高校野球は、「あいさつ」から始まる。
「試合開始」。飯田野球場。
バッター・ボックスの白線はクッキリとしている。
そして、高校野球は、「あいさつ」で終わる。
「試合終了」。飯田野球場。
選手の影が反対方向になった。
バッター・ボックスの白線は消えた。
野球発祥の地、アメリカ。大リーグに「あいさつ」はない。
高校野球の「あいさつ」は、いつから始まったのだろうか?
全国高校野球選手権大会は、2013年は95回大会になる。
長野県立歴史館では、企画展「信州の野球史」をやっている。
そこに「あいさつ」の写真があった。
松本商業と広陵中学の試合前のあいさつ。
1927年第13回大会(朝日新聞社 提供)。
バッター・ボックスの形が現在とは違う。
審判は3人である。
そして、試合の前後の「あいさつ」は、
1915年の第一回大会から行われていたことがわかった。
「あいさつ」の歴史は、さらに古かった。
第一回大会に先立つ1911年の、
奥羽6県中学校野球大会で、初めて行われた。
試合前後にホームベースに向かい合って、
「あいさつ」をした、とある。
日本の伝統スポーツの柔道や剣道では、
精神面に重きをおき、
人間形成の鍛錬の一つとして、
試合の前後に「あいさつ」をすることに習った。
企画展「信州の野球史」のリーフレット。
長野県立歴史館で。
写真の説明がある。
松本中学(現在の松本深志高校)のグランドで、
長野商業対飯山中学戦、1922年である。
90年前、松本城の本丸庭園は、
松本深志高校のグランドで、
ここで野球をしていた。
国宝「松本城」の本丸庭園の現在。
冬でも多くのお客さんでにぎわう。
東南アジアのお客さんの観光ルートは、
雪の松本城と後方の北アルプスが人気である。
大リーグの試合を見たかった。
アメリカ滞在中の1986年5月にかなった。
「ドジャー・スタジアム」。
ロス・アンジェルス・ドジャースのホーム球場。
球場に入ると、試合に先立つ練習をしていた。
ドジャー・スタジアムは、
ロス・アンジェルスの北にあり、
南にある家から、車で1時間ほどかかる。
駐車した場所をしっかりと覚えておかないと、
帰りにウロウロすることになる。なにしろ、
球場の周りは広い駐車場だから。
ロス・アンジェルスは、
雨がほとんど降らない。
夕方になると涼しくなる。
野球をするには最適の気候だ。
座席は、これでも内野席。右端は右翼ポール。
反対側の3塁席でいうならば、3階の青い席。
照明塔の下に薄く見える左翼ポールよりも左になる。
お客さんが増えてきた。薄暗くなって照明が点灯した。
外野のフェンスが開いて、マーチング・バンドが入ってきた。
そして、試合前の演出が始まる。
手前にチアガール、中央にマーチング・バンド、
さらに奥にもチアガール。全部で230名ほどいる。
チアガールのカラーの違いは、ハイスクールの違い?
スタンドは埋まってきた。
お客さんは、パーフォマンスをタップリと楽しんだ。
国歌斉唱、そして、試合。
試合開始の「あいさつ」はない。
大リーグを見ると、スピード、パワー、技術力が素晴らしかった。
日本のプロ野球が追いつくのは、難しいんじゃないかと思った。
野茂英雄投手がドジャースに入団するのは、
1995年であるから、9年後である。
トルネード投法で13勝を挙げていきなり新人王となり、
レッド・ソックスに移籍して、2001年に無安打無得点試合をする。
日本人が野手でなく、投手で活躍するとは予想できなかった。
それに、無安打無得点試合をするとは思わなかった。
野茂投手が日本人には力があることを示した。
もう一つの違いは、観戦の仕方である。
大リーグの観戦は、ピッチャーが投球するときは、
「つぎの一球は?」
に、集中する。
予想をしているようだ。
プレイの見どころを、ちゃんと見ている。
そして、味方のいいプレイには応援は沸く。
日本のように、ピッチャーが投球するときでも、
笛や太鼓を打ち鳴らし、サッカーのように、
席を立ってジャンプをし続けることはない。
試合の観戦は、予想と応援だが、
日本の観戦は予想が欠けている。
そして、試合は終わったが、「あいさつ」はない。
野球は、大リーグはパワーのぶつかり合い。
それに、エンターテインメントが加わる。
日本の高校野球は、人間形成の鍛錬。
精神修養に「あいさつ」はつきもの。
応援団も、試合の前にはエールを交換し、
試合後は、互いの健闘を称えあう、
儀式がある。ジーンとくる。
試合終了の「あいさつ」が終わると、
勝者の栄誉を称えて、「校歌」を斉唱し、「校旗」を掲揚する。
手拍子で校歌を歌う。諏訪湖スタジアム。
来週のブログは休みます、夏休み。
「試合開始」。飯田野球場。
バッター・ボックスの白線はクッキリとしている。
そして、高校野球は、「あいさつ」で終わる。
「試合終了」。飯田野球場。
選手の影が反対方向になった。
バッター・ボックスの白線は消えた。
野球発祥の地、アメリカ。大リーグに「あいさつ」はない。
高校野球の「あいさつ」は、いつから始まったのだろうか?
全国高校野球選手権大会は、2013年は95回大会になる。
長野県立歴史館では、企画展「信州の野球史」をやっている。
そこに「あいさつ」の写真があった。
松本商業と広陵中学の試合前のあいさつ。
1927年第13回大会(朝日新聞社 提供)。
バッター・ボックスの形が現在とは違う。
審判は3人である。
そして、試合の前後の「あいさつ」は、
1915年の第一回大会から行われていたことがわかった。
「あいさつ」の歴史は、さらに古かった。
第一回大会に先立つ1911年の、
奥羽6県中学校野球大会で、初めて行われた。
試合前後にホームベースに向かい合って、
「あいさつ」をした、とある。
日本の伝統スポーツの柔道や剣道では、
精神面に重きをおき、
人間形成の鍛錬の一つとして、
試合の前後に「あいさつ」をすることに習った。
企画展「信州の野球史」のリーフレット。
長野県立歴史館で。
写真の説明がある。
松本中学(現在の松本深志高校)のグランドで、
長野商業対飯山中学戦、1922年である。
90年前、松本城の本丸庭園は、
松本深志高校のグランドで、
ここで野球をしていた。
国宝「松本城」の本丸庭園の現在。
冬でも多くのお客さんでにぎわう。
東南アジアのお客さんの観光ルートは、
雪の松本城と後方の北アルプスが人気である。
大リーグの試合を見たかった。
アメリカ滞在中の1986年5月にかなった。
「ドジャー・スタジアム」。
ロス・アンジェルス・ドジャースのホーム球場。
球場に入ると、試合に先立つ練習をしていた。
ドジャー・スタジアムは、
ロス・アンジェルスの北にあり、
南にある家から、車で1時間ほどかかる。
駐車した場所をしっかりと覚えておかないと、
帰りにウロウロすることになる。なにしろ、
球場の周りは広い駐車場だから。
ロス・アンジェルスは、
雨がほとんど降らない。
夕方になると涼しくなる。
野球をするには最適の気候だ。
座席は、これでも内野席。右端は右翼ポール。
反対側の3塁席でいうならば、3階の青い席。
照明塔の下に薄く見える左翼ポールよりも左になる。
お客さんが増えてきた。薄暗くなって照明が点灯した。
外野のフェンスが開いて、マーチング・バンドが入ってきた。
そして、試合前の演出が始まる。
手前にチアガール、中央にマーチング・バンド、
さらに奥にもチアガール。全部で230名ほどいる。
チアガールのカラーの違いは、ハイスクールの違い?
スタンドは埋まってきた。
お客さんは、パーフォマンスをタップリと楽しんだ。
国歌斉唱、そして、試合。
試合開始の「あいさつ」はない。
大リーグを見ると、スピード、パワー、技術力が素晴らしかった。
日本のプロ野球が追いつくのは、難しいんじゃないかと思った。
野茂英雄投手がドジャースに入団するのは、
1995年であるから、9年後である。
トルネード投法で13勝を挙げていきなり新人王となり、
レッド・ソックスに移籍して、2001年に無安打無得点試合をする。
日本人が野手でなく、投手で活躍するとは予想できなかった。
それに、無安打無得点試合をするとは思わなかった。
野茂投手が日本人には力があることを示した。
もう一つの違いは、観戦の仕方である。
大リーグの観戦は、ピッチャーが投球するときは、
「つぎの一球は?」
に、集中する。
予想をしているようだ。
プレイの見どころを、ちゃんと見ている。
そして、味方のいいプレイには応援は沸く。
日本のように、ピッチャーが投球するときでも、
笛や太鼓を打ち鳴らし、サッカーのように、
席を立ってジャンプをし続けることはない。
試合の観戦は、予想と応援だが、
日本の観戦は予想が欠けている。
そして、試合は終わったが、「あいさつ」はない。
野球は、大リーグはパワーのぶつかり合い。
それに、エンターテインメントが加わる。
日本の高校野球は、人間形成の鍛錬。
精神修養に「あいさつ」はつきもの。
応援団も、試合の前にはエールを交換し、
試合後は、互いの健闘を称えあう、
儀式がある。ジーンとくる。
試合終了の「あいさつ」が終わると、
勝者の栄誉を称えて、「校歌」を斉唱し、「校旗」を掲揚する。
手拍子で校歌を歌う。諏訪湖スタジアム。
来週のブログは休みます、夏休み。