季節の変化

活動の状況

中国のタクシー

2009-12-20 05:56:12 | Weblog
2009年、最後の記載です。
中国は珍しいタクシーや乗り物の宝庫です。集めてみました。

これは、普通のタクシー。西安。


優雅な三輪タクシー。嘉峪関。

シェードつき。

優雅なヤギ車。敦煌。

力のありそうなヤギだ。

自動三輪タクシー。敦煌。

手軽な乗り物。

羊の皮のいかだといかだ乗り。蘭州。

黄河の支流の渡し舟。

ラクダ。トルファン。

観光用。ベゼクリク千仏洞の近く。

ロバ車。高昌古城、トルファン。

観光用。乗客が多いから、ロバもがんばっている。

で観光。陽関。


自然落下のロープウェイ。嘉峪関。

観光用。幅200メートルの討籟河(とうらいがわ)を、真下(80メートル)に見る。
右側は、たたまれて、もどされてきた布。スリリングつきで600円。
対岸からは万里の長城の終端、「第一墩(とん)」がよく見える。
帰りは歩き。

ふしぎな自転車があった。中央は2人乗り自転車。西安。

電動? それとも、2人でこぐ? 1人がこぐ?


2009年、閲覧いただきまして、ありがとうございました。


それでは、良い年の瀬と、新年をお迎えください。
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検索キーワードによる閲覧の多いタイトルは?

2009-12-13 05:55:23 | Weblog
“世界の通知表”以外のタイトルにも、
今でも、多くの閲覧があります。うれしいことです。

検索キーワードで探されて、閲覧されたタイトルを、
検索エンジン、Google、OCN、Yahoo! Japanでみる。

1)シルクロード関係。


『王圓籙による100年前の大発見、敦煌文書』、2009年2月8日。
「敦煌文書」を発見した王圓籙(おうえんろく)。莫高窟、敦煌、中国。

写真は、国立情報学研究所の「遷画~シルクロード」から。
写真の使用をお願いしたところ、快諾をいただいた。
イギリスの探検家、オーレル・スタインが撮影(1907年)。

14世紀以降の莫高窟は、風に侵食され、砂に埋もれ、
荒れるがままになっていた。石窟の仏教美術はまったく荒廃し、
文化財としては忘れ去られていた莫高窟だが、世界から見直される、
“きっかけ”となったのは、道教の僧侶、“王圓籙(おうえんろく)”が、
経典や古文書、絵画の“敦煌文書”を、発見したからである(1900年)……。

『莫高窟の謎ときは、菩薩が教えてくれた』、2009年2月15日。
敦煌文書」。手前に積み重ねてある“巻物”。第16窟。

右端には、第17窟の入口がある。莫高窟、敦煌、中国。
国立情報学研究所の「遷画~シルクロード」から。
イギリス人の探検家、オーレル・スタインが撮影 (1907年)。

最初の“謎”。
――第17窟の入口は、どうして、長い間、気づかれなかったのだろうか?
それは、入口にも壁画を描いて、“カムフラージュ”したからだった。
第1の謎は、とけた。
つぎに、2つ目の“謎”……。


2)東欧関係。


『経済戦争で、計画経済が市場経済に負けた』、2009年4月8日。
ソ連の“ラーダ”(赤)と、チェコの新しい“シュコダ”(右奥の黄色)。
プラハ、チェコ(2006年)。

赤のラーダを買うか? 黄色のシュコダを買うか?
シュコダがフォルクスワーゲンの子会社になったことが回答である。
ラーダには、技術力がないことは、明らかである……。

『プラハの春のおもかげは、「共産主義の犠牲者たちを記念して」』
2009年4月12日。
記念碑、「共産主義の犠牲者たちを記念して」

プラハの繁華街、ヴァーツラフ広場。チェコ。

民主化運動、「プラハの春」に対して、ソ連は戦車でチェコに侵攻して、
プラハを占拠し、民主化運動を阻止した(1968年)。これに抗議して、
20歳の学生、ヤン・パラフは、ガソリンをかぶり、焼身自殺をした。
1か月後に18歳の学生、ヤン・ザイクも焼身自殺をした(1969年)。
黒い石には、2人の顔と、年月日が刻まれている。

「共産主義の犠牲者たちを記念して」
“IN MEMORY OF THE VICTIMS OF COMMUNISM”
と、茶色の石に刻まれている……。


3)食事、お祭り、学力、企業関係。


『フランスのワイン・カード』、2008年11月12日。
ワイン・カード」。フランス。

ワイン販売のサヴォワ・クラブ(Le Savour Club)が、
メンバーに発行している“ワインの早見表”である。
クレジット・カードの大きさに、年とワインの赤・白の“できばえ”を示す。
フランスの文化、“ワイン”を、たった一枚のワイン・カードで表現している……。

『フィンランドの春祭りヴァップ』、2008年10月19日。
春祭りヴァップ」。ヘルシンキ、フィンランド。

春祭りヴァップのメイン・イベントは、“前夜祭”。
バルト海の乙女像“ハヴィス・アマンダHarvis Amanda”を、
学生が掃除して、最後に学帽を乗せる……。


4)運動、ハブ空港、日露戦争、ほか。


『ケニアの通知表』、2009年10月04日。
大地溝帯の民族マサイ族。右は公園保安官レンジャー。ナイロビ国立公園。

ケニアの西の“カレンジン族”は足が速い。
カレンジン族は、ケニアの西の大地溝帯グレイト・リフト・ヴァレーで、
牛を追う牧畜民で、闘争心が旺盛で、牛の争奪戦をする。カレンジン族から、
オリンピックで優勝し、中長距離の世界記録を持つアスリートを輩出している……。

『100年たっても世界が忘れない日露戦争』、2008年10月22日。
記念艦「三笠」。横須賀。

東郷平八郎 司令長官大将、秋山真之 参謀中佐は、指令室の上部で指揮をとった。
そして、東郷平八郎 司令長官から“トーゴー・ターン”が発せられた。

「ロシアのバルチック艦隊が日本へ向かったときに、
これで、日本は敗れて、ロシアの植民地になるものと思っていた」
は、フィンランド人。

アドミラル・トーゴーが有名になって、
多くの子どもにトーゴーという名前がつけられました」
は、トルコ人。

「イギリスから戦費を調達して、軍艦や兵器を買いつけ、
学んだ戦術を使って、日本はロシアに勝つことができた。
日露戦争に負けていたら、こんにちの日本はなかった。
今度は、日本がイギリスを助けて、“100年前の恩返し”をする番だ!」
は、イギリス人。

「日本の勝利に血が逆流するほど歓喜し、
インド独立のため命を捧げる決意をした」
は、インドの初代首相になったネルー。

「日本の勝利は全アジアに影響を及ぼし、
アジアの民族は極めて大きな希望を抱くに至った」
は、中国の“建国の父”孫文……。


1)シルクロード関係、
2)東欧関係、
3)食事、お祭り、学力、企業関係、
4)運動、ハブ空港、日露戦争、ほか、
に、今でも閲覧があります。
なにかの、お役に立っているようで、うれしい。
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閲覧の多い世界の通知表は?

2009-12-06 06:57:20 | Weblog
“世界の表彰・評価”から、“指標”を定めて、“数値”で、
世界の通知表”をみてきて、37か国になった。
そして、多くの閲覧をいただきました。ありがとうございます。

“通知表”では、どの国の関心が高かったのだろうか?
検索エンジン、Google、OCN、Yahoo! Japanで閲覧の順位をみる。

掲載した37か国は次です。
アジア、オセアニアでは、
日本、中国、韓国、香港、台湾、シンガポール、オーストラリアの7か国。
南北アメリカでは、カナダ、アメリカ、メキシコ、コスタリカ、ブラジル、
ウルグアイ、アルゼンチンの7か国。
ヨーロッパでは、フィンランド、スウェーデン、イギリス、アイルランド、
フランス、ドイツ、ベルギー、オランダ、デンマーク、オーストリア、スイス、
イタリア、スペイン、ポルトガル、ポーランド、チェコ、ブルガリア、
ギリシャ、トルコ、ロシアの20か国。
アフリカでは、チュニジア、ケニア、南アフリカの3か国。









閲覧の順位の調査は、12月1日から5日です。
ほとんどの国の通知表が、1位になっています。
多くの方の閲覧をいただき、ありがとうございました。
多くの時間を割いて“世界の通知表”を書いたかいがありました。

“世界の通知表”を書くにあたって、3つを基本にしました。
市民”、“写真”、“データ”です。

触れ合った市民は、本音を話す。
日本人に、嘘を言ってもしょうがない。
外から、日本を客観的に見る市民の本音は、
「なるほどな!」と、新鮮に思えることがあった。

その市民の本音は、写真とデータでおぎなった。
写真は、事実を伝えられる。それに、情報量が多い。
文章で長々と説明するよりも、写真を見れば、状況はすぐにわかる。

写真は、オリジナルです。
これまでの写真を、ダンボールの中から引っ張り出して、
スキャナーでディジタル画像にした。

ばらばらの写真を、年代、国、場所を思い出して、
整理し、国ごとのデータにするのに、1年かかった。
眼がしょぼしょぼしてきた。
そして、状況がわかる写真を探し出した。

市民の本音は、データによる裏付けをした。
前から関心のあった指標には、保存してあったデータがあった。
この保存データを探し出し、新しいデータと合わせて、
加工し、表にしたり、グラフにした。

市民の本音に、写真と表、グラフの通知表は、
わかりやすくなっていると思う。そして、
日本を、からみることができた。
世界をみることもできた。

世界の通知表は、指標を定めて、数値で評価した。
形容詞、副詞を使った修飾を避けた。

計画を立てるにあたって、指標を決め、数値目標を立て、
数値で達成度を表す。この数値管理は重要である。
計画から達成まで、数値管理をすれば、わかりやすい。

“世界の通知表”が、読者にとって、さらなる調査のきっかけになれば、
幸いです。そして、
一番は、日本に“自信”と“誇り”を持っていただけたら、と思う。


平山郁夫画伯が亡くなりました(2009年12月2日、79歳)。
平山郁夫画伯の業績の一端に触れることができました。

「石碑」。莫高窟、敦煌、中国。2005年。

「日中友好協会会長で、敦煌研究院の名誉研究員の平山郁夫先生は、
敦煌の文物の保護のために設立する文化財保護振興財団、および、
研究者育成の奨学金制度に、1989年、2億円を寄付されました。
これを称えて、記念します」
と、中国語で刻まれている。
「莫高窟の文化財保護に、日本人の貢献」、2009年2月4日に記載。

「日中平和友好条約30周年記念切手」、2008年。

上段の4枚は、平山郁夫画伯の絵を原画とした切手。
中段の2枚は、森田基冶さん(切手デザイナー)、
下段の4枚は、王 伝峰さん(中国画家)、によるデザイン。

「パルミラ遺跡を行く・夜」、絵はがきから。

平山郁夫シルクロード美術館。北杜市、山梨県。2009年。
常設展示室の「大シルクロード・シリーズ」には、
ほかに、「楼蘭遺跡を行く・月」などがある。

そして、これらの絵の昼と夜が、部屋の左右に向かい合って、
展示されているから、見ごたえがある。
一連の作品は、2004年から手掛けられた。

例年、雪が積もる冬は閉館するが、この冬は開館するという。

平山郁夫画伯は、ラクダの隊列とともに、
シルクロードへ旅立たれたようだ。
さみしい。「さよなら」
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