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活動の状況

二年坂の電線

2011-10-30 00:06:06 | Weblog
京都「二年坂」の「電線」がなくなった。
クモの巣」のように街をおおっていた電柱・電線を取り払った。

街の景観を悪くするものに、電柱・電線がある。
日本の「電線の埋設率」は、大きく立ちおくている。
先進国の中では、最低である。そして、
1)「景観」が悪く、
2)「危険」で、しかも、
3)「電気料金」が高い、
と書いた。

「アメリカ、イギリス、日本の住環境」、2010年10月3日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/6330a51cfa89813aa818b22e0f401138
では、アメリカとイギリスで住んだ家と、日本の家の「住環境」を比較をしてある。
住んだ家の写真も掲載したので、「住環境」の参考にしてください。

「電線の埋設率の国際比較」、2011年2月13日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/7ed94ec8f3bdafa473ac134d7ee7c355
では、「電線の埋設率の国際比較」をしてある。

「電線の埋設率の国際比較」。

電気事業連合会と国土交通省の資料から作成。
海外は、電気事業連合会の調べで、「ケーブル延長ベース」、
日本は、国土交通省の調べで、「道路延長ベース」である。

先進国の都市は、「電線の埋設率100%」を目指している。
そして、かなり前に達成できている都市がある。
日本の都市は、大きく立ち遅れている。

日本の都市の場合は、「市街地」に限定している。
しかも、「道路沿い」だけの電線に限定した「電線の埋設率」である。

日本の都市や町には、「市街地」に限定せずに、「周辺」も含め、しかも、
「ケーブル延長ベース」での「電線の埋設率」の「データ」があると思う。
敷設したケーブルの長さは、すぐにわかるから。

「周辺」を含めた「ケーブル延長ベース」のデータを基本にして、
「電線の埋設率100%」を目指していると思う。
世界の先進国が、そうであるように。


「クモの巣」のような電柱・電線として、
京都「二年坂」を挙げた。
「ライの景観」、2010年11月14日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/61951f29856e5a9f80a99e3613a5f8d1
では、つぎのように書いた。

「二年坂」。2002年4月撮影。

古い家並みの、みやげものやに、多くの観光客が訪れ、
「いい街だな!」
と、思って撮った写真。

電柱、電線が、街と空を支配しているではないか!
わざと、電柱、電線を撮ったのではない。
自然に写ってしまう。避けようがない。

アレックス・カー氏(東洋文化研究家)は、
先進国の都市と町で電線を埋めてないのは日本だけであって、
日本の町の独特のごみごみした雰囲気はそのせいです」
と、言っているが、それを見る思いだ。

そして、
「東北に千載一遇のチャンス」、2011年5月1日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/d2917ad45e37378514109aefff4d27ee
では、つぎのように書いた。

電柱、電線によって、日本は、
景観」が悪く、
電気料金」が高く、
歩行者や自転車、車いすの利用者にとって「危険」であり、
地震や台風の災害では、「ライフライン」の確保がむずかしい。
災害救助車」の通行が妨げられた例は、多く見てきた。

「おひさまの奈良井宿」、2011年9月、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/05fc146484c7ae6202e09bfb01cb1753
では、つぎのように書いた。

「奈良井宿」の表通りからは、電柱、電線を取り払ったから、
「奈良井宿」の景観はすっきりしている。
ホッとする街になっている。

さて、久しぶりに、「清水寺」へ行ってみた。
2002年4月に「清水寺」を訪れた以来である。
そのときに、「二年坂」の写真を撮っていたが、
「クモの巣」のような電柱・電線が、
街をおおっていたのが、先の写真である。

それから9年たつ。
「二年坂」の「クモの巣」は、どうなっているのだろうか?
相変わらず、「クモの巣」が張ったままだろうか?

「清水寺」に行くには、「清水坂」を上がる。
正面は、「清水寺」の「仁王門」。2011年10月5日撮影。

「清水坂」は、「クモの巣」のような電柱・電線でおおわれていた。

「相変わらず、クモの巣だ!」
がっかりした。

日本を代表する「歴史文化都市、京都」であっても、
「重要伝統的建造物群保存地区」であっても、
「世界遺産」であっても、
街は「クモの巣」だ。

「先進国の中で、日本の電線の埋設率は最低である」
「電線を埋設する技術は、日本ではまだまだかな?」

「清水寺」のあと、「二年坂」へ行ってみた。
そしたら、「二年坂」が、きれいになっていた。2011年10月6日撮影。

「クモの巣」がない。
うれしくなるじゃないか!
すっきりした街になっていた。
舞妓さんが歩いても、絵になる。
前はトラックで、朝は荷物の配達をしていた。

「二年坂」の前の写真(2002年4月撮影)と、
今回の写真(2011年10月6日撮影)では、
ほぼ同じアングルからの写真である。

比べてみよう。ちがいは、もうおわかりでしょう。
1)「クモの巣」のような電柱・電線を取り払った。
2)右の屋根の上にあった、むき出しの「空調の屋外機」を、
 格子で囲った。
3)そして、「マンホール」があった。
 電線を地中に埋めた。そして、舗装をし直した。

電線を地中に埋設した「仕掛け」は、
この「マンホール」にある。2011年10月撮影。

ふたには、上に「CCB」、下に「電気」とある。
そして真ん中は、「京都市のロゴ」。

「CCB」は「C.C.Box」で、「電線共同溝」。
最初のCは、Communication(通信)、Community(地域、共同)、Compact(小型)、
次のCは、Cable(電線)、
そして、BはBox(箱)。
電線類を敷設した箱型のトンネルである。

「C.C.Box」というBox型のトンネルを京都市が道路に埋設し、
この「C.C.Box」の中に、関西電力が電力線を敷き、NTTが通信線を敷いた。

それに、電線の埋設には、もう一つの「仕掛け」があった。
4)「地上機器」である。

「地上機器」は、「二年坂」に入る道にあった。左は「二年坂」。2011年10月撮影。
地上機器は、右にさらに2台あったから、合計4台がならんでいた。

電柱に乗っかっていたトランス類は、この地上機器に納められた。
つまり、電柱やトランスは⇒地上機器に置き換わった。

これで、「二年坂」は、すっきりした。
訪れた2011年10月5日は雨降りだった。
写真がうまく撮れているか心配だった。
それで、晴れた翌日に「二年坂」へ行った。

10時になると、店が雨戸を開け始める。
店の人に話しかけてみた。
「二年坂は、すっかりきれいになりましたね。
前はクモの巣のような電柱・電線がありましたが」

「そうです。すっきりしました。
電線は地中に埋めました。産寧坂から八坂の方まで」
「いつごろですか?」
「2年くらいたつかしら」
「よかったですね。世界からお客さんが訪れるところですから」

京都は和服が合う。
「産寧坂」、「二年坂」、そして、
八坂に向かう「ねねの道」の「和服姿」を集めた。

産寧坂」。2011年10月撮影。

「クモの巣」の電柱・電線は見当たらない。
仕掛けは、道路の「C.C.Box」、「電線共同溝」。
左の自動販売機がなければ、さらにすっきりする。
和服姿で、「どのお店に入ろうかしら?」

二年坂」。「舞妓」の撮影。2011年10月撮影。

電柱・電線を気にすることなく、好きなアングルで写真を撮ることができる。

ねねの道」。2011年10月撮影。

「クモの巣」の電柱・電線は見当たらない。
「ねねの道」の先は「二年坂」の方向、
反対は「八坂神社」につながる。
左側は、豊臣秀吉とねねの寺「高台寺」(こうだいじ)の方向。

ねねの道」。2011年10月撮影。
外国の人も和服姿で京の街を歩きたい、食事をしたい。

京都のいい思い出になった。
なりきるしぐさ、それに笑みがいいね。

「産寧坂」から「二年坂」、「一年坂」、「ねねの道」まで、
「クモの巣」のような電柱・電線がなくなっていた。
日本も、電線を埋設する技術はある。
やればできるじゃないか。

電線の埋設は、街の景観のため、安全のため。
それに、お客さんのため。喜び、そして集まってくる。

「清水寺」へ行く「清水坂」の「クモの巣」(先の写真) も、
早く取り払ってほしい。
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特急「あずさ」の放射線量

2011-10-23 00:26:16 | Weblog
特急「あずさ」の放射線量を測定した。
中央線の特急「あずさ」は、松本⇒塩尻⇒上諏訪⇒甲府⇒新宿を走る。

「東北新幹線の放射線量」については、2011年9月18日に掲載した。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/c3d0691423740012734ab8dd94e63286
「特急「しなの」の放射線量」についても、2011年10月16日に掲載した。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/d208ac601abe7be32e61cd8d2327eee8

よく利用する中央線だが、特急「あずさ」の放射線量は、どうだろうか?

特急「あずさ」の放射線量は、0.19マイクロ・シーベル毎時[μSv/h]以下だった。

特急「あずさ」の放射線量。

「松本駅-0番線」は、特急「あずさ」が出発するホームになる1番線の東。
一番東よりのホーム。屋根でおおわれていないところを選んで測った。

特急「あずさ」の「甲府」の放射線量は、

0.19~0.09マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。2011年9月20日。

特急「あずさ」の車内の放射線量のほかに、
特急「あずさ」が走る中央線の「沿線」の放射線量も測った。
1)「松本平」と「美ヶ原高原」(1,990m)、
2)「塩尻市役所」と「高ボッチ高原」(1,665m)、
3)「諏訪湖」、
4)「諏訪大社」、
5)「ビーナスライン」(1,500m)、
6)「麦草峠」と「晴ヶ峰」、
7)「山梨県立美術館」と「富士山」(3,776m)、
8)そして「新宿」である。

特急「あずさ」の沿線。

△は放射線量を測ったところ。
わかりやすくするために写真を載せた。
ちょっと長くなるが、おつき合い願います。

特急「あずさ」が走る中央線の沿線の放射線量。
1)「松本平美ヶ原高原」の放射線量。


松本のランドマークは「松本城」。国宝。2011年4月撮影。

松本城の放射線量は、南東と南の芝生で測った。
奥に、雪の北アルプスが浮かび上がる。ピラミッド型が常念岳。

開智学校」。2011年5月撮影。
日本でも最も古い小学校のひとつ。重要文化財。

開智学校の放射線量は、右にある校門の前で測った。

松本文化会館」。2011年10月撮影。

松本文化会館の放射線量は、中央のケヤキの下の芝生で測った。

旧制松本高校」。2011年6月撮影。

旧制松本高校の放射線量は、左の並木の下で測った。

松本の南部にある「芳川公園」。2005年5月撮影。

芳川公園の放射線量は、左後方の芝生で測った。

芳川公園のわきを特急「あずさ」が走り、特急「しなの」が走る。
幼稚園児が連れられて遊びに来る。弁当を食べ、遊び、
そして、ときおり通る電車を眺める。
それに、ジョッギングする人、子ども、家族連れで、にぎわっている。

美ヶ原高原-牛伏山」。2011年10月撮影。

美ヶ原高原-牛伏山の放射線量は、牛伏山の頂上(1,990m)で測った。

アンテナがたくさんあるのが美ヶ原高原の頂上、「王ヶ頭」(2,034m)、
その右、アンテナが2本見えるのが「王ヶ鼻」(2,008m)、
右奥に連なるのが北アルプスで、「穂高連峰」(奥穂高岳は3,190m)、
「槍ヶ岳」(3,180m)、「常念岳」(2,857m)が望める。
手前の小さな山は鹿伏山(1,990m)で、牛伏山と同じ高さ。

2)「塩尻市役所高ボッチ高原」の放射線量。


塩尻市役所」。2011年10月撮影。

手前に黒くあるのが放射線量計。
放射線量計をながめていると、通りかかった塩尻市役所の職員が、
「こんにちは」と、あいさつをする。
「こんにちは」

高ボッチ高原」の朝。富士山が見える。2011年10月撮影。

高ボッチ高原の放射線量は、手前で測った。

中央の富士山の左は八ヶ岳、右は南アルプス。手前は諏訪湖。
特急「あずさ」は、諏訪湖の手前、右の岡谷から、下諏訪、
対岸の上諏訪と、諏訪湖の左をグルッと半周する。
そして、八ヶ岳の裾野を回って、南アルプスの左を通って、
富士山の左、甲府を抜けて、八王子、新宿へと向かう。

高ボッチ高原には、カメラマンがやってくる。
パノラマのような富士山の景色のほかに、
中央アルプス、北アルプスを望むことができるから。

日本で一番高い山、富士山(3,776m)から、
2位の北岳(3,193m)、3位の奥穂高岳(3,190m)、
それに、5位の槍ヶ岳(3,180m)ほか、3,000m級の、
御嶽山(3,067m)、乗鞍岳(3,026m)を見ることができる。

3)「諏訪湖」の放射線量。


岡谷-釜口水門」。2011年9月撮影。

手前の芝生に黒くあるのが、放射線量計。

下諏訪-漕艇場」。2011年7月撮影。

手前の芝生に黒くあるのが、放射線量計。
晴れれば、富士山が見えるのだが。

上諏訪-湖畔公園」。2011年8月撮影。

上諏訪-湖畔公園の放射線量は、「八重垣姫」の像の近くで、
湖畔に突き出た石の手前で測った。

4)「諏訪大社」の放射線量。


下社-秋宮」一の御柱。2011年8月撮影。

下社-秋宮の放射線量は、「一の御柱」の下で測った。

上社-本宮」一の御柱。2011年8月撮影。

上社-本宮の放射線量は、「一の御柱」の下で測った。

5)「ビーナスライン」の放射線量。


美ヶ原高原-山本小屋」から八ヶ岳。2011年10月撮影。

美ヶ原高原-山本小屋の放射線量は、手前で測った。
左が八ヶ岳で左端は蓼科山、右に薄くあるのは南アルプス。
左下に見えるビーナスラインをクネクネと登ってきた。

八島ヶ原湿原」。2011年6月撮影。

八島ヶ原湿原の放射線量は、右の草むらで測った。
奥は車山の山頂(1,925m)。

富士見台」から富士山。2011年10月撮影。

「ビーナスライン-富士見台」の放射線量は、右下に見える駐車場の端で測った。

富士山をはさんで、左は八ヶ岳、右は南アルプス。手前の町は茅野。
特急「あずさ」は、右の茅野から八ヶ岳の裾野を通り、
南アルプスの左を通って、甲府に出る。そして、
富士山の左を通って、八王子、新宿へと向かう。

白樺湖-展望台」。2011年6月撮影。

白樺湖-展望台の放射線量は、れんげつつじの手前で測った。
奥の蓼科山の頂上は、雲におおわれている。

蓼科湖」。2011年10月撮影。

手前にあるのが、放射線量計。

蓼科湖の対岸の白い建物は、
マリー・ローランサン美術館(左)とアートランドホテル蓼科。
奥は蓼科山、右は北横岳。

6)「麦草峠晴ヶ峰」の放射線量。


麦草峠」の下にある展望台から南アルプスを見る。2011年7月撮影。

麦草峠(2,120m)は、八ヶ岳を越えて諏訪地方と佐久地方を結ぶ。
八ヶ岳の東、福島第一原発よりに、雨池(2,060m)、八柱山(2,114m)がある。

特急「あずさ」は、南アルプスのふもとを右から左へ走り、新宿に向かう。
右から仙丈ケ岳(3,033m)、甲斐駒ケ岳(2,967m)、北岳(3,193m)。

晴ヶ峰」から八ヶ岳を望む。2011年9月撮影。

晴ヶ峰の放射線量は、この木立の先の下で測った。
特急「あずさ」は、手前の晴ヶ峰と奥の八ヶ岳の間を、
左から右へと、茅野、富士見を通り、甲府盆地に向かう。

7)「山梨県立美術館富士山」の放射線量。


山梨県立美術館」。2011年10月撮影。

山梨県立美術館の放射線量は、右のクスノキの下で測った。

山梨県立美術館は、ミレーの「種をまく人」で有名。
企画展「川端康成コレクションと東山魁夷」をやっていて、
川端康成のコレクション、「聖徳太子立像」を見ることができた。満足!

川端康成がノーベル文学賞を受賞したお祝いに、
東山魁夷が贈った「北山初雪」があった。

「北山初雪」は「京洛四季」の一つで、
川端康成が東山魁夷に進言した、
「京都は、今描いていただかないと、なくなります」
「京都のあるうちに、描いておいてください」
が、きっかけとなって描いた「京洛四季」である。
「本物に会えた!」
ジ~ッと見た。満足!  満足!

富士山-頂上」の放射線量。2011年7月27日。

0.19~0.09マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。

高川山(976m)から富士山。2007年1月撮影。

富士山に登ると、富士山の全体は見えない。
高川山から、富士山の全体が見える。

高川山は、中央線の初狩駅から登る。
富士山のふもとに見える町は、富士吉田市。

高川山から東に、「リニアモーターカー」の実験線が見える。2007年1月撮影。

特急「あずさ」は、「リニアモーターカー」の実験線の北側(左)にあって、
大月、八王子、新宿へ行く。

JR東海の「中央新幹線」は、東京と大阪を時速500キロ、1時間で結ぶ。
「中央新幹線」は、西側(手前)の甲府に向かい、
南アルプスをトンネルで抜けて、飯田、名古屋、京都、そして大阪へ行く。

「リニアモーターカー」の実験線と交差しているのは、
中央道の富士吉田線で、富士登山のときに利用した。

8)「新宿」の放射線量。


サザン・パーク」。2011年9月撮影。

サザン・パークの放射線量は、植え込みで測った。
黒くあるのは、放射線量計。

新宿御苑」。2011年9月撮影。

新宿御苑の放射線量は、ゲートの右の植え込みで測った。
月曜日で、新宿御苑はクローズであった。

さて、特急「あずさ」の放射線量は、まとめるとつぎになる。
A)特急「あずさ」の車内の放射線量は、
放射線量計を北側の窓際に置いて、見ていたが、
0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を超すことはなかった。

B)特急「あずさ」が走る中央線の「沿線」の放射線量は、
「平地」と、それを囲むようにある「山」でも測った。
1)「松本平」と「美ヶ原高原」(1,990m)、
2)「塩尻市役所」と「高ボッチ高原」(1,665m)、
3)「諏訪湖」、
4)「諏訪大社」、
5)「ビーナスライン」(1,500m)、
6)「麦草峠と晴ヶ峰」、
7)「山梨県立美術館」と「富士山」(3,776m)、
8)そして「新宿」である。

中央線の「沿線」の放射線量は、「平地」も「山」も、
0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を超えることはなかった。

C)日本で一番高い山、富士山3,776メートルでも、
0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を超えることはなかった。
「山」に放射線が、とりわけ多く落ちているということはなかった。
山の高さによる放射線量の増加はなかった。

D)松本は、福島第一原発から303キロ、
富士山は、福島第一原発から308キロ、
新宿駅は、福島第一原発から226キロ離れている。
新宿駅に近づくにつれて、放射線量が増えることはなかった。
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特急「しなの」の放射線量

2011-10-16 00:00:50 | Weblog
特急「しなの」は、長野⇒松本⇒塩尻⇒木曽谷⇒名古屋を走る。
その特急「しなの」の放射線量を測定した。

「東北新幹線の放射線量」について、2011年9月18日に掲載したが、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/c3d0691423740012734ab8dd94e63286
特急「しなの」の放射線量はどうだろうか?

特急「しなの」の放射線量は、0.19マイクロ・シーベル毎時[μSv/h]以下だった。

特急「しなの」の放射線量。

「長野駅-6番線」は、特急「しなの」が出発するホーム、
「名古屋駅-10番線」は、特急「しなの」が出発するホーム。

特急「しなの」が、木曽谷の「木曽福島」で停車していたときの放射線量は、

0.19~0.08マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。2011年10月5日。

特急「しなの」の「車内」の放射線量のほかに、
特急「しなの」が走る中央西線の「沿線」の放射線量も測った。
1)長野の「善光寺平」、
2)「松本平」と取り囲む山、
3)「木曽路」と取り囲む山、
4)そして「名古屋市街」である。

特急「しなの」の沿線。

▲印は測定場所。△は写真を掲載した。

特急「しなの」が走る中央西線の沿線の放射線量。
1)「善光寺平」の放射線量。


長野のランドマークは「善光寺」。2011年9月27日。

善光寺の放射線量は、本堂の右の芝生で測った。
ほかに、善光寺の放射線量は、山門の南で測った。

長野には「長野県庁」がある。2011年9月27日。

長野県庁の放射線量は、県庁前広場の植え込みで測った。「若い女」の像の左。

長野の「オリンピック・スタジアム」。

オリンピック・スタジアムの放射線量は、右にある芝生の上で図った。

2)「松本平と周囲の山」の放射線量。

東は「美ヶ原」から、西は「上高地」まで、松本市である。

松本のランドマークは「松本城」。2011年10月2日。

松本城の放射線量は、植え込み、ほかで測った。

松本城には、多くの観光客が訪れる。
遠くに北アルプスが見える。ピラミッド型は常念岳。

アルプスを望む「アルプス公園」がある。

中央のピラミッド型が常念岳。手前が松本市街。2011年10月4日。

松本の東に「美ヶ原」がある。「王ヶ鼻」2,008メートル。

美ヶ原の放射線量は、「王ヶ鼻」の仏像の下で測った。
ほかに、美ヶ原の放射線量は、頂上「王ヶ頭」2,034メートルで測った。

早朝に着いて、待っていると、「北アルプス」をおおっていた雲はどいてくれた。
朝はまだまだ寒い。コートがいる。2011年6月22日。

奥は北アルプスで、中央が穂高連峰。槍ヶ岳、常念岳も見える。
手前は松本市街と安曇野(あずみの)で、
北アルプスと美ヶ原の間にある。

松本の西に「上高地」がある。
河童橋」。2011年10月12日。

手前に黒くあるのが放射線量計。
左は「梓川」、「河童橋」の奥は穂高連峰。

河童橋の近くから「穂高連峰」を望む。2011年10月12日。

「穂高連峰」に朝日があたってきた。10月としては、暖かかった。
最高峰は奥穂高岳、3,190メートル。手前は梓川。
「上高地」には全国から、そして世界から観光客が訪れる。

「河童橋」から登ること3時間、「岳沢」(だけさわ)に着いた。
「岳沢」2,170メートルは、中央の「吊尾根」の下に、
ポツンと小さく残る雪渓の下。

岳沢」の放射線量は、

0.19~0.08マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。

3)「木曽路と周囲の山」の放射線量。


奈良井宿」は、「塩尻」の西にある。「中村邸」。2011年8月3日。

「奈良井宿」(ならいじゅく)は、
「妻籠宿」(つまごじゅく)、
「馬籠宿」(まごめじゅく)ともに、
「木曽路」の宿場町である。

奈良井宿は、長さが1キロで、日本で最長の宿場町。
奈良井宿の放射線量は、「中村邸」の向かいで測った。
奈良井宿の放射線量は、ほかに、「伊勢屋」の向かいで測った。

妻籠宿」(つまごじゅく)の「脇本陣」。2011年8月17日。

妻籠宿の放射線量は、「脇本陣」(わきほんじん)の右にある井戸の横で測った。
ほかに、妻籠宿の放射線量は、「本陣」(ほんじん)で測った

馬籠宿」(まごめじゅく)の「藤村記念館」。2011年8月17日。

「馬籠宿」の放射線量は、藤村記念館の門の左で測った。
ほかに、馬籠宿の放射線量は、但馬屋で測った。

木曽福島の南には「風越山」(かざこしやま)1,699メートルがある。
その「風越山」から、「御嶽山」(おんたけさん)を眺めることができる。

奥の巨大な山が「御嶽山」3,067メートル。
「御嶽山」と「風越山」の谷間が「木曽谷」。
「木曽谷」には、木曽福島の南隣の町、上松が見える。
特急「しなの」は「御嶽山」と「風越山」に、
はさまれた「木曽谷」を走る。

御嶽山」には、夏なのに雪渓があった。2011年8月17日。

「御嶽山」の放射線量は、「剣ヶ峰」3,067メートルで測った。

4)「名古屋市街」の放射線量。

名古屋は、松本よりも福島第一原発からさらに遠くなる。
名古屋の放射線量は、ガクンと減るのかと思ったが、
松本と変わりがなかった。

名古屋駅の「桜通口」。2011年8月9日。

「桜通口」の広場の放射線量は、右手前の植え込みで測った。

名古屋の「愛知芸術文化センター」。2011年8月11日。

左はNHK名古屋放送センタービル。
放射線量は、「愛知芸術文化センター」前の芝生で測った。

「愛知芸術文化センター」の中にある「愛知県美術館」の、
「棟方志功展」を見に行った。名古屋の夏は暑かった。が、
「釈迦十大弟子」をみることができて、満足、満足。

さて、特急「しなの」の放射線量は、まとめるとつぎになる。
A)特急「しなの」の車内の放射線量は、
窓際に放射線量計を置いて、見ていたが、
0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を超えることはなかった。

B)特急「しなの」が走る中央西線の「沿線」の放射線量は、
「平地」と、それを囲むようにある「山」でも測った。
1)長野の「善光寺平」、
2)「松本平」と「美ヶ原」2,034m、「上高地」、「岳沢」2,170m、
3)「木曽路」の「奈良井宿」、「妻籠宿」、「馬籠宿」と、
「風越山」1,699m、「御嶽山」3,067m、
4)そして「名古屋市街」である。

中央西線の「沿線」の放射線量は、「平地」も「山」も、
0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を超えることはなかった。
放射線が、とりわけ「山」に多く落ちているということはなかった。

C)長野は、松本よりも福島第一原発に近くなる。
長野は、福島第一原発から267キロ、松本は303キロ。しかし、
長野の放射線量が、松本よりも大きくなることはなかった。
名古屋は、松本よりも福島第一原発からさらに遠くなる。
名古屋は、福島第一原発から449キロ。しかし、
名古屋の放射線量が、ガクンと減るものではなかった。
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六ヶ所原燃PRセンターの放射線量

2011-10-09 01:07:56 | Weblog
青森県の六ヶ所村には、「核燃料サイクル施設」がある。
その「核燃料サイクル施設」を見渡せる場所に、
六ヶ所原燃PRセンター」がある。
その「六ヶ所原燃PRセンター」の放射線量を測った。

「六ヶ所村 次世代エネルギーパーク」
「六ヶ所原燃PRセンター」とある入り口の、
案内板の前に黒くあるのが放射線量計。

「六ヶ所原燃PRセンター」の放射線量は、
0.19~0.08マイクロ・シーベルト毎時(μSv/h)だった。2011年9月5日。


さらに、「六ヶ所原燃PRセンター」の周りを、
1時間ほど歩いてみたが、放射線量計がピッピ鳴って、
警告することはなかった。

国際放射線防護委員会(ICRP)は、毎時の被曝限度を、
0.52マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]としているから、
0.50マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]で、
警告するように設定してある。

なぜ、「六ヶ所原燃PRセンター」へ行ったのか。
「六ヶ所村」へ行きたかった。
六ヶ所村は、「核燃料サイクル」の施設で有名じゃないか。
でも、「核燃料サイクル」の施設は、中を見せてくれないだろう。
「六ヶ所原燃PRセンター」ならば、見せてもらえる。

六ヶ所村の位置を示す青森県の地図。

「六ヶ所次世代エネルギーパーク」より。

六ヶ所村は、下北半島の付け根にある。
野辺地から六ヶ所村へは、下北交通のバスが1日に4本ある。
10時40分のバスに乗ると、12時半ころ「大石運動公園前」に着いた。

「大石運動公園前」は、バス・ドライバーに、
「六ヶ所原燃PRセンター」のバス停を聞いて、わかった。

野辺地からの乗客は、土地のおばあさんが3人だった。
野辺地駅の待合室には、大勢の観光客がいたから、
六ヶ所村へ行くものとばっかり思っていたが、
観光客は私だけだった。

バスからは、稲作、酪農、畑が見えた。陸稲(おかぼ)もあった。
1時間50分ほど、バスに揺られると、丘に風力発電機が並んでいる。
そして、ゴルフ場(下北300ゴルフ・クラブ)のとなりにある、
広い庭、大きな建物が「六ヶ所原燃PRセンター」だった。
「大石運動公園前」のバス停で降りた。

「六ヶ所原燃PRセンター」の展望室から眺めた「総合体育館」。

「六ヶ所村大石総合運動公園」の看板が左にあり、右に巨大な屋根が見える。
「総合体育館」は、「原子力災害・地震等自然災害の避難場所」に指定されている。
手前に、「六ヶ所原燃PRセンター」の庭が広がり、右の道路はアプローチ。

六ヶ所村の日本原燃産業(株)の「核燃料サイクル施設」は、
野辺地の「観光物産PRセンター」のポスターにあった。


「ポスターの右下にある、「④核燃料サイクル施設」を拡大すると下図になる。


1) ウラン濃縮工場
2) 低レベル放射性廃棄物埋設センター
3) 高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター
4) 再処理工場

「六ヶ所原燃PRセンター」は、
核燃料サイクル」について、
大きな模型やパネルで展示している。
撮影はOKで、カメラ以外の荷物は預かってくれた。

「六ヶ所原燃PRセンター」が、
「核燃料サイクル施設」を見渡せる位置にあることは、
「六ヶ所原燃PRセンター」に展示してあるパネル、
「原子燃料サイクル施設位置図」でわかる。

(六ヶ所原燃PRセンター)は上、
(低レベル放射性廃棄物埋設センター)はその下、
(高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター) はその下、
(再処理工場)はその下、
(MOX燃料工場建設予定地)はその下、
(ウラン濃縮工場)は右上にある。

「再処理工場」が「六ヶ所原燃PRセンター」の展望室から見える。

再処理工場の建屋は高いから、写真を撮ることができた。

ほかの「低レベル放射性廃棄物埋設センター」も、
「高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター」も撮影したが、
林の中だったり、建屋が低かったりと、わかりにくい。

再処理工場では、
使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、
ウランとプルトニウムのMOX(Mixed Oxide)燃料、
混合酸化物燃料をつくる。

このMOX(Mixed Oxide)燃料は、
1)主として「高速増殖炉」に使われる。ほかに、
2)これまでの軽水炉で、ウラン燃料の代わりに使われる。そして、
3)世界で初めての「フルMOX原発」になる「大間原発」で使われる。

1)「高速増殖炉」の原型炉として「もんじゅ」が福井県敦賀市にある。

高速増殖炉「もんじゅ」のパネルには、
「わが国は2050年代に高速増殖炉を実用化する計画です」
とある。

原型炉とは、実用化のための実験炉である。
原型炉、「もんじゅ」は、大きな事故をおこし、
ときには、事故の隠蔽もした。試験は何度も中断された。
安全性の問題、技術的な問題が解決していないから、
「2050年代に高速増殖炉を実用化」するめどはたっていない。

2)これまでの軽水炉にMOX(Mixed Oxide)燃料を使う例として、
福島第一原発の3号機があった。しかし、
事故のあと、廃炉に向かっている。

福島第一原発の3号機にMOX(Mixed Oxide)燃料を使用することは、
福島県知事の合意が得られていた。
なお、MOX(Mixed Oxide)燃料は輸入品。

ほかに、東京電力の新潟県柏崎市の刈羽(かりわ)原発では、
MOX(Mixed Oxide)燃料を使う計画は、
住民の理解が得られずに、中止となっている。

ほかにもある。中部電力の浜岡原発も、
MOX(Mixed Oxide)燃料を使う計画は、
原発全体の運転が停止になった。

3)世界で初めての「フルMOX原発」になる「大間原発」は、
福島第一原発の事故があってから、工事が中断された。
津波対策、安全対策が不十分であることから。


「大間原発」については、
「大間原発の放射線量」、2011年9月25日に記載してあるので、参照してください。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/557abbba8b39904f15882a35d9a7ecf2

さて、放射線量は、
「六ヶ所原燃PRセンター」で測ったほかに、
野辺地」、「八戸」でも測った。
これまでに測った「下北半島」の放射線量を含めて、
青森県の放射線量はつぎになる。

0.19~0.08マイクロ・シーベルト毎時(μSv/h)だった。

放射線量を測定した「野辺地」、「八戸」を写真で示す。
野辺地駅の観光案内板。

芝生に黒くあるのが放射線量計。

左後方は「観光物産PRセンター」で、
「核燃料サイクル施設」のポスターを見ることができる。

「八戸駅-東口」

右の木の下で、放射線量を測った。

「八食(はっしょく)センター」。

八戸駅からバスで10分ほど。大きなマーケットには、魚市場、
海産物、レストラン、みやげものやがあって、にぎわっている。
東側にある入り口の鉢植えの木の下で、放射線量を測った。

「六ヶ所原燃PRセンター」に、
原子力発電の安全性」というパネルがあった。

5重の防壁
「原子力発電所では、どのような場合においても放射性物質を閉じ込め、
外へ出さないしくみになっています。それが「5重の防壁」です」
とある。

第1の壁 ペレット
第2の壁 被覆管
第3の壁 原子炉圧力容器
第4の壁 原子炉格納容器
第5の壁 原子炉建屋
 原子炉を納める建物です。
 厚いコンクリート壁で放射性物質を閉じ込めます。

しかし、福島第一原発の事故で、「5重の防壁」は破壊された。
メルトダウンで、第4の壁「原子炉格納容器」までが溶け、
爆発で、第5の壁「原子炉建屋」が吹き飛んだ。
閉じ込めるはずの「放射性物質」は飛び散った。

「原発は、人知でコントロールできるものではない」
ということを、福島は世界に示した。

原発の「安全神話」は崩れた。信頼を失った。
それに、「核燃料サイクル」の見通しもたっていない。

「六ヶ所原燃PRセンター」のスタッフに聞いてみた。
「原発事故があってから、お客さんは多いですか?」
「・・・やはり、落ちています」
すべてを語っている。

学童が団体で、「六ヶ所原燃PRセンター」へ、
「次世代エネルギー」をわくわくしながら、
見に行く姿は、もうないだろうな?
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下北半島の放射線量

2011-10-02 00:13:25 | Weblog
下北半島の放射線量を測った。
北から、「大間崎」、「大間原発」、「恐山」、
むつ市の「大湊駅」と「下北駅」。

「大間崎」と「大間原発」の放射線量は、
「大間原発の放射線量」、2011年9月25日に掲載。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/557abbba8b39904f15882a35d9a7ecf2

恐山は、大間崎とともに、下北半島の観光のメインである。

上部からの眺めで、
前景右手前は大王石、
荒涼とした先の祠は大師堂。
湖は宇曽利湖、右の白い浜は極楽浜。
奥の三角の山は、大尽山(おおづくしやま)。

恐山の放射線量は、大王石の前で、
0.19~0.08マイクロ・シーベルト毎時(μSv/h)だった。2011年9月4日


正面が大王石。

放射線量計は、手前の石の左、影の中に黒くある。

下北半島。地図は「下北ナビ」から。

恐山へは、むつ市から下北交通のバスで行った。
むつ市の下北駅から出る朝7時40分の始発。
バスの乗客は一人、私だけ。

下北半島の観光のメインである恐山は、
さぞかしバスは混むと思ったが、
乗客一人とは、拍子抜けだった。
観光客は、下北半島めぐりのツアー・バスに乗ったか?
それとも、レンタル・カーだろう。

バス・ドライバーに、恐山参拝の所要時間を、聞いてみると、
「参拝順路は、足がじょうぶなら30分~40分あれば回れます」と言う。
帰りのバスは、9時10分がある。そのあとは、11時になる。
恐山始発の9時10分に乗ろうと思う。

バスは、恐山の観光案内をテープで流してくれる。
途中にある「冷水」(ひやみず)では、
冷水を飲むと長生きするという。
一口飲めば、10年長生きし、
二口飲めば、20年長生きする。
三口飲めば、死ぬまで長生きする。

そして、たった一人の乗客でも、「冷水」で停まった。
冷水を三口飲む。死ぬまで元気でいられるように。

結局、往きのバスはだれも乗らなかった。終点の恐山まで一人。
恐山に着くと、バス・ドライバーは、
「待合室を開けます」
と言って、待合室を兼ねた案内所の扉を開けた。

案内所の中をのぞいて、すぐに恐山に向かう。入山券500円。
「霊場 恐山」のパンフレットにしたがって、
参拝順路を一周のほかに奥の院へも行った。
総門⇒山門⇒本堂⇒地蔵堂⇒奥の院⇒無間地獄⇒大王石、
⇒放射線量の測定⇒大師堂⇒極楽浜⇒地獄めぐり。

さて、帰りのバスは恐山始発の9時10分。
バスは、乗ってきた下北駅始発のバスだった。

恐山にずーっと停車していた。
バス・ドライバーも同じ人。
左が待合室を兼ねた案内所。

恐山始発の9時10分、下北駅行きバスには8人が乗っていた。
下北駅始発の恐山行きのバスは、私だけだったが、
乗客の8人は、どこから来たのだろう?

恐山の宿坊に泊まった?
近くの温泉宿に泊まった?
それとも、イタコが呼び寄せた?
恐山だから、イタコが呼び寄せたが、ふさわしいが。
不思議なところだ!

下北半島の放射線量は、
北から、「大間崎」、「大間原発」、「恐山」、
むつ市の「大湊駅」と「下北駅」を測った。

下北半島の放射線量。

いずれも、0.19~0.08マイクロ・シーベルト毎時(μSv/h)だった。

大間原発。2011年9月4日。

福島第一原発の事故のあと、大間原発は建設を中断。

恐山、山門。2011年9月4日。

放射線量は、左奥に白く見える大王石の前で測定。

むつ市の大湊駅。2011年9月5日。

放射線量は、駅の左の建てやの前の花壇で測定。

下北駅。2011年9月4日。

放射線量は、手前にある下北半島のモニュメントの芝生で測定。

下北半島には、原子力発電所と関連施設が多い。
1) 大間には、電源開発の「大間原発」がある。
  大間原発は、福島原発の事故後、建設を中断している。
2) むつ市には、「リサイクル燃料備蓄センター」がある。
  地図では大畑の近く。2010年の操業を目標に建設中である。
3) 東通(ひがしどおり)には、東北電力の「東通原発1号機」がある。
  運転を開始しているが、福島原発の事故時には定期検査で、
  停止中だった。その後も、停止を継続している。
4) 東通には、東京電力の「東通原発1号機」がある。
  建設中であったが、福島原発の事故後、建設を中断している。
5) 東通には、東北電力の「東通原発2号機」が計画中で、
  東京電力の「東通原発2号機」も計画中である。

これらの、下北半島の原子力発電所と関連施設は、ポスターで見ることができる。

野辺地駅のとなりにある「観光物産PRセンター」で。

上段、①「大間原子力発電所」、
②「リサイクル燃料備蓄センター」、
③「東通原子力発電所」、
の図と説明である。

②「リサイクル燃料備蓄センター」について、さらに説明する。
原発から出る使用済み核燃料を、一時的に貯蔵する施設で、
一時的とは、使用済み核燃料を再処理するまでの間。最長50年間。

日本の原子力発電所からは、
年間約1,000トンの使用済み核燃料が発生し、
年間800トンの処理能力を持つ六ヶ所再処理工場が、
フル操業したとしても、毎年200トンずつあまりが生じる。

それで、青森県のむつ市に、
「リサイクル燃料備蓄センター」をつくって、
5,000トンの使用済み核燃料を一時的に貯蔵する。

「リサイクル燃料備蓄センター」は、
幅が62メートル、奥行きが131メートル、高さ28メートルと巨大だ。
基礎には、長さ35メートルの杭(くい)を、350本打つ。

2010年操業開始の目標は、大幅におくれている。
福島第一原発の事故で、安全対策が求められ、
活断層による地震の対策が求められている。
それに、使用済み核燃料をリサイクルする、
「核燃料サイクル」がうまくいくのかも、検証される。

このように、多くの原子力発電所と関連施設をもつ下北半島だが、
観光ルートの「大間崎」、「恐山」、むつ市の「大湊駅」、
そして、むつ市の「下北駅」の放射線量は、
0.19~0.08マイクロ・シーベルト毎時(μSv/h)だった。

それに、下北半島に滞在した2011年9月4日、1日の被曝量は、
2.90マイクロ・シーベルト(μSv/d)だった。
松本の1日の被曝量は、直近10日の平均で、
3.11マイクロ・シーベルト(μSv/d)だから、
下北半島の観光ルートの被曝量は、松本より少ない。
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