季節の変化

活動の状況

東ドイツの教師ドライバー

2010-05-30 00:05:30 | Weblog
タクシー・ドライバーは、の代表者。
旅が楽しくなったり、とんでもないことがおきる。
街の印象が良くなったり、悪くなったりする。

43) 東ドイツの教師ドライバー
東ドイツが消滅する(1990年)前年の1989年3月のこと。
ハレという街で、毎年開催される国際見本市へ行った。

「東ドイツの購買力は、今は小さい」
「いつしか、東ドイツの購買力が上がるときが来るだろう」
「そのときを予想して、今から商品の良さを知っておいてもらおう」
と、見本市への西の出展社の多くがそう考えて、
ハレの見本市にブースを構えていた。
まさか、翌年東ドイツが消滅するとは、
予測できなかったときである。

ハレの見本市には、赤いBMWが駐車していた。
ナンバー・プレートから、
西ドイツから見本市に出展する関係者の車で、
アウトバーンを駆けて、見本市の会場の脇に駐車した。

東ドイツの若者がBMWを取り囲むようにして、
外を眺めたり、中をのぞき込んでいる。
デザインや性能、塗装、内装、装備、環境対策が、
東ドイツの“トラバント”とはダンチである。

洗練されたBMWを一目見ようと、
若者が引きも切らずに集まって来てはのぞき込む。
そして、
「西は進んでいる」
「東ドイツは遅れている」
「追いつくのはむずかしい」
と、感想を抱く。

そして、いけないものを見たかのように、
すごすごと、その場を去っていく。
これは、生きた見本市だ。
西も東も、つくっているもの(車)は同じだった。
だが、は歴然としている。
市場経済と計画経済の違いからくる差をみた。

東ドイツの国民車トラバント。ハレ。

廃車置場ではない。等間隔にならんでいるし、
ちゃんと、ナンバー・プレートがついている。

1日の見本市の見学を終えると、疲れてグッタリする。
見本市会場から郊外のホテルまでは、タクシーで帰る。
高校の教師をしながら、ドライバーをしているという、
タクシーに乗り合わせた。

疲れて座席に沈みこんでいると、
「昼間は、化学の教師をしている」
「夜は、こうしてタクシー・ドライバーになる」
と、英語で話しかけてきた。

身をおこして、ドライバーを見ると、
やせ気味で、年は40歳くらい。
インテリジェンスが感ぜられて、
“化学の教師”といわれると、そう見える。
それに、きれいな英語を話す。

「今、家を建てているので、その建築資金を稼いでいるのだ」
「木材は手に入り易いが、タイルなどの磁器、
トイレのバスタブやシンク、便器などの陶器が、
手に入らない。それに、照明器具も手に入らない」
と、生活の状況やら国の状況を話す。

「教師の給与は1万円だが、
アパートメントの家賃は200円で、
子どもの学校の授業料はタダだ」
と、生活には問題がないことを言う。

東ドイツ人と話ができるとは、ありがたい。
一市民が言うことは、飾りがない、重みがある。
しかも、教師ドライバーは積極的に、話しかけてくる。
国の状況が聞けるいいチャンスだ。
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同じ民族でも口をきかない乗り合いバス

2010-05-26 00:05:26 | Weblog
タクシー・ドライバーは、の代表者。
旅が楽しくなったり、とんでもないことがおきる。
街の印象が良くなったり、悪くなったりする。

42) 同じ民族でも口をきかない乗り合いバス
東ドイツが消滅する(1990年)前年の1989年に、
ハレという街で、毎年開催される国際見本市へ行った。
ハレは、ベルリンの南西150キロメートルにある。

ロンドンからハレの空港に降りると、
「西ドイツのマルクを、東ドイツで使うことは違法である」
と、ハッキリと書いてある。

共産圏で最初にすることは、
東ドイツのマルクに交換することである。
列のうしろについてならぶ。

気になる交換レートは、なんと1対1である。
西ドイツの1マルクは、東ドイツの1マルクに両替されるのである。
実質レートは20分の1ほどで、
東ドイツのマルクは、西では価値がないものなのに。

実質のレートの違いは“利ざや”となって、
東ドイツ政府の外貨の獲得になっている。

東ドイツのコインを見るとは、何とみすぼらしいんだろう。
西ドイツの1ドイツマルクが重みのあるコインならば、
東ドイツはオモチャのように安っぽい、輝きもない。

空港からハレの市街までは、シャトル・バスに乗った。
空港から広がる直線道路は、すぐに畑の中の道に変わった。
そして、ポツン、ポツンとある停留所で、東側の土地の人を乗せる。

乗客は? と車内を振り返ると、西側の人は3~4人だけ。
あとの5~6人は土地の人である。

「てっきり、ハレの市街まで直行するもの」
と、思っていたから、
西側の人は、
乗り合いバスか? 乗るんじゃなかった」
「タクシーにするべきだった」
「少しの倹約が、大きな時間のロスだ」
と、いう顔つきである。

乗り合いバスには不思議なことがあった。
東西のドイツ人が乗っているのだが、
ポツン、ポツンと離ればなれで、
お互いに、をきかないのである。

同じドイツ民族で、同じドイツ語をしゃべるのに。
イデオロギーが違うと、ケンカ状態になる。

それに、服装がちがう。
西ドイツのスーツのビジネスマンとくらべて、
東ドイツの普段着のおじさんとおばさんは、貧しい。

この離ればなれは、異様である。
東西のドイツ人は、目を合わせようともしない。
乗り合いバスが、ハレの街に到着するまで、沈黙が続いた。

ハレの街はなかなかの賑わいで、
ツーリスト・ホテルやみやげものやには、
土地の人や旅行者があふれている。

でも街は“くさい”のである、
なんの匂いだろう? この匂いには思い出がある。
「そうだ! 石炭を燃やすときの匂いだ」
学生時代、寮生活の冬の暖房は石炭だった。

その石炭をダルマストーブにくべたときの匂いだ。
20年以上も前の話。
屋根を見ると、煙突から石炭を燃やしたときの煤煙が、
アチコチからモクモクと出ている。

日本では石炭から石油に代わっているから、
よほど石炭が安いか遅れているかだ。

街はそろそろ春を迎えようとしていて、
花もつぼみをつけ始めている。
煤煙”と“ほこり”がなければきれいな街なんだが、
くすんで見える。

それに、国民車トラバントが走っている。
混合ガソリンを使用する2サイクルのエンジンで、
パラパラと音をたて、有害な“排出ガス”をまき散らしている。

東ドイツで、目の当たりにしたコイン、乗り合いバス、
畑の中の道路、服装、煤煙とほこり、排出ガスから、
東西の経済の格差を感じる。

ヘンデルの像。

ヘンデルを生んだ街、ハレ。
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国が消滅する直前の東ドイツを訪問

2010-05-23 00:05:23 | Weblog
タクシー・ドライバーは、の代表者。
旅が楽しくなったり、とんでもないことがおきる。
街の印象が良くなったり、悪くなったりする。

41) 国が消滅する直前の東ドイツを訪問
まだ東ドイツがあった1989年3月のこと。
ハレという街で、毎年開催される国際見本市へ行った。

ハレから北東150キロメートルにベルリンがあるが、
そのベルリンは、ベルリンの壁で東西に分断されていた。

ベルリンの壁(1988年)。
高くて、厚くて、硬くて、どこまでも続くベルリンの壁は、

まさか、来年の1989年に崩壊するとは、夢にも思わなかった。

民族が同じでも、イデオロギーがちがうと、人はケンカする。
そして、人類史上もっとも非創造的な建造物、ベルリンの壁を造った。

東西ドイツの統一は、夢であり、理想であって、
このベルリンの壁が、崩壊するとは、
当面、あり得ないだろう。
少なくとも、20世紀中にはむりだ。
それに、流血の惨事がともなうだろう。
世界の人も、そう思っていた。

ところが、1989年11月9日、
ベルリンの壁は、突如崩壊した。
劇的な変化(パラダイム・シフト)である。
世界の人がそう思っていたのが崩れる、歴史の劇的な変化だ。

東ドイツ市民の旅行の規制が緩和されたのが、きっかけである。
ベルリンの壁が崩壊してから、東西ドイツの歴史は急展開した。

このベルリンの壁は、世界遺産にならなかった。
いまわしいものとして、すぐに撤去された。
他民族からの侵入を防ぐ万里の長城は、世界遺産になったが。

ドイツの歴史をみると、
1945年に、第2次世界大戦が終わって、
 ドイツは、東西に分割された。
 東ドイツの中にあった陸の孤島、ベルリンは、
 東西に分割され、東ベルリンはソ連によって統治され、
 西ベルリンは、アメリカ、イギリス、フランスによって、
 3分割統治された。これは、1990年9月まで、半世紀も続いた。
1961年8月に、ベルリンの壁が築かれ、
1989年11月に、ベルリンの壁が崩壊した。
1990年9月に、西ベルリンの分割統治が終わり、
1990年10月に、東西ドイツは統一した。
1991年12月には、ソ連が崩壊した。

第2次世界大戦で敗戦した日本は、1952年4月まで、
連合国(アメリカ)によって、6年9か月占領統治された。

警告板で、西ベルリンの3分割統治をみる。
シュプレー川にある警告板(1988年)。

警告板には、
「イギリス管理区の境界。ここを越えるな」とある。
シュプレー川の対岸は、東ベルリンで、
フェンス、ベルリンの壁(白)、照明が見える。
監視塔を入れて、東西ベルリンを遮断する、お決まりの一式になる。

フェンスとベルリンの壁の間は、国境警備隊が巡回する。
歩いたり、車であったり、シェパード犬を連れたりと。
ここシュプレー川では、さらに、“警備艇”が見える。

イギリス管理区とは、西ベルリンはアメリカ、イギリス、
フランスによって、3分割されて統治されていたのである。
この分割統治は、ドイツが第2次世界大戦で敗戦した1945年から、
1990年9月まで、半世紀も続いた。

1989年3月に東ドイツの街ハレを訪問したが、
1989年11月に、ベルリンの壁が崩壊し、
1990年10月に、東ドイツが消滅するから、
国が消滅する直前に東ドイツを訪問したことになる。

犠牲者の十字架がならぶ。シュプレー川沿い(1988年)。

ベルリンの壁を越え、シュプレー川に飛び込んで、
泳いだり、ボートに乗ったり、シュノーケルで潜ったり……と、
考えられる方法で東ベルリン脱出を試みた。
が、東の国境警備隊に見つかって、射殺された。
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迎えのホテル・マンは2人いた

2010-05-19 00:05:19 | Weblog
タクシー・ドライバーは、の代表者。
旅が楽しくなったり、とんでもないことがおきる。
街の印象が良くなったり、悪くなったりする。

40) 迎えのホテル・マンは2人いた
ヨーロッパからのお客さんが、
インドネシアの首都ジャカルタに着く。
スカルノ・ハッタ国際空港から、Hホテルまで、
スムーズに、しかも安全に到着するように、タクシーを手配した。

それは、
☆Hホテルの迎えのホテル・マンは、
  Hホテルのサインを持って迎える。
☆それに、お客さんの名前XXも、掲げる。
☆Hホテルが契約しているタクシー、Silver Birdを手配する。
☆タクシー料金は、12万ルピア、およそ13ドルである。
☆タクシー料金12万ルピアには、チップが含まれている。
☆タクシー料金は、私が負担する。
これで、お客さんは、ホテルに確実に到着するだろう。

そして、お客さんがジャカルタに到着する当日。
ぶじに、ホテルに到着したのだろうか?

お客さんが、スカルノ・ハッタ国際空港に到着して、
タクシーに乗り、そろそろホテルに着くだろう時間に、
フロントに電話をした。

「Mr.XXは、ホテルに着きましたか?」
「はい、ただいまチェック・インされました」
ぶじに到着したようだ。ホッとした。

つぎに、空港での出迎えは、うまくいっただろうか?
いろいろと手配したが、気になるところだ。
それで、フロントにお客さんの部屋番号を聞いて、電話をした。

最初に、ヨーロッパからはるばるジャカルタまで出張されたことに、
感謝のあいさつをした。
「また、会えますね。いろいろと、ありがとう」
と、初めてのジャカルタに、ぶじに到着して、うれしそうだ。

それから、タクシーの出迎えについて聞いてみた。
「Hホテルのサインを持った人は、すぐにわかりましたか?」
「わかりました。Hホテルのサインを持った人は、2人いました」
「2人?……」

Hホテルのサインを持った人が2人もいた?
どういうことだ? いったい!

「それで、私の名前XXを持っている人へ行きました」
Hホテルのサインを持った人が2人いた、と言うが、
その内の一人が名前XXを持っていた、と言うのは、
私がホテルのフロントにお願いした迎えの人だ。
もう一人はだれだ? ハサか?

気を取り直して、話を続けた。
「それで、タクシーのSilver Birdに、すぐに乗れましたか?」
「Hホテルの人は、私の名前を宿泊者リストで確認すると、
すぐにタクシーを呼んでくれました」

「リムジンではなかったですね? 黒のボルボの?」
「タクシーでした」

「それから、タクシー料金は請求されませんでしたね?」
「タクシー料金は、予約先が負担するからと、
請求されませんでした」
あぁ、よかった!

でも、Hホテルの人が2人もいた?
2人目はハサか?
ハサは、ホテルの黒塗りのボルボを勧めた。
「ホテルのボルボ」と言って。
そして、20ドルだった。
「タクシーを使えば、27ドル」と言って。

ハサは、いったいなに者だ?
ちゃんと制服を着て、宿泊者リストを持っていたが。

ハサとイサはグルか?
ハサは、
「2分待ってください」
と、携帯電話を持って、人ごみの中に消えたのは、イサと、
「Hホテルまで、20ドルで話をつけた。
チップは含めなかった。日本人で、1人。男」
と、交信していたのだ。

20ドルはこづかい稼ぎか?
ハサとドライバー、イサの副業か?
ハサは、ちゃんと宿泊者リストを持っていたが?
宿泊者リストが、売買されているのではないだろうな?

リムジンのドライバー、イサはなに者だ?
イサは、ホテルに到着すると、
RENTAL AGREEMENT(レンタルの契約書)を差し出して、
Guest’s Name(客先の欄)に私の名前を、
GUEST’S SIGNATURE(サインの欄)に私のサインまで求めたが。
客の要求に応じたリムジンにしたかったのか?

いろいろと、謎が残ったホテルの出迎えだ!
まァ、お客さんがぶじにホテルに着いたから、いいか。
それに、お客さんは、イヤな思いはしていない。

タクシー料金の12万ルピアは、
私の部屋にチャージされていた。


バリの踊り。
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お客さんにタクシーの手配

2010-05-16 00:05:55 | Weblog
タクシー・ドライバーは、の代表者。
旅が楽しくなったり、とんでもないことがおきる。
街の印象が良くなったり、悪くなったりする。

39) お客さんにタクシーの手配
インドネシアの首都ジャカルタで、
ヨーロッパからのお客さんと、
打ち合せをすることになっている。

そのお客さんは、1日おくれてジャカルタに到着する。
それから、同じホテルに入ることになっているが、
「ジャカルタは、初めて」という。
スカルノ・ハッタ国際空港からホテルまで、
リムジンで、ぶじにたどりついてほしい。

ところが、空港でリムジンに乗るまでが、煩雑だった。
まず、Hホテルのサインで迎えのホテル・マンを捜す。
まちがいなく予約客であることを宿泊者リストで確認する。

それから、
「リムジンではUS$20で、タクシーだとUS$27」
と、ホテル・マンから説明を受けて、リムジンを選ぶ。
20ドルには、チップは含まれていないから、別に払うという、
一連の手続きがある。

ジャカルタは初めてというお客さんにとって、
「リムジンにするか、タクシーにするか?」
と、選択するのは“不明朗”で、戸惑うだろう。
それに、スムーズに、安全に到着してほしい。

Hホテルのサインを持った人に近づけば、
スーッとホテルに着くようにしたい。
それに、リムジンの20ドルは、
私が負担することにしよう。


さっそく、Hホテルのフロントへ電話をした。
「あした、ヨーロッパからのお客さんXXが、
ジャカルタに来て、このホテルに泊ります」
「Mr.XXですね。ハイ、予約ができています」

「Mr.XXは、ホテルにまちがいなく着いてほしいから、
スカルノ・ハッタ国際空港で迎えるホテル・マンは、
Hホテルのサインのほかに、名前XXを掲げてくれませか?」
「わかりました。いいですよ」
と、フロントは応えてくれた。

「宿泊者リストで名前を確認したら、すぐに、
ホテルのリムジンを差し向けてください」
「いいですよ、リムジンではないですが。
タクシーになります」
と、フロントは言う。

「……? リムジンではないですか?」
「ホテルと契約しているSilver Birdというタクシーです」

いったい、どういうことだろう?
空港で迎えたハサは、
「ホテルのボルボのリムジンになります」
と、説明したが……。

「そのSilver Birdというタクシーは安全ですか?」
「もちろん、安全です」
と、フロントは当然のように言う。

「それに、タクシー料金の18万ルピアは私が負担します」
「いいですけれども、18万ルピアとは、どなたがいいましたか?」
「……?」

ホテルの制服を着たハサは、
「18万ルピアか、US$20になりますと言ったが……」
と、口から出かかった。

「いくらですか?」
12万ルピアです」
これは、13ドルになるじゃないか?
ハサは、20ドルと言ったが……。

「……? わかりました。チップを込みにするといくらですか?」
「12万ルピアには、チップも含まれています」

ハサは、
「ホテルのリムジンならばRP180,000、米ドルならば$20」
「一般のタクシーを使えばRP250,000で、US$27になる」
と、紙に書いて、
「どちらにするかは、あなた次第です」
と、説明した。
それで、安いほうのホテルのリムジンにしたが……。

そして、ハサは、
「ドライバーにチップをつけてくださいね」
と、念入りにつけ加えたが……。

「それでは、タクシー代12万ルピアを、
私の部屋にチャージしてください」
「わかりました」
と、フロントは応える。

フロントとチグハグとした会話は終わった。
でも、ホテルはお客さんを迎える準備をしてくれることになった。
☆Hホテルの迎えのホテル・マンは、
  Hホテルのサインを持って迎える。
   -ハサも、Hホテルのサインを持っていたが。
☆それに、お客さんの名前XXも掲げる。
   -ハサは、ちゃんと宿泊者リストを持っていたが。
☆Silver Birdというタクシーを手配する。
   -ハサは、ホテルの黒塗りのボルボのリムジンを勧めたが。
☆タクシー料金は12万ルピア(13ドル)である。
   -ハサは、20ドル(18万ルピア)だったが。
☆タクシー料金12万ルピアには、チップが含まれている。
   -ハサは、20ドルのほかにチップを別に要求したが。
☆タクシー料金は、私が負担することにした。
これで、お客さんはホテルにスムーズに到着するだろう。

しかし、ハサはいったい、なに者だったんだ?
Hホテルが差し向けた、迎えのホテル・マンではなかったのか?

それに、リムジンのドライバー、イサは、
ホテルに着くと、
RENTAL AGREEMENT(レンタルの契約書)を差し出して、
Guest’s Name(客先の欄)に私の名前を、
GUEST’S SIGNATURE(サインの欄)に私のサインまで求めたが。


南国の花、ヘリコニア? バリ島。
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客もサインするリムジンの領収書

2010-05-12 00:05:12 | Weblog
タクシー・ドライバーは、の代表者。
旅が楽しくなったり、とんでもないことがおきる。
街の印象が良くなったり、悪くなったりする。

38) 客もサインするリムジンの領収書
インドネシアの首都ジャカルタで、
Hホテルの迎えの人、ハサに会った。
スカルノ・ハッタ国際空港から、市街のHホテルまで、
「ホテルのリムジンはUS$20で、タクシーだとUS$27」
と、ハサは言う。

そして、
「ホテルのリムジンにするか、
タクシーを選ぶかは、あなた次第です」
と言うから、当然、20ドルのリムジンにした。

「リムジンを呼ぶから、2分待ってください」
と、ハサは携帯電話を持って、人ごみに消えた。

ハサは、なぜ目の前でリムジンを呼ばなかったのだろう?
とは、あとで思い出すことになるが、
このときは、なんとも思わなかった。

「Hホテルまで、20ドルで話をつけた。
チップは含めなかった。日本人で、1人。男。
すぐに、来てくれ」
と、ホテル・マンのこづかい稼ぎだったのだ。

2分を待つまでもなく、ハサはもどってきて、
「リムジンは、すぐに来ますから、外に出ましょう」
空港の建屋の中も蒸し暑かったが、外はムッとする。

「来ました、来ました、あれです」
すぐに黒塗りのボルボが横に着いた。

ドライバーが出てきて、
「ようこそ、ジャカルタへ」
と、あいそがいい。
さっそく、トランクを開けて、荷物を積み込んだ。

リムジンに乗りこんで、
「Hホテルへ」
と、言うと、
「OK」
わかっていますよ、とばかりに返事があった。

ハサを見ると、うなずいている。そして、
「いってらっしゃいませ」
と、うやうやしくドアを閉めながら、
「20ドルに、ドライバーにチップをつけてくださいね」
と、つけ加えた。
そして、ハサは腰を曲げる礼をして、見送る。

まるで、日本にいるかのようなハサのいんぎんな態度に、
「テリマ・カシーTerima Kasihありがとう」
と、リムジンの中からお礼を言った。

リムジンの中は冷房がきいて涼しい。
寒いくらいだ! ジャケットを肩にかける。
「タバコを吸ってもいいですよ」
と、ドライバーは振り向いて声をかけてくる。

タバコは吸わないが、メーターはどこにもない。
「米ドルで支払うが、20ドルと聞いている。それでいいですか?」
「いいですよ」
「あとで20ドルと書いた領収書をください」
「いいですよ」

メーターはどこにもないが、
20ドルの領収書をくれると言うから、
メーターは、なくてもいいだろう。

「名前は?」
「イサです」
これで、ぶじにHホテルに着けるだろう?

市街に近づくと、すし詰めのバスが走っている。
入り口まであふれて、ステップに乗り、
手すりにつかまっている。
窓を閉めて雨が入るのを避けているから、
風による自然冷房は犠牲にしている。

バイクが多い。バイクの若者は、
首まで雨カッパにくるまって、
車の間を駆けて行く。

夜の7時過ぎに、目指すHホテルに着いた。
イサは領収書に、US$20と書いた。
そして、イサはサインをした。

それから、
「あなたのサインもください」
と、イサは言う。

タクシーの領収書に、客がサインするのは初めてだ。
RENTAL AGREEMENT(レンタルの契約書)とある。

Guest’s Name(客先の欄)と、
GUEST’S SIGNATURE(サインの欄)があった。
求めに応じて、Guest’s Name(客先の欄)に名前をプリントし、
GUEST’S SIGNATURE(サインの欄)にサインをした。

そして、20ドルを払った。
領収書は2枚つづり。オリジナルをもらって、
リムジンを出ようとした。
すると、
「チップをくださいな?」

いけねえ、忘れていた。
空港で両替した168,000ルピアをポケットから取り出して、
5,000ルピアを渡した。

イサは、
「しぶいな!」
という顔をしていたな。
ずいぶんあげたと思ったが、実際は65円くらい。

リムジンから下りると、
このトロピカルな暖かさはジャカルタのものだ。
ぶじに、Hホテルにチェック・インできた。

ロビーでオレンジ・ジュースのサービスがあった。
ホッと落着いた。
ジャカルタのうまさと冷たさが、
のどをごくごくと通り過ぎる。
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迎えのホテル・マンを確認しろ

2010-05-09 00:08:38 | Weblog
タクシー・ドライバーは、の代表者。
旅が楽しくなったり、とんでもないことがおきる。
街の印象が良くなったり、悪くなったりする。

37) 迎えのホテル・マンを確認しろ
インドネシアの首都ジャカルタへ行くが、
ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港には、
迎えのホテル・マンが待っている。そして、
タクシーを準備してくれることになっている。

スカルノ・ハッタ国際空港には、夕方4時に着いた。
機内から見る外は雨、それもバシャバシャと降っている。
11月は雨季、降りだしたら、しばらくは止みそうもない。

日本は冬。長袖にジャケット、
それに厚いスラックスは、ジャカルタ向きでない。
イミグレーションを通過する列に並んでいると、
汗がジトーッと湧いてくる。

30分ほどして、イミグレーションを通過し、
荷物をカルーセルから取り上げるが、
夕方の5時半を過ぎていた。

ここは、赤道直下。
11月とはいえ、明るい。
まだ明るいうちに、安全にホテルに着きたい。

ぶじにカスタムを通過して、ガラスの仕切りを出ると、
そこは、迎える人たちとタクシーの呼び込みで、
ザワザワとしている。

Taxiと書いた紙のサインを掲げた客引きが、
手を伸ばしてやかましく声をかけてくる。
荷物を乗せたカートを押していくと、
白タクの客引きの声と手の揺れも、
カートに連れて移動する。

この白タクの客引きの喧騒の中から、
とにかく、ホテルの迎えを捜したい。

人垣の中に、Hホテルのサインを持った人がいる。
まさに、きょう泊まるホテルだ。

エンジ色のジャケットを着ているから制服だろう?
カートを押してHホテルのサインに近づくと、
すぐに反応して、こちらを見た40代の男に、
「Hホテルの人ですか?」
「そうです」
合言葉? が通じたようだ。

「宿泊客だが、ホテルへ送ってくれますか?」
「いいですよ」
男は英語をあやつる。

まちがいなく、Hホテルが差し向けた迎えの人だと思うが、
ここは、確認しておいたほうがいい。

「私は、予約できていますか?」
「あなたのお名前は?」
「Mulliganです」

男は手にしていた宿泊者リストをめくった。
「Mr. Mulligan……Mulligan……Mullig…ありました。
きょうからX泊ですね?」
「そうです」

まちがいなく予約されていたことが、わかった。
まずはホッとした。

さらに、確認しておこう。
「あなたのお名前は?」
「ハサです」
「名前を書いてくれますか?」
宿泊者リストの裏に、ハサと書いた。

名前も書いた、
エンジ色の制服も着ている、
Hホテルのサインも持っている、
宿泊者リストも持っている。
その宿泊者リストで、名前宿泊日まで確認した。
ハサは、まちがいなくHホテルが差し向けた迎えの人だ!

「ホテルまで送ってください」
「有料ですが、いいですか」
「いいです。Money Changer両替はありますか?」
「あそこにありますから、行きましょう」

ハサはそばにいて、両替を見守ってくれている。
両替した2,000円は、16万8千ルピアになった。

両替を終わると、ハサはつぎのことを言う。
「ボルボのリムジンを呼べば、18万ルピアです」

両替した16万8千ルピアでは、足りないことになる。
ちょっと、高いんじゃないかな?

物価は日本の数分の1だから、
2,000円は10,000円の価値になるが。
ボルボのリムジン18万ルピアは、2,000円を超える。
物価水準を考えると、1万円以上になる。

18万ルピアは高すぎる。
1万8千ルピアの聞き違いじゃないだろうな?
「ちょっと、料金を紙に書いてくれないか?」

ハサは、宿泊者リストの裏に、
リムジンは、RP180,000で、USドルならばUS$20
と書いた。

ドルを書いたのは、両替をするときに、
ドル紙幣が財布にあるのを、
ハサは見ていた。

さらに、その下に比較するように書いた。
「一般のタクシーを使えば、RP250,000で、US$27になる」

リムジンの料金のほかに、タクシーの料金を、
比較するように、わざわざ書いたのは、
ホテルのサービスによるリムジンの方が、
一般のタクシーよりも安いことを、
強調したかったのだろう?

でも、手元には、16万8千ルピアしかない。
リムジンの18万ルピアに足らない。

今、両替したばかりだ。
もう一度、両替するのは面倒だ。
「クレジット・カードは使えますか?」
「使えません、キャッシュだけです。
ルピアかUSドルも使えます」
ホテルはクレジット・カードで精算できるから、
いまさら、ルピアには両替したくない。

そして、
「ホテルのリムジンにするか、
タクシーを選ぶかは、あなた次第です」
と、追いかけるようにハサは言う。

ホテルのリムジンはUS$20で、
タクシーだとUS$27、というから、
だれが、高いタクシーを選ぶか!
「ホテルのリムジンにする」

財布にはドル紙幣があるから、
それで20ドルを払うつもりにした。

西スマトラの家。

インドネシア各地の家を集めた観光施設、
タマン・ミニ・インドネシア・インダーTaman Mini Indonesia Indah(TMII)。
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白タク対策にはバッグ・タグを外せ

2010-05-05 05:05:05 | Weblog
タクシー・ドライバーは、の代表者。
旅が楽しくなったり、とんでもないことがおきる。
街の印象が良くなったり、悪くなったりする。

36) 白タク対策にはバッグ・タグを外せ
成田からブラジルのサン・パウロへは、
ロス・アンジェルス経由にした。

ロス・アンジェルスでトランジット。
3時間ほど待合室にいて、サン・パウロ便に乗り換える。
これから、11時間かけてサン・パウロまで行くことを考えると、
10時間かかったロス・アンジェルスも、近く感じる。

乗り換えのために待合室にいると、
客層がちがうことに気がついた。
期待で胸をわくわくさせて、はしゃぐ観光客は、
ロス・アンジェルスで、全部降りた。

待合室で、サン・パウロ便を待つ客は、
ブラジルへ帰る人か、親戚を訪ねる人か、
生活に根ざした人たちばかりである。
落ち着いた土地っ子だけになった。
待合室は静かだ。はしゃぐことはない。

それに、服装手荷物がちがっていた。
服装は、地味である。皮ジャンバーでも、着慣れたものだ。

手荷物は、キャンバスの袋や紙袋、リュック。
観光客の持つグッチやプラダのバッグはなくなった。
それに、チャラチャラしたアクセサリーはつけていない。

さて、トランジットの時間で、夏服から冬服に着替えよう。
日本は梅雨が明けた本格的な夏で、むしむしした。
しかし、ブラジルの季節はだ。

「厚手のセーターを持ってきてください。朝晩はけっこう寒いです」
と、言われているから、普段着のセーターを着た。
「ブラジル人は、コートを着ません」
と、言われているから、コートは持ってきていない。

なるべく目立たない服装にして、
土地っ子と見られるように。
観光客と見られないように。

そして、サン・パウロ便に乗った。
荷物も、ぶじに積みかえられたことを願って。

成田からサン・パウロまで24時間。
機内食をロス・アンジェルスまで2回、
サン・パウロまで2回と、合計4回。
食っちゃ、寝ていると、
季節は、からに変わっていた。

サン・パウロには、朝の8時に到着。
機内アナウンスによると、気温は14℃。
でも、信州の極寒にくらべると、
生あったか~い。
春のようだ。

日本との時差は12時間。
腕時計の針は修正しなくていい。


さて、手荷物のバッグ・タグを取り去った。
大きな荷物をカルーセルから取り出した。
そして、バッグ・タグを外した。

念のために、航空会社がつける行き先表示の、
バーコードのバンドも、ちぎった。
成田から来たことを、知らせる必要はない。

会社のロゴ・マーク△△は、もともと、
荷物にも衣服にもついていない。

「これでよし」
白タクの客引きから、
XXさんですね?」
△△会社の方ですね?」
と、声をかけられるものは、なんにもない。

イミグレーションを通過して、
荷物をガラガラと押して、
出迎えのタクシー・ドライバーをさがす。

白タクの客引きは、まとわりついてこない。
制服、制帽をつけたニセ・ドライバーも寄ってこない。
「XXさんですね?」とも、
「△△会社の方ですね?」とも、
ぜん、ぜ~ん声がかからなかった。以外だったな。

名前XXのボードを持った人を見つけた。
相手も、こちらを見ている。
近づいて、
「○○タクシーですか?」
と、確かめた。
「そうです、XXさんですね?」
と、返ってきたから、
合言葉? が通じた。
出迎えのタクシー・ドライバーだ。
あっさりと見つけることができた。

ドライバーは、アイルトン・セナ高速道路に乗った。
ブラジルの英雄のF1レーサーを称えてつけられた高速道路だ。
そして50分、サン・パウロ市街のホテルに到着して、
ぶじにチェック・インすることができた。


そこで、白タク対策の教訓。
1)荷物に、名前がわかるバッグ・タグは、つけるな。
2)荷物や衣服に、会社のロゴ・マークも、つけるな。
白タクの客引きに、声をかけられるスキを与えないようにする。
3)白タクの客引きに、声をかけられても、取り合わない
たとえ、客引きが制服、制帽であっても。

そして、
4) 土地の人と見られるように、普段着にする。
明らかに旅行者と思われる、新調した服装であったり、
派手な格好をしない。

帽子、服、靴と、上から下まで新調すれば、かっこうのカモになる。
バッグもブランド品や新調する必要はない。アクセサリーは外す。
「金を持っていますよ」と、教えるものだから。

アイルトン・セナに関する写真。
イモラ・サーキット。サン・マリノ。F1レーサー、ジャン・アレジ。

アイルトン・セナは、イモラ・サーキットの右下、
タンブレロ・カーブ(CURVA TAMBURELLO)で、事故死した。
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ブラジルからのメールは白タク対策

2010-05-02 02:57:33 | Weblog
タクシー・ドライバーは、の代表者。
旅が楽しくなったり、とんでもないことがおきる。
街の印象が良くなったり、悪くなったりする。

35) ブラジルからのメールは白タク対策
ブラジルのサン・パウロの空港で、タクシーに乗る。
タクシーは、お客さんが用意してくれて、
サン・パウロの空港で出迎えるという。

この出迎えのタクシーについて、
お客さんからeメールの連絡があった。

ブラジルからのeメールには、
☆荷物に、名前がわかるバッグ・タグは、つけないでください。
☆荷物や衣服に、会社のロゴ・マークも、つけないでください。
☆出迎えのタクシー・ドライバーは、
あなたの名前XXのボードを持っていますから、
「○○タクシーですか?」と、確かめてから、乗ってください。

タクシー・ドライバーから、声をかけることはありません。
声をかけられた人の車には、絶対に乗らないでください。

これは、まるで白タク対策だ。
そして、
☆8月、ブラジルの季節は冬です。
朝、晩は10℃以下で、けっこう寒いです。
昼は、晴れれば25℃以上になり、半袖で十分ですが、
曇れば15~16℃しか上がりません。1日中、寒さを感じます。
厚手のセーターを持ってきてください。
ブラジル人は、コートは着ません。

このサン・パウロからのeメールには、
ブラジルの白タクには、十分注意すること、
そして、季節は冬で、朝晩はけっこう冷えること、
が、ひしひしと伝わってくる。

白タクのカモ探しは巧妙だという。
バッグ・タグを見て、名前XXを確認すると、
XXさんですね?」
「……?」
「お待ちしていました。
タクシーが用意してありますから、こちらへどうぞ」
と、白タクに連れていかれる。

それか、荷物や衣服の、会社のロゴ・マーク△△を見て、
△△会社の方ですね?」
「……?」
「△△会社からの依頼のタクシーが用意してあります。
こちらへ、どうぞ」
と、白タクに連れていかれる。

「○○タクシーに乗ることになっているが」
と、言っても、
「ハイ、○○タクシーのものです」
と言って、連れていく。
それに、ニセの制服や帽子を身に着けていれば、
疑いはうすれて、だまされる。

出迎えの本物のタクシー・ドライバーか、
白タクの客引きか、まったく見分けがつかない。
そして、ボッタクリにあうのがお決まりだ。

さて、注意しよう。
荷物には、旅行者が用意したバッグ・タグをつけたが、
これは、サン・パウロに着いたら、すぐに外そう。
機内で、他人の荷物と見まちがうことを防ぐ役目は終えるから。

会社のロゴ・マーク△△は、
荷物や衣服に、一切つけていない。
これでよし。さあ、ブラジルへ行こう。


サン・パウロ市街。
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