季節の変化

活動の状況

このブログの人気記事は「福島市の放射線量」

2012-05-27 00:05:27 | Weblog
先週の2012年5月20日に掲載したブログ、
「累積の被ばく量が1mSvを超えた」を見ると、
最後に「あわせて読む」の項目がある。


「『Weblog』カテゴリの最新記事」のつぎに、
このブロブの人気記事」があって、
「累積の被ばく量が1mSvを超えた」
「福島市の放射線量」
「福島市の放射線量2012年」
がある(2012年5月20日の週)。

「このブロブの人気記事」は、
日によって、少し変る。3つのうち、
福島市の放射線量」は変わらないが、ほかは、
「六ヶ所原燃PRセンターの放射線量」になったり、
「南相馬市の放射線量」になったりする。


「南相馬市の放射線量」は、
2011年7月10日の掲載で、10ヶ月前の記事、
「福島市の放射線量」は、
2011年9月11日の掲載で、8ヶ月前の記事、
「六ヶ所原燃PRセンターの放射線量」は、
2011年10月9日の掲載で、7ヶ月前の記事、
「福島市の放射線量2012年」は、
2012年1月22日の掲載で、4ヶ月前の記事である。

六ヶ所原燃PRセンターの放射線量」の概要は、つぎである。
「六ヶ所原燃PRセンター」。

立派な建物が、広い敷地に建っている。
広場や遊具があって、公園のようだ。
「怪獣ショウ」も行われる。

「六ヶ所原燃PRセンター」の手前には、
立派な「総合体育館」があった。

「六ヶ所原燃PRセンター」から見える巨大な屋根が「総合体育館」。
「六ヶ所村大石総合運動公園」の中にある。

「六ヶ所原燃PRセンター」のとなりには、
ゴルフ場「下北300ゴルフ・クラブ」が広がる。

「六ヶ所原燃PRセンター」は、
核燃料サイクル」について、
実物大の模型やパネルで説明している。

原子力発電の安全性」のパネルがある。

5重の防壁
「原子力発電所では、どのような場合においても放射性物質を閉じ込め、
外へ出さないしくみになっています。それが「5重の防壁」です」。

第1の壁 ペレット
第2の壁 被覆管
第3の壁 原子炉圧力容器
第4の壁 原子炉格納容器
第5の壁 原子炉建屋
 原子炉を納める建物です。
 厚いコンクリート壁で放射性物質を閉じ込めます。

しかし、福島第一原発の事故で、「5重の防壁」は破壊された。
メルトダウンで、第4の壁「原子炉格納容器」までが溶け、
爆発で、第5の壁「原子炉建屋」が吹き飛んだ。
閉じ込めるはずの「放射性物質」は飛び散った。

原発は、人知でコントロールできるものではない」
ということを、 福島は世界に示した。

原発の「安全神話」は崩れた。信頼を失った。
それに、「核燃料サイクル」の見通しもたっていない。

「六ヶ所原燃PRセンター」のスタッフに聞いてみた。
「原発事故があってから、お客さんは多いですか?」
「・・・やはり、落ちています」
すべてを語っている。

学童が団体で、「六ヶ所原燃PRセンター」へ、
「次世代エネルギー」をわくわくしながら、
見に行く姿は、もうないだろうな?

この詳細は、つぎにあります。
「六ヶ所原燃PRセンターの放射線量」、2011年7月10日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/ee2d42dc62242be4c1b26d5d0434d5c1


つぎに、
南相馬市の放射線量」と、
福島市の放射線量」の概要。

南相馬市には、
福島第一原発の事故があってから、
3ヶ月後の2011年6月に訪れている。
さらに、3ヶ月後に、福島市を訪れた。

そして、南相馬市の街と、
福島市の街の違いに驚いた。
南相馬市はゴーストタウンのようだが、
福島市は繁華街で、
ふだんの生活と変りがないように見えた。

南相馬市の「原ノ町駅」は、
福島第一原発から北24キロで、
「福島駅」は、北西63キロになる。

南相馬市では、街を歩く市民に行き会わなかった。
街は、ひっそりとしている。

移動は車でする。
市民は、被曝(ばく)からの自衛をしていた。
マスクに長袖、しかも、窓を閉めるというように。
学童は、まったく見かけなかった。避難している。

放射線量は、福島市の方が、
南相馬市よりも高いが、
福島市は、にぎわっていた。
福島第一原発の事故に、まるで、
福島市は、関係がないようだった。

南相馬市、原ノ町駅。2011年6月。

福島第一原発から25キロだから、避難区域20キロを外れている。

原ノ町駅前の「南相馬市図書館」の毎時の被ばく量は、
0.70マイクロ・シーベルト [μSv/h]だった。
朝9寺半。ひっそりしていた。

災害ボランティア・センターのある福祉会館へは、
原ノ町の駅前通りを行くが、歩いている人がいない。

シャッターが下りている。
多くの人が南相馬市から、避難した。
店は営業していない。それか、できない。お客がいないから。

福祉会館まで30分ほど歩いたが、人とすれ違わない。
歩いている人は、私だけ。人影がない。

車だけは通る。
人は車の中にいて、
長袖にマスク、窓は閉め切っている。
放射線を浴びないように自衛している。

パトロール・カーが走る。
警察官は、2人ともマスクをしていた。
南相馬市の放射線量が高いことは、
住人も警察官も、十分知っている。

この詳細は、つぎにあります。
「南相馬市の放射線量」、2011年7月10日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/a01c1d1ec1ed310effe03992a7f9b83d

そして、3ヵ月後に訪れた福島市。
福島市の駅前通り。2011年9月。

国際放射線防護委員会(ICRP)は、毎時の被曝限度を、
0.52マイクロ・シーベルト毎時(μSv/h)と定めているが、
福島市の毎時の被ばく量は、
2マイクロ・シーベルト [μSv/h]~
3マイクロ・シーベルト [μSv/h]ある。
この場所から、すぐに退避しろ!
のレベルだが、福島の街はにぎわっていることに驚く。

福島の市民は、街を歩いている。
マスクなし、半そでで、ふだんの生活と、
変わりがないように見えた。
学童は、普通にいる。

あわせて、話をした3人の生の声も掲載した。
新聞記者、東京からの女性、そして、福島の人である。

この詳細は、つぎにあります。
「福島市の放射線量」、2011年9月11日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/f6427ef824f387fce8ed19399f00f7cf


福島市の放射線量2012年」では、
測定した場所と、放射線量の増減を書いた。
一度汚染されると、なかなか減らないものだ。
それに、これまでで最高の被ばく量、
23.6マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]も体験した。



測定した場所、福島市。


この詳細は、つぎにあります。
「福島市の放射線量2012年」、2012年1月22日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/2942155d17396e57ce694557cf16e261


「このブロブの人気記事」に載った、
「福島市の放射線量」、
「福島市の放射線量2012年」、
「累積の被ばく量が1mSvを超えた」、
「南相馬市の放射線量」、
「六ヶ所原燃PRセンターの放射線量」、
の閲覧状況を、検索エンジン
GoogleYahoo! Japanbingでみる。




「このブロブの人気記事」を、
Googleの検索件数と順位でみると、つぎである。
「福島市の放射線量」は、約243万件のうち、2位、
「福島市の放射線量2012年」は、約107万件のうち、2位、
「累積の被ばく量が1mSvを超えた」は、約5万300件のうち、1位、
「南相馬市の放射線量」は、約54万9千件のうち、3位、
「六ヶ所原燃PRセンターの放射線量」は、
約34,200件のうち、1位でした。

なお、「福島市の放射線量」について、
bingでの順位は、日ごとに激変している。
2012年5月26日の順位は、たまたま37位だが、
日が変れば、100位内に入らなかったりする。

「このブロブの人気記事」は、
多くの方から閲覧いただきました。
ありがとうございます。
なんらかの、お役に立つことができたと思っています。
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累積の被ばく量が1mSvを超えた

2012-05-20 00:15:38 | Weblog
2012年3月11日は、
東電の福島第一原発事故から、1年である。

国際放射線防護委員会(ICRP)は、
被ばく量の限度を定めていて、
毎時の被ばく量は、0.52マイクロ・シーベルト[μSv/h]
年間の被ばく量は、1ミリ・シーベルト[mSv/y]である。

毎時の被ばく量については、
アメリカ軍は、さらに厳しい限度を定めている。
基地や施設で健康に問題がない被ばく量を、
0.32マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]としている。

東電の福島第一原発事故の被災者にとっては、
1年間の被ばく量が、健康に問題がないとしている、
1ミリ・シーベルト[mSv/y]におさまったか?  どうか?
は、最大の関心事であると思う。

個人的にも、1年間の被ばく量が、
1ミリ・シーベルト[mSv/y]におさまったか?
大いに関心があった。

放射線量計を入手したのは、
東電の福島第一原発事故があった3ヶ月後の、
2011年6月15日だった。
2012年6月15日で1年になる。

放射線量計DP802iは、
毎時と累積で、つぎの値になると、
警告」するように設定しておいた。

毎時では、0.50マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]になると、
ピッ、ピッと小刻みに警告音が鳴る。
累積では、1ミリ・シーベルト[mSv]になると、
ピーッ、ピーッ、ピーッと甲高い音が鳴り響く。

放射線量計を入手してからは、
毎朝6時ころに、被ばく量を測り、
あわせて、累積の被ばく量をみていた。

2012年4月29日、6時5分、
放射線量計を入手してから319日目である。
累積の被ばく量が、999.9マイクロ・シーベルト[μSv]になった。

あと、0.1マイクロ・シーベルト[μSv]で、
累積の被ばく量が1ミリ・シーベルト[mSv]になる。

およそ1時間後の7時9分だった。
ピーッ、ピーッ、ピーッ、と甲高い音が鳴り響いた。

ビックリしたね! 覚悟はしていたが。
累積の被ばく量が1ミリ・シーベルト[mSv]になったのだ。


被ばく量を測定し始めてから1年以内の319日目に、
1ミリ・シーベルト[mSv]になった。
ドギマギした。それに、
319日は、早いと思った。

累積1ミリ・シーベルト[mSv]は、
福島第一原発のメルトダウンによる被ばくのほかに、
自然環境から受ける被ばくがあるが、
それにしても、1年もたたずに、
1ミリ・シーベルト[mSv]とは、
気持ちのいいものではない。

どこで被ばくしたのか? 表にしてみた。


毎時の被ばく量が1位~5位は、福島市である。
福島市を歩くと、ポケットの放射線量計がピッ、ピッ鳴る。
毎時の被ばく量が、0.50マイクロ・シーベルト[μSv/h]以上だから、
この場所から、すぐに退避しろ!
という警告である。

紅葉山公園」。奥は阿武隈川。

「知事公邸」、「福島県庁」はすぐ近くにある。

「今年は、落ち葉の清掃をしていない」
と、犬と散歩をしていた福島の人は言う。

「紅葉山公園」の、
23.6マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]は、
体験したうちで、一番高い被ばく量となった。

側溝の土砂や落ち葉には、放射性物質がたまっている。

犬と散歩をしていた福島の人といっしょに見ていたが、
高い値にビックリし、ガッカリしていた。

「いつもは、落ち葉をかき集めるが・・・。
汚染された落ち葉を集めても、処分したり、
持って行く場所がないからかな?」
と言う。

福島県庁」。




毎時の被ばく量が6位~10位は、
福島市、郡山市、南相馬市である。

福島市、郡山市、南相馬市を歩くと、
ポケットの放射線量計がピッ、ピッ鳴る。
毎時の被ばく量が、0.50マイクロ・シーベルト[μSv/h]以上だから、
「この場所から、すぐに退避しろ!」
という警告である。

日本銀行 福島支店」。

放射線量計は、手前の雪の上にある。

繁華街にある「日本銀行 福島支店」の前を通ると、
ポケットの放射線量計がピッ、ピッ鳴る。
被ばく量を測った。すると、道行く人は、
「なにをしているのか?」
と、怪訝(けげん)そうに見るので、
すばやく切り上げた。
銀行強盗に見られるのはイヤだから。

南相馬市 本町通り」。

道路標識に、右は「南相馬市役所」とある。
歩いている人はいない。シャッターは下りている。



毎時の被ばく量が11位~15位は、
南相馬市、郡山市、名取市(宮城県)、東北新幹線内である。

南相馬市、郡山市を歩くと、
ポケットの放射線量計がピッ、ピッ鳴る。
毎時の被ばく量が、0.50マイクロ・シーベルト[μSv/h]以上だから、
「この場所から、すぐに退避しろ!」
という警告である。

名取市、東北新幹線内は、
アメリカ軍が限度とする毎時の被ばく量、
0.32マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を超えている。

南相馬市図書館」。

歩いている人はいない。「南相馬市図書館」の右は、「原ノ町駅」に続く。

東北新幹線内」。福島駅付近。


よく利用する、
特急「あずさ」(松本-新宿)や、
特急「しなの」(長野-松本-名古屋)、ほかに、
「長野新幹線」(長野-大宮)でも、被ばく量を測ったが、
「東北新幹線」のような高い値にはならなかった。

放射性物質は風に運ばれ、雨や雪でに積もる。
富士山、御嶽山ほか、長野県の山で測定した。



富士山、御嶽山、岳沢(北アルプス)、
麦草峠(八ヶ岳)、八柱山(八ヶ岳の東)の被ばく量は少ない。

富士山」。高川山(976m)から。

富士山は、福島第一原発の南西にあり、308キロ離れている。

御嶽山」。夏でも雪が残る。

御嶽山は、福島第一原発の南西にあり、360キロ離れている。

岳沢」(北アルプス)は、穂高連峰の中腹、
中央のポツンと白い雪▽である。

手前は、梓川(あずさがわ)。



美ヶ原、高ボッチ、美し森(八ヶ岳)、上高地-河童橋(北アルプス)、
ビーナスラインの被ばく量は少ない。

高ボッチ」。

左から「八ヶ岳」、「富士山」、「南アルプス」。手前は「諏訪湖」。

ビーナスライン」にある「八島ヶ原湿原」。

右後方は「霧ヶ峰」の車山。

長野県には、「」が多い。
汚染された土砂は「湖」に流れ込む。
行楽地でもある「湖」でも測定した。



諏訪湖、白樺湖、蓼科湖、雨池(八ヶ岳)、
御射鹿池(奥蓼科)の被ばく量は少ない。

白樺湖」。奥は蓼科山。


御射鹿池」(みしゃかいけ)。奥蓼科。


松本市在住だが、
被ばく量が増えたのは、
ボランティア活動ほかで訪れた、
南相馬市や福島市、東北新幹線などで、
被ばくしたためである。

しかし、ボランティア活動だから、
訪れた時間は短い。

福島第一原発のメルトダウンによる被ばくで、
東北に住まわれている人の累積被ばく量は、
松本に在住している私よりも、もっと多い。
年間、1ミリ・シーベルト[mSv/y]を超えているだろう。

単純計算をしてみる。
福島市で、外に2時間44分いたが、
そのときの被ばく量は、
1.9マイクロ・シーベルト[μSv]だった。
1日では、16.7マイクロ・シーベルト[μSv/d]になり、
年間にすると、6.9ミリ・シーベルト[mSv/y]になる。

大量に被ばくしないためには、
家か学校、オフィスの中に、
閉じこもるしかない。

年間の被ばく量の限度、
1ミリ・シーベルト[mSv/y]が、
はたして、守られたか? 守られなかったのか?
どこかに、公式の調査結果があってもいい。

東電の福島第一原発事故の被災者にとって、
年間の被ばく量、1ミリ・シーベルト[mSv/y]は、
最大の関心事である。

日本の最大の関心事である。
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東山魁夷のブログの閲覧状況

2012-05-13 00:43:15 | Weblog
東山魁夷」について、17回掲載してきた。
どのブログの関心が、高かったのだろうか?
東山魁夷のブログの「閲覧状況」をみる。

検索エンジン、
GoogleYahoo! Japanbingで、
東山魁夷のブログの閲覧の順位を調べる。

東山魁夷のブログ、17回はつぎである。
1)東山魁夷の「花明り」、2011年11月6日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/5d2fb467f0b2f445c4612087812e077d
2)東山魁夷の「年暮る」、2011年11月13日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/a5dac37b237ee890a9b85629131e1808
3)東山魁夷の「緑のハイデルベルク」、2011年11月20日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/f7c7523990957d0900cf066cf0984e63
4)川端康成、東山魁夷、井上靖の「安曇野への旅」、
2011年11月27日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/e0ec23bbd5be088a697624dd222d06bc
5)東山魁夷の「安曇野を想う」、2011年12月4日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/6b4d0e185dffac26dde0160f895e6f31
6)東山魁夷が想う京都、2012年2月19日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/ba8c3630ff34fb37eea0fbf652e8f504
7)東山魁夷の安曇野への旅、2012年2月26日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/4299107241d287b1069fb4d678761e32
8)東山魁夷の「年暮る」から半世紀、2012年3月4日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/4299107241d287b1069fb4d678761e32
9)東山魁夷の「北山初雪」は残っていた、2012年3月11日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/2ffa9c842818d587aaa8d8f90d339cd9
10)東山魁夷のハイデルベルクはドイツの京都、2012年3月18日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/63fd6769eb683384262393522d7e20b1
11)東山魁夷のザルツブルク、2012年3月25日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/65a99ce58c1287c48ccb357e29176a03
12)東山魁夷の北欧、2012年4月1日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/d27c6e3e43951a5789a0996817186533
13)東山魁夷の「行く秋」が生まれた町、2012年4月8日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/09c25b7272ba08d2403ea3ad61313afe
14)東山魁夷と信州の絆、2012年4月15日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/9e52195242e2cea284b414a400fd22d9
15)東山魁夷の「自然は心の鏡」、2012年4月22日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/9ff6b846278e55a02e7ee7f05e429595
16)東山魁夷の「残照」、2012年4月29日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/88651acd2017d5783aa6c0f4d183cf22
17) 東山魁夷の心の故郷を失った人、2012年5月6日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/49d960a63fc3dec03c02b81f75574623

「東山魁夷」で検索すると、
Googleでは、約72万件ある。
Bingでは、10万2千件ある。
ところが、Yahoo! Japanでは、件数はでてこない。

Yahoo! Japanには、
Googleの検索エンジンが、
供給されていると思うから、
順位は、Googleと似ている。

「東山魁夷」のブログ17について、
「タイトル」のほかに、
「季節の変化」(トップページ)を加えて、
合計18の項目で検索した、閲覧状況の順位はつぎである。


ハイデルベルク、ドイツ。





「年暮る」と同じ場所の、半世紀後の「京都」の街並み。





「自然は心の鏡」、長野市の霊園。





「井上靖、川端康成、東山魁夷」、安曇野市の長峰山。


東山魁夷のブログの閲覧の順位は、
おかげさまで、高いものでした。
多くの閲覧をいただき、
ありがとうございました。
書いたかいが、あったというものです。

「東山魁夷」について、
楽しんでいただけたと思っていますし、
さらに、今後の調査に役立てていただけたら、幸いです。


トップページである「季節の変化」の検索について。
「季節の変化」で検索すると、
Googleでは、249万件あり、
bingでは、1,270万件ある。

その中で、トップページの「季節の変化」が、
Googleでも、Yahooでも、bingでも、
1位になっている。
ありがたいことだ。

これは、「東山魁夷」を含めて、
これまで掲載してきたブログが読まれてきた。

「東山魁夷」のブログ以外で、
よく読まれているブログは、つぎである。
シルクロード」シリーズ、
世界の通知表」シリーズ、
世界のタクシー」シリーズ、
街のランドマーク」シリーズ、
街の景観」シリーズ、
縄文王国諏訪」シリーズ、
安曇野と松本」シリーズ、
放射線量の測定」シリーズ、
その他。

シルクロード」シリーズでは、
つぎが、よく読まれている。
「西安で、餃子占い」
「兵馬俑の謎、2200年の秘密」
「敦煌文書の謎、850年の秘密」
「莫高窟の謎ときは、菩薩が教えてくれた」

「王圓籙による100年前の大発見、敦煌文書」
「万里の長城の終わりは、山や河の自然の要塞」

世界の通知表」シリーズでは、
つぎが、よく読まれている。
「韓国の通知表」
「フィンランドの通知表」

「世界一の学力フィンランド」
「シンガポールの学力は世界4位」
「世界がみる、日本人のアイデンティティ」
「シンガポールのチャンギ空港とアジアのハブ空港の座」

世界のタクシー」シリーズでは、
つぎが、よく読まれている。
「東ドイツの教師ドライバー」
「タクシー・ドライバーの5つの条件」

「国が消滅する前の東ドイツを訪問」
「海外でタクシーに乗るときの教訓、注意」
「ニューヨークの地下鉄から落書きが消えた」
「家族でニューヨークのイエロー・キャブに乗る」
「タクシー・ドライバーには筆記試験と実地試験」
「インテンショナル故意に遠回りをしたドライバー」

街のランドマーク」シリーズでは、
つぎが、よく読まれている。
「ランドマークの閲覧状況」
「京都のランドマークは金閣寺」
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「名古屋のランドマークはトヨタ産業技術博物館」、
「バルセロナのランドマークはサグラダ・ファミリア」


街の景観」シリーズでは、
つぎが、よく読まれている。
「ライの景観」
「二年坂の電線」
「チュニスの景観」

「バルセロナの景観」
「ツェルマットの景観」
「電線の埋設率の国際比較」

「醜い国に気付かない日本人」
「南アフリカの銀行の地下は金鉱」
「アメリカ、イギリス、日本の住環境」

縄文王国諏訪」シリーズでは、
つぎが、よく読まれている。
「御神渡りの神事」
「御柱祭は世界遺産に」

「岡本太郎が爆発する御柱祭」
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「岡本太郎が縄文美術を発見した」
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安曇野と松本」シリーズでは、
つぎが、よく読まれている。
「松本城の季節の変化」


「おひさまの安曇野と松本」


放射線量の測定」シリーズでは、
つぎが、よく読まれている。
「福島市の放射線量」

「富士山の放射線量」

「東北新幹線の放射線量」
「福島市の放射線量2012年」

「特急『あずさ』の放射線量」
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「ドナルド・キーンさんの日本人に勇気を」
「福島原発は放射線漏れ、女川原発では放射線漏れなし」

その他では、つぎが、よく読まれている。
「国際化か死か」
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「プラハの春のおもかげは、『共産主義の犠牲者たちを記念して』」

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「100年たっても世界が忘れない日露戦争」
「フランスのワイン・カード」

「スペイン料理とフランス料理」、
「イギリスのモーニング・チャイルド」
「スペインのシエスタ・チャイルドと天才」
「スペインのハモンとイタリアのプロシュット」

その他の2では、つぎが、よく読まれている。
「ベルリンの壁崩壊 20周年」、

「シンガポールの世界競争力は1位」
「盗聴、密告、秘密警察で人生を失う」

「日本をベンチマーキングしたアメリカ」
「経済戦争で、計画経済が市場経済に負けた」
「航空会社は自動車レースをベンチマーキング」

「三十年戦争のはじまりとなったプラハ城の窓」
「東ベルリンの見どころは、慰霊碑と博物館だった」
「ベルリンの壁は、帝国主義者による拉致を防ぐため」
「廃墟となった国会議事堂の回復に、半世紀かかった」
「トラバントは生産中止に、シュコダはフォルクスワーゲンの子会社に」

単なる評論はおもしろくないので、
現地を見て、現地人の生の声を聞いて、書いた。
戦後の世界の状況がわかるブログにしたつもりである。
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東山魁夷の心の故郷を失った人

2012-05-06 00:14:38 | Weblog
東山魁夷は、
「いまの日本には心の故郷を失った人が、
多すぎると考えるときがあります」
と言う。
「東山魁夷画文集 風景との対話」、東山魁夷著、新潮社、1978年から。

これまで、東山魁夷について、16回掲載してきた。
そして、私が感じる東山魁夷は、
独自文化をもった人、
オリジナイティのある人。
日本の文化に愛着を持った人。
もちろん、西洋のマネではない。
そして、心の故郷を持った人である。

これらは、東山魁夷について掲載した16回で知ることができた。
1)東山魁夷の「花明り」、2011年11月6日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/5d2fb467f0b2f445c4612087812e077d


2)東山魁夷の「年暮る」、2011年11月13日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/a5dac37b237ee890a9b85629131e1808
「京都」の街並み。


3)東山魁夷の「緑のハイデルベルク」、2011年11月20日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/f7c7523990957d0900cf066cf0984e63
「ハイデルベルク」、ドイツ。


4)川端康成、東山魁夷、井上靖の安曇野「安曇野への旅」
2011年11月27日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/e0ec23bbd5be088a697624dd222d06bc
「川端康成、東山魁夷、井上靖」、安曇野市の長峰山。


5)東山魁夷の「安曇野を想う」、2011年12月4日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/6b4d0e185dffac26dde0160f895e6f31
「長峰山」から見た安曇野と北アルプス。2011年11月。


6)東山魁夷が想う京都、2012年2月19日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/ba8c3630ff34fb37eea0fbf652e8f504
「京都」の街並み。


7)東山魁夷の安曇野への旅、2012年2月26日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/4299107241d287b1069fb4d678761e32
「井上靖、川端康成、東山魁夷」、安曇野市の長峰山。


8)東山魁夷の「年暮る」から半世紀、2012年3月4日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/4299107241d287b1069fb4d678761e32
「年暮る」と同じ場所の「京都」の街並み。


9)東山魁夷の「北山初雪」は残っていた、2012年3月11日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/2ffa9c842818d587aaa8d8f90d339cd9
「北山杉」、京都。


10)東山魁夷のハイデルベルクはドイツの京都、2012年3月18日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/63fd6769eb683384262393522d7e20b1
「ハイデルベルク」、ドイツ。


11)東山魁夷のザルツブルク、2012年3月25日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/65a99ce58c1287c48ccb357e29176a03
「ザルツブルク」、オーストリア。


12)東山魁夷の北欧、2012年4月1日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/d27c6e3e43951a5789a0996817186533
「ラップランド」、フィンランド。


13)東山魁夷の「行く秋」が生まれた町、2012年4月8日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/09c25b7272ba08d2403ea3ad61313afe


14)東山魁夷と信州の絆、2012年4月15日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/9e52195242e2cea284b414a400fd22d9
「御嶽山」、信州。


15)東山魁夷の「自然は心の鏡」、2012年4月22日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/9ff6b846278e55a02e7ee7f05e429595
東山魁夷のお墓。


16)東山魁夷の「残照」、2012年4月29日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/88651acd2017d5783aa6c0f4d183cf22
「八ヶ岳」、高ボッチから。


東山魁夷の16回の掲載は、つぎを基本にしている。
☆調査をする。
☆現地に赴く。
☆自分の目で見る。
☆本や画集で、裏づけをする。
☆写真を掲載してわかりやすくする。そして、
☆タイトルを決め、文を書き、編集して、掲載する。

毎週のように掲載したが、書けたわけは?
調査がしやすかったことである。
つぎの11項目が挙げられる。
a)信州に住んでいること。
b)「東山魁夷館」には、寄贈された作品950点がある。
c)木曽路の「東山魁夷 心の旅路館」には、寄贈された500点がある。
d)「現代日本の美術 東山魁夷」、集英社、1976年が、
最初に買った画集で、今でも持っている。
e)「花明り」と「行く秋」を手に入れて、飾っている。
f)「東山魁夷画文集」新潮社、1978年を古本屋で手に入れた。
g)信州には、東山魁夷の「石碑」がある。
h)東山魁夷、川端康成、井上康の3巨頭が、そろって安曇野を訪れている。
i)「おもしろ美術講座」に参加した。
j)東山魁夷が「留学」し、「海外旅行」をした国を訪れている。
k)「東山魁夷館」をはじめ、いくつかの「美術館」で作品を見た。

調査がしやすかった11項目の内容はつぎである。
a)信州に住んでいること。
東山魁夷にとって信州は、
「作品を育ててくれた故郷であり、
風景画家への道を歩む決意をした」
ところである。
そして、信州を多く描いている。

その信州に住んでいるから、
東山魁夷が描いた場所や、
心象とした風景には、
すぐに、行くことができた。
それに、季節の変化で行くことができる。

緑響く」のモデル、「御射鹿池」(みしゃかいけ) 、奥蓼科。2012年5月。
春先だが、夏に向けて、緑が深くなっていく。


「白馬」は現れなかったが、「かもしか」が現れて、しばし、にらめっこ。

「御射鹿池」の近くの道路で、2012年4月。

b)「東山魁夷館」には、東山魁夷から寄贈された作品950点がある。
2か月ごとに展示替えがあり、また、
企画展「生誕100周年東山魁夷展」があって、
東山魁夷の主要作品を見ることができた(2008年)。


c)木曽路の「東山魁夷 心の旅路館」には、
東山魁夷から寄贈された、500点のリトグラフ、木版画がある。

東山魁夷は、
「テント旅行で木曽路を旅し、御嶽山に登った。
山国の自然の厳しさに強い感動を受けるとともに、
そこに住む素朴な人々の心の温かさに触れることができた」
木曽路の旅によって、「風景画家」の道を歩む決意をした説明がある。

d)「現代日本の美術 東山魁夷」、集英社、1976年が、
最初に買った画集で、今でも眺めている。

e)「花明り」と「行く秋」を手に入れて、
玄関に飾ってある。印刷だが。

f)「東山魁夷画文集」新潮社、1978年を古本屋で手に入れた。
東山魁夷の生いたち、作品、旅行、それに、
自然や景観への考えがわかる。


g)信州には、東山魁夷の「石碑」がある。
☆「安曇野を想う」、安曇野市の長峰山。


☆「次代を荷う皆さん」、安曇野市の明科高校。


☆「馬車よ ゆっくり走れ!」、須坂市。


☆「歩み入る者に やすらぎを
去り行く人に しあわせを」、
木曽路の「東山魁夷 心の旅路館」。


☆「自然は心の鏡」、長野市の霊園。


h)東山魁夷川端康成井上 靖の3巨頭が、そろって安曇野を訪れている。
「長峰山」から見た北アルプス。2012年4月。

「安曇野は、なんと美しかったことか」
と、東山魁夷は言っている。

i)「おもしろ美術講座」に参加した。
「東山魁夷館」の学芸員による出張講座で、
松本で数回開催され、「東山魁夷」に関する講座があった。

j)東山魁夷が「留学」し、「海外旅行」をした国を訪れている。
ドイツ、オーストリア、北欧、フランス、イタリア、
イギリス、ベルギー、アメリカ、中国・・・。
東山魁夷の作品や文を、調査し、
より理解するのに役立った。

そして、「風景」、「文化」、「作品」に対する、
東山魁夷の考えを、身近に感じた。

それに、
イギリス、アメリカで、
あわせて6年間、生活をしたので、
日本の良さがわかり、
東山魁夷の言う、
「海外から日本を振り返ってみる」
ということが、よくわかる。

ザルツカンマーグート」、オーストリア。

東山魁夷は、ロープウェイで「ツヴィーゼルアルム」へ登って、
ダッハシュタインの山々とゴーザウ湖を見ている。

「ゴーザウの湖畔のケーブルで、ツヴィーゼルアルムへ登る。
ダハシュタインの高峰に続く岩山を望み、
眼下にゴーザウ湖、ゴーザウ村の谷を見下ろす」

「ゴーザウの滞在は、静かに自己を省み、
これから取り組む唐招提寺の障壁画の構想に、
思いを凝らす貴重な時間だった」
「東山魁夷画文集 旅の環」、東山魁夷著、新潮社、1980年から。

k)「東山魁夷館」や「東山魁夷 心の旅路館」のほかに、
いくつかの「美術館」を訪れて、
主要作品を見ることができた。
東山魁夷館」では、主要作品のほかに、
唐招提寺の「障壁画 濤声(とうせい)」。
「東山魁夷 心の旅路館」では、「山嶺湧雲」(さんれいゆううん)。
大熊美術館」では、北欧紀行「古き町にて」。
東京国立近代美術館」では、「残照」、「道」。
山種美術館」では、「秋彩」、「年暮る」。
山梨県立美術館」では、「北山初雪」。
北澤美術館」では、「晩鐘」、「緑のハイデルベルク」。


こうして、現地や美術館を訪れて調査をし、
東山魁夷の作品を知っていくことは、
楽しみだった。

東山魁夷について、16回掲載してきたが、
私が感じる東山魁夷。
独自文化をもった人、
オリジナイティのある人。
日本の文化に愛着を持った人。
もちろん、西洋のマネではない。
そして、心の故郷を持った人である。

日本の良さを見ることができた人。
海外を知って、日本を見ることができた人である。

このことを示す東山魁夷の言葉がある。
「東山魁夷画文集 風景との対話」、東山魁夷著、新潮社、1978年から。
「私は東京美術学校を卒業すると結城先生に師事し、
研究科に籍をおいて欧州へ行く準備をはじめた。
まだ、自分の将来に、たっぷりと時間がある、
と思っていた若い日のことである」

「ただ一通りの美術行脚の旅でなく、
西洋で生活することによって、
そこから日本振り返ってみたいと思った」

「東山魁夷画文集 美の訪れ」、東山魁夷著、新潮社、1979年、
「心の故郷」から。
「若いとき、外国での生活という、
道草をくっていたときがありました。
西洋の芸術や、町に親しさを感じたことがありますが、
それは、いまになってみると、
日本風景文化に対する愛着を深めるための、
回り道であったように思えます」

「こういう意味からいえば、
私は故郷を見失った人間ではなく、
故郷を心の中に持っているともいえるのでしょう。
そして、逆に、いまの日本には心の故郷を失った人が、
多すぎると考えるときがあります」

日本人は、なに人のマネをしているのか?
日本人は、なに人になりたいのか?

東山魁夷から教えられたこと。
それは、「風景」、「文化」、「作品」を、
国際的な視野でみることである。
国際的な視野とは、
☆「独自文化」か?
 「オリジナリティ」か?
 西洋の猿マネでないか?
☆「展覧会」が海外で開催されたか?
☆海外から「表彰」されたか?
☆海外に「影響」を与えたか?

東山魁夷は?
☆東山魁夷の「展覧会」は、
東ドイツ、西ドイツ、フランス、中国などで開催された。
もちろん、盛況だった。
☆東山魁夷の「表彰」は、
西ドイツ大統領から「功労大十字勲章」を授与された。1976年。
☆東山魁夷の「作品」は、
海外から称賛された。それに、所蔵を望む美術館がある。
フランスでは、「森厳と静寂の美」と称賛され、
ドイツでは、「ナショナル・ギャラリーに一点ぜひ所蔵したい」。
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