草間彌生さんの作品を作家の川端康成さんが買っている。
「不知火」(しらぬい)と「雑草」である。
「不知火」Sea Fire。1955年作。
東京国立近代美術館、広島市現代美術館、熊本市現代美術館、
松本市美術館発行、「草間彌生」、2004年から。
「雑草」Weeds。1953年作。
東京国立近代美術館、広島市現代美術館、熊本市現代美術館、
松本市美術館発行、「草間彌生」、2004年から。
以下、敬称を省略する。
草間彌生の「不知火」と「雑草」を観たのは、
山梨県立美術館で開催された2011年の企画展、
「川端康成コレクションと東山魁夷」だった。
「川端康成コレクションと東山魁夷」のリーフレット。
川端康成がコレクションしている東山魁夷の作品を、
甲府市の山梨県立美術館へ見に行った。
そこには東山魁夷の「北山初雪」があった。
「現代日本の美術」、「東山魁夷」。集英社、1976年発行から。
川端康成が「ノーベル賞」を受賞したお祝いに、
東山魁夷が「北山初雪」を贈っている (1968年)。
「北山初雪」は美術館の所蔵ではなく、個人蔵だから、
一般公開されて、観ることができたのは幸運だった。
それ以前の1962年に、
川端康成は「文化勲章」を受章しているが、そのお祝いに、
東山魁夷は「冬の花」(北山杉)を贈っている。
「今、ふたたびの京都」、平山三男編、求龍堂発行から。
川端康成は、東山魁夷に進言している。
「京都は、今描いていただかないと、なくなります。
京都のあるうちに、描いておいてください」
それで、東山魁夷は「京洛四季」を描いた。
「京洛四季」の一つが「北山初雪」である。
「冬の花」(北山杉)と同じ構図になっている。
このことは、つぎに記載したので参照してください。
「東山魁夷の『北山初雪』は残っていた」、2012年3月11日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/2ffa9c842818d587aaa8d8f90d339cd9
山梨県立美術館の「川端康成コレクションと東山魁夷」で、
草間彌生の「不知火」と「雑草」が展示されているのを偶然に観て、
「川端康成は草間彌生の作品を所蔵している」
「どうしてだろう?」
と、いきさつを知りたくなった。
草間彌生は1929年、松本市生まれ。
現在の蟻ヶ崎高校を卒業して、
1957年にニューヨークに渡っている。
「不知火」は1955年の作、「雑草」は1953年の作だから、
草間彌生がニューヨークへ行く前の初期の作品(水彩画)である。
川端康成が草間彌生の「不知火」、「雑草」を買ったいきさつは、
「無限の網」草間彌生自伝、作品社、2002年発行に書いてある。
草間彌生は1955年3月、東京の求龍堂画廊で、
「不知火」ほか水彩画15点の個展を開いた。
「この個展の会場に訪れた作家の川端康成と、
美術評論化の久保貞次郎が、作品を購入した」
と、草間彌生は書いている。
この「無限の網」草間彌生自伝の最後に、
73歳の草間彌生は、つぎのように書いている。
「人生は真実素晴らしいとつくづく思い、
体が震えるほど、芸術の世界は尽きることなく興味があり、
私にはこの世界しか希望のわく、生きがいのある場所は他にないのだ。
そして、そのためにはいかなる苦労をしても悔いはない。
私はそのようにこれまで生きてきて、これからもそう生きてゆく」
松本市美術館で開催された草間彌生の企画展、
「永遠の永遠の永遠」で(2012年7月撮影)、
83歳の草間彌生の創作の様子が放映されていた。
草間彌生にスタッフがたずねている。
「先生、何歳まで描くんですか?」
すると、草間彌生はつぎのように応えた。
「1,000枚でも2,000枚でも、死ぬまで描く」
「描きまくって死ぬ」
さらに、
「絵の力で生きている」
「絵がなかったら、とうの昔に自殺していた」
「力のある限り、命のある限り、私は闘っている」
ほとばしるイメージを、ためらいもなくスイスイと描き続けている。
松本市美術館は、草間彌生の初期の作品を持っている。
草間彌生が超一流となった今では、買い増すことはむずかしいという。
川端康成が草間彌生の「不知火」と「雑草」を買ったのは、
26歳の草間彌生に、将来性を感じたのであろうか?
前衛芸術家を育てようとしたのだろうか?
草間彌生の作品を観るには、松本市美術館へ行けばいい。
「幻の華」が、いつでも迎えてくれる。2005年2月撮影。
高さ10メートル、横18メートルの巨大な草間彌生が。
川端康成が「不知火」も「雑草」を購入したのは1955年。
それから半世紀たった今、川端康成が「幻の華」を観れば、
ビックリされるだろうか? つぎのように言われるだろうか?
「『不知火』も『雑草』も、草間彌生が、
若いときの作品だったから買うことができた」
「草間彌生の作品は、もう手に入れるのはむずかしいだろう」
「草間彌生は、日本を代表する前衛芸術家になった」
「草間彌生は、天才だと思っていた」
「宇宙の中の水玉かぼちゃ」。
松本市美術館、2012年3月。
「不知火」(しらぬい)と「雑草」である。
「不知火」Sea Fire。1955年作。

東京国立近代美術館、広島市現代美術館、熊本市現代美術館、
松本市美術館発行、「草間彌生」、2004年から。
「雑草」Weeds。1953年作。

東京国立近代美術館、広島市現代美術館、熊本市現代美術館、
松本市美術館発行、「草間彌生」、2004年から。
以下、敬称を省略する。
草間彌生の「不知火」と「雑草」を観たのは、
山梨県立美術館で開催された2011年の企画展、
「川端康成コレクションと東山魁夷」だった。

「川端康成コレクションと東山魁夷」のリーフレット。
川端康成がコレクションしている東山魁夷の作品を、
甲府市の山梨県立美術館へ見に行った。
そこには東山魁夷の「北山初雪」があった。

「現代日本の美術」、「東山魁夷」。集英社、1976年発行から。
川端康成が「ノーベル賞」を受賞したお祝いに、
東山魁夷が「北山初雪」を贈っている (1968年)。
「北山初雪」は美術館の所蔵ではなく、個人蔵だから、
一般公開されて、観ることができたのは幸運だった。
それ以前の1962年に、
川端康成は「文化勲章」を受章しているが、そのお祝いに、
東山魁夷は「冬の花」(北山杉)を贈っている。

「今、ふたたびの京都」、平山三男編、求龍堂発行から。
川端康成は、東山魁夷に進言している。
「京都は、今描いていただかないと、なくなります。
京都のあるうちに、描いておいてください」
それで、東山魁夷は「京洛四季」を描いた。
「京洛四季」の一つが「北山初雪」である。
「冬の花」(北山杉)と同じ構図になっている。
このことは、つぎに記載したので参照してください。
「東山魁夷の『北山初雪』は残っていた」、2012年3月11日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/2ffa9c842818d587aaa8d8f90d339cd9
山梨県立美術館の「川端康成コレクションと東山魁夷」で、
草間彌生の「不知火」と「雑草」が展示されているのを偶然に観て、
「川端康成は草間彌生の作品を所蔵している」
「どうしてだろう?」
と、いきさつを知りたくなった。
草間彌生は1929年、松本市生まれ。
現在の蟻ヶ崎高校を卒業して、
1957年にニューヨークに渡っている。
「不知火」は1955年の作、「雑草」は1953年の作だから、
草間彌生がニューヨークへ行く前の初期の作品(水彩画)である。
川端康成が草間彌生の「不知火」、「雑草」を買ったいきさつは、
「無限の網」草間彌生自伝、作品社、2002年発行に書いてある。

草間彌生は1955年3月、東京の求龍堂画廊で、
「不知火」ほか水彩画15点の個展を開いた。
「この個展の会場に訪れた作家の川端康成と、
美術評論化の久保貞次郎が、作品を購入した」
と、草間彌生は書いている。
この「無限の網」草間彌生自伝の最後に、
73歳の草間彌生は、つぎのように書いている。
「人生は真実素晴らしいとつくづく思い、
体が震えるほど、芸術の世界は尽きることなく興味があり、
私にはこの世界しか希望のわく、生きがいのある場所は他にないのだ。
そして、そのためにはいかなる苦労をしても悔いはない。
私はそのようにこれまで生きてきて、これからもそう生きてゆく」
松本市美術館で開催された草間彌生の企画展、
「永遠の永遠の永遠」で(2012年7月撮影)、

83歳の草間彌生の創作の様子が放映されていた。
草間彌生にスタッフがたずねている。
「先生、何歳まで描くんですか?」
すると、草間彌生はつぎのように応えた。
「1,000枚でも2,000枚でも、死ぬまで描く」
「描きまくって死ぬ」
さらに、
「絵の力で生きている」
「絵がなかったら、とうの昔に自殺していた」
「力のある限り、命のある限り、私は闘っている」
ほとばしるイメージを、ためらいもなくスイスイと描き続けている。
松本市美術館は、草間彌生の初期の作品を持っている。
草間彌生が超一流となった今では、買い増すことはむずかしいという。
川端康成が草間彌生の「不知火」と「雑草」を買ったのは、
26歳の草間彌生に、将来性を感じたのであろうか?
前衛芸術家を育てようとしたのだろうか?
草間彌生の作品を観るには、松本市美術館へ行けばいい。
「幻の華」が、いつでも迎えてくれる。2005年2月撮影。

高さ10メートル、横18メートルの巨大な草間彌生が。
川端康成が「不知火」も「雑草」を購入したのは1955年。
それから半世紀たった今、川端康成が「幻の華」を観れば、
ビックリされるだろうか? つぎのように言われるだろうか?
「『不知火』も『雑草』も、草間彌生が、
若いときの作品だったから買うことができた」
「草間彌生の作品は、もう手に入れるのはむずかしいだろう」
「草間彌生は、日本を代表する前衛芸術家になった」
「草間彌生は、天才だと思っていた」
「宇宙の中の水玉かぼちゃ」。

松本市美術館、2012年3月。