季節の変化

活動の状況

福島原発の閲覧は10秒に1回

2011-05-29 00:02:55 | Weblog
福島原発について、これまで11回書いてきたが、
その中で、10秒に1回の閲覧の日がありました。
閲覧いただきまして、ありがとうございます。
お役に立てたようで、ほんとうにうれしい。

この「福島原発の閲覧は10秒に1回」の前に、
東京電力が、メルトダウン(炉心溶融)を発表した話から。
福島第一原発の1号機は、地震発生から15時間後に、
2号機は101時間後に、3号機60時間後に、
メルトダウンをしていた。
福島原発事故から、80日たっての発表である。

2011年3月11日の福島原発事故の当初から、
メルトダウンを予感させる事件が、次々と起きていた。

2号機のタービン建屋には、通常の10万倍の放射能を含む水がたまっていた。
注水しても圧力容器が満杯にならないのは、圧力容器にが開いている。
トレンチとピットにたまったから、高濃度の放射線物質が検出された。
海水から、安全基準の1,000倍以上の放射性物質が検出された。

汚染水は、どこから漏れてくるのか?
どう考えても、燃料棒がある原子炉の圧力容器だ。

3月には、メルトダウンをしている、と予想ができた。
メディアも「圧力容器損傷か」と、メルトダウンを予想した。

まわりの人も、汚染水はメルトダウンが原因である、と言っていた。
国民の多くは、福島原発はメルトダウンをしていると感じていた。
ただ、メルトダウンだけは、信じたくないだけだった。
ポンプへの電力が回復さえすれば、冷却ができる、
早く外部電源がつながるように、と願っていた。

日本は、ハイテクの国だ。スタッフの技術レベルも高い。
チェルノブイリ原発事故とはちがう、と思っていた。
なんとか、メルトダウンだけは回避できる、
と、思いたかった。

東京電力の2011年3月26日の会見では、
「最悪の事態をどのように想定しているのか」
と、何人もの記者が詰め寄ったが、
「ともかく原子炉を冷やすということに尽きる」
と東京電力は、メルトダウンを口にしなかった。
いまは原子炉を冷却すること、と対策の話をした。
記者も国民も、メルトダウンを予感しているのだが。

ところが、メルトダウンを東京電力が発表したのは、
メルトダウンをしてから80日後だった。
地震発生から15時間~101時間には、
次々とメルトダウンしていたのだ。

くやしいね!
原発は、人知でコントロールできるものではない」
ということを、福島は世界に示した。

それに、「原発は、トイレなきマンション」と言われている。
使用済み核燃料を捨てる場所がないのだ。

放射性廃棄物は、地震のない、地下の深い場所に埋めて、
1,000年間、管理することになるが、その場所がない。

アメリカは、ネバダ州の砂漠のど真ん中を、
処分の候補地にしたが、安全性でもめている。
あの場所でダメなら、世界に捨てる場所はない、
と言われている。

いま、福島原発は、
冷却、汚染水の処理という後始末をしているが、決定打がない。
そして、廃炉に向かうが、危険な状況は、まだまだ続く。
いつ安心安全が来るのか? だれにもわからない。

「福島原発は放射線漏れ、女川原発では放射線漏れなし」、2011年3月16日で、
「このままでは、福島原子力発電所は、
メルトダウンしてしまうのではないか?
と、テレビに釘づけになる」
と書いたが、そのとおりになってしまっていた。

福島原発について、11回掲載してきた。
「福島原発は放射線漏れ、女川原発では放射線漏れなし」
「ガンバレ 福島」
「力強く立ち直ってほしい」
「福島第一原発は廃炉」
「被災地に電力を回す」
「福島の子」
「被災地の援助」
「チェルノブイリ原発で知っていること」
「菅谷市長の内部被曝の怖さ」
「東北に千載一遇のチャンス」
「ドナルド・キーンさんの日本人に勇気を」

「福島原発は放射線漏れ、女川原発では放射線漏れなし」、2011年3月16日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/19a904018d555728962c5dd8aa5a7509

女川原発。共同通信、2011年3月13日。

「ガンバレ 福島」、2011年3月20日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/d503195f1f95b26654d1314dc3dc8f67

福島第一原発。USA Today。

「力強く立ち直ってほしい」、2011年3月24日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/56fd9b0108b94149050b5ff47a5bc675

岡谷市長からボランティアへの手紙。

「福島第一原発は廃炉」、2011年3月30日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/279bb9c1bf487133169f7e08fe25ef22

柏崎港の先に刈羽(かりわ)原発。新潟県、柏崎市。

「被災地に電力を回す」、2011年4月3日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/f896cc4b9a1ebc703cfbd3d9a57d88c5

東京電力の新信濃(しんしなの)周波数変換所。長野県、朝日村。

「福島の子」、2011年4月10日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/0380dadfa3121bc110298d3a39448351

福島第1原発3号機。エア・フォート・サービス。

「被災地の援助」、2011年4月17日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/3fd47444e0e6aa30491805ad8916b03f

茨城産、群馬産の野菜の販売。スーパーマーケット、松本。

「チェルノブイリ原発で知っていること」、2011年4月24日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/35604c8b403f84bec7ea75db13f4211d

悲劇から数時間後のチェルノブイリ原発4号炉。
「チェルノブイリ・ルポルタージュ」アイピーシー。

「菅谷市長の内部被曝の怖さ」、2011年4月24日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/dc05560372b4cafd2b2e53085d99a1cc

菅谷松本市長。2011年3月。

「東北に千載一遇のチャンス」、2011年5月1日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/d2917ad45e37378514109aefff4d27ee



電線の埋設率の国際比較。

「ドナルド・キーンさんの日本人に勇気を」、2011年5月15日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/628b7ec136b76ba55a05c92a35093f69

ドナルド・キーンさんの講演。

「東北に千載一遇のチャンス」は、
東北復興のための提案です。

「東北に千載一遇のチャンス」では、
これまで掲載してきた、
「世界の街の景観」
「世界の街のランドマーク」
「電線の埋設率の国際比較」
「アメリカ、イギリス、日本の住環境」
などを基にして、まとめた。

「チェルノブイリ原発で知っていること」と、
「菅谷市長の内部被曝の怖さ」は、
内部被曝の怖さへの対策です。

現在松本市長の菅谷(すげのや)さんが、
チェルノブイリ原発事故のときに、
被災地ベラルーシに赴いて、
内部被曝による小児甲状腺がんを、
治療されてきた経験と事実から、
「子どもたちや、妊産婦を含めた胎児たちを守りたい」
「国の将来を守りたい」
と、話された「内部被曝の怖さ」をお伝えした。

この「菅谷市長の内部被曝の怖さ」は、
とりわけ、アクセスが多かった。
5月14日は8,129の閲覧、
5月15日は4,910の閲覧、
5月18日は7,078の閲覧。

「菅谷市長の内部被曝の怖さ」を含めた、
ブログ「季節の変化」全体のアクセスをみると、
5月14日は8,690の閲覧、
5月15日は6,086の閲覧、
5月18日は8,013の閲覧。

この5月14日の8,690の閲覧とは、
どのくらいのアクセスなのか?

1日を秒にすると、60秒X60分X24時間=86,400秒/日になり、
8,690の閲覧とは、86,400秒/8,690回⇒10秒/回。
10秒に1回、閲覧があったことになる。

「gooブログ」には、158万件のブログがあって、
上位10,000位までランキングが表示される。

5月14日のランキングは35位(これまでの最高)、
5月15日のランキングは82位、
5月18日のランキングは80位。

日ごとのアクセスとランキングのほかに、
週ごとのアクセスとランキング(158万件中)の結果がでる。

5月8日~5月14日の週は、
12,580の閲覧で、ランキングは824位。
5月15日~5月21日の週は、
22,356の閲覧で、ランキングは313位(これまでの最高)。

被災者を、勇気づけられたと思うとうれしい。
ブログが、お役に立ったと思うときです。

こんかいの「福島原発の閲覧は10秒に1回」で、
福島原発の一応の区切りにします。
閲覧いただき、ほんとうにありがとうございました。

福島原発事故の収束、廃炉への道には、
まだまだ、危険な状況が続きます。

「Civilized People」、「福島の子」に、
幸あることを祈ります。
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ドナルド・キーンさんの日本人に勇気を

2011-05-15 00:01:38 | Weblog
アメリカ人のドナルド・キーンさんが、
「日本に永住する」

ドナルド・キーンさんは、
コロンビア大学(アメリカ、ニューヨーク)で最後の講義をすると、
「少しでも、日本人勇気を与えることができたら、うれしい」
と、日本への永住を話された(2011年4月26日)。

「原発事故がおきる中で、私の決定に驚いた友人もいたが、
『勇気づけられる』と言ってくれた人もいた」

ありがたいことである。
日本への大いなる激励だ。

ドナルド・キーンさんの講演の案内板。長野市民会館、2009年。


日本には、多くの外国人が滞在している。
しかし、福島原発事故で、なんと53万人以上が脱出した。

信州大学にも、多くの外国人の先生がいる。
ドイツ人、イギリス人、アメリカ人、カナダ人……。
福島原発事故で、多くの先生は航空券を手に入れて、
日本を脱出した。祖国に帰ったのだ。

それには、わけがある。祖国の親や親せきから、
「地図を見ると、福島と松本は近い。たった2センチだ」
「放射能をあびる危険なところにいるな!」
「空気も水も食物も汚染されている」
「早く帰ってこい!」
と、懇願されたり、おどろかされて帰った。

とくに、ヨーロッパからの先生は、
福島原発事故がおきると、すぐに帰った。
チェルノブイリ原発事故の悲惨さを知っているから。
それに、福島原発は「メルトダウン」していることを、予測したのだろう。

「チェルノブイリ原発事故で知っていること」、2011年4月24日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/35604c8b403f84bec7ea75db13f4211d
で、つぎのことを書いた。

死者は、2004年までに98万5千人とするロシア人の本がある。
1) チェルノブイリ原発事故から2年後にイギリスへ赴任した。
2) フィンランドでは、風に乗った放射性物質で、トナカイが汚染された。
3) オーストラリアから、カンガルーの肉が、ヨーロッパに輸出された。
4) 市民講座「チェルノブイリ原発事故報道」が開催された。
5) 信州大学の医師、菅谷 昭さんがベラルーシで、医療支援活動をされた。

1) チェルノブイリ原発事故から2年後にイギリスへ赴任した。
チェルノブイリ原発事故に、狂牛病が追い打ちをかけた。それで、
食卓からビーフがピタリとなくなった。イギリスの畜産農家は、破産した

2) フィンランドでは、風に乗った放射性物質で、トナカイが汚染された。
放射性物質がコケについて、コケを食べるトナカイの肉が汚染された。

3) オーストラリアから、カンガルーの肉が、ヨーロッパに輸出された。
カンガルーの肉「ルー・ミートRoo meat」は、
抗生物質や成長ホルモン剤の投与の心配がない。
安全な肉だから、ビーフやマトンに代わる肉として、
ドイツやイギリス、フランスなどに輸出された。

4) 市民講座「チェルノブイリ原発事故報道」が開催された。
チェルノブイリ原発の4号炉は、石棺になった。
突貫工事で進めた石棺は、老朽化し、放射能漏れがある。
あらたに、石棺全体をおおう金属製シェルターの建設を進めている。

5) 信州大学の医師、菅谷 昭さんがベラルーシで、医療支援活動をされた。
「外部被曝」だけでなく、「内部被曝」の怖さを警告している。
それは、チェルノブイリ原発事故から5年たって、
経路汚染による「内部被曝」で、小児の甲状腺がんが急に増えた。
菅谷 昭(すげのや あきら)さんは、2004年から松本市長をされている。

ベラルーシのとなりのポーランドでは、
チェルノブイリ原発事故から4日目に、
子どもや妊娠、授乳中の子どもが新鮮な葉菜を控えるように指示し、
牛乳を飲むことを禁止して、経路汚染による内部被曝を防止した。

菅谷 昭さんはベラルーシで、医療支援をするとともに、
勉強会を開催して、最先端の治療技術と知識を授け、人材を育成した。

ベラルーシ共和国から、国家の最高勲章である、
「フランシスコ・スカリナー勲章」
が、授与された(2000年)。
菅谷さんの前の受賞者は、ロシアのエリツィン前大統領である。

さて、春休みが終わった。新学期が始まった。
信州大学から祖国に帰った先生は、
新学期になっても、日本にもどってこない。

日本に残っている外国人の先生は、
奥さんが日本人の場合である。

新学期が始まっても、日本にもどってこない先生を、
免職させずに、時限的な休暇扱いにするという。

福島原発事故で、多くの外国人が日本を去るときに、
ドナルド・キーンさんは、日本に来て、「永住」すると言う。
ありがたいことだ。勇気づけられる。

そのドナルド・キーンさんの講演を2回聴くことがあった。
2008年と2009年である。
2008年は、「源氏物語の魅力」(須坂市)。
2009年は、「世界の中の日本文化」(長野市)。

須坂市も長野市も、松本から車で1時間以上かかる。
松本を早朝に出て、「源氏物語の魅力」も「世界の中の日本文化」も、
前の席で聴くことができた。

どんなお顔をされているか? これが関心事の一つ。
前の席から、よ~く拝見できた。柔和な感じであった。

「源氏物語の魅力」(2008年)では、
「源氏物語」を古本屋で買ったことがきっかけになった。
1940年、ドナルド・キーンさんが18歳のときである。

アーサー・ウェイリー翻訳の「源氏物語」に感動し、
日本語を学ぶ契機になり、人生の転機となった。
コロンビア大学で日本の古典文学を学び、
あこがれの日本へ留学した。京都大学の大学院で学んだ。
そして、日本文学、日本文化を世界に紹介されている。

講演があった2008年は、「源氏物語千年紀」になる。
「紫式部が『源氏物語』を書いて千年になる、
2008年11月1日は、祝杯をあげよう」
と、ドナルド・キーンさんは話された。

「世界の中の日本文化」(2009年)では、
ドナルド・キーンさんは、日本研究家であり、
日本の文化を世界に伝える、伝道師であることを感じた。

日本は「芸術の国」であると話された。
モネは浮世絵を気に入り、
バジル・チェンバレンは古事記を愛し、
アインシュタインは日本文学史を読まれた。
そして、ドナルド・キーンさんは、
日本人の美学的観念はすばらしい、という。
「源氏物語」や「枕草子」を評価され、「能」を好み、
工芸品や展覧会に美学的観念が表れている。

「鹿鳴館」で洋装や洋食、マナーを取り入れた。
「猿マネの国」が、日本の常識と思われている。
しかし、日本はおくれてもいないし、野蛮でもない。

それに、「神秘な日本」、「不可解な日本」、
というイメージは、早く終わってほしい、
と、日本文化を伝道するドナルド・キーンさんの想いが伝わる。

講演は、つぎの3つでしめくくられた。
1) 正しい日本語を生徒に教える。
2) 日本人の美学的観念はすばらしい。
3) 国文学は人気がない科目になっている。

1) 日本語は美しい。外国語を不必要に使わない。
正しい日本語を生徒に教える必要がある。

2) 工芸品や展覧会に、美学的観念が表れている。

3) 「日本には優れた文学があり、文化がある」
「しかし、日本の学生に、国文学は人気がない科目」
「人気があるのは、イギリス文学とかフランス文学……」
「優秀な学生は、国文学をやりたがらない」

「学校での教え方に問題がある」
「古典文学は、文法が主体になっている」
「作品の美しさや、おもしろさ、文学的な価値を教えるといい」

ドナルド・キーンさんは、1922年生まれ。
2008年に文化勲章を受章されている。
日本で、元気でいてほしい。
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東北に千載一遇のチャンス

2011-05-01 00:00:56 | Weblog
さあ、東北の復興だ。
東北に千載一遇のチャンスが来た!

東北は、自然資源民俗芸能の宝庫だ。
それに、東北の人は、教養のある文明人(Civilized People)だ。
極限状態でも、無秩序(カオスChaos)にならなかったCivilized Peopleに、
世界の人が驚き、感心した。日本人はCivilized Peopleと思われた。

日本の「ふるさと」、東北の復興には、
日本の伝統、文化が息づくを築いてほしい。
日本の英知を集めた街を創ってほしい。
都市計画家、建築家の出番である。
腕の見せどころである。

これまで、世界の「街の景観」や、
「街のランドマーク」について書いてきた。
その中から、東北の復興に役立つブログを選んだ。
1) 「力強く立ち直ってほしい」、2011年3月24日。
2) 「電線の埋設率の国際比較」、2011年2月13日。
3) 「醜い国に気付かない日本人」、2010年9月29日。
4) 「アメリカ、イギリス、日本の住環境」、2010年10月3日。
5) 「チュニスの景観」、2010年11月3日。
6) 「京都のランドマークは金閣寺」、2010年10月6日。
7) 「東京のランドマークは東京タワー」、2010年10月10日。

1) 「力強く立ち直ってほしい」、2011年3月24日掲載。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/56fd9b0108b94149050b5ff47a5bc675

災害に遭って、復興を目指す街は、
岡谷市長が、ボランティアに配られたはがきのように、

災害に強いまちづくりを目指し力強く立ち直っていく」
が、被災地の決意のすべてである。
それは、東日本大震災の復興にもあてはまる。

東北の被災地では、電柱が立ち、電気が復興した。
これは、ありがたいが、
電柱は、あくまでも仮設にしてほしい。

2) 「電線の埋設率の国際比較」、2011年2月13日掲載。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/7ed94ec8f3bdafa473ac134d7ee7c355

日本の街の醜さは、電柱、電線と広告看板である。
電柱が林立し、電線がクモの巣のように空をおおっている。
日本では、この景観に慣れてしまっているが、
先進国の街で、電線を埋設していないのは、日本だけである。

「電線の埋設率の国際比較」




ロンドン(イギリス)、パリ(フランス)、ボン(ドイツ)、
香港の電線の埋設率は100%である。
ドイツのベルリン、ハンブルグ、ミュンヘンも埋設率が高い。
コペンハーゲン(デンマーク)、クアラルンプール(マレーシア)、
ニューヨーク(アメリカ)が続く。
先進国の都市は、電線の埋設率100%を目指している。

日本の電線の埋設率は、先進国から、大きく立ち遅れている。
たとえば、東京の電線の埋設率は7.3%である(2008年)。

だが、東京の電線の埋設率は23区に限定し、
しかも、「市街地の道路」に限定している。
つまり、市街で、しかも国道や都道(県道)沿いである。
市街を離れたり、市道を含めれば、極端に悪くなる。

日本の街は、世田谷区の0.2%(1998年)という数字が、
実感する電線の埋設率ではないだろうか?

古い家並み。京都。


「いい街だな!」と、思って撮った。
ところが、電柱、電線が、街と空を支配している。
わざと、電柱、電線を撮ったのではない。
電柱、電線が、どうしても写ってしまう。
クモの巣のような電線は、避けようがない。

電柱、電線によって、日本は、
景観が悪く、
電気料金が高く、
歩行者や自転車、車いすの利用者にとって危険であり、
地震や台風の災害では、ライフラインの確保がむずかしい、
ということになっている。

電線を埋設することは、国土交通省も提唱している。
1) 「安全で快適な通行空間の確保」
2) 「都市景観の向上」
3) 「都市災害の防止」
4) 「情報通信ネットワークの信頼性向上」のために。


3) 「醜い国に気付かない日本人」、2010年9月29日掲載。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/84ef875b17c21a107ab0554785b8825a

アレックス・カー氏(東洋文化研究家)が、松本で講演された。
演題は、「日本の伝統文化を活かした地域づくり」。

「日本は、日本の伝統や文化を切り捨て、自然を破壊しながら、
無秩序に開発を進めてきた。このために、世界の中で、
醜い国』の一つになってきている。
問題は、このことに、日本人は気付いていないことです」
という、衝撃的なものだった。

スライドで、実例が示された。
美しい海岸がテトラポットで覆われた、
周囲の景観とまったく調和しない美術館を建てた、
京都駅は、古都のイメージが感じられない箱ものにした、
産業廃棄物の不法投棄で、海岸に山ができ、海が汚染された、
谷あいが、治水事業のコンクリートで覆われ、無惨な景観になった……。

行政が公金を使って無意味な施設を造り続け、
自然環境に愛情をそそがず、営利を優先するシステムも問題にしている。

さらに、衝撃は旅の情報誌、「Time Out」の「東京」の表紙だった。
見苦しい「電線と広告看板」が、東京の象徴として使われていた。


世界の都市の魅力を紹介する、「Time Out」の東京の表紙が、
これと似た、見苦しい電線と広告看板では悲しい。
これでは、「さぁ、東京に行こう!」という気にならない。
これが、世界の人が抱く東京の象徴、イメージだと思うと、悲しくなる。

世界のほかの都市が、ちゃんとした表紙であったのに。たとえば、
バルセロナ(スペイン)は、ガウディが設計したサグラダ・ファミリア、
フィレンツェ(イタリア)は、ミケランジェロのダビデ像、
香港は、超高層建築スカイスクレーパー、
というように。

アレックス・カー氏の講演のあと、質問の時間があって、
「建設関係者に欠けているものはなんですか?
日本の伝統の良さや、日本文化の良さを教える美術教育が、
足らないために、無秩序な開発がおこなわれるのですか?
学校では、どのような教育が必要と思われますか?」
と、質問した。

アレックス・カー氏の答えはつぎだった。
「建設や開発には、自然や周囲との調和が大切です。
日本の文化にプライドを持つ教育が重要です」

アレックス・カー氏の著書、「美しき日本の残像」朝日文庫。


「先進国の都市と町で電線を埋めてないのは日本だけであって、
日本の町の独特のごみごみした雰囲気はそのせいです」
「一番不思議なのは日本人はその状態に気付いていないことです」
「日本の街には、プラニング(都市計画)がない」
と、講演と同じことが書いてある。


4) 「アメリカ、イギリス、日本の住環境」、2010年10月3日掲載。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/6330a51cfa89813aa818b22e0f401138

アレックス・カー氏は、
「先進国の都市と町で電線を埋めてないのは日本だけであって、
日本の町の独特のごみごみした雰囲気はそのせいです」と言う。
そこで、アメリカ、イギリス、日本の住環境を、住んだ家で比較してみる。

ロス・アンジェルスの家。

電柱が家の左に見える。
それと、丘の上にも点々とならぶ。
しかし、ごみごみと醜いほどではなかった。

あるとき、見知らぬ人が、家の設計図を片手に、玄関のベルをならした。
「改築したいので説明して、近隣の人の了承を得たいのです」と言う。

我が家からは離れていて、見えない家だった。
それに、おつき合いもなかった。しかし、
その近隣の人は設計図を広げて、一生懸命、説明した。
「家のデザインや高さ、色が、自然や周囲の景観との調和を保つものです」

設計図や説明には、問題がなかった。
それで、了承して、設計図にサインをした。

そして、「いい家を建ててください」と言うと、顔がほころんだな。
得体のしれない借家の日本人から、了承が得られて、ホッとしていた。
「近隣十数軒の了承を得る」と言う。

家を建てるには、周囲との調和に、近隣の人の了承が必要だ。
みんな、自分の街に愛着を持っている。
コミュニティCommunity(地域社会)の一員として、
景観や住環境を大事にし、守ることは、当たり前のことなんだ。

突然、高層建築が建ったり、赤い家が建ったり、
広告看板が建つことは、あり得ない。
それが、自分の土地であっても。

ロンドンの家。


電柱、電線はまったく見当たらない。テレビのアンテナが見える。
家は半世紀前の石造りと古いが、中は改装(リファービッシュ)して、
空気を汚さないスチーム暖房など、快適だった。

家も、隣人も、住環境も、気に入っていたが、
家は古く、改修が必要になって、引っ越した。

ロンドン、2軒目の家。

今度の家は新しかった。レンガ造りで、窓やドアは白。
周りの家とも、調和がとれていた。

通信線が、右上から煙突の方向に走っている。
しかし、ごみごみと醜い、というほどではなかった。

松本の家の窓から。

電柱と電線が空をおおう。
ごみごみと醜いではないか!

山(左下)や空、景色は、電線の間から見る。
こうゆうことは、アメリカでも、イギリスでも、なかった。

4本の電線が家に敷かれている。
右からケーブル・テレビ(右~上へ)、
光ケーブル(右下~左上に横切る)、
電力線(電柱の上部~左上に垂れさがっている)、
そして、電話線(電柱の下部~左へ)。

大きな地震があれば、
電柱が倒れて、我が家はペシャンコ。
阪神・淡路大震災では、倒れた電柱や電線は、
避難や救助、消火活動の妨げになっていた。

電線を埋めずに、工事費を倹約しているから、
電気料金は、安くなるのかな? と思うが、
日本はアメリカやイギリスの2倍だった。
とりわけ安くなかった。とりわけ高かった。
日本は、電気料金が高く
景観が悪く
危険、ということになる。


5) 「チュニスの景観」、2010年11月3日掲載。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/82a5e1daf7999a8b70adbac4204178bd

アフリカのチュニジアの首都チュニスの写真がある。
ホテルの窓から、チュニスの街と先の地中海を眺めた2枚である。

チュニスの街の右側。


電柱、電線がない。
広告看板が見当たらない。
屋根も壁も白に統一している。
飛び抜けた高層建築や、
周囲と調和しない建築がない。
砂漠の地だが、樹木がある。
屋上は平らで、水タンクや空調機械がない。
プラニング(都市計画)がある。
整然とした街の景観になっている。

チュニスの街の左側。


看板が1つある。手前左の青色。
看板の面積、高さ、色などによって、
高い看板料を払うのだろうか?

看板のほかは、チュニスの街の右側と同じである。
電柱、電線がない。
屋根も壁も白に統一。
飛び抜けた高層建築や、
周囲と調和しない建築がない。
砂漠の地だが、樹木がある。
屋上は平らで、水タンクや空調機械がない。
プラニング(都市計画)があり、
整然とした街の景観になっている。

東京の写真と比べてみる。赤坂から。


チュニスとのちがいは、おわかりと思います。
電柱、電線がある。
広告看板はある。
屋根も壁も、色調に統一はない。
高層建築の高さがマチマチである。
周囲との調和を考えた建築ではない。
雨は多いが、樹木が少ない。
屋上はデコボコで、水タンクや空調機械がむき出しである。
それか、囲って、広告看板にしている。
高速道路がビルの間を曲がりながら走る。
プラニング(都市計画)がない。
雑然とした街の景観になっている。

ここでは、「チュニスの景観」を取り上げたが、
ヨーロッパ、アジア、オセアニア、日本の街の景観は、
つぎを参考にしてください。
「フィレンツェの景観」、2010年11月7日。
「ローマの景観」、2010年11月10日。
「ライの景観」、2010年11月14日。
「ブルージュの景観」、2010年11月17日。
「ツェルマットの景観」、2010年11月21日。
「バルセロナの景観」、2010年11月24日。
「プラハの景観」、 2010年12月1日。
「シドニーの景観」、2011年1月1日。
「シンガポールの景観」、2011年1月16日。
「函館の景観」、2011年1月23日。


6) 「京都のランドマークは金閣寺」、2010年10月6日掲載。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/4c8224da937ed43ef476808744200942

アレックス・カー氏(東洋文化研究家)は、
「犬と鬼」講談社で、京都について、つぎのように書いている。

「京都の街は、フィレンツェやローマに並ぶ文化都市として、
世界の人々に愛されていた」
「第二次世界大戦の末期に、連合国軍司令部が京都を、
空爆対象からはずしたのもそのためだ」

「新しい建築物を古い家屋に調和させるノウハウがないので、
木造家屋はブリキとプラスチックで無神経に修復され、
また古い家屋を必死で残そうと努力しても、
周囲には電線や看板やパチンコ店があふれている」

古い町家。

古い町家は、電柱、電線や看板、高層建築、駐車場と同居している。

アレックス・カー氏は、京都タワーについて、書いている。
「京都タワーができたことによって、
京都の屋根並みが劇的な致命傷を受けてしまいました」

京都タワー。


司馬遼太郎さんも、京都タワーについて、
「京都人が京都駅前にローソクの化けもののような京都タワーを、
出現させたときは仰天した」
と、書いている。

アレックス・カー氏は、京都駅について、書いている。
「京都タワーによるダメージを払しょくして、
文化都市としてのイメージを回復す絶好のチャンスだったのだが」
「1,500億円をかけた新しい駅は、建設ブームの日本でも、
屈指のスケールであり、京都タワー、京都ホテルなど足元にも及ばない。
線路に沿って500メートルの幅で、巨大な灰色の軍艦ビルがのしかかる。
戦後の京都の慣わしにしたがって、街の歴史を力強く否定し、
世界に向かって、否定を大声で叫んでいる」

京都駅。


地元の建築家の言葉も載せている。
「京都のように歴史のある街では、
デザインの質を考えなくてはならない。
これではまるで倉庫か刑務所のようだ」

文豪川端康成は、
「京都を描くのなら、今のうちですよ」
と、東山魁夷画伯に言っている。

日本の古民家を再生する建築家、カール・ベンクス氏は、
「日本人は、宝石を捨てて、砂利を拾っている」
「日本人が、昔の京都の町並みを壊した」
と、言っている。

日本人も外国人も、同じことを言っている。
「伝統文化と発展を、調和させることができなかった」
「日本人が、京都の町並みを壊した」
「手遅れだが、再生を考えよう」


7) 「東京のランドマークは東京タワー」、2010年10月10日掲載。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/e767f156779facaf9529578460295ad1

東京タワー。


エッフェル塔


どっちが東京タワーで? どっちがエッフェル塔?
1889年にパリにエッフェル塔が建設されてから、
69年後の1958年に、東京タワーを建設した。
当時の東京は、パリを目指していた?

東京のランドマークは「東京タワー」だが、
「東京へ行ったなら、『東京タワー』を見たい」
と言う外国人はみたことがない。

東京タワーは、日本の独自文化とは思っていない。
エッフェル塔のマネだと思っている。
パリで本物を見ればいい。
日本まで、わざわざ来る必要がない。

東京を概観するために、東京タワーに上った外国人は、
「おもちゃ箱をひっくり返したような街だ」
「調和も統制もない」
と、言っている。
東京の都市計画も景観も、ダメ! と言っている。


赤坂から東京タワー。

色調の統一はない。
住宅のとなりに高層建築がある。
高層建築の高さはマチマチだ。
広告看板があるのは普通のこと。
電柱、電線があるのも普通のこと。
樹木が少ない。
屋上はデコボコで、水タンクや空調機械がむき出しである。
それか、囲って、広告看板にしている。
プラニング(都市計画)がない。
雑然とした街の景観になっている。


パリ旅行で、必ず行くところ、それは、
「パリのランドマーク、エッフェル塔」。

わくわくしてエレベーターで昇って、パリ市街を眺める。ズ~ッとみている。


「東京スカイツリー」は、形がみえてきた。

東京スカイツリーは、エッフェル塔のマネではない。
独自デザインだ。
東京タワー(1958年)から、東京スカイツリーまで、
独自デザインに半世紀以上かかった。

「街のランドマーク」については、京都と、東京のほかに、
「松本のランドマークは松本城」、2010年9月12日、
「長野のランドマークは善光寺」、2010年10月13日、
「奈良のランドマークは東大寺」、2010年10月17日、
「札幌のランドマークは時計台」、2010年10月20日、
「名古屋のランドマークはトヨタ産業技術館」、2010年10月24日、
「諏訪のランドマークは諏訪大社」、2010年10月27日、
「バルセロナのランドマークはサグラダ・ファミリア」、2010年11月28日、
「プラハのランドマークはプラハ城」、2010年12月5日、
「シドニーのランドマークはオペラ・ハウス」、2011年1月5日、
「函館のランドマークは函館山」、2011年1月30日、
を、参照ください。


東京は、プラニング(都市計画)で再生するチャンスが2度あった。
1923年の「関東大震災」と、
1945年の「東京大空襲」である。

1923年の「関東大震災」(M7.9)では、地震で建物が倒壊し、
火災で焼け野原となった。死者・行方不明は10万5千人。

1945年の第二次世界大戦の「東京大空襲」では、
東京は焦土と化した。死者は10万人以上。

死者をみると、すさまじい。「関東大震災」も、
「東京大空襲」も、東日本大震災の数倍である。
東京は壊滅的な打撃で、なにもない平原になった。

そして、できあがった東京は、雑然とした街になった。
「おもちゃ箱をひっくり返したような街だ」
「調和も統制もない」
「プラニング(都市計画)がない」

京都は、東京のように「京都大空襲」はなかった。それは、
「第二次世界大戦の末期に、連合国軍司令部が京都を、
空爆対象からはずしたのは、フィレンツェやローマに並ぶ文化都市として、
世界の人々に愛されていたからだった」
おかげで、美しい街が残った。

しかし、問題はそのあとにおこった。
「伝統文化と発展を、調和させることができなかった」
「日本人が、京都の町並みを壊した」


さあ、東北の復興だ!
東北は、自然資源と民俗芸能の宝庫だ。
日本の伝統、文化が息づく街にしてほしい。

都市計画家、建築家の出番だ。
東北に日本の英知を集めた街を創ってほしい。
東北は、都市計画家、建築家の英知を待っている。

単なる「復旧」でなく「復興」で、街創りをしてほしい。
世界の人から、
「日本をみたければ、東北へ行くといい」
「日本の伝統、文化が息づいている」
「Civilized Peopleが住んでいる」
「それに、災害対策をしてある」
と、言われるように。

もし、日本の街創りに、英知が必要だったら、
都市計画に実績がある外国人の英知を取り入れてもいい。
日本の良さを引き立てた街創りに、世界から公募するのも手だ。

東北に千載一遇のチャンスが来た!
世界が、東北の復興に声援を送っている。
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