季節の変化

活動の状況

プラハのランドマークはプラハ城

2010-12-05 00:12:05 | Weblog
世界の景観をみる。

「プラハの景観」2010年12月1日では、
プラハのランドマークは、「プラハ城」と書いた。
今回は、プラハのランドマークは、「プラハ城」について。

プラハ城は、丘(フラッチャニ)の上にあるから、
モルダウ川にかかるカレル橋からも遠望できる。

中央に尖塔のある聖ヴィート大聖堂、
手前の赤い屋根の旧王宮が見えて、
プラハ城は、これらを集めたもの。
プラハ城は、「プラハ歴史地区」として、
世界遺産になっている。
カレル橋も含まれている。

カトリックとプロテスタントの宗教戦争である、
「三十年戦争」のはじまりは、プラハ城である。

17世紀最大の事件である三十年戦争は、
プロテスタント派が、旧王宮に押し入って(1618年)、
カトリック派のフェルディナント2世(後の神聖ローマ皇帝)の、
補佐官3人を、窓から放り投げた。
これがきっかけで、三十年戦争がはじまった。

その三十年戦争の痕跡をみることができる。
旧王宮からテラスに出ると、
南側に出っ張った城 (ルドヴィーク翼)がある。

窓は、左の端、上から2番目。
この窓から、15メートル下に放り投げた。
放り投げたことを示す、「モニュメント」が下に見える。
しかし、当時はゴミ捨て場、そのゴミの上で、助かっている。

プロテスタントとカトリックが殺戮を繰り返して、
三十年戦争は終わった(1648年)。
ヨーロッパ中が疲弊した。
たとえば、ドイツは廃墟となり、
2,100万人の人口は、1,350万人になった。
これによって宗教戦争は終わり、以後は国家間の戦争になる。

聖ヴィート大聖堂にも、見るものがある。


それは、アルフォンス・ミュシャがデザインしたステンドグラス。

聖ヴィート大聖堂の中は、別料金を払えば撮影ができた。
ミュシャの作品は、市街にあるミュシャ美術館でみることができる。

三十年戦争で、プロテスタント派が処刑された痕跡をさがすと、
旧市庁舎がある旧市街広場の石畳に白いブロックがある。

処刑跡だと、思うが? 左はゴミ入れ。

旧市庁舎や旧市街広場も、プラハのランドマークである。

旧市庁舎も、旧市街広場も、ティーン教会も、
プラハ歴史地区として、世界遺産である。
世界から観光客が押し寄せる。

旧市街広場にあるティーン教会。


旧市街広場の近くにある旧ユダヤ人墓地も世界遺産である。

旧ユダヤ人墓地は建物の左にある。

世界遺産である「プラハ歴史地区」の、
プラハ城、旧市庁舎、ティーン教会、
を、眺められるところがある。
それは、インドジシェスカー塔。


インドジシェスカー塔から、プラハ城方面を眺めると、

プラハ城は左、旧市庁舎はその手前、ティーン教会は右にある。
プラハのランドマークを、同時に眺められるとは、
幸運というものだ。


天井のカリヨンの音を友にしながら。
ほかに観光客はいない。

最後に、アルフォンス・ミュシャの「黄道十二宮」。

絵はがきから。

プラハのランドマークは、「プラハ城」で、
2010年の最終とします。

2010年、多くの方から閲覧がありました。
ありがとうございました。
多くの時間をかけた甲斐がありました。

それでは、
よい年の瀬と、
新年をお迎えください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プラハの景観

2010-12-01 00:12:01 | Weblog
世界の景観をみる。

チェコの首都、プラハの景観をみる。
プラハのランドマークは、「プラハ城」。
プラハ城は世界遺産になっている。

「百塔の都」と言われるプラハを、
丘の上のプラハ城から眺める。

モルダウ川にかかるカレル橋から見たプラハ城。

カレル橋には、バンドの演奏もあって、観光客が行きかう。

プラハ城から、市街を眺めた3枚の写真がある。
カレル橋の方向。

中央がカレル橋で、カレル橋の塔の左(南)は、
旧市街の旧市庁舎に続く。

カレル橋より左にあるマーネス橋の方向。

左がマーネス橋。

マーネス橋の先の広場の左にある建物は、
芸術家の家(ルドルフィヌム)。

手前の銅像はドボルザーク。

ルドルフィヌム(芸術家の家)は、
チェコ・フィルハーモニーの本拠地である。
また、春の音楽祭「プラハの春」の主会場で、
青いバナーは、音楽祭が開催中であることを示す。

カレル橋の北側。プラハ城の下。

ドームは聖ミクラーシュ教会。

樹木に邪魔されずに、市街をよく見るには、
プラハ城を少し下りる。3枚の写真がある。

カレル橋方向。


マーネス橋方向。

中央右がマーネス橋。
マーネス橋の先の左がルドルフィヌム。

カレル橋の北側、プラハ城の下。

右奥は聖ミクラーシュ教会。

これらの写真に共通して言えることは、
確かに「百塔の都」だ。
尖塔が高い建物だ。
とつぜんに高層建築はない。
建物の高さが制限されている。
屋根はレンガ色と色調が統一されている。
広告看板は見当たらない。
電柱電線がない。
鉄塔がない。
樹木が多い。
屋上には、水タンク空調機械がない。

教会の尖塔が多くあり、
「百塔の都」といわれて、
美しいことがわかる。

インドジシェスカー塔に登って、
プラハ市街を眺めた写真がある。

なぜインドジシェスカー塔か?
旧市庁舎からの眺望もよかったが、
「百塔の都」をイメージするには、
もっと高い位置にある塔に登りたかったから。

旧市庁舎。下にあるのは天文時計。

広場の先の右の塔はティーン教会。

インドジシェスカー塔から、プラハ城方面。

左奥がプラハ城、その右は旧市庁舎広場のティーン教会、
右奥は火薬塔。

インドジシェスカー塔から、国立博物館方面。

中央奥のドームが国立博物館。
左の塔は、インドジシェスカー塔の一部。

インドジシェスカー塔から眺めたプラハ市街は、
高い建物は尖塔である。
とつぜんに高層建築はない。
建物の高さが制限されている。
周囲と調和しないド派手な色はない。
通りには、小さな広告看板はある。
建物に○○銀行と彫刻した広告看板がある。
電柱はないが、トラムの電線がある。
鉄塔はない。
屋上には、水タンク空調機械がない。

調和と統制」がとれた街になっている。
そして、プラハには多くの観光客が、世界から押し寄せる。

旧市庁舎の天文時計の前に集まった観光客。
毎時のからくり時計を見つめる。

チェコは、国土が日本の5分の1、人口が1千万人だが、
独自の文化という観光資源で、
世界の観光客を集めている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする