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函館のランドマークは函館山

2011-01-30 00:05:23 | Weblog
「函館の景観をみる」(2011年1月23日)で、
函館のランドマークは函館山と書いた。
その、函館のランドマーク函館山について。

「函館に来る観光客は、みんな函館山へ行きます」
「函館山のつぎに人気は、五稜郭と元町です」
と、ホテルの人は言う。そして、
「台湾、韓国、中国からのお客さんが増えています」

国際観光都市の函館で、
「函館山」は、世界からの観光客にも人気である。

「韓国のソウルから函館空港へは、直行便があります。
台湾からはチャーター便が、2日に1度はあります。
それと、札幌(新千歳空港)経由で来ます」

その函館空港は、右奥の白い平、津軽海峡の先にある。

函館山から。2011年1月。右下は函館山ロープウェイのゴンドラ。

函館駅は、中央左の函館湾の近くで、茶色の建物の奥。
函館空港から函館駅へのアクセスは、バスで20分である。
近くの温泉街のホテル、湯の川温泉までは、バスで5分。
函館空港と函館市街が、函館山から1枚の写真におさまる。

アクセスがいい空港は、函館空港のほかに、福岡空港がある。
博多駅まで、地下鉄で5分である。
それに、函館空港も、福岡空港も、国際線、国内線があるから、
アジアの玄関口、世界の玄関口として大いに期待できる。

ところが、成田国際空港の東京へのアクセスは最悪である。
距離が79キロと世界一長い。成田エクスプレスは、
けんめいな努力で1時間を切っているが、
バスやタクシーは2時間の予定になっている。
でも、道路は都心に近づくにつれて渋滞になり、
到着時間のめどが立たなくなる。そして、バスに乗ったことを後悔する。

それに、国際線は成田国際空港、国内線は羽田空港と分けたことで、
国内線に乗るためには、空港間を乗り換えなければならない。
わざわざ羽田空港まで地上を移動するが、3時間がムダになっている。
成田や東京で1泊することもある。
こんな不便な空港は、成田国際空港だけだ。
アクセスが悪いこと、乗り継ぎが悪いことが、
アジアの「ハブ空港の座」を遠くしている。

函館空港から韓国のソウルへの飛行を考えると、
直通便があるから、3時間で行ける。
もし、直通便がなかったなら、羽田空港を経由して、
それから、成田国際空港からソウルへ、7時間30分かかる。

幸いにも、ソウルへは羽田空港から行けるから5時間20分ですむ。
これまで、多くの国内空港は、いったん国内線の羽田空港へ飛んでから、
成田国際空港へ地上を移動して、それから海外へ飛ぶから、不便だった。

成田国際空港よりも、ソウルのインチョン(仁川)空港に飛び、
ヨーロッパ便やアメリカ便へ乗り継いだほうが早い。
それに、安い。
インチョン空港はアジアのハブ空港の座を獲得できる。
羽田空港は、国際線を持つようになったから、空港の本来の姿になった。

アジアのハブ空港の座については、
「シンガポールのチャンギ空港とアジアのハブ空港の座」
(2009年11月15日)を参照してください。

函館の街から、ランドマーク「函館山」を眺めた5枚の写真がある。
赤レンガ倉庫街から見た函館山。

函館山は、軍事要塞だった(1900年代)。
日露戦争に備え、第二次世界大戦が終わるまで。

函館山のアンテナが建つあたりは、砲台であり、弾薬庫で、
この要塞から、造船所がある函館港を守り、津軽海峡を監視していた。

「北方領土返還」の看板。アンテナが建つあたり、函館山。

半世紀以上たつが、早く取り戻したい。
錆びた看板が、長い懸案であることを示している。

八幡坂(はちまんざか)から見た函館山。

八幡坂はロード・ヒーティングしているから、自動車道の雪は融けている。

市民が、さらに雪かきをして、道路幅を広げていた。
左の歩道にも、ロード・ヒーティングをしているから、雪は融けている。
右の歩道は、雪の陰で見えないが、ロード・ヒーティングで雪は融けていた。

ロード・ヒーティングの標識、二十間坂。

ロード・ヒーティングは、電熱線を地中に埋めている。

車が、雪でスリップして登れなくなるのを防ぐために、
函館山に向かう坂道では、ロード・ヒーティングをしている。

元町公園から見た函館山。

函館山の手前は、旧函館区公会堂(重要文化財)。

旧イギリス領事館から見た函館山。

雪のイギリス庭園から撮った。足から膝まで覆うスパッツが役立った。
左の手前は、雪が積もったベンチ、奥はバラのアーチ。

この旧イギリス領事館も、上の写真の旧函館区公会堂(重要文化財)も、
基坂(もといざか)にある。

元町公園から、石畳の基坂(もといざか)、函館港を見る。

ロード・ヒーティングは坂の部分に設置し、雪を融かして、
車を登れるようにしているが、港に近い平地では、
ロード・ヒーティングはない。

函館港から函館山に向かう基坂の周囲は、
北海道開拓時代から、明治時代にかけて、官庁街であった。

旧イギリス領事館は、この写真の基坂の右にあり、
旧函館区公会堂や、旧北海道庁函館支庁舎は、基坂の上にある。

旧イギリス領事館では、当時の領事館内部を再現してあるほかに、
「開拓記念館」になっていて、「函館開港歴史室」では、
ペリー提督の函館の来航を説明している。

日本が鎖国を終わらせて、日米和親条約を結び、
下田と函館を開港する(1854年3月)。
ペリー提督は、
「日本が開港するという函館とは、どんなところか?」
と、検分に来航している(1854年5月)。

ペリー提督は「日本遠征記」で、函館の街について書いている。
「函館は、互いに直角に走る街路があって、整然と建設されている。
街路の幅も広く、排水をよくするために砕石が敷かれている」
「街路の両側には広い排水溝があって、家の排水や街路の掃除水が流し込まれる」
函館は、整然としていて、清潔で健康にいい状態に保たれた街であるとしている。

そして、日本人についてペリー提督は、
日本人が一度、文明世界の過去及び現在の技能を獲得したならば、
強力なライバルとして、将来の機械工業の成功を目指す競争に加わるだろう」
と、予想している。

基坂の上の元町公園にある旧北海道庁函館支庁舎は、

「写真歴史館」になっていて、ペリー提督に随行した写真家ブラウンが函館滞在中に、
サムライ姿の役人を撮った「日本最古の写真」がある(1854年)。
基坂は、函館の歴史の起点であり、日本開国の歴史の起点でもある。

「写真歴史館」では、うれしいことに写真撮影を許可してくれた。

「写真は左右が反転して、刀が右側になってしまったために、
着物を右前に着直し、刀も右に差し替えて、撮り直した」
という説明が、おもしろい。

写真の上では、松前藩士、遠藤又左衛門の刀は右腰にある。
撮り直した下の写真では、刀が左になっている。
うしろの従者の刀は、右のままだが。

ハリストス正教会から見た函館山。

スパッツが役立って、雪深い庭から撮ることができた。

最後に、函館山から見た教会群とお寺。


左の手前、白い壁がハリストス正教会、
その奥、雪がずり落ちた赤い屋根がカトリック元町教会、
その右が天主公教會、
その右、道路をへだてて、大きな屋根が東本願寺函館別院、
その手前が、聖ヨハネ教会である(ハリストス正教会の右)。
そして、近くには函館護国神社や船魂神社がある。

宗教や、宗派を超えて、共存する自然体を、函館でみることができる。
「日本人のアイデンティティを生む、日本の5つの特徴」
(2009年4月22日)で、日本の5つの特徴の1つとして、
排他的な宗教ではないし、偏狭ではない、ことを書いた。

要約すると、
世界の市民は、日本人の“アイデンティティ”を、
“日本人は、優れた創造力とテクノロジーがあり、
国を発展させた高い能力がある”。それに、
“独自の文化を育て、文化財を保護している”と、みていた。

この日本人のアイデンティティが生まれたのは、
日本の5つの特徴からである。
1)改善や発明をする遺伝子DNAが宿っている、
2)子どもの教育に力を入れている、
3)排他的な宗教ではないし、偏狭ではない、
4)街の治安がいい、美しい自然がある、
5)第2次世界大戦後は民主主義陣営に属した。

3)排他的な宗教ではないし、偏狭ではない、では、
ほかを否定したり、拒絶する宗教ではない。だから宗教戦争はない。
偏狭ではなく、異質なものや風習に興味を持ち、日本風に融合、
調和する才があって、改良や発展、文化の創出につながっている。

「排他的な宗教ではない」
という日本の特徴を写真で現すと、
「函館山」から撮ることができる。

「函館山」は、日本の近代化を見守ってきた。
日本が鎖国を終わらせて開国したときには、函館港の開港を見て、
日露戦争から第二次世界大戦までは、軍事要塞の役目をしてきた。
そして、今は世界からの観光客を魅せる国際観光都市、函館のシンボルである。
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函館の景観

2011-01-23 00:03:23 | Weblog
世界の景観をみる。

この冬はシバレル!
シバレル真っただ中、函館の景観をみる。

「函館に来る観光客は、みんな函館山へ行きます」
「函館山のつぎに人気は、五稜郭と元町です」
と、ホテルの人は言う。

「台湾、韓国、中国からのお客さんが増えています」
「韓国のソウルから函館空港へは、直行便があります。
台湾からはチャーター便が、2日に1度はあります。
それと、札幌(新千歳空港)経由でも来ます」

何たって、世界からの観光客が行く「函館山」へ行かなければ。
函館のランドマーク函館山

函館市街から見る函館山。八幡坂(はちまんざか)から。2011年1月。

手前の標識の左上には、「日本最古のコンクリート電柱」とある。
「日本最古のコンクリート電柱」は、函館のお目当ての一つ。あとで見に行く。

「函館は、が多いな!」
「松本に雪がないのがウソのようだ!」

「大雪注意報」は、北海道、日本海側、西日本で、
松本は雪が少ない。その代わりに、「低温注意報」。
「我が家のアゲハチョウは、松本の積雪は15センチ以下と予想している」

今回の函館訪問では、大雪のために、
函館と札幌間の函館本線の特急や、
新青森と東京を結ぶ東北新幹線は、
大幅におくれたり、運休になった。

上の写真で、道路の両側には、ちゃんと歩道を確保してある。
函館は、プラニング(都市計画)された街である。
この大雪で、踏み固めてないところを外すと、
防寒靴でもズブズブと埋まる。
そして、雪が足首から入る。

足から膝までの「スパッツ」を着けたのは正解だった。
道から外れても、新雪でも、ズンズンと歩き回れる。
それに、足首からの冷気を防いでくれるから、暖かい。
ジロジロ見られるが、自由に歩き回るならスパッツを。

函館山から函館の街をみた昼と夜の写真がある。
昼。雪の函館。2011年、1月。

連日、最高気温がマイナスの「真冬日」。
最高がマイナス3度、最低はマイナス10度が続く。

そして、夜景。

函館の夜景」は、世界からの観光客を魅了する。
台湾からのツアー客は、雪と夜景にみとれる。

函館は、晴れているかと思うと、曇って、吹雪く。そして街が隠れる。
晴れの函館も、吹雪の函館もいいが、写真を撮るために、
晴れ間をねらって、ロープウェイに3回乗ることになる。

函館山の昼と夜の写真から、函館は、
新天地に「プラニング(都市計画)」した街だ。
整然としている。道路は広い。
その道路には、街路灯がある。
だから、夜景がきれいだ。

でも、電柱電線はあった。
バカでかい広告看板もあった。
しかし、屋上にむき出しの空調機械は少なかった。

五稜郭タワーから、函館の街の景観をみた4枚の写真がある。
五稜郭の中からみた五稜郭タワー。


南の函館駅方向。奥は函館山。


北の五稜郭方向。


西の北斗市方向。


東の函館空港と津軽海峡方向。


五稜郭タワーから見た写真からも、
函館山から見た写真と共通している。

函館は、新天地に「プラニング」した街だ。
整然としている。道路は広い。
でも、電柱、電線はあった。
バカでかい広告看板もあった。
しかし、屋上にむき出しの空調機械は少なかった。
電柱に張りつけたり、取りつけた広告看板がなかった。

さて、「日本最古のコンクリート電柱」。
赤レンガ倉庫街の近く。2011年1月。

日本最古のコンクリート電柱は、丸ではなくて、四角だった。
そして、よじ登るL型金具が左右に付いている。
電力線のほかに、電話線などがある。

日本最古のコンクリート電柱の横には説明板がある。

1923年10月に建てられ、現存するコンクリート電柱では日本最古。
高さ10メートル、底辺47センチ四方の角錐型の鉄筋コンクリート造り。
火災が頻繁に発生した函館では、耐火建築が増えはじめ、電柱もそのあらわれ。
木柱が普通であった当時から今日まで、耐用年数を超えても、
なお現役として街の移り変わりを見守っている」
と、説明板にある。

およそ1世紀前の電柱だ。函館の発展を支えてきた。
「よく、がんばったナ」
手袋をぬいで、なでたぜ。

説明板には、つぎのようにもある。
「同形の電柱が建物をはさんで建てられたため、
『夫婦(めおと)電柱』と呼ばれて市民の話題になった」

建物の前で案内板のそばが「夫電柱」、建物の右が「婦電柱」。

何年かあと、函館を訪れると、
説明板には、つぎのように書かれていれば、うれしい。
「函館の電線は地下に埋設するようになりました。
これは、安全のため、さらに地震や火災、台風、大雪などの災害があっても、
ライフラインを確保するため、そして、
街の景観を守るために、電線を地下に埋めたのです。
埋設率』が100%となった今では、想像がむずかしいですが、
昔は、『夫婦電柱』のようなコンクリート電柱が街中に林立し、
電線がクモの巣のように空をおおっていたのです。
しかし、日本では函館が先駆けとなって、
先進国の諸都市と同じように、
電線の埋設率100%を実現して、
今日の美しい函館の景観を実現しています」

函館は、世界からの観光客を魅了する街だ。
国際観光都市、函館から、電線の埋設率100%が実現すれば、快挙だ。
幸いにもプラニングで、歩道は広くとってあるから、電線を埋めることができる。

そして、ほかの街でも、電線は「埋設率」(地中下率)、
で管理することになり、100%を実現してほしい。
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シンガポールの景観

2011-01-16 00:01:16 | Weblog
世界の景観をみる。

赤道直下の国、シンガポール。
シンガポールの景観をみる。

「シドニーの景観」2011年1月1日で、
シドニーでは、2000年のオリンピックを契機に、
「世界会議」が、多く開催されるようになっている、
と書いた。

世界会議」は、シンガポールでも、多く開催されている。
国際観光振興会(JNTO)コンベンション統計が、
世界会議が開催される都市のランキングを公表していた。
世界会議が開催される都市のランキングと推移を作成した。

世界会議が開催される都市 10位まで。

1位パリ、2位ブリュッセル、3位ロンドンである。

シンガポールは5位。
1991年、1996年の7位から、2000年は5位に上がっている。
シドニーは6位。
1996年の23位から、2000年は6位と急上昇している。

世界会議が開催される都市 11位以下。

アジアでは、18位香港、20位ソウル、32位北京、33位東京が顔をだす。

アジア、オセアニアで、トップはシンガポール、シドニーが続く。
離れて香港、ソウル、北京、東京になる。

東京は、1991年は14位だったが、
1996年は24位、2000年は33位と、凋落している。
以後、世界会議が開催される都市のランキングは公表されなくなった。

「シンガポールの通知表」2009年11月8日で、
「世界会議」について書いた。

「世界会議」を開くには、同時通訳できる設備の国際会議場と、
できれば、併設する展示場がほしい。
参加者が宿泊するホテルが、近くに確保できて、
国際会議場まで移動が楽で、しかも、安全な街が望ましい。

シンガポール国際会議展示場(手前)。

奥はホテルとオフィス群。世界会議を開催するのにふさわしい。

さらに、会議を円滑に運営する調整能力(コーディネーション)と、
管理能力(マネジメント)を持つ、英語の話せるスタッフが必要になる。
シンガポールもオーストラリアも英語が公用語である。

せっかく出かけるのだから、会議が終われば、観光したい。
これが、楽しみなのだが、美術館や劇場、文化遺産を見たい。
あるいは、公園やアミューズメント・パークがあれば、なお楽しい。
もちろん、食事や酒が、うまいこと。
シンガポールも、シドニーも合格だ。

世界会議が開催される都市とは、機能と文化があって、安全で楽しめる、
魅力ある都市」ということになる。
シンガポールもシドニーも、魅力ある都市である。

シンガポールの街を見下ろした5枚の写真がある。
マラッカ海峡。

シンガポールは、太平洋とインド洋をつなぐところにあって、
貿易の中継地として最高の場所である。
沖合のマラッカ海峡には、船が行き交う。

その右側の高層建築街。

中央下には、マーライオンが、海にせり出している。
マーライオンは、シンガポールの「ランドマーク」である。

左側のアパーメント。


さらに左側のオフィス街。


そして、シンガポール港。

右奥に2本の鉄塔がある。
右端はアンテナがあるから通信用。
その左は、電力線の鉄塔だろうか?
でも、左右に延びていないし、電力線も見えないが。

これらの写真に共通して言えることは、
広告看板は、ビルディングの上部に、会社名やロゴが見える。
広告看板の高さ、面積、色などによって、広告料を払うのだろうか?
電柱電線がない。
樹木が多い。
水タンク空調機械がない。

シンガポールは、「世界会議」が開かれる魅力ある都市、
それに、景観も美しい。
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アゲハチョウの予想は雪が少ない

2011-01-09 00:11:07 | Weblog
この冬の冷えは厳しい。

玄関はマイナス6.5℃。1月8日、午前5時半。
松本の最低温度は、マイナス10.2℃。この冬、最低だった。

アゲハチョウは
「この冬は雪が少ない」
と、予想しているようだ。

例年の松本ならば、何度か「雪かき」をしている。
今シーズンは1月6日が初めての雪かき。
それも4~5センチ積もっただけ。
サーッと、寄せるだけの雪かき。

そして、松本城の雪景色が撮れた。

松と松の間からボケの木越に松本城を見る、お気に入りの場所から。

庭のアゲハチョウの「さなぎ」の上にも雪が積もった。

重いだろうに。雪を払ってやりたくなる。2011年1月6日。

寒くないだろうか?
凍らないだろうか?
雪に埋まらないだろうか?
そして、春になれば、アゲハチョウになるのだろうか?

さなぎを見つけたのは、去年(2010年11月)。
庭のポールについていた。


幼虫はどこから来たの?
我が家にはカラタチの木はないが。
幼虫は何の葉っぱを食べて、大きくなった?

でも、うれしかったな!
天使」が舞い降りたようだ。
あとは無事に、冬を越してほしい。

ところが、12月(2010年)になると、寒くなってきた。
温度を測った。

朝は1℃。
明け方の最低気温はマイナスだっただろうから、寒かっただろうに。

つぎに、さなぎの位置を測った。
地面から15センチ。これは、あまりにも低い。
15センチの雪ならば、1晩で積もる。雪に埋まらないだろうか?

ついに、雪が舞った。2010年12月。

フーッと吹いて、雪を飛ばしたくなるぜ。

アゲハチョウは、予想したにちがいない。
「この冬は雪が少ない。積もっても、15センチ以下」

「大雪注意報」は、北海道、日本海側、西日本で、
松本は雪が少ない。その代わりに、「低温注意報」。

この冬の楽しみが増えた。
「この冬は雪が少ない。積もっても、15センチ以下」
というアゲハチョウの予想が、当たるだろうか?
そして、「越冬」して、アゲハチョウになるだろうか?

もし、アゲハチョウの予想が外れて、
15センチ以上の雪が積もったら、
ソーッと除いて、顔を出してあげよう。
春に、アゲハチョウを見たいじゃないか。
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シドニーのランドマークはオペラ・ハウス

2011-01-05 00:11:05 | Weblog
世界の景観をみる。

「シドニーの景観」2011年1月1日で、
シドニーのランドマークは、「オペラ・ハウス」と書いた。
今回は、シドニーのランドマークは、「オペラ・ハウス」。

オペラ・ハウス。

2007年に、世界遺産に指定されている。

シドニーの象徴で、世界から観光客が訪れる。
2000年夏のオリンピック、シドニー大会で、マラソンのコースは、
シドニー湾に突き出ているオペラ・ハウスをぐるりと周った。

対岸から眺めたシドニーのタウン・センター。


高いのは、左のシドニー・タワー(高さ305メートル)。
でも、高いだけでは、ランドマークにはならない。
ほかに、巨大な建物はたくさんある。
でも、巨大だけでは、ランドマークにはならない。
高くもない、巨大でもない、右端の小さい、
「オペラ・ハウス」が、シドニーのランドマークだ。

街のランドマークの基準を、
1)「独自文化」である、
2)街の「象徴」になっている、
3)街の人が「誇り」を持っている。
 そして、「観光客」が訪れ、「外国人」観光客にも人気である。
4)国宝や国の重要文化財であれば、評価されたものになるが、
上記の1)、2)、3)があれば、こだわらないとしてきた。

オペラ・ハウスは、
「独自文化」であり、街の「象徴」であり、
街の人が「誇り」を持っている。そして、
「観光客」が訪れ、「外国人」観光客にも人気である。
それに、オペラ・ハウスは、何よりも世界遺産である。

シドニー・ハーバー・トンネルが開通している(1992年)。

右にあるハーバー・ブリッジと並行するように、
シドニー湾に掘られている(2.4キロメートル)。

ハーバー・ブリッジが、
交通量の増加によって、
朝晩の通勤時には渋滞になる。
限界にきた交通量を緩和するために、
シドニー・ハーバー・トンネルができた。

シドニーのタウン・センターを出るとき、
オーストラリア人は、ハーバー・ブリッジを渡った。
ハーバー・ブリッジは、タウン・センターを出るときは、タダだった。

タウン・センターに入るときには、
ハーバー・トンネルを通ろう」
と、コイン3ドル(300円)を料金箱に投げ入れた。

「このハーバー・トンネルは、
日本の熊谷組の海底トンネル技術によって建設された。
通行料金で建設資金を回収した30年後に州政府に引き渡される」
シドニー湾をもぐり、トンネルを抜けると、オペラ・ハウスの南側に出た。

「オペラ・ハウスの眺めがいいところがある」
と、連れて行ってくれたところは、
ミセス・マッコリーズ・ポイント(Mrs Macquaries Point)。

シドニーのタウン・センターの東北にある岬、
ミセス・マッコリーズ・ポイントからは、
ハーバー・ブリッジを背景に、
オペラ・ハウスを、眺めることができる。
「これがシドニーだ!」
と、写真を撮った。

オーストラリア人は、シドニーの観光名所である、
ハーバー・ブリッジを通り、ハーバー・トンネルを見せてくれた。

そして、「オペラ・ハウス」の見どころ、
ミセス・マッコリーズ・ポイントに案内し、
いい眺めに喜んでいるのをみて、
誇らしげである。
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シドニーの景観

2011-01-01 00:00:55 | Weblog
ようこそ 2011年

「世界の景観をみる」を続けます。

2011年の幕開けが早い国、オーストラリア。
シドニーは、東京より2時間早く新年を迎えた。
オーストラリアの、シドニーの景観をみる。

シドニーの季節は夏。
海水浴、サーフィンのシーズン。

マンリー・ビーチ。マンリー島、2月。

「シドニー湾をクルーズするならば、
フェリーがいいよ、遊覧船は高いから。
フェリーでマンリー島へ行くのがお勧め」
と、オーストラリア人に言われた。

オペラ・ハウス近くのフェリー乗り場(サーキュラー・キー)から、
北西のマンリー島まで、直線にして10キロメートル。
シドニー湾のクルーズが30分ほど楽しめる。
マンリー島には、大西洋に面した長いビーチ、
マンリー・ビーチがある。

そのマンリー島まで、フェリーから眺めた2枚の写真がある。
オペラ・ハウスとタウン・センター(中心街)。

オペラ・ハウスは、シドニーの象徴であり、
2007年に世界遺産になっている。

ハーバー・ブリッジ

ハーバー・ブリッジは、オペラ・ハウスとともに、
シドニー観光の見どころ。

オペラ・ハウスとハーバー・ブリッジを、上から眺めた2枚の写真がある。
シドニー湾に突き出たオペラ・ハウス。

オペラ・ハウスは、シドニーの「ランドマーク」である。
マンリー島は、右奥方向。

シドニー湾をまたぐハーバー・ブリッジ。

手前がシドニーのタウン・センター側。

これらの写真に共通して言えることは、
広告看板が見当たらない。
電柱電線がない。
鉄塔がない。
樹木が多い。
屋上に、水タンク空調機械がない。

シドニー湾の対岸から、シドニーの街を眺めることができる。
シドニーのタウン・センター。


ハーバー・ブリッジ。

左側がタウン・センター方向。

2000年に夏のオリンピック、シドニー大会があった。
オリンピックの主会場であるスタジアム・オーストラリア。

スタジアム・オーストラリアは、大林組の出資と技術によって建設された。

電話会社のテルストラが命名権を獲得して、
テルストラ・スタジアムと名付けられていた。
命名権を獲得した企業によって、名前が変わる。
ラグビーのワールド・カップも開催された(2003年)。

オリンピック、シドニー大会を観た世界の人は、
オーストラリアの豊かさ、文化の高さに目を見張った。

選手の中には、オリンピックが終わっても、
「帰りたくない。豊かなオーストラリアに住みたい!」
と、ひそんだ、不法滞在者が多く出た。
シドニーは、住みたくなる街。

シドニーでは、2000年のオリンピックを契機に、
「世界会議」が、多く開催されるようになっている。
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