世界の街の景観をみる。
「プラハの景観」2010年12月1日では、
プラハのランドマークは、「プラハ城」と書いた。
今回は、プラハのランドマークは、「プラハ城」について。
プラハ城は、丘(フラッチャニ)の上にあるから、
モルダウ川にかかるカレル橋からも遠望できる。
中央に尖塔のある聖ヴィート大聖堂、
手前の赤い屋根の旧王宮が見えて、
プラハ城は、これらを集めたもの。
プラハ城は、「プラハ歴史地区」として、
世界遺産になっている。
カレル橋も含まれている。
カトリックとプロテスタントの宗教戦争である、
「三十年戦争」のはじまりは、プラハ城である。
17世紀最大の事件である三十年戦争は、
プロテスタント派が、旧王宮に押し入って(1618年)、
カトリック派のフェルディナント2世(後の神聖ローマ皇帝)の、
補佐官3人を、窓から放り投げた。
これがきっかけで、三十年戦争がはじまった。
その三十年戦争の痕跡をみることができる。
旧王宮からテラスに出ると、
南側に出っ張った城 (ルドヴィーク翼)がある。
窓は、左の端、上から2番目。
この窓から、15メートル下に放り投げた。
放り投げたことを示す、「モニュメント」が下に見える。
しかし、当時はゴミ捨て場、そのゴミの上で、助かっている。
プロテスタントとカトリックが殺戮を繰り返して、
三十年戦争は終わった(1648年)。
ヨーロッパ中が疲弊した。
たとえば、ドイツは廃墟となり、
2,100万人の人口は、1,350万人になった。
これによって宗教戦争は終わり、以後は国家間の戦争になる。
聖ヴィート大聖堂にも、見るものがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/ad/002142d92cff271fc929a9ea84f24ebc.jpg)
それは、アルフォンス・ミュシャがデザインしたステンドグラス。
聖ヴィート大聖堂の中は、別料金を払えば撮影ができた。
ミュシャの作品は、市街にあるミュシャ美術館でみることができる。
三十年戦争で、プロテスタント派が処刑された痕跡をさがすと、
旧市庁舎がある旧市街広場の石畳に白いブロックがある。
処刑跡だと、思うが? 左はゴミ入れ。
旧市庁舎や旧市街広場も、プラハのランドマークである。
旧市庁舎も、旧市街広場も、ティーン教会も、
プラハ歴史地区として、世界遺産である。
世界から観光客が押し寄せる。
旧市街広場にあるティーン教会。
旧市街広場の近くにある旧ユダヤ人墓地も世界遺産である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/91/458957b964565f4aeec8f3cf3876fadb.jpg)
旧ユダヤ人墓地は建物の左にある。
世界遺産である「プラハ歴史地区」の、
プラハ城、旧市庁舎、ティーン教会、
を、眺められるところがある。
それは、インドジシェスカー塔。
インドジシェスカー塔から、プラハ城方面を眺めると、
プラハ城は左、旧市庁舎はその手前、ティーン教会は右にある。
プラハのランドマークを、同時に眺められるとは、
幸運というものだ。
天井のカリヨンの音を友にしながら。
ほかに観光客はいない。
最後に、アルフォンス・ミュシャの「黄道十二宮」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/21/68753c35ecc0a31f361cd819d9ba5473.jpg)
絵はがきから。
プラハのランドマークは、「プラハ城」で、
2010年の最終とします。
2010年、多くの方から閲覧がありました。
ありがとうございました。
多くの時間をかけた甲斐がありました。
それでは、
よい年の瀬と、
新年をお迎えください。
「プラハの景観」2010年12月1日では、
プラハのランドマークは、「プラハ城」と書いた。
今回は、プラハのランドマークは、「プラハ城」について。
プラハ城は、丘(フラッチャニ)の上にあるから、
モルダウ川にかかるカレル橋からも遠望できる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/c2/d3f7a6037b4ac7a4311533648be7fd67.jpg)
中央に尖塔のある聖ヴィート大聖堂、
手前の赤い屋根の旧王宮が見えて、
プラハ城は、これらを集めたもの。
プラハ城は、「プラハ歴史地区」として、
世界遺産になっている。
カレル橋も含まれている。
カトリックとプロテスタントの宗教戦争である、
「三十年戦争」のはじまりは、プラハ城である。
17世紀最大の事件である三十年戦争は、
プロテスタント派が、旧王宮に押し入って(1618年)、
カトリック派のフェルディナント2世(後の神聖ローマ皇帝)の、
補佐官3人を、窓から放り投げた。
これがきっかけで、三十年戦争がはじまった。
その三十年戦争の痕跡をみることができる。
旧王宮からテラスに出ると、
南側に出っ張った城 (ルドヴィーク翼)がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/a5/9fc0e77fc55ee273d04e245f5e66844c.jpg)
窓は、左の端、上から2番目。
この窓から、15メートル下に放り投げた。
放り投げたことを示す、「モニュメント」が下に見える。
しかし、当時はゴミ捨て場、そのゴミの上で、助かっている。
プロテスタントとカトリックが殺戮を繰り返して、
三十年戦争は終わった(1648年)。
ヨーロッパ中が疲弊した。
たとえば、ドイツは廃墟となり、
2,100万人の人口は、1,350万人になった。
これによって宗教戦争は終わり、以後は国家間の戦争になる。
聖ヴィート大聖堂にも、見るものがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/ad/002142d92cff271fc929a9ea84f24ebc.jpg)
それは、アルフォンス・ミュシャがデザインしたステンドグラス。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/97/d5027d79445efcb8fd8279df50326224.jpg)
聖ヴィート大聖堂の中は、別料金を払えば撮影ができた。
ミュシャの作品は、市街にあるミュシャ美術館でみることができる。
三十年戦争で、プロテスタント派が処刑された痕跡をさがすと、
旧市庁舎がある旧市街広場の石畳に白いブロックがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/20/65631712c2a1e70a8580226e40608ba8.jpg)
処刑跡だと、思うが? 左はゴミ入れ。
旧市庁舎や旧市街広場も、プラハのランドマークである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/df/04adadf5ffc9d896510e4b70b1eba387.jpg)
旧市庁舎も、旧市街広場も、ティーン教会も、
プラハ歴史地区として、世界遺産である。
世界から観光客が押し寄せる。
旧市街広場にあるティーン教会。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/0e/14c4a1810270c210692a2889dcc49302.jpg)
旧市街広場の近くにある旧ユダヤ人墓地も世界遺産である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/91/458957b964565f4aeec8f3cf3876fadb.jpg)
旧ユダヤ人墓地は建物の左にある。
世界遺産である「プラハ歴史地区」の、
プラハ城、旧市庁舎、ティーン教会、
を、眺められるところがある。
それは、インドジシェスカー塔。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/e5/3c71ee599881949c0625b03aeef5cd91.jpg)
インドジシェスカー塔から、プラハ城方面を眺めると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/62/4a98d9a388c6f7a43d24a2e4438c31c3.jpg)
プラハ城は左、旧市庁舎はその手前、ティーン教会は右にある。
プラハのランドマークを、同時に眺められるとは、
幸運というものだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/9d/862f7d39f777b8b14b67c2423ab64122.jpg)
天井のカリヨンの音を友にしながら。
ほかに観光客はいない。
最後に、アルフォンス・ミュシャの「黄道十二宮」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/21/68753c35ecc0a31f361cd819d9ba5473.jpg)
絵はがきから。
プラハのランドマークは、「プラハ城」で、
2010年の最終とします。
2010年、多くの方から閲覧がありました。
ありがとうございました。
多くの時間をかけた甲斐がありました。
それでは、
よい年の瀬と、
新年をお迎えください。