季節の変化

活動の状況

福島市の放射線量2016年

2016-07-31 00:01:20 | Weblog
福島市放射線量2016年
2016年7月1日に、福島市を訪問した。
東電の福島第一原発が、2011年3月11日に、
メルトダウンしてから、福島市の訪問は、今回が8回目になる。



これまでの訪問。
1回目、2011年6月30日、
 南相馬市のボランティア活動からの帰りに、福島市に泊まった。
 福島市の放射線量の高さに、ビックリした。
 福島市は、南相馬市よりも、福島第一原発から、
 はるかに遠いから、汚染されている、とは思っていなかったから。
2回目、2011年9月6日、
 放射線量の測定を、福島市の繁華街に広げた。
 放射線量の高いところが、たくさんあった。
3回目、2012年1月14日、
 紅葉山公園で、最高の23.6マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を体験した。
 南相馬市よりも、はるかに高い放射線量だった。
4回目、2012年6月19日、
 高い放射線量は、なかなか減少していなかった。
 福島駅前で測ったが、高かった。
5回目、2013年7月3日、
 福島駅前は、除染されていた。
6回目、2014年6月26日、
 街の除染が進んでいた。
7回目、2015年1月29日、
 渡利(わたり)地区では、除染の廃棄物が、庭先に積まれたままだった。
 弁天山を測った、除染は取り切れるものでなかった。
そして、8回目、2016年7月1日、
 渡利地区の除染の廃棄物は、ほとんど、片づけられていた。

 8回目では、外で遊んでいる幼稚園児を、初めて見た。

 時間を区切って、外で遊ばせていた。
 近くには、除染の廃棄物が置かれたまま。 
 かわいそうに! 廃棄物の貯蔵場所が、ないんだ。

 ホットスポットは残っているものの、放射線量は減少している。
 弁天山、1.31マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
 福島駅西口の植え込み、1.50マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。

 
大きな変化を、福島市のホームページに見ることができる。
平成27年6月から、放射線量の測定データが掲載されるようになった。


福島市放射線量測定マップ(平成27年2月23日~3月実施)から、
福島駅周辺を含む中心街を作成。

地上1メートルで測定。マス目は、500メートル四方、山間地は1キロ四方。

放射線量-例。


福島市を訪れていたのは、①~③、
①福島駅周辺、0.23~0.5マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
②福島県庁周辺、0.23~0.5マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
③弁天山公園周辺、0.23~0.5マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。

福島市では、地上1メートルで放射線量を測定している。
地上1センチで測定したデータは、見当たらなかった。
地上1センチの放射線量は、当然高くなる。
それに、砂遊びをする、ボール遊びをする、
米を作る、野菜を育てる…は、地上である。
地上1メートルではなく。

南相馬市では、地上1センチで測定していた。
「南相馬市の放射線量2016年」、2016年7月24日に掲載。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/a038fedc334df999706e1a7c8319247e

南相馬市のホームページに掲載されている、地上1センチの、
放射線量率測定マップ(平成23年7月22日~平成23年10月18日測定)。

地上1センチで測定。マス目は、1キロ四方。

南相馬市では、①~④を訪れている。
①原ノ町駅周辺、0.50~0.99マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]
②南相馬市役所周辺、0.50~0.99マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]
③大鹿の仮設住宅周辺、1.00~1.49マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]
  大鹿の仮設住宅周辺には、原町高校、除染物の仮置き場、
  イオンスーパーセンターがある。
④飯舘村に入る八木沢峠周辺、2.50~2.99マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。

南相馬市には、地上1センチで測定したデータと、
地上1メートルで測定したデータがあって、
両者を比較することができる。

①原ノ町駅周辺、
  0.50~0.99マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h] の詳細は、
  地上1センチ  0.50マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、(1.22倍)、
  地上1メートル 0.41マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、(1.00)。

②南相馬市役所周辺、
  0.50~0.99マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h] の詳細は、
  地上1センチ  0.77マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、(1.57倍)、
  地上1メートル 0.49マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、(1.00)。

③大鹿の仮設住宅周辺、
  1.00~1.49マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h] の詳細は、
  地上1センチ  1.05マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、(1.42倍)、
  地上1メートル 0.74マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、(1.00)。

④飯舘村に入る八木沢峠周辺、
  2.50~2.99マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h] の詳細は、
  地上1センチ  2.74マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、(1.31倍)、
  地上1メートル 2.09マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、(1.00)。

地上1メートルの放射線量を1.00とした場合、
地上1センチの放射線量は、1.22~1.57倍になる。
そこで、①~④の地上1センチの放射線量の合計を、
地上1メートルの放射線量の合計で割ってみると、
1.36倍になる。 

福島市の、地上1メートルの放射線量のデータに、
この1.36倍を当てはめてみて、地上1センチの放射線量を予測すると、
①福島駅周辺、②福島県庁周辺、③弁天山公園周辺の、
  地上1メートルで、0.23~0.5マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]は、
  地上1センチでは、0.31~0.68マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]になる。

福島市の2015年(平成27年)の放射線量、
 ①福島駅周辺、②福島県庁周辺、③弁天山公園周辺の、
  0.31~0.68マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]は、
南相馬市の2011年(平成23年)の放射線量、
 ①原ノ町駅周辺、0.50マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
 ②南相馬市役所周辺、0.77マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
 に、近い。

2011年(平成23年)とは、東電の福島第一原発が、
メルトダウンした年で、その6月に災害ボランティアで、
南相馬市に入った。災害ボランティア・センターの案内には、
「原発問題での知識・理解を得たうえで、現地入りしてください」
とあった。南相馬市の状況は、
ひっそりとして、ゴーストタウンのようだった。
シャッタ-が降りて、歩いている人がいなかった。

「被ばく量のトップ10」、2014年7月27日、掲載、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/345b7bde0a7be74fde2d3030d14d7e20
を参照すると、
被ばく量の1位~15位までは、福島市が占めている。(9位の郡山市のほかは)






南相馬市は、18位、19位、20位に出てくる。

福島市と、南相馬市の放射線量では、南相馬市よりも、
福島市の方が高かったことを実感している。

「福島では、どの程度、健康や人体に被害が及ぶのか、
また、いつ影響が出るのか、明確でないままに生活している」
「汚染物をいかに除去するか、除染が最大の関心事になっている」
と、福島の人は言う。

ホットスポットはあるが、福島市の除染は進んでいる。
そうなると、福島市でも、南相馬市のように、
地上1センチでの放射線量の測定がほしい。
福島の人に応えることになる。
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南相馬市の放射線量2016年

2016-07-24 00:00:30 | Weblog
南相馬市の放射線量2016年。
2016年6月30日に、南相馬市を訪れると、
南相馬市役所の壁には、マス目で測定した、
放射線量率マップ」、2016年5月版が貼ってあった。
南相馬市のホームページに、似たものがあったので、
放射線量率測定マップ(平成23年7月22日~平成23年10月18日測定)から、
つぎを作成した。

地上1センチで測定。マス目は、1キロ四方。

南相馬市を訪れたのは、①~④である。
①原ノ町駅周辺、0.50~0.99マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
②南相馬市役所周辺、0.50~0.99マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
③大鹿の仮設住宅周辺、1.00~1.49マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]、
  大鹿の仮設住宅の周辺には、原町高校、除染物の仮置き場、
  イオンスーパーセンターがある。
④飯舘村に入る八木沢峠周辺、2.50~2.99マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。

その南相馬市の、避難指示解除された。2016年7月12日。

福島県のホームページ、避難指示区域の概念図から作成。

南相馬市の避難指示が解除されたのは、網目のA、B、Cの区域。
A福島第一原発から半径20キロ以内の区域、
B居住制限区域
C避難指示解除準備区域
D帰還困難区域は、そのままで、解除はない。
今回の避難指示の解除で、対象となる、
A、B、Cの住民は、1万800人という。

A、B、C、D以外の白いところは、S安全区域で、
福島第一原発から半径20キロを外れて、
汚染が深刻でないところ。

2011年3月11日の福島第一原発のメルトダウンから、
南相馬市には、3回訪れた。いづれもS安全区域だった。
1回目は、2011年6月29日。
福島第一原発の原発災害から3か月後。
災害ボランティアで、南相馬市を訪れた。
出発前に、ボランティア活動保険に入った。
そして、仙台から、常磐線で南下して亘理駅へ。
その先は、常磐線が不通で、代行バスを乗り継いだ。
亘理駅 ⇒ 相馬駅へ、相馬駅 ⇒ 原ノ町駅へと2回。
相馬駅 ⇒ 原ノ町駅では、国道沿いにが押し寄せられていた。

海岸から国道6号まで3.5kキロほどある。
津波と原発災害のダブルパンチを目の当たりにした。

2回目は、原発災害から1年後の2012年6月18日。
常磐線の相馬駅 ⇒ 原ノ町駅は開通していて、
代行バスは、亘理駅 ⇒ 相馬駅の1回だった。
南相馬市の放射線量は、まだ高かった。
しかし、歩いている人がいる。そして、
原町第一小学校は再開されていた。

学童が大きなマスクをして、屋外でボールを追いかけていた。

いつから再開したのだろうか?  南相馬市の市民に聞いてみると、
「2011年の10月に再開しました」
「4割ほどの児童がもどった」
とのことです。

そして、3回目は、2016年6月30日。
避難指示が解除されるのは、2016年7月12日だから、
その12日前に、訪れたことになる。
常磐線の、亘理駅 ⇒ 相馬駅は、
前回と同様に代行バスだった。
その、亘理駅 ⇒ 相馬駅は、高架の工事が進んでいて、
2016年12月末の開通を目指している。

田んぼには、稲は植わっていない。除染はこれから?

これまでの南相馬市の訪問については、
つぎに記載してきたので、参考にしてください。
「南相馬市の災害ボランティア」、2011年7月3日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/33a74413a32a306b068c04fb96f0e3e4

「南相馬市の放射線量」、2011年7月10日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/a01c1d1ec1ed310effe03992a7f9b83d

「福島市と南相馬市の放射線量」、2013年7月21日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/5ff01d81cefe5d0e4128f67208027b9d

これらの地域を訪れたのは、
①原ノ町駅周辺と、②南相馬市役所周辺は、3回とも訪れた。
③大鹿の仮設住宅周辺は、2016年6月30日に訪れた。
④飯舘村に入る八木沢峠は、2016年7月1日に、
  原ノ町駅 ⇒ 福島駅行きのバスで通過した。
  八木沢峠には、「石ポロ坂トンネル」がある。

1回目から3回目を写真で追ってみる。
原ノ町駅周辺
2011年6月29日。
南相馬市の放射線量の高さにビックリした。
街は、シャッタ-が降りて、ひっそりしていた。

車は、ときおり走るが、歩いている人は、まったくいない。
ほかのボランティア活動の人は、車で来ていた。
原ノ町駅から、福祉会館のボランティアセンターまで、
歩いているのは、私だけ。

2012年6月18日。
商店が開いていた、ちらほらと。レストランも。
酒屋さんが開いていた。1年前の2011年6月には、開いていなかった。
元気!東北」。

「去年は避難をしていたのですか?」
と聞いてみると、
「避難はしていなかったです」
「店は閉めていました」
とのことです。
目についた「元気!東北」を買った。
こうして、新しいビールが入っているというのは、
お客さんがもどってきているということだろう。
近くの木陰で飲んだ、「元気!東北」はうまかった!

2016年6月30日。
南相馬市図書館

中では、調べ物をしている数人がいた。
5年前の2011年6月29日には、無人だったが。
咲いたアジサイが、もどって来た人を迎えているようだ。

南相馬市役所周辺。
2012年6月18日。
南相馬市役所の放射線量2012年

0.355マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。

2016年6月30日。
南相馬市役所の放射線量2016年

0.125マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。

4年で、0.355マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]から、
0.125マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]へと、
65%も減少している。除染と、
放射性物質の物理学的な減衰による。

③大鹿の仮設住宅周辺。
2016年6月30日。
大鹿の仮設住宅。


近くには、大木戸地区仮置場がある。

塀で囲われた中は、工業団地の建設現場か? と思った。
広大な仮置場だった。

大木戸地区仮置場の放射線量

0.219マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。
放射線量を計測していた。

大鹿の仮設住宅の近くに、イオンスーパーセンターがある。

お客さんでにぎわっていた。野菜が豊富だった。
寿司パックとビール、野菜のパックを買って、
市内のホテルで晩飯にした。

南相馬市を訪れた①~③は、S安全区域。
①原ノ町駅周辺では、福祉会館まで歩いた、2011年、2012年。
  ホテルに泊まった、2016年。
②南相馬市役所周辺では、ボランティア活動をした、2011年。  
③大鹿の仮設住宅周辺では、
  イオンスーパーセンターで、晩飯の寿司パックを買った、2016年。
ただ一か所だけ、避難指示が解除されたCに入ったのは、
④飯舘村に入る八木沢峠。福島駅行きのバスで通過した、2016年。

そして、2016年7月1日に、バスから見た飯舘村は、
福島第一原発から40キロの村が、消えていく!
そう見えた。
「バスは飯舘村を走る」、2016年7月17日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/d8a29c2bce37b2d8b5698941d386fe37
を参照してください。

南相馬市の放射線量2016年(S安全区域)。


南相馬市のS安全区域で測った放射線量をみると、
2011年6月29日と、2012年6月18日は、放射線量が高かった。
しかし、2016年6月30日では、放射線量が減少した。除染されていた。

2016年7月12日に、A、B、Cで避難指示が解除された。
A、B、Cの2011年と、2012年の放射線量は、
S安全区域よりも、かなり高かっただろう。
そのA、B、Cの、避難指示が解除されたのは、
「南相馬市の放射線量2016年」(S安全区域)のように、
放射線量が減少した。それに、除染されたのだろう。
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バスは飯舘村を走る

2016-07-17 00:00:38 | Weblog
バスで、南相馬市の原ノ町駅から、福島駅へ移動する。
ルートは、①南相馬市 ⇒ ②飯舘村 ⇒ ③川俣町 ⇒ ④福島市。
バスは、②飯舘(いいたて)村を走る。

②飯舘村は?
東京電力、福島第一原子力発電所の北北西、40キロほどのところにある。
2011年3月11日の、福島第一原発の原発事故によって、
放射性物質で汚染され、飯舘村は避難区域になった。
南の一部には、帰還困難区域を抱えている。

ルートの①南相馬市 ⇒ ②飯舘村 ⇒ ③川俣町 ⇒ ④福島市を、
累積放射線量で見る。

原子力規制委員会、平成24年3月11日までの積算線量から作成。
福島第一原発からの放射性物質は、北北西に浮遊し、
沈着して、飯舘村方向に汚染が伸びている。

累積放射線量の色分け。

単位: mSv(ミリシーベルト)。
黄色より濃い、20 mSv(ミリシーベルト)以上は、
赤線で囲われている。バスは、その赤線の中を走る。

2016年7月1日、朝6時35分。
①原ノ町駅を出発、(福島第一原発から24キロ)
②飯舘村を通って、(福島第一原発から40キロほど)
③「道の駅 川俣」で5分の休憩、(福島第一原発から45キロほど)
④福島駅に、8時20分到着予定。(福島第一原発から63キロ)

乗客は、南相馬市役所でも拾い、20名ほど。
前の2列が、女性客専用の席になっている。
これは、被ばく量を減らすためだろうか?
それとも、事故の場合に脱出し易い?

原ノ町駅。福島第一原発から24キロ。

JR常磐線は、原ノ町 ⇒ 相馬は、開通している。
相馬 ⇒ 亘理(わたり)は、代行バスになる。
その相馬 ⇒ 亘理は、高架の工事をしていた。
2016年末の開通を目指している。
バス停の「原ノ町駅」は、JR原ノ町駅前の通リにある。

②飯舘村、臼石小学校。福島第一原発から42キロほど。

朝7時20分、通学する時間だが、学童は? 見当たらない。

臼石小学校は汚染され、閉鎖されている。
飯舘村には、3つの小学校があったが、
統合されて、となりの川俣町に移転した。

周りの農地は放置されて、雑草が生い茂っている。
豊かな農地だったんだろうが、除染されずに荒れている。
さらに、周りの林や山、河川の除染を考えれば、除染には際限がない。
動物のすみかになっているのだろう。
ゴースト・タウンになっている。
生活の匂いがしない。

③「道の駅 川俣」。福島第一原発から45キロほど。

中央上の原町から下りてきて、349号、114号を通って、
現在地を経由して、114号を福島に向かう。

停車時間の5分は、きっちりと守られた。
トイレからもどると、すぐに出発した。くつろぐ時間は、ない。
屋外の時間を極力減らして、乗客の被ばく量を、
極力減らそうとする配慮だろう。

福島市街。福島第一原発から60キロほど。

弁天山公園から。

それでは、①飯舘村を、順に追ってみる。
①南相馬市から、②飯舘村に入ると、
除染物が、目に飛びこんでくる。

手前に除染中の旗がある。
農地は、除染物の集積場所になっている。

除染物の量に圧倒される。

自分の農地の除染物だけでも、多量になる。
それに、よその除染物も運びこんでいるのだろうか?
あとで見る福島市は、渡利地区に放置されていた除染物が、
1年前よりも減っていたが。

除染物が続く。

新たな住人のすみかのようだ。

優良な農地だったんだろうが、荒れている。

汚染された農地の先は、除染物の集積場所。
汚染された家は放置され、荒れ放題になった。
文化の香りはなくなった。希望が見えない。

ショップは閉鎖。

人影は消えている。生活の匂いがしない。

飯舘村の人口は?
飯舘村のホームページを見ると、
6,707人の人口は、49人になった。
2016年6月1日現在。
99%以上の人が、村を去った。

どこへ行かれたんだろう?
県内の避難者数は、6,138人、2,644世帯。
福島市   3,836人、1,581世帯
伊達市    610人、283世帯
川俣町    480人、189世帯
相馬市    415人、200世帯
南相馬市  415人、198世帯、ほか。

県外の避難者数は、520人、313世帯。
埼玉県     80人、42世帯
神奈川県   62人、41世帯
東京都     61人、48世帯
宮城県     61人、39世帯
栃木県     46人、24世帯、ほか。

県内と県外の避難者の合計は、6,658人、2,957世帯。
1世帯当たり、2.25人になって、少子、高齢化がうかがえる。

飯舘村内は、49人、46世帯。
(特別養護老人ホームと未避難者12人、9世帯)。

住んでいる住宅は?
住宅取得・親族宅等  2,699人、
借上住宅          2,226人、
仮設住宅           901人、ほか。

飯舘村から、川俣町に入ると、田んぼには、
が植わっている。


川俣町では、稲が生育している、車が走っている、
通学する学童がいる、旗振りをする父兄がいる…、
極めて当たり前のことが、新鮮に映る。

バスから、飯舘村を見てきが、
普通のことが、見当たらない。
飯舘村から、がいなくなった。
農地は、汚染されて作物はできない。
農地は、除染物の集積場所になった。
小学校がなくなった。明日を担う学童がいなくなった。
汚染された家は放置され、荒れ放題になった。生活の匂いがしない。

除染物/汚染物が、村の新たな住人になった。

これまで築いてきた生活も、文化も、
なくなってしまった。希望も持てない。
大きな打撃を、目の当たりにしてきたから、
福島第一原発から40キロの村が、消えていく!
そう見えた。

ところが、飯舘村のホームページを見ると、
2017年3月31日の避難指示解除と帰村を目指す、とある。
当たり前のことが、普通にできる、生活や環境を目指すことになる。
大きな打撃からの復興になるが、学童や、子育て世代を呼び戻したい。
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美ヶ原高原のレンゲツツジとコナシ

2016-07-10 00:00:30 | Weblog
美ヶ原高原の、レンゲツツジを見に行った。
王ヶ頭。2016年6月20日。


美ヶ原高原に、レンゲツツジを見に行ったのは、
2016年6月11日と6月15日、それに、6月20日の3回。
2016年6月11日は、袴越(はかまごし)は満開だったが、さらに、
 上にある美ヶ原高原は、つぼみだった。コナシが咲いていた。
2016年6月15日は、美ヶ原高原でも、咲いていた。
2016年6月20日は、美ヶ原高原も、満開になった。

袴越。2016年6月11日。
レンゲツツジは満開だった。


満開のレンゲツツジ。

袴越。2016年6月11日。

美ヶ原高原
コナシ。2016年6月11日。

雪景色のようだ。

コナシの

つぼみは、ピンク。

コナシと、孤独なレンゲツツジ。


コナシとレンゲツツジ。

咲いているレンゲツツジを探した。右奥もコナシ。

コナシとレンゲツツジ。

レンゲツツジはつぼみだった。

レンゲツツジは、ちょっと早かった。
4日後の2016年6月15日に行ってみると、
コナシは散り、レンゲツツジが咲いていた。


レンゲツツジ。

奥はコナシ。

レンゲツツジと馬酔木


2016年6月20日に行ってみると、レンゲツツジは満開だった。

コナシは、緑になっている。

樹と競演。


焼山(やけやま)。

牛が放たれている。

コナシの枝の間。


美ヶ原高原。


「ツール・ド・美ヶ原」が、2016年6月26日に開催される。
高低差1,270メートル、21.6キロメートルの、
最強激坂自転車レース大会。
本番に備えて、試走するレーサー。

レンゲツツジが迎えてくれる。

満開のレンゲツツジ。


美ヶ原高原のレンゲツツジは、2016年もいい光景を見せてくれた。
それに、コナシからレンゲツツジへの移行を、見ることができた。
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美ヶ原高原のツマトリソウ

2016-07-03 00:02:03 | Weblog
美ヶ原高原ツマトリソウ
美ヶ原高原へは、レンゲツツジを見に行った。


その美ヶ原高原で、ツマトリソウを見つけた。
ツマトリソウの花弁は、通常7枚というが、
美ヶ原高原のツマトリソウは、
6枚と7枚、8枚がある。
7枚と8枚は、一か所に咲いている。
7枚と8枚が、隣り合わせに咲いている。
それに、6枚は、隣り合わせに咲いている。

8枚7枚のツマトリソウが、一か所に咲いている。

8枚が3つ、7枚が1つ。美ヶ原高原、2016年6月15日。

左下では、8枚と7枚が隣り合わせに咲いている。

左が8枚、右が7枚。

このほかの場所の8枚


このほかの場所の7枚


6枚を見つけた。

美ヶ原高原に上がる途中の袴越(はかまごし)。2016年6月15日。
隣り合わせに咲いていて、上も6枚、下も6枚。

付近には、7枚が普通にある。


2週間前の2016年5月27日に、
乗鞍高原で、ツマトリソウを見ている。
このことは、つぎに記載した。
「乗鞍高原の春の息吹」、2016年6月26日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/7823a5b2c490b0457ccad1689e07330d

乗鞍高原のツマトリソウ。
どれも、7枚

乗鞍高原、2016年5月27日。

付近に、8枚があった。

乗鞍高原、2016年5月27日。

それで、ツマトリソウを調べてみた。
すると、通常は7枚とある。が、
乗鞍高原では、8枚があった。

美ヶ原高原へは、レンゲツツジを見に行った。
そこで、見つけたツマトリソウである。
ツマトリソウが咲いていたところは?
レンゲツツジの中の遊歩道
8枚と7枚のツマトリソウが咲いていた美ヶ原高原。2016年6月15日。

丘の上に杭が並ぶ。杭沿いの遊歩道で見つけた8枚。
どうしても、華やかなレンゲツツジに目がいくから、
足元のツマトリソウは、見落としがちだ。

6枚と7枚がツマトリソウの咲いていた袴越。2016年6月15日。

レンゲツツジに向かう遊歩道で、ツマトリソウが咲いていた。

美ヶ原高原のツマトリソウは、
6枚と7枚、8枚があった。
7枚と8枚は、一か所に咲いていた。
7枚と8枚が、隣り合わせに咲いていた。
それに、6枚は、隣り合わせに咲いていた。

美ヶ原高原のツマトリソウに逢うならば、
レンゲツツジが咲くころに行くといい。
6枚と7枚、8枚が迎えてくれる。
コメント
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