季節の変化

活動の状況

おひさまの幸せ

2011-08-28 00:01:20 | Weblog
「NHKの朝の連続テレビ小説『おひさま』が好調」
読売新聞、2011年8月2日。
「『おひさま』の平均視聴率は、
関東地区で18.7%、被災地の福島では27.8%。
近年のほかの作品より4~5%高くなっている」
そして、
「物語を自身の体験に重ねる中高年層から、
登場人物の行く末に関心を抱く若者まで、視聴者層は幅広い」

「おひさま」の2011年8月25日は、「幸せ」と「」だった。
それに、「あづみの」の景色が写っている。

水車小屋」の前で、家族が「幸せ」の話をし、「夢」を話した。
その水車小屋は、「国営アルプスあづみの公園」の近くにある。
どしゃ降りの雨が上がった午後、あづみのへ出かけた。
松本から、車で30分ほど。2011年8月25日。

大庄屋山口家

道路の右は、「国営アルプスあづみの公園」に続き、
大庄屋山口家の左に広がる田園に、「水車小屋」がある。

「そば畑」の中に、ウッドチップを敷いた道ができていて、
そこを進むと、水車小屋に出る。


この水車小屋の前、家族がゴザの上に座って、
ヒロインの陽子さんが、「幸せ」について話をする。
「生きていられるだけでありがたかった」
「家族が、いっしょにいられるだけで幸せ!」

それから、陽子さんは、
「もう、そこから抜け出してもいい」
「未来や夢のことを考えてもいい」
と話す。

お母さんも、
「あのころは、生きているだけで精一杯だった」
と続く。

陽子さんは「夢」について話す。
「(娘の)ひなこが、健康でいい子に育ったらいいな」
「夢は、集まれる場所」
「つらいときに、みんなが頼ってくれる場所がある」

「幸せ」について、ドラマの作者の思いが伝わってくる。
それに、この東日本大震災で、家族を失い、
「亡くなった人の分までがんばろう!」
「そうでないと、亡くなった人が浮かばれない」
という、遺族の気持ちにつながる。

いつか機会があったら、「幸せ」について触れてみたい。

さて、水車小屋のロケ地では、管理しているスタッフが、
「平日は500人、週末は800人が訪れる」
「水車小屋も、道祖神もセット。上の小屋もセット」
と、話してくれた。
道祖神は2つあった。左の道祖神は酒を持ち、
右の道祖神は手を取り合っている。
右の道祖神は色が落ちてきて、味がでている。

そばの花が、すでに咲いている畑があった。

水車小屋は、右側の樹の下。小屋が左。

スタッフは、
「水車小屋の周りのそば畑は、9月中旬に咲くように植えてある」
と、話してくれた。
「おひさま」は9月で終わるが、それに合わせて盛り上がる?
これから行っても、まだまだ間に合うから、どうぞ。
目標は、「国営アルプスあづみの公園」、
それか、「大庄屋山口家」。

そして、家族が「夢」を語らったあとで、
娘のひなこちゃんが持っている絵本、
森のおうち」に載っている家と、そっくりな家に出会う。

「大王わさび農場」にあるセット。2011年6月。松本から車で1時間。
外国人が住んでいた別荘という設定である。

別荘からは、雄大な「北アルプス」を望み、
別荘の前には、「蓼川」(たでがわ)の清流がある。
右の白い帽子のカメラマンは、蓼川の清流をねらっている。

蓼川は、北アルプスの雪解け水が、伏流水となって、
わさび田に湧いた水で、「わさび田湧水群」の一つ。名水である。

「おひさま」では、
ひなこちゃんが水をすくって飲んでいたが、
透き通る「わさび田湧水群」ならば、飲めそうだ。

「水車小屋」の周りのそば畑は、9月中旬が見ごろだが、
それよりも、早く咲いているそば畑がある。
中山高原

以前に、友人から電話があって、
「おひさまのそば畑がきれいだったが、どこですか?」
そのときは、
「大町にある中山高原。そばの花は、まだ咲いていない。今は菜の花」
と、答えていた。
電話があるくらいだから、いいところだろう?

ロケ地、「中山高原」のそば畑は、まだ見たことがない。
そばの花の咲くころが気になっていた。
注意していると、新聞に載った、
「中山高原は、8月下旬~9月中旬が見ごろ」

それで、晴れ間をねらって、出かけた。2011年8月24日。
中山高原は大町市にあって、松本から北へ、車で1時間半くらい。
「木崎湖」の東で、休止になった大町スキー場の近く。昔はスキーに行ったが。

「おひさま」のそば畑。中山高原、大町市。2011年8月24日。

北アルプスの「蓮華岳」、「爺ヶ岳」がそびえるが、雲の中。

そば畑には、ミツバチがすごい。
「ブゥーン」と羽音が響いている。

そば畑では、「鹿島槍ヶ岳」が顔を出してくれた。

友よ、ここがそば畑だ。
中央の2つのピークが鹿島槍ヶ岳(南峰と北峰)。
家を出るときは、北アルプスはまったく見えなかった。
鹿島槍ヶ岳のピークが見えただけでも満足!  満足!

蓮華岳、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳が同時に見えるのを、
ジーッと待ったが、ダメだった。

さて、各地の放射線量だが、持参した放射線量計で測っている。
「水車小屋」では、道祖神の前と、左上にある小屋の前の2か所。
0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]~
0.09マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。

道祖神の前の放射線量。

引きもきらずに訪れるから、間隙をねらっての測定は、大変だった?

「大王わさび農場」にある別荘の放射線量は、
2011年6月15日に測っていて、
0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]~
0.09マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。

別荘の放射線量。2011年6月15日。


中山高原のそば畑では、中を左右に延びる道沿いと、
そば畑の丘の上の2か所で測った。2011年8月24日。
0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]~
0.08マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。

そば畑の放射線量。そば畑を左右に延びる道沿いで。


「おひさまの安曇野と松本に」ついては、
すでにつぎを掲載してきた。
興味のあるところをご参考に。
「おひさまの安曇野と松本」、2011年6月5日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/8a284b511c46bd3e6139846957f7ec83

「おひさまの安曇野と松本めぐり」、2011年6月14日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/f505df6c4d0985aa90f6a6eabd2097ab

「おひさまの安曇野と松本の放射線量」、2011年6月16日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/e2b21b62ac0b5fb1fadb05517cfbfcbf

「そば畑」があり、「水車小屋」がある。
「森のおうち」があり、「蓼川の清流」がある。
それに、「北アルプス」がある。
あづみのは、いいところだな!」
と思う。
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御嶽山の放射線量

2011-08-21 00:12:50 | Weblog
御嶽山の放射線量。
御嶽山(おんたけさん)に登った(2011年8月17日、18日)。
3,067メートルの登山を楽しみ、御嶽山の放射線量を測った。
測ったところは、登山開始の六合目、七合目、八合目、三ノ池、
五ノ池、摩利支天岳(2,959メートル)、そして、剣ヶ峰(3,067メートル)。

そして、御嶽山の放射線量は、
0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]~
0.08マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。

御嶽山の登山コース。

木曽町観光協会の「御嶽山に登ろう」の「登山コース」(黒沢口)から。

グループによる御嶽山登山のルートは、
登りは、六合目⇒七合目⇒八合目⇒右の三ノ池⇒五ノ池(五の池小屋に泊まる)
⇒摩利支天岳⇒サイノ河原⇒お鉢巡りをするように一ノ池の周り⇒剣ヶ峰。
下りは、二ノ池⇒九合目⇒八合目にもどって、登りのルートに合流。
御岳ロープウェイは使わなかった。

写真でみる。
六合目。登山口。
登りはじめの六合目の放射線量は、

0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]~
0.09マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。

時刻は、朝の9時54分(2011年8月17日)、そして、
これまでの被曝量の累積は、199.8マイクロ・シーベルト[μSv]、
であることを示している。
あとで、1日たってから、被曝量の累積を比べることになる。

七合目。

行場山荘の右、生徒さんが下りてくる道で、放射線量を測った。

八合目。

女人堂の前にある碑で、放射線量を測った。

八合目から三ノ池へ。

雪渓を横切る。

先月、富士山に登ったが(2011年7月27日)、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/7140298fc69612dab55198a80452e9e9
御嶽山は、富士山よりも雪が残っている。

登山口、六号目の小屋にあった注意書き。
「巨石の落石が発生するおそれあり」

十分注意しなければならないところ。

三ノ池。

三ノ池のほとりで、放射線量を測った。

五ノ池。

水の直径は3メートルほど。手前に黒くあるのが放射線量計。奥は五の池小屋。

五ノ池の放射線量は、
0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]~
0.08マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。

御嶽山で五ノ池だけが、
0.08マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。
ほかは、0.09マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。

摩利支天岳(2,959メートル)。

狭くて急な頂上には、こわごわと登り、そろそろと下りる。
風が強いから、飛ばされないように、岩にしがみつくようにして。

サイノ河原に向かうと、行者に行き会う。
行者は杖を置き、「ほら貝」を腰から取り出して、吹いてくれた。

「ブウォー、ブウォー、ブウォー」
と、腹に響いた。ありがとうございます。

お鉢巡り。
霧の中、ライチョウの親子が姿を見せてくれた。
ライチョウは長野県の県鳥である。

ひょこひょこと動き回る子と、岩の上で子を見守る母親。

ライチョウは、黒に白が混じって、あたりの岩と同じ保護色。
ライチョウは、季節の変化によって色が変わり、冬は雪と同じ白。

ライチョウの親子を見ることができたのは、ごほうびだ!
霧と雨の中、けわしいコースを登ってきたのだから、
このあとライチョウは、岩を下りて、草をついばんでいた。
人に気づいてはいるが、逃げようとはしない。

剣ヶ峰(3,067メートル)。
御嶽山の頂上、剣ヶ峰の放射線量は、

0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]~
0.09マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。

時刻は朝の10時1分(2011年8月18日)で、
被曝量の累積は、203.2マイクロ・シーベルト[μSv]である。

前日の登りはじめの六合目、朝の9時54分(2011年8月17日)、
被曝量の累積は、199.8マイクロ・シーベルト[μSv]だったから、
御嶽山でのほぼ1日の被曝量は、
203.2-199.8=3.4マイクロ・シーベルト[μSv/d]になる。
1日24時間の差が7分あるから、補正すると、
3.38マイクロ・シーベルト[μSv/d]になる。

松本の1日の被曝量は、直前5日の平均で、
3.16マイクロ・シーベルト[μSv/d]だったから、
御嶽山の1日の被曝量、3.38マイクロ・シーベルト[μSv/d]は、
0.21マイクロ・シーベルト[μSv/d]、7%ほど高いレベルである。
御嶽山登山のために、外にいる時間が多いことによる。

八合目まで降りてきて、御嶽山を振り返る。

中央奥は山頂、左は九合目の石室山荘。

霊峰、御嶽山の毎時の被曝量は、
0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]以下だった。

そして、御嶽山の1日の被曝量は、
3.38マイクロ・シーベルト[μSv/d]だった。
これは、松本で生活するレベルを上回るが、
御嶽山登山では、山小屋に泊まる以外は、
早朝から1日中、外にいたためである。
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諏訪の放射線量

2011-08-14 00:05:30 | Weblog
諏訪の放射線量。
諏訪湖周辺とビーナスライン周辺の放射線量を測った。

諏訪湖周辺。

諏訪地方観光連盟の「信州・諏訪湖・ビーナスライン・八ヶ岳」から、
http://www.suwakanren.jp/sub03/index.html
「岡谷・下諏訪・諏訪周辺」を編集した。

諏訪湖周辺では、上諏訪、下諏訪、岡谷、諏訪湖スタジアム、
そして諏訪大社は、上社の本宮と前宮、
下社の秋宮と春宮で測った。

ビーナスライン周辺。

諏訪地方観光連盟の「信州・諏訪湖・ビーナスライン・八ヶ岳」から、
http://www.suwakanren.jp/sub03/index.html
「茅野・原村・富士見周辺」を編集した。

ビーナスライン周辺では、ビーナスライン、それに蓼科を測った。
赤いビーナスラインは、左上の八島高原から霧ケ峰高原、車山高原、
白樺湖、蓼科を経て、左下の茅野に向かって、「つ」の字形に走っている。
八島高原の先は、美ヶ原高原までビーナスラインは続く。

麦草峠は、右の蓼科中央高原を抜けた先にあって、
八ヶ岳を越えて、諏訪地方から佐久地方に抜ける。
麦草峠から行く雨池は、八ヶ岳の東側にある。
さらに東に行くと八柱山(やばしらやま)。

そして、諏訪湖周辺、ビーナスライン周辺の放射線量は、
0.19マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]以下だった。

諏訪湖の放射線量は、上諏訪、下諏訪、岡谷、諏訪湖スタジアムで測定。


諏訪大社の放射線量は、上社は本宮(ほんみや)と前宮(まえみや)、
下社は秋宮(あきみや)と春宮(はるみや)で測定。


ビーナスラインの放射線量は、
白樺湖畔、白樺湖展望台、富士見台、車山肩、七島八島で測定。


蓼科ほかの放射線量は、フォレストCC、麦草峠、雨池、八柱山で測定。


状況を写真でみる。
諏訪湖。
上諏訪-湖畔公園。諏訪湖の海抜は759メートル。

湖畔の石の手前で測定。奥は八重垣姫(やえがきひめ)の像。
対岸は下諏訪町で諏訪大社の下社がある。

下諏訪-漕艇場。対岸は上諏訪。

左にある八ヶ岳は雲に隠れている。
晴れれば、右の稜線に富士山が見える。
芝生に黒くあるのが放射線量測定器。

岡谷-釜口水門。

釜口水門の周りは岡谷湖畔公園。ベンチのうしろの芝生で測定。

諏訪湖スタジアム。モニュメントの芝生で測定。

諏訪湖スタジアムの右には公園があり、
プールと温泉のリクリエーション施設、「すわっこランド」が隣接している。

諏訪大社、上社本宮、「一の御柱」。諏訪市。

放射線量は、一の御柱の下で測定。

「御柱祭」は、7年目ごとの寅(とら)年と申(さる)年に、
山から切り出したもみの大木を、人力だけで、
里まで20キロメートルほど曳き、
諏訪大社の4隅に建てる。
途中に「木落し」があり、上社には「川越し」がある。

諏訪湖を囲む諏訪地方の住民21万人は、
「御柱祭」には、血は沸き、肉が踊って、
分担し、結束して「大祭」に参加する。

諏訪大社、下社秋宮、「一の御柱」。下諏訪町。

一の御柱の下で測定。

「この御柱を坂から落とすんだよ」と、お父さん。
「こわくねェ?」と、娘さん。

ビーナスラインの富士見台。

中央、薄く富士山。八ヶ岳は左の雲に隠れている。南アルプスは右の雲に隠れた。
涼しい風に、「この風を持って帰りたいね」と観光客。

フォレスト・カントリークラブは標高1,400メートルの高原に広がる。
一番高いところは1,495メートル(12番ホール)。

奥は八ヶ岳。この八ヶ岳が諏訪地方の東にそびえている。

標高1,400メートルは、見晴らしがよく、夏は快適なゴルフができる別天地。
ゴルファーは、「これで、スコアがよければ言うことなしなんだが」。

フォレスト・カントリークラブの放射線量。

0.19マイクロ・シーベルト毎時(μSv/h)。

麦草峠は標高2,120メートル。
麦草峠は、八ヶ岳を越えて諏訪地方と佐久地方を結ぶ峠。

麦草峠の下の展望台から南アルプスが見える。
右から仙丈ケ岳(3,033m)、甲斐駒ケ岳(2,967m)、北岳(3,193m)。

雨池は標高2,010メートル。

雨池は、八ヶ岳の東側で、福島第一原発よりになる。奥は大岳。
八柱山2,014メートルも、諏訪地方の東にそびえる八ヶ岳の東で、
福島第一原発よりになる。

七島八島は標高1,630メートル。湿原の奥は、霧が峰の主峰、車山1,925メートル。

ビーナスラインは車山の右を走って、白樺湖、蓼科に続き、
七島八島の先は、美ヶ原高原まで続く。

海抜759メートルの諏訪湖から、
標高1,400メートルのフォレスト・カントリークラブ、
標高およそ1,600メートルを走るビーナスライン、
標高2,010メートルの雨池、
標高2,014メートルの八柱山、
標高2,120メートルの麦草峠と、
高低差のある諏訪、ビーナスライン周辺の放射線量は、
0.19マイクロ・シーベルト毎時(μSv/h)以下だった。
諏訪は、涼風を楽しむことができる。
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原爆のつぎに原発

2011-08-07 00:01:05 | Weblog
8月6日、「原爆の日」を迎えた広島。
日本は、広島の「原爆」のつぎに、
福島の「原発」にさいなまされている。
福島第一原発事故があった、今年の原爆の日は、
いつもよりも、「原発」や「平和」について考える。

「平和」のシンボル「鳩」。

愛用しているピカソのマグ。

原爆ドーム。

「土門拳の昭和」展。松本市美術館。
広島の原爆の悲惨は、いまだにぬぐいきれていない。
被爆者が、「幸せ」と思うのは、どんなときだろうか?

「土門拳の昭和」は、
「第23回国連軍縮会議 in 松本」が、
2011年7月27日~29日に開催された記念である。

生活に「希望」が持てないとは、「不幸」であり、
生命」が脅(おびや)かされるとは、「平和」ではない。
これは、
「プラハの春からビロード革命まで、21年の悲惨」、2009年4月15日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/8b07996a29d81579bde2e8e789e4dd56
に書いた。

福島第一原発事故の被災者が、
生活に希望を見いだせるのは、いつだろうか?
健康や生命の安全が守られるのは、いつだろうか?

原発は、人知でコントロールできるものではない」
ということを、福島は世界に示した。
これは、
「福島原発の閲覧は10秒に1回」、2011年5月29日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/8b07996a29d81579bde2e8e789e4dd56
に書いた。

希望が持てない生活、
健康・生命が脅かされる生活が、
この先、何年、何世代、続くのだろうか?
放射線の脅威から開放されるのは、いつだろうか?

「放射線の健康への影響を学ぶ研修会」

長野県立こども病院の公開講座。2011年7月31日、松本市。

講演者はつぎの3人。
1) 菅谷 昭 松本市長は、
「放射能災害の課題とその対応」
- チェルノブイリ原発事故医療支援の経験を通して -。
2) 中村 友彦 こども病院副院長は、
「胎児、赤ちゃんへの放射線の影響」。
3) 小池 健一 信州大学医学部教授は、
「こども達への放射線の影響」。

信州大学医学部のとなりにある看護総合センターは、
子どもを抱えた女性とその夫や子どもでいっぱいである。

チェルノブイリ原発事故で医療支援の経験がある、
菅谷松本市長ほかの方々の生の声を、ぜひ聴きたい。
またとないチャンス! 聞き漏らさない! と思う人たちである。

講演が終わると、3者への質問の時間があった。
最初は、福島県から松本に移住された方。
「子どもが熱が出たり、風邪をひきやすくなっている。
福島県に、原発事故医療の病院を設置してほしい。
また、あれば教えてほしい」

二番目は、宮城県から松本に移住された方。
「学校給食の食材について、生産した場所を明示してほしい。
それをみて、子どもに弁当を持たせるか、どうかを決めたい」

二人の質問には、涙がでてきた。質問は、切実だ!
放射線の恐怖を、福島県でも宮城県でも、見てきているから。

千葉県から駆けつけた行政関係者からは、
「汚染された土壌を除去しているが、
除去した土壌の廃棄方法について知りたい」

小さな子どもを抱える女性からは、
「安全な食材の選び方を教えてほしい」

なお、この「放射線の健康への影響を学ぶ研修会」は、
2011年9月4日に長野でも開催される。

空気、水、食物、土壌、健康、新生活との闘いは続く。
日本は、「原爆」のつぎに「原発」の汚染に、さいなまされている。

PICASSO

FOR PEACE 2012
購入したピカソのカレンダー。
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