾根を見ると、
右の濃ヶ池側(伊那谷側)は、急に落ち込み、
左の木曽谷側は、なだらかであることがわかる。
右の濃ヶ池側は、氷河にえぐり取られたカール地形である。

駒ヶ岳(中央アルプス)には、これまでに2回行き、
千畳敷カールから駒ヶ岳(2956m)と、
宝剣岳(2931m)に登っているが、
3回目の2012年8月20日は、
駒ヶ岳、宝剣岳、三ノ沢岳(2847m)のほかに、
初めて、「濃ヶ池」へ行った。

「千畳敷カール」と「濃ヶ池」を巡ると、
「カール地形」は「お花畑」で、高山植物の宝庫だった。
今回の駒ヶ岳は、トレッキング仲間と登ったが、
高山植物に詳しい人がいて、おかげで、
いろんな高山植物を教えてもらった。

「お花畑」で高山植物の写真を撮って、
忘れないように、名前をカメラに入力していると、
どうしても、ほかの仲間から遅れがちになる。
急いで追いつくと、仲間から言われた。
「撮った写真を見せてください」

そんな仲間の要望に応えたい。
それに、自分用の高山植物の「図鑑」になる。

駒ヶ岳の「カール地形」である、
「千畳敷カール」と「濃ヶ池」の高山植物の写真を掲載する。
まず、「千畳敷カール」の高山植物。
ミヤマキンバイ。千畳敷カール。


チングルマ。千畳敷カール。


コイワカガミ(赤)とアオノツガザクラ(白)。千畳敷カール。


チシマフウロ。千畳敷カール。


クルマユリチシマフウロ。千畳敷カール。


チシマギキョウ。千畳敷カール。


ウメバチソウ。千畳敷カール。


ミヤマアシボソスゲ。千畳敷カール。


駒ヶ岳のもう一つのカール地形、「濃ヶ池」の高山植物。

チングルマの種子が手前に広がる。

チングルマの花と種子。濃ヶ池。

チングルマの花(右上)、咲きおわり(中)、それに、
ポヤポヤした種子(下)を、同時に見ることができる。

オンタデ。濃ヶ池。


ミヤマコウゾリナとクジャクチョウ。濃ヶ池。


ハクサンボウフウとシラネニンジンは、
似たような白い花だから、区別がつかなかった。
トレッキング仲間は、持参した植物図鑑を開いて違いを教えてくれた。
ハクサンボウフウ。濃ヶ池。


シラネニンジン。濃ヶ池。

違いは葉っぱ。ニンジンの葉っぱがシラネニンジン。

タテヤマリンドウ、左にチングルマ、右に黄色のオトギリソウ。濃ヶ池。


オトギリソウ。濃ヶ池。


トウヤクリンドウ。濃ヶ池。


ヨツバシオガマ。濃ヶ池。


エゾシオガマ。濃ヶ池。


ミヤマキンポウゲ。濃ヶ池。


ミヤマキンバイ。濃ヶ池。


「カール地形」は、
細かい土砂が堆積している、
雪による水分がある、
強風が吹きすさぶことはない。
これらで、「千畳敷カール」にも、
「濃ヶ池」にも「お花畑」ができた。

「カール地形」の上部の砂礫地や岩場でも、高山植物はある。
「駒ヶ岳」で、「白いコマクサ」と「赤いコマクサ」、
「宝剣岳」で、「エーデルワイス」に近い「コマウスユキソウ」、
「三ノ沢岳」で、「ダイモンジソウ」が、
吹きすさぶ強風に耐えるように、
陽に向かって咲いていた。
このことは、
「駒ヶ岳の白いコマクサ」、2012年9月23日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/744d0e49c1b6d1b18d1a11d72a9a7210
に記載したので参照してください。

「カール地形」の上部の砂礫地や岩場にある高山植物、
イワツメクサ、赤いコマクサ、白いコマクサ。

駒ヶ岳。

「千畳敷カール」と「濃ヶ池」の「ルート図」。

「駒ヶ岳登山マップ」から作成。
http://www.chuo-alps.com/ropeway/walk/senjyojiki/map_k.html

「千畳敷カール」の「お花畑」は、
駒ヶ岳ロープウェイの千畳敷駅①から ⇒ 剣ヶ池② ⇒
八丁坂③ ⇒ 乗越浄土④まで登るルートで、
千畳敷カールの高山植物を眺めた。

「濃ヶ池」の「お花畑」は、
乗越浄土④から ⇒ 中岳⑤を経由して ⇒ 駒ヶ岳⑥に登り ⇒
濃ヶ池⑦まで降りて ⇒ 天狗荘⑧まで上がってくるルートで、
濃ヶ池周辺の高山植物を眺めた。
泊まりの駒ヶ岳頂上山荘⑨へは、
天狗荘⑧から ⇒ 中岳の巻き道 (危険)を利用した。

この「濃ヶ池」の「お花畑」のルートは3時間半。
それに、駒ヶ岳からいったん濃ヶ池に降りて、
また駒ヶ岳頂上山荘まで登ってくるのはきついから、
人が少ない。だから高山植物の荒れもないようだ。

千畳敷駅①に9時に着いて、
駒ヶ岳頂上山荘⑨到着は午後4時だったから、
7時間のゆっくりとしたトレッキングだった。
これは、駒ヶ岳山頂での昼飯のほかに、高山植物を、
千畳敷カールや駒ヶ岳、濃ヶ池で眺めていたから。

トレッキング仲間から高山植物を教えてもらった。
おかげで、自分用の高山植物図鑑ができた。
「駒ヶ岳のカール地形のお花畑」
高山植物を覚えようと思う。
山の楽しみが増えていく。
コメント
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