季節の変化

活動の状況

乗鞍高原の春の息吹

2016-06-26 00:00:35 | Weblog
乗鞍高原春の息吹
あざみ池と三本滝。2016年5月27日。
あざみ池。
新緑に、コナシミツガシワ


ミツガシワ


カモが、倒木のわきをすべる。


ベニバナイチヤクソウ


名前がわからない。


あざみ池の、となりにある池のミツガシワ

花の盛りは終わっていたが、水に映る影がおもしろかった。

あざみ池の近くの、春の小川沿い。
レンゲツツジ


リュウキンカ


ツマトリソウ

どれも、花弁が7枚

近くに、8枚があった。

写真を見て、8枚とわかったもので、
ツマトリソウを調べてみると、通常7枚とあった。
7枚と8枚の位置や距離などを、もっと見ておけばよかった!

このあと、美ヶ原高原で、ツマトリソウを見かけることになる。
美ヶ原高原へは、レンゲツツジを見に行ったもので、そこで、
見つけたツマトリソウについては、次回に掲載する。

三本滝。
黒い沢の滝


左は、小大野川の滝、右は、黒い沢の滝


小大野川の滝の左の、無名沢の滝


雲の切れ目から、乗鞍岳が顔を出してくれた。

手前の黒の中にある白は、コナシ。まいめの池付近で。

一週間後の晴れた日、2016年6月3日に、乗鞍高原へ行くと、
善五郎の滝と乗鞍岳を、同時に見ることができた。それに、
牛留池とまいめの池では、乗鞍岳が映っていた。

乗鞍高原案内板

エコー乗鞍・ふるさと庵の「信州 乗鞍高原案内板」から作成。

左端の松本から、国道158号を上がる。
前川渡を渡って、県道乗鞍岳線に入ると、乗鞍高原になる。
国道158号を、そのまま直進すると、沢渡から上高地へ行く。

右上にN乗鞍岳、最高峰は剣ヶ峰、3,026メートル。
U牛留池は、休暇村乗鞍高原の近く。
Aあざみ池と、Mまいめの池は、一の瀬園地方面で、
中央のP駐車場、乗鞍観光センターから、上(西)へ行く。

N乗鞍岳から発したR小大野川(こおおのがわ)は、乗鞍高原を左に流れる。
R小大野川沿いに、乗鞍三滝がある。上からS三本滝、
Z善五郎の滝、B番所大滝。

善五郎の滝。
善五郎の滝乗鞍岳

滝見台から。2016年6月3日、朝6時43分。
乗鞍岳と、善五郎の滝にも陽が当たってきた。

善五郎の滝

善五郎の滝に、陽が当たり、虹がかかる。2016年6月3日、朝6時52分。
撮影日時を記載したので、訪れるときの参考にしてください。

牛留池。
牛留池に、乗鞍岳が映る。

2016年6月3日、朝7時23分。

乗鞍岳ミツガシワ


牛留池のほとりの、ミツガシワ


まいめの池。
まいめの池に、乗鞍岳が映る。

白樺が、新緑に映える。2016年6月3日、朝8時25分。
レンゲツツジが、彩りを添える。

アヤメ


レンゲツツジ


ヒョウタンボク


レンゲツツジ乗鞍岳

乗鞍岳の残雪、高原の新緑に白、黄、赤が彩る。
善五郎の滝では、時に、虹が迎えてくれる。
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エベレスト街道の花と山

2016-06-19 00:01:00 | Weblog
エベレスト街道
エベレスト街道のトレッキングは、
マウンテントラベルの企画、
「ホテル・エベレスト・ビュー ヘリコプタートレッキング10日間」
ルクラ2,840メートルからシャンボチェの丘にある、
ホテル・エベレスト・ビュー、3,880メートルへ、
そして、クンデピーク、4,200メートルに登る、
を選んだ。2016年4月15日。

そして、旅行のねらい、
☆エベレスト街道をトレッキングして、
☆生エベレストを見たい。時間の変化も見たい、
☆それに、クンデピーク、4,200メートルに登りたい、
は、達成できた。

この様子は、つぎに掲載してきたので、参照してください。
「エベレストをトレッキングで見る」、2016年5月15日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/8bf2eb156925e3f3d0202c4f97fa79c9

「ホテル・エベレスト・ビューからヒマラヤの眺め」、2016月5月22日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/7685ec6f5391d1f7f1a680fe636876e4

「クンデピークからヒマラヤを眺める」、2016年5月29日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/3c4a5e73552428107bec7886ce9e02b4

「エベレスト街道トレッキングの心配ごと」、2016月6月5日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/d6ab451d1a6398e55dbfc1456df92e7f

「ネパール地震前後の古都バクタプル」、2016月6月12日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/7fb90560ba97838f77fbe7c504508ca8

ネパール旅行の最後は、エベレスト街道の花と山。
写真は、これまでに掲載していないものを選んだ。

エベレスト街道の
ラン

ルクラ → パクディン間で、2016年4月17日。標高2,700メートル付近。
「ちょうど咲いたよ!」と、セロジネ・ニティダは言っている。
着生というのだろうか、大きな木の股に生えていた。
エベレスト街道の左側、地上2メートルに注目。

馬酔木

ルクラ → パクディン間で、2016年4月17日。標高2,700メートル付近。
よく見かけた。標高が上がると、なくなった。

サクラソウ

ルクラ → パクディン間で、2016年4月17日。標高2,700メートル付近。
茎が長い。

さらに高いところでは、背丈が低くなった。

クンデピークで、2016年4月20日。標高4,100メートル付近。
色が薄い白から、ピンクになった。

リンドウ

ルクラ → パクディン間で、2016年4月17日。標高2,800メートル付近。
青と白のツートーン。

さらに高いところでは、色が違ってきた。

シャンボチェで、2016年4月19日。標高3,800メートル付近。
白に、2本の青い線がある。

紫色で星型。

パクディン → ナムチェ間で、2016年4月18日。標高2,800メートル付近。
船のスクリューのようだ。一輪だけ咲くブルースター?

これは、なに?

シャンボチェで、2016年4月19日。標高3,800メートル付近。
サボテン? 触ると毛玉のようだった。

アイリス

クンデピークで、2016年4月20日。標高4,100メートル付近。
花は地表から、すぐに咲く。花弁がクシャ、クシャ。

クシャ、クシャの花弁に、伸びている花弁。

クンデピークで、2016年4月20日。標高4,100メートル付近。

開こうとしないが。

クンデピークで、2016年4月20日。標高4,100メートル付近。
クシャ、クシャの花弁は、丸まっている。アイリスのレタス版?

シャクナゲタムセルク

パクディン → ナムチェ間で、2016年4月18日。標高2,800メートル付近。
ネパールの国花、シャクナゲと、ヒマラヤの組み合わせの一枚。
4,000メートルでは、シャクナゲは、つぼみになる。

吊り橋シャクナゲ

2016年4月18日。標高2.840メートル付近。

シャクナゲ

吊り橋 → ナムチェ間で、2016年4月18日。標高3,400メートル付近。
大きい木に、ヤブのような木が混じる。花は赤、ピンク、白。

カモシカシャクナゲ

シャンボチェで、2016年4月20日。標高3,800メートル付近。
シャクナゲが咲いている。これより上では、つぼみだった。 

▽カモシカが7頭、崖をよじ登る。エサをついばんでいるようだ。
このあと、合計14頭のカモシカが、駆け上がってきた。
国立公園では、捕獲が禁止されている、という。

エベレスト街道の
ヌプラ

パクディンで。2016年4月18日。標高2,610メートル付近。
朝のこの晴天を見ると、
今日のトレッキングは期待できる、
と、元気が出る! しかし、午後になって曇り、
ナムチェ、3,440メートルに近づくと、ポツン、ポツンと落ちてきた。

コンデ・リ

朝日が当たってきた。ナムチェから、2016年4月19日。標高3,440メートル付近。
円形の陥落は、氷がえぐり取った? 左はコンデ・リ5峰、6,187メートル。

コンデ・リ

ナムチェから、2016年4月19日。標高3,440メートル付近。
左はコンデ・リ4峰、6,093メートル、
右はコンデ・リ3峰、6,187メートル。
氷が絶壁をつくる? 氷が槍先をつくる?
自然は、こんな造形美を作るのか!

コンデ・リ

ナムチェの上から、2016年4月19日。標高3,600メートル付近。
頂部に陽が当たってきた。手前のナムチェには、まだ陽が当たらない。

コンデ・リナムチェ

ナムチェの上から、2016年4月19日。標高3,600メートル付近。
ナムチェにも陽が当たってきた。

クスム・カングル

シャンボチェから、2016年4月19日。標高3,800メートル付近。
クスム・カングルKusum Kanguru、6,367メートル、
中央峰、5,805メートル、
ゴンラGonglha、5,813メートル。
「鷲が空に舞い立つ山と、2つのピラミッドを造れ!」
と言われれば、イヤになるが、氷のノミはやってのけた?

クスム・カングルの左端の山。

シャンボチェから、2016年4月19日。標高3,800メートル付近。
6,356メートルは、氷のノミが自在に振るって、山肌を削った?

エベレスト

ホテル・エベレスト・ビューから、2016年4月19日。標高3,880メートル。
強風で雪煙は刻々と変わる、Top of the World。

アマ・ダブラム

ホテル・エベレスト・ビューから、2016年4月19日。
「塔を造り、下部はえぐって、氷河を残せ!」
と、創造主に言われた。

タムセルク

ホテル・エベレスト・ビューから、2016年4月19日。
左の氷のスフィンクスは、カンテガ。
「タムセルクには、ネックレースを掛け、下にカール地形を創れ!」

エベレスト

ホテル・エベレスト・ビューから、2016年4月20日、夕方6時16分。
黒い雲が一瞬どいて、エベレストが顔を出した。
たった数分のショーだった。

満月

ホテル・エベレスト・ビューから、2016年4月20日、夕方6時33分。
氷のスフィンクス、カンテガから、満月が上がってきた。
右はタムセルク。

エベレスト

ホテル・エベレスト・ビューから、2016年4月20日、朝5時25分。
雪煙と雲が焼けた。そして、刻々と形が変わる。

また翌朝。違う形。

ホテル・エベレスト・ビューから、2016年4月21日。朝5時29分。

エベレスト街道の山、Top of the World、
自然の創造に感激する、畏敬する。
生きる歓び、パワーをもらうようだ。
それに、エベレスト街道の花が添える。
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ネパール地震前後の古都バクタプル

2016-06-12 00:03:03 | Weblog
ネパール地震前後のボダナートと、古都バクタプル
2016年4月15日のネパール旅行では、心配ごとの一つに、
2015年4月25日に起きたネパール地震、M7.8があった。
震央はカトマンズの北西約77キロ。死者はカトマンズのほか、
インド、バングラデシュを含めて、9,000人を超えた。

マウンテントラベルの企画、
「ホテル・エベレスト・ビュー ヘリコプタートレッキング10日間」
では、エベレスト街道のトレッキングのほかに、
カトマンズの観光があった。
メインのエベレスト街道のトレッキングは、幸いにも、
地震の影響は軽微で、トレッキングには支障がなかった。
このことは、
「エベレスト街道トレッキングの心配ごと」、2016年6月5日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/d6ab451d1a6398e55dbfc1456df92e7f
に触れてあるので、参照してください。

カトマンズの観光では、
カトマンズから東へ7キロの、ボダナートと、
カトマンズの東12キロの、古都バクタプルを訪れた。
地震1年前の2014年3月10日に、カトマンズを訪れているので、
地震前後のボダナートとバクタプルを見る。

ボダナート
地震1年前の2014年3月10日。


地震1年後の2016年4月22日。

チベット仏教の聖地。世界遺産。
「ブッダの知恵の目」は、修復中。囲われている。
その上の塔は、ない。

ストゥーパの基壇
地震1年前の2014年3月10日。


地震1年後の2016年4月22日。

地震前には、三重の基壇の、一番下に上がった。
それから、ドームを一周した。が、地震1年後は、
足場のパイプが組まれた工事現場、入れない。

地震1年後の2016年4月22日。
広場では、テントを張って、チベット仏教のお祈り。

手前のマイクに向かう人が、高僧という。
ネパール人の女性ガイドは、チベット仏教だが、
唱えているお経はわからない、参列者は経典を読む、とのことです。

つぎに、世界遺産、古都バクタプル
日本のODAによってつくられた、カトマンズとバクタプルを、
結ぶARANKO HIGH WAYは、地震で一部が損壊した。
しかし、復旧して再開し、無事に着いた。

バクタプルでは、タチュパル広場、トゥマディ広場、
そして、ダルバール広場の、地震前後を見る。

バクタプルの東口、入場料を払って入ると、
パティが目に付く。
地震1年前の2014年3月10日。


地震1年後の2016年4月22日。

男性天国の休憩所、周りの住居も損壊がある。
男性の生活パターンは、変わらないようだ。

タチュパル広場
ダッタトラヤ寺院
地震1年前の2014年3月10日。


地震1年後の2016年4月22日。

ヒンドゥー教徒も、仏教徒も参拝する。
寺院も、手前のガルーダも無事、地震の被害はない。

孔雀の窓
地震1年前の2014年3月10日。


地震1年後の2016年4月22日。

ネワール彫刻の傑作、「孔雀の窓」は無事だった。うれしかった!
しかし、孔雀の窓の通りは、この先、つっかえ棒がある。
みやげ物やがならんでいたが、今はない。
これ以上、近寄らないほうがいい。

トゥマディ広場
ニャタポラ寺院
地震1年前の2014年3月10日。


地震1年後の2016年4月22日。

五層のニャタポラ寺院は、無事だった。
石段の戦士、象、獅子、グリフィン、女神も無事。

バイラヴナート寺院
地震1年前の2014年3月10日。


地震1年後の2016年4月22日。

1934年の地震で、被害を受け、再建された。
2015年の地震では、被害はない。
右上の絵には、今朝、いけにえにされた、
という、水牛の腸が、かかげられていた。

カフェ・ニャタポラ
3階で昼食。
地震1年前の2014年3月10日。


地震1年後の2016年4月22日。

建物に変わりがなかった。今回も、トゥマディ広場を眺めながら、昼食。
右のみやげ物や兼、カフェ・ニャタポラのオーナーの住居は、つっかえ棒がある。

3階の飛び出た席での昼食は、つっかえ棒を見ながら。
木造だから、だいじょうぶだったのかな?
エベレスト・ビール2本、うまかった!

ダルバール広場
旧王宮のゴールデンゲート
地震1年前の2014年3月10日。


地震1年後の2016年4月22日。

ゴールデンゲートの前には、残骸が転がっている。
ゴールデンゲートの中に入るが、地震の被害はなかった。

ゴールデンゲートの前にあったヴァッサラ・デヴィ
地震1年前の2014年3月10日。


地震1年後の2016年4月22日。

裏から撮ったが、ヴァッサラ・デヴィは、なかった。
右端に置かれた写真は、地震前の姿はこうだった、と示している。

レンガの寺院
地震1年前の2014年3月10日。


地震1年後の2016年4月22日。

レンガの寺院は、上がなかった。
下はつっかえ棒で、倒壊を防いでいる。人は近寄れない。
人出も減っている気がする。

ファシデガ寺院
地震1年前の2014年3月10日。


地震1年後の2016年4月22日。

上にあった寺院はなかった。
中央の石段の、ゾウ、獅子、牛は、残っていた。
左に⇒日傘の女性がいる。

近寄ると、モクモクと台座の修復をしている。

残った回廊は、つっかえ棒で倒壊防止。
地震1年後の2016年4月22日。

ここでの休憩、語らいは、危険に思えた。

生活は?
壊れた住居
地震1年後の2016年4月22日。

バクタプルの遺跡の周りの住居。

テント生活
地震1年後の2016年4月22日。

お母さんが、子どもを抱えている。
バクタプルの遺跡の出口で。

チベット仏教の聖地、ボダナートと
古都バクタプルでは、残った寺院のほかに、
遺跡の崩壊、残骸、そして、修復状況を見ることになる。
あわせて、市民の避難生活や、復興ぶりも。

訪れることは、入場料を払う、食事をする、ビールを飲む、
おみやげを買う…と、お金が落ちる。それに、
にぎわいがもどるから、災害復興の役に立つ。
ネパールとしては、一人でも多くの人に、来てほしい。
ただ、だいじょうぶだった芸術、文化遺跡を見るほかに、
修復=工事現場でもあるから、近づき過ぎないようにする。
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エベレスト街道トレッキングの心配ごと

2016-06-05 00:06:05 | Weblog
ネパール旅行の願いは、
☆エベレスト街道をトレッキングしたい、
☆生エベレストを見たい。時間の変化も見たい、
☆それに、クンデピーク、4,200メートルに登りたい。
富士山の3,776メートルを超えて、標高のレコードになる。

歳、体力を考えて、
エベレスト街道のトレッキングは、
ルクラ、2,840メートルからシャンボチェの、
ホテル・エベレスト・ビュー、3,880メートルへ、
そして、クンデピーク、4,200メートルに登る、を選んだ。

マウンテントラベルの企画、
「ホテル・エベレスト・ビュー ヘリコプタートレッキング10日間」
参加者は、個別参加の女性2人、ご夫妻、私の5人。2016年4月15日。

エベレスト街道のトレッキングは、
いくつもの心配ごとを抱えての参加だった。
1) 下痢はしないだろうか? 下痢止めは持ったが。
2) 体力は、ほかの人に遅れることなく、ついていけるだろうか?
3) 高山病にならないか? 水を1日4リットル摂るというが、トイレが心配だ、
4) 風邪をひかないか? 寝るときに、シェラフと湯たんぽが支給されるというが、
5) 2015年4月25日のネパール地震から、1年になる、
  カトマンズの東にあるエベレスト街道は、被害が少ないというが、
  エベレストのベースキャンプでは、雪崩がおきて、
  日本人1人が犠牲になっている。しばらくは、様子見になっている、
6) 禁酒の生活になるというが…やはりダメか?

これらの心配ごとに対して、
どのようにして対応したか? 記録しておこうと思う。

1) 下痢はしないだろうか? 下痢止めは持ったが。
日本の薬局で相談した。すると、
水や食事であたったときの対応は、
下痢を止めるよりも、むしろ、下痢をさせた方がいい、と言う。
そうは言われても、歩けなくなるのは困るから、下痢止めを買った。
むしろ、整腸剤(ビオフェルミンや正露丸)の方が、よかったかと思う。

下痢は、重要である。動けない本人もつらいが、
頻繁なトイレ探しは、メンバーに迷惑がかかる。
カトマンズのホテルの水道も、ロッジの水道も飲まなかった。
ホテルではペットボトルの水、ロッジではお湯にした、無料だった。
歯磨きは、ホテルもロッジも水道を使った。ゆすぐだけだからいいだろう?

生野菜、果物、ジュースは大丈夫だろうか? 水で洗うが。
添乗員に聞いたが、大丈夫とのことだった。
安全なホテルやロッジを選んでいるのだろう?
結局、下痢はしなかった。

2) 体力は、ほかの人に遅れることなく、ついていけるだろうか?
1日目、ルクラ → パグディン。約4時間。
 標高2,840メートル → 2,610メートル。
2日目、パグディン → ナムチェ。約6時間。
 標高2,610メートル → 3,440メートル。
 最後は標高差600メートルの登りがある。
3日目、ナムチェ → ホテル・エベレスト・ビュー。約3時間。
 標高3,440メートル → 3,880メートル。
4日目、クンデピークの登山。往復約6時間。
 標高3,880メートル → 4,200メートル。

1日目、ルクラ → パグディンは、ドゥード・コシ(川)沿い。

ドゥード・コシ(川)沿いを進み、先に見える吊り橋で川を渡る。
川沿い-吊り橋を渡る-川沿い…を繰り返す。
大きなアップ、ダウンはない。約4時間は、
ハイキングで、問題はない。

吊り橋の先の集落はロッジで、トレッカーの宿泊やレストラン。
一休みして、お茶を飲み、トイレを借りるのもロッジ。
トイレについては、あとでも触れる。

問題は2日目のパグディン → ナムチェである。
高い吊り橋を渡ってからは、川沿いとは、おさらばして、
ナムチェまで、標高差600メートルの登りになる。

下は昔の吊り橋。上の吊り橋を、右から左へ渡る。

Dドゥード・コシ(川)Dudh Kosiは、吊り橋の下で、
チベットからのBボーテ・コシ(川)Bhote Kosiと合流する。
このあと、Dドゥード・コシは、下流のルクラへと流れていく。

吊り橋から、下をのぞくと、
チベットからのBボーテ・コシは青く、
エベレストからのDドゥード・コシは乳白色。
ドゥードはミルク、コシは川で、ミルクの川。

吊り橋を渡ると、ナムチェまで、つづら折の登りが始まる。
疲れと高山病で動けなくなり、救急馬? で運ばれる女性を見た。

ナムチェの手前のトップ・ダラで。
女性を乗せた救急馬と馬方は、トットと先行し、
連れの男性が、あとを追いかけるように、
必死についてくるが、ばつが悪そうだった。

高山病の治療は、高度を下げるものと思っていたが、
「上のナムチェに運んで、酸素吸入などの処置をする」
と、ネパール人のガイドは言う。
「顔を見れば、高山病かわかる。むくみが出る」と言うから、
私はどうか? 聞いてみた。
「まったく問題ない」

曇り空から、ポツリ、ポツリと降ってきた。
レインウェアは着なかった。濡れたのは、
汗か、雨か、わからない程度の降り。

今が盛りのシャクナゲ

シャクナゲと山(コンデ・リの一部か?)の写真を撮るのが、
適当な休憩となって、急な登りを越えた。

救急馬が出動待機中。ナムチェの手前。

10数頭が出動待ち。女性の救急には、ここから出動したのだろう。
イザということになったら、お世話になる。
しかし、格好が悪い。避けたい。

ナムチェに着いた。3,440メートル。

エベレスト街道で最大の街。シェルパの里。
エベレスト登山隊が最後に装備を準備するところ。
ナムチェのロッジに泊まる。丘の先にクーンビラが頭を出す。
ここからは、まだ、エベレストは見えない。丘の先で、翌日の3日目になる。

3日目の、ナムチェ → ホテル・エベレスト・ビューは、
目の前の丘越え。これも難関。

シャンボチェの手前から見下ろすナムチェ。上はコンデ・リ

下に見えるナムチェから、上がってきたんだ。
⇒はナムチェ・バザールが開催される広場。

エベレストが見えるシャンボチェ、3,800メートルまで、
標高差が360メートルある。
酸素が薄くなって、息がきれる。
それに、3日目で疲れがでてきたこともあって、
メンバーは、休みながら、高山病を避けながら、ゆっくり登る。

そして、シャンボチェから見えたエベレスト

「来てよかった! トレッキングのかいがあった!」

CチョラツェCholatse、6,440メートル、
TタウツェTawetse、6,501メートル、
EエベレストEverest、8,848メートル、
LローツェLhotse、8,516メートル、
Pピーク38、Peak38、7,590メートル、
SシャルツェShartse、7,502メートル、
Aアマ・ダブラムAma Dablam、6,812メートル。
林の中に、Hホテル・エベレスト・ビュー3,880メートルがある。
「こんなに、すばらしいところがあったのか! もっと早く来たかった」

ホテル・エベレスト・ビューまで、全員が到達した。
ルクラ → ホテル・エベレスト・ビューまでの体力は、どのくらい必要か?
ネパール人の生活道路を歩くと言われても、山岳民族の脚力は別格である。
ポーターは、トレッカーの荷物、30キロをかついで、
我々トレッカーをスイスイと追い越していく。


ルクラからシャンボチェまでのエベレスト街道は、日本でいえば、
上高地、1,500メートルから、梓川沿いを横尾へ行き(3時間)、
涸沢ヒュッテ、2,309メートルに上がる(3時間)、に似ている。
休憩を入れて、標準の7時間で登る体力が目安になる。
ただ、エベレスト街道の標高は3,880メートルあるから、
体力のほかに、高山病対策が、別に必要。

4日目は、クンデピーク、4,200メートル。
高くはないが、酸素が薄くなってきている。
▽の展望台Hillary Memorial View Point、4,000メートルから、
上がってくるが、息がきれ、のろのろ歩きになる。
鼻で吸って、口ではく、で酸素を摂る。

右の岩山をいくつか越えて、クンデピークに着くが、
展望台で1人がリタイアして、5人中、3人が登ることができた。

体力は問題がなかった。救急馬は不要だった。
そして、みんなに、迷惑をかけることはなかった。

3) 高山病にならないか? 水を1日4リットル摂るというが、トイレが心配だ。
水分は、朝食と昼食に出される紅茶は、飲むようにした。すると、
ノドが渇かなかった、水を飲もうと思わなかった。
汗ビッショリでゴクゴクがなかった。

念のために、保温の水筒に半分ほど、ロッジでお湯をもらった。
水筒

左の500ミリ・リットルは、お湯を半分ほど入れて、
ザックに入れて持ち歩いた。しかし、最初に入れたお湯が、
そのままだった。ホテル・エベレスト・ビューの客室テラスで撮影。

右の1リットルは、使わなかった、空のまま。
ダッフルバッグに入れて、ポーターに運んでもらった。
エベレストまで見てきた? 2つの水筒に出番があった。
カトマンズのレストランで、飲んだロキシーがうまかった。
添乗員が話をしてくれて、1リットルを買うことができた。
ペットボトルに入っていたが、ヤワだったから、
2つの水筒に移し替えて、日本に持ち帰った。
1,500ルピー(1,530円)は、無事だった。

高山病にならなかったのは、朝、昼の紅茶と、
ルクラ → ホテル・エベレスト・ビュー間、
2,840メートル → 3,880メートルを、
2泊3日と、時間をかけて登った。それで、
高度順応ができた、のではないかと思う。
高山病の薬は、持って行かなかった。その時は、
添乗員が持っているだろう? という期待もあって。

トイレは、朝はロッジですませる。
大は、持参したトレットロールを使用。使用済みはバケツへ入れる。
ホテルでは、トイレットペーパーがある。使用済みはバケツへ。
トレットロールは2巻、鼻をかむのにも使って、適当な量だった。
ウェットティッシュをたくさん持っていった。かさばらないから。
トイレのあとや、食事の前に手を拭いた。これは重宝した。

昼は、食事をするロッジのトイレを使った。それに、
小休止で寄るロッジが、2時間ごとくらいにあった。
「行けるときに、行け」、を原則にした。この先、
いつなのか? どこなのか? 読めなかったから。

一か所だけ、小で有料トイレを使用した。
ならびの無料トイレは故障で、使えなかった。
50ルピー(51円)を番人に払う。レシートをくれた。


有料トイレがあったのは、ナムチョの手前のトップ・ダラだけ。
晴れていれば、木の間からエベレストが見えるところだが、
ポツリ、ポツリと降ってきた。

4) 風邪をひかないか?
  寝るときに、シェラフと湯たんぽが支給されるというが。
ロッジの2泊は、インナーとシェラフに、湯たんぽを中に入れて、
上は長袖の下着、下はパンツで潜り込んだ。その上に、
ロッジの上掛けをかけるが、十分暖かかった。
インナーとシェラフは、殺菌してあるという。

ロッジのベッド。

シェラフの上は、インナー。右下はダッフルバッグで、
ポーターにかついでもらう。ロッジに着くと、部屋に配られる。

ズボンは、ほこりだらけで、脱いだ。
山用2本持ってきたので、交代で使用。
ほかに1本は、カトマンズ観光と機内用。
(これは、カトマンズのホテルに預けてきた)

ホテル・エベレスト・ビューのベッド。

フカフカの上掛けの下に、湯たんぽを入れてくれる。
シェラフは使わない。長袖の下着に、
下はスパッツを着けて潜り込む。
湯たんぽが熱くて、蹴とばして、朝は隅にあった。
2泊目は、スパッツを着けなかった。

ついでに、洗髪について。
ロッジでは、洗髪はなし。朝晩の洗面器にお湯で、
顔を洗い、ひげをそった。体は、タオルで拭いた。

ホテル・エベレスト・ビューでは、朝晩、バケツにお湯。
1日目は、水のシャワーを浴びた。しかし、冷たかった。
2日目は、バケツのお湯を、水で薄めながら、バスタブの中で、
少しづつ、頭にかけて洗髪。少しのお湯で、体を流すことを覚えた。

ホテル・エベレスト・ビューでは、バスタブにつかりながら、

エベレストを眺めるは…村人の水が枯渇するために、できない。
村の女性が、クムジュン村から毎日、水を担ぎ上げている。
水源を確保する水道工事をしているが、完成するまでお預け?

5) 2015年4月25日のネパール地震から、そろそろ1年になる、
  カトマンズの東にあるエベレスト街道は、被害が少ないというが、
  エベレストのベースキャンプでは、雪崩がおきて、
  日本人も1人が犠牲になっている。

エベレスト街道は、震央から遠ざかるために、吊り橋が落ちる、
道が崩壊する、などはなく、トレッキングに支障はなかった。
エベレスト街道沿いの集落が、崩壊したということもなかった。
観光客のもどりは、地震前の半分くらいか、と添乗員はいう。

クンデ村やクムジュン村のチョルテン(仏塔)はひび割れていた。
チョルテン(仏塔)。クンデ村。


6) 禁酒の生活になるというが…やはりダメか?
怖いのは、高山病である。
添乗員の指導で、ロッジに着くと、1時間ほど様子をみた。
1日目は、パグディン、標高2,610メートル。
高山病の症状は?…でなかった。ロキシーを飲んだ。
家庭で造る焼酎で、ロッジごとに味が違う。

日本の焼酎よりも度が強い。が、うまい、ノドにスイスイと入った。
コップ1杯100ルピー(102円)だから、リーズナブル。
ビール1本300ルピー(306円)だから、ビールはやめた。
日本で飲めるビールを、わざわざ、ネパールで飲まなかった。
ネパールに来たら、ネパールのものを飲みたいじゃないか。
ロキシーを数杯飲んだ。酔っぱらった。
でも、翌朝は残らない、快適。

2日目は、ナムチェ、標高3,440メートル。
標高差600メートルを上がって、ロッジに着いた。
2時間待つように言われた。高山病の症状は?…でなかった。

トゥンバを飲んだ。150ルピー(153円)。
トゥンバは、ふた付きの真鍮のカップで出てきた。

中はヒエを発酵させたものという。添乗員が撮影してくれた。
ストローの先端は、つぶしてある。吸ったときに、
ヒエのツブツブが上がってこないように。

作り方、飲み方、作法…がわからない。
ガイドが、ポットからお湯を、タプタプと注いでくれた。


ふたをして、待つ。

ふた付きの器がいいじゃないか!

待つこと3分、OKがでた。
チュウ、チュウと吸う。薄くて、甘くない甘酒。
少なくなると、またお湯をつぎたして待つ。
そして、吸う。これを数回、繰り返した。

トゥンバは、ネパールだけの体験だ! 
同行のメンバーに勧めた…が、飲まない。
同じストローを吸うのが、イヤだったのかな?
写真は撮るが、不思議そうに見ているだけ。

ロキシーのような強力さはない。
雰囲気がいいじゃないか! それに酔う。
ネパールの地酒の作り方と飲み方、味を知った。
農作業の時は、かたわらに置いて、1日30回飲むという。

3日目は、ホテル・エベレスト・ビューに着いた。
テラスで、赤ワイン。標高3,880メートル。

Nヌプツェ、Eエベレスト、Lローツェ。
Top of the Worldを見ながら、味わう赤ワイン。
ホテル・エベレスト・ビューならではである。

「ホテル・エベレスト・ビュー ヘリコプタートレッキング10日間」は、
経験豊かな添乗員、ネパール人のガイドによって、
エベレスト街道のトレッキングの心配ごとは、
1) 下痢なし、
2) 体力あり、
3) 高山病なし、
4) 風邪ひかず、
5) 地震の影響は軽微、
6) 地酒あり、
で、問題がなかった。

そして、旅の願い、
☆エベレスト街道をトレッキングしたい、
☆生エベレストを見たい。時間の変化も見たい、
☆それに、クンデピーク4,200メートルに登りたい、
は、ぶじに達成することができた。地酒付きで。

60歳から始めた山歩き、それに、72歳を考えると、
よくやったな! すばらしい体験ができた、と感慨にひたっている。
年間に100キロの水泳が、心肺機能を鍛えるのに役立った、と思っている。

このすばらいい体験は、数年前にしておけばよかったな!
このことは、シャンボチェからTop of the Worldを見てから思った。
「こんなに、すばらしいところがあったのか! もっと早く来たかった」
魅せられて、さらにクンデピーク、4,200メートルより高い、
カラ・パタール、5,545メートルまで行きたくなった。
Top of the Worldが、間近になるではないか。マジか?

「Yetiで雲の上へ」、イエティ航空から。

Eエベレスト、右に高くそびえるNヌプツェ。
Nヌプツェの左奥に、Lローツェが頭を出す。
Eエベレストの下にG氷河が流れる。

エベレスト街道のトレッキングの心配ごと、
1) 下痢はしないか?
2) 体力はあるか?
3) 高山病にならないか?
4) 風邪をひかないか?
は、若ければ、それだけ問題が少ない。
「ホテル・エベレスト・ビュー ヘリコプタートレッキング10日間」は、
数年前に体験しておけばよかった。
エベレスト街道の概要がわかる。そして、
数年後に、カラ・パタール、5,545メートルへ行く道が開ける。

ネパール人のガイドに、
「私の体力で、カラ・パタールへ行けるか?」
聞いてみた。
「行ける」と答えた。
お世辞であってもうれしくなる。でも、
それは今の体力であって、数年先は衰えている。

ガイドは、日本へ行ったことがある。
槍ヶ岳と、奥穂高岳へ登った」
「富士山は、登らなかった」と言う。
富士山は、日本の最高峰でも、登山の魅力はない。

「槍ヶ岳と奥穂高岳は、どうだった?」と、聞いた。
日本人に遠慮をして、ガイドは答えない。それで、
「大したことはなかった?」と、聞いてみた。
「大したことはなかった」と、言う。

Top of the Worldが、これからの人は、
若いうちに、体験されることをお勧めする。
「一生に一度の思い出」
十分に満足できる。
さらに、昂揚してくれば、
ゴーキョ・ピーク、5,360メートルや、
カラ・パタール、5,545メートルを目指す夢が拡がる。
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