季節の変化

活動の状況

菅谷市長の内部被曝の怖さ

2011-04-24 00:37:07 | Weblog
菅谷 昭(すげのや あきら)さんは、
経路汚染による「内部被曝」の怖さについて、
「チェルノブイリ診療記」晶文社、で書いている。


ベラルーシで、子どもの甲状腺がんは、
チェルノブイリ原発事故から5年たって、急増した。

小児の甲状腺がん患者は、事故当時0~9歳が97.6%を占める。
10歳以上はわずか2.4%であった。

幼少時代に、汚染された空気を吸い、水や牛乳を飲み、
いちごやキノコ、ジャガイモを食べて過ごした。

幼小児期の甲状腺は、放射性ヨードを多量に摂取し、
その影響を高度に受けやすいことがわかっている。

経路汚染による内部被曝から、
子どもや妊娠、授乳中の女性を守ることによって、
将来の子どもたちの命を守ることができる。

菅谷 昭さんは、2004年から松本市長をされている。
定例の市長記者会見で(2011年3月22日)、
ベラルーシの医療支援の経験から、
経路汚染による「内部被曝」の怖さについて、話されている。
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/aramasi/sityo/kaiken/teirei20110322/index.html

長くなるが、掲載します。
興味のあるところを、選んでいただけたらと思います。

子どもをかかえている人、
妊娠、授乳中の子どもがいる女性、
近くに原発があるところに住まわれている人、
原発をかかえる東京電力、電力会社、
政府・行政関係者、医療関係者……。

なお、わかりやすくするために、
( )で補足したり、図を加えてあります。

【記者】
東京電力福島第1原子力発電所の事故に起因する放射能汚染で、
ほうれん草、クキナの出荷停止が現実的におきて、
市長が以前お話になっていた土壌汚染が現実的なもの、
となってきたのですが、実際に内部被曝を、
市長おっしゃっていたのですけれども。
はたして食べても安全なのか、
市長のチェルノブイリで医療支援活動された経験から、
ご見解をもう一度伺えればと思ったのですが。

【菅谷市長】
はい、それでは今の記者のご質問ですけれど、
私はずっと、常々というか、最初からこの件に関して、
私の言葉として表現されているのは、
とにかく、核の事故、放射線の事故というのは、
最初から最悪の事態を想定して、
先手、先手で手を打っていくことが大事じゃないかということを、
私が5年半の経験(ベラルーシでの医療支援活動)をもとに、
日本に帰ってきてからそう思っておりました。

しかし、そういう中でまさかこういう状況になる、
と思っておりませんでした。
一つは20キロの避難ですけれど、
できれば30キロまで広げたほうがいいのではないかと申し上げ、
あわせて、予防的に無機のヨード剤を投与しておいたほうがいい、
ということも申し上げました。

場合によって避難は、やはり50キロ位、
チェルノブイリの場合だと30キロゾーンは、
人が住めないわけですけれど、
チェルノブイリと同じにしてはいけないのですけれど、
できれば50キロ位までの範囲は、
注意したほうがいいのではないかなと。
それくらい、いわゆる大気汚染が広がるよ、
ということを申し上げたとこでございます。

それから、特に乳幼児妊産婦に対しては、
ヨード剤の予防投与は、まさに内部被曝の問題なんですよ、
ということを申し上げてきたんですね。

政府を含めて皆さん方は、
外部被曝のことだけを取り上げているので、
そうではなくて、皆さん3つの点に注意してください。

一つはマスクをしてください。
なぜマスクをするかというと、
汚染された(空気に)浮遊している放射性の降下物が、
鼻から気道、気管をとおして肺に入って、
吸収されて血液の中入って、体に蓄積されるということですね。

二つ目は、は露出してはいけないということ。
これは皮膚から吸収されて体の中に入っちゃいけない。

もう一つはから入るという、この三つですね。
経気道的、経皮(皮膚)、それから経口的です。この三つが経路です。
できるだけ取り込まないように、と言っているのです。

取り込まれたらどうなるかいうと、
放射性物質が放射性ヨードであり、セシウムであり、
ストロンチウムであり、プルトニウムであって、
それらが入ると大変なことになりますよ。

これは今じゃなくって、5年、10年、30年。
セシュウム、ストロンチウムの半減期が30年ですから、
放射性ヨードの半減期は8日ですけれども。

取り込まないように言っているにもかかわらず、
今回(福島原発事故)のほうれん草は、
今度はシーベルトからベクレル、キュリーです。

皆さん良く知っているキュリー夫人のキュリーです。
放射能の強さを表すのですけれども、
今回(福島原発事故)のほうれん草の場合、
日本の基準で2000ベクレル/キロですよね。
という事は、倍になっていて、
それを食べてもいいかって言われたら、
語弊がありますが、できるだけ口にしないほうがいいだろう。

というのは、現地(ベラルーシ)に行った者として、
本当に言いたいのは、子どもたちや妊産婦、胎児の命を守る、
という意味で、5年とか10年(後に甲状腺がんが発症する)。
チェルノブイリ(ウクライナ)で甲状腺がんの子どもが、
増えたのが5年後ですよね。
5年後から出てきているんですよね、急激に。

事故前の子どもの発症率は、
(ベラルーシで)100万人に1人か2人で、
これはチェルノブイリ(ウクライナ)でも同じなんですよ。

それが、汚染地(ベラルーシ)で(5年後)になると、
100倍になったり、ひどい時には130倍ですね、
(ベラルーシの)ゴメリ市なんか。


「ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間」菅谷 昭著、ポプラ社から。

だから将来のことを考えれば、
これは本当に申し訳ないけれど、作っている方々に。
しかし、風評ではなくて事実として、
やはり押さえておかなければいけないと私は思って、
パニックでなくて国民も冷静に聞いてくれて、
そして今の時期は、食も少しひかえてもらうということ、
そのためにも、早くに放射性ヨードを投与しないと、
もう入ってしまったら終わりなのです。

私は、前から予防適応しておいた方がいいですよって。
今政府においては後手、後手ですよね。
避難している人たちも、放射性ヨードっていうけれど、
もう避難しているわけですから、
避難中に被曝して入ってしまえば、
いくら後でやっても遅いのです。

そういう事がちっともわかっていないことが、
きわめて残念だ、ということを申し上げたいですね。
ですから(福島)原発の今の状況は、是非とも国をあげ、
それから海外の力を借りて、とにかく消火する。

外に放射性物質を出さないことは、
最大限やってほしいのだけれど、
私はもう一つ、最悪であった土壌汚染は、これまさに環境汚染。
水も汚染ですし、それから食物も汚染、これ出てしまったんですね。 

ですから、次は経路汚染、経口的に、
からだに取り込まないようにすることは当たり前のことです。
けれど、それが抜けちゃって「安心、安心」、
放射線1回浴びることとしているが、
そんな問題ではないですよね。

あれは外部被曝なんですよね。
皆さんだって検査された時にエックス線を、
浴びるわけですよね。それは1回だけですよね。

そうじゃないんです。入ったものは沈着して抜けない、
いわゆる放射能沈着と表現しますけれども、
放射線降下物、フォールアウトですから、
今舞っているのが下に降りますから、
落ちると土壌が汚染されます。

当然、土壌と、それから水だって汚染されます。
一方で葉物ですよね。
葉っぱの上にやはり降下するわけじゃないですか、放射性物質が。
で、それを牛や羊が食べるわけじゃないですか。
そうすると放射性物質が、今度はお乳の中にでるわけですよね。

そのお乳を人間が飲むわけですよ。
これがいわゆる食物連鎖ですよね。
またその土壌の中に落ちると、
それを食べた牛やヤギが、糞、おしっこを出します。
ここに放射性物質がたまりますから、
それがまた地面、土壌を汚染するという悪循環、
食物連鎖になっているわけです。

また、汚染された土壌からは、セシウムが、
今度は葉物じゃなくて根菜類、根から吸収されますから、
特にセシウムは、消化管からほとんどが吸収されるわけですから。
それから放射線は、甲状腺に集まってしまうわけです。

そういうことを事実としてとらえて、
報道していくのは、国からもいかないと。
単に「冷静に行動してください」とかでなくて、
数的なもので。被曝が5年、10年、日本で、
もし将来ですね、わかりませんけれど悪性の新生物が、
日本で増えてきたような状況の時には、
いったい誰が責任とるんでしょうかね。

そういう意味で、できるだけ放射性物質を、
体に取り込まない注意をお互いにしていったほうが、
いいのではないかな、ということであります。
今後、全国でも食品に対しては、
多分、汚染の状況をチェックしてくださいという言葉が、
いろいろ出てくると思います。

心配ないものは本当に食べていいです。
私自身は汚染地(ベラルーシ)でジャガイモを食べたり、
人参を食べたり、玉ねぎを食べたりしたけれども。
大人はまだいいですけれども、
これから生まれてくる子どもや、小さい子どもには、
そういうことの無いようにしてあげなければいけない。

そこで放射能の許容レベルは、先ほど記者が言われたように、
これは許容レベルというのはあるんですけれども。
例えば事故の時にポーランドでは、
事故から4日目なんですけれども、国の命令ですよね。
乳牛に新鮮な牧草を与えることを全国的に禁止しているんですよね。

それから、100ベクレル/リッターということは、
100ベクレル/キログラム以上の汚染ミルクを、
子どもや妊娠、授乳中の子どもが飲むことを禁止しているとか、
4歳以下の子どもは原則として粉ミルクを飲ませる。
粉ミルクの不足分は、急きょオランダから緊急輸入をしている。

それから子どもや妊娠、授乳中の女性は、
できるだけ新鮮な葉菜類、葉物は摂取を控えるように、
指示している。こういうふうに対策をとったんですね。

今回(福島原発事故)の場合に、
これ(基準)が1000ベクレル(ポーランドの10倍)ですから、
ほうれん草なんか4000ベクレルですから、
そういう意味では、やはり残念だけれども、
特に生産者は本当に気の毒ですけれども、
子どもたちの命、将来のことを考えれば、
この場は、政府が最大限に保証してあげるということで、
しばらく汚染の状況が安全のところまで行くまでは。
それは、ミルクもそうですね。

石棺。階段状のコンクリートで建造中。

「チェルノブイリ・ルポルタージュ」アイピーシーから。

1986年が(チェルノブイリ)原発の年ですけれど、
1987年ヨーロッパの食品の放射能の限度というか、
安全許容量を出しているのが、
有名なネイチャーという雑誌に出ているんですけれども、
これは、乳製品だと、バターとかミルクとかチーズとか、
アイスクリームは、セシウムは1000なんですね。
ヨウ素が500なんです。ストロンチウムが500、
プルトニュウムが20ベクレル/キロです。

乳製品以外の食品は、セシウムが1250、ヨウ素が3000、
ストロンチウムが3000、プルトニウムが80。
それから飲料水は、セシウムが800、ヨウ素が400、
ストロンチウムが400、プルトニウムが10。
また家畜の飼料は、セシウムが2500と、
このように、一応基準は設けてあります。

多分これに準じて、日本の場合もやってあるんだろう、
と思いますが、きちっとしたものは無いんですけれどね。
各国違います。しかし大体この一つの基準というのはあるわけで、
どれがいい、どれが悪いんじゃなくて。

ご承知の通りチェルノブイリだって、
30キロゾーンでなくて、100キロ以上離れたところで、
ホットスポットって言いまして、
ある場合には雨の状況で、日本は雪ですけれど、
それによっては放射性のフォールアウトがある所に、
集中的にポンポンと点状に落ちる。だから、
そこで生産されたものというのは、当然汚染されるわけです。

そういう意味で、今回私も意外だったのは、
茨城の方で高濃度ってなぜかって、これは当然大気汚染で、
あちこちに汚染された大気があるわけですから、
その中に雨が降って雨の粒の中に、私が前に言ったように、
「雨とか雪は注意した方がいいですよ」と言ったら、
雪が降ってしまいましたけれど、そういうのはやはり、
放射性降下物も含まれて落ちるわけですから。

残念ですけれど、そういう所は可能性があるということを、
一応私は、皆さんをパニックではなくて、
「こういう事実がありますよ」
と、いうことを知っておいてもらった上で、
冷静に対応してもらう、
こういう表現をしていかないと。

ただ単に、エックス線を当てて1回でこうだとか、
そういう外部被曝のことを言われるので、
菅総理大臣が自ら国民に向かって「こうなんだ」って、
とにかく子どもたちや妊産婦を含め胎児たちの命を守るんだと、
将来のことを考えて、ということを言わないと、
私はいけないと思っております。

これは誤解なきように。
皆さん方が、ある言葉だけを出されますから、誤解されて、
私はいつも言われてしまうんですけれど、
もし、心配だったら全部出してください。
そうでなかったら出さないでください。

私は皆さんに今、私自身がチェルノブイリで経験したことを、
お話ししているわけですから。
決して政府を批判ではないんですけれど、
事実としてとらえてほしい。

しかも、国民の皆さんは落ち着いてくださいと。
こういう事があるけれども、安心なものは食べていいですから、
ということで私は申し上げております。

私自身も、5年も汚染地(ベラルーシ)で、
向こうの人と同じものを食べてきたわけです。
だから、実際に言えるのは甲状腺のがんに関して、
放射性ヨウ素がこんなに高いのに、
昨日の長野県の報道を見ていますと、
その4000ベクレルじゃないですけれども、
「ほうれん草を洗わないで500グラム食べても安全だ」という、
そういう県から、もしメッセージを出しているようでしたら、
報道を見た限りですけれど、
これが事実であれば、大変な事を言っているなということで、
やはり相談にのる人も慎重な答をしていかないと。

安心安全と言っても、新聞の社説によっては、
「安心安全冷静ということは、
もっと具体的に出してもらわないと、私わかりませんよ」
と言うのは、私はあの通りだと思うんです。

内部被曝の問題は、一切出してないし、
食物連鎖の話も、一切出してないです。
しかも、5年10年先のことを出してないですね。
私はそういうことも出していかないと、
国民がうんと不安に思うから、
敢えて今日は申しあげたところでございます。

是非とも報道の皆さんも、
ある意味では刺激的なタイトルで出す。
それはやめてください。
私は事実を申し上げただけでございます。

皆さん、全部出してください。
出さないから、そこだけ取っちゃうから、
読んだ市民が非常に不安になるから。

今日お願いしたいのは、書けないんだったら出さないでほしい、
ということ、皆さんの中でご理解いただきたいと、
このように思っております。以上です。

菅谷松本市長。2011年3月。


菅谷さんは、
ベラルーシで医療支援するとともに、
現地の医師に、最先端の治療技術と知識を授けた。

菅谷さんは、
ベラルーシ共和国から尊敬されている。
国の最高勲章である、
「フランシスコ・スカリナー勲章」
が、授与された(2000年)。
菅谷さんの前の受賞者は、ロシアのエリツィン前大統領である。

福島第一原発事故で、
子どもたちや、妊産婦を含めた胎児たちを守りたい、
国の将来を守りたい、と言う菅谷さんの言葉には重みがある。

子どもをかかえている人、
妊娠、授乳中の子どもがいる女性、
近くに原発があるところに住まわれている人、
原発をかかえる東京電力、電力会社、
政府・行政関係者、医療関係者……、
にとって、菅谷さんの経験、事実が役に立つ。
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チェルノブイリ原発で知っていること

2011-04-24 00:00:11 | Weblog
チェルノブイリ原発で知っていること。
1) チェルノブイリ原発事故から2年後にイギリスへ赴任した。
2) フィンランドでは、風に乗った放射性物質で、トナカイが汚染された。
3) オーストラリアから、カンガルーの肉、 ルー・ミートが、
安全な肉として、ヨーロッパに輸出された。
4) 市民講座「チェルノブイリ原発事故報道」が、
信濃毎日新聞長野本社で開催された(2007年11月)。
5) 甲状腺疾患の専門医、菅谷 昭(すげのや あきら)さんが、
単身、ベラルーシに赴いて、医療支援活動をした(1996年から5年半)。

福島第一原発は、燃料ペレットが溶融して、放射性物質が飛散した。
国際評価尺度で最悪の「レベル7」になった。

福島第1原発の3号機、エア・フォート・サービスから。

「レベル7」は、チェルノブイリ原発事故と同じである。

日本原子力文化振興財団科学文化部教育支援センターから。

チェルノブイリ原発の4号炉が爆発したのは1986年4月26日。

「チェルノブイリ・ルポルタージュ」アイピーシーから。
悲劇の数時間後に撮影された。

チェルノブイリ原発の爆発事故は、
広島型原爆の500倍の放射性物質がばらまかれた。
共産政権の秘密のベールにつつまれたが、
死者は、国際原子力機関IAEAは4,000人、
世界保健機構WHOは9,000人、としている。
2004年までの死者は98万5千人とするロシア人の本が出た。
「チェルノブイリ - 大惨事による人と環境への影響」
(Chernobyl - Consequences of the Catastrophe for People and Environment)
450以上が廃村となった。放射能をおびた家、樹木は埋められた。

被害の大きかったのは、爆心地(グラウンド・ゼロ)のウクライナ、ロシア。
北のベラルーシには、南風に乗って多量の放射性物質が降り注いだ。
それで、多くの小児が甲状腺がんにかかった。

チェルノブイリ原発は旧ソ連、現在のウクライナにある。

「ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間」菅谷 昭著、ポプラ社から。

チェルノブイリ原発で知っていること。
1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故から、25年になる。

1) イギリスへ赴任した1988年は、
チェルノブイリ原発事故から2年後で、
放射能の影響を心配しながらの赴任だった。

イギリスでは、チェルノブイリ原発事故に、狂牛病が追い打ちをかけた。
牛だけの病気であった狂牛病が、ついに人への発症になった。
それで、我が家の食卓からビーフがピタリとなくなった。
羊は、口蹄疫(こうていえき)にかかる、というわけで、
マトンもなくなった。
蹄(ひづめ)のないチキンになった。

イギリスの畜産農家は、大打撃を受けて、
いつ回復するともわからず、多くの畜産農家が破産した。

2) フィンランドでは、放射性物質が風で飛んで、コケについた。
コケを食べるトナカイの肉が汚染された。

フィンランドで晴れて? トナカイの肉を食べたのは、
チェルノブイリ原発事故から15年後の2001年だった。
で、トナカイのステーキの味は?
悪くない。ビーフに比べたら、少しモツの味がした。

3) オーストラリアから、カンガルーの肉「ルー・ミートRoo meat」が、
ヨーロッパに輸出された。ルー・ミートとは、Kangarooのrooルーからきている。

レアで頼んだルー・ミートのステーキ。シドニーのレストランで。


ルー・ミートは、赤身で軟らかい。
脂身(あぶらみ)がなく、さっぱりしている。
マヨネーズをかけるより、醤油味にしたり、
タタキにしたほうが、日本人には合う。

「カンガルーは野生動物で、
家畜とちがって、飼料を与えるわけではない。
抗生物質や成長ホルモン剤の投与の心配がない安全な肉だ」
と、オーストラリア人は言う。

「ルー・ミートは、ビーフやマトンに代わる肉として、
ドイツやイギリス、フランスなどに輸出している。
それに、脂肪を含まず、高タンパクのヘルシーな肉として、
需要は伸びている」

「アボリジニという先住民族がいる。
都市部に住むアボリジニに比べて、
内陸部で狩猟生活をして、
ルー・ミートを食べているアボリジニには、
糖尿病や心臓病、高血圧がない。それで、
国立心臓病財団(National Heart Foundation)は、
調査の結果を踏まえた上で、
ルー・ミートを“健康食”として認定した」

4) 信濃毎日新聞社の市民講座、「チェルノブイリ原発事故報道」
が、長野市の本社で開催された(2007年11月)。


信濃毎日新聞に連載された、
「20年目の対話 チェルノブイリ原発事故」
が、科学ジャーナリスト賞を受賞したことを記念して、
取材した記者の講演があった。

石棺

チェルノブイリ原発の4号炉は、階段状のコンクリートで固められている。
突貫工事の石棺だが、放射性物質が漏れる危険がでてきた。
この石棺をすっぽりと覆うアーチ型鉄鋼の建造は、
資金難で工事が大幅に遅れ、2008年に着手した。

そして、鎌田實さんが理事長を務める市民団体、
「日本チェルノブイリ連帯基金」
の、神谷さだ子事務局長から、
「チェルノブイリからの報告」として、
汚染の様子、信州大学医学部と連携して、
小児患者を松本に呼んで、甲状腺がんの検診をするなど、
20年の活動を振り返る講演があった。

5) 松本の菅谷 昭(すげのや あきら)さんは、ベラルーシで、
チェルノブイリ原発事故の医療支援活動をされた。

「ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間」ポプラ社から。

甲状腺疾患の専門医である菅谷さんは、
信州大学の助教授を辞職し、人生を探す旅として、
被災地ベラルーシに身を投じて、医療支援活動をした。
ベラルーシの生活費は、信州大学の退職金をあてた。
1996年、52歳。単身で5年半滞在する。無給の医師として。

「チェルノブイリ診療記」菅谷 昭著、晶文社によると、
ベラルーシで、子どもの甲状腺がんは、
チェルノブイリ原発事故から5年たって、急増した。

小児甲状腺がん患者は、
事故当時0~9歳97.6%を占める。
10歳以上はわずか2.4%であった。

幼少時代を、汚染された空気を吸い、水や牛乳を飲み、
いちごやキノコ、ジャガイモを食べて過ごした。

幼小児期の甲状腺は、放射性ヨードを多量に摂取し、
その影響を高度に受けやすいことがわかっている。

経路汚染による「内部被曝」で、
多くの小児が甲状腺がんになって、
甲状腺を摘出する手術を受けた。

甲状腺がんは女の子が圧倒的に多い。
いずれは結婚し、母親になっていくが、
甲状腺の摘出手術が成功しても、
「チェルノブイリ身体障害者」になって、
甲状腺のホルモン製剤を、
生涯、飲み続けなければならない子を持つ、
母親の精神的な苦悩は深刻だ。

「チェルノブイリ身体障害者」
に認定された子に、母親は責任を感じ、
「あのとき、
外で遊ばせなかったら、
牛乳を飲ませなかったら」
と、涙ながらに悔やんでいる。
がんの再発、転移がないだろうか?
結婚して、子どもを産んでもだいじょうぶだろうか?

出産は、前例のないことだったが、
全力でサポートすることを、菅谷さんは伝えた。
そして、新しい命が誕生している。

ベラルーシのとなりのポーランドでは、
チェルノブイリ原発事故から4日目に、
子どもや妊娠、授乳中の子どもが、
新鮮な葉菜を控えるように指示し、
牛乳を飲むことを禁止して、
経路汚染による内部被曝を防止した。

「チェルノブイリいのちの記録」菅谷 昭著、晶文社。
も、あわせて参考になる。

菅谷さんは、日本に一時帰国するたびに、
あちこちから講演を頼まれている。
「本当に日本人はノウ天気です!
チェルノブイリの現状から、
もっと多くの教訓を学ばなければいけません」
と繰り返している。

「汚染された土地には人間は住めない。
場合によっては数世代以上に渡って!」
「遠い異国にいると、日本人が次第に賢さを失っていく様子を、
寂しく感じることが多い」
と警告している。

そして、その通りになってしまった。
福島第一原発事故である。
国際評価尺度で最悪の「レベル7」。

菅谷さんは、
ベラルーシ共和国の首都ミンスクの、
国立甲状腺がんセンターに2年、それから
被爆地により近く、最も汚染がひどいゴメリに向かい、
ゴメリ州立腫瘍病院で、甲状腺がん患者の手術や、
医療支援をするとともに、勉強会を開催して、
最先端の治療技術と知識を授け、
人材を育成した。

菅谷さんに、
ベラルーシ共和国から、国家の最高勲章である、
フランシスコ・スカリナー勲章
が、授与された(2000年)。
菅谷さんの前の受賞者は、ロシアのエリツィン前大統領である。

菅谷さんがベラルーシに赴いたときには、
おくれた医療技術、旧式な医療機器、非衛生な環境、
学ぶ意欲のない医師、に気がついた。
しかし、現地の医療の状況を受け入れる、
決して批判はしない、という態度でのぞんだ。

さらに、「他人に与えた影響の総量が、その人の一生の価値を決める」
という気持ちで医療支援活動をされ、現地人に接したことで、
ベラルーシ人から慕われ、尊敬された。

その菅谷さんは、2004年から松本市長をされている。

2011年3月。

菅谷市長は、定例の記者会見で、
福島第一原発事故への対応を話されている(2011年3月22日)。
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/aramasi/sityo/kaiken/teirei20110322/index.html

福島第一原発事故による放射能汚染では、
「外部被曝」だけでなく、
経路汚染による「内部被曝」の怖さを警告している。

「外部被曝」は、レントゲン検査でエックス線浴びるが、
それは1回だけである。

ベラルーシの医療支援活動の経験から、
甲状腺がんの子どもが、急激に増えたのは、
チェルノブイリ原発事故の5年後からである。

経路汚染による「内部被曝」を避けるために、3つをあげている。
1) マスクをする。肺→血液を通して放射性物質が体内に蓄積することを防ぐ。
2) 肌を露出させない。皮膚を通して放射性物質が体内に蓄積することを防ぐ。
3) 汚染された食物を口にしない。
消化器官から、放射性物質が体内に蓄積することを防ぐ。
そして、ヨード剤の予防投与を、子どもや妊娠、授乳中の女性に薦めている。

空気汚染、土壌汚染で、葉物→牛が食べる→牛乳→人間が飲む、
という「食物連鎖」で、放射線物質を取り込み、
体内に入ったものは放射能沈着し、甲状腺に集まる。

経路汚染による内部被曝から、
子どもや妊娠、授乳中の女性を守ることによって、
将来の子どもたちの命を守ることができる。

菅谷市長の記者会見は次回に、
「菅谷市長の内部被曝の怖さ」
を掲載します。

菅谷 昭さんについては、つぎの書籍ほかが参考になります。
「チェルノブイリ診療記」菅谷 昭著、晶文社。
「チェルノブイリいのちの記録」菅谷 昭著、晶文社。
「ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間」菅谷 昭著、ポプラ社。
NHK、「プロジェクトX 挑戦者たち」
「チェルノブイリの傷 奇跡のメス」
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被災地の援助

2011-04-17 00:00:31 | Weblog
被災地の援助が活発である。
長野県でも被災者の受け入れをし、
高校では、生徒さんの受け入れをし、
個人では、放射能汚染の風評被害に苦しむ野菜を買い、
被災地に電力を回すために電力を倹約する。

長野県の飯田市は、福島県の南相馬市から、
103人の避難者を受け入れている(2011年3月17日)。

南相馬市は、津波で多くの犠牲者がでたほかに、
福島第1原発の放射能の恐怖が追い打ちをかけた。
南相馬市は、福島第1原発から半径20キロの「避難指示」と、
半径30キロの「屋内退避」の区域がある。

内閣官房内閣広報室から。

南相馬市の市民は、
見えない放射能の恐怖におびえ、
着の身、着のままで避難した。
すぐに家にもどれると思っていたが、
放射能が収束する見通しは立っていない。
飯田市はバス6台を差し向けて、103人を迎え入れている。

福島第一原発は、最悪の「レベル7」になった。
(国際原子力事象評価尺度INES)
チェルノブイリ原発事故と同じになってしまった。

日本原子力文化振興財団科学文化部教育支援センターから。

着の身、着のままで避難した南相馬市民は、
「一時帰宅したい」
「家がどうなっているか? みたい」
「学用品や、身の回りのものを持ってきたい」
「行方不明の家族がどうなっているか? 知りたい」

しかし、「レベル7」になったから、
「もう故郷には、住むことはできないのではないか?」
「廃村になるのか?」
と、悩みは大きい。
移り住む街がほしい。日本独自のモデルの街を東北に!

長野県の佐久長聖高校は、
岩手県の大船渡市から、
高校生5~6人を募集している。

大船渡市は津波で街がさらわれた。
当時のビデオをみると、
高台に避難した人から、
「全滅だ!」
「もう終わりだ!」
と、叫び声があがった。

避難先では、義務教育の小、中学生は受け入れても、
高校生の受け入れは、すんなりといかない。

全寮制が原則の佐久長聖高校は、
大船渡市からの高校生を受け入れる。そして、
寮費、授業料、制服代など一切を卒業まで無料にする。
希望があれば、中学生も受け入れる。

佐久長聖高校は、長野県で初めての中高一貫校で、
学業と運動の両立を目指す私立校である。

佐久長聖高校は、都大路の「高校駅伝」で優勝した(2008年12月)。

壇上の選手たち。優勝報告会。佐久市、2009年3月。

2時間2分18秒という「日本最高記録」で優勝した。
スピードのあるケニヤからの留学生を含まない、
日本人選手による新記録である。

両角速(もろずみ はやし)監督の、
「人間的な成長なしに、競技力の向上はない」
とする指導の成果である。

信濃毎日新聞社。

「人間力で闘う」―佐久長聖高校駅伝部 強さの理由―
は、駅伝のほかに、学校を知るのに役立つ。

佐久長聖高校の卒業生は、
大学箱根駅伝、世界競技大会で活躍している。
運動のほかに、大学の進学率が高い。

なお、両角監督は佐久長聖高校を退任。2011年4月から、
母校、東海大学の体育学部准教授に就任し、
陸上競技部駅伝監督を兼務される。

放射能汚染の風評で困っている茨城産群馬産の野菜を販売している。

スーパーマーケット。松本。

のぼりには、
「野菜を買って 被災地&農家応援」
「この野菜の売上の10%を被災地へ」
とある。

茨城産の白菜を買った。

こんなに立派な白菜が300円。しかも寄付まで含まれて。

納豆も買った、本場茨城産。
「入荷商品を公平に販売するために、
お一人様、2パックまででお願いします」
とあった。
納豆の製造業者も津波の被害にあった。
茨城産の納豆は、1日に2個に増やして食べている。

ほかのスーパーマーケットでも、
茨城産の水菜、レタスを積極的に売っている。


そして、電力不足を契機に、白熱電球からLED電球に換えた。

左から白熱電球、電球型蛍光灯、そしてLED電球。
これは、我が家の「照明の歴史」になった。

消費電力は、白熱電球が100ワット、
電球型蛍光灯が13ワット、
LED電球が8ワット。
LED電球の消費電力は、白熱電球の12分の1である。
被災地に電力を供給するために、少しでも電力を倹約する。

LED電球が一番明るい。
それに、つけた瞬間から明るい。
ところが、電球型蛍光灯はだんだんと明るくなる。

寿命は、白熱電球が2,000時間。
電球型蛍光灯が6,000時間。
LED電球の寿命は40,000時間である。
1日5時間つけるとすると、年1,800時間。
LED電球の寿命は22年となる。
私と、どっちが長生きするか?
LED電球は1,480円だった。1,480円に負けたくない。

わずかでも、「被災地の援助」に協力したいじゃないか!
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福島の子

2011-04-10 00:02:45 | Weblog
福島第一原発が爆発して、放射能漏れをおこした。

福島第1原発の3号機、エア・フォート・サービスから。

半径20キロは「避難指示」、
半径30キロは「屋内退避」がでた。

NHKから。

住人は、取るものも取りあえずに逃げた。
目に見えない「放射能」の恐怖におびえ、
原発の「ドスン」という爆発に追い立てられ、
大混乱の避難だった。

「避難指示」の半径20キロで、8万人が避難し、
「屋内退避」の半径20キロ~30キロで、13万6千人が避難した。

町は役場ごと移転した。会津若松市や埼玉などに。
福島第1原発から半径30キロの町は機能しなくなって、
人がいないゴースト・タウン、廃墟のようになった。

避難した人には学童がいる。
入学予定の子もいる。進学の子もいる、就職の子もいる。
放射能の汚染から避難した「福島の子」は、
どんな感想をもっているだろうか?

テレビ、ほかからつぎのようになる。
「着の身、着のままで、逃げてきた」
「今は、支援物資の服を着ている」
卒業式もできなかった」

「学用品もないし、教科書もない」
「学校は避難場所になっている」
「学校が再開するのは先になる」
「それまで、入学式はできない」

「家に帰りたい」
「入学式の服やランドセルを取りに行きたい」
「すぐに帰れると思ったから、何も持ってきていない」

放射能がおさまって、家に帰る見通しは立っていない。
原子炉が、ポンプによる循環の冷却機能が復旧するまでには、
数か月~1年かかり、冷温停止から原子炉が安定するまでに3~4年、
それから、廃炉にするには、10年以上かかると言う。

「大好きな街にもどりたい」
「放射能は、いつおさまるのだろう?」
「家には、いつ帰れるのだろう?」
「早く学校が元通りになってほしい」
「みんなと学んだり、遊びたいです」

避難先で、小学生と中学生は転入できた。
しかし、高校生の転入は一部が決まっていない。
高校を卒業して、就職の内定を取り消された人がいる。
「これから就職先を探さなければならない」
「生活の軸を避難先にするのか? 惑っている」
「今回のようなことは、ないようにしてほしい」
「原発は絶対に安全だと、東京電力から言われてきた」

悲惨な体験をしている「福島の子」が、
元気をとりもどし、日本を復興していくことになる
これからは、福島の子の世代になっていく。

松本では、4月5日が入学式。

福島の子も、原発の爆発がなければ、入学式を祝ったはずである。
そして、よろこびの写真を撮ったはずである。

刈羽原発、福島第一原発をもつ東京電力に対して、
海外のメディアは、厳しい目でみていることは、
「福島第一原発は廃炉」2011年3月27日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/279bb9c1bf487133169f7e08fe25ef22
に書いた。

ワシントン・ポスト2011年3月22日は、
「東京電力は津波のリスクを軽視した」
「非常用のディ-ゼル発電機は低い場所にあったから、
津波に弱いし、内部の浸水にもぜい弱であった」

また、ドイツのテレビ放送では、
「炉心の溶融があり、放射能が漏れる大事件に、
東京電力は、世界の援助を受けようとしてこなかった」

フィナンシャル・タイムズ、2011年3月20日は、
「東京電力は、2003年に安全データを改ざんしたことが発覚して、
福島原発の6基を含む全部で17基が、運転を中止させられている」
「数年後に、刈羽原発がマグニチュード6.8の地震に襲われた。
このような強大な地震に、刈羽原発(日本で最大の原発である)が、
耐えるようには設計されていなかった、と東京電力はあとで認めている」

フィナンシャル・タイムズ、2011年3月22日は、
「地震後、東京電力はいくつかの致命的なミスをしたようだ」
「そして、状況は依然として見通しがたっていないことだ」

そして、
2011年4月6日のウィーンの原子力安全条約再検討会議では、
原子炉の、循環による冷温停止に見通しがなく、
放射能漏れの深刻な状況が続く東京電力にいらだっている。
放射能の汚染水を海に放出している日本に詰問した。
「外部からの注水で、原子炉を冷却しているため、
汚染水はますます増えて、海に流出や放出が続いている。
いまだに、原子炉の冷却機能の復旧の見通しが立っていない。
いったい、いつ循環による冷却機能の復旧の見通しが立つのか?」

世界は日本に失望している。
日本の権威は失墜している。

原爆は殺人の兵器、原発は平和利用の発電。
平和利用を願った原発で爆発をおこした。
放射能で空気を汚染し、土壌を汚染し、汚染水を海に流した。

放射能に、日本は世界一、敏感である。
原爆を体験している日本の言うことには重みがあった。
他国が核を開発したり、核実験をしたり、放射能を出せば、
日本は一番先に反対した。被爆国の言うことには説得力があった。
その日本が放射能を出して、空気、土、水、海を汚染している。
そして、日本が苦しんでいる。

福島第一原発の爆発、廃炉は、
1945年の原爆いらいの「日本の惨事」である。

原爆の記憶はない。
原爆は、映画「ひろしま」、
毎年8月6日の「原爆慰霊祭」、
世界遺産になった「原爆ドーム」、
広島、長崎の訪問や写真で知る。

1945年10月、林 重男氏撮影から。

「原爆」とは、どんなだったのか?
実際に原爆を体験した人の感想を知りたい。
1945年当時、記憶に残る5歳以上の人は、
いまでは70歳代以上の大正、昭和の世代である。

まわりに、原爆の体験した人はいない。
原爆を話してくれる人はいない。
それで、「原爆の子」を読んだ。

原爆の子」は、広島で原爆を体験した子どもの手記である。
1945年8月6日、広島に原爆が投下された当時5歳以上の人は、
原爆を覚えている。当時、5歳から大学生の手記である。
奇跡的に助かったか、広島から疎開していて助かっている。

「原爆の子」―広島の少年少女のうったえ―。

長田 新(おさだ あらた)編、岩波書店。

「原爆の子」では、
被爆し、親や兄弟を亡くし、家が焼け、火の海を逃げまどい、
火ぶくれで「水をください」と死んでいく地獄をみる。
そして、原爆病と闘い、障害者になったり、
ときに、さげすまれたことが書いてある。

「原爆の子」は、原爆を憎み、平和を願っている。
「広島には、私のように、かなしいかわいそうな人が、
たくさんたくさんいると思います。
ほんとうに、にくい原子ばくだん(爆弾)ですね。
これからのちは、ぜったいにせんそう(戦争)などはしないように、
平和な日本でなければなりません」
小学校5年(当時5歳)。

「原爆の子」に、希望が芽生え、力強く生きようとしている。
「お母ちゃんが生きておれば、こんな苦ろうをしなくてもいいのに、
と思うことがたびたびあるけれども、私はどんな苦しみにもまけないで、
強く世の中に出ていこうと思っています」
小学校6年(当時6歳)。

「早く一人前の人になって、家をりっぱにし、母にこうこうをつくします」
父を原爆で亡くし、母がドカチンで生計を立てている、
小学校6年(当時6歳)。

「げんしばくだん(原子爆弾)を平和のために一日も早くつかいたい。
いろいろな法則をまもり、人の意見もよく聞いて、
日本は文化の高い国となって行くでしょう」
中学校1年(当時小学校1年)。

「学校の時は勉強を一生懸命し、
また晴れて卒業したならば、
少しでも早く世の中の役に立つ人となり、
この世の中を少しでも早く争いのない平和な世の中にするように、
努力しようと考えています」
中学校3年(当時小学校3年)。

「原子爆弾を作らず、それを作る元となるものを産業に使ったら
どれだけ産業が進むかということも聞いて知っています。
だから、それを産業の方面に使っていただいて、
産業を進めていただきたいのです」
高等学校2年(当時小学校5年)。

原爆の廃墟から立ち上がったのは、
「原爆の子」を含めた大正、昭和の世代であった。
そして、みごとに日本を復興した。

原発の廃墟から立ち上がっていくのは、
福島の子」の平成、昭和の世代である。
原爆いらいの日本の惨事を乗り越え、復興してほしい。

そして、「福島の子」として、手記を遺してほしい。
失われた故郷、悲惨な生活から、希望が芽生え、
力強く生きようとしている様子がわかれば、
後世の力づけになる。
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被災地に電力を回す

2011-04-03 00:01:52 | Weblog
松本で、講演会が2つあって、
東京から講師を迎えることになっていた。
東日本大震災の翌日の講演会(2011年3月12日)は、
急きょキャンセルになった。

東日本大震災で、原子力発電所、火力発電所が破壊されて、
電力不足になり、新宿-松本の特急「あずさ」が、
運休になったためである。
講師がいない講演会は開催できない。

2つ目の講演(2011年3月16日)は、開催された。
講師は、間引き運転の特急「あずさ」を使わなかった。
復旧した東京―長野の長野新幹線「あさま」で、
いったん長野へ出た。

長野で、長野-松本―名古屋の特急「しなの」に乗り換えて、
はるばると、松本へ来たのである。特急「しなの」は、
東日本大震災でも通常どおり動いていたから。

特急「あずさ」で2時間半のところ、
新幹線「あさま」、特急「しなの」を乗り継いで、
3時間半かかっている。おつかれさま。

特急「あずさ」。

2011年2月に撮影。
特急「あずさ」は、電力不足で運休になった。

東京電力の電力不足は、
東日本大震災の地震や津波で、
福島第一原発が破壊したほかに、
大規模の火力発電所も破壊して、使えなくなったからである。

大規模の火力発電所とは、
福島県の広野(ひろの)火力発電所と、
茨城県の常陸那珂(ひたちなか)火力発電所である。
両方合わせて、480万キロワットだから、
470万キロワットの福島第一原発なみが使えなくなった。

それで、東京電力の供給量は3,500万キロワットになって、
電力消費が少ない4月の3,700万キロワットに及ばない。
それで、計画停電にしている。まして、
夏場の電力消費6,000万キロワットには、遠く及ばない。
それに、冬場の5,000万キロワットにも及ばない。
電力不足は、しばらく続く。

4月、5月は電力消費が少ないから、
これまでは、発電所の定期検査に充て、
夏場に備える時期だが、今は、そうは言っていられない。
あるものはすべて稼働して、計画停電の時間を短くする。

中部電力は電力に余裕があるから、
被災地に電力を回す」ことができる。
東京電力に融通して、停電をなくしたい。

その一つの設備が松本の近くにある。
東京電力の新信濃(しんしなの)周波数変換所である。

松本駅から南西へ約12キロ。2011年3月19日撮影。


松本のとなり、朝日村の野菜畑の中にある。

中部電力からの電力は60ヘルツだから、
新信濃周波数変換所で50ヘルツに変換する。
変換した電力は60万キロワットと、スズメの涙だが。
窮している東京電力の電力不足に給する。

松本は、どこにあるか?

日本の電力系統図。Wikipediaより。

松本は、本州のほぼ中央にある、
新信濃周波数変換所の近くになる。

東日本の周波数は――50ヘルツ
西日本の周波数は――60ヘルツ
松本は東西の境目。

せまい日本で、なんで東日本は50ヘルツで、
西日本は60ヘルツと、周波数がちがうのか?
それは、東日本はドイツから50ヘルツの発電機を導入し、
西日本はアメリカから60ヘルツの発電機を導入したから、
と、学校でならったことを思い出す。
この周波数のちがいが、電力の融通をむずかしくしている。

電力系統図から、
新信濃周波数変換所には、
60ヘルツの27万5千ボルト……で来て、
50ヘルツに変換され、50万ボルトに昇圧されて――
東日本へ行く。

周波数変換所は全部で3か所あって、
新信濃周波数変換所、60万キロワットのほかに、
佐久間周波数変換所、30万キロワット、
東清水変電所、10万キロワット、
で、あわせて100万キロワットの電力が、東京電力へいく。

松本は中部電力の範囲である。
したがって、計画停電はない。
しかし、電力は倹約している。
「被災地へ電力を回す」ことに協力するため。

松本駅では、エスカレーターを止めている。

2011年3月。

「お知らせ」、
「地震による節電のため、
エスカレーターを停止しております。
階段をご利用ください。松本駅長」とある。
しかし、障害者にはエレベーターが動いている。

スーパーマーケットでは、照明を落としている。2011年3月。

左上には、「東日本大震災救援募金ご協力のお礼」とある。
お客さんが買い物をしたときに、釣銭を寄付したのである。

個人的には、夜更かしはやめる。
切れた電球はLEDに換える。
60ワットは6ワットになった。
夏場、クーラーは使わない。うちわにする
こうして、「被災地に電力を回す」ために、
できることからしようと、電力の倹約をする。
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