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活動の状況

大間原発の放射線量

2011-09-25 00:13:17 | Weblog
大間原発の放射線量を測った。

大間原発の建設現場。中央に見える緑の塀から奥が敷地。

電源開発が進めている大間原子力発電所は、
2008年に着工して、2014年に運転開始の予定だった。
ところが、福島第一原発の事故で、工事は中断した。
クレーンは止まったまま。工事現場は音がしない、人の気配がしない。

緑の塀の左は民家で、人が住んでいる。
手前はテトラポットの工場。

そもそも、大間原発はどこにあるのか?
青森県の下北半島である。地図は「下北ナビ」から。

下北半島の突端は、「まぐろ漁」で有名な「大間」。
大間から南へ4キロの海沿いに大間原発はある。

大間は、本州の最北端。
北海道の函館とは目と鼻の先。最短で17.5キロ。
津軽海峡フェリーは、大間と函館を1時間40分で結ぶ。

どうして、この大間原発に注目したのか?
それは、出力日本一の原発、138.3万kWになる。
それに、「世界初のフルMOX原発」になるからである。
使用済み核燃料を再処理して作ったMOX(Mixed Oxide)燃料、
ウランとプルトニウムの混合酸化物燃料を100%使用する。

現在、原発の日本一の出力は、新潟県の柏崎の東京電力の、
刈羽(かりわ)原発の135.6万kWの6号機、7号機である。

柏崎港の先にある刈羽原発。柏崎の番神堂から撮影。2004年。

大間原発ができれば、138.3万kWは、
刈羽原発の135.6万kWを抜くことになる。
ちなみに、東京電力の福島第一原発は、
1号機が46万kW(1971年3月運転開始)、
2~4号機が78.4万kW(1974年~1978年運転開始)である。
大間原発の138.3万kWは、福島第一原発の1号機の3倍になる。

むつ市まで来た。さて、これから大間原発に行くが、
「大間原発に一番近いバス停は、どこですか?」
と、下北交通のバスのドライバーに聞いた。
「白浜海岸が近い」
と、ドライバーは言う。

「だけども、白浜海岸は入口から建てやまで、
距離があるから、見ることはができない。
手前の、中磯なら、建てやを見ることができる」
というバス・ドライバーのアドバイスによって、
「中磯」で降りることにした。

大間を通る佐井行きは、むつ市の下北駅から、2時間に1本出る。
下北駅⇒大畑⇒下風呂温泉⇒大間崎まで1時間47分かかる。
大間崎で観光客と土地の人、数人が降りて3人になった。

大間崎。「まぐろ一本釣の町 おおま」で記念撮影。右奥の灯台は弁天島。


大間崎から5分ほどの津軽海峡フェリー乗り場で、
1人が降りて、乗客は2人になった。
さらに5分の「中磯」に来た。
「昔は、海岸線をバスが通ったが、今は原発の用地になったから、
通行止めになっている。バスは、新しい道を迂回する」
と、バスのドライバーは言う。そして、
「福島の原発事故があってから、
大間原発は工事を中止しているが、
ここで降りて、昔の道を行けば、門があるでしょう」

中磯」で降りたのは、私だけ。
バスのドライバーは不思議そうに、私を見ていた。
お礼を言って、手を振ると、バスは出発した。
バス・ドライバー、ありがとうございました。
おかげで、大間原発にたどり着けました。

昔、バスが通った道を行くと、左右には民家や工場がある。
その先は、通行止めになっていた。

そして、建設用地は灰色の高い鉄板の塀で囲われている。
工事用のゲートはなかった。

引き返して、丘側に向かったが、丘にも塀があって、
建設現場は見えない。離れて見るしかない。
そして、撮ったのが最初の写真。

「中磯」のバス停にもどった。

「中磯バス待合所」、ちゃんとした小屋だ。
今日一日の利用者は、おそらく私、一人。

こんなに立派なバス待合所は「中磯」だけ。
ほかのバス停は、標識が立っているだけだったが。
「中磯」のバス停の奥は民家、さらに奥が大間原発の建設現場。

「中磯」のバス停のそばで、放射線量を測った。2011年9月4日。

0.19~0.08マイクロ・シーベルト毎時(μSv/h)だった。

なんで、大間原発で放射線量を測ったのか?
まだ、大間原発は運転していないのに。

いま大間は、安全であることを知っておきたい。それに、
「大間のまぐろ」が汚染されていないことを、確かめておきたい。

大間原発から大間崎にバスでもどった。
まぐろ焼き。海峡荘。

右の台の上の頭は「70キロのまぐろ」、
うしろのバケツの左横の頭は「85キロのまぐろ」、という。

まぐろ焼きは、頭の肉をそいで、左の炭火で焼く。
「大間で獲れた生まぐろで、冷凍ではない」
おすすめの一皿、まぐろ焼き500円に生ビール、うまかったな!

大間港では、まぐろ船、イカ釣り船がとまっていた。


浜の小屋には、「美吉丸」の大漁旗が舞っている。
「2千20万円のまぐろを釣り上げた漁師の店!」とある。

向かいのレストラン、「大間んぞく」では、まぐろ料理を提供する。
「まぐろ目玉」コラーゲンたっぷり、一皿700円あり。

大間崎でも放射線量を測った。

津軽海峡の海辺に放射線量計を置いた。奥は弁天島。その先は函館になる。
海辺で放射線量を測るのは初めてだ。2011年9月4日。

0.19~0.08マイクロ・シーベルト毎時(μSv/h)。

こんぶを拾う女性が、だんだん近づいてくる。

「こんぶは、何日くらい干すんですか?」
「1日です。天気が良ければ」
大間では、「こんぶ」も「まぐろ」も汚染されていない。

世界初のフルMOX原発」は、
使用済み核燃料を再処理して作ったMOX(Mixed Oxide)燃料、
ウランとプルトニウムの混合酸化物燃料を100%使用する。

ウラン235の資源には限りがあって、
このまま使い続けると、数十年で枯渇する。
それで、使用済み核燃料の再処理で、
ウランにプルトニウムを混ぜたMOX燃料を使う。

福島第一原発の3号機でも、このMOX燃料を6%使用した。
しかし、MOX燃料は、事故のときに危険が大きい。
低い温度で溶融すること、
濃縮ウランに比べて、汚染が2百万倍になること、
プルトニウム239の半減期が2万4千年であること、などである。

「フルMOX原発」は、
完成された技術とはいえない、
安全性の問題が大きいとして、
大間原発の建設には、反対がある。
炉心近くの土地は、地権者の反対で未買収となっている。
電源開発にとっては、大間原発が初めて手がける原発になる。

大間原発は本州の最北端でも、函館にとっては目と鼻の先。
事故の被害は、半径30キロ以内に入る函館が受けるとして、
函館市長や議会は、大間原発の無期限の凍結を求めている。
また、函館の市民団体からは、
津軽海峡にある活断層の地震対策が不十分など、
大間原発の「建設差し止め」の訴訟がでて、裁判が継続している。

一方で、青森県知事は、大間原発の工事を再開したい。
工事の4割が終わっている。
交付金は、これまでに68億円を受け取り、
漁業補償は150億円を受け取って、漁業権の一部を放棄している。
交付金、補償金で地域開発をしたい。

そして、電源開発は、福島第一原発の事故を受けて、
原子力安全保安院に、大間原発の安全強化対策を報告した。
1) 津波対策は4.4メートルから、高さ15メートルの防潮壁をつくる、
2) 20メートルの高台に非常用発電機を設置する、
3) 原子炉や使用済み核燃料貯蔵プールを冷やす水タンクや、
  排水ポンプを新設する。


のどかに見える大間は、
大間原発の交付金で地域開発をするのか?
「大間のまぐろ」は安心・安全の道をいくのか?
原発の安全神話が崩壊して、津軽海峡は渦巻いている。
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東北新幹線の放射線量

2011-09-18 00:33:05 | Weblog
東北新幹線の車内の放射線量を測った。
1回目は、2011年6月27日で、
大宮から仙台まで東北新幹線に乗ったとき、
郡山駅~福島駅で、放射線量計に変化があった。

2回目は、2011年9月3日で、
大宮から八戸まで東北新幹線に乗ったとき、
福島駅付近で、放射線量計に変化があった。

東北新幹線「はやて」。東京駅。2011年1月。

福島第一原発の災害が発生する2か月前の写真。

東北新幹線の車内の放射線量を測った1回目の2011年6月27日は、
南相馬市の災害ボランティア活動のために仙台へ行った。
常磐線が津波と原発事故の汚染で、不通だったから、
南相馬市へ行くには、いったん、仙台まで行ってから南下した。
常磐線の一部と、代行バスで南相馬市へ行くことができた。

その東北新幹線で、大宮から仙台へ向かったとき、
放射線量計を東側の窓辺において、外を眺めていた。

すると、郡山駅~福島駅で、放射線量計に変化があった。
0.32マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。2011年6月27日。

あわてて撮れたのは、0.27マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。

初めて見る大きな値に、ドキドキした。
これまで、松本でも、安曇野でも、ビーナスラインでも、
0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を超えることはなかった。

東北新幹線の仙台、福島、郡山、宇都宮、大宮の各駅で下車して、
放射線量を測定してみることにした。2011年6月27日、30日。
そして、各駅での放射線量は、
「東日本の放射線量」として、2011年7月17日に記載した。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/ed8589bc402cdd20f68eb5f5e8f64835

東北新幹線の各駅の放射線量。2011年6月27日、30日。
単位はマイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。

東北新幹線の駅で、福島駅-東が、
2.46マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]と、一番高かった。

しかし、
「東北新幹線の車内の放射線量」
については、書けなかった。

なぜなら、東北新幹線の気密性は高いはずだ。
それに、東北新幹線は高架を走る。地表を走っていない。
地表よりも高くなれば、なるほど、放射線量は減少する。

そして、東北新幹線は、福島駅を速いスピードで通り過ぎると、
再び、0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]以下にもどった。
なにごともなかったように。

だから、
東北新幹線の車内で、0.27マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]とは、
なにかの、まちがいだろう? とも思った。
多くの人が、毎日利用している東北新幹線だ。
安全・安心だと思った。

東北新幹線の高架の写真がある。福島駅-東で。

右の電車はローカル線、地表から盛り土した上を走る。
そして、東北新幹線は、奥に見える高架を走るから、地上10メートルか。

放射線量計は、ガードレールの下に置いた。2011年6月30日。
そして、放射線量は、2.46マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。

東北新幹線の車内の放射線量を測った2回目は、2011年9月3日で、
1回目の2011年6月27日から2ヶ月たっている。
東北新幹線で、大宮から八戸へ行ったときである。

窓辺に放射線量計を置いて、今度は、カメラを持って、構えた。
気密性が高く、しかも高架を走る東北新幹線の車内で、
はたして、高い放射線量を示すのだろうか?

高い放射線量は、なんかのまちがいだろうか?
時間とともに、放射線量が少なくなっていることもある?

そして、福島駅付近になった。

0.36マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。2011年9月3日。

やはりだ。
2011年6月27日と2011年9月3日と、
2度も高かったから、東北新幹線の車内でも、
福島駅付近では、放射線量が高くなるのは、まちがいない。
簡易の放射線量計であっても、放射線量が高い、低いの差は、ちゃんとでる。

日本は汚染されていることを、覚悟しなければならないが、
東北新幹線の放射線量は、
「健康に影響するレベルではない」
とする、検査結果と公式の発表があるのだろうか?

東北新幹線」のほかに、福島は「東北自動車道」も走っている。
東北新幹線も東北自動車道も、日本の交通網の大動脈だが、
安全・安心であることの確認ができているのだろうか?

つぎの、Public Health Agency of Canada(カナダ公衆衛生機関)と、
U.S. DEPARTMENT OF ENERGY(米国エネルギー省)にデーターがある。

カナダの公衆衛生機関(Public Health Agency of Canada)は、
日本に旅行するカナダ人に対して、
福島第一原発から半径30キロ以内の立ち入りを禁じているが、
東北自動車道も、東北新幹線の使用も安全としている。
In addition, using the Tohoku Expressway and
the Tohoku Shinkansen Railway is safe.
http://www.phac-aspc.gc.ca/tmp-pmv/thn-csv/japnuc-eng.php

東北新幹線の車内の放射線量を、米国エネルギー省が公表している。
仙台から東京へ乗客として乗って放射線量を測定した。2011年5月3日。
http://energy.gov/situation-japan-updated-051311

右図から、
仙台、0.063マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
福島、0.44マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
郡山、0.52マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
新白河、0.40マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
那須塩原、0.46マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
宇都宮、0.047マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
大宮、0.069マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
東京、0.07マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、とある。

中央のグラフは、横軸が時間、縦軸が放射線量で、
福島駅に近づくと、0.07マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
福島駅に停車中は、0.04マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
福島駅を離れると、0.07マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
トンネルに入ると、0.01マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]以下、
と、変動していることを示している。

左図には、仙台から東京まで片道2時間半の被曝量は、
0.40マイクロ・シーベルト[μSv]とある。

そして、東北新幹線をつぎのように評価している。
米軍の基地や施設で、健康に問題がない被曝量を、
0.32マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]としているが、
福島は、0.44マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だから、
健康に問題がない被曝量、0.32マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]
を超えている。

郡山も、0.52マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
新白河も、0.40マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
那須塩原も、0.46マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
で、健康に問題がない被曝量を超えている。

ここで、なぜ仙台から東京へ行く、上りの東北新幹線で、
放射線量を測ったのか? 考えてみた。
東京から仙台の、下りの東北新幹線ではなかったのか?
東京を基点にしたほうが自然だが、そうしなかったわけは?

それは、福島第一原発◎が、東北新幹線の東側にあるから。
仙台から東京の上りの東北新幹線は東側で、下りは西側を走る。
上下の東北新幹線がすれちがっても、上りはいつも東側にある。
3秒に1回、放射線量を測っているから、
上下がすれちがっても、下りにじゃまされることがない、
と、推測した。
上り、下りで測って、安定した方を選んでいると思うが?

さきに、東北新幹線の各駅の放射線量の表を示した。
郡山駅-東口と郡山駅-西口の放射線量を比べてみる。
郡山駅-東口は、1.74~0.99マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]で、
郡山駅-西口は、0.99~0.41マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。
郡山駅-東口の方が、郡山駅-西口よりも高い。
このことからも、福島第一原発よりの東側が高い放射線量となる。

東北新幹線の車内の放射線量は、福島県と、栃木県の北部では、
アメリカが、健康に問題がないとした被曝量、
0.32マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を超える。
汚染されていることを、覚悟しなければならない。

米国エネルギー省(U.S. DEPARTMENT OF ENERGY)の発表は、
英文だけではなく、日本文もあっていいと思う。
日本旅行で訪れたり、滞在するアメリカ人よりも、
東北新幹線に乗ったり、住んでいる日本人のほうが、
はるかに多いから。


東北新幹線の放射線量が、
福島駅付近で高くなったことがきっかけとなって、
福島駅で降りて、福島市の放射線量を測った。結果は、
福島市の放射線量」として、2011年9月11日に記載した。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/f6427ef824f387fce8ed19399f00f7cf

福島県庁で2.56マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
阿武隈川にかかる天神橋の西では、
3.18マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。

しかし、福島市は、避難指定地域にするほど高くない、
という結果と結論がでているのだろうと思う。
そうでないと、
福島市民は、避難しなければならない。
そうなると、福島県がつぶれてしまう。

放射線測定車、あおぞら号。福島県庁で。2011年9月6日。

北海道原子力環境センターの放射線測定車もあった。

そして、放射線量を測っていると、3人が話しかけてきた。
新聞記者、東京からの女性、福島の男性である。
健康への影響、安心・安全、これからの生活に、
不安を抱いている。国民の「生の声」である。

福島の再生なくして、日本の再生はない」
野田首相が、2011年9月8日に福島県庁を訪れたときの言葉である。

福島市民が避難しなければならない、
となれば、福島県がつぶれてしまう。
東北新幹線も東北道も使用できない、
となれば、日本の交通網がマヒする。

「原爆のつぎに原発」、2011年8月7日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/c40114f3bd36dac9c0d3157280c09242
にみまわれた日本だが、
福島県をつぶすわけにはいかない、
日本の交通網をマヒさせるわけにはいかない。

「日本の最大の危機」に挑む決意、
「福島の再生なくして、日本の再生はない」
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福島市の放射線量

2011-09-11 17:05:47 | Weblog
福島市の放射線量については、
「東日本の放射線量」、2011年7月17日で、一部触れた。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/ed8589bc402cdd20f68eb5f5e8f64835

それは、東北新幹線の仙台、福島、郡山、宇都宮、大宮の各駅での、
放射線量の測定である。2011年6月30日。

そして、福島市では、
福島駅-東が、2.46マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
福島駅-東の駐車場が、2.03マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
と、高い値になったことを書いた。

その他の駅は、
仙台駅-東口2階が、0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
郡山駅-東口が、1.74マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
宇都宮駅-東が、0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
大宮駅-東が、0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だったから、
福島駅-東の2.46マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]が一番高かった。

それから2か月たった。
福島駅-東、福島駅-東の駐車場の放射線量は、どうなっただろうか?
減っただろうか?
それに、福島市では、ほかにも放射線量の高いところがあるのだろうか?
2011年9月6日に福島市へ行ってみた。

福島駅で降りて、まず行ったところは、
2か月前に測った、福島駅-東、福島駅-東の駐車場。
向かうと、ポケットの放射線量計はピッピッ鳴りはじめた。
毎時の被曝量が、0.50マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を超えたのだ。

国際放射線防護委員会(ICRP)は、毎時の被曝限度を、
0.52マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]としているから、
0.50マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]で、警告するように設定してある。

そして、測定した結果は、
福島駅-東が、2.46マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
福島駅-東の駐車場が、2.17マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。

福島駅-東の放射線量。2.46マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。

13時09分までの累積の被曝量は、262.7マイクロ・シーベルト [μSv]である。
この累積の被曝量は、あとで使う。

毎時の被曝量を、2か月前と比べると、
福島駅-東は、2.46⇒2.46マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]で、変わらなかった。
福島駅-東の駐車場は、2.03⇒2.17マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。

2か月では、放射線量は変わりがないものだ。
また、あるところは、あり続けるものだ。

福島市では、ほかに高いところはないだろうか?
駅前通りを歩いた。日本銀行の前でピッピッ鳴る。
ふくしま南幼稚園の前でもピッピッ鳴る。
公園で測定し、福島県庁で測定した。

福島県庁の放射線量。

2.65マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。
これまでの最高だった福島駅-東の、
2.46マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を超えた。

建物や樹に邪魔されないところの放射線量は、どうだろうか?
福島県庁の東にある、阿武隈川へ行ってみた。
阿武隈川沿いの親水公園の放射線量。

3.09マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。
福島県庁よりも高い。そして、
ついに、3.00マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を超えた。
ドギマギしてくる!

天神橋から見た親水公園。

測定したところは、右下の草むら。
中央が阿武隈川、対岸は福島県庁。
一段と高い建物は福島県庁の西庁舎。

親水公園で放射線量を測っていると、
天神橋から、小学生3人と親が見下ろすように声をかけてきた。
「おじさん、こんにちは」
「よう、こんにちは」
植物の写真を撮ったり、昆虫を観察していると思ったのだろうか?
福島の子たちよ、すくすく育ってほしい。

天神橋の西には、放射線を警告する看板があった。

放射線を警告する看板の草むらで、放射線量を測った。
左下の黒いのが放射線量計。
中央が、放射線を警告する看板、
その右は、「古関裕而生誕百年記念歌碑」、
右は、天神橋、中央は阿武隈川、その先が親水公園。

放射線を警告する看板。

市内の公園で見かける。

天神橋の西の放射線量。

3.18マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。
親水公園より高かった、福島市で最高だ。
15時38分までの被曝量は、264.8マイクロ・シーベルト [μSv]である。

放射線量を測定していると、話しかけてきた人が3人いた。
ふくしま南幼稚園の前では、新聞記者
天神橋の西では、東京からの女性
同じく天神橋の西では、福島の男性

新聞記者とは、つぎの話をした。
1) 南相馬市よりも、福島市のほうが、放射線量が高い。
  南相馬市の市役所の北200メートルでは、
  1.14マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。
  福島市では、3.00マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を超える。
2) 南相馬市では、街を歩く市民に行き会わなかった。
  街は、ひっそりとしている。移動は車でする。
  しかも、窓を閉めるというように、
  市民は、被曝からの自衛をしていた。
  学童は、見かけなかった。避難している。

南相馬市の本町通り。2011年6月29日。
歩いている人はいない。シャッターは下りている。
道路標識には、右は「南相馬市役所」とある。
南相馬市役所の北200メートルの放射線量は、
1.14マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]であった。

3) ところが、福島市の市民は、マスクをせず、半そで、
  普通の生活をしている。学童は当然のように見かける。
  これは、どうしてだろう?

福島市の駅前通り。にぎわっている。2011年9月6日。
ふだんの生活と変わりがないように見える。

4) 福島では、どの程度、健康や人体に被害が及ぶのか、
  また、いつ影響が出るのか、明確でないままに生活している。
5) 汚染物をいかに除去するか、除染が最大の関心事になっている。
6) 福島第一原発の1号機がメルトダウンしたのは、
  3月11日の地震発生から、5時間後だった。
  東京電力は、すぐに国際原子力機関IAEAに、
  メルトダウンしたことを報告していたが、
  国民に知らせたのは、65日後だった。
7) メディアは、メルトダウンしている状況証拠だけでは、
  メルトダウンの報道はできない。
  東京電力のシミュレーションや発表を待つしかない。
8) メディアがメルトダウンを報道できなかったのは、
  東京電力の広告費、電機メーカーや商社の広告費で、
  メディアは成り立っているから、
  広告主の意に反することは書けなかった。
9) メディアの経営のトップは、
  原子力を振興する財団などの役員をしているから、
  原子力発電に不利なことは書けなかった。
10) メディアがメルトダウンの報道を控えたのは、
  国民にパニックをおこさせないためだった。
11) メルトダウンの報道が遅れたことによって、
  国民の被曝量が増えたり、被害が広がったなら、
  事実がはっきりしたところで、メディアは報道することになる。
12) 海外のメディアは、東京電力とは、しがらみがないから、
  メルトダウンは早い段階で報じられた。
  それを見た日本への留学生、教授は、すぐに祖国にもどった。

新聞記者と、自由に意見交換をすることができました。
ありがとうございました。

このことは、あとで友人と話をしたが、
新聞社に勤めていた人も含めて、納得されていた。

つぎに、天神橋の西で放射線量を測っていると、
福島へ出張した東京からの女性が話しかけてきた。
1) 放射線量を数値で見るのは初めてです。
2) 3.00マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]とは、高いですね。
3) そして、持参していたカメラで放射線量計の写真を撮った。
4) 原発の災害にあった浪江町の身内を、東京に避難させています。
5) 避難生活も6か月が限度で、これから自立することを考えるときです。
6) 浪江町には、もどれません。レベル7ですし、チェルノブイリを考えても。
7) 津波で家をなくしましたから、浪江町にはもどることは考えていません。
8) でも、職を探し、新たな生活をしなければならないですから、大変です。
9) 避難を受け入れる方も、大変でした。出費も多い。
  受け入れる方の出費も、政府に援助してもらいたい。

天神橋の西で、放射線量を測っていると、福島の男性が近寄ってきた。
1) 放射線量は、どのくらいありますか?
2) だいたい、3.00マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]です。
  すると、男性は近くのオフィスにもどった。それから、
3) 年間の被曝量は21ミリ・シーベルト[mSv/y]になります。
  と、伝えにきた。計算したのだ。

福島市民は、年間の被曝量を算出する計算方法を知っているのかな。
外にいるのは○時間、家にいるのは□時間、
家の中の放射線量は、外の△分の1、
内部被曝量は■になる、というように。

年間の被曝量を単純に計算すると、
3.00マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h] X 24時間 X 365日⇒
26ミリ・シーベルト年[mSv/y]になるから。

そして、福島市に滞在した13時09分~15時38分までの、
2時間29分の被曝量を求める。
13時09分までの被曝量は、262.7マイクロ・シーベルト [μSv]、
15時38分までの被曝量は、264.8マイクロ・シーベルト [μSv]であるから、
264.8-262.7=2.1マイクロ・シーベルト [μSv]になる。
1日中外にいたとすると、
2.1 X 24時間 / ( 2 + 29 / 60 ) ⇒ 20.30マイクロ・シーベルト日[μSv/d]。

松本の1日の被曝量は、直前8日の平均で、
3.15マイクロ・シーベルト日[μSv/d]。
これは、家の中で休んだり、寝ている時間を含むとしても、
福島市の放射線量は、高い。

「公園を利用する皆さんへ」
公園の利用は、1日あたり、1時間程度としてください
ということは、
むやみに、外へ出るな! という警告である。

そして、放射線量を測定しているときに、話しかけてきた、
新聞記者、東京からの女性、福島の男性の3人は、
原発災害に対しての関心を教えてくれた。
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おひさまの奈良井宿

2011-09-04 00:01:05 | Weblog
NHKの朝の連続テレビ小説「おひさま」が好調で、
ロケ地を訪れる「おひさまツアー」が人気である。
今回は、おひさまの「奈良井宿」について。


「奈良井宿」は木曽路にある宿場町。
木曽路にある「妻籠宿」、「馬籠宿」と合わせて、何回か訪れている。
「奈良井宿」は、長さが1キロで、日本で最長の宿場町になっている。

街並みを保存しながら、生活をしているから、ぬくもりを感じる。
それに、街をおおう「クモの巣」のような電柱、電線はないし、
けばけばしい「広告看板」がないから、街の景観がいい。
「おひさま」のロケ地には、ピッタリである。

「中山高原」へ行ったときに、「そば畑」のスタッフは、
「きのうの土曜日(2011年8月27日)は、1,000人が訪れた。
きょうは日曜日だから、もっと増えそう」
「おひさまのツアーで、九州からもお客さんがくる」
「九州からは、福岡空港から、まつもと空港に飛んで、
それからバスで、最初に『中山高原』のそば畑に来た」
「このあと、『大王わさび農場』へ行って、松本に泊まる」
「翌日は、『松本城』を見て、『奈良井宿』へ行く」
と、「おひさまツアー」の旅程を話してくれた。

「おひさまツアー」の旅程で、
「中山高原」、「大王わさび農場」、「松本城」については、
これまでに掲載してきたので、写真で振り返ってみる。

「中山高原」は、そばの花が見ごろ。2011年8月29日。

花の見ごろに合わせて、多くのお客さんが訪れる。

「大王わさび農場」には、おひさまのセットがある。2011年6月。

「あづみの」をイメージする、「北アルプス」、「清流」にセットがある。
北アルプスの「常念岳」は、雪を抱いている。左の三角形。
「有明山」の一部が、セットの右に見える。
「蓼川」(たでがわ)の清流が、セットの右にある。ボート遊びをしている。

蓼川の「三連の水車小屋」。2011年6月。

「三連の水車小屋」の先は、セットに続く。

「松本城」。天守に入る黒門。2011年8月。

案内版には、
天主内が大変混雑しております」
「天主観覧所要時間120分(見込)」とある。
「おひさま」効果で、松本城もにぎわっている。

さて、「おひさまツアー」の最後の旅程、「奈良井宿」について。
「奈良井宿」は、塩尻市にあって、松本から南へ車で50分ほど。
奈良井宿の観光案内所には、「おひさま」の「ロケ地マップ」が用意されている。

このロケ地マップは、塩尻市のホームページにあるので参照してください。
http://www.city.shiojiri.nagano.jp/ctg/Files/1/451150/attach/map.pdf

通りの上側が山側になり、下側が「奈良井川」寄りになる。
京都に近い方から「上町」、「中町」、「下町」で、長さは1キロ。
ロケ地マップの右端、「上町」と「中町」は、「鍵の手」になっている。

「中町」には、本陣や旅籠、庄屋、そばや、酒造屋、神社があり、
「下町」には、漆器店、みやげものやが多い。

「おひさま」のロケは、「上町」が多く使われた。
おひさまの「飴屋」の「村上堂」は、ロケ地マップで、
山側の左から3番目にある「中村邸」が使われた。2011年8月撮影。

「ロケ地マップ」には、
「陽子たちが学校帰りに寄り道する飴屋」
「初恋について語る」
「これからの将来について語る」
とある。

「中村邸」は、奈良井宿を代表する民家。
塩尻市の有形文化財で、資料館になっている。
2004年11月に訪れたときに、中を見学した。200円。

「くぐり戸」には、「御櫛所」とある。
漆塗りの「飾り櫛」が大いに売れて、財を成した。
上の「庇」(ひさし)については、あとでしげしげと見ることになる。

女性ガイドが説明してくれる。
「中村邸」の移転計画が持ち上がって、
これを契機に、町並み保存運動がおこった。
「奈良井宿」に残り、町並みを保存し、整備した。
そして、重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

「くぐり戸」をくぐると、「通り土間」になっていて、裏庭に抜ける。
あとで、裏庭、土蔵、便所を見ることになる。

「通り土間」の右には、「店の間」、「勝手」、「中の間」、「座敷」がならぶ。
「店の間」では、「櫛」を広げて商売をしたという。
「勝手」は吹き抜けになっていた。

かまどがあり、囲炉裏がある。左奥は「中の間」、「座敷」に続く。

左上は「裏2階」で、「座敷」にある脇階段を上がる。
使用人の部屋だった「裏2階」は、「櫛」の展示室になっている。
「櫛」の材料は、「みねばり」だったが、
数量がでるようになってからは、「つげ」になった。
「みねばり」は堅くて、櫛には向いているが、成長が遅いから。
漆塗りの櫛は、「飾り櫛」として人気で、大いに売れた、という。

「裏2階」から見下ろした「勝手」。

「勝手」の先が「店の間」。「通り土間」は、かまどの右。

「店の間」の上にも2階がある、表通りに面した「表2階」。
「表2階」は、「店の間」の左にある箱階段を上がる。
すると、通りに面して「客座敷」と「茶室」があった。

「表2階」で、ガイドさんが説明してくれるのは、「鎧庇」(よろいびさし)。

「中村邸」の看板がある。

「庇」(ひさし)は、屋根板を横にならべて、階段状に重ねてあるから、
鎧のように見えて、「鎧庇」という。普通、屋根板は縦にならべるが。

「桟」(さん)は、猿の頭をならべた格好をした「猿頭」(さるがしら)。
二つおきに、「吊り金具」でつっている。

普通、「桟」は、屋根板の下にあるが、「中村邸」では上にあって、
どろぼうが屋根板を踏むと、落ちるようになっている、という。
説明を受けて、「鎧庇」(よろいびさし)をしげしげと見た。

このあと、「鎧庇」に注意して奈良井宿を見るが、
中町の御宿「伊勢屋」も「鎧庇」だった。

奈良井宿では、あちこちで「鎧庇」を見る。

さて、「中村邸」では、「通り土間」を抜けて、「裏庭」に出た。

紅葉している「裏庭」から、「中村邸」の裏を見る。
「通り土間」は、母屋の右端になる。「便所」は母屋の外で、左にある。

左の家を見ると、生活のにおいがする。
表通りからは見えない裏を、生活する場所にしている。

「裏庭」は、間口の幅で奥に伸びていて、先には「土蔵」がある。

「土蔵」は、塗り櫛の作業場であった。

「土蔵」の奥には、電柱、電線がある。
表通りからは、電柱、電線を取り払った。
表通りから見えない裏に、電柱、電線を移設した。

表通りから、電柱、電線を取り払ったから、
「奈良井宿」の景観はすっきりしている。
ホッとする街になっている。

電柱が林立し、電線が「クモの巣」のように、
「奈良井宿」をおおっていれば、「おひさま」の撮影はできない。
けばけばしい広告看板もない。自動販売機もない、
エアコンディショナーの屋外機も見当たらない。

古い家並み。京都。

「いい街だな!」と、思って撮った。
ところが、電柱、電線が、街と空を支配している。
わざと、電柱、電線を撮ったのではない。
電柱、電線が、どうしても写ってしまう。
「クモの巣」のような電線は、避けようがない。

電線の埋設率、ほかについては、
「東北に千載一遇のチャンス」、2011年5月1日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/d2917ad45e37378514109aefff4d27ee

「電線の埋設率の国際比較」、2011年2月13日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/7ed94ec8f3bdafa473ac134d7ee7c355

「醜い国に気付かない日本人」、2010年9月29日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/84ef875b17c21a107ab0554785b8825a
を参照してください。

なお、放射線量を「奈良井宿」でも測っている。
「中村邸」の向かい(上町)と、
「伊勢屋」の向かい(中町)の2か所で。2011年8月3日。
0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]~
0.09マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。

「中村邸」の向かいで。


「奈良井宿」の放射線量は、
「おひさまツアー」で訪れる、
「中山高原」、「大王わさび農場」、「松本城」の放射線量と、
変わりないレベルであった。

街の景観を悪くするものは、
「広告看板」と「電柱、電線」である。
「奈良井宿」は、
けばけばしい広告看板をなくし、
「クモの巣」のような電柱、電線をなくした。

街の景観」と、「生活」を両立させて、
ぬくもりのある街づくりをしたのは、
「奈良井宿」の成果である、誇りである。
「おひさま」がロケし、「観光客」が安らいでいる。
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