モスクワには、「セブン・シスターズ」という美女の7人姉妹がいる。
その美女の7人姉妹、「セブン・シスターズ」に逢いたい。
「セブン・シスターズ」は、
スターリンが、社会主義の優位性を誇ろうとして、
ニューヨークの「エンパイア・ステート・ビルディング」に対抗して、
第2次世界大戦後の1945年~1955年に建てた7つの摩天楼である。
代表として「モスクワ大学」1953年がある。
摩天楼といえば、ニューヨークの
「エンパイアステート・ステート・ビルディング」である。
ニューヨークのランドマークであり、アメリカ繁栄の象徴である。
高さ443.2メートル、102階。1931年完成。
近づくと、全体が映らない。それで、上下に分けて撮影した。
「エンパイアステート・ステート・ビルディング」の見学は混むから、
早目に出かけて、エレベーターの列に並び、見学デッキへ上がった。1987年。
マンハッタンの南を眺めると、
ツイン・タワー、「ワールド・トレードセンター」が見える。
「エンパイアステート・ステート・ビルディング」が、
1931年に完成すると、高さ443.2メートルで、これは、
クライスラー・ビルディングを抜いて、世界一となった。
しかし、高さ528メートルの「ワールド・トレードセンター」が、
1972年にできると、世界一の高さの座を明け渡すことになる。
この「ワールド・トレードセンター」は、
2001年9月11日の「同時多発テロ」で爆破された。
「グラウンド・ゼロ」。遺品を探しながらの取り壊し作業。2002年2月。
向かいのビルディングは、爆風で窓が飛び、板でふさいでいた。
さて、モスクワの「セブン・シスターズ」だが、見たくなったきっかけがある。
それは、ポーランドの首都ワルシャワの「文化科学宮殿」である。
高さ237メートル、42階。1955年完成。
「セブン・シスターズ」と同じスターリン時代の建物。
「スターリンの贈り物」は、ワルシャワの中心街で、
あたりを威圧するようにそびえていた。
エレベーターで30階の展望台に上がると、
ワルシャワのパノラマが拡がる。入場料600円、2006年。
北を眺めると、公園の右奥に「旧市街」が見える。茶色の屋根一帯。
この「旧市街」は、1944年にナチスによって徹底的に破壊された。
しかし、昔の写真を手掛かりにして、国民の寄付金で、
1971年~1981年にかけて蘇らせた。
そして、世界遺産になっている。右は「王宮」。
「文化科学宮殿」をポーランド人は、
「スターリンの墓石」と呼んでいたな。
ソ連支配の象徴とみなしていた。
世界遺産にはならなかった。
親しみがなかったから?
「文化科学宮殿」は、「モスクワ大学」をイメージさせた。
それで、2013年8月のロシア旅行では、「モスクワ大学」を、
ぜひ見たかったが、ありがたいことに、見学ルートに入っていた。
高さ235メートル、36階。1953年完成。
「文化科学宮殿」を、先に見ていたから、
「モスクワ大学」を見ても、ビックリはしなかった。
「ついに見た!」、「念願がかなった!」、という気持ちだった。
尖塔があり、直線的で左右対称、そして、威厳を持たせてある。
「文化科学宮殿」に比べて、両翼が高かった。それに、色が白い。
ロシア人のツアー・コンダクターは、
「モスクワ大学」について、つぎのように説明した。
1949年~1953年にかけて建設した。
32学部、4万人の学生を抱えるロシア最大の大学です。
サイドにある学生寮は300平方メートルの広さがあります。
授業料はタダ。しかし、金持ちは、アメリカへ留学します。
給与がいい石油会社や外資系企業に就職するためには、
優秀であるほかに、英語力が求められるから。
「セブン・シスターズ」は、
この「モスクワ大学」(1953年)のほかに、
「芸術家アパート」(1952年)、「ロシア外務省」(1953年)、
「ホテル・ウクライナ」(1955年)、「文化人アパート」(1945年)、
「ホテル・レニングラード」(1953年)、「ソ連運輸建設国家委員会」(1953年)がある。
このうち、ロシア旅行で見学ルートに入っているのは、
「モスクワ大学」と「芸術家アパート」だった。
高さ160メートル、26階。1952年完成。
「芸術家アパート」は、「モスクワ大学」に比べて、優雅な感じがした。
「芸術家アパート」は、バスの中から見ながら、
ロシア人のツアー・コンダクターから説明があった。
「芸術家アパート」には、岡田嘉子(よしこ)が住んでいた。
女優岡田嘉子は、ソ連に亡命したが、スパイ容疑で10年間投獄された。
その後、モスクワ放送局で日本語放送のアナウンサーとなり、
日本に帰国して10数年後にモスクワに戻った。
そして、6年後の1992年に死去した。
この「芸術家アパート」に、岡田嘉子が住んだのは、
いつだったんだろうか? アナウンサー時代か?
それとも、日本からモスクワにもどった時か?
その説明はなかった。
残りの5つの「セブン・シスターズ」は、
見学ルートに入っていないから、
バスの中から「尖塔がないか?」
と、目を凝らすことになる。
偶然に見ることを期待して。
キョロキョロしていると、その偶然があった。
駅の向うに2つの尖塔が見えた。
左の尖塔は「ホテル・レニングラード」で、
右のビルディングの間に見える白い尖塔は、
「ソ連運輸建設国家委員会」だろう?
偶然がまたあった。「文化人アパート」。
高さ156メートル、24階。1954年完成。
なんという幸運だろう。
これで、「セブン・シスターズ」の美女姉妹7人のうち、
5人に逢えたことになる。
「モスクワ大学」、「芸術家アパート」、「ホテル・レニングラード」、
「ソ連運輸建設国家委員会」、それに、「文化人アパート」。
今回のモスクワ旅行は、「セブン・シスターズ」を、
見るためのものではないことを考えると、
5つも見ることができたのは幸運だ。
写真を見ていて気がついたことがあった。
「モスクワ大学」を見るために「雀が丘」へ行くが、
高台で、モスクワ市内が遠望できるから、写真を撮る。
天気が良ければ、「セブン・シスターズ」の尖塔が、
ポツン、ポツンと映るが、曇りで、ボヤけていた。
「モスクワ大学」を見たら、振り返ってみるといい。
尖塔を探せば、およその位置をつかむことができる。
「セブン・シスターズ」の美女姉妹は、「世界遺産」ではない。
共産政権時代の遺産は、世界遺産にはならないのかな?
「エンパイア・ステート・ビルディング」は、
アメリカの歴史建造物に指定されている。
ルーマニアの首都ブカレストに「国民の館」がある。
故チャウシェスク大統領が建てた3千室の宮殿。
贅(ぜい)の限りをつくした威圧的な巨大建築だ。
この「国民の館」も世界遺産ではない。
共産政権下の建造物は、歴史建造物に指定されることもないし、
人類の創造的な傑作を遺したことにもならなかったことになる。
ロシアの「セブン・シスターズ」、
ポーランドの「文化科学宮殿」、
ルーマニアの「国民の館」。
帝政ロシア時代も、国民は虐げられていた。それで革命が起きた。
共産政権も、国民を幸せにしなかった。それで、共産政権は倒れた。
けれども、帝政時代の遺産は、世界遺産で、
共産政権時代の遺産は、世界遺産ではない。
共産政権が終わったからといって、
スターリン時代の建物、「セブン・シスターズ」も、
スターリンの贈り物である「文化科学宮殿」も、
取り壊すわけではない。
しかし、世界遺産にするには、
親しみを感じなかったり、
胸が痛む人がいるのだろうな?
ロシアや東欧のスターリン像、レーニン像は、
忌(い)まわしいものとして、取り壊されたが。
ロシアの世界遺産といえば、
「ウスペンスキー聖堂」、クレムリン(モスクワ)であり、
「エルミタージュ美術館」(サンクト・ペテルブルク)であり、
「エカテリーナ宮殿」(プーシキン市)であり、
「黄金の門」(ウラジーミル)であり、
「クレムリン」(スズダリ)である。
世界遺産は、帝政ロシア時代か、それ以前のものである。
いずれも素晴らしい! 世界からの観光客を魅了する。
その美女の7人姉妹、「セブン・シスターズ」に逢いたい。
「セブン・シスターズ」は、
スターリンが、社会主義の優位性を誇ろうとして、
ニューヨークの「エンパイア・ステート・ビルディング」に対抗して、
第2次世界大戦後の1945年~1955年に建てた7つの摩天楼である。
代表として「モスクワ大学」1953年がある。
摩天楼といえば、ニューヨークの
「エンパイアステート・ステート・ビルディング」である。
ニューヨークのランドマークであり、アメリカ繁栄の象徴である。
高さ443.2メートル、102階。1931年完成。
近づくと、全体が映らない。それで、上下に分けて撮影した。
「エンパイアステート・ステート・ビルディング」の見学は混むから、
早目に出かけて、エレベーターの列に並び、見学デッキへ上がった。1987年。
マンハッタンの南を眺めると、
ツイン・タワー、「ワールド・トレードセンター」が見える。
「エンパイアステート・ステート・ビルディング」が、
1931年に完成すると、高さ443.2メートルで、これは、
クライスラー・ビルディングを抜いて、世界一となった。
しかし、高さ528メートルの「ワールド・トレードセンター」が、
1972年にできると、世界一の高さの座を明け渡すことになる。
この「ワールド・トレードセンター」は、
2001年9月11日の「同時多発テロ」で爆破された。
「グラウンド・ゼロ」。遺品を探しながらの取り壊し作業。2002年2月。
向かいのビルディングは、爆風で窓が飛び、板でふさいでいた。
さて、モスクワの「セブン・シスターズ」だが、見たくなったきっかけがある。
それは、ポーランドの首都ワルシャワの「文化科学宮殿」である。
高さ237メートル、42階。1955年完成。
「セブン・シスターズ」と同じスターリン時代の建物。
「スターリンの贈り物」は、ワルシャワの中心街で、
あたりを威圧するようにそびえていた。
エレベーターで30階の展望台に上がると、
ワルシャワのパノラマが拡がる。入場料600円、2006年。
北を眺めると、公園の右奥に「旧市街」が見える。茶色の屋根一帯。
この「旧市街」は、1944年にナチスによって徹底的に破壊された。
しかし、昔の写真を手掛かりにして、国民の寄付金で、
1971年~1981年にかけて蘇らせた。
そして、世界遺産になっている。右は「王宮」。
「文化科学宮殿」をポーランド人は、
「スターリンの墓石」と呼んでいたな。
ソ連支配の象徴とみなしていた。
世界遺産にはならなかった。
親しみがなかったから?
「文化科学宮殿」は、「モスクワ大学」をイメージさせた。
それで、2013年8月のロシア旅行では、「モスクワ大学」を、
ぜひ見たかったが、ありがたいことに、見学ルートに入っていた。
高さ235メートル、36階。1953年完成。
「文化科学宮殿」を、先に見ていたから、
「モスクワ大学」を見ても、ビックリはしなかった。
「ついに見た!」、「念願がかなった!」、という気持ちだった。
尖塔があり、直線的で左右対称、そして、威厳を持たせてある。
「文化科学宮殿」に比べて、両翼が高かった。それに、色が白い。
ロシア人のツアー・コンダクターは、
「モスクワ大学」について、つぎのように説明した。
1949年~1953年にかけて建設した。
32学部、4万人の学生を抱えるロシア最大の大学です。
サイドにある学生寮は300平方メートルの広さがあります。
授業料はタダ。しかし、金持ちは、アメリカへ留学します。
給与がいい石油会社や外資系企業に就職するためには、
優秀であるほかに、英語力が求められるから。
「セブン・シスターズ」は、
この「モスクワ大学」(1953年)のほかに、
「芸術家アパート」(1952年)、「ロシア外務省」(1953年)、
「ホテル・ウクライナ」(1955年)、「文化人アパート」(1945年)、
「ホテル・レニングラード」(1953年)、「ソ連運輸建設国家委員会」(1953年)がある。
このうち、ロシア旅行で見学ルートに入っているのは、
「モスクワ大学」と「芸術家アパート」だった。
高さ160メートル、26階。1952年完成。
「芸術家アパート」は、「モスクワ大学」に比べて、優雅な感じがした。
「芸術家アパート」は、バスの中から見ながら、
ロシア人のツアー・コンダクターから説明があった。
「芸術家アパート」には、岡田嘉子(よしこ)が住んでいた。
女優岡田嘉子は、ソ連に亡命したが、スパイ容疑で10年間投獄された。
その後、モスクワ放送局で日本語放送のアナウンサーとなり、
日本に帰国して10数年後にモスクワに戻った。
そして、6年後の1992年に死去した。
この「芸術家アパート」に、岡田嘉子が住んだのは、
いつだったんだろうか? アナウンサー時代か?
それとも、日本からモスクワにもどった時か?
その説明はなかった。
残りの5つの「セブン・シスターズ」は、
見学ルートに入っていないから、
バスの中から「尖塔がないか?」
と、目を凝らすことになる。
偶然に見ることを期待して。
キョロキョロしていると、その偶然があった。
駅の向うに2つの尖塔が見えた。
左の尖塔は「ホテル・レニングラード」で、
右のビルディングの間に見える白い尖塔は、
「ソ連運輸建設国家委員会」だろう?
偶然がまたあった。「文化人アパート」。
高さ156メートル、24階。1954年完成。
なんという幸運だろう。
これで、「セブン・シスターズ」の美女姉妹7人のうち、
5人に逢えたことになる。
「モスクワ大学」、「芸術家アパート」、「ホテル・レニングラード」、
「ソ連運輸建設国家委員会」、それに、「文化人アパート」。
今回のモスクワ旅行は、「セブン・シスターズ」を、
見るためのものではないことを考えると、
5つも見ることができたのは幸運だ。
写真を見ていて気がついたことがあった。
「モスクワ大学」を見るために「雀が丘」へ行くが、
高台で、モスクワ市内が遠望できるから、写真を撮る。
天気が良ければ、「セブン・シスターズ」の尖塔が、
ポツン、ポツンと映るが、曇りで、ボヤけていた。
「モスクワ大学」を見たら、振り返ってみるといい。
尖塔を探せば、およその位置をつかむことができる。
「セブン・シスターズ」の美女姉妹は、「世界遺産」ではない。
共産政権時代の遺産は、世界遺産にはならないのかな?
「エンパイア・ステート・ビルディング」は、
アメリカの歴史建造物に指定されている。
ルーマニアの首都ブカレストに「国民の館」がある。
故チャウシェスク大統領が建てた3千室の宮殿。
贅(ぜい)の限りをつくした威圧的な巨大建築だ。
この「国民の館」も世界遺産ではない。
共産政権下の建造物は、歴史建造物に指定されることもないし、
人類の創造的な傑作を遺したことにもならなかったことになる。
ロシアの「セブン・シスターズ」、
ポーランドの「文化科学宮殿」、
ルーマニアの「国民の館」。
帝政ロシア時代も、国民は虐げられていた。それで革命が起きた。
共産政権も、国民を幸せにしなかった。それで、共産政権は倒れた。
けれども、帝政時代の遺産は、世界遺産で、
共産政権時代の遺産は、世界遺産ではない。
共産政権が終わったからといって、
スターリン時代の建物、「セブン・シスターズ」も、
スターリンの贈り物である「文化科学宮殿」も、
取り壊すわけではない。
しかし、世界遺産にするには、
親しみを感じなかったり、
胸が痛む人がいるのだろうな?
ロシアや東欧のスターリン像、レーニン像は、
忌(い)まわしいものとして、取り壊されたが。
ロシアの世界遺産といえば、
「ウスペンスキー聖堂」、クレムリン(モスクワ)であり、
「エルミタージュ美術館」(サンクト・ペテルブルク)であり、
「エカテリーナ宮殿」(プーシキン市)であり、
「黄金の門」(ウラジーミル)であり、
「クレムリン」(スズダリ)である。
世界遺産は、帝政ロシア時代か、それ以前のものである。
いずれも素晴らしい! 世界からの観光客を魅了する。